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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第1章 1947年5月
6/25

火曜日


新疆連合自治邦、阿勒泰


 阿勒泰市は新疆北東の町でソ連国境と百三十キロ、外蒙古とは八十キロである。境を成すアルタイ山脈は北からアルタイ、モンゴルアルタイ、ゴビアルタイと三つに分けて呼ばれることもある。アルタイが最も険しくシベリアとカザフスタンの境である。モンゴルアルタイはトルクメニスタンとモンゴルを、ゴビアルタイは北モンゴルと南モンゴルを分けた。アルタイとは金の山の意味であり、ソ連領内にも外蒙古側にも同名の地名や町がある。新疆の阿勒泰には金山があり重金属も産するから中国政府にとって重要な地域であった。

 阿勒泰市の旧名は承化寺である。市内にあるチベット仏教の寺の名で、すなわち、一帯は仏教徒である蒙古の一部だ。オイラトはジュンガル盆地を中心に天山山脈からアルタイ山脈まで広く住み、外蒙古の主流であるハルハと対抗してきた。清の滅亡後に外蒙古が独立すると、大蒙古国王となった活仏に帰服する。しかし、外蒙古軍が西進して来てアルタイを越えようとすると、中国軍が阻止した。モンゴルアルタイは新疆と外蒙古の境となり、オイラト各旗は東西に分断された。

「オリアンハイもアルタイの東側に居たのです。外蒙古は帰還してくるオリアンハイを拒めない」

「だが、哨兵がホヴドの東に警戒線を敷いて阻止している。なぜだ」

「社会主義から集団逃亡した叛乱者だからです」

「外蒙古軍は二個師団を増派した。六個師団しかいないというのに」

「オリアンハイの後ろにはカザフ人集団が続いています。彼らも反革命主義者だ」

「ソ連にとっては叛逆者、見逃すわけにはいかない。しかし、彼らとてアルタイの東側に住んでいた」

「戦争や革命で故地を追われた難民を保護して帰郷させるのが難民高等弁務官事務所の任務です」

 椙本の答えを聞き終わると、石川は煙草に火を点ける。

「ふん、大事にしたものだ」


 石川中校と椙本少校は阿勒泰市郊外に設営された難民キャンプにいた。収容されていたカザフ人たちが出て行って閑散としたものだ。残っているのは弁務官事務所の職員と護衛の兵隊だけである。フリチョフ・ナンセンはノルウェーの科学者で探検家、後に国際政治家となった。一九二二年に国際連盟の難民高等弁務官に就任し、戦争捕虜や難民の帰国救済活動にあたる。彼の死後はナンセン国際難民事務所、次いで国際連盟難民高等弁務官事務所に引き継がれ、発行するナンセンパスポートは無国籍難民の国家間移動を可能にした。

「ジェプツンダンバ八世の死後、チョイバルサンは社会主義を採用し、モンゴル人民共和国を称しました」

「独立を認めたのはソ連だけだ」

「中華民国は国際連合の常任理事国で、難民高等弁務官事務所に協力を惜しまない」

「どうせ米国の圧力だろう。エデマイヤーを通じてねじ込まれたに違いない」

「げふんげふん」

 石川は考える。オリアンハイはボグド・ハーンに帰服したのであり、社会主義や人民共和国に従う義理はない。だいたい国という概念がなかった。モンゴル人民革命党が『母国』を造語したのは一九三〇年である。ハーンの権威や蒙古の大義は浸透していても一つの国という意識はない。まあ、日本の開国前と同じだ。それはいい。

「だがカザフ人たちも越境させるのは感心できないな。将来の揉め事を抱え込むものだ」

「げふんげふん」

「そうか。英国の圧力なのか」

「協力です」

「なるほど、新疆の西、アフガニスタンからは中近東だったな」



 外蒙古に住むカザフ人は一つではない。およそ二百年前、清がジュンガルを滅ぼした頃、ロシアでは宗教改革があった。ロシア正教の典礼改革に反対する古儀式派はシベリアに流されたが、その一部がカザフを名乗って外蒙に逃れて来る。さらに百年前にもカザフ人集団が外蒙古に侵入して来た。ロシアの南下に圧されてカザフは西へ移動したのだ。そして、一九三〇年には稀に見る大寒波がカザフ一帯を襲い、多くのカザフが新疆や外蒙古に移住して来た。

 だが、外蒙古は安住の地ではなかった。ハルハは狩猟を生業とするオリアンハイを山際に追い込んだ。異教徒のカザフも同様で、モンゴルアルタイ東麓は人口過多となった。一九三九年にはノモンハン事変、ポーランド分割などがあって、軍の徴兵も厳しくなる。オリアンハイは同族を頼って新疆へ逃れた。カザフ回教徒二万は外蒙古を脱出し、新疆、甘粛、青海、西蔵、さらにカシミール、パンジャブと移動する。

 今、アルタイを東へ越えて故地に帰るのは合わせて四万人いる。オリアンハイが七千戸三万人、カザフ古儀式派五百戸二千人、そしてカザフ回教徒だ。人口七十五万の外蒙古にとって四万とは五パーセントを超える人数であり、少ない数ではない。

「英国が北インド各地で保護した者は四千に満たない」

「わざわざ新疆まで送り込むとはな」

 椙本は答えないが、石川には察しがついた。英国は中国に難事を投げた。だが、満蒙疆に青海、西蔵と異民族を抱える中国にとって数千、数万はいまさらの数である。むしろ、連邦制の試金石となる。アルタイを越境させるのも、モンゴル人民共和国に難題を押しつけようというのではない。まもなく蒙古は一つになり、統一蒙古の主席は徳王である。すなわち、蒋介石は徳王に多民族統治の難題を仕掛けるのだ。連邦制ではどの自治邦にも力はつけさせない。外交と軍事は蒋介石が握って渡さない。まったくもって悪鬼夜行、魑魅魍魎だらけだ。


 満州自治邦の場合、与えられた難題は対ソ前線だ。居残った日本兵五十万の半数近くが関東軍出身であり、ソ軍への復讐がその理由だ。満州の義勇日本兵が乗る戦闘機や戦車が帝国陸軍の塗装なのは、ソ連に対して印象を深くするためだ。つまり、この先も対ソ戦が繰り返されるのだと、石川は考える。待てよ。義勇日本軍の本隊はゴビ砂漠横断の途上にあって、鉄道敷設にあたる労務者も数万人いる。その五十万人を外蒙軍が察知できない筈がない。もしや。

「椙本少校は興安軍官学校生徒兵を率いてたと聞く」

「そうでしたが」

「叛乱を企てていたそうだな」

「しかし、説得に応じてくれました」

「そうか、説得に応じたのか」

 石川は得心した。すでに外蒙軍上層部は説得に応じているのか。少ない兵力を分散し遠方に派遣して首都をがら空きにしているのだ。二個師団では、どうあがいても日本兵の敵ではない。仕掛けは完成している。すると、日系中国人はこの先・・。

「石川中校、入電です。カザフ集団の先頭がホヴドに入りました」

 椙本の声に石川は我に返る。

「前線の兵力比はどれくらいになった」

 難民を兵力に算じる石川の言い方に、椙本は何も言わない。オリアンハイもカザフも武装しているのは事実だ。

「外蒙軍一千、オリアンハイが三千ほどです」

「わかった。行こう」

 石川は弁務官事務所に入って代表に出発を告げる。事務局が山越えにつきあう必要はない。トラブルになった時に、その場にいればいいのだ。そう言った彼は合理的な思考の持ち主で、それゆえUNマークの水色に塗られた輸送機が用意してあった。





吉林省長春市洪熙街、満映撮影所


 第三スタジオの司令部では昼食の最中だった。紙に包まれたピロシキとマグカップに入ったスープである。飯島はパン食ならあんパンに味噌汁が好みだが、戦闘食だから文句は言わない。

「あ、はずれだ」

「大当たりです」

 街角で売っているピロシキの中には挽肉やじゃがいも、細切れのキャベツなどが詰めてあるが、一番安いのはあんがない。飯島はあんなしで加茂は挽肉と玉ねぎだった。司令官と参謀たちが食べている間も、情報や通信の要員がひっきりなしに出入りして状況報告と作戦地図の書き換えが進む。

「一二〇〇、ウラジオから艦艇十隻が出港。一二一〇、第3艦隊司令官出撃」

「一二一〇、東寧国境前面にソ軍戦車集結中、T-34-85が六十両、T-34-76が八十両」

「一二一五、綏芬河国境前面にソ軍戦車集結中、T-34-85が九十両、T-34-76が六十両」

「一二三〇、外蒙古ホヴド東二キロ、外蒙軍に増援あり。兵力比、三千二百対千五百」

 昼食を終えた飯島たちは立ち上がり、作戦地図に寄る。さすがにスターリンも昨日のうちにテレビジョンか新聞の電送写真を見たのだろう。今朝からソ連領内は慌ただしく動いていたが、前線まで及んだのは昼前だった。飯島たちは各々、昼食中に感じたことを要員に告げる。

「通信、奉天の兵站司令部には届いているか」

「はっ、すべて回信しました。分析に入ると返電がありました」

「そうか、飯抜きでやれと打て」

「はっ、督電を打ちます」

「情報、東寧と綏芬河の戦車の後ろに砲兵はいるのか。自走砲でもいい」

「前面には対戦車自走砲しか見えず、通常の戦車連隊の編制です。野砲、重砲は二十キロ以上後方にあり、砲架は閉じたまま、砲弾も積まれてない」

「わかった。うちも飛ばしているのだな。大いによろしい」


 飯島たちは状況を把握すると、評価に入る。

「効果覿面だな。少し早すぎる気もするが」

「そこは奉天に任せよう。他のソ連軍管区はどうなっている」

「ザバイカル軍管区はアルグン河沿いに戦車を並べている」

「戦車だけならお付き合いだ、まだ本気じゃない」

「中央アジア軍管区、ジャルケントに自動車化狙撃兵が集結中」

「伊寧に来たか。さすがはジューコフ」

 本間が飯島に向いて何か言おうとした時、また電信が入る。

「一二四〇、図們江対岸にソ狙撃兵が集結中」

「本命だ。やはり南に来た」

「一二五〇、騎兵第一連隊第一中隊がハルアイラグを通過」

「よし、これで二個連隊が通過した」

「相手は二個師団だ。まだまだ足りん。お。どうした、本間」

「先行の機動連隊から一個中隊をくれ。野戦飛行場の準備だ」

 飯島は拳を額に当て、一秒間だけ考える。

「かまわんが、機材は持っているのか」

「それも空から持ち込むさ」

 そこへ待望の兵站司令部からの分析が入電した。全員が黙して聞く。

「敵の兵力分散も、こちらの兵力集中もまったく不足か」

「まだ、三日めです。明日は対峙だけですね」

「うん。加茂、甘粕に電話だ。明日は待機」

「了解」

 比良が寄って来て飯島に耳打ちする。

「前線がおとなしく待ってくれますかね」

「何を言う。命令だぞ」

「澄田少校、佗美少将、島田中校、石川中校、いずれも帝国陸軍軍人の模範です」

 それは決戦突撃と独断専行を意味した。司令部全員が顔を見合わせる。




挿絵(By みてみん)




中ソ国境、図們江河口沖、第3艦隊旗艦熊野丸


 第3艦隊はソ連極東艦隊と領海線を挟んで対峙していた。どちらも単縦陣を組んで領海内を行きつ戻りつしている。極東艦隊は領海線ぎりぎりまで進出しては引いて行く。一方、第3艦隊は視認できるぎりぎりまで距離を空けていた。見敵必戦と勇んで出撃して来た佗美少将にとって思いもよらぬ展開だった。こんなはずではなかった。満ソ戦争の時に、極東艦隊は主要艦艇をほとんど失ったのではなかったか。

 第31戦隊には熊野丸と山汐丸の二隻の空母があり、摂津丸は多くの機動艇や攻撃艇を持つ。武装は機関銃が主だが、それは魚雷艇や警備艇だけの極東艦隊も同じこと。撃ち合えば鉄製船艇が多いうちが勝つ。そういう見込みだったのだ。憤懣やる方ない佗美司令官は艦橋で吼える。

「どういうことだ。これではトーチカに小銃ではないか」

「わかりました。あれは大戦中に米国がレンドリースしたオマハ級軽巡とタコマ級フリゲートです」

「借りたものは返せよ。武装は」

「オマハの主砲は一五〇ミリ連装六門、タコマは七六ミリ単装三門」

「うちにも七五ミリ砲があったな」

「向こうは五〇口径、うちは山砲や戦車砲ですから二〇口径もいくやら」

「わかった。タコマは裸だから機銃で砲手を狙える。だがオマハは砲塔だ、どうにもならん」

「八雲には衝角があったんですが、惜しいことをしました」

「もういい。高雄を待つ」

 河野参謀長はほっと溜息をつく。

「司令官閣下、第33戦隊との合流は明日未明です」

「それまで仮眠しよう」






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