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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
18/31

2 東京


占領下日本、東京都新宿区、下落合


 小野寺信と山崎巌は小山勇吉の後に続いて近衛邸に入った。今年は稀に見る暖冬だという。庭内の梅は満開どころか散り始めていた。袢纏を着けた若い衆が箒で掻き集めている。

「少し減らしたかな、三代目」

「はい。もう三週間ほどもありません」

 刑執行が済むと、それまで続いていた落書きや物の投げ込みは激減した。熱くなりやすく冷めやすい国民の関心は今、講和条約の条件にある。

 客間に入ると、すぐに用件に入る。小山が経緯を話す。

「うちが扱う現金、売上が著しく増えていまして」

「前にもあった。GHQ特務の協力者だったが」

「それだけではないようです」

 近衛文隆が言って、書生の生嶋が氏名と数字が書かれた用箋を差し出す。小野寺と山崎の顔色が変わった。

「これだけの現金が動いているのか!」

「はい」

 連合国軍の駐留にかかる経費は日本政府が負担し、終戦処理費として計上された。昭和二三年度予算は一千六十一億円と昨年度の倍、一昨年の三倍である。内訳は兵舎・宿舎の建築費や燃料、兵隊への諸手当、日本人労働者の給与などだ。これに用地買収や電気水道など総理庁や各省庁の関連経費を合わせると、歳出総額四千六百二十億円の半分に近い。国内で消費されるから景気牽引の効果もあるが、額が大きくインフレ圧力の方が大きい。


 小山機関は、駐留する将兵が多い東京、横浜、名古屋、大阪など都市部でのインフレーションをいくばくかでも抑制するために始まった。的屋を組織化し、闇市の暴力団や愚連隊を駆逐して青空マーケットを管理下に置く。地方の番屋と連絡して農産物や生活必需品の供給を安定させ、価格上昇を軽減する。すなわち、農林省や商工省、運輸省の現場、農家や工場倉庫の出荷を按配し、鉄道・トラック輸送と連結していた。

 旧来の的屋では需要と供給、物流の計算や線表の管理は手に余るから、面接して失業者を雇った。荷降ろしや配送の現場でも人手はいる。食事付きの宿舎を建てた。また、米兵相手の女や酒の商売に博徒を介在させ、米兵向け価格を操った。無駄使いをさせるために賭場も黙認している。兵隊の金が日本人の必需品、商店に向かわないようにだ。

 堂島組をはじめとする小山機関のフロントが扱う現金は大きい。マーケットや宿舎の場所は区や市が無償で提供するから、テラ銭や部屋代はそのまま収益だ。組や会に配分された残りは近衛機関に送られる。経理・管理要員も雇うようになると、宿舎も安普請の板壁長屋だけではなく、国土局推奨の鉄筋コンクリート造りとなった。家賃は高いが、妻子と同居できる。一度、モデルケースができると、他の的屋やフロントにも伝播する。番屋の状況と同じだ。

 雇用した失業者は多大で、全国では数十万人にも及ぶ。元来が的屋だから親分と子分の関係だ。政府は、復員兵ら失業者を国鉄をはじめとする国有企業や公社の現業部門で吸収しようと考えていたが、労働争議の懸念がない選択肢ができた。解雇も多いが、全国規模で次の就職先が斡旋される。市区から公設職業斡旋所を受託するようになった。



 小山機関は、都市部の現物市場と米兵の消費動向とを把握できる立場にあった。通常は総額だけだが、指示すればある程度の詳細も分かる。今回は、食料品や必需品の売上はさほど増えていない。米兵の散財は増えているが、顕著というほどでもない。顕著なのは日本人向けの贅沢品だった。高級商品や食堂・酒場の高額メニュー、それに料理屋の売上は三倍ほども伸びている。しかし、出入りする客が倍増したわけでもない。つまり客単価だ。羽振りの好い日本人がいる。

「キャノン少佐に雇われた者たちです」

 近衛の言葉に、山崎は息を呑んだ。

「抜かった。ふぅ・・・原資は」

「はい。ついに手をつけたようです」

 近衛機関もまた大金を扱っていた。貴金属や美術品、株券・地券・債券などの有価証券で、小山機関から上がる現金とは桁が三つも四つも違う。連合軍が占領後に没収、強奪した貴金属や美術品は膨大で、戦時賠償として申告、登録されたのは一部に過ぎない。GHQの経済科学局長は着任当日に日本銀行に直行して地下金庫を封印したが、同時に、行方不明となった金塊や宝石類も多い。

 それらは南方占領地の軍政用に準備されていた軍票発行のための見せ金だった。表面だけが純金で重量を調整した低品位の合金塊と福島県で採掘されたジルコニアの模造ダイヤは、日本軍の武威と日銀の刻印によって通用させるもので、敗戦した今は処分されなければならなかった。

「クレーマー大佐はデパート王で資産家だ。承知だろう」

「最初から表で使うつもりはなかったのだ」

「ESSも他もそんな大金は不要だ」

「回りまわってG2特務の軍資金になったのか」

 はじめは経済科学局の周辺に網が張られる。初代局長が帰国すると、仲の良かったノーマン少佐の民政局まで広げられた。実際にケーディス大佐ら民政局高官の周囲で多くのダイヤが確認される。しかし、金塊の所在はまだ判明していなかった。嵩張って重いから愛人へのプレゼントには向かない。


「まだ熔かされていないか」

「実業家や政治家なら刻印のままの方が都合がいい」

「無論、こちらが表沙汰にできないのを知っている」

「見せ金として使われているのですね」

「それが本来の用途だ」

 小野寺は大きく頷いた。そして、名簿を見る。氏名の横に素性・所属があり、中堅財閥と傘下のアルミニウム大手の管理職、大蔵省の官僚、議員の所属政党名が記されている。

「大正電工か。林財閥は四四会には入れていない」

 近衛が頷く。宇垣首相の主導で結成された大手財閥の信用決済会が四四会だ。占領下での国内経済封鎖、政府・帝室資産の凍結や没収、予算監視と歳出制限、貨幣発行の制限は予測されていた。大企業の現金決済を極小化して庶民経済を安定させるに過不足ない貨幣を回す案が出される。およそ十の財閥を統制すればそれは可能だった。経済学者は、避けられないインフレーションを緩和するには有効だと判定する。新円発行や財閥解体、公職追放を示唆して説得した。

 四四会の会員企業は従業員への給与以外での現金決済が禁止された。操業に必要な原材料の調達や設備投資は保有資産の加算減算で行う。有価証券の他に、土地建物、古美術・骨董も評価に算定され、財閥資産の売買や調達のための四三会もある。近衛は、四三会の筆頭理事として帝室資産の古美術、骨董や建築物などを供給する立場であり、また四四会の幹事として財閥の資産評価と運用も監視していた。



「大正電工の主力工場は川崎市ですから復旧優先順位は低い。それで焦ったのでしょう」

「復興金融金庫から融資を受けるための贈賄か」

「なぜキャノン機関が」

 ジャック・キャノン少佐は米太平洋陸軍司令部から一貫して優秀な情報将校だ。反共・反ソの信念も強く、同じドイツ系のG2部長ウィロビー少将の信頼は篤い。ソ連シンパや共産党員の取り調べには容赦がないが、それは専らOSS出身の機関員によるもので、少佐自身にそれほどの野心はないはずだ。

「キャノン機関『だけ』ではないとしたら」

「あ、CIAか」

 今、日本にはG2傘下だけでも複数の情報機関があり、GSやCCS、CIEも独自の情報部を持っていた。加賀によると、占領終了後はCIAに吸収、統一されるらしい。ウィロビーは信用するキャノン少佐を残したいだろう。要するに、どの機関や機関長が生き残れるかの手柄競争が始まっている。それは、日本での活動はおいしいということだ。

「これからさらに激しくなる。放ってはおけない」

「仕込むしかありません。この先に無害化できるように」

「異論はないね」

 これまで竹垣機関はGHQの特務にはなるべく触れないようにしてきた。だが、この先、有害になりそうな者たちを排除し、こちらの情報員を潜入させるのならば、直接の接触は避けられないし、衝突もあるだろう。その影響は政府や議会、河辺機関や省庁の出先にも及ぶかもしれない。


「首相に決断を仰ぐ。ここでも調整はしておこう」

 山崎の裁定に全員が頷いた。

「うちと三代目はG2特務とGSの日共機関に専念したい」

「それはいいが、この件はどうする」

 もともと、キャノン機関の日本人協力者の監視は大川機関の担当だ。しかし、いくら給与をもらって、どう使ったまでは追っていない。責任者の山崎は自責の念にかられていた。

「キャノン機関の無害化は最優先です。しかし、事件の方は関係者が多岐にわたり、正直言って手に余ります。うちは表に出れない」

「応援を出す。立件までは近衛君が指揮権を持っていい」

「それはありがたい。是非お願いします」

 近衛の返事を聞くと、山崎は小山に向かって問う。

「四十人でいいかな。頭に捜査二課長をつけよう」

「幡野警視ですね。感謝します」

 小山は深く頭を下げた。

「河辺さんやG2との調整は引き受ける」

「小野寺君、この名簿にあるGS幹部だが」

「もちろん、G2には明かしません。名簿の存在も」

「それで納得するかね、向こうは」

「G2幹部の中に、GHQ内のアカとシンパを専門に追っている者がいます」

「ほう。用意周到だね」

 小野寺は山崎に向い直った。

「ところで、警察はGHQ幹部を立件できない。そうですね」

「無論だ。まして、今は講和直前」

 小野寺は全員を見回す。

「考えがあります」





千代田区有楽町


 アイオイ少佐はGHQビルの最上階にいた。いい居心地ではない。ここは将官と佐官専用のバーで、出入りできるNISEIはアイオイしかいない。尉官用のバーの方が気楽だ。滅多に来ることはないが、今夜はウィロビー部長と会うために来た。

「こんばんは、アイオイ少佐」

 声をかけられて振り向くと、新聞記者が二人立っていた。ニューズウィーク東京支局長のパケナムと、本社外信部長のカーンだ。

「一緒によろしいですか。ウィロビー少将に呼ばれて来たのです」

「どうぞ。将軍はまだのようです」

 ボーイが椅子を配置し、二人は飲み物を頼んだ。

「なかなかの眺めですね。少佐が来られてから灯りはだいぶ増えましたか」

 カーンは言いながら、アイオイに細巻きを勧める。一本もらうことにした。火を点けながら質問の意味を考える。直球だ。

「確実に増えています。しかし、まだ細く弱い」

「なるほど。なかなかですね」

 カーンは目を細めて言った。まずは及第点だったらしい。

「少佐はどちらがいいと思いますか。増やすべきか、それとも太くすべきか」

「それはGSの仕事です。わたしは門外漢だ」

「が?」

「どちらがいいというより、どちらが先かの問題かもしれません」

 ヒューとパケナムが口を吹いた。お行儀のいい仕草ではない。しかし、カーンは嬉しそうだ。

「聞いてください。沖縄と広島を回ってきました。ご両親は広島の出身で、少佐もKIBEIでしたね」

 今度は変化球だと、アイオイは気を引き締める。



 ウィロビー部長は大股で入って来た。明らかに興奮している。いや、怒っているのか。立ったまま、じろりと三人を見渡すと口を開く。

「最高司令官が解任された。たった今だ。馬鹿げている!」

 アイオイは立ち上がった。





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