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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第2章 1947年
11/30

2 東京


占領下日本、東京都麹町区永田町、首相官邸


 首相官邸二階の大客間で与党、日本進歩党の幹部勉強会が開かれていた。幹部会に先立つ講演会の講師は錚々たる学究たちだったが、顔ぶれが多彩過ぎて、党総務委員の斎藤隆夫には宇垣総裁の意図が理解できないでいた。国史と東洋史学・哲学の都田左右吉博士の講演は日本の精神史と伝統に関するものだから、内容には不満があったもののまだいい。しかし、経済学者の津留重人博士は、今は経済安定本部の副長官だが、かつては共産主義者だ。人民戦線事件の有沢教授もいる。

 鶴見幹事長や太田政調会長の顔も困惑している風だ。党員以外の出席者がいるからだろう。元東方会の三田村武夫は席からして講師ではないようだが、これから進歩党に入党しようというのか。同じく赤尾敏も元議員だが、彼の思想はナショナリストというよりファシストで、うちの党是にはなじまないだろう。なにより町田副総裁が観念した様で目を閉じている。湯治で回復したというのに、また体に障るのではないか。案の定、町田副総裁は中座した。

 講演が済んでお茶が出ると、鶴見が切りだす。

「総理、今日は格別のようですが」

「うむ。お聞きと思うが公職追放の実権が日本政府に移った」

「あ。日本自由党の追放者が解除されると」

 なるほどそうかと斎藤も頷く。昨年の公職追放令では多くの議員が公職追放の指定を受けた。進歩党も例外ではなかったが、総裁はじめ百数十名が指定された自由党ほどではなく、過半数を維持できている。政権運営を憂慮した宇垣首相がマッカーサー元帥に懇願したからだとされていた。しかし、これから第二次の追放指定と共に、第一次の追放解除も始まる。その前に多数派工作で他党から移籍を誘うのだろう。その時、三田村や赤尾の影響力は大きい。


「ちょっと町田さんの様子を見て来る」

 そう言って宇垣総裁が離席すると、太田文相が咳払いをして話しはじめる。

「首相が恐れているのは社会主義者、社会党の伸張躍進です。GHQの政策は転換しつつある。世界を見ると、中ソ紛争やオーストリア分割を受けて保守主義が勢いを増している。英国ではチャーチルが首相に返り咲いた。これに対する反発や反動が来年の総選挙に影響すると」

「しかし、過半数に迫るとは想像できない。いざとなれば、反社会主義の一点で保守である自由党と連立も可能だ」

 幹事長の指摘に文相は落ち着いて答える。

「その保守だ」

「え」

「保守とは何か。米国でも英国でもきちんとしているが、日本では定義できていない」

 精確には定義に失敗したのだと、太田文相は言う。進歩党は進歩主義で、自由党は自由主義。どちらも西欧から移入した思想であり、保守と呼べるほど日本に定着しているのかと聞かれれば、なるほど、まだ新しいとしか答えられない。

「明治維新の失敗ですか」

 部屋の一角で咳きがして、見ると講師の面々が揃って首を振っていた。

「それまで明治のせいにするのは酷だ。議会も政党も作ったではないか」

「そうです。大正、昭和と、時間は十分にあった」

「不見識でした。われら政党議員の失策です。申し訳ない」

 鶴見幹事長が講師に向かって頭を下げた。

「では、自由主義や進歩主義ではないところに日本の保守はあるのですね」

「学問的にはそうです。さらに言えば、保守主義もやはり西欧の思想だ」

「しかし、日本でも保守主義の定義は可能なのです」

「総理は、何を議論し何を議論しないかを明確にせよと」



 斎藤は嘆息した。宇垣総理は来年の総選挙だけでなく、占領終結、独立後の外交までも考えている。米英の保守勢力、共和党や保守党との協調と連携だ。なぜ日英同盟が米国に脅威視されたのか、なぜ英国は日英より米英を選んだのか。共通する保守という基盤がない戦前の日本の外交は底の浅いものだったのだ。一方で、国際共産主義の拡がりは党員だけでなく学生や一般市民を基礎とした。今、ソ連は脅威となったが、この先、社会主義が共産主義に取って代わるのではないか。社会民主主義や民主社会主義と大同して大勢力になる可能性はある。

「どう保守を構想すべきか、教えていただけるか」

 鶴見の問いに講師たちは顔を見合せた。斎藤も驚いた。鶴見は東京帝大政治学科を卒業して鉄道院に入省した。英語に堪能で、新渡戸稲造や後藤新平の秘書として世界中を巡っている。米国で講演旅行もやっているし、国際会議で何度も各国の政治家たちと討論した。その鶴見が尋ねるのだ。尋常ではない危機感があるに違いない。やがて都田が立ち上がった。板書を始める。

「保守の歴史を述べる」

 そう言って、都田の二回目の講演が始まった。

「簡易に言えば、保守は守るべき伝統や行動規範という意味であります。自由や民主主義もその中にある。英米は共有する過去を持つが、米国は英国から独立したから、英米の保守は同一ではない。しかし、普遍性と伝統性から見て同等と見ていいし、彼らもそう思っている。保守主義の根源はフランス革命へのアンチテーゼです」

 世界で通用する普遍的なもので、昔からある伝統的なもの、二つの観点から、黒板に書かれた仏教、神道、国体の上に×が書き足された。


「国体もだめなのですか」

「曖昧なもの言いで争うから通用しないのです。立憲君主制や議会制民主主義が世界で通用する言葉です」

「しかし、歴代の天皇が」

「天皇の直接政治が定着した歴史はない。反論できますか」

「あ、いいえ、だめです」

「今上陛下には畏れ多いが、伝統とするなら普遍性はある」

「そ、そうなのですか」

「武士道もだめだ。武士の発生は平安の終わりで、国民の一割にしか通用しなかった規範だ」

「なるほど」

 自分の講演を終わると、都田は他の講師に補足を乞う。津留が立った。

「天皇制という単語がある。かつて天皇が独裁、あるいは悪政をおこなった響きがある。近頃は新聞も使い始めた。廃止すべきです。そのような歴史的事実はない。最初に使ったのは日本共産党、一九三二年テーゼの中だ。共産主義者の造語なのです」

 三田村がうんうんと頷いている。造語は事実の捏造を可能とする。津留は他にも適切に使われていない用語や単語を例示した。学問と現実を混同すべきではなく、学術用語は吟味されるべきだ。まとめを終わると、講師たちは退室する。

 斎藤は黒板に残された字句を書き写す。○印は議論の余地がないもの、△は保守を維持するために議論すべきもので、変化も含む。だが、これは歴史学だ。政治に活かすかどうかは政治家次第だ。



 幹部会の冒頭、宇垣総裁は今日の講演の目的を開陳した。

「独立後、できるだけ早く憲法を改正したい。そのために保守勢力を大同団結したい」

 斎藤は息を呑んだ。総理は先のまた先を考えていたのか。五月に施行された日本国憲法は、有り体に言ってGHQに押しつけられたものだ。起草した草案手交の際に民政局長が脅迫したともいう。条文の日本語化も念入りに検閲された。国民主権、基本的人権、平和主義などには賛同できるのだが、なにより、国家が持つ本来的なものを制限する条文があって、審議段階から論議が絶えていない。

「改正の対象は第九六条だけだ」

 全員が首肯した。第九六条に定められた憲法改正の手続きは、衆参両院の総議員の三分の二以上の賛成で発議が成立し、次に国民投票の投票数の過半数を以って国民の承認が成立するという二段階だ。出席議員ではなく総議員の三分の二はなかなか困難なもので、国民投票に関してはまだ法律もない。今の時点で改正は不可能なのだ。

「個々の条文の改正や新憲法の論議は後回しだ。まず憲法改正を現実的に可能なものとする」

「そうです。それでなくては民主主義でも国民主権でもない」

 賛同の声が相次いだ。部屋の温度が一気に上昇したような熱気を感じる。斎藤も興奮を抑えきれなかった。



 慰労会場は一階の大食堂で立食形式だった。壁に沿って椅子が置かれてある。総裁と副総裁が並んで座り、講師や幹部らと歓談していた。葡萄酒でも飲んだのか、町田の顔には赤みがさしていた。近々、副総裁を降りるらしい。養生に専念したい。その言葉を、斎藤は噛みしめた。それから、会場の中を回る。

 鶴見幹事長は有沢教授と話していた。ぽんぽんと数字が出るから統計の話かと思ったが、違うようだ。

「では小選挙区制ですか」

「はい。憲法改正を可能とする圧倒的多数を得るならばそうです」

「すべてに候補を立てて総取りするのですね」

「中選挙区なら二位の当選者が出ます。それが野党なら意味がない」

 始めたなと、斎藤は頷く。なかなか生臭い話だが、幹事長なら当然だ。

 都田左右吉の隣に行く。確認したいことがあった。

「平和主義が日本の伝統なのですか」

「わたしが学問で知るところはそうです」

「弱く女々しいのが日本人の原点とは、信じられない」

「穏やかな気質で合意や調和を優先したがることを言い換えるとそうなります」

「尚武や勇敢さは見当たりませんか」

 斎藤のしつこさにあきれたのか、都田は持ったグラスを飲み干すと正対する。

「それは強がりです、と本居宣長が言っている」

「え」

「海に隔てられた島国で温和な気候、一千数百年に亘る単一民族の国家、人種絶滅戦争を経験したことがない日本と日本人に卑下するところがありますか」

「あ。いいえ」

 傍にいた蔵相や文相も加わって来た。

「考古学や民族学が進展すれば新しい知見が得られます」

「そのとおりです。国立国語研究所では言語学から先史時代を見直したい」

「卓見です。いずれは民族学研究所と合同ですね」

「日本文化人類学研究所。そうですとも」


 斎藤は離れて一人で考える。七九歳の総理が憲法改正に動く。六二歳の幹事長は議会で圧倒的多数を得るために全力を尽くす。ならば、七七歳のおれがやるべきことは何だ。東京専門学校行政科を卒業し弁護士試験に合格した。米国イェール大学法科大学院に留学して公法と政治学を学んだ。だが、帰国後は議員になって政党政治に没頭してしまった。八四歳の町田さんが引退するのは、生きて日本の独立を見るためだ。日本の保守主義を確立し、米英の保守政治家と共闘するのはおれの仕事だろう。そうして若い者に引き継ぐ。日本保守党か。やれるとも。






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