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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
21/31

5 東京


占領下日本、東京都新宿区、四谷三丁目


 土曜日の午後、大蔵次官の池田勇人は執務室にいた。事務官が入って来て車がついたと告げる。池田は頷いて立ち上がった。机の引き出しから辞表を取り出し、背広の内ポケットに入れる。部屋の中を見渡し、もう一度頷くと、廊下に出た。校庭に停められた車に乗る前に、仮庁舎を見渡す。霞が関の大蔵省庁舎は戦災を免れたが、占領がはじまるとGHQに接収された。移転先第一候補の赤坂葵町の満鉄ビルも接収され、ここ、四谷第三国民学校に越して来た。校舎は鉄筋三階建てで教室は二十二もあるが、校庭は狭い。



 敗戦の時、池田は主税局長だった。津島大臣は日本銀行総裁を呼んで戦時政府債務の処理を検討した。臨時戦費特別会計、いわゆる軍事費は国債残高一千四百八億円、政府補償責務を合わせると二千億円と膨大なもので、国家予算の十倍、国民所得の三倍近い。渋沢総裁は、不生産財に対する損害賠償は悪性インフレーションを招くと懸念し、債務処理は生産財に限るべきだと論じた。しかし、大臣は楽観的だった。戦時の通貨膨張の事由は臨時軍事費の支出にあって、敗戦の今、それはもうない。懸念すべきは利払いだが債務を償還する方法はある。

 池田もそう思った。ところが、軍事費の支払いは止むどころか、十倍以上へと急増する。陸海軍の廃止により、兵隊への俸給、軍人への退職金、軍需産業への契約打ち切り補償の支払いが必要となったからだ。それは国だけでなく民間も同じで、閉鎖となった軍需工場は従業員に退職金を払わなければならず、銀行はつなぎ資金を融資した。インフレは一気に進行し、卸売物価は八月から一二月までに二倍となる。GHQは軍事費の支払停止を命令した。


 津島大臣は一〇月に退任した。後任の大蔵大臣は、あの敗戦の日の日銀総裁、渋沢敬三だった。インフレが一挙に顕在化した頃だ。金融機関では貸し出しと預金引き出しが同時に増加し、手持ち資金が急激に減少する。金融恐慌も取り沙汰された。山際次官は大蔵省が練っていた緊急金融措置を説明する。それは、預金封鎖、新円切替、払戻制限、財産調査を同時に行った後、財産税と戦時利得税を課そうというものだった。

 新任の渋沢大臣はかしこまって聞いていたが、最後に質問する。

「財産税は一戸当たり、つまり戸主に対してですね」

「法人に対してもです。個人・法人合わせて歳入見込みは六百五十六億円」

「戦時利得税は個人が対象ですか。財産税との二重課税にあたりませんか」

 そう聞かれた時、汗をかいたのを覚えている。

「いや、増分に対してだけです。戦争肥りに対する課税はGHQの理解も得られるかと」

「そうだといいですね」

「え」


「『財政収支の均衡とインフレ防止、および経済安定』は、個人が納税するのにふさわしい事由でしょうか」

「あ、大臣。日本経済の危機です。日銀総裁の時もそう言われたかと」

 渋沢は苦笑いしながら頭を掻いた。

「わかりました。会見します」

 次官以下、幹部たちはほっとした。池田もほっとした。大蔵省は天下の公約は守る。債権を踏み倒すことなどしない。返すものは返す。そして、取るものは取る。それが財政再建計画の骨子であった。

 国民の財産は四千億円以上と見積もられており、その約半分の二千億円が国債である。財産税と戦時利得税の歳入見積もりは合計で九百七十一億円、これを戦時債務の償還に充当する。つまり、国民への課税で債務を半減しようというのである。通貨を回収し債権も減れば、インフレは起こりようがない。一挙両得だ。


 一一月二六日の会見で渋沢蔵相は、来年早々に緊急金融措置を行うと国民に予告した。当然ながら、国民は預金引き出しに走った。十月から配給は増量されていたが、さらに買いだめしようというのである。物価上昇とインフレの進行は加速したが、一二月に中国の緊急食糧援助が開始されると、一旦は沈静化した。

 省は淡々と閣議決定、議会審議をこなした。しかし、GHQとの折衝は、担当部局は経済科学局なのに民生局からもクレームが入るという、難儀なものだった。経済科学局とは経済や財政の用語は通じるが、民政局はいつも政治的な視点だ。敗戦国なのだから財政破綻と債務不履行を認めよと経済科学局は主張し、民政局は復興そのものに否定的だった。それまで熱心には見えなかった渋沢大臣は、しかし、GHQとの交渉に入ると粘り腰を見せる。


 六ヶ月に及ぶ交渉の後、緊急金融措置は法制化された。財産税と戦時利得税は一体化し、課税対象下限と税率が大幅に変更されて、全国民が申告する復興特別税となった。税収は数百億円も目減りする。同時に、政府戦時補償が認められた。国家総動員法や軍需会社法に基づいた政府命令による損失の補償である。ただ、不生産財に関しては補償と同時に百パーセントの課税となった。

 復興特別措置法案が成立した時、渋沢は大蔵省を去っていた。公職追放でパージされたのだ。交渉の中でGHQの局長や次長を幾度も論破し言い負かしたのがたたったようだ。新任の石橋大臣は均衡しつつある財政収支を論拠に積極財政を掲げ、復興金融金庫を創設し、思いきった支出を開始した。小康化していたインフレが再燃する。そして、池田は大蔵次官となった。東大以外の出身としては初めてである。




港区、三田網町


 大蔵大臣公邸の玄関には大臣秘書官が待っていた。池田は大臣から回された車を下り、秘書官の後に続く。大臣は奥の洋館にいるらしい。表座敷の縁は長い、庭の芝生は見事だ・・。いかん、と我に帰った。油断してはいけない。ここは昨年まで渋沢家の所有だった。元大臣で現大臣の渋沢敬三は復興特別税を物納した。俺は向こうの土俵に踏み込んでいる。福田主計局長が馘首を宣言された時も、仮庁舎ではなく公邸だった。

 池田は洋館の書斎に案内された。

「大臣、池田次官が見えられました」

「やあ、お疲れさま。さ、座ってください。呼んでおいて失礼ですが、もう少しかかります」

「はい」

「秘書官、池田さんにお茶をお願いします」

 池田はソファに座り、煙草を取り出す。背筋を伸ばして書きものをする姿勢と無邪気な笑顔は育ちのいい坊っちゃんに見える。三年前、俺はまんまと騙された。銀行業務しか知らないと思っていた渋沢家の跡取りは、行動力のある経済人だった。第一銀行副頭取から日本銀行副総裁になった時は全国の支店を行脚した。総裁になると、国家資力研究所を分離して独立法人とし、あの大内兵衛を所長に据えた・・。

 渋沢が机を立って、前のソファに座る。池田は姿勢を正す。

「決まりましたか」

「はい。主税局の国税徴収部門を出したいと思います」

 大臣は身を乗り出して来た。池田は視線を逸らさない。睨み合いは一分ほど続いた。

「わかりました。ですが、大蔵省からは主計局を分離します」

 ふぅと、池田は息をつく。


 大蔵省の解体が浮上したのは大正電工事件が立件されたからである。復興金融金庫から融資を得るために、大正電工の社長が行った大規模な贈収賄事件だ。贈賄先は復興金融金庫の担当者と理事に止まらず、大蔵省主計局や商工省化学局、民間銀行の幹部から与野党の議員まで及んだ。GHQ民生局の高官にも収賄したものがいるらしい。

 事件を知った渋沢大臣の対応は早く厳しかった。収賄を認めた主計局長の懲戒免職は逮捕令状の前だった。他にも、銀行局の総務課長と特別銀行課長が降格処分となった。大正電工は、融資を設備の復旧や更新ではなく、赤字補填や営業経費に充当していた。社長の横領も疑われている。それは、復興金融金庫の監査体制が未整備で、貸しっ放しだったからだ。起こるべくして起きたのだと、全職員を集めた校庭で、大臣は訓示した。

「なぜ、大蔵省が解体されるかはわかりますね」

「はい。力を持ち過ぎたからです」

 内務省が解体されて公共省となった今、大蔵省より大きな力を持つ省庁はない。その力の源泉は各省庁予算の査定と分配にある。

「なぜ力を持ち過ぎてはいけないのですか」

「それは・・」

 池田は言葉に詰まった。新憲法下でのうまい言い回しが出てこない。

「民主主義を毀損するからです、米国式の・・かな」

 珍しく、渋沢は言い切らなかった。池田はここしかないと思い切り、胸に手を回す。

「待ってください」

 渋沢が手を上げるのが早かった。

「池田さんの決意はわかっているつもりです。辞表は月曜日に庁舎で受け取ります。話はほとんど終わりですが、要件がもう一つあります。帰る前に第二応接室に寄ってください」

 池田は頷く。




 第二応接室は出窓がある方だ。天井の様式で英国式が第一、仏国式は第二と池田は覚えていた。中に入ると、暖炉の前にいた紳士が振り向く。与党、日本進歩党の斎藤隆夫議員だった。

「池田次官、お寄り頂いて感謝する。進歩党総務委員の斉藤です。幹事長、鶴見の名代で待っていました」

 丁寧な名乗りに、池田もお辞儀をする。勧められるままにソファに座った。

「ご用件は何でしょうか」

「はい。次官の肩書が取れた後のあなたに入党を勧誘したい」

「え。入党ですか。政治家になれと言われるか」

 斎藤はにっこりと笑って答える。

「はい。石橋さんからも渋沢さんからもあなたの心持は聞いています」

 池田は驚いた。決して言ってない。が、それよりも、前蔵相と現蔵相は親しいのか。

「渋沢さんは辞める時、後任は石橋さんと指名された。石橋さんはそろそろ頃合いと渋沢さんにお返しされた。あなたの野心は申し次がれたのです」

 え、え。

「京大出身で初めて主税局長、そして大蔵次官となられた。大蔵大臣を望まれるのは至極当然のことだ。退官されたらお国で地盤固めに入られたらいい。広島県の竹原でしたね、調整してあります」

 斎藤議員はすらすらと喋りまくる。これが政治家かと思わないでもないが、池田の疑問は一気に噴き出す。


「いつからですか」

「戦後すぐ。次官は主税局長でしたね」

 そう言いながら、ようやく斎藤議員は目の前のソファに座った。

「つまり、インフレを操っていたのですか」

「げふん。すべてが成功した訳ではない。インフレの様相はいくつもある。一貫して着目していたのは物価で、国民の生活に直結する」

 池田は思い出そうと目を瞑るが、斎藤は勝手に喋り続ける。

「要は物不足だ。最初に食糧を中国の緊急援助に頼った。次は必需品だが、戦時備蓄には限りがあったから米軍にも要請した」

 そうか。まず、本土決戦用に備蓄された食糧を放出して配給を増量する。すぐに底をつくから、中国からの援助があることを前提としていた。必需品もそうだ。

「国内製造が再開するには時間がかかりました」

「生産能力のある企業・工場に資金が回らない。政府戦時補償で資金と担保能力を付与する必要があった」

「次に、製品が十分蓄積されるまで緩慢なインフレを放置した」

「石橋さんは積極財政を試してみたかったのだ」

 企画立案と法制化、施行には時間差がある。占領下ではすべてがGHQの認可承認を必要とするから、時間差はとてつもなく大きくなる。前の解答を後の問題が追い越してしまうのだ。

「単純な話だったのですね」

「そう。国中はもとより、海外からも食糧と物資を集めまくった」

 そして、外資を導入したことで日本経済は安定期に入ることができる。ここまで三年間でやり遂げたのか。池田は嘆息の思いだった。



「ここに党の規約一式と入党申込書があります」

 そう言って、斎藤は大判の書類封筒を差し出した。

「次の選挙は、もちろん首相の専権事項だが、近いと思う。君が当選した暁には経済安定本部の副長官をお願いしたい」

 池田は頷いた。すぐに大蔵大臣にとは思ってもいない。

「党の考える経済安定とは何でしょう」

「好景気です」

 単刀直入な答えに池田は得心した。今思えば、次官として仕えた両大臣は財政健全化に無関心だった。財政とは国家の財務政策であって、国の運営を国民に委託された内閣が専横すべき事項なのだ。省庁が政策を決定してはいけない。それは校庭訓示にもあった。

「機動力が肝心ですね」

 そう言うと、斎藤議員はにやりとした。

「むしろ、朝令暮改です」

「好景気の上限はどう定義されていますか、経済安定本部では」

「うん、私の覚えている限りでは、国内の生産設備が八割以上稼働していて、就労可能人口の八割以上が就労している」

 池田が聞く限り、進歩党と内閣の経済政策は至極まっとうだった。複雑な理論でも巧緻な計画でもなく、単純な対症を繰り返すだけ。だが、医者はそうやって病人を治療する。継続することだ。経済安定本部は内閣直轄の常在機関だ。主計局はそのために分離される。

「満足です。来週お持ちします」

 池田は笑顔で立ち上がる。

「党本部でお会いしましょう」

 斎藤も笑顔で答えた。






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