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SR満州戦記4  作者: 異不丸
第2章 1947年
10/31

1 ワシントン


アメリカ合衆国、首都ワシントン北西地区16番街


 カールトンホテルの貴賓室では四人の男たちが会合を開いていた。ユゥジーン・ドゥーマンが対日占領協議会の現況を報告する。それを聞く三人の古参の共和党員は満足そうだ。

「うまくいっているようだ」

 日本占領が一年半を過ぎた三月、GHQ/SCAPのマッカーサー元帥は記者会見で対日講和を唱えたが、実は一か月前の二月に、彼は陸軍省に長文の書簡を送っていた。その中で『日本は現在すでに民主的な統治形式によって治められている』と述べ、『歴史は軍事占領というものが一定期間以上は効果を上げ得ぬことを明確に教えている』と強調していた。

 もちろん老人たちは、それが元帥の実績アピールであることを理解している。ドイツに比べて日本占領がはるかにうまくいっていること、西ヨーロッパに比べて東アジアは平和的であることが、対立候補に対する最大の武器なのだ。そして講和会議を成功裏に終わらせれば完璧となる。

「国務省は関係国と協議に入った。正式に招請状を出すのは七月、平和会議は八月からだ」

「GSはパージ政策の修正草案を作成して平和会議に提出するようです」

 ドゥーマンがニューズウィーク東京支局長からの報告を告げる。

「大騒動だったようだね」

「はい」

 民政局で公職追放を担当するのは公職資格審査課だが、混乱の中にあった。民政局次長ケーディス大佐の右腕で公職追放を担当していたノーマン少佐が本国カナダの外務省から召喚されて帰国する。軍国主義者パージの担当者が赤パージに遭ったのだ。ノーマン少佐は日本生まれで日本専門の外交官だったから抜けた穴は大きい。ケーディス次長はまだ第二次パージを強行するつもりだったが、講和独立後を見据えて日本政府に追放と解除の権限を移譲すべきだという声がGHQ内に起きる。


 昨年の第一次公職追放は旧軍部と中央政界・官界を対象とし、およそ一万五千人が対象となった。第二次追放令は中央経済界・言論界に加えて地方レベルへと拡大され、十五万人を対象として五十万人が審査中だった。対日占領協議会は経済人・産業人が対象とされたことを重要視した。それでは日本の復興は不可能となる。容認できない。再訪した経済力集中調査団は民政局にあからさまな圧力をかけた。団長のカウフマンはケーディス次長の忠告を無視して宇垣首相と会談した。

「それで金融界への進出が決まったのだな」

「はい。それから宇垣首相とマッカーサー元帥の会談があって、その結果、公職追放に関する件は日本政府が新設する法務庁特別審査局に移譲されることになりました」

 公職資格審査課にとって、日本政府の提案は渡りに船だった。実際のところ、ケーディスとノーマンが指示した五十万件の審査は停滞していた。膨大な件数で翻訳通訳が間に合わない。地方に拡げたことで、占領実務にあたっていた第8軍以下の地方軍政部の負担が過大となる。

「二人の合意事項は他にもあるようだが」

「はい、そうかもしれません」

 しかし、ドゥーマンは他の合意事項には触れなかった。三人は顔を合せる。キャッスルは首を振る。その意味がフーヴァーとスティムソンにはわかった。協議会の職責の範囲外、すなわちマッカーサーの専管事項だ。東京裁判の件に違いない。



「いいね。宇垣首相はなかなかスマートだ」

 キャッスルがグラスに口をつけて言った。ドゥーマンも一口飲んで答える。

「彼の決断は非常に現実的で、さらに実行力もあります。一九二三年、わたしは東京大使館にいました。関東大震災の年です。宇垣は陸軍次官、翌年には陸軍大臣となって宇垣軍縮を実行しますが、その決断の背後には四年前に設立された陸軍新聞班の輿論分析があった。実際に彼の四個師団廃止は国民の支持を得ました」

 四人は思い思いに煙草を吸い、グラスに口をつける。すでに一通りの報告は終わっていた。夕食までドゥーマンの話につきあうのも一興だ。

「日本の陸軍はそんな昔からオシントを行っていたのか」

 オシントはOpen Source INTelligenceの略で、新聞や放送など公開情報を情報源とした合法的な諜報活動を指す。通常は敵国の新聞から敵国内の情勢を読むのだが、大正期の日本軍は相当に国民世論、国内輿論を気にしていたようだ。

「日比谷焼打事件に見られるように、明治期の日本国民には行動力がありました。大正に入っても米騒動が起きている。陸軍新聞班が新設されたのは米騒動の翌々年です」

 宇垣一成は慶応四年、一八六八年生まれで、スティムソンより二歳若く、フーヴァーの五つ年上である。明治中期に始まった議会政治が大正期に定着し、昭和に向けて二大政党制が確立していく、その中で青年、壮年を過ごしている。

「わたしが東京を離れた翌年、一九三二年に五一五事件で犬養首相が暗殺されます。政党政治は直接的に軍人によって葬られた」

「満州事変の翌年か」


「なぜ、政党政治が復活しなかったのか。事変や紛争、戦争の他にも要因が思い当たるか」

「政党自体に原因があります。党派党略に走って軍部の暴走を許した」

「それはよく聞くロジックだが、もっと具体的に言えないかね」

「腐敗というか特権安住というか。二つの政党に共通するのは普通選挙反対でした」

「なんだって!」

 日本の二大政党、立憲政友会と立憲民政党には、米国の共和党と民主党ほどの違いはないように思えた。共通する立憲の名乗りには、議会を中心とする政治というよりは、議員を上位とする思い上がりが透けて見える。軍部や省庁を下に見て、足元を掬われたのだ。統帥権干犯問題や天皇機関説問題を議会で取り上げて政争に使うなど、政党は自滅したかったとしか思えない。それが共通する感想だった。

「彼には失敗もあります」

「ふむ」

「わたしの二回目の東京赴任は一九三七年。元老の西園寺は宇垣を次期首班に上奏したが、石原大佐の策謀で組閣に失敗しました。日中両軍が北京で衝突したのはその半年後です」

「陸軍省部に裏切られたのか」

「翌年、近衛改造内閣で外相に就任。日中和平交渉を再開しましたが、外務省内の革新派に妨害されて失敗、退任しました」

「革新派とは革新官僚のことか」

「近衛声明の撤回、英国大使ルートの活用、中国行政院長との直接交渉。引き出した和平条件は現実的で、後の日米交渉よりはるかに有利なものです」

 フーヴァーが感心して、息を吐き出す。

「つまり失敗と成功を両方とも知っているのだな」

「はい。宇垣の内閣はもう数年続きます」





メリーランド州モンゴメリー郡シルバースプリング


 ワシントンDC北西16番通りを北上してメリーランド州に入ったところがシルバースプリングである。首都に通勤する中流階層の住宅地であるが、もちろんダウンタウンには小さくて古い建物もある。タクシーを降りた若い女性はその一つに入り階段を上った。事務所のドアには『私立探偵 ベンジャミン・ポール』と小さい板が掲げられている。十秒以上も睨みつけた後、女は乱暴にドアを叩いた。

「やあ、アン。元気そうだ」

「ベン、どういうこと」

「どういうことって、君を手伝うためだ」

 アンはベンの手を振り払って部屋に入り、コーチに座った。

「手伝う気はあるのね」

「もちろん。君は恩人だ」

 ベンが飲み物を差し出す。グラスは冷えていたが、アンは一口つけて顔を顰める。

「ウオッカじゃない」

「私立探偵はジンだ。まだ日暮れ前だから薄くした」

「ふん。夕食に誘っているの」

「それは君次第だ」

 ベンはそう言って机に座り、アンを見つめて足を組んだ。

「答えを聞いていないわ」

「私立探偵の仕事は調査、尾行、張り込み、あるいは護衛だ。君を手伝える」

 アンはグラスを空けた。

「なるほどね。でも、なぜ、ここなの」

「この州は免許がいらない。首都に近いからスキャンダルに事欠かないし、客層もいい」

「わたしの仕事場には遠いわ」

「イタリア系はノーフォーク、ユダヤ系はニューヨーク、ドイツ系がシカゴだったね。たしかに近くはない」

「なら」

「君もファミリーの事業の現場に出ることはない。目標は第二世代だ。育てているのは弁護士、経済学者、ジャーナリスト」

 アンは目を輝かせてグラスを差し出す。

「お代りをちょうだい」

「いいとも。官僚や政治家なら首都の近くがいい」

 アンは頷き、二杯目はゆっくりと飲む。


 頃合いと見たベンは本題を切り出した。

「あの後、組織とフロントはどうなった」

「ちょっと。まだ関心があるの。せっかく二人とも死んだのに」

「結果を知らないと気がかりだ。次に全力を回せない」

「そんな性格だったかしら。夕食の前にする話じゃない」

「レストランでは、もっと不似合いだ」

 アンは横を向き、煙草を取り出した。ベンは灰皿を置き、隣に新聞を並べた。正面のコーチに座って、手を組んで待つ。

「わかったわ。日付順じゃないのね。最初の、カナダ外交官の投身の件だけど、本当の死因は中毒死よ」

「ノーマンは海に飛び込む前に毒を飲んでいたのか。念の入ったことだ」

「記事にはないけど、その貨客船はもちろん米軍借上げ。でないと米日を往還できない」

「そうか。満期の兵隊たちも乗っていただろうな」

「次はイギリスね。逮捕された英国外務省のハロルド・キム・フィルビーは中近東、それもトルコが長い」

「実はMI6だった」

 アンの話は長い。それほど、ベンが広げた新聞が多かったのだ。最後にアンが言う。

「結局のところ、あなたの見込みは正しかったわ」

「官僚的な報告形式が向こうにとっては好都合だった。暗号は双方向であるべきだな」

「え。何を言うの。それじゃ只の通信じゃない」

 しかし、べン、死んだパブロフ中佐にとっては違った。暗号は一型式に固定するべきではないし、解く鍵も唯一ではなく送信者の数だけあっていい。重要なのは秘密を守ることだ。秘密は少ない方がいい。最終の鍵だけ秘匿して、他は公開したっていいのだ。

「技術者も欲しいな」

「え。何」

「ファミリーの事業のために教訓を得るべきだと思う」

 アン、死んだオルロワ中尉は黙って頷く。


「推論だ。当局はすべての通信を傍受し録音した。それは解読段階が進む度に再検索できるような形で記録された」

「電話と電信はすべて盗聴される前提におくのね」

「膨大な通信記録を何度も検索し比較して検証する。人だけでできない」

「演算機械なら昔からあるわ」

「画期があったんだ。機械式ではなく、高速の電気式とか」

 二人はいくつもの戦訓を得た。失敗から学ぶことは多い。それは暗号通信に限ったことだけではない。

「一つの大学に限ったのは失敗だったかしら。上級官僚は、米国ならハーバード、英国はケンブリッジ、そして日本なら東京帝大に決まっているけど」

「いや。ハーバードとケンブリッジを接続したのが失策だ。修士か博士課程でないと目立つ。それから」

 ベンの口調が微妙に変わる。

「同性愛は禁止だ」

 アンは目を見開き、笑いながら答える。

「それと共産主義もね」

「どちらも、若い時に軽く触れるだけで沢山だ」

 二人は夕食に出かけるために立ち上がる。

「ねぇ、彼らが社会的地位を得るのに十年じゃ不足よ」

「あと二十年ぐらいなんともないさ」

「ほんとに」

 二人は腕を組んで通りに出た。






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