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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
20/31

4 長春


中華民国、満州自治邦、長春市洪熙街


 宮沢、成田、日笠の三人は満映撮影所本棟の小会議室で仕事をしていた。日本の官報や新聞、米国の新聞、雑誌などが大きなテーブルいっぱいに広げられている。日本共産党の機関紙、アカハタや前衛もあった。

「解散総選挙は吹っ飛んだな」

「これだけ荒れては選挙どころではない」

「どっちかな。これまでも首相はついていたが」

「禍転じて福と成せるか」

 マッカーサー元帥が更迭されて帰国した後、日本の政情は一気に流動化した。GHQの参謀第2部長と民政局長も同時に辞任して帰国したからだ。反共と親共の両領袖が去った後、天秤はどちらに振れるのか。左右の政治勢力はそれぞれの思惑で活発に動き出していた。そして、東宝の第三次労働争議が勃発する。

「ミヤケンは本気のようだ。決戦体制とある」

「政府にとっても一網打尽の機会だ」

 占領直後に日本共産党を合法とし、収監中の党員を解放したのは民政局だった。党書記長の宮本健治は、ノーマンに続きホイットニーも帰国する状況を重大な危機と捉えていた。必ず政府の攻勢があるに違いないと。

「大学と新聞社の赤掃除を終えた政府が、次は労働組合にくると見たらしい」

「ミヤケンは作家だ、教育と出版は彼の縄張りだった」

「司法省と公共省の狙いは日本映画演劇労働組合ではない」

「中らずも遠からずだ」

 東宝は従業員六千名の日本最大の映画製作会社だが、占領直後に労働組合が結成され、一昨年からストライキが盛んに起きていた。憂慮したGHQは経営陣の交代を命じた。新経営陣は組合の要求をおおむね容れたが、ストライキは収まらなかった。業を煮やした強硬派の渡辺社長は党員と見られる六百人を解雇した。反発した組合はストライキに加えてピケや管理職の監禁も敢行する。


「党員は他にもいたのだ」

「つまりは六百以上、おそらく二千人」

 東宝は戦前から大勢の主義者や運動家を雇い入れており、戦後も変わらなかった。争議には、若手はもちろん、有名俳優や監督、脚本家など制作側の者も参加している。なにしろ四千名以上が撮影所に立て篭もっているのだ。

「強制排除は可能だが、場所がな」

「撮影の準備は万端だろう。実況放送もあるかも知れない」

「なにしろ決戦だ。日共は総動員の筈」

 警視庁予備隊の定員は三千名、近県の警察官も投入すれば物理的に排除は可能だ。占領軍も出動するだろう。ただ、総選挙を予定している内閣には痛手になる。野党はここぞとばかりに攻め立てて来る。与党は不利になるから、解散は見合わせることになるだろう。

「ま、あれだ。竹垣がいる」

「次を考えると穏健にしたいところだが」

「いや、一罰百戒だ」

 日本政府の目的は主義者とシンパを摘発し、検挙することである。労働組合の弱体化は争議対応の一つでしかない。それに、映画演劇労働者より大規模な組合があった。戦後の失業者を最も吸収したのは国と地方の公共機関であり、すなわち公務員労働組合こそ最大だ。昨年の二・一ゼネストでは全官公庁の百五十万人と民間企業の二百五十万、合わせて四百万人の動員が計画されている。

「労働組合は国民の権利であり、労働争議を厭うわけではない」

「合法的にやる分にはな」

「企業別や産業別はいいとして、警戒すべきは地方連合会と全国連合」

「特に、組合専従と事務局専任だ」

 在籍でない組合専従員と事務局専任員は労働者ではない。彼らが企画・計画する労働運動は労働者のためだけでなく、組合組織のためでもある。次第に独断で専行し、組織誇示のためだけに暴走する可能性は大きい。



 三人は見つめ合い、頷き合った。煙草に火を点けお茶を啜る。

「東宝がつぶれれば、満映の天下だ」

 二千五百あった日本の映画館は戦災により千二百館へと半減したが、娯楽としての根強い需要があり、観客数は戦前と変わらない。今年中には二千館を超えるまでに回復すると予想された。問題は配給本数、特に新作の不足である。占領下ではGHQの厳しい制約下で製作するしかなく、また、民間情報教育局と民間検閲支隊との二回の検閲をパスしなければならない。基本方針は『封建的忠誠及復讐ノ信条ト残忍非道暴行ノ禁止』だ。

「仇討ちやチャンバラなしでは時代劇は成り立たない」

「松竹は舞台・演芸があるが、大映は役者を整理した」

「東宝だけは現代劇でしのいでいたのだが」

 昨年の配給本数は三社合わせて九七本しかない。

「しかし、やりようはあったのだ」

 満映の東京支社は日比谷図書館の前にあって、戦前から作品を提供していた。満映の映画一本と日本映画一本とを交換するものだ。戦後になって、この等価交換は成立しなくなった。傘下の中華聯合電影公司によって中国映画界を統一し、さらに外国映画を直接買付できる満映の供給能力は飛躍的に伸長している。

「日活は戦時統合で製作部門を大映に差し出した」

「配給専門だが、系列映画館数は松竹や東宝と大差ない」

 満映は日活と専属代理店契約を結び、年間四八本の新作を供給している。半分が時代劇である。もちろん、GHQの検閲をパスしていた。復讐も剣戟も流血もない満映の時代劇は、捕物帳と道中記、そして人情物だった。シリーズ化して量産し、他社の追随を許さない。

「屋留の読みは精確だった」

「まもなく京都太秦撮影所を買い戻せる」

 配給で得た利益を満映は持ち帰らず、日本国内で再投資した。映画館を増やし、専属契約を切られた役者と監督を囲い込み、撮影所を買収して、日活に映画製作を再開させる道筋を立てた。阪妻の人情もの、嵐寛の捕物帳がまもなく上映される。

「社長の目的は日本文化の保護と保全だ」

「隗より始めたに過ぎない」

「ようやく、最終段階に近づいた」


 大東亜戦争の終結から三年が経とうとしている。甘粕機関は在外資産を預かって大日本帝国の後始末をして来た。東亜各地の日本兵と日本人の本土送還は終わった。大陸に残留した日本人も満州と蒙古が自治邦となって自活に目途が立つ。次の段階は決まっていた。ところが、予定外の事態が発生する。米英は、独立後の日本経済の進出先として東南アジアを指定したのだ。

「なんのことはない。日本が戦争で求めたものではないか」

「大きな違いだ。米英中の承認がある」

「なんだと」

 東南アジア各地の民族独立と開発支援がその条件で、講和条約に戦時賠償として記されることになっている。甘粕機関は日本に先駆けて、各地に根拠地を設営し、人脈を開拓することになった。

「幸いに、残置情報員はやるべきことをやっていた」

「まったく、頭が下がる」

「しかし、もう一年もない」

 まもなく日本と各国との講和が調印される。その半年後に条約が発効し、占領は終結して、日本は主権を回復する。

「要するに英国は植民地を整理したかったのだ」

「必要なのは印度だけで、交渉の余地はあった」

「何をいまさら、詮ないことだ」

 三人が口論するのには焦燥感があった。今年の秋に締結、調印されるのは、米国の大統領選挙が一一月二日だからだ。窮地にあるトルーマンは日本との平和を民主党政権下の手柄にしたい。それが参戦の免罪符になるからだ。九月が有力だった。つまり、来年四月に日本は条約の履行を開始しなければならない。

「石川の案は突飛に見えるが、実に有効だ」

「時間の制限を空間で相殺しようというものだ」

「さすがは屋留と似た者同士」

 石川修孝は、開発支援の中核となる農業技術教育のために、島一つをそっくり学校とすることを提案していた。

「屋留はどうした。もう出発したのか」

「ああ、昨日の米軍定期便に便乗した」

「忙しいことだ。この先、漫画やテレビジョンもあるのに」

 屋留幹夫は最終段階の主幹要員と目されていた。甘粕機関は在外資産の他にも重要なものを預かっている。

「あいつは建国神話が本務だろう」

「それには民俗とか考古の調査が必要だそうだ」

「アメリカでか。日本でなく」

 三人は顔を見合わせる。





ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、沿海地方、ウスリースク地区アレクセイニコリスク


 兵隊たちが山から下りて来る。リョーニャは駐屯地に帰る兵隊の後ろ姿を目で追いながら、これからの行動を頭の中に浮かべた。家に帰って身支度をする。女房に山へ行くと告げる。書きものをする。日暮れの一時間前に家を出る。そんなところか。リョーニャは頷くと、跛行を引きながら歩きだした。


 それはいつもの場所にあった。村から南の小川を渡って山中を二キロほど。どういうわけか、林の中に戦車の残骸があった。工具箱の中には封筒が置かれていて、家から持って来た封筒と交換する。砲塔に腰かけて、解読しながら手紙を読む。リョーニャはちょっと顔を顰める。暗号は計算を必要としなかったが、内容は少し面倒な仕事だ。やれないことはない。同封された金は前回より多かった。

 立ち上がって背伸びをする。木々の間からはアレクセイニコリスク村と対岸のポクロフカ町も見えた。車体から飛び降りると、振り返って見つめる。BT-5はハルハ河の戦闘で戦友だった。マッチを取り出して手紙を燃やし、その火で煙草を点ける。二本を吸い終えると、灰を靴で蹴散らして帰途についた。山から出る手前からリョーニャは跛行を再開する。



 レオニード・セルゲーヴィチ・カーメネフはハバロフスクの郊外で生まれた。父のセルゲイは市の委員に取り入り金を包んでピオネールに入れてくれた。しかし、コムソモールには上がれず、赤軍に入隊した。ハルハ河の戦闘を生き延びたが、大祖国戦争ではスターリングラードに出征して下半身不随となった。幸いに、野戦病院の軍医が同じピオネール出身で、手術を受けることができた。背骨に刺さった破片を取り除かれると、跛行を引きながらも歩けるようになった。

 その後、ウラルの東、チェリャビンスク郊外の赤軍病院に送られた。再手術で切断された背筋の再生修復のために、指示された課題に挑んだ。背筋を補完する腹筋も同時に鍛える過酷なものだった。並立された養成学校で教育も受けた。ピオネールの時と違って、真面目にやる。党はちゃんと記録していて、スターリングラードでは偶然を呼び寄せてくれた。死亡宣告を受けないためには、起きて歩けて党の役に立てなければならない。

 一年後、奪還したクラスノグラード郊外の小さな村に送られた。ウクライナの過半は、長い間、ナチスドイツの支配下にあった。前線が大きく西へ移動した今、パルチザンが低調だった村々は住民を入れ替えなければならない。背後の危機は前線の銃火よりもはるかに大きい脅威なのだ。極東から呼び寄せられた人民は、村の復興と、近くに開設された赤軍補給廠への協力を精力的にこなした。レオニードは村の委員としてその先頭に立った。



 リョーニャは小川を渡って村を貫通する街道に出る。人影はなかった。日が暮れると、アレクセイニコリスクの村民はほとんど出歩かない。冬が終わった今もだ。それは、まだ勝手がわからないからだろう。今の住民である六十戸、老若男女合わせて二百人が村に入ったのは去年の秋だった。あてがわれた家屋の修理と冬支度だけでその年は終わった。地区・軍からの食糧と石炭の供給がなければ冬は越せなかっただろう。

 村民への配給は公平だった。村の委員はちゃんとやった。全員が互いに初対面だというのに諍いはない。つまり、その手の人民、いや要員が集められたのだろう。春になっても本気で畑を耕す者は一人もいない。畑に立つのは形ばかりで、生業は別にあるのだ。他ならぬリョーニャ自身がそうで、ここでは村の委員ではなく、委員たちを見張る立場だ。そして。

 考えるのに飽きた頃、家が見えた。窓の灯りがありがたい。近づくと、窓のカーテンが動く。俺の足音には特徴があるから、女房はすぐに気づく。二人で決めたように戸を叩くと、すぐに開けてくれた。中に入ると、三つになった息子が歓声を上げて飛びついてくる。笑って片手で抱えあげ、食卓の子供椅子に降ろす。感謝の祈りの後、ウオッカを二杯飲む。女房は息子の世話で一杯のワインを飲む間もない。いつもの夕食だ。


「あれから、村の委員さんが来たわ。幼稚園に受かったって」

「そいつはすごい。もう一杯飲んでいいかな」

「それから手紙も」

 封筒の表書きは、アレクセイニコリスク村のレオニード・セルゲーヴィチ・カーメネフ。間違いない。差出人は、スターリングラードの野戦病院で別れたピオネール同期の軍医だった。

「え」

 彼は戦死した筈だ。毎月、彼の遺児に送金していて、未亡人から返事も来ている。もう一度見直す。彼が書いた字に見える。

「どういうこと、リョーネチカ」

 返事をせずに封筒を開ける。中の手紙を読んでリョーニャは驚愕した。





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