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SR満州戦記4  作者: 異不丸
転章 1947年
3/25

友邦


占領下日本、東京都麹町区有楽町、連合国軍最高司令官総司令部


 アイオイ少佐は参謀第2部長のウィロビー少将の執務机の前に座っていた。いつもより背筋を伸ばしているのは軍服に皺を作らないようにだ。ノックがして秘書が入って来た。彼女の軍服はいつもパリッとしている。秘書は将軍にフォルダを差し出す。

「閣下、スピーチの草稿です」

「ありがとう」

 ウィロビーが草稿を読む間、秘書はアイオイをしげしげと見つめる。そして最後に微笑んだ。どうやらきちんとしているらしい。アイオイは笑い返した。

「よかろう」

 ウィロビーがサインをしてフォルダを返す。

「サンキューサー。こちらをお持ち下さい」

 秘書が出ていくと、ウイロビーは渡されたタイプ紙を無造作に投げる。

「君が最初だ」

「え」

 アイオイは慌てて広げて読む。MIS、軍事情報サービスの表彰式のプログラムだった。たしかに、部長のスピーチの後に表彰される要員の筆頭に自分の名前があった。アイオイは嘆息する。

「目立ちますね」

「もちろん。そのためのセレモニーだ」

 なぜこの時期にウィロビーがMISを表彰し、その中に多くの日系二世がいたことを明らかにするか。まずそれはCIAへの牽制だった。軍情報部の活動を公表することはできないが、確かな戦果を上げたことは銘記されなければならない。MISはそれにうってつけだった。日本に勝利し占領も来年には終わるから、通訳・翻訳としての二世部隊の出番は終了する。縮小されるMISは公表されても支障はない。

 次に、ソ連情報機関への欺瞞もあった。二つのMISを混同させ、活動の中核が対象国の移民二世と誤導する。そのために、表彰する要員と作戦は慎重に選び出してあった。


「これじゃ娑婆に戻れません」

「軍で出世するとは、ま、そういうことだ」

 最初に表彰されるアイオイは、続いて表彰される要員・作戦の指揮官と誤認されるだろう。そのようにスピーチは書かれてあった。ソ連のスパイはアイオイをMISの核心だと思いこむ。退役しても、追跡と監視が続くかもしれない。

「最高司令官が顔を出されるんだ」

 そう言いながら、ウィロビーは机の引き出しに手を伸ばす。左の一番下には酒が入っている。滅多に開かれない。

「飲みたい気分だろう?」

 ウィロビーはにやにやと笑いながら言った。珍しいことだ。つまり話はまだ終わりではない。

「いただきますよ」

 アイオイは観念して、スコッチの入ったグラスを一気に干す。

「独立後の日本をどう世界戦略にはめ込むか、考えてくれ。案だけでいい。まだ一時間ある」

 いつものとおり、ウィロビーの指示は簡潔だった。アイオイはあるべき言葉を頭の中で補う。幸いに、すごい勢いで血は回っていた。米国の戦略に当てはまる形でしか日本を独立させない。米国の関心は西にあってコストは最小にしたいから、すなわち日本再武装だ。占領が終わるまでの一年間でできる再軍備の要諦を考えろということだ。待て、なぜ一時間なのだ。そうか、最高司令官の要求か。

「自分に国家の世界戦略は無理ですが、極東と西太平洋ならおおむね想像できます」

 アイオイは予防線を張った。世界戦略を語る少佐が歓迎されることはない。頷くウィロビーを見て、思考を続ける。



 今、極東と西太平洋での不安定要因はソ連と東南アジア諸国だった。そのうちで日本に任せられる役目は、日本海の封鎖だ。宗谷・津軽・対馬の三海峡を封鎖しソ連艦艇を通さない。極東ソ連軍の軍港ウラジオストックへの攻撃は中国が陸路から可能だし、空爆でもいい。海路からの攻撃は不要だ。それで最も忌避すべき連合艦隊を阻止できる。空軍はどうだ。日本本土での迎撃、日本海での艦艇攻撃能力は必要だろう。

 間宮海峡の封鎖はどうする。日本に任せるとすれば樺太の返還が要る。ソ連と陸続きの国境線はまずいな。そうか、オプションだ。最高司令官へ選択肢を残すのだ。いいぞ。

「どうかね」

「はい、お代りをください」

 ウィロビーは目を剥いたが、黙ってスコッチを注いでくれた。アイオイは、軍服に染みを作らないように注意深く飲み干す。また血が回り出す。

「部長、日本ができるのは日本海の封鎖と海上攻撃だけです」

 アイオイは再武装の事由や経緯は端折って言わなかった。軍人は政治に言及しない。

「よかろう、続けてくれ」

「日本空軍に可能なのは本土の防空と日本海海上の艦艇攻撃。海軍にできるのは三海峡と沿岸の掃海。海戦は不要です」

「そうか。外洋艦隊ではないのだな。よし、海軍のプレゼンスを減らせるぞ」

「陸軍に可能なのは上陸部隊の殲滅・排除、島嶼への上陸・揚陸」

「戦車は必要ないのか」

「敵に運ばせるためには、あった方がいいでしょう。上陸部隊との戦闘なら歩兵戦車で十分だ。日本が研究する」

「そうだな、日本に学ばせることは大事だ」

「もちろん、最高司令官の選択肢もありますよ」

「いいぞ」

 ウィロビーは笑った。


「主にわが空軍・海軍との共同体制に関してです」

「そうだね」

「出撃・中継基地が複数必要です。適当な島をまるごと無人にして設営する。千島、小笠原、南西諸島に各一つか二つを永久租借か割譲」

「どこがいい」

「それは日本に選ばせ、空軍と海軍が決断すればいい」

「最高司令官が喜びそうなやり方だ」

「我が軍の基地へは日本軍に補給させます。日本海軍に補給能力を追加です」

「いいね。だが、旧海軍に補給兵站機能は皆無だった」

「暁部隊がありました。上陸・揚陸艦艇に輸送潜水艦、空母まで建造、運用した」

「陸軍船舶部隊か」

 ウィロビーは天井を見つめて考え始めた。アイオイは推察する。MISは欧州戦線でも活躍したから、今日の表彰式は本国陸軍省の承認が必要だ。ひょっとしたら参謀本部の企画かも知れない。

「連合艦隊は真珠湾奇襲攻撃の張本人です。わが海軍の恨みも深い」

「うん、それでいくか」

 極東国際軍事裁判の弁護側反証が始まると、対米開戦に限っては海軍が主犯であったことが判明してきた。しかし、海軍省と軍令部は組織的に証拠隠滅・証人抹消を行っていて、訴追は困難だった。判決は陸軍に重くなるらしい。わが海軍は復讐の術をなくしていたが、新生日本軍に旧海軍の出番がないとなれば溜飲を下げるだろう。



「わが陸軍の出番はどうなる」

「本土内に広い土地を用意させましょう。海軍艦艇が接岸できて空軍機の離着陸が可能なほどの」

「都市のど真ん中だと風紀取り締まりが厄介だな」

「例えば伊豆大島なら海軍基地もあったし陸軍師団も駐屯していた。人口は数千人です」

「うん、適度な近さだな。東京湾を封鎖できる」

 ウィロビーが考え始めると、アイオイは黙った。

「沖縄はどうする」

「沖縄本島の人口は三十万人、わが海軍の治政は評判がよくない」

 ウィロビーも顔をしかめる。

「最悪だ。手を引くべきだね」

「第20空軍はグアムから奉天に一気に進出した。沖縄を中継せずにです」

「うん。中国が盤石なら台湾と満州がある」

「沖縄占領のコストは他に回すべきです。対馬海峡から遠すぎる」

「わが空軍に沖縄は不要、わが海軍は沖縄よりもっと対馬に近い基地がいい」

 うんうんと頷きながらウィロビーは立ち上がる。

「ちょっと外す。君は好きなだけやってくれ」

 スコッチのボトルをどんと置くと、そそくさと出ていった。おそらく最高司令官の部屋だ。アイオイは時計を見る。あと一杯はいいだろう。ゆっくりと嚥下しながら考える。


 最高司令官は緒戦で英雄になった。開戦時の日本軍の勢いは猛烈だったが、マッカーサーは頑としてコレヒドール島に籠城した。降伏と敗退が続く中で国民の士気を上げようと、FDRと民主党はキャンペーンを張って持ち上げた。生まれた男の子から公園、建物、ダムまでダグラス・マッカーサーと名付けられ、記念日まで出来た。英雄を死なせないように、FDRはコレヒドール脱出を命令した。

 ニューギニアで反攻を指揮していたマッカーサーが大統領選に出馬しようと考えたのは自然である。一九四三年の春、司令部では作戦会議が招集された。まずサザランド参謀長がワシントンに出張し、共和党の有力議員らと密会した。アーサー・ヴァンデンバーグやクレア・ブース・ルースなど反FDRの議員たちで、ルースの夫はタイム社の社主である。続いて、アイケルバーガーも派遣され、ウィロビーは共和党議員らとの連絡窓口になった。

 史上初の四選を目指すFDRは危機感を持ち、民間記者の戦地訪問を禁止し、また現役軍人の選挙活動を厳格に取り締まった。そして戦地慰問の名目でエレノア夫人が訪れる。FDRとの間で取引が成立し、マッカーサーは出馬を取り止めた。ルーズベルトは当選したが、任期途中で病死した。だから、英雄が来年の大統領選に出馬するのは当然だとアイオイは考える。

 今、マッカーサー将軍は対日勝利の英雄であり、また日本民主化の軍政家でもあるのだ。共和党が指名する可能性は大いにある。ふぅむ。ウィロビー部長は選挙参謀で、当選したら大統領補佐官か。あ、これは大変だ。反共のマッカーサーがファシストと呼ぶくらいなのだ。ウィロビー補佐官なら、就任早々にスペインを訪問しフランコ総統に最恵国待遇を贈る、ぐらいはやるぞ。





アフガニスタン、首都カブール、英国大使館


 米川丁吉はウメザワの下で分析業務にあたっていた。意外なことに、分析の対象は欧州情勢だった。英国外務省のエージェントとして中近東や印度で仕事をしていたというから、その方面だと思い込んでいた。どうやら終戦直後の労働党内閣成立でウメザワは外務省を追われ、MI6専従となったようだ。マフブ・アリに言わせると、次回の保守党組閣時に備えているらしい。イギリスにはよくあることで、大英帝国の二枚舌、三枚舌の原因の一つだということだ。

 アリはよくやって来る。新疆動乱で国境が封鎖され、アジア横断鉄道の開通が間近なので、商売が上がったりらしい。最近は北インドへ出張っていた。パシュトゥーン人とはアフガン人であるが、インド北西部にも多く居住している。それはアフガン戦争後のインドとの国境策定に英国が失敗したからだ。インドが独立して国境線が固定されれば、複数の民族が混在するこのあたりは一気に不安定になる。それを避けるには大英帝国の継続が一番なのだとアリは言う。

 インド独立はまもなくだが、全インドを一国とするか、イスラム教徒の地域を分離するかで紛糾していた。つまりは急ぎ過ぎなのだなと米川は思う。労働党は植民地を独立させて派遣軍を引き揚げ、外地での負担を解消してその分を国内の社会保障に回したい。大戦で疲弊した英国を救うにはそれしかないのだ。ドイツや朝鮮の占領にも消極的で、米国に引き継ぎたいと考えている。大英帝国は英国に回帰したいのだ。だが米国がそれを許すだろうか。


「もちろん、どの国も軍隊派遣の負担は嫌だ。戦争は終わったのだからね」

「まだ熱心な国もあります。オランダやフランス」

「蘭印やインドチャイナか、彼らは最小限で事が成ると信じているらしい」

「インドシナは中国が介入できます。しかしインドネシアは陸続きではない」

「オランダは我が国が説得できる。独立戦争が長引けば共産党に利するだけだ」

「いやオーストラリアが安全保障の観点から動くからでしょう」

「そうだね。はて、中尉には欧州の情勢分析を頼んでいたと思ったが」

「そうです。今、東西はドイツで対峙していますが、その西ドイツのすぐ後は蘭仏なのです」

「うむ。ソ連は各地の独立派を支援することで欧州前面の圧力を軽減できる」

「逆に東南アジアが解決されれば、米国は蘭仏に対して今以上を期待できる」

「米国はそれほど無邪気じゃない。フランス共産党は第一党で、しかもコミンフォルムに参加している。歴史的に親露でもある。フランスの進出はソ連の進出と同義なのだ」

「特に中近東には入れたくない」

「その通り」

 まずいな、と米川は考える。ウメザワの言うように、米国がフランスを警戒するならば英国の負担は増える。歴史的に中近東は欧州の一部であり、任せられるのは英国だと米国は考えているだろう。実際、中近東の東端であるこのアフガニスタンは英国の影響下にある。

「英国は軍資源を整理するべきです。中国が盤石ならインド以東には派兵すべきではない」

「そうだね。だが軍資源の集中以外にも解はあるだろう」


 たしかにそうだった。今、ソ連に対抗する意思と能力があるのは米英中の三国だけであって、英国が退いた後を米中が埋めるのなら整理の意味はない。つまり、同盟国を増やすのだ。どこだ。アジアには中華民国があり、それより南へソ連の進出はない。さらに米国は日本を同盟国に仕立てようとしている。

「ここに友邦があれば世界は一変する」

 ウメザワが指さしたのは中近東の西端だった。





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