第1章 計画
【1 設問】--------------------------
昭和一六年一二月七日の夜、陸軍工兵少佐の山口吾朗は参謀本部第二〇班の部屋にいた。第二〇班は参謀次長直轄で、戦争指導班と呼称される。主要任務は戦争指導に関する事務、大本営政府連絡会議に関する事務で、具体的には、大本営政府連絡会議の議事録作成、御前会議の議事録作成、参謀総長上奏時の御下問奏答の綴り作成などである。もちろん、議事録作成のために許される限りの重要会議に出席する。総長上奏にはさすがに同伴できないが、直後に口述筆記を行なう。作成された議事録や綴り、メモは参謀本部内を回覧される。他部署の部員は必要な部分を筆写して、各員の業務日誌や覚書の基とする。
参謀本部戦争指導班の班長は大佐で、ほかに中佐が二名、少佐が二名が班参謀の定員である。大本営陸軍部第二〇班としては、これに大佐参謀が一人、海軍中佐が一人加わる。といっても、半数が他部署と兼任である。班固定の参謀は、班長の有末次砲兵大佐、種村佐孝騎兵中佐、原四郎騎兵少佐と山口少佐であった。参謀飾緒を吊る四名に、事務補助の下士官三名とタイピスト二名が加えた九名が班の全員であった。班には、伝達と備忘のために日々の任務内容を記す業務日誌があった。非公式のものだが、機密に属する固有名詞は符丁が使われている。もちろん、班の各員は、自分の業務を円滑に進めるために複数の個人的メモや帳面を作成していた。
山口少佐は底冷えのする部屋の中で、閲覧が許される範囲の業務日誌や清書された議事録の類を読んでいた。三年前に陸軍大学第五十期を卒業し、今年の八月に少佐に進級した。まもなく大隊長かと思っていたら、一一月になって突然、参謀本部勤務の辞令が出た。これまでずっと中支の前線におり、省部での勤務経験はなかったから驚いた。着任して知ったが、帝国は対米英開戦前夜にあった。その非常時を目前に人事異動を遂行するのは陸軍の余裕か、官僚化の極みか。そう考えないこともなかったが、口は禍の元であるから、黙々と軍務に励むだけである。とにかく、これまでの経緯を知っておかないと仕事にならない。山口はメモをとりながら、書類を読む。
時々、帳面を見る。それは、メモをまとめなおしたもので、時系列と事項別と二冊あった。自分が今、どのあたりを読んでいるのか、何が論題なのかを見失わないようにしているのだ。
参謀本部の戦争指導班は、昭和一一年に戦争指導課として新設され、作戦課長であった石原莞爾大佐が課長を兼任した。昭和十二年の参謀本部機構改革の際に、第一部第二課第一班と改編された。作戦部作戦課戦争指導班である。新設時の班の任務は、長期的、総合的な観点からの国策の企画、立案である。参謀本部の作戦部や作戦課では戦争自体を企画できないし、戦争の進行を監視できない。それが戦争指導班を設けた本当の事由だ。つまり、軍の作戦計画の上位である帝国の戦争計画あるいは戦争企画を石原は企図していたのだ。
それは政治だろうと、山口少佐は思う。開戦や終戦を決定するにあたって、軍の状況と意思は重大であるが、それと同等以上に帝国の状況、国内外の情勢は重要である。軍部だけでも政府だけでも独断は出来ないから、大本営政府連絡会議という仕組みがある。すなわち政治の一部であり、陸軍で政治に関与できるのは陸軍大臣と陸軍省軍務局だ。それは二二六の後は徹底された。つまり、参謀本部は作戦指導に徹して、政治に関与できない。参謀本部が関与できるように、石原少将は戦争指導班を新設したのだが、部内での論争に敗れて石原は参謀本部を追われた。その後の戦争指導班は、国策や戦争の企画立案を封じられ、重要会議の事務に専念することになる。戦争指導と名前は仰々しいが、実際の業務は戦争事務である。
突然、部屋のドアが開いた。落とした電灯がすべて点けられる。急に眩しくなった中で、山口は入室してきた人物を見定めようと目をしかめる。
「なんだ、山口君か」
「班長、お疲れ様です」
入ってきたのはこの部屋の主、戦争指導班長の有末大佐だった。奥の班長席に向かいながら、山口の机の上の書類をざっと見る。
「箱根は行かなかったのか。熱心なことだ」
「行きました。帰宅してから着替えて出直して来ました。どうも、今夜は家に居る気にはなれません。伊勢はどうでした」
班長を除いた班の八名は朝から箱根に遊んで来た。連日連夜と続いた業務の慰労と気分転換だった。今日は日曜日であるし、昼間の会議の予定もなかったからだ。有末大佐は、開戦を控えて伊勢神宮に参拝する参謀総長の杉山大将に同行していた。
「うん。天気が良くて幸いだった。総長も覚悟を決められたな。帰りの車内では晴れ晴れとされていたよ」
「そうですか」
「ずいぶん古いものから読んでいるんだね」
「はい。早く追いつかないと、原少佐だけに負担がかかります」
「そう、種村君がね」
暗に中佐参謀の不熱心を振られたようで、山口は答えようがない。種村中佐は昭和一四年からずっと戦争指導班員で、有末大佐の前の班長でもあった。その後も戦争指導班にいる。通常なら数ヶ月の引継ぎで異動となるところを一年以上も在籍しているのは異常である。誰が見ても格下げ人事だから、なんらかの事情があるのだろう。
山口が業務日誌などから推定するところ、種村中佐は強硬な対米開戦派だったから穏健な有末大佐に交代させられたようだ。陸軍はずっと反ソ・嫌英であったが、米国に対しては時期によって波があり、一貫して反米だったわけではない。むしろ無関心な時期の方が長い。有末大佐が着任した昨年の一〇月前後は、北仏印進駐と三国同盟に対する米国の思わぬ反応に陸軍は混乱していた。海軍も外務省も米国の反発は限定的と断言していたからである。逆に、海軍はその頃から強硬な武力南進と対英米開戦を主張し始める。
その時期の日誌には過激な記述が散見された。参謀本部の主流である作戦課との兼ね合いもあるのだろうが、対米開戦の決意は時期として不適切であろう。そもそも、陸軍は対米戦を主体的に行なう立場にないから、判断が出来ないのだ。米国との戦争はどう考えても海を越えての戦いだから、海軍の存在が不可欠で最重要だ。だから、対米戦の是非は海軍に一任したいところでもあった。対英戦争ならば、マレーへは陸続きで行けるから主体的に判定できる。
有末大佐は着任後すぐに、従来の陸軍の見解である英米可分を英米不可分へと、政策も武力発動から外交的解決へ変換すべきだと主張し、精力的に説得に回った。それは成功し、今年四月に陸軍の政策は慎重案の『対南方施策要綱』へと転換された。その後も陸軍省軍務局は日米交渉に協力的であり続けた。松岡外相の訪欧や独ソ開戦に対しても、一部の強硬論を抑え続け、陸軍全体としては慎重を保っていた。陸軍が決定的に対米開戦止む無しになったのは今年の九月であり、それは海軍が対米開戦に賛同したからだ。
種村中佐の班での勤務は二年間にのぼり、書式文体、各課の要所など事務に通じている。特に省部での軍属文官との人脈は一朝一夕に築けないから、有末班長は重宝しているのだろう。種村中佐も業務に非協力というわけではない。しかし、最終確認など実際に手を出すのは限定的だった。山口は着任して一ヶ月も経っていないから、畢竟、原少佐に負担が集中するのは避けられなかった。
兼任の二人がいたが、武田大佐は作戦部謀略課長の重職であるし、鈴木中佐も支那課支那班長であったから、実際の作業には期待できない。どうしても、山口が戦力になるように精進しないといけないところで、定時で帰宅して、その夜にまた出勤するという日が続いていた。
有末大佐は、机でメモの整理をしているらしかった。山口は、書類の読み込みを続ける。一時間ほど経って一服点けた時、大佐と目が合った。
「どこまでいったかね?」
「はっ。日誌は二度通読しました。議事録は一度きりですが要点は筆写しました」
「そうか。概要は理解したと思う」
「はい。会議の筆記、議事録の作成はできます。総長の上奏についても草稿までは問題ありません。不確実なのは、上奏や奏答を別冊に綴じるところです。一度すべてを清書してから分冊の指示をいただこうと思います」
「それでいいのじゃないのかな。後は原君がやるだろう」
「しかし、それでは原少佐の負担が減りません」
「大丈夫だよ。原君は、あれで陸幼、陸士、陸大をすべて首席の秀才だ。何だってやれるさ。むしろ荷が軽いと暴走するんじゃないかな、ああいう人間は」
「すべて首席は、すごいですね」
それしか答えられない。山口は、首席はおろか優等もとったことはなかった。
「君も肝に銘じているだろうが、軍人は政治に関与しない」
「はっ」
と、咄嗟に山口は座ったまま姿勢を正す。今まで班長と二人きりで話したことはない。今夜は貴重な夜となりそうな予感がした。
「ところが戦争指導というのは政治なのだ。陸軍省は内閣の一員であり関与すべき政治事務があって、主に軍務局が取り扱っている。さて、作戦の計画と指導が本分の参謀本部において、戦争指導という政治行為は許されるのかね?」
山口は緊張した。有末大佐は真正面から斬り込んできた。避けようがなかった。本題に真摯に答えるしかない。
「はっ。戦争は政治の一部と申します。その意味で陸軍省は政府の一部であって至極当然です」
有末大佐は山口少佐に視線を置いたまま、瞬きもせず見つめていた。今のところ、外していないらしい。
「さらに、作戦は戦争の一部でありますから、その意味で参謀本部は陸軍省の一部であります。であれば、参謀本部が行なう戦争指導とは、陸軍省が行なう政治経済銃後等の全般的指導ではなく、作戦遂行に関する限定的指導となります」
有末大佐は軽く頭を傾げた。山口の言葉を咀嚼しているらしい。視線は外れていない。
「ほう、なかなかのものだが、抽象的に過ぎる。誰に、何を、いつ、どうする?」
来た。これからが本番だと、山口は唇を湿らす。有末が眼を瞬いた。
「はっ。作戦計画と作戦指導の担当者が対象です。すなわち参謀全員」
「続けてくれ」
「作戦は上位の戦略から策定されるものですから、戦争戦略・戦争計画が対象となります。陸軍の作戦は動員計画から始まりますから、動員・作戦・兵站いずれかの企画が始まってから、戦争目的の達成と動員解除までが対象の期間であります。その中で、作戦実施が大戦略や戦争計画を逸脱していないか、戦争目的達成に寄与しているかを、監視し、判定し続けます」
「驚いたな。ここまでは正解だ。続きはあるかね?」
「え、続きでありますか」
正解と言われて気が抜けたのも事実だが、山口にはこれ以上の具体案はなかった。有末は一瞬下を向いたが、再び顔を上げたときには微笑んでいた。
「原君はさらに言えたよ。それでもまだ不足なんだがね」
「すると二つ?」と、思わず口にしてしまった。
「あはは。そうなるね。一つは参謀本部の中でどう動くかだ。作戦課だけで二百人を超える。うちの班は五名、兼任や軍属を入れても十人がやっとだ。君の言う監視と判定を行なうには、よほど対象を絞らないと無理だろう。もう一つだが、参謀本部は大本営の一部でもある。大本営陸軍部として、大本営全体として、どちらでもいいが対応策はあるかね?」
「ええ」
山口は絶句した。これは力試しとばかり思っていたが、班長は実際に業務として作業することを前提に質問していたのだ。大本営の件も、畏れ多いことだが、業務ならば避けては通れない。上位・下位として重要度・重大度に応じて区分けするのが無難なようだが、現実的だろうか。
「ま、即答は無理だろう。考えておいてくれ。僕はお神酒を調達して来る」
「え。お神酒ですか」
「そうだよ。陸海軍の精鋭が練りに練った奇襲だ。万が一にも失敗することはない。それに情報もちょっと仕入れておかないと」
有末大佐が出て行くと、山口は帳面を鞄から出して腕組みをする。これはたいへんなところに来てしまった。そして、さらに大変なことになりそうな気がした。
【2 疑念】--------------------------
有末大佐がお神酒を持って帰って来た時には、日付が変わって一二月八日になっていた。お神酒は松竹梅の一升瓶と、ウヰスキーの小瓶だった。朗報が入るのは四時あたりらしく、ウヰスキーの小瓶を空けたら仮眠することになった。
山口は出していた書類の綴りをもとの書棚に戻して、班長の待つ長机に座る。皇軍の奇襲成功を祈ってまず一杯。そして、山口の原隊の武運を祈って一杯となった。工兵第六連隊は第六師団と共に中支にあって、長沙攻略から凱旋して休養中である。
次は班長の原隊だが、第七師団所属の野砲兵第七連隊は北海道だ。大本営直轄の北の防人に一杯。それから、陸大を出た後に独立山砲兵第一連隊附きだったから、そっちもとなった。独山一は第二師団所属で、南方総軍第一六軍隷下となった。蘭印攻略は二月開始の予定だから、まだ仙台にあり、東京から台湾への出航も来月の予定である。それでは一杯。あっという間に小瓶は空になり、山口は長机に突っ伏した。
寒さに目を覚ますと、四時を過ぎたところだった。二時間ぐらいは眠れたらしい。背伸びをして部屋を見渡すと、原少佐が自席にいた。互いに笑いながら挨拶を交わす。山口は陸士で四期も先輩なのだが、業務で戦力になれない自覚から丁寧なものとなる。まして三首席だ。原は快活に告げる。
「班長は次長の部屋に呼ばれました。種村さんは各課を回ってますから、もうしばらくかかります」
「種村中佐も出勤されたのか」
「同じ車に乗り合いで来ました。僕も今、出勤したばかりですよ。昨晩も二人で来たのですが、山口さんが入られたので、僕らは休ませてもらいました。お疲れ様です」
「ああ、それは。ありがとう」
すべてお見通しというわけか。げんなりとして酔いも覚めたが、原少佐はまだにこにこしている。
第一報を知らされたのは五時少し前だった。作戦課には四時前に入ったという。もう一時間も経つではないかと山口少佐は思ったが、優先順位では戦争指導班は下位になるのだろうと諦観した。有末大佐も種村中佐も何も文句を言わないし、原少佐は厳粛に聞いた後、満面の笑顔を浮かべた。新参の山口が口出す筋合いはないようである。考えてみれば、第一報の報告先は陸海軍上層部や政府大臣が最優先だろう。今のところ、作戦にも政治にも外交にも関与しない戦争指導班は、同じ参謀本部や大本営陸軍部といっても、優先度は低くて当然だ。むしろ、一時間で届いたことを、重要視されていると思うべきではないか。思うほど悲嘆が湧いてきて、考えるのをやめた。
第一報は大本営海軍部から陸軍部への通報で、〇一三〇マレー半島において佗美支隊は上陸を開始せり、〇三三〇
1つは海軍からで
山口が腕時計を見ると五時前だった。右手で首筋を叩きながら左手で煙草を探る。一時間ほど前に、作戦課から伝えられたマレー上陸開始とハワイ奇襲成功の第一報でお神酒をいただいた。茶碗に半分もなかったが、徹夜続きで効いたらしい。とっておきの櫻を深々と吸うと、部屋の中を見渡す。電灯は昨夜から点けっ放しだった。陸軍の音頭で全国一斉の防空訓練をやったのはつい先月で、ちょっと気が引けないでもない。こと三宅坂の陸軍省と参謀本部について限れば、今日から一週間かけて市ヶ谷に引越しするのである。
部屋の中には戦争指導班固有の全員がいた。班長の有末砲兵大佐はなにやら書類を読んでいる。大本営発表の原稿であろうか。種村騎兵中佐は電話に出ていた。大本営海軍参謀と兼任だから、おそらく海軍の戦争指導班と連絡中だろう。相手は小野田海軍中佐か。原騎兵少佐はなにやらメモを認めていた。原は四期下だが幼年学校、予科、本科、陸大すべて首席である。秀才のやることはわからんと山口は思う。
兼任の武田砲兵大佐は第八課長で、情報部の総括班も束ねる謀略課長は今こそ忙しい。鈴木騎兵中佐も本来の第七課、支那課に居るだろう。便所に行って顔を洗い、うがいをする。水は切れるほど冷たくてほろ酔いなぞ吹っ飛び、しゃきっとなる。ついでに小便をして部屋に戻る。あちこちで喚声が上がっていた。廊下を走るものも居る。どうやら、また戦果が判明したらしい。部屋に戻ると、種村班長を伺うが、首を振る。特に仕事はないらしい。
ふと見ると、長机の上に新聞が四紙あった。そう言えばしばらく新聞は見ていなかったなと、山口少佐は一つを手にとる。東京朝日新聞だ。一面は「時難突破の士気高揚」とあり中央協会義の記事で、他にタイの動向や日米交渉についてだ。二面の社説は「満洲農業と食糧自給」だった。ぱらぱらと斜め読みして、次をとる。東京日日新聞だった。一面を見てぎょっとした。
「東亜撹乱・英米の敵性極る」「断固駆逐の一途あるのみ」と横に大見出しがあった。まさか開戦決定のニュースか。記事を読むと、日米交渉の決裂を断定するものであった。縦の見出しも「断固駆逐」「邁進一路、聖業完遂へ」と戦意を煽るもので、社説は「米国の野望を撃退せよ」である。社会面の関連記事はもっと悲愴な内容で、対米戦争下の貧窮覚悟を迫るものだった。どうみても、開戦予告の記事だ。開戦日が漏洩したのか!
奇襲を旨とする乾坤一擲の南方作戦では、開戦日は最機密である。政府の要人ならばともかく、新聞ごときに漏れていてはこれからの作戦指導はままならない。山口少佐は班長席の有末大佐を見上げたが、有末班長はいなかった。便所に行っている間に他出したらしい。次席の種村中佐を見る。種村は電話は終わって、一服していた。
「種村中佐、この東日の記事は読まれましたか」
「読んだぞ、山口少佐」
「これは、もしや」
「もしやももやしも、こいつはスクープだな」
「中佐!」
「防諜は憲兵隊の任務だ。しかし、開戦日となれば国策や戦争の大綱と無関係ではないな。どうだ、原」
種村中佐はそう言って、山口と同じ少佐参謀の原四郎に振る。いつの間にか二人のやり取りを注視していた原少佐は、もっともらしい顔つきで垂れた。曰く、
「およそ参謀は個人を持って輔翼の一端に参画しております。部署、階級の秩序はあっても、参謀個人の任務上の制約とはなりません」
「だそうだ、山口君」と種村中佐が煽る。
「山口はこれより新聞班に聴取してまいります」
「よし。しかし、新聞班ではなく大本営陸軍部報道班だ」
「しかり」
最後を略して部屋を飛び出していった山口少佐に、原少佐は座ったまま敬礼する。それを見た種村中佐はおもむろに話しかける。
「君の四期上なのだがどうかね、原君」
「識能知は申し分ありません。徳は不要でしょう。問題は固さですね、良否いずれに出るか」
「しかし、あの一徹さは頭の固さから由来しているのだろう」
「そうですね。柔軟でないと識能知は発揮できませんから、その境界外で固いのだと考えます。山口さんの場合、墨守。原則忠実の固さだと判断します。今のところ」
「ほう、君が留保条件をつけるのは珍しい。この先に化ける要素が見えるか」
「山口さんは陸大を出た後、隊附きだけです。留学も派遣もなし。陸士と原隊と陸大しかご存じない」
「ふつうは陸士や陸大か教育総監部を経由して来るが、山口の原隊は工兵だからな」
「」
「例えば?」
「そうだな、天子様が科学的戦争を追究せよと思し召しの時だ」
「あり得ますね」
原少佐は真顔で言った。かえって、冗談口で言った種村は焦った。
「え、そうなのか」
「天子様ならそうおっしゃる」
「そ、そうだな」
二人は起立して、宮城に最敬礼をした。
山口少佐は右肩の参謀飾緒を揺らしながら、ぐんぐんと陸軍省新聞部に向かう。大本営陸軍部は、ほとんどが陸軍参謀本部そのものであったが、大本営は陸軍と海軍が共立しているからお互いに参謀を交換していた。例えば、戦争指導班の場合、中佐参謀の小野寺捨次郎海軍中佐は、軍令部戦争指導班の所属であった。これは、作戦課でもそうだった。もちろん名ばかりで、権限があるというのと出入りを許されるというのは全く違う。陸軍参謀が海軍軍令部の中を勝手に出入りできるわけではない。そういう意味で大本営報道部ははすっきりとしていた。陸軍省新聞部か海軍省新聞部か。
「戦争指導班山口少佐入る!」と大声で入った陸軍省外局扱いの新聞班はもぬけの殻だった。部屋の隅に眠たそうな軍属がひとり居た。判任官だ。上着のボタンを詰めながら、ぼそぼそと話しかけてきた。
「ご苦労様であります。新聞班は十日間の缶詰の慰労を兼ねて近くの旅館に朝食をとりに行っております。緊急であれば電話で呼びますが」
口調は丁寧だが、緊急要件などあるまいという感じは読み取れた。
「止むを得ん。出直すとして、一つ聞きたい」
「はい。小官で分かりましょうか」
「東日のスクープだが」
「あっはっは」
突然、笑い出した。あっけにとられる。
「スクープと仰れば、事実と認めることになりますぞ。大本営参謀として不用意でありましょう」
おのれ、と思ったが軍刀は吊るして来ていない。それも見越しての発言だろう。
「失敬ではないか。東日の記事は昨日のうちに検閲していないのか」
東日、東京日日新聞をはじめ、帝都圏の新聞は発行前に新聞班に検閲の依頼が来る。
「これは失礼しました。しかし、そのような引っ掛けや誘導は日常茶飯事なのです。記者相手では」
「それはわかった。で、検閲はやったのか」
「ですから事実だから載せるな、と言えないのです。確認することになりますからね」
「そ、そうだな」
「新聞社の判断としての記事ならばいいと」
「そうなるのか。止むを得んかな」
「」
実はこの軍属はその新聞記者その人だった。
帰るかと思ったらまた戻って来た。
「もう1つある。今までは英米だったが、今日のラジオは英米だ」
「主敵は米でしょう」
「うむ、そうか」
言えないが、陸軍の主目標は英国なのである。
どうもやりにくいものだ。
【3 海軍】--------------------------
「ふむ。吾朗さんは『海と空』という本を読んだことがあるかね」
「いえ、はじめて聞きます」
「そうか、そうだろうな。では『秋山真之』は?」
「『秋山好古』は読みましたが、もしや」
「そう、同じ水野大佐の著書だ。ちょっと読んでみてはどうかな?」
「しかし」
「海軍の考えを知るには一番いい。対米戦の本だ」
外交もですが、内政も現実味がありますね。
そうだろう。尤も、海軍軍人の全員がここまで考えているわけではない。山の中では山は見えない
海の中でも海は見えますが
あっはっは。これは参ったな
失礼しました。茶化すわけではないのですが
いやいや。吾朗さんはずっと前線にいたからむしろ戦争全体が見えてないと思ってね。
はい
支那に勝つための対米戦では困るのだよ
いえ、私は対米戦でも対米英戦でもなく、対英戦とおもっています
ほう。そうか、それならいい。だが、あの本にもあるとおり、海軍には敵は最も遠くで討つべきだと考える者も多いぞ。ハワイ奇襲がそれだ。
どうしてでしょうか
フネだな
フネ?
海軍の戦いは、陸戦や空戦も含めて、すべて軍艦ででかける。それでその軍艦にはすべてが満載されている。大砲から弾薬・食料、兵までね。だから燃料さえあれば、どこでも戦争が出来るのだ。納得しない顔だね。兵站をいっているのだろうが、基地があればいい。集積基地だね。基地航空の支援はあれば越したことはないが、本格空母が六隻もあれば、なくても困らない。
陸軍とはずいぶん違います
そうだろう。そうとも
日本人はせっかちだ。働き者でもあるから、すぐになんとかしようと動く。この性格が掴まれれば、わなにかけるのはたやすい。
なかなか深いものがあります
『元来軍艦の任務というものは制海権すなわち海上交通権の確保の外にはないのだ。飛行機の戦場発着がもう少し便利になると、商船にも皆二三の飛行機を積んで、自分で偵察しながら航海するようになるから、軍艦の掩護を受けなくても、安全に航海ができる様になるんだ』
『元来日本のように四面環海で何処からでも敵の空中攻撃を受け易い国では、航空母艦というやつが最も危険な軍艦だ。現に東京などは敵の爆弾下に寝ているようなものだ。なぜ航空母艦の全廃または縮小を唱えなかったのだろう。それが真の無脅威国防で、敵に航空母艦さえなけりゃ今頃東京は天下泰平だ』
本当ですか?
そうなる可能性は高い、というよりそれしかあるまいな。
キャプテンヘッド(厠掃除番)
バロメーター
毒ガスを東京に撒かれると
それは向こうも怖いさ
水野広徳は、2回目のヨーロッパ見学旅行の結果として、「思想の大転換」に至ります。それ以前は、軍備は戦争抑止力として必要不可欠と考えていたのに対し、現に軍備が抑止力として機能しなかった事態を実見し、軍備および仮想敵国の存在は逆に戦争発生のリスクにもなっているだけでなく、現代の戦争は「残忍悲惨なる禍害」をもたらすものであり、戦争が起これば、戦場は「惨景」となり、敗戦国は「惨苦」を受け、戦勝国も「国家として殆んど利するところなき」結果となる、というのが新しい認識です。
したがって、戦争の防止が必要で、その手段は各国民による「軍備の撤廃」が理想だが、少なくとも「日本の如き貧乏国にして、しかも世界の孤立国は、如何にして戦争に勝つべきかと言うことよりも、如何にして戦争を避くべきかを考えることが、より多く緊要である」と結論します。理想は理想として、決して観念論に陥らず、あくまで事実に立脚して現実的な対応を考えるところが、水野広徳の優れた特性であるように思われます。
【4 戦略】--------------------------
山口少佐は空に暗じる事が出来る。なにしろ、この大戦略を徹底することこそが、戦争指導班の任務なのだ。
すでに、昭和16年11月5日に御前会議で決定された帝国国策遂行要領は完遂された。
1.武力発動の時期を十二月初旬と定め陸海軍は作戦準備を完整す
=帝国陸海軍の作戦準備は完整された。
2.対米交渉は別紙(甲案、乙案)に依り之を行う
=米国には甲乙両案が提示された。
3.独伊との提携強化を図る
=独伊との対米宣戦布告、単独不講和の了解はxx日に確認された。
4.武力発動の直前泰との間に軍事的緊密関係を樹立す
=タイとのxx条約は締結され、
5.対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す
=対米交渉は失敗に終わり、武力発動となった。
戦争指導班が細心の注意を以って推進する大戦略は、『腹案』の第7項にあった。
『七、常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ戦争終結のため左記の如き機会を補足するに勉む』
そう、すべてに関し、厳密なる監視と考察を加えるのだ。
陸軍の奇才、先の作戦部長の石原莞爾が作戦課内に戦争指導班を据えたのは、大戦略を全うし、国家政略と乖離しないように図るためである。大作戦や軍事戦略の計画指導だけなら従来の作戦課だけで十分だ。なにしろ200人の課員がいる。
対して、戦争指導班はわずか五名である。作戦指導や兵站計画はやろうとしても人員が不足で出来ない。わずか五名でできるのは大戦略の徹底であった。
戦争指導班でも業務日誌はつけているが、日記ではなく所感日誌に成り下がっている。一時、作戦課と険悪となって、日誌記事に突っ込まれたことがあり、突っ込んだことは書かないようになっている。もとより、戦闘詳報と違って、法令で定められたものでもない。嘘は書かないが、真実も書かない。事実を部分的に書くだけである。課員はそれぞれメモ帳は持っているし、おそらく官舎で日記もつけているはずなのだ。
【5 終末】--------------------------




