第六話 ドラグーン
言い訳をすれば、最初から女装まで行ったわけではない。
翌日、いつものローブと前髪に戻ると、皆の扱いが元通りになって、ガッカリしたのは確かだった。だからといって、最初からソコまで飛ばしていたわけではない。
最初はローブを目深に被るのをやめて、顔を出すようにしただけだ。それでも、前髪が邪魔で結局、顔の半分は見えない状態だったけれど。
この顔に、どこまでの効果があるのか半信半疑というのもあった。
街から出て久しく、女の顔というものを忘れてるだけかもしれない、実際はそれほど大した事はないのかもという疑念もあった。
何せ僕たちの旅は路銀不足で、更に言うなら魔王の住む、最果ての腐れ禍に向かってる。
進めば進むほど、ドラゴンや獣に車輪を引かせる商隊も減る。休戦中の微妙な国境線も通る。そうとなれば、基本歩きで大陸を横断せざるおえない。
徒歩で横断していれば、数日どころか数週間は人に会わない事もザラだ。
そして、このパーティには女は一人もいない。
だから、女に会わなさすぎておかしくなってしまったのかな、とも思った。
それで、試しに、街から出て数日ほど、宿屋の女の印象が消えぬうちに、思った。
髪を切って、反応を見てみるか。
ドラグーンとの夜営中、手持ち無沙汰だったので、ナイフを取り出してカットしようとした。
今考えると、これも一つの分岐点だったかもしれない。
ブレイブやモンク、テイマーとは、それなりに眠気覚ましに会話もした。
しかし、ドラグーンとはそれまで仲が悪かった事もあって、多くの夜は無言で手持ち無沙汰だったのだ。
『メーガス、何してるんだ!』
ドラグーンも流石にギョッとした様子で、自分から話しかけてきた。普段は居眠りでもして『怠慢ですよ、当番なら眠気覚ましぐらい用意しなさい』と叱る時ぐらいしか、言葉なんてかけてこないのに。
『いや、前髪が邪魔だから切ろうと思って』
『君の前髪が邪魔なのは今に始まったことではないだろう……?突然、どうしたんだ』
そりゃそうだ、今まで顔の半分を前髪で覆われて平気でいたのだから、妙な心変わりと思われても仕方ないだろう。
『話すと長くなるが……まぁどうせ夜も長いし良いか』
そうして、僕はある程度は包み隠しつつ、自分が妾腹であること、義母に嬲られていて、自分の顔を見られるのが怖かった事、弟が生まれて家を追い出された事をドラグーンに話した。
『まぁ、だけど、この前の一件で、それほど酷い顔では無いって事もわかったし、いい加減、邪魔だから切ってみようかなと……』
話し終えてドラグーンの顔を見ると、彫刻のように鼻筋が通った顔にツーッと一線の涙が流れてた。
『どうしたんだ、いきなり、目に灰でも入ったのか!?モンクを呼ぶか!?』
動揺して問いかけると、ドラグーンは『すまない、今まで知らなくて』と目頭を押さえる。
『私も妾腹だから、気持ちは分かる。幸いにも、私は兄が死ぬまで母と一緒に平民として暮らしていたんだけれども』
『えっ……そうだったのか』
貴族らしい振る舞いから、生粋の貴族だとばかり思い込んでいたが、衝撃の事実に目を見開く。
『君が保険なら、私は控えだったというわけだ。兄が落竜で死んで、突然呼び出されてね。もう、それなりの体格に成長していたから、君みたいに殴られたりはしなかったが……息一つするのでも、下品だと、言葉や態度で冷遇されたよ』
うっとおしいぐらい貴族らしい振る舞いをしていたのも、逆だったのかもしれない。
生まれながらに、貴族の教育を受けてなかったからこそ、自分の振る舞いに自信がなくて、典型的な振る舞いを選んでいたのか。
『逆に考えてみたら、良いんじゃないか?メーガス、弟ができて君は自由になれたんだと』
使用人に殺されかけた事、その使用人を殺した事、さらにはそう命じた家族を死ぬより酷い目に合わせようと思っている事を、この単純な男には言わなくて良かった、と思った。
絶対に、分かりあえる事は無いだろう。
ドラグーンは、僕の前髪をサラッと横に流しながら『ナイフを貸してくれ』と手を伸ばす。
『義父には連れ子がいてね、平民だった頃は五人兄弟で育ってきたんだよ。弟や妹の髪を切ってたから慣れてる』
その日は、なんだかドラグーンの言ってる事にも嘘や嫌味がないように感じて、素直に渡した。
思い切り、ナイフで切ろうとしていた髪を、ドラグーンの手が刃先でスッスッと少しずつ梳く。
なるほどこうやって切るものなのか、と関心しながら眺めていと、ドラグーンは呟いた。
『貴族なんて良いものじゃない、責任が重くて、息が詰まる。私がいずれ治める事になる、北部のヴォルスダイクなど帝国に睨まれて、針のむしろだ。いずれ魔生石の鉱脈を狙われ、戦争が始まる』
『魔王がいなくなれば、まぁ……』
今は魔王が一番大きな問題だから、皆休戦しているだけだ。しかし、それが終われば新たな奪い合いが始まる。誰だって、誰かより贅沢な暮らしがしたいものだ。
『私が戦わなければ、兄弟が死ぬ。でも、私が戦えば、誰かの兄弟が死ぬ。いつか、そういう日が来る』
目の前から暗い色の髪が取り払われて、視界がスッキリと良好になると、ドラグーンは布でもって、細かい髪の毛を落とすように柔らかく顔を拭ってくれる。
そんな風にされたのは、初めてで、ちょっとくすぐったくて気持ちが良かった。
『でも、英雄になれば話しは違うだろう?』
口の中に入りそうになった髪の毛をぺっぺと吐き出しながら言うと、ドラグーンは肩をすくめる。
『まぁ、多少は交渉する余地が出るだろうな。英雄の住む土地を侵略するのは、帝国の兵士といえど、はばかるかもしれない。家族の命ぐらいは……』
『スケールが小さいな。せっかくの見栄えと、貴族らしさなんだから、ドラグーン、アンタが北部と言わず帝国を飲み込んじゃえば良いんだよ。民衆を取り込んで、北部の王になるなり、帝国の姫をたぶらかすなりして上りつめれば、戦争もなんもなくなるだろう』
ドラグーンは些か意表を突かれた様子で目を見張る。
『それは……あんまり誇り高い生き方では無さそうだが?』
『落竜するような馬鹿の代打で呼び出されたんだよ、綺麗事はドブにでも投げてろ。アンタは僕と勇者に膝をつけさせた最強の竜騎兵なんだ』
ドラゴン騎乗からの上空攻撃、ロングリーチ、投げられた槍を魔法で叩き落として、防ぎきれたと思った。
その時、ドラゴンが振り落としたのだ。落竜かと思った。高度のある場所から振り落とされた人間は、高確率で死ぬ。
慌てて、ブレイブが受け止めようと、飛び上がった時だった。
この男、空中で拳を構えていたのである。
捨て身の攻撃が、ブレイブの顔面に直撃し、空中で落下。僕が耐衝撃魔法で受け止めている間に、ドラグーンの飼いならしたドラゴンが、主人を地面と衝突寸前でキャッチして飛び上がる。
油断していた訳でない。だが、相手の行動を読んで、自分のドラゴンを信じて最善を尽くした。
あの戦いぶりに、僕もブレイブも彼をパーティに招く事で意見は一致した。
『惨めな最後だけは辞めてくれよ。アンタを強いと認めた僕の格が下がる』
真っ直ぐ、ドラグーンを睨み上げる。
その時のドラグーンの表情は、何とも表現し難いものだった。
今にも泣きそうな……それでいて、眩しいものを見たような顔つき。なんともゾクゾクするような感情が乗った表情。
『君は……とても真っ直ぐなんだな、メーガス……それでいて歪ませたく成るほど』
顎に伸ばされた手に、まだ髪を切る箇所があるのかと、僕はされるがままにした。
『美しい……』
そう言いながら、段々と顔が近づいてきて、僕は『ん?』と首を傾げる。そんなに近くで見ないと、髪は切れないものなのか?
よく見ると、ナイフは腰掛けていた丸太に置かれていた。では、これは一体?
『メーガス!ドラグーン!』
大きい声がして、顔を横に向けると、そこにいたのはブレイブだった。
『どうした、何かあったのか?』
僕は慌てて丸太を降りて、ブレイブの元へと駆け寄る。今日の夜営の担当では無かった筈だ。
『敵の気配でも感じたのか?』
ブレイブは、そういった物に敏感だったから、またそれで起きたのかと思ったのだ。
『いや、そういうわけじゃない……たまたま目が覚めただけだ。日記を書き忘れたなって思って』
ブレイブは、そう言いながら、真剣な目つきで前髪が短くなった僕の顔を注視する。
『ああ、これは、旅で邪魔かなって思って。兄弟の髪を切り慣れてるドラグーンに頼んだんだ。どう?変じゃないか?』
『……そうか。スッキリして良いと思う』
そう言って、ブレイブが笑ったので、どこかホッとする。
いつも笑ってるやつの、笑ってない顔って怖く感じる時がある。この時の表情は、別に何を思ったわけでもなかっただろうが、笑って無かったので少し緊張した。
『俺、これから日記書きたいし……一緒に火の側で夜営してもいいかな?ドラグーン』
何でワザワザ、ドラグーンにそんな事を聞くのか、わからなかった。
ブレイブのパーティなのだから、彼がやりたいと言えば何でも通る。
だがドラグーンは、どこかバツが悪そうな様子で『もちろん、私は構わない』と答えた。
『次に髪を切る時は、昼にした方が良い。夜は色々間違いが起きる事もあるからね……本当に、色々と』
思えば、それ以来、ドラグーンと夜営が被った事はなかった。当番表は相談して決めていたが、なんやかんやとブレイブが言っては離されていた気がする。
あれは、どういう意図だったのか、当時はわかっていなかった。
だが、わかった事は一つだけあった。
髪を切って、顔を出した僕に対する対応は、やはり、それまでのモノと比べ物にならないぐらい改善されたからだ。
店に行けば『美人の魔術師さん、お一つどうぞ』と何かにつけオマケをしてもらえ、物を売るときにさえいつもより高く買い取って貰えた。
会う人間、全員の機嫌を少しだけ上げて、対応を柔らかくする効果があるなんて凄い。魔術なら、もっと複雑で手間がかかる。
まぁ、男だと気がつくと『なんだよ』と舌打ちされるというしっぺ返しはあるが、それを加味しても、強い効果といえるだろう。
それに、何より変わったのはドラグーンだった。
『メーガス、疲れているならドラゴンの後ろにでも乗りますか?』
それまでは、自分のドラゴンに触れることすら許さなかったドラグーンが、そんな事を言い始めたのだ。
今までは、周囲との体格差と歩幅差でぜぇはぁ言いながらついてってる僕を完全に無視していたのに。
ブレイブが少しも疲れてないくせに、気を利かして『少し疲れたから、ペースを落とさないか?』と言うまで、気にもかけてなかったのだ。
男なら当然という顔をしていたのに、なんて掌返しだとビックリした。
見目が良いと、こうまで優遇されるのか、それともあの夜の会話で弟と重ねてくれたのか。
でも、どちらにせよ、悪い気はしなかった。
『ありがとう、ドラグーン!助かるよ』
背中に乗ると、操従しているドラグーンの背中に触れる。硬い背中だったが、歩き詰めの旅にはありがたい寝具で、そして温かかった。
落ちないように、ギュッと腰に手を回して抱きつくと、ビクッと動いたが、その時は背中が弱点なのかな?ぐらいにしか思わなかった。
実際の所は、僕には兄なんて居なかったのだけれど、居たらこんな感じだったのかな……などと思いながら寄りかかる。
これから、ドラグーンの事をそんな風に思って、少しずつ甘えても良いのだろうか。
そう思った。
今から思えば、その考えは間違っていたし、重大な亀裂を入れる原因となるのだが、この時は気づきようもなかったのだ。