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SR満州戦記4  作者: 異不丸
終章 1949年
27/30

主権回復


中華民国、清津府清津港、第3艦隊司令部


 澄田中校が着任の申告を始めると、佗美司令官と河野参謀長は興味深そうに真新しい階級章を見つめる。

「貴様が来たと言うことは、攻め入るのだな」

「とんでもない。単に、米軍連絡部の開設に伴う転任です」

 司令官と参謀長の階級章も新品だった。三人はしばらく睨み合う。

「ま、いい。アメさんは海軍か」

「陸軍中尉と海軍准尉です」

「海兵隊は来ないのか」

「ですから、上陸作戦は想定されていません」

「それはおかしいだろう」

 河野参謀長が首を傾げた。澄田はつき合うしかない。

「と、言われますと」

「米軍が日本から撤退すれば、日本海はガラ空きとなる。ソ連海軍のやりたい放題だ」

「佐渡の米空軍は増強されます」

「それだ。破壊工作があった場合、逆上陸できるのはうちしかいない」

「済州島に米英海軍がおります」

「米英が前に出るわけにはいかんだろう。第三次世界大戦になる」

「それは中国も同じです」

「大いに違う。うちなら国境紛争で済む」

 ようやく、澄田は理解した。第3艦隊は一昨年の中ソ紛争で味を占めたのだ。

「領海紛争ですね。出動の大義は」

 佗美司令官が笑う。

「NEATOの務めだ」

 なるほど。澄田は思う。具体的な作戦案も持っているに違いない。

「心配するな。甘粕のような、大掛かりなものではない」

「あ」

 澄田は失念していた。佗美中将も陸士二四期なのだ。

「海兵隊を招請できますが、米国の軍制からいって海軍より上級は無理です。軍曹か曹長」

 司令官と参謀長は満面の笑顔となる。

「もちろん、アメさんにも都合はあるさ」

「もう少し詳しくお聞きできますか。齟齬がないように」

「無論だ。協力は惜しまんよ。NEATOの務めだ」

 第3艦隊司令部は、第32戦隊の大型潜水艦に上陸戦専門部隊の搭載を考えているらしい。伊号四〇〇型は世界最大の潜水艦であり、その排水量を活かした『波』作戦は米海軍を驚愕させた。


「潜水揚陸艦ですか」

「隠密輸送は32戦の本来任務なのだ」

「はい。これまでは食糧、兵器、燃料、弾薬」

「兵隊の輸送は機材も違うし、即応臨戦がミソだ。米海兵隊の評価と助言が欲しい」

 澄田は思案する。同じことはソ連も考える。潜水艦による破壊工作班の輸送と上陸。しかし、重装備は無理だ。伊号四〇〇型ならソ連潜水艦の倍の排水量があって、重機関銃や軽車両も同時に搭載可能だ。伊四〇〇、四〇一、四〇二の三隻に重火器分隊付きの一個機動小隊が乗艦できる。

「常時、即応部隊を乗せた潜水艦を遊弋させるのですね」

「有効だと、私は考える」

「有効です。原爆の登場でこれまでの正面戦争は困難となりました。ソ連が原爆開発に成功しても、おそらくは変わらない」

「おう、流石は対ソ戦の参謀だ。頼もしい」

 明らかにお世辞と分かっていても、悪い気持ちはしない。

「これからは、辺境や島嶼での隠密戦、秘密戦となります。その時、どこにでも出現できる重装備の兵隊を持っていることは非常に重要です」

「で、いつ仕掛ける」

 澄田は慎重に返事する。

「再軍備する日本が最低限の自衛を整える頃」

 司令官は参謀長と顔を見合わせる。

「ふむ、今年の末か。冬はどうなんだろう、参謀長」

「そうですね。陸上目標をどこまでとするかですが」

「ヴァシレフスキーと違ってジューコフは暴発しないぞ」

「しかし、沿海州の封鎖までないとスターリンは乗ってこない」

「ふん。参謀長、何かあるかね」

「澄田参謀、ジューコフ文書とシベリアの呪いは米軍情報部が仕掛けたものか」

 問われて仕方なく答える。

「はい。それに英中の情報部が乗っています」

「ふむ。司令官、うちも乗りましょう」

「おもしろい。言ってみろ」

「げふん」

 佗美司令官が立ち上がった。

「第3艦隊はこれより出港する。目的地は二三番地の偕行社」

「宜候。出港します」

 河野参謀長の答礼に合わせて、澄田も復唱する。

「任務、明日の米軍連絡官の歓待設置。宜候」

 三人は歩調を合わせて歩きだした。





占領下日本、山梨県大月町


 奥山療養所の食堂で甲州機関は会合を開いていた。今夜の議題は組織の解散だ。竹垣の下部組織、各機関とフロントは敗戦後の占領下に必要なもので、占領終了と同時に解体するのが前提であった。といっても、状況の変化によって残すことになった部門もある。

「一番の想定外は番屋か」

「多くの行政機能を持ち、しかも行政の需要を感知できる」

 いまや番屋は、民生だけでなく、秩序や治安の維持にも関与していた。諍いや喧嘩の仲裁、恐喝や詐欺の防止と告発、不良の更生も世話している。方面委員や農地委員として地元に密着すると同時に、全国各地に職場や住居を世話することができた。だから、住民だけでなく会社や工場からも支持されている。

「税金申告書が大きかった」

「あれで国民は番屋を信頼した」

 戦前の源泉徴収制度は、昭和二二年に全廃された。GHQは自己申告でなければ納税者の自覚や参政意識は生まれず、会社依存や国任せは戦争を誘引すると断行を迫った。首相も政府の本来業務である徴税を会社や事務所に任せること、雇用増が企業の負担増となることに疑問を感じていた。個人税の自己申告と直接納付は年始の二ケ月で行うことになる。

 大蔵省主税局と税務署の現場は驚き、慌てた。場所は役場を借りるとしても、人手が足りない。市町村は地方税を処理しなければならないのだ。結局、個人税制は大いに簡素化され、申告書の代書が番屋に委託される。番屋は厚生省、公共省、農林省、商工省、運輸省に加えて大蔵省からも事務委託金を受けることになった。

「もはや第二の役場です」

「でも、一体化してはだめよ。別にあるのが肝なのよ」

 役場や市役所の行政機能はその市町村に限定されたものであり、人事も固定されている。それでは国民の移動と移住は推進できない。番屋も地元に密着するが、親分の指名と指示があれば番員は各地を移動した。もともとが的屋なのだ。


 個人税の単純化で宇垣内閣の税制改革と社会保障は進展した。中学校を卒業すると、国民組箱が渡される。桐の箱の中には、国民証、納税記録帳、預金通帳と印鑑が揃っていた。郵便貯金の通帳には前年度の個人納税平均額の五倍分が記載されてある。すでに個人の国税と地方税が引かれていて、納税記録帳にも記録してある。これが納税者としての国民生活の始まりだった。

 国民証には卒業中学名と年月が記入されてあった。この後、学校卒業や国家試験・資格取得などが書き足されていくから、簡易履歴書としても通用する。通常の工場や商店なら番屋の紹介と国民証だけでふつうに就職できた。賞罰も書かれるが、軽犯罪なら一定期間を過ぎて弁護士が申請すれば前科を消すことができる。その時は新しい国民証が交付された。

 国民証は保険証としても使えた。医療費は外科・婦人科・小児科が無料、内科などが五割負担、薬代は三割負担で、保険限度額を超える入院や手術の時は超過金が差し引かれる。一年を通じて保険使用がない場合は報奨金が振り込まれる。奨学金や奨励金、給付金や年金もこの口座に振り込まれるのが原則だ。結婚祝賀金をもらい、妊娠三ケ月で祝い金、八ケ月後に出産準備金、誕生後に国民歓迎金が出る。

 誕生や死去の時を除けば、特に申請する必要はなく、役場や病院の事務で行われる。国民が役場や役所に行くのは一年に一回、税金申告の時だけで済んだ。行政事務は徴税側で行うのが原則であって、納税者の手間は解消されるべきだ。GHQには民政改革と報告された。



 解雇される要員には破格の退職金が支給される。口止め料である。とりあえず帰郷するか、旅行する者がほとんどだ。四年前と違って景気は復調し、就職先も多い。連合国は占領終了後の再軍備と東南アジアへの開発援助を承認した。すなわち、再独立後には多くの庁署や公社が設立される。

 国の防衛を担う国土防衛庁の陸上軍は、まず八個普通連隊と一個国際連隊を創立する。海上は沿岸警備の二個海防隊で、米国から駆逐艦八隻を購入の予定だ。空軍はまだ白紙で、多用途連絡機が数機ずつ、防衛連隊と海防隊基地に配置される。

 東南アジアへの開発援助は、すなわち経済進出と同義ということで、大々的に取り組まれる。最初に、全体計画と調整を行う国際開発庁が外務省の下に開設された。次に、農林省系の国際農業開発公社、厚生省系の国際医療衛生公社、公共省系の国際開発建設公社などが設立され、あるいは設立準備中であって、それぞれが社員を多数募集中であり、協賛する企業は多かった。

 一方で、SF条約にある民族独立支援に関しては、目先の利益が見込めないので私企業には人気がない。長期的には新政府との半独占的な取引が見込めるとはいえ、米英中の連合国が査察した後であって、縦割りの省庁とそれに連なる企業には魅力が薄い。立場上、文部省が民族独立研修所を設立し、国土防衛庁が国際防衛訓練所を開設した。庁署や公社は時限立法での設立であり、十数年で解散する。時限立法としたのは利権独占と天下りを防止するためだ。


 幹部だった者や分析要員らは新設するシンクタンクに斡旋された。内閣への勧告権限を持つ内閣調査庁、教育機能を合わせ持つ国立総合大学院、帝室財産の一部を基金とした日本文理研究所の三つである。政府機関、教育機関、民間機関と性格を分けたのは、戦前のそれの反省だった。

 満鉄調査部や企画院は第二次大戦の勃発前に、帝国が長期戦に耐えられないこと、重要物資の九割が英米に依存していること、独伊の物資・製品は品質で劣り代替とならないことを認識していた。独ソ戦勃発時には、南進策も英米との対決も回避すべきと結論している。しかし、近衛内閣に影響を及ぼすことはなかった。同じく、総力戦研究所の研究結果を東條内閣は容れなかった。宇垣首相は、なぜ無力であったかを重要視した。

 問題は要員の能力や調査と分析の手法にあるのではなく、法制と体制にある。新設される内閣調査庁の報告は助言・提言・勧告・警告の四段階があり、勧告・警告とそれに対する内閣の回答は官報で公表され、広く国民に周知されるから無視できない。それでも政府機関であるから内閣から圧力を受けるだろう。そこで三つのシンクタンクを同位として、要員の流動を確保する。

 国立総合大学院に入学して教育を受けた要員候補者は、卒業後に日本文理研究所に入所して実務を実践し、推薦されて内閣調査庁で政策・戦略の立案を行う。一定期間の勤務後は国立総合大学院に戻って後進の育成にあたる。そういうサイクルが想定されてあった。官僚と教職と勤め人とそれぞれの逃げ道を確保し、派閥・学閥や収入などの拘束を遮断して、要員と研究の独立を確保しようとするものである。



「まあ、うまく回るかは始めてみないとわからん」

 恒木重嗣は内閣調査庁へ広報担当としての入庁が内定した。

「広報といって、実は世論誘導でしょう」

 そう言った渡辺千枝は、日本文理研究所の社会科学科の助手だ。

「憲法改正と国土防衛軍の二つは通してもらわないとな」

 田中隆吉が深く頷く。

「田中閣下は斡旋に応じられなかったと聞きましたが」

「出番はもうない。青山の家を売って山中湖に移る。加津子さんはアメリカに留学か」

「はい。国総に入る前に何か習得しようと」

 赤間加津子の最終学歴は高等女学校である。鳥取県に創立される国立総合大学院は大卒程度が基準で、学士未満は国会議員または知事・市町村長の推薦状が必要だった。もちろん、加津子は祖父からもらえる。

「そうか、ウィード中尉だね」

「ウィード博士です」

 昨年九月、エセル・ウィードに再会した加津子はアメリカ留学を約束した。

「堀君は国防庁には入らんのか」

「閣下と同じく、わたしも出番は終わったと思っています」

「国際農業開発公社に情報屋が必要か」

「げふんげふん」

 日本文理研究所は山梨県下に設立される。大月市には理学部が置かれる予定で、加賀は数理科学の講師に内定している。

「小山田さんは新聞を続けるのですか」

「フロントがないとなにかと不便でね」

 小山田は甲州時事の他にも全国紙の日本新報も発行していた。

「さあ、始めますよ」

 恒木の細君と女中が入って来てコップや皿を並べはじめる。男たちは煙草を吸いに外に出る。全員が北を見やった。

「今夜が最終回だそうです」

「加賀君は満州には」

「ノモンハンで通信班に」

「そうか」

 北の空は晴れていた。






中華民国、満州自治邦、黒河省呼瑪県


 その日、西瀛郷開拓村では農場もどこも早仕舞いした。村の中学生と小学生が鼓笛隊の伴奏で合唱する『日本のみなさんへ』最終回を聴くためだ。児童生徒と父兄は講堂と体練場に、他の村民は集会場と倉庫に集まって聴いた。曲は「ほたるのひかり」で、きっちり四番までだった。

 ♪~ ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり。

 いたらんくにに、いさをしく、つとめよわがせ、つつがなく。


 放送が終わって倉庫を出ると、バスの順番を待つ団員たちで混雑していた。

「歌詞が変わらなくてよかった」

「まったく。あれだけ練習したんだ」

 宇田と梶原は南の空を見上げる。

「歩くか」

「ああ」

 今夜は目黒の家に呼ばれていた。






挿絵(By みてみん)



吉林省長春市洪熙街


 満映撮影所の社長室で甘粕正彦は飯島満治と会っていた。

「沖縄は危うかった」

「まあな」

 米海軍第七艦隊は上陸戦で占領した沖縄に執着した。対馬海峡には済州島の方が近いことは中ソ紛争で立証された。しかし、第七艦隊はGHQの説得に応ぜず、周辺海域を封鎖し、交通・連絡を遮断した。

「例の風土病がまた流行したと」

「そういうことだ」

 一ケ月の封鎖の間に艦隊軍政部は住民投票を強行する。それまで暴動も反米反軍運動もなかったので誤解したのだ。ところが、投票用紙には軍政部が立てた首長候補者の名前はなく、白票と無効票ばかりで、開票は打ち切られる。翌日、第七艦隊司令部は封鎖の解除と、済州島移駐を発表した。

「主権回復に沖縄が入ったのは望外だ」

「宇垣内閣と進歩党は盤石」

 日本は南樺太と南洋諸島を放棄し、米国の信託統治となる。北千島、伊豆大島、佐渡島と火山列島は四十九年間、米国に租借される。それぞれ、米国とNEATOの基地・港湾・空港が設定されるが、建設は日本の負担である。開発援助と独立支援を合わせると、相当に重く大きい。

「ここまでしないと日本人は変わらない」

「と、思われてしまった」

 二人が吐き出した紫煙は天井に滞留する。

「ま、いずれ風が吹く」





SR満州戦記第四部 完






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