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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第3章 1948年
17/31

1 ワシントン


アメリカ合衆国、首都ワシントン北西地区16番街


 カールトンホテルの貴賓室では四人の男たちが会合を開いていた。新年の挨拶を交わした後、ユゥジーン・ドゥーマンがケナン=ドレーパー・ミッションの結果を報告する。昨年、対日講和予備会議と米英外相会談を経て日本占領の早期終結は決定的となっていた。しかし、講和条約の内容、特に軍事的条項に関しては現地の連合軍最高司令部と詰める必要があり、国務省はケナン政策企画室長、陸軍省はドレーパー次官を派遣する。一行はクリスマス前に帰国していた。

「ドレーパー少将からグルー代表に書簡が届いています」

「ほう。それはいい。吉報だね」

「はい。終始、友好的で協力的だったそうです」

 それまでの幾多の訪日団の教訓から、最高司令官に対しては議論を挑むのではなく相談を求めるようにアドバイスしてあった。

「ケナン室長も穏やかだったといいます」

「彼も変心したか」

 会談一日目、マッカーサーは日本占領の意義と成果、対日平和条約とソ連の対応、日本の将来性などを滔々と論じた。ケナンとドレーパーはひたすらに良い聞き手に徹する。二人は、大仰に目を見開いて深く頷き、一つ一つ相槌を打った。一方的な長広舌を二時間以上も聞いた後、二人は言う。見識豊かな元帥に相談したいことがある。是非、もう一度、時間を作ってほしいと。

 二回目は、冒頭に国務長官名義の見解書を提示した。マッカーサーは機嫌好く自論を述べた後、見解書の問題点を指摘し、さらに二人のこれからの行動指針にまで言及した。二人はまた目を見開いて深く頷く。二人で三十分ほど発言することができた。

 三度目は、修正した見解書を手渡した後に始まった。マッカーサーは一瞥した後、嬉しそうに微笑む。すべては彼が望んだように書き直されていた。ケナンが手土産のオールドクロウリザーブを差し出すと、従兵が持って来たグラスに自ら注いでくれる。乾杯の後、二人は心配ごとを打ち明けたのだという。


 国務省の見解書には三つの課題が記されていた。①太平洋地域における米国の確固たる安全保障政策および外部からの軍事的脅威に十分耐えうる日本の防衛力、②経済復興のための有効な計画、③日本政府の独立準備と自己防衛の自覚である。

 一つめの太平洋地域の安全保障については二国間平和条約と多国間軍事同盟を軸にする。すなわち、日本は米日をはじめとする個別平和条約を各国と締結し、同時に地域での集団安全保障条約も締結する。東北アジア条約機構、North East Asia Trity Organizationが構想されていた。

 NEATOに参加するには自国の軍事力を差し出す必要があり、すなわち日本の再軍備を意味する。しかし、日本の防衛力、特に海空軍を整備するには相当の年数がかかり、また周辺国の警戒をも招くから工夫が必要だ。国務省と陸軍省は米軍の限定的な駐留継続を主張し、マッカーサーは基地の多国間使用で代替できるとした。どちらも併記された。

 二番めの日本の経済復興は最大の懸念だった。ケナン自身は五年以上かかると思い込んでいたから、占領終結は過早と感じる。マッカーサーは封じ込め理論との矛盾をついた。世界には四つの先進工業地域があり、日本はその一つだ。日本工業の復旧がない限り、封じ込め理論もまた成立しない。一体、日本産業の早期復興は可能なのか。二人はアドバイスに従って、訪日中の経済調査団と面会した。



 クリフォード・ストライクを団長とする戦時賠償調査団は、日本の経済復興の可能性から戦時賠償の能力を判定することを目的としていた。ストライクはエンジニアで開発コンサルタント会社社長、工業開発・軍需生産の専門家であり、開発公社の総裁としてニューイングランドの鉄鋼業などを成功させていた。

「ケナン室長の懸念をストライク団長は一笑したそうです」

「つまり、我々は間に合ったのだな」

「はい」

 戦略爆撃による破壊と戦後の現物賠償によって、一見、日本の基礎産業は灰燼に帰したように見える。だが、実際に調査すると違う。破壊されたのは個々の設備であり、原材料と加工場の地勢には変わりはなく、すなわち物流を再生すれば操業は可能となる。中国が戦時賠償として持ち去ったのは工作機械に限定されていて、むしろ、施設や設備を一新する絶好の機会だ。

「ストライクはマッカーサーから示唆されていたのだな」

「それは日本に入る米国使節の儀式であります」

「あっはっは」

 公職追放と財閥解体が徹底しなかったおかげで日本の産業は速やかに再生できる。技術者と経営者の替えは効かないのだ。ストライクはケナンに語った。日本政府は国家予算を質に入れて米国資本を導入する道を開いた。誘われている。

「ストライク団長は戦前のアジア経済を強調しました」

「それだ」

 米国の納税者の負担を最も軽くするには、東南アジアを原料提供者とし、日本を工業製品供給者とすべきだ。ストライクはそう結論付けて、ケナンを驚かせる。最後に、戦時賠償の規模は大いに縮小すべきだと断じた。


 真顔に戻ったフーヴァーが三人を見回す。

「もちろん、最高司令官の尽力には報いるべきだが」

「はい。しかし、FDRが四期も続けたせいで、共和党には候補があふれています。指名を取れますか」

「たしかに、多過ぎるな」

 フーヴァーらを筆頭とする共和党右派は中西部や西部を地盤とし、オハイオ州選出のロバート・タフト上院議員を大統領候補として推していた。一方、東部の共和党穏健派はニューヨーク州知事のトマス・デューイでまとまっている。共和党の大統領候補は七月の全国大会で指名されるが、それまでは各州の予備選挙や党大会があって浮沈が激しく、州独自の候補も登場するから予断できない。タフトやデューイでも上位を取れないのだ。

 フーヴァーは早く一本化すべきだと考えていた。一昨年の中間選挙で大敗した民主党とトルーマンは思い切った策をとって来るだろう。昨年から民主党内部を締め付けているという。分裂を恐れているのだ。トルーマンは、更迭したウォレス副大統領を担ぎあげて新党を結成する動きを潰した。そこには妥協と譲歩があった筈だ。たとえば、党内がまとまる人物を大統領候補に掲げて自分は副大統領に下る。

「それに対抗するカリスマがタフト氏にはない」

「デューイ氏はウォレスより穏健だ」

 共和党内にはスタッセンやヴァンデンバーグなど主張が鮮明で、状況によってはカリスマを発揮できる人物が列をなしている。一九四〇年の党大会の再来があり得た。

「ウィスコンシン州の予備選挙に登壇してもらいましょう」

「四月なら大丈夫だろう。ウッドやフェラーズは何と言っている」

「任務終了までは一時帰国もしないそうだ」

「それは」

 四人の頭の中に民主党に敗北する未来が出現した。





マサチューセッツ州エセックス郡ハミルトン


 早朝、一団がクラブハウスを出発した。まず、ハントマンが率いる十数匹の猟犬の群れが門を出る。騎馬の先頭はフォックスハウンドのマスター、赤い狩猟コートを着た一団の長である。セクレタリーら役員の後に、黒い狩猟コートのクラブメンバーが続く。ベンとアンは後の方だった。二人は招待客だから赤いコートで襟が黄色だ。招待してくれたウィリアム・カーヴァーは元マスターで、ハントボタンの赤のコートにメダルを付けている。子供たち、エドとボブは紺色のコートでポニーに跨っていた。

 一帯は起伏のある田園地帯だが、今は一面の雪景色だ。今日は二キロほども遠出するらしい。道路を二回横切り、林の中に入った。二列になって木立の中を進む。トレイルは整備されてあるが、除雪した雪は両脇に積まれていて、道を外すと危ない。アンは遅れがちだった。

「スポーツなんだよ。ほんとにキツネを狩るわけじゃない」

「そうなの。狩った後、BBQするのかと思っていたわ」

「そのジョークはだめだ。言わないでくれよ」

 林を抜けると広い丘陵地帯だった。両端に向けて傾斜していて、茂みも川もあり、狐穴は多そうだ。秋の感謝祭では本当にキツネを狩るが、冬は見立てだけだ。犬たちに続いて丘や林を駆け抜け、乗馬を競う。立ち木を避け、小川を越えるから、そこそこの馬術が要求されるが、大きな跳躍までは必要ない。

 中央はほぼ平坦で雪も浅かったから、全員が思い思いに乗馬を楽しむ。エドとボブもポニーを走らせていた。カーヴァー氏は二人が中央に留まるように回り込んでいる。ベンは、乗馬がまだ下手なアンにつき合いながら、時々子供たちに目をやった。


 突然、犬たちが一斉に駆け出し、角笛が吹かれた。狐穴が見つかったらしい。メンバーたちも後を追う。一群がカーヴァー氏と子供の間を横切った。カーヴァー氏が叫ぶ。

「エドが見えない。あっちだ」

 左手の林に駆け込むポニーが見える。

「メアリー、ボブを頼む」

「わかったわ、ジョン」

 ベンはカーヴァー氏の後を追う。


 すぐには追いつけなかった。ベンは思い出す。エドはグロトン校で乗馬部に入った。ポニーは小柄な品種であって仔馬ではない。その森の中にはトレイルはなく、雪は積もったままだった。大小二つの蹄の跡が二手に分かれていて、ベンは愕然とする。エドのポニーは木立を真っ直ぐ抜けていたが、大人のカーヴァー氏と馬には枝が低く狭すぎて通れなかったようだ。ベンは頭の中に一帯の地図を描き、西の道路から先回りすることにした。



 ようやくポニーの足跡が見つかった。森から出てすぐの道路を横切り、石垣を越えた先の平地に続いている。跳躍したのかと感心しながら、ベンは馬を降りた。私有地だ。三階建ての大きな邸宅の広い庭にエドはいた。乗馬したままだ。静かに近づく。

「将軍」

 エドの呟きに、ベンは家の方を見る。太陽を背に一人の男が立っていた。乗馬ズボンに磨き上げられたブーツ、軍服の星は四つ。将軍に違いなかった。微笑んでいるように見える。ベンは一礼すると、ポニーの手綱を引いて庭を出た。


 ベンは言い聞かせる。

「エド。今のことは誰にも内緒だ」

「え、秘密。ボブにも?」

「言えばまたここに来るだろ。二人で」

「うーん」

「卒業するまでだ。その後は自分で決めていい」

「わかった。二人だけの秘密だね」

 それから、エドは駆けて来るカーヴァー氏に手を振る。



クラブハウスでの午餐が終わると、ベンとアンは帰路についた。

「あの時、何かあったでしょう」

「さて、知らない」

「秘密を作ったわね」

 学校が冬休みの間、ベンとアンは子供たちに会いに回っていた。アンは一緒に想い出を作ると言い、ニューヨークではタイムズスクエアのボールドロップを見に行く。しかし、ベンには別の考えがあった。秘密を一緒に作るのだ。国連ビルの予定地に名前を刻んだ黒い岩を埋める。シカゴでもノーフォークでもそうだった。

「ねぇ、まだ六人よ」

「あと何人ほしい」

「首領に副官に会計屋と法律家、一つのファミリーに四名。四つで十六人」

「それではファミリーをまるごと抱えてしまう。危険過ぎる。重要なのはビジネスに対する影響力、そう言ったのは君だ」

「そうだった、かしら」

「歯がゆい気持ちはわかる。でも、焦ってはだめだ。君の最初の計画どおりにいこう」

 アンはしばらく黙り込む。考えているらしい。

「内輪揉めは放っておけばいい。誰が首領になっても会計屋か法律家は必要だ。たった二年で六人、ギフテッドはまだまだいる」

 アンが煙草を取り出した。真面目に話を聞く気になったらしい。

「自分で育てようとは思わないでくれよ」

「よくわかるわね」

「じっくりやろう。計画は完全だ」

 アンは深く紫煙を吐いた。

「いいかい。僕らは最大の関門を抜けた。想定より何年も早くね」

 最難関は貴族社会だった。合衆国憲法第9条8項は貴族を禁止していたが、現実には存在する。



 アメリカンドリームは、独立宣言書に記された通り、勤勉と努力によって勝ち取ることができる。顕著な功績を遂げた学者や官僚、巨万の富を築いた実業家らは無条件で上流社会に入れる。しかし、上流社会の成員でも入ることができない最上層の社会が存在した。アメリカの最上流とは、植民地時代から続く家系で、独立するために英国と戦い、南北戦争の戦場でも勇敢な士官として振舞った、そういう一族である。Old moneyと呼ばれる彼らは、財力を失くすことがあっても、政治力と社会的特権が奪われることはない。すなわち貴族だ。

 最上流社会に入り込むのは非常に困難だ。古い家系だから親族縁戚は多く、おいそれとは偽装できない。身元調査のために探偵事務所はあった。金で取りこんでも、色仕掛けで結婚を強いても、うるさい兄弟姉妹や目敏い親族はいる。よしんば、入り込めたとしても初代に影響力はない。子や孫の時代まで待たなければならない。成功したNew richでもそうなのだ。

 しかし、不可能ではないと、私立探偵ベンジャミン・ポールは知った。養子縁組である。子供が健在で跡継ぎがいたとしても、富裕層の夫婦は身寄りのない少年少女を引き取り、自分らの子として養育する。それは崇高な社会的、人道的な使命であって、実子も親戚も口出せない。そう、子供を送り込めばいいのだ。


 マサチューセッツ州のカーヴァー家の子なら、それだけでエドとボブは注目される。さらに父親がマイオピアハントクラブのマスターで、グロトン校卒業なら間違いなかった。目的はカーヴァー家を乗っ取ることではなく、財産でもない。ベンとアンが最上流社会に入りたいわけでもない。エドとボブを通して貴族たちに影響力を駆使できればいいのだ。だから秘密を作っておく。

 最初の秘密は、エドとボブがボストン南部の救貧院にいたことだ。アンが面接し、オランダ系プロテスタント教会の付属孤児院に入れた。さらにベンがプロテスタント聖公会の施設に移して、それからニューイングランドの富裕層を訪問する。そうして、エドはエドワード・カーヴァーに、ボブはロバート・カーヴァーになった。






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