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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第2章 1947年
12/31

3 長春


中華民国、満州自治邦、長春市吉野町


 宮沢、成田、日笠の三人は日本橋通りの料理屋の座敷で飲んでいた。三人が新京に帰宅したのは一昨日だった。義勇日本兵四十万人を復員させ、残る十万を中国陸軍蒙古軍司令部に引き継ぎ、奉天の兵站司令部を閉鎖したのが先週末である。蒋介石は約束を守った。内蒙と外蒙は蒙古自治邦に統一され、東北三省も満州自治邦となった。ただ、新京市の呼称は、新は清や真などの国名を、京は国家の首都を連想させるとして拒絶された。

「ま、ともあれ、おめでとう」

「乾杯」

 ふだんは洪熙街や南長春駅前で飲んでいる三人だから、料亭の料理や酒は格別だった。しばらくは飲み食いに熱中する。

「結局、ソ連は宣戦しなかったな」

「完全勝利を期していた蒋介石は失望」

「完勝とは、満州と蒙古か」

「いや、新疆から攻め入るつもりだった」

「それは強欲な」

 これまで、新疆動乱時に領外へ避難する住民の中には中国工作員が紛れ込んでいる。ソ連中央アジア軍が新疆に侵攻する時、その背後で蜂起できるように画策していたのだ。ところが、中央アジア軍は新疆ではなくアフガニスタンに侵入し、中国陸軍新疆軍はアジア横断鉄道の防衛を優先した。

「流石はジューコフ、戦略眼は確かだ」

「放送の中止を進言したのも彼のようだ」

「ヴァシレフスキーは解任」

「ヴィシンスキー外相とベリヤ内相も失脚した」

「今回の紛争はクレムリンの勢力争いだったか」

 ジューコフは窮地を救ったのだと、三人には思えた。しかし、当の本人はモスクワに戻ることはなく、後任の極東軍管区司令官に着任した。

「結局、スターリンの独裁は健在だ」



 三人の話題は日系人のこれからに移る。日系中国人は満州と内蒙古に合わせて百五十万人。今回の紛争でも義勇日本兵は活躍し、中国内での立場を不動とした。だが、この先を考えると課題は多い。

「満州自治邦と蒙古自治邦は対ソ最前線、十万の常備兵は必然だ」

「まずは男女の人口比か」

 もともと兵隊の残留を募ったのだから、二〇代、三〇代の男性が圧倒的だ。現地中国人との結婚を望んだ者はとっくに結婚しており、いまだに独身の者は日本人とを望んでいる。

「日本の独立は来年中にも実現しそうだ」

「中国人に警戒させないためには、花嫁だけか」

 五十万の義勇兵は蒋介石の条件だ。退役した彼らが中国に残って子を成すことも承知の上だろう。二子として百万だから、中国内の日系人は二百五十万でも許容される。しかし、三子以上や他の残留家族のことを考えると、日本からの大量移民は考えものだ。十年もかからずに倍増して三百万を超えれば、中国人も冷静ではいられない。

「甘粕さんは心配していないようだが」

「あの世代では人口イコール戦力で国力だ」

「今だってそうだ。生産力であり購買力でもある」

 中華民国の総人口は五億だから、三百万になったとしても一パーセントに満たない。だが、百五十万で常備兵役を十万も出し非常時には五十万、学生以外は就労して全世帯が納税している。それは漢族数千万人に匹敵した。賢明な蒋介石はそこに気付いた。兵隊だけでなく、経済的・社会的に中華民国の建設発展に貢献できると。しかし、本土におけば現地人の嫉妬に潰されるから、居住は外省に限るとした。




【1947年8月の東アジア】

挿絵(By みてみん)




 本土以外においては、俄然日系人は有力となる。興安を分離した満州の人口は四千万、興安を合わせた統一蒙古が五百万、新疆は四百万である。

「満洲族が一千万人、蒙古族は二百万人、回鶻族が三百万人か」

「ここは考え所だな」

「そうなのだ。ろくなことにはならない」

 日系人があまり有力になれば、自前で自治邦を建てろと言われかねない。それを三人は心配する。中国が広いと言っても本土はすでにいっぱいだ。満蒙疆はやっと自治邦となったばかりで、日系人に土地を分けろとなれば揉めるし恨みも買う。

「西蔵や青海ならまだしも」

「下手すると緬甸や仏印、朝鮮もあり得る」

「冗談じゃない。千載に禍根を残す」

 満州を主とし、蒙彊にも散在することが得策と思えた。

「新京に集中するのも避けたいな」

「となれば、職だ」

 兵隊以外では、鉄道と鉱工業の技術者、新京と奉天の在が過半である。居所を散らばすには就職先も散らばす必要があり、それは新規労働者から始まる。要するに、高等教育の所在と学科も分散させるのが戦略的だ。旧満州国には建国大学を筆頭に十一の大学と二百近い国民高等学校があって、学制を改めて存続していた。日本人向けに限っても、その数も内容も十分である。

「せっかくの米国資本の進出を活かさぬ手はない」

「事業や起業を教えるところが欲しい」

「拓務訓練所を農業高等専門学校に改組して開校した」

「移設する旅順工大と大連経専に経営学部を開く」

 関東州にあった旅順工科大学と大連経済専門学校は、それぞれ吉林と四平に移設になったが、校名はそのままだ。同じく、旅順医専と大連女子医専では小児科と産婦人科が強化された。乳幼児の病死・事故死を減らすことができれば、成人が倍増する。



「残るは独立日本との関係」

「日本保守党の綱領草案はしごくまともだ」

「竹垣のねらいは保守党同士での政権交代」

「国家百年の計か」

「保守主義によって国民を米英サイドに誘導する。良策だろう」

「教育方面も踏ん張っている。リベラルが蔓延らぬように」

 リベラルは自由主義であり共和主義と並ぶ米国の伝統だったが、社会主義を志向した民主党の政策によって、保守主義と対立するアイデオロジーを指すようになっていた。最近の米国では、共和党と民主党の対立は保守とリベラルの対立と理解されている。三人は超民主主義や社会民主主義、革新主義と認識した。

「興味深いな。日本進歩党が掲げた進歩主義は、米英では革新主義と同義だ」

「げふん」

「米英との一番の違いは地方自治だ」

「日本は中央から地方へ。あちらは地方から中央へ」

「いや、隣組や自警団は英国の隣保制度の輸入でもある」

「英国の公安官や米国の保安官は伝統だ。伝統によって確立した慣習法の体系がコモンロー」

「そのための番屋だろう。定着すれば」

「違いはあって然るべきだ」

 そこで、三人は互いに見合って口を閉じる。

「こんなところでいいか」

「うん。こればかりは日本にいないと、な」

「どう転ぶかは、まだまだ先だ。わからん」

「それに、自治邦に外交権はない」

 酒盛りが再開された。

「あれだ。われわれはいるだけでいい」

「日本はずいぶんと早く進歩できる」

「そういうことだな」





【1945年 チェコ共産化前の欧州】

挿絵(By みてみん)



 別の座敷では飯島と半田、それにアンドルーズの三人が日本酒を飲み交わしていた。緋毛氈が敷かれてテーブルと椅子が持ち込まれている。アンドルーズは燗酒を湯呑みで飲むほどメートルを上げていた。

「チェコスロバキアの赤化があまりにも早かった」

「連合国はドイツからソビエト連邦への直通の回廊を失った」

「そこへオーストリア分割か」

「ソ連は西側との全国境に緩衝国を置くことに成功した」

「二国を経ないとソ連に達しないのか」

 最初は飯島も半田もその重大性に気が付かなかった。アンドルーズに強調され、頭の中に欧州地図を思い浮かべてやっと理解できた。それはソ連へ侵攻しようと考えた場合に決定的となる。ソ連は東で外蒙を失ったが、西の防衛を堅くした。本来はもっと前、チェコスロバキアの共産化こそ未然に防ぐべきだった。

「三年前に警告した軍人がいます」

「まさか」

「米国のジョージ・パットン将軍です」



【1947年8月 オーストリア分断後の欧州】

挿絵(By みてみん)






 石川は、さらに奥まった座敷で渡辺と飲んでいた。石川は哈爾浜副支店長に、渡辺は長春本社事業本部長に、それぞれ栄転が内定した。

「参謀も軍団司令官も、中央アジア軍から連れて来た者たちです」

「司令部を刷新したジューコフはまず軍編制か」

「攻撃目標の変更でしょう。二度も失敗した今、もはや牡丹江はない」

「清津だな。ソ連は今、米国との交渉を欲しているか」

「この先、そういう状況が起きるかと」

「ジューコフにも時間は必要だ。いつ、どこだ」

「二年後、中東」

 渡辺は目を細めた。頭の中に地図を描いているのだろう。結果が出たばかりだから東と西はない。南が中東だが、国境を接するアフガニスタンかイランとは限らない。むしろ緩衝を挟んだところ。

「大シリアか、魔女の大釜だぞ。くわばら、くわばら」

「英国もチャーチルも忙しくなります」

「げふん、げふん」

 渡辺がむせた。石川は盃を置く。

「何か」

「そのチャーチルがオランダにいい顔をした。そして、蒋介石が英国の懇願を容れた」

 なんのことか、にわかにはわからない。


「華僑が多いシンガポールをマラヤ連邦から分離し、スマトラの英国権益を譲るそうだ」

 それを条件に蒋介石は軍を派遣すると、渡辺は言う。激しい独立戦争が続く蘭印について米英支蘭四国で秘密会談が行われ、国連軍派遣によって主要四島分割独立を強行すると決定した。各国は分担して軍を派遣するが、英軍はスマトラ島とボルネオ島を担当し、中国軍はシンガポールを担当する。

「満州自衛軍も義勇日本軍も派遣は断った」

「当然です。外交は中央政府の専権事項だが、満州自衛軍の指揮権は自治邦政府にある」

 渡辺はうんうんと頷き、そしてにっこりと笑った。

「来週、シンガポールに出張するから同行してくれ」

「なぜです」

「ビジネスだ。中国軍本隊に先立って現地情勢を調査し必要な情報を収集する」

 石川は考える。たしかに義勇警備保障株式会社は民間軍事会社であり、中国政府と軍が一番の顧客で、先行偵察や後方兵站も請け負っていた。渡辺は第二五軍の参謀副長兼軍政監部総務部長だったからマラヤや蘭印の情報収集には適任だ。しかし、石川は東南アジアには行ったこともない。なぜだ。渡辺の答えは簡にして明だった。

「業務命令」



【蘭印独立戦争】

国連軍派遣、各国分担の構想

挿絵(By みてみん)



 ここ数日は日本にとって特別な日だ。二年前、樺太と満州にソ連の侵攻を受け、広島に原爆を投下され、ついに大日本帝国はポツダム宣言を受諾して停戦した。満州の日本人は六日の夜明けから米を食べない。昼食を抜く者、酒を断つ者も多い。八日の日没が過ぎてから米飯を食し酒を飲む。今夜の吉野町は多くの客で賑わっていた。

 石川は小用にたつ。出張はいいが、すっきりしない思いは残った。なぜ義勇日本軍がいまさら東南アジアなのか。独立後の日本の進出の露払いか。屋留だったらなんと解くかな。なぜ帰ってこない、弁護側反証は終わったと聞いたが。

 大笑いが便所まで響いてくる。その哄笑には聞き覚えがあった。突然、胸にもやもやとしたものが湧いてくる。河本大作には意趣があった。石川はその座敷へと向かう。





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