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第八話 僕らの関係

 仕事を終えて、宿舎に戻ろうとすれば、また嫌味ったらしい声がかけられる。

「いやはや、精力的にやっていられますな」

 補佐官だった。この男、滞在中ずっと僕に突っかかってきていた。

「こちら、今週分の給金です」

 上から落とされるように渡されて、キャッチしたものの、苛立ちは消えない。子供か、こいつ。

「生徒達からの評判も上々で、こんな地方では勿体無いぐらい……本当に、どうしてこんな所で?」

 コイツの態度が悪い理由は知っている。

 本来なら候補生の育成は、この補佐官が監督していた。

 だが支部長の采配によって、僕が講師をやる事になった。

 それによって、あからさまに差が出てしまったのだ。僕が教育した方が、生徒の実戦投下が早まり、練度が上がると。

 支部長から、その件について感謝され酒に誘われたので知ってる。もちろん丁重にお断りしたけれど。

 あの支部長の言う酒には、だいたい女もついてきて面倒だからだ。

 お陰で呼ばれなかった補佐官は面目丸つぶれである。評価にも響くのだろう。

 そんな事を恨むくらいなら、仕事をちゃんとしてなかった自分と采配した支部長を恨めば良いものを。

「基礎中の基礎の授業でしたよ。僕には、丁度いい休暇代わりの気分転換です。それよりも候補生とはいえ、あまりにも練度が低くて驚きました。あんな未熟な魔術師達を現場に出すつもりなんですか?」

 嫌味の一つでも飛ばしたくなるほど、連日の嫌がらせと言ったら、不愉快の極みだった。

 僕が若くて、小柄だということでさっきのような、つまらん高身長嫌がらせをしてきたり、廊下でぶつかって来たりする。

 本当に性根の小さいつまらない男。

「あの練度でも、呪文を覚えて魔生石を持たせれば、それなりに戦えますから。練度の高い魔術師達が術を発動するまで、時間稼ぎはできますよぉ」

 つまり、僕が面倒を見させられているのは、最初から上位の魔術師達を守るために配備された肉盾、捨て駒だというわけだ。

 第三波が迫っている以上、防衛のため、そういった措置も必要な事は理解している。だが、それにしても明確に言葉にされると良い気分はしない。

 支部長などは、それを理解して敢えて言及を避けていただろうに、わざわざ伝えに来るとは、気の回らない男だ。

「そんなに嫌そうな顔をなさられるなら、とっとと国に帰られたどうです?」

 嫌なのは、この男の存在であって仕事の内容では無いのだが、履き違えているらしい。

「お気遣いどうも、でも折角ここまで来たのです。窮状に立たされた街の人々を守りたいと思います」

 よそ行きの声と表情で、口元しか見えなくともニコッと笑って返す。

「貴方ほどの人なら、中央に戻って国全体の防衛に関わる仕事もできるでしょう」

 それは、確かに本当の事だ。この後の身の振り方、出世の方向性も考えると、確かに王都に帰った方がいい。

 資源も豊かだし、食事も美味しい、本も沢山ある。

 それでも、僕が数週間ほど、この何にもない街に滞在してしまっているのは理由があった。

「それとも……まさか、勇者一行が、やはり貴方でなければダメだと、戻って迎えに来ることを期待なさられてるので?」

 羞恥で耳が熱くなるのを感じた。

 意識して、そんな風には考えないようにしていた。ただ、ちょっとゆっくりしたかっただけ、そんなに急いで王都に帰る必要もないだろうと。

 でも、言葉にされると誤魔化せない。

 僕は、目の前に自室の扉が見えて、すがるように扉を開いて中に逃げ込む。

 その背中に、追い打ちをかけるように補佐官は言った。

「ご心配なく。支部長の推薦した、新しい魔術師は上手くやってますよ。十日前には勇者様一行が隣町に到着した旨、伝達係が伝えてくださいましたよ」

「そうですか、それは良かった。仲間の無事を聞けて、僕も嬉しいです」

 出した声が、震えていなかったのが、最後の僕のプライドだった。

 扉を締めた途端、足元から崩れ落ちて、ベッドに伏せってしまう。

 ああそうだ、待っていた。そうだよ。僕は待っていた。

 ブレイブが『やっぱり、君以外の相棒は考えられないよメーガス。一緒に来てくれ』と引き返してくれるのを待っていた。

 今日か?いや明日か?もう暫く待てば、きっと、行って帰ってくるのだって時間がかかるはずだから、後少し。

 そんな風に、ここ数日、ずっっっと待っていたのだ。

 でも無駄だった。何となく気がついていた。

 ブレイブは僕じゃなくても良かった。

 彼という勇者に必要なのは、最強の魔術師たる僕ではない。

 別に中位の魔術師でも良かったのだ。ちゃんとブレイブの言うこと聞いて動ければ、あの程度の力でも何とかできる。

 薄々気がついていた。

 ブレイブが、パーティのメンバーで左右されてしまうような、そんな弱さを持っているわけがない。

 あの決断力、どのような窮状でも乗り越える強運、実力。

 それこそ、最初から勇者以外は取替えが効くようにするためのパーティ制度なのだ。

 だから、これは当然の判断と言っていいだろう。

 残り三人を上手く運用するために、一人を外して交換する。

 リーダーとして正しい判断なのだ。

 でもブレイブが、僕を外すなんて、そんな判断を信じたくなかった。

 しかし現実は机の上に鎮座した革袋だ。中に手切れ金が入っている。

 そこにブレイブの意思みたいなものが残ってる気がして、何だかたまらない気持ちになって、鷲掴みする。

「そもそも、はじめに女装しても良いっつったのは、お前だろうがっ!」

 そう叫ぶと、渾身の力で壁に投げつけた。

 息が乱れる

 そう、最初の女装はブレイブに勧められてだった。

 僕は、ちゃんと弁えていたのだ。

 いくら防具や衣服を売る商店、交易路で会う商人に、あのキラキラと輝く衣服やアクセサリーを見せられても、手を伸ばさなかった。

 あの白いコートは、たまたま、そういう状況に追い詰められて仕方なく、が通じた。

 だが、それ以外の日に、柔らかいドレープのかかった衣服や、レースのついたワンピースなど着たら……それは僕という人間の評価を大きく変える事態になってしまう事はわかっていた。

 だけど、髪を切って、水鏡などで自分の顔をしげしげと眺める時間が増えれば、増えるだけ思った。

 きっと、僕はアレが似合う。

 髪の毛の色が暗いから、落ち着いた白とか寒色系のドレスローブを着たら清楚に見えるだろう。

 メッキでも金色のネックレスなどつけたら、どこかの令嬢と嘯けるかも知れない。

 立ち寄った街で、見かけた少女たちの唇にのった薄紅も、きっと似合う。僕は元々肌が白くて、唇が赤いから……少しツヤを出す濡紅をのせるだけで、何倍も綺麗になるはずだ。

 でも、明るい色の髪の毛なら、もっと違う衣装も似合うかもしれない。カツラを被って、そしたらあの花みたいな色の服やタリスマンも良いな。

 きっとロッドを振る度に、ブレスレッドなら目について、楽しい気分になりそうだな。

 そんな事を考えては、ハッと気がついて頭を横に降った。

 何を考えているんだ僕は、頭がおかしくなったのか?そんなこと、して良いはずがない。

 まるで新しい魔術の構成を考えるように、自分に似合う化粧や女物の服の事を考えるなんて正気じゃない!

 いくら、それが力になるとわかっていても、やって良いことと悪いことがあるはずだ。

 そう思うのに、夜寝ると夢を見た。

 あの幼少期に過ごしていた家、ドレッサーの中でふわふわと踊る義母のドレス達、その一枚を抱きしめて、身にまとって、紅を乗せて鏡の前に立つのだ。

 その姿を見たら僕は、思わず笑顔になってしまう。

 だって、それはきっと。

 そんな事を思っている途中で目が覚めて、心臓がバクバクした事も何度かあった。

 どうして僕は、なんで、やっぱりあんな服、着るべきじゃなかった。

 僕は、あのドレッサーの部屋の扉を開けてはいけなかった。それと同じぐらい、女の服なんて着るべきじゃなかった。

 そう思い悩む夜は、義母に殴られた時と同じぐらい、心臓が痛かった。

 それで、しばらくボンヤリしていた時期もあった。

『その服が気になるの?』

 装備を買いに訪れた商店で、手にとって眺めていた僕に、不意打ちをかけたのはブレイブだった。

『いや!違う!いい布だと思っただけだ』

 そう誤魔化したが、嘘だった。とても良いワンピースだと思った。清楚で柔らかくて、美しい、女神が着るような、フリルが段々に重ねられたワンピース型のローブ。今持っている麻紐のベルトと合わせたらきっと……と着た自分を、少しだけ想像してしまっていた。

 だけど、この時の僕は、可愛い服が似合うという自覚はあっても、スカートを履くという思い切りまでは無かった。

 せいぜい、フリルのあるシャツを身につけるとか、セーラーに足が見える短パンや、ドロワーズを合わせる程度。

 ギリギリ、少年がする服装の範囲に留まっていた。

 周囲にも『服のサイズがあまりないし、布が余る。丈を詰める手間もかかるからな』と言い訳して着ていた。

 三人とも『ミーは似合うし良いと思うヨ〜?』『拙者は服に拘るほうが男らしくないと思うぞ』『まぁ、フィールドでは誰が何を着ているかなんて見てませんし、良いのでは?』と好意的に受け止めてくれた。

 何より、見目を整えると、当然のように扱いも良くなった。

 ボロ雑巾みたいなローブと目隠しで、うつむいてカタツムリみたいについてた頃に比べて、格段に皆の距離が近づいたし、話しやすく成った感覚はあった。

 だが、それでも、女物に手を出すのは躊躇していた所に、ブレイブが来たのである。

『ああ、耐魔布か、いいね。これなら魔力の籠もった攻撃は半減できる。買うのかい?』

 その時はたまたま、大型モンスターを仕留めた後で余裕があった。各自、好きなモノを買っていいと余分な路銀を預かれる程度には。

『まさか!そんなワンピースみたいなの、女物だ。ああ、そう、似たような素材のローブを探してる、それだけだよ』

 慌てて誤魔化した。良いなという、自分の気持ちを抑え込んで。結局の所、その日、僕が買ったのは、服の下につけられるアクセサリーの形をした呪具だけだった。

 そのワンピースを僕が身につけたのは、もうその事を考えないようにして忘れかけてた頃だ。

 次の街まで、歩いて後数日という距離。水の補給のために、湖のほとりで宿営を立てて、夜営をしている最中だった。

 その日は、ブレイブと僕の二人が当番だった。

 僕とブレイブは良く、今後の作戦の話をしたり、旅程の相談をした。

 僕は、最速で魔王を倒して、輝かしいキャリアを帝国に持ち帰りたかったし、ブレイブを早く勇者の任から開放したかった。

 そういう仕事の話がまとまると、時々、魔王を倒したら何をしたいかという話もした。

『ブレイブ、凱旋する時、せっかくだから、この地方にも立ち寄ろう。行きはスルーしたけど、ここは乳製品の名産地なんだぞ。きっと世界を救ったお礼で、たらふく食わせてくれるんだから、寄らない手はない』

 ブレイブは習慣である日記を書く手を止めると『どれどれ?』と地図を覗き込む。

『メーガス、君の設定したコースだとずいぶん、ぐねぐねと遠回りになっちゃうけど良いのか?』

『良いんだ。真面目に帰るなんて馬鹿らしい!得られる対価を最大限得て帰らなきゃ、こんな奉仕事業はクソだ。絶対に、この丘も寄ろう、時期さえ合えば流星群も見られるぞ!』

『流星群?』

『星が一斉に落ちてきて、流れ星が沢山見られるのさ、ええと確か』

 僕はメイスを振って『確か空のすごく高い所で(中空領域指定) 炎の塊が弾けるように(火力集中拡大)  星が落ちてくるらしい(爆散流布着地前消化) 』と現代語で適当に詠唱する。

 すると炎の塊が空に打ち上がって、パンッと弾けて、火の粉が空に広がって落ちる。

 今まで存在しないタイプの教書にない魔術は、そもそも詠唱する言葉がないから魔術師の想像力が鍵になる。

 なかなかの出来栄えだと思ったが、横目で確認する。

『わぁっ……綺麗だな、メーガス!』

 ブレイブは目を輝かせて、落ちてくる火の粉に感激する。こんなの花火と原理はさほど違いがないが、喜んでる所に水を刺すこともない。

『本物の流星群は、もっと大規模で凄いし、綺麗なんだって!僕も本や絵でしか見たことないけど、早く魔王を封印できたら、絶対に見に行こう!』

 二人で蝋引きされた地図を眺めながら、そんな計画を立てる時間は楽しかった。

 それに、各地を回った方が知名度が上がってハクがつく。

『ブレイブ、僕にばっかり決めさせてないで、お前も行きたい所があったら候補を出せよ』

 そう言うと、いつもブレイブは『うーん、俺はあんまりモノを知らないから。君に任せるよ。君が選ぶんなら、きっと良い所に違いないから』と曖昧に笑ってはぐらかした。

 ブレイブは、行く道は、決して迷わない。

 今回だって、普通なら船を使って海路を行く所だが『湖を回って陸路で行く方が良い』と宣言して、その通りに進めた。

 数日後に、僕らが乗るはずだった船が、海のモンスターにやられて沈没したのを聞いた時は、ブレイブの決定に従って、本当に良かったと安堵したものだ。

 いくら僕らのパーティが戦闘に長けていても、海の真ん中で投げ出されたら、打つ手なしで溺れ死んでいただろう。

 そんな風に、僕らも知らないルートを熟知してるのに、不思議と帰り道については無知だった。

 そんな感じで、和気藹々と二人で夜営をする事が多かったが、その日は珍しく、ブレイブが何かを言いたげな沈黙を携えてきた。

『なんだよ、ブレイブ。言いたいことがあるなら言えよ』

 ブレイブは渋々と言った様子で、自分の荷物の中から、その包みを取り出した。

『あのさ……これ、買ってしまったんだけど』

 包みを渡されること事態は、それほど驚かなかった。

 ブレイブが、自分の私財を使って武器を新調してくれる事は時々あった。

 必要な装備であれば、よほどの事が無ければ、それをパーティのみんなも受け入れた。

 ドラグーンが鎧を脱いで革製の軽装に切り替えた時は、騎兵の誇りだなんだと喚いて多少モメたが、結局着た。

『ドラグーン、君にはもっと機動力が必要だ。鎧の中で蒸し焼きになる所を見たくない』

 ドラグーンも、機動力で伸び悩んでいたから、この一言は刺さった。敵の速度は勢いを増し、何度かドラグーンのドラゴンは遅れを取った。

 彼自身も空中戦で、伝統的な鎧は優位性がない事には気がついていた。伝統を破って脱ぐ勇気が無かっただけだ。

 勇者の判断は、いつも迷っているメンバーにとって強い後押しになっていた。

 それに、本当に危機一髪で蒸し焼きになりかけた戦闘が起きたのだ。

 ブレイブは、本当に間違わない。こと、戦闘に置いては。結局、ドラグーンの装備変更は正しかった。

 だから、この時は僕も何かしら、新しい武器か、装備が与えられる物だと思っていた。

 けれど、その時のブレイブは少しだけ調子が違った。

『いらなかったら捨ててくれ』

 そんな消極的な言葉を言うのは初めてだったので戸惑った。そして、包みを開けて、もっと混乱した。

『なっ……なんで、このワンピース!』

 一瞬、侮辱されているのかと思った。けれど、顔を上げるとブレイブ自身も戸惑った様子で、それを見ていた。

『わからない、わからないんだけど、店主がプレゼントですか?って聞いてきて』

 それは、そうだろう。ブレイブほど上背のある男が着るには小さすぎるワンピースだ。

『俺は必要な物を買ったり、与えたりするのはパーティを纏める勇者の義務として教わってきた。けれどプレゼント、というものをした事も、貰った事もないから、プレゼントって、どういう物なのか聞いたんだ』

 預言者に育てられてきて、勇者になる過程で、純粋な施しを受ける事も、与える事も無かったのだろう。

 ドラグーンやモンク辺りが聞いたら、泣いて同情して、ブレイブを抱擁して、優しい言葉の一つや二つ、投げかけたかもしれない。

 だが僕は、そういう話を聞くと「そう」と不謹慎だがホッとして、それ以上は何も言えなかった。

 だって僕も、プレゼントなんて貰った事がなかった。

『大事に思ってる人に、感謝の気持ちを伝える物だと聞いた。それで……メーガス、いつも俺を助けてくれる君に、感謝の気持ちを伝えたくて……だから戦闘の面では、コレを着る利点はそれほどなくて……』

 ブレイブの今まで見たことがないほど、オロオロとした様子、まるで道に迷った子供みたいで、こちらの方が扱いに困る。

 普段は、少しも迷わず道を進んでいくのに。

 湧いた怒りも、急速に冷えて萎えてしまい、思わず問いかけた。

『それで、何故このワンピースを?』

『君が欲しがっていたから』

 真っ直ぐ、青い瞳に射抜かれて戸惑う。この純真無垢な瞳に覗き込まれると、嘘はつけない。

 ブレイブには世間体も何もない、帰属する文化や故郷、所属する社会さえない。

 魔王を倒すために育てられ、人生の殆どを捧げられた男の目は曇らず、本意を見つけてしまうのだろうか?

『だけど僕は男だ。こんな服を着るのは、男らしくないとそしりを受けるぞ』

『誰が?今、ここには俺と君しかいない。何を身に着けても、俺から見える君は、君しか居ない』

 静かな夜だった。問答するのは無駄だった。目の前で、燃え盛る焚き火に服を焚べてもブレイブは怒らないだろう。

『俺は君にプレゼントができたんだろうか?』

 伺うように覗き込んでくる、青い瞳が水のように凪いでいた。嘘もからかいもない。

 ブレイブは、ただ感謝の気持ちに、僕が欲しがっているモノを与えたかった。それだけなのだ。

『ああ、プレゼントは受け取ったよ、ブレイブ』

 僕がそう言えば、目的はもう遂行したと思ったのだろう。満足げに微笑む。

 後は僕の気持ちだけ。

 包みを剥がして、ワンピースを持ち上げる。

 純粋なプレゼントを与えられたのは初めてだった。

 義母や父親が与えてくれたのは、貴族として必要な物だけ。僕を思って、贈り物をしてくれた事なんて一度たりともなかった。

 魔術学院でも、成績を讃えられ、期待され、教授から与えられた物はあった。

 しかし、自分が欲しいと思った物を与えられたのは、これが初めてだったのだ。

 その初めてのプレゼントを、捨てる。

 炎の中に焚べる。なかった事にする。この美しくてワクワクする、キラキラした、いい匂いの服を。

 そんな選択、できなかったのだ。

 僕は、その日ブレイブの前でワンピースを着た。

 袖を通して、ふわりと舞う裾の感覚に、指先の血管までくすぐったくなるような感覚があった。興奮した、嬉しかった。

『似合ってるか?』

 ブレイブに問いかけると、大げさなぐらい頷いて言った。

『とっても似合ってると思う、湖で見てみなよ』

 促されて、僕は湖面にその姿を映した。

 清らかで美しくて、少しだけ優しそうな印象を与える白いワンピース、それを着た僕を見て、思わず自分の両肩を抱きしめた。

『メーガス、どうしてそんな悲しそうな顔をしてるんだ?』

 ブレイブが、僕の隣に膝をついて湖を覗き込む。

『嫌だった?俺の贈り物は、君にとって良いものでは無かったのか?』

 その問いかけに、首を横にふる。

『違う……これは、僕の問題だ。ブレイブ、君のせいじゃない』

 暫く、二人の間に沈黙と、冷たい風が流れた。ブレイブは、問い詰めるような真似はしなかった。

 ただ、待っていた。僕が乱れた呼吸を整えて、もし万が一、言いたくなったら、聞くために。

『僕は父親に似てない。父は金髪だし、灰色の瞳でモンクみたいに無骨な見た目なんだ』

『そうなんだ、知らなかったよメーガス』

 それまでブレイブと家族の話しはした事がなかった。赤ん坊の頃に親から取り上げられて、勇者の島での生活しか知らないブレイブにとって、タブーな気がして、皆で避けてきた。

 けれど、僕の言葉を聞いてもブレイブは、なんてこと無い様子で続きを待つように、相槌をうつ。

『妾の母親から、貴族の両親に引き取られて、義母に育てられた。だから一度も会ったことがない。けど……そう、この顔は恐らく、産みの母親に似ているんだと思う』

 湖の中を覗き込んで、微笑もうとして、ぎこちない笑顔に、たまらず一際強く肩を握った指を食い込ませる。

『昔、何度か夢を見たよ。こういうワンピースを着た、優しい母親に抱きしめられて、大事にされる夢。でもいつも顔の所があやふやで、微笑みかけてくれなかった。大体、そこで覚めてしまって……だから、この服を着た自分の姿を見たら、夢の続きが見られると思ったんだ。でも……』

 湖の中の自分は、求めていたような優しい母親の表情なんてできなかった。そもそも、優しい母親って存在を知らないのだ。真似ようもない。

 一番、記憶に残ってる女の顔は、汚らしいものを見下すような義母の顔だけだ。

 他人の母親を遠目に見た、その記憶を真似しようとしても、できなかった。僕の顔に刻まれた、怒りや悲しみが、邪魔をして、優しい女の顔からは程遠い、さみしげな笑みを浮かべる像が水に浮かぶだけ。

『ダメみたいだ、僕は本物の母親がどんなモノか知らないから、真似する事もできないんだ』

 ああ、そうか、偽物でも、自分はそういったものは手に入らないのか、そんな絶望が冷たく這い上がってくる感覚がした。 

『メーガス』

 打ち破ったのは、朗らかなブレイブの声だった。僕の腕を引っ張って立ち上がらせる。

『なんだよ、急に』

 潤みかけた瞳の端を拭って、ブレイブの顔を見ると、両手を広げて言った。

『抱きしめてもいいか?』

『はぁ?何で急に……』

『締め上げたりして、攻撃たりしないから!』

 そんな心配はしてないけれど、恐る恐る見てくる瞳に悪意は感じられない。

 僕は訳がわからないまま、だけど抵抗するのも面倒になって舌打ちをすると、手を伸ばす。暫く離れてた後、再会した時とか、仲直りの印にするような背中に手を回すハグだ。

 肩に顎を乗せて、ブレイブは言った。

『俺が幼い頃、島でも良くしてくれてる人がいた。優しい人だったから嬉しくて、四六時中つきまとってたらしいんだけど……ある日、突然いなくなった』

『なんでだ?』

『俺がその人の事を親みたいに慕いそうだったから。勇者は誰かを特別に思っちゃだめなんだ。肩入れすると、世界に不幸が起こる』

 思わず顔を上げて、ブレイブの瞳を覗き込む。

『一人で神殿で暮らしてると、何だか俺がどこにも居ないような気がして、さっきメーガスがしたみたいに自分の肩を抱きしめてた。掴んでないと、自分が闇の中に溶けてなくなっちゃいそうで怖かった』

 そう言いながら、輪郭を確かめるように僕の肩をギュッと抱き寄せる。

『だから、今の君を見た時、思い出して気づいたんだ。あの時、多分俺は、誰かに抱きしめて欲しかったんだなって……』

 胸が苦しくなった。ブレイブの過ごした時間を思うと、あまりにも悲しくて、やるせない。

 自分が置かれた処遇に、選択する権利すらなく追いやられた、この道に、怒ることすらできないまま、ブレイブは島からココまで来てしまったのだ。

 そうして今、自分が気づいた悲しみを癒やすより前に、僕を癒そうと抱きしめている。

 たまらず、俺もギュッとブレイブの体を抱きしめ返す。子供の頃、誰かにして欲しかったみたいに、力いっぱい。

『大丈夫だ、メーガス。君はここに居る。それに、俺もここに居る。君に、抱きしめ返して貰ってわかった……戦って無くても、俺は俺で、ここに居るんだな……』

 感慨深げにブレイブが言う。

『痛みがなくても、手足が取れなくても、こんなに簡単に、俺がここに居るのが分かるんだ。抱きしめるって、凄い事だな』

 そんな事を言うので、思わずブレイブの体を大地に繋ぎ止めるようにギュッと抱きしめる。

 戦う時、どうして敵陣の真ん中に突っ込むのか、痛みを厭わないのか。

 そうしないと、ブレイブは勇者である自分を認識できないからだ。

 勇者以外の生き方を与えられなかったから、自ら危険に飛び込んでしまう。

 恐怖も不安も知らない代わりに、喜びも自分もわからないのだ。

『ブレイブ、お前はココにいるよ。勇者じゃない、プレゼント一つで戸惑ってしまうような不器用な僕の相棒が、友人がここにいるんだ』

 僕の言葉に、背中に回されたブレイブの手の平が熱くなるのを感じる。

 そうだ、僕らは人だ。感情があって、血の一つ一つに、熱が行き渡るほど生きている。

『メーガス、君もココにいる。どんな服を着ても、母親に似てても、そうでなくても、気がまわる、頼もしい俺の相棒が、友がここにいる』

 僕らはお互いをギュッと抱きしめた。子供の頃に、誰にもして貰えなかった分を埋めるように。全然足りなかったけれど、少しでも埋まるように。

 暫くそうしてると、僕らはお互い体温が高すぎて、汗ばんで疲れた。

 そういう事に気がつく事さえ、無い人生だったのだ。

 どちらともなく「はは」「暑いな」と言って、身体を離して笑った。

 二人で湖の畔で座っていると、ブレイブが僕を見て言ったのだ。

『メーガス、君には後悔して欲しく無い。ちゃんと好きな物を選んで、好きなように生きいてほしい。例え、その服がそしりを受ける物だとしても。君が好きなら着てほしい。石を投げられたら、俺が代わりに受けるから。そんな風に思ってしまうんだ』

『なんだそれ、僕の台詞を取るなよ。このカッコつけ野郎』

 言いながら、肩を軽く殴る

 そんな事、僕だって思ってる。ブレイブが勇者をやめて逃げ出したいって言ったら、世界中の人間に邪魔されても、逃げる事に賛成して、道を開いてやろうって。

 そして、あの両親ごと世界が滅んだら、ザマーミロって笑ってやる。

 こんな世界には、それがお似合いだ。

 この可愛いワンピースが失われる事だけが、心残りだけど。その程度の心残りしか無いんだから、もうワンピースを着たら終わりでも良い。

 でも、ブレイブは、やめたいなんて一度も思っていないようだった。

『お前こそ、どうなんだ、ブレイブ』

 見上げると、ブレイブは『わからない』と嘆息する。

『とりあえずは、魔王を倒さなきゃ何も始められない、と思ってる』

『じゃあ魔王を倒した後、つまりブレイブ(勇者)じゃなくなったら、どうするつもりなんだ?』

 その質問に、湖の畔で、膝を突き合わせたまま、ブレイブは目を泳がせた。

『わからない……預言者達は神の元に返って、永遠の栄誉を得られるって言ってたけど……』

 要約すれば死ぬって事だ。

 勇者の死亡率は、かなり高い。援護する英雄たちと違い、聖剣による封印を行うため、魔王に至近距離まで近づかなければならないからだ。

 そして、生きて返ってきた中でも五体満足だった者は、更に少ない。

『そうだな、生きて返って来られたら、島で幾ばくか土地を与えられるから、そこで過ごすことになるんじゃないかな。自由にして良い……とは言われているけれど、実際、何を、どう自由にできるのか……』

 手足が失われてしまえば、もうブレイブのその後は決まったようなものだ。ただの象徴として、人々を慰め、生涯を閉じられた島の中で過ごす事になる。

 もちろん、食物や生活に困る事はない。彼は生きたまま英雄として、神として崇められ、人々から多くを捧げられ、生涯を過ごすことになるだろう。

 しかし、ブレイブがそんな生活を望んでいるようには見えなかった。

『馬鹿、弱気な事を言うな』

 想像するだけでむかっ腹が立って、ブレイブの背中を叩く。

『勇者の島なんてツマンナイところなんて行くんじゃない。お前には、僕がついているんだぞ。最強の魔術師のこの僕が!お前は五体満足でピンピンして戻ってきて、凱旋の寄り道で気に入った場所で暮らすんだよ!』

 確率はかなり低いけれど、ゼロってわけじゃない。何人かは奇跡的に、そういう勇者もいたはずだ。

『君が言うと心強いね、メーガス』

 ブレイブは、曖昧に笑う。信じてないのだ、そんな未来。だが、心の慰めにはなる、という顔をしていた。

『メーガス、君は?この冒険が終わって、英雄の栄誉を手にしたら、どうするつもりなんだ?』

 その質問に、僕は思い出す。僕の奥底にある醜いモノを。

『僕は……僕を殺そうとした両親、その一族に復讐する』

 今まで他の誰にも言ってない事だった。黒い魔術師のローブの中で押し込めていた思いも、不思議と、このワンピースを着た時から、自然に吐き出してしまう。

『弟が生まれたから、庶子で長子の僕が邪魔だという、それだけの理由で殺そうとした。その事実を、薄汚さを皇帝の前で明かしてやる。ただの妾の子の言葉じゃ、誰にも響かない。けれど、魔王を倒した英雄の言葉なら信じてもらえるから……取り潰しにだってできるはずだ。自分で縄に首をかけたくなるまで追い込んでやる……!』

 想像するだけで、胸がすく。早く、その日を迎えて絶望に震え、崇拝していた帝国を追われる両親の姿を見たかった。

『失望したか?僕は追い詰められて、魔術の粋を極めただけの、つまらない男だ。そして、君を利用してのし上がり、醜い復讐をしようとしている』

 自嘲気味に、そう言うとブレイブは笑う。

『メーガス、君の事を面白いと思った事はあっても、他の三人みたいに良い人だと思った事は無いよ。君は割とズルい事をするし、口汚い。それに、良い人は、出会い頭にメイスで攻撃したりしない』

 ブレイブが肩をすくめてそう言うので、つられて僕も笑ってしまう。

『間違いないな。僕は性格が悪い。良いのは魔術の腕、それから顔と服の趣味ぐらいだ』

 立ち上がって、ワンピースの裾を翻す。やっぱり可愛い、いい匂いがして、着心地がいい、サラサラと布が掠れる音にワクワクする。

 黒魔術のローブのようにズルズルと重苦しい音はせず、月の光を受けてキラキラと光る素材。触っているだけでうっとりと心地いい。

 藁や獣の肌から温度を得ていた頃から遥か遠く、優しい感触がした。

 湖に映る僕は、母親のような優しい顔はしていなかったけれど、やっぱり一等美しく見えて、一枚の絵画のように、この世界で輝い 青い瞳に問いかけられると、すぐにウンとは頷けなかった。

 きっと、スッキリするだろう。やらない未来は想像できない。忘れてていた。

 僕の中で、僕を見ていた目が変わっていく。

 醜く、打たれては泣いて、汚らしく、矮小で、何かで隠さなければ息をする事も許されず、力を誇示する事でしか居場所を得られなかった男。

 その厚い皮が剥がれて、中から出てくる。大きな瞳、ほっそりとした顔、鼻筋が通った、美しい母親似の小さな顔と体。

 好きな色は、明るくて柔らかい花のような色で、好きな素材は柔らかい綿、好きな香りは甘い香り。可愛い花のモチーフが好きで、身につけていると、嬉しくなる僕がいた。

『俺が思うに、両親が君にとっての魔王だとしたら……君こそ、それを成し遂げた後はどうするつもりなんだ?』

 僕は、その場に座り込んで考える。フワッと風を受けて、ワンピースのスカート部分が膨らむのが楽しく思いながら、悩む。

 そんな事、考えていなかった。

『成し遂げて……ようやく僕は、自分の人生を始められるんだと思う。栄光も栄誉も、絶対にあの家にはやらない。英雄として僕だけの功績を得て……称賛を受けて……嘲笑して……』

『それで?』

 ブレイブの問いかけに戸惑う。それ以上の事は考えてなかった。むしろ、これだけの事を成すのだ。それだけでいっぱいで、人生が終わる覚悟すらできていた。それほど、世界に未練がなかぅった。

『それで終わり?メーガスは、それで幸せなのか?』

 別の道を歩むなんて綺麗事を受け入れるつもりもない。

 だが、それで幸せかと聞かれたら、そう、とは言えなかった。

『そうしたら……ようやく始められるかもしれない、新しい、僕だけの人生が。だから……新しい名前が欲しいな』

『新しい……名前?』

両親(アイツら)が、家畜のように呼び捨てた名前じゃなく。憎悪で血が沸騰するような家名でもない。身分や素性を隠すために名乗った、異国の凡庸な名前でもない。僕だけの……僕の人生のための名前が欲しい』

 その言葉に、ブレイブが顔を上げる。

『良いな、それ。俺も欲しい、俺だけの人生、そのための名前……ブレイブ(勇者)じゃない、俺の名前』

 そう言った瞳の輝きが忘れられない。まるで子供のように無邪気で輝いていた。

『なぁメーガス、もし君が言うように、俺が五体満足で生きて、この旅を終えられたら』

『絶対にそうする』

『君が俺に名前をつけてくれないか?ブレイブじゃない、もっと良い名前を』

『僕が?』

『だって、普通は親が子供に贈るものなんだろう?俺は何も贈られなかった。だから、誰かに俺を思って贈って欲しいんだ。プレゼントみたいに』

 静かに、その考えを楽しむようにブレイブは目を伏せた。

『叙任式に現れた時から、君はずっと俺の人間性だった。みんなが望むブレイブ(勇者)じゃない、真面目な式典で笑って、暴れちゃうような人間にしてくれた。今も、凱旋で寄り道してご馳走に預かろうとするような、ズルい奴にしようとしてくれる』

 ブレイブがニカッと歯を見せて笑う。そうやって笑ってると、酒場でたむろするような若い青年と変わらないように見えた。

『だから、きっと君がくれる名前は、俺を勇者じゃない、別の何か、面白い人間に変えてくれる気がするんだ』

 そんなつもりは無かった。僕は単純に、人を良いように操ろうとする大人が嫌いなだけの捻くれ者だ。性格だってブレイブとは比較にならないぐらい悪い。

 決して善意だけで動く男じゃないし、かなり利己的だ。そんな奴が、果たして、こんな善人の今後を左右するような名前をつけて良いのか?あまりにも釣り合いが取れてないんじゃないか?

『頼むよ、メーガス』

 だが、その言葉には弱かった。それに、もしそんな約束でブレイブが、五体満足で返ってくる、その事にやる気を出してくれるなら安い提案だと思った。

『わかった、考えよう。ただし……』

 勇者の名前を考えるなんて、重責を負わされるのだ、これぐらいの意趣返しは許されるだろう。

『僕の名前は君が考えるんだ。僕だって贈られたい、ハクのついた良い名前をね』

 改名だって、勇者から与えられたというなら通りも良くなるだろう。

『でも、あんまりダサい名前だったら、やり直しを要求するからな!真剣に考えろよ』

 僕の言葉に、ブレイブは楽しそうに『大変な作業になりそうだね』と笑った。

『性別も、生まれも、これまでの屈辱的な人生も関係ない』

 僕は湖のほとりで立ち上がると、ターンをしてワンピースの裾を翻す。水面に映った僕は、優しくなんて笑えなかったけれど、青白い肌に、白いワンピースが映えて美しいと思えた。

『可愛い服が似合って、強くて、カッコいい、僕が最強の魔術師だって世界に認められる名前にしてくれよ』


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