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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
25/30

9 呼瑪


中華民国、満州自治邦、黒河省呼瑪県


 西瀛郷開拓村に初雪が降った。日曜日、非番の宇田と梶原は鉄道駅までの道路を視察に出る。乗っているフォードGPW、いわゆるジープは大戦中にライセンス生産されたものだが、機械班が丁寧に整備していて調子はいい。ガソリンを大食いするが、北満州油田の操業は順調、安価で流通していた。問題は輸送だ。すでに最低気温はマイナス十度となり、すぐに積雪が始まる。鉄道駅からの輸送路の確保は村の死活問題であり、その除雪に使う車両も石油で動く。

 村の暖房や煮炊きの燃料は石油に頼るようになっていた。二階屋のペチカの中には灯油ストーブが納まっている。一階屋の囲炉裏の木炭は石油窯で高温焼成されたものだ。重油ボイラは銭湯だけでなく、学校や集会所のスチーム暖房にも配してある。問題もあった。三年前に急造した木造家屋は密閉と断熱が悪く、燃料を馬鹿食いする。つまり、村と農場の石油消費は膨大なもので、重油・軽油・灯油・ガソリン合わせて一月に十万リットル、厳冬期には十四万、ドラム缶で七百本に及ぶ。

「木村の弟がね、一日に二十本の灯油を配って回るのは労力の無駄だと言うのですよ」

「たしか、新京に進学だったね。ずっと家で勉強している」

「そうです。木村と二人で、薪炭との比較表を説明したのですが、金銭的にも損失だと」

「そこじゃないんだな。浮いた時間が重要で、金で時間を買っている。時間は農作業と開拓に当てるべきだ」

 義勇隊と開拓団が合同した時、第一の命題は冬を越す食糧を確保することで、それは義勇隊の耕作にかかっていた。隊員は農作業に専念し、団の大人たちは支援に回るというのが計画だったが、急遽、家屋の造作にもあたることになった。全戸分の住居を建築し、隊と団は同居混在する。冬を目前に大混乱だった。


 梶原は三叉路の手前でジープを止める。北へ入ると営林処だ。宿舎は村に移設したが、作業所や倉庫の建屋は残っていて活用されていた。木炭や煉瓦の焼成所があり、焼却炉や焼き場もあった。悪臭や騒音を伴う施設が移設されつつある。そして、道路不通時の避難所があった。

「日曜出勤は煉瓦焼成所か」

「バスが一台、日産の八〇です」

 梶原は路面を見ながら返事した。まだチェーンは巻いていないが、スリップの跡はない。

「避難所を見よう」

「はい」

 村からの道は呼瑪河に沿っていて風雪が避けられないから、避難所は三百メートルほど山側にあった。門衛所を二重構造に改造し、灯油ストーブと飲み水が置いてある。便所は二重の外側で、深く掘った落しに大鋸屑が入れてあった。二人はストーブに灯油を漏斗で注ぎ足すと、備え付けの防水マッチで火を点ける。水のタンクを開け、匂いを嗅いだ。片手鍋の水を外に捨て、棚の中の在庫を数えて帳面につける。

「マッチが二箱、蝋燭が一箱、カンパンとチョコは全量補充」

 焼酎の瓶は残っていたが、中身は空だ。

「だいぶやられましたね。オロチョンか砂金採りか」

「箱ごと持っていかなくなった。それだけでもましだ」

 この避難所を使うような状況では、どんなに断熱していても水は凍っている。最初の手洗いは焼酎を使う。ストーブに火を点け、鍋の氷を融かして飲む。二重の内側が暖まれば、タンクの氷も水となる。腹が減っていれば棚のカンパンやチョコレートを食べる。そういうふうに村では教えてあった。

「宇田さん、干し肉ですよ」

 梶原が嬉しそうに声をあげ、包みから出して見せる。表面はきれいで、異臭もしなかった。宇田は笑って答える。

「上等だ。よし、今年は塩と味噌も置こう」



 営林処は帰りに寄ることにした。梶原はジープを切り返すと、鉄道駅に向かう。この道は呼瑪河の北岸に沿っていて、米陸軍の地図では乾いた時しか使えないトレイル扱いである。村から金山鎮までの道路が全天候通行可能の主要道路だから、六段階も劣等だった。それが昨年の春、東北鉄路の嫩漠線開通に合わせてトラックが通れる主要道路に拡張された。辺りの省有林の管理は村の役目だから、道路管理も村が行うことになる。

「それで木村の弟は、どうするのが一番いいと」

「え、あ。店に並べて買いに来てもらえばいいと」

 思わず、宇田は苦笑した。

「なんだ、そっちか」

「彼なりに見える範囲で考えたのでしょう」

 店に並べるまでは見たことがないのだと、梶原は言う。

「しかし、父親はずっと村役だぞ」

 木村の父は江原では珍しい勤め人、銀座の百貨店の経理か会計だったか。須田団長の右腕で、義勇隊との合同が決まると真っ先に木村姓に改めた。村会の木村出納役は、経営会にとって最大の難物だ。能率や効率を計る単位の人月や人日を知らない訳がない。

「木村の親父さんが使うのはマンアワーです」

「・・・」


 もちろん、輸送班や配送班でも能率は追求していた。木村の弟が言う石油の配送なら、最初は、トラックの上のドラム缶から手回しのバタフライポンプで十六リットル缶に配給していた。それから、ドラム缶を傾ける架台が考案され、注ぎ口は引き金形の栓になった。トラックの荷台は一メートル二十の高さにあり、注ぎ栓にはホースがついている。

 すなわち、重力だ。それまで、五本積んでいたトラックは、回転架台が大きいから二本積みとなったが、ホースは長く伸ばせて、家の中のストーブに直接給油することも可能だ。各家庭に置く灯油缶も女子でも扱えるように八リットル缶や四リットル缶が追加された。それは、男手が留守の昼間の家庭に配慮した結果だ。

「ここです、宇田さん」

「お」

 宇田は竿を持って梶原の後に続く。難所の一つだ。それまで数か月も問題なかった道路が突如として陥没したことがあった。春の融雪時ではなく、夏になってからだ。基礎の下の水の流れ路が変わったらしい。

「路面は大丈夫です」

 二人は呼瑪河まで下りると、振り返って道路を見上げた。辺りは南北の山系からの支流の合流が続き、かなり幅のある湿地となっている。拡張された道路は所々で支流を横切っていた。

「埋めた土管が詰まったんですかね」

「流量が足りなかったのかも知れん」

 宇田が竿を置いて、梶原が写真を撮る。竿は五十センチ毎に色分けしてあり、それで遠近も分かる寸法だ。道路の拡張は東北鉄路が行った。呼瑪まで支線を引く計画があって、その時まで橋を架けるのはお預けらしい。厳冬期は河が凍結して積もった雪も締まるが、その前後は油断が出来ない。撮り終ると地図に書き込む。

「よし、次に行こう」



 鉄道駅は塔河駅と命名された。塔河は呼瑪河の支流の一つで、南から流れて来てここで合流する。一帯は広い湿地帯だ。嫩漠線は嫩江と漠河を二日で往復していた。嫩江駅を〇一時に出発し、塔河駅に一二時に着く。貨物車と油槽車を切り離し、水と石炭を補給して一四時に出発、漠河着は二三時。

 切り離された貨物車と油槽車は村の区画に引き込まれて、輸送班が荷役を行う。石油を油槽トラックやドラム缶に移し、肥料と荷物をトラックに搭載する。営林処や村に降ろすとその日の輸送は終わりだ。次の日は村から作物の袋や荷物を持って来て貨物車に載せる。漠河駅からの汽車は朝一〇時に到着、貨物車と油槽車を連結して一二時に出発、二三時に嫩江に着く。日曜日は列車は通らないから、輸送班も休みだ。

 宇田と梶原は駅事務所の当直に挨拶し、持って来た弁当を一緒に食べる。世間話の後、引き込み線の村の区画に入る。空の貨物車が二輌と油槽車が一輌あった。秋と初冬は輸送量が多いから、荷役の効率のために余計に置いてもらった。平時の嫩漠線は貨物輸送が主で、村は大のお得意様だ。それくらいの無理は聞いてもらえた。

「やっぱり屋根が要りますね、常設の」

 貨物車の天蓋にうっすらと積った雪を見て、梶原が呟く。宇田も頷く。

「輸送班は荷役床の高さも考えている」

 村の鉄道利用は劇的に増えるだろう。それは、村会と経営会の方針が変わったからである。これまで村と農場がこだわって来た自活が成ったと判断された。開拓した耕作地は二千町歩を大きく超える。婚姻と出産が順調に進み、農家志望の青少年も多い。訓練所は専修科をもつ農業高校として再開した。村民への食糧供給だけでなく、ひろく作物を販売して収入を拡大するのだ。


 来年から農場は作付を変換する。農作業の能率や価格で有利な品種を七割まで増やすのだ。西瀛郷では北満州原産の大豆と高粱、それに小麦が中心だが、嫩江の支村では米とトウモロコシとなる。機械耕作のためにトラクタと装具を大量に購入した。繁忙期には本村と支村で人員の移動を行う。農事保険にも加入した。すなわち、金をかけて金を稼ぐ。繰越金だけでは足りないから、村内で一〇年償還の債権を発行した。利子は作物配給だ。

「収入はいままでの二倍から三倍になるという」

「来年の目黒農場長は山師だともっぱらです」

「ところが、目は利くんだな。あいつが選んだ圏泡支村での水稲はうまくいったし、女先生とは速攻で結婚してご懐妊だ」

「たしかに」

 村会は居住地区を再計画した。新設の住区画には密閉と断熱を考慮した設計の家屋が建築され、冬期は全戸にスチーム暖房が供給される。今年は五種類、二十軒が新築された。入居したのは、古谷医院、牛原助産院、須田副村長や校長先生、工務店、時計店、電気店など、村の維持に不可欠な職業と大家族が優先される。そして、新婚の目黒夫婦も入っていた。次期農場長の夫と小中学校教員の妻、二人とも武芸の達人なら誰も文句は言えない。

 新家屋は基礎から煉瓦をふんだんに使う。地面は二メートルの深さまで凍結するから、床の断熱は無視できない。熱効率を計るためのモデル住宅であるから、すべてのデータが収集され、次の設計に活かされる。暖房や湯水の使用に制限はないが、居住者は室温を定時に計って記録する。一定の抑制にはなるだろう。来年はさらに三十軒だ。



挿絵(By みてみん)




長春市洪熙街


 宮沢、成田、日笠の三人は居酒屋の二階で飲んでいた。日曜出勤の帰りである。土日も満足に休めないのは、欧州情勢が激しく動くからだ。欧州の動きはソ連に起因したものが多く、分析しておく必要がある。アジア情勢は日本も東南アジアも予想の範囲だ。SF条約が調印されて日本の独立が間近に迫ったが、満蒙の日本人社会は平静だった。

「もっと帰国する動きが出ると思ったが」

「血を流したんだ。居住の権利がある」

「満州籍を抜けようとするのは再来年だろう。まだ日本の将来は見えない」

「ただ、一時帰国というか、日本を訪問したいという声はある」

「うん、親兄弟との再会や墓参りは行きたいな」

「いや、それより嫁取りだ」

「それだ。日本は女子が結婚難だという」

「だいぶ死んだからな」

 三人は静かに盃を上げる。それからしばらく、しんみりと交わす。

「ま、若い者がうらやましい」

「生き残ったんだ。それこそ権利がある」

「そうだっ」

 すでに三〇を過ぎ妻帯している三人はビールを注文し、ジョッキに注ぐ。

「満蒙の若者に乾杯だ」

「大陸の花嫁に万歳」

「あっはっは」

 自治邦政府から南京政府に要請書を上げる。日系人に日本入国の許可を出すようにだ。妻帯家族連れは三週間、独身者は二ヶ月ではどうかと、三人は話し合う。

「四月、いや三月には行けるかな」

「いや、もっと早いだろう。新大統領には貸しがある」

 日本の再独立はSF条約の半年後と一般には理解されていたが、実際は条約締結国の過半数が批准書を寄託した時である。マッカーサー新大統領は一月の就任後に速やかに批准するし、他の調印国にも促すだろう。早ければ二月中の発効も見込めた。


「あれは劇的だったな」

「まさに檜舞台だ」

 米国の大統領選挙はアイゼンハワーとマッカーサーの元帥同士の対決だったが、序盤中盤とリードしていた共和党が終盤になって勢いが落ちる。デューイのスキャンダルを追求していた民主党が遂にマッカーサーの個人攻撃を始めたのだ。暴露と批難は太平洋戦線司令部から日本占領軍最高司令部まで及んだ。選挙本部にウィロビーとホイットニーの二人を抱える共和党は即座の反撃ができない。

 追いこまれたマッカーサーは、しかし、アイゼンハワーを個人攻撃することを躊躇する。軍と元帥、全体主義と戦った欧州軍司令部を非難することは、自身の軍歴を否定することと同じだからだ。

「パットン将軍のテレビ出演は衝撃だった」

「誰もが予想だにしなかった、青天の霹靂」

 欧州戦線の英雄、ジョージ・パットン陸軍大将は、終戦後の一二月に自動車事故にあって重篤、意識不明・全身麻痺のまま帰国とされていた。

「健在だったとは、米国民も知らなかったようだ」

「トルーマンが自宅を封鎖していたらしい」

 パットンは闘病生活からの復帰を報告し、感謝を述べた。出演したのはNBCのドキュメンタリー番組で、第二次大戦の作戦を検証したものだ。前日の第一部太平洋戦線では、サイパン、硫黄島、沖縄、本土空襲の大損害をゆるしたマッカーサーが徹底的に追及された。第二部欧州戦線で登場したパットンは作戦も上級司令部も批判はしなかった。ただ、疑問を呈した。

「問われると、日記をめくって前後の事情を答える」

「バルジの戦いではマジック情報がなかったこと、チェコへの進軍が止められたこと」

「新聞はこぞって、それらの疑問を追究した」

 FDRとソ連の密約説、パットン暗殺説が再燃する。一一月二日の選挙はマッカーサーの大勝利となった。




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