かくれんぼはいつまでも
昨年に続きまして、今回もホラー企画へと投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
……もう二十年以上前の話になるので、細かい記憶違いは許してもらいたい。
僕が、小学四年生だったときの話だ。お盆に曾祖父の十三回忌を執り行うため、片道三時間かけて田舎の村に泊まりに行ったときのこと。
――子どもは僕だけだったので、暇を持て余して近所に冒険に出かけた。今思えば相当無謀なお子様である。しかし楽しかったのは最初だけ、面白いモノなどなにもない。僕は飽きてしまい、小さな神社の境内に失礼し、石でできた腰掛けに座って休憩していた。
参道の石畳には、動かなくなった蝉を運ぶ蟻の行列。何となく眺めていたら、うるさかった蝉時雨が止んでいたことに気付いた。
僕の頭上に、影が差し込む。
「ね、キミひとり? 見ない顔だね」
振り向くと僕と同い年くらいの子がいた。人懐っこい笑顔が眩しい。
「――へぇ、そうなんだ。街の方から?」
「うん。大人たちばっかりでやんなっちゃう」
僕はあまり話し上手な方ではなかったが、彼女(男の子だったかもしれない。便宜上、こう記しておく)にはすらすらと口が回った。腰掛けに座りながら足をパタパタする。
当時の共通言語と言えば遊びだ。性別も学年も住所も知らなくても楽しめる。――木登り、鬼ごっこ、探検、何でもやったら、あっという間に日が暮れていた。
手を振って「またね」と挨拶した後、名前を聞いていなかったのを思い出した。
◇
次の日も、僕は例の神社にいた。
「やぁ、待ってたよ!」
相変わらず、弾けるようなまぶしさだった。泊まっている家の冷蔵庫からちょろまかしてきたラムネを渡す。
「わ、ありがとう!」
「遊ぼうよ!」
「うん!」
僕たちの関係は、これだけでよい。
彼女は『かくれんぼ』が抜群に上手かった。神社の境内の中だけ、という条件付きだったが、彼女が本気で隠れると絶対に見つけられないし、逆に僕がどんなに自信を持って隠れても見つけられてしまった。
「もう、いいかい?」
「まぁだ、だよ!」
「――もう、いいかい?」
「――もう、いいよ!」
でも、遊びは遊びである。必死になってやることはないのだ。見つかったり見つけたりすると、もう夕暮れだった。
「また明日ね!」
「またねっ!」
もっと一日が長ければいいな、と心から思った。。
◇
「や、来てくれて嬉しいな!」
今日も彼女は、あの神社で待っていた。
「お待たせ」
神社本殿の階段に腰掛けながら話す。
「やっと全部終わったよ。明日帰るんだ」
「そうなんだ……」
ひどく彼女はしょんぼりしていた。
「でもさ、良かったよ。君みたいな友達と遊べて。お父さんとお母さんに、来年も来られるようお願いしてみるよ」
「…………そう。もっともっとキミと遊びたいのに」
表情が晴れない。
「元気出してよ。ほら、かくれんぼで勝ったら、言うことを一つ聞いてあげる!」
「本当?」
「本当!」
「じゃあさ、こっちが勝ったら、これからずぅっと遊ぼうよ!」
真夏のひまわりみたいな笑顔なのに。曇りのない明るさが、なぜだかとても怖かった。
「い、いいよ」
「じゃ、キミが先に隠れて!」
負けなければいいのだ、と、僕は自分に言い聞かせ、知恵を絞って隠れ場所を探した。
「もう、いいかい?」
「まぁだ、だよ!」
ここなら見つからないだろう。破れた垣の境を見つけて飛び込もうとすると。
「坊、ここで何しとるん?」
農作業の帰りだろうか。上下繋ぎ姿のおじさんに声をかけられた。
「かくれんぼ! 神社にいる子と勝負してるから、おじさん、静かにね」
人の良さそうな表情が、みるみるうちに強ばる。
「神社? 子ども?」
「うん」
素直に頷いた僕は、ゴツゴツとした手で肩を掴まれた。
「えいか? 黙って俺に着いてき!」
「え? でも」
「えいから!」
有無を言わさず、僕は軽トラの助手席に押し込まれ、両親の泊まっている大きな家に連れて行かれた。そして、言い訳する暇もなく奥の四畳半間に閉じ込められる。
「出してよ! かくれんぼの途中なんだッ」
どんどんと戸を叩き、泣きわめいても無駄だった。……いつしか僕は、ひんやりとした部屋の中で眠ってしまっていた。戸の外で、大人たちの声がうっすらと聞こえる。
「――に魅入られた――連れて逝かれる――」
「神隠し――今ならまだ間に合う――今夜――」
「帰ったら――塩を盛って――」
「お祓いは効かない――しばらくこっちに来ないこと――」
戸が開け放たれた。
「きっと、何日もここに居て疲れちゃったのね? さ、お家に帰って休みましょうね」
気遣うように母が言う。
「ちょっとお前の体調が良くないから、大事を取って今夜帰ることにしたよ。さ、行こう」
精一杯優しく、父も言う。
「ヤダよ! あの子と遊ぶんだッ!!」
日頃おとなしい僕が暴れたのが珍しかったのか、大人三人がかりで抑えられる始末だった。村の人の気遣わしげな表情と、両親の切羽詰まった声がやけに印象残っている。
……結局、それで全てが終わった。後になって、両親や祖父母に聞くと『慣れない環境で疲れが溜まり、熱が出たせいで、夢と現実の間が曖昧になっていた。だから、あの神社のことはきっと夢だろう』と諭されたのであった。でも、僕はあの日の出来事が夢や幻ではないと信じている。
◇
――そして、二十年後の現在。
僕は、あの田舎の村にいる。新しくできた高速道路を使い、片道一時間半をかけてやって来たのである。理由は一つ――あの子にもう一度会うために。
幸い、すぐに目的地は見つかった。しかし、鳥居は緩やかに崩壊し、建物は緑に飲み込まれていく途中であった。奇妙な懐かしさと、切ない思い出が胸を去来する。
(彼女は、帰ってこない僕をずっと待っていたのだろうか)
腰の高さほどの雑草が、石畳の隙間に生い茂っている。あの日、二人で遊び回ったはずの場所が見る影もない。腰掛けは、大きく欠けて壊れていた。
「ただいま」
声をかければ、昔のままの人好きのする彼女が現われる気がしたが――聞こえたのはかつてと変わらぬ蝉時雨だけだった。
苔と水草に覆われた手水台の縁には、二十年昔のデザインなラムネ瓶が置いてある。中身は入ったままだった。
一歩一歩、ゆっくりと僕は歩き出し、お賽銭箱の前で立ち止まった。
「ねぇ、聞こえてるかい。あの時、勝手に帰っちゃってごめんね」
――無音。
「僕、今度結婚するんだ。それだけを伝えに来た」
――沈黙。
(……帰ろう)
鳥居の方に踵を返すと――瞬間、世界の音が止まる。
「ひどいよ……ずっとずっと、待ってたのに」
二十年経っているのに、全く変わらない声。
「でも、こうやって帰ってきてくれたから許したげる。さぁ、何して遊ぼっか!」
ぱたぱたと、子どものような軽い足音が背後から聞こえる。
(……ごめん)
「あ、かくれんぼの途中だったよね! 続き、しようよ!」
振り向くことも、応じることもできない。重い足取りで歩を進める。
「キミが先に隠れて! どこにいても、必ず見つけ出しちゃうから! そうしたら、言うことを聞いてくれるよね?」
思わず涙がこぼれそうになった。けれど、僕の中で彼女はどうしようもなく遠い存在になってしまったのを悟る。
「いくよ! いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお。――もう、いいかい?」
鳥居の前で振り返らず黙礼し、神社の外に出る。すると――音と熱が、僕の中に戻ってきた。
「――まぁだ、だよ」
小さく呟き、後ろへ振り向く。神社の大銀杏がざわざわと風に揺れていた。また、夏が終わっていく。
◇
あれから特に何事もなく、妻との間に娘も生まれた。ようやく言葉を話し始めた可愛い盛りなので、僕の両親も孫に当たる彼女をひたすら甘やかしている。妻も余裕ができたのか「二人目もどうか」なんて相談を、僕と始めていた。
「パパ」
「んー? なぁにー?」
引っ越しを考え中の賃貸住宅の一室で、娘がとたとたと歩み寄ってくる。座ったままの僕に対し、彼女は小さな両手で筒の形を作り、背伸びして僕の耳に口を近づけた。
――もう、いいかい?
きゅっと喉が締め付けられる。子どものとき――そして、あのとき。聞こえた声に、口調に、そっくりだったから。
努めて冷静に、娘の方を見る。彼女は首を傾け、きょとんとしていた。
「パパ?」
「あ、あぁ。まぁだ、だよ」
きっと、僕はまだ魅入られたままなのだろう。「もう、いいよ」と言うのはいつになるのだろうか。言ってしまったら、どうなるのだろうか。僕には、わからない。
キミについて行くよ。いつまでも遊ぼうね。――もう、いいかい?