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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
24/31

8 フィラデルフィア


ペンシルベニア州、フィラデルフィア、センターシティ


 ホテルに帰ると、米川とアンドルーズは今日の首尾を確認する。二人は李香蘭公演団と同じ船でロサンジェルスに着いたが、そこからは空路で、ミューロック、ラングリーを経由してアーリントンに入った。李香蘭はラスベガス公演もあるから、一行がニューヨークに入るのは早くても来週だろう。しばらくはのんびりできる。どのみち、二人はここではお客さんだ。

 甘粕とウメザワの作戦は、ロサンジェルス入港の時点でCIAに引き継がれた。ENIACはCIAがソ連に仕掛けた餌であり罠だった。

「ドイツが開発していたZ3は空襲で焼け、Z4は西側に移された。ソ連は電子計算機については何もない状況の筈です。渡していいのですか」

 米川の心配をアンドルーズは笑い飛ばす。

「ちゃんとしているのなら問題ないさ」

「実物ですよ。どの大きさで、いくらの電圧で、素材が何で・・・」

「試製するのにはそれらが必要だね」

「でしょう。ノウハウを奪われるのですよ」

「それでいいのさ。ENIACは旧型で、何より十進法なのだ」

 アンドルーズの答えに米川ははっとした。ENIACは一九四三年の設計だから思想も技術もかなり古い。最後の改良は昨年だがレプリカには反映されていない。すでに新型のEDVACが開発中で、その設計思想は報告書の草稿として公開されている。


「CIA、いやハーロック大尉はちゃんと考えたのさ」

 ソ連における電子計算機の研究と開発は始まったばかりで、独自の基礎と理論を持たない。機械計器製作省の精密機械・計算機技術研究所では軍の航空と対空砲の数学的問題の解決、多変数関数の表作成を目的としていた。それは既存の機械式計算機の電気化・電子化であり、端的には歯車を真空管に替えて計算速度と精度を高めようというものだ。まさしく、ENIACそのものだった。

「だが、EDVACは根本的に違う」

 ソ連の科学者もEDVACが新型であることは知っているだろう。しかし、何が斬新であるかを理解するには、開発の目的と終着点を知らなければならない。それはENIACを研究しても得られない。

「十進法と二進法、専用計算と汎用計算、アナログとデジタル、それらの違いだけではないらしい」

 ノイマン博士の草稿の核心はelementのようだが、アンドルーズには説明できないし、米川も分かり様がない。

「ソ連の選択は一つしかない」

 機械計器製作省の官僚にとっては、元になる機械式計算機がIBM製かメルセデス製かの違いでしかなく、ENIACの情報を手に入れて複製すれば完了だ。理解は容易で、なにより目の前にお手本がある。全力でペンシルバニア大学に学生や研究者を送り込んでくる。EDVACが研究されることはない。複製したENIACは稼働と同時にカガ・ガードナー回路を作動させる。ソ連の電子計算機開発は五年から十年は遅れる。

「そんなものですか。わたしは工作方面には疎い」

「そうだったね。大尉の作戦には十分な合理性があると僕は思うよ」



 どうやら得心した様子の石川に、アンドルーズが問う。

「分析方面の君に聞きたい。大統領選をどう思う」

「え」

「キャンペーンの展開が理解できない。民主党が優勢に見えるが、おかしくないか」

 もちろん、アンドルーズが聞いたのは米川の主観ではない。分析屋としてどう見るかだ。

「ああ。視点をどこにおくかですね」

「そうなのか。これを見てくれ」

 そう言ってアンドルーズがノートを広げる。見開き二ページを四分割して、両党の有利と不利が書かれてあった。共和党はもちろん右側だ。

「なるほど、政治評論家の視点だ」

「民主党対共和党はリベラル対保守の争いだろう」

 リベラルと呼んだことに米川は感心した。民主党も共和党も個人の自由を掲げる点では同じだが、社会公正の優先度や政府の介入度を巡って相違は大きく、FDRの頃からリベラルは民主党式自由主義を指す。つまり、アンドルーズは過去の大統領選挙も調べている。

「リベラルが親共と親ソを育み、共産主義者の浸透と原爆製造法の漏洩に至った。そう、共和党は民主党を非難している。事実だ」

「非介入の保守主義は全体主義の伸長を許す。米国の参戦が連合国の勝利を導いた。民主党とFDRは間違っていない。そう、民主党は主張しています」

 米川が反論すると、アンドルーズは首を傾げた。

「違うのか」

「違いますね」


 アンドルーズは驚いたようだ。

「ローゼンバーグ夫妻は死刑になった。国家反逆罪だぞ。マッカーシーの赤狩りは支持されている。なぜ、共和党は振るわない」

「政治家や新聞記者や評論家が何人いますか。選挙は全国民が投票するのです」

 米川の言葉にアンドルーズは天を仰いだ。それから立って、デキャンターとグラスの盆を持って来た。

「長くなりそうだな」

「二時間はかかりませんよ」

 米川は寝室から自分のノートを持って来て、開いて見せる。やはり四分割された中に番号が書かれてあった。一番大きな数字は八〇だ。アンドルーズが頷くのを待って、別のノートを渡す。新聞記事の切り抜きとラジオの聞き取りで、番号が振ってある。二つのノートを見比べることで、だいたいの状況が理解できた。

「オフィスではカードと小箱でやるのですが、出先ですので」

「二週間でこんなにあったか」

「争点は参戦の是非や国家機密ではないようです」

「まさか」

「例えば、労働組合」

「組合なら民主党支持だろう」

 米川は無言でノートをめくり、アンドルーズも無言で読む。戦後の景気後退で労組は盛んに待遇改善のストライキを実施した。議会は労働運動の規制に動き、タフト・ハートレー法を議決する。トルーマン大統領は拒否権を発動したが、中間選挙で圧倒的になった共和党が両院で再議決した。



「ところが、労働組合の大半が共和党を応援している。小さい政府の方を優先したのです」

「ふう。タックスペイヤーの選択か」

「次は公民権運動。民主党は奪われた労働組合の票を黒人票で埋めようとしている」

 アンドルーズは煙草に火を点ける。

「次の次のページを見てください」

 そのページは八分割されてあった。ニュースの対象が政策なのか候補者個人かがわかる。

「大衆は英雄に投票する」

「候補者対候補者か」

 米川は頷き、グラスを飲み干した。

「え。あ。ああ、そうか」

 何かを思いついたアンドルーズは座りなおして、ノートを最初から読み直す。米川は待つ。

「ふぅん、ふんふん」

 煙草三本とグラスを二杯空ける頃、アンドルーズが顔を上げる。

「興味深い。心理戦だな」

「両陣営には手練れがいるようです」

「共和党は待っているのか」

「正しくは、マッカーサーが待っているのかと」

 アンドルーズは紫煙を吐き出す。米国の高級紙は支持政党が鮮明で、記事は慎重に選ばれている。大衆紙では候補者の人物評と業績がもっぱらだが、その実は醜聞と失策の暴露による個人攻撃である。トルーマンとデューイの間で批難の応酬は激しい。だが、アイゼンハワーとマッカーサーの間ではあからさまな発言はない。


「どういうことかな。まさか、二人とも紳士ではあるまい」

「二人とも元帥です。軍の権威を気にしているのでしょう」

「つまり、まだ最終段階ではないと」

 だが、米川は別のことを返事する。

「デューイもトルーマンも、批難や誹謗に一つ一つ反論している。なぜだかわかりますか」

「黙っていれば、それが事実だと上書きされる」

「さらに弱いともされる。それが一般市民、大衆です」

 アンドルーズはグラスを呷った。

「だから二人の元帥は待っているのか」

「二人とも参謀と要員には事欠かない」

「能力や強さを強調するためには戦績や戦功を比較する」

「戦略や作戦を述べれば指導力と統率力を誇示できる」

「さて」

 米川が立ち上がって、部屋のラジオを点ける。コインは入れなくてもよかったが、真空管が温まるには時間が要る。

「えと、NBCです」

 米国の放送免許事業にはフェアネスドクトリンがあり、ラジオ局は公共問題に対して合理的に、相反する視点と公平な放送の時間割り当てを積極的に提供しなければならなかった。要するに公平で公正なニュースが期待できる。さらに個人攻撃ルールと政治的論説ルールとがあって、反論と応答も期待できた。

「なのに、アメリカ人は」

「彼らも待っているのです。別のニュースを」




挿絵(By みてみん)





マサチューセッツ州エセックス郡ハミルトン


 三階建ての邸宅の主人は、裏の広い庭に面したポーチに居た。エドが近づくと、パティオから上がって来るように手を振る。エドは内ポケットの封書をペーパーナイフと一緒に差し出す。手紙が読まれるのを見届けるのも伝書使の役目だろう。主人は目の前で封を開けて読んでくれた。

「返事が必要なようだ」

「はい、将軍」

 エドは外を眺めて待つ。見事な芝生の広い庭はなだらかに下りながらイプスウィッチ川まで続いている。ここから見る夕日はすばらしいにちがいない。次は夕方に来ようとエドは決めた。

「待たせたね。御父上に渡してくれ」

「はい、将軍。父、ウィリアム・カーヴァーに届けます」

 預かった手紙を内ポケットに仕舞うと、主人はエドの右手を掴んで自分の手を合わせる。え。冷やりとする重みはコインだ。フランクリンの肖像は今年出たハーフダラー銀貨だった。

「お、多すぎます。将軍」

「ならば、新聞ももらおう」

 失策に気付いたエドは、あわてて肩から提げたキャンバスの袋から三紙を取り出す。主人は笑った。

「細心であれ。アメリカの息子よ」

「は、はっ」

 敬礼したエドは、回れ右をすると駆け出した。パティオを出る時、青銅のカノン砲にタッチする。表の道路に倒した自転車を引き起こし、全力で漕ぎ出した。






カルフォルニア州、サンフランシスコ


 サンフランシスコ市郡はサンフランシスコ半島の北端にあって、面積は百二十一平方キロ、十一キロ四方に七十万人が居住する。夏でも二十度を超える日は少なく、霧は多い。市庁舎は北東部にあり、国道101号線を挟んだ真向かいが戦争記念歌劇場である。来週、そこで日本と連合国の講和会議が開催される。

「調印は最終日で、その後に隣の軍人講堂に移動して東北アジア条約機構の調印が行われる」

 小山勇吉の説明を聞きながら熊野三樹夫と司馬春雄は窓から市内を眺める。三人は高級なスーツを着ていた。ホテルの最上階のスイートは三面に窓があって展望は抜群だ。ノブヒルは市内屈指の高級住宅街で、高層アパートやホテルが連なる。周囲より百メートルほど高い丘で、市庁舎からは北になる。すなわち、部屋の左手の窓がチャイナタウン、右手がジャパンタウンの方向である。

「宇垣首席全権と全権委員五名の宿舎はダウンタウンのホテル」

 熊野が正面の窓から左の方を指しながら言う。

「いや、孫娘の赤間加津子さんと外務省の島内次長を合わせて八名だ」

 熊野が顔を顰めた。司馬は笑いながら朗らかに言う。

「他の随員はジャパンタウンの在外事務所に泊まるのですね」

「うん。十名のうち四名は警視庁の護衛要員だ。所員もいるから、あっちはかまわなくていい。うちの任務はジャパンタウンの主義者らの掃討だ」

 二人はあからさまにいやな顔をした。

「不服か。一等船室で十日の船旅、夜は李香蘭のディナーショー。着いたら最高級ホテル。ま、ここは一晩だけだが」

「いえ。まったく満足であります。大尉」

「よろしい。まもなく、米陸軍の連絡官が来る」


 入って来た連絡官はNISEIで、やはりスーツ姿だった。

「米国陸軍情報部、連絡官のミヤシタ中尉であります」

「中国陸軍情報部の小上尉。二人は熊上士と司馬上士だ。よろしく頼む」

 小山との挨拶が済むと、ミヤシタはにっこりと笑った。

「タケガキは初めです。ようこそ米国へ」

「え」

「状況を説明します。みなさん、お座りください」

「はぁ」

 三人が座っても、ミヤシタは立ったままだった。

「FBI、CIA、および軍情報部の結論です。宇垣首相の暗殺は九割九分九厘ありません。我が国を含め、各国には動機がないからです。あるとすれば、日系人の共産主義者ないし反日分子の騒乱です。そこでジャパンタウンの掃討をお願いした」

 三人は顔を見合わせる。熊野が頷いて手を上げる。

「中尉どの。ソ連も、でありますか」

「熊曹長、講和の成立は米軍占領の終結を意味する。ソ連にとって、近隣からの米軍の撤収は歓迎すべきことだ。一方で、米国主導への反対運動も歓迎する。日系人からならば、なおさらだ」

 司馬が手を上げる。

「中尉どの。すると、歌劇場より講堂の方が」

「さすがだ、司馬曹長。NEATOの調印は阻止したい。だが、全権委員は六人もいて、まず不可能だ。九割九分八厘ない」

「一厘ちがう」

 熊野が声を上げた。だが、ミヤシタは微笑んだだけだった。

「参加国の数が違う。講和会議は五十数カ国だが、NEATOは六つ」

 小山が立ち上がった。

「全力でジャパンタウンの掃討にあたる」



 夜が更けても、小山とミヤシタの話は続いていた。

「われわれは今、日系人に手を触れられない」

 市と日系社会は緊張関係にあった。サンフランシスコのジャパンタウンは全米で一番古く大きく、戦前は一万二千人の日系人が居住していた。戦後、強制収容から解放されて帰って来た時、町は大きく変わっていた。空っぽのはずの町は黒人労働者に占拠されていた。日系人は団結して市に抗議し、訴訟を起こす。黒人社会との緊張も高まっている。

「タケガキの申し出は渡りに船だったのです」

 三万三千人ものNISEIが従軍したことは知られておらず、偏見と差別は戦後も変わらなかった。七月、トルーマン大統領は第442連隊を閲兵し、自ら感状を授与した。また、強制収容時の不動産と財産を補償する『日系人退去補償請求法』に署名した。共和党は、選挙運動に利用するために一年も遅らせたと批難する。

「あ、再来月は大統領選挙でしたね」

 トルーマンは講和会議の冒頭に演説するが、特に首相との会談は予定されていない。あっても現大統領だからおかしくはない。

「マッカーサー候補が日程に合わせて来訪します」

 元の占領軍司令官であるから、面会を申し込まれれば断れない。

「対抗して、アイゼンハワー候補も来るらしい」

「それは。まずい」

 両候補の応対に差をつければ、内政干渉と取られかねない。まして、日本は独立前だ。外務大臣はどう判断するかな。

「当然、新聞もラジオも駆け付けます。もう終盤なのです」

「え」



 翌朝、夜討ち朝駆けで掃討を終えた熊野と司馬は、小山と一緒に遅い朝食をとっていた。

「その記者たちが脅威なのですか」

「うむ。大衆紙の記者たちは体を張って取材してくるらしい」

「体ごと突撃して来ると」

 熊野は顎に手を当てて考える。宇垣首相は八〇歳、重光外相は六一歳で、他の全権委員も老人ばかりだ。体当たりはこたえるだろう。狼藉者でもアメリカ市民、乱暴はできないから、人垣で囲むくらいしかない。

「中国に応援を頼みますか」

「アメリカ人に中国人と日本人の区別はつかない。日本が自前で警備団を用意したとなるのは、まずい」

「白人で目立たなければいいでしょう」

 司馬が明るく言うと、熊野が眉をひそめる。

「司馬曹長、考えがあるか」

「お孫さんにお願いしましょう」

 小山は首を傾げる。







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