第五話 初めての女装
『さっき挨拶に来た、地主が言ってた氷山龍ってやつを倒せば、暫く余裕ができるんじゃないか?かなり素材として価値があるみたいだし』
ブレイブが、冒険者ギルドに張り出されていた最大難関のクエストの話しを思い出して言うので、僕は思わず溜息を吐いて肩をすくめた。
『気軽に言うけれど、氷山龍のこもってる洞窟の中は冷床になってて、マイナス五十度前後だぞ。呼吸するだけで肺が凍りつくんだよ』
こういった、土地の主クラスのモンスターは、土地の権利や土着の信仰と結びついていて手を出しづらい。勇者が出てくると、ここぞとばかりに責任を押し付けようと、仄めかされる、お勧めされる。
『ミーとしても捕まえたい気持ちは山々デスが、防寒、耐冷の装備がないと討伐はインポッシブルでーす。凍死しまーす』
その言葉にドラグーンは首を横に振る。
『私達の今の所持金で買えるのは、せいぜい一人分、しかも女子供用のやつだけですよ』
指差した先にあったのは、商店の中に飾られた耐冷服である。もこもこした毛皮の服で、一番大きいのは所持金の十倍はした。
代わりに、ドラグーンが言及した一番小さいのは酷かった。
小柄な女性が着るような、ボアの帽子、足首まで覆うような白毛皮のコートに、ワンポイントの革紐ベルトに、もこもこボア付きショートブーツという可愛らしい三点セット。
テイマーがガックリ肩を落とす。
『ブレイブのスペシャルなパワーで行けないの〜?』
ブレイブは悩ましげに眉間に皺を寄せる。
『俺、魔力を帯びた冷気は無効にできても、既に凍ってる場所の冷気は、どうにもできないからなぁ。普通に凍死すると思う』
その時、モンクが僕を見た。
『メーガスが炎で溶かせば良いのでは?』
『まぁ僕が、山ごと燃やして良いなら、焼き切るが。それで良いのか?』
テイマーが、慌てて首を横に振る。
『そこまでしなくて良いん〜ですヨ!鱗や内臓が希少な素材なんですから!消し炭にするのはノー!氷洞の出口までワープで、誘い出してくれれば、やりようは有るんですけど……』
『いや、だから、耐冷装備がない事には近づく事も……』
テイマーの言葉に抗議していると、ドラグーンの視線が僕に刺さる。
『メーガス、貴方サイズはいくつですか?』
ドラグーンの質問に嫌な予感がした。
『嫌だ』
『私はまだ何も言ってませんよ』
『僕に、その女子供用の耐冷装備をつけろって言おうとしてるだろう!』
言葉にしたのが馬鹿だった、ブレイブもテイマーもモンクも気づいてしまったのだ。
『拙者が代わりに行って上げられたら良かったんですが、あいにく、この巨躯であるからなぁ』
ムキぃッと音が立ちそうなほど筋肉をしならせて、モンクが頭を下げる。煽ってんのかコイツ、ぶん殴るぞ、と思った事は一度や二度ではない。実際殴った。筋肉が厚すぎて全然気にしてなかったが。
『ミーも変わってあげられれば良かったんだけど、流石にあのサイズは入んないにゃ〜』
針金のように細ながーいヒョロっとした体を折り曲げて頭を下げる。コイツはギリギリ許した。運動音痴で足が遅いから、逃げ切れないだろう。
『メーガス、貴方も男でしょう。仲間のために、服の一枚や二枚で四の五の言わないでください』
ドラグーンの言葉に、ビキビキと青筋が浮かぶ。この貴族野郎。かなり嫌いだった。人を使っても良いと思ってる側の人間の物言い。涼しい顔した金髪の美形なのが、尚更腹が立つ。
『あぁッ?じゃあなんだ?僕が大物を捕まえて、路銀を大量に手に入れたら、スカート買ってやるから、お前も履けよ?仲間のタメなら、それぐらいできるんだろう?』
最も、この厚みのある彫刻みたいな男に着せられるスカートなど、存在しないのだろうが。
『そんな話はしていないでしょうが、イチイチつっかからないでくれますか?』
一触即発、すわ殺し合うか?という場面になると、毎回すかさずブレイブが割り込んできた。
『落ち着け二人とも』
ガンつけ合ってても、ブレイブに押されると、足を踏ん張れない。ズリズリと土に跡をつけながら、確実に引き剥がされる。馬鹿力め。
僕はブレイブを睨みつけた。
『お前も、僕にあんな女子供みたいな服を着て戦えって言うのか?』
ブレイブは、少しだけ悩ましげに眉をしかめる。
『じゃあ俺が着よう』
『はぁっ?』
ブレイブの発言に、全員が驚いて『クレイジー』『頭の診察をするか?』『メーガスが呪ったのですか』と思い思いに慌てる。
ブレイブの顔こそ、ふんわりと優しげだが、筋骨隆々とした身体が、あの服に通る予感がしない。
『別に何も問題はない。ただ、あの服を着る事で、メーガスの名誉が汚されるというなら、無理強いはすべきでは無いと思っただけだ。俺では袖が通らなくて、はみ出すだろうが……まぁ、凍傷で壊死したらモンク、再生を頼む』
本気だった。目がそう語っていた。
『は、恥ずかしく無いのか?女物の服を着るなんて』
僕の問いかけにブレイブは首を傾げる。
『裸や下着姿で出歩くのは良くないと習ったが、何を着てはいけないかは、そこまで明確に聞いてないんだが。あれを着けるのは、君たちの教義ではタブーなのか?』
時々、そういう世間ズレした答えを言っては、ブレイブは周囲を戸惑わせた。
ブレイブの知識は、文献と、各国から集められた教師役からの伝聞が全てだ。
うっかり教師役が伝え漏れた常識の世話は、彼の選んだパーティの面々が補う事になる。
そういう意味でも、最強の彼一人では魔王の根城まで先導役として、パーティの面々が必要なのだろう。
『僕は、どんな神にも信心の誓いなんて立ててないけど……』
最初にそう断る。
無宗教というのは、神々の意思が強く存在する、この世界では物珍しがられるが、居ないわけではない。連続する戦争や、悲惨な環境が、その選択を人々に許した。
姿も意思も掴めない神を憎むよりも、彼らの行いに関わりたくないと思う方が、契約に忠実な精霊や悪魔を信じた方が、よほど心が楽だからだ。
その上で、こう答えた。
『常識や慣習の一部としてタブーというか……恥をかく行為だぞ。着ている所を見られたら、男としての尊厳が損なわれる』
忠告すると、ブレイブはわかったような、わかってないような微妙な顔つきで目を細める。
『男としての尊厳って、何かを纏うと損なわれるモノなのか?装備不足で、敵の巣に入る事の方が愚かしいと思うけれど』
最もな指摘に、思わず僕は言葉に詰まる。追い打ちをかけるようにドラグーンが指摘する。
『それに、どうせ氷山龍の巣の近くに人なんていませんしね』
『ユーが何を着てたかなんて、ミー達、誰も漏らさないし名誉は守るヨ!』
『むむぅ、その通り!拙者ら、絶対にからかったりなどせん。名誉の行いと理解しとるからな!』
そこまで言われて、断れるだろうか?ブレイブが好意でとはいえ、余計な事を言ったせいで、拒絶する方が男としてかっこ悪い。そんな空気になっていた。
『わかったよ!この寛大で男らしい僕が、愚かしくて尊厳にしがみついた君らの代わりに着れば良いんだろ!』
結局、僕はこの身の小ささを怨みながら、嫌味たっぷりに作戦を受け入れた。
ブレイブは『君が一人で着るのが嫌なら、俺も戦闘の時はスカートを履くよ』と申し出てきたが、もちろん『いらない』と断った。
ドラグーンに対しては嫌がらせで言っただけなのだ。
意味もわかってない人間に着せて、笑われるのを見るような悪趣味は持ち合わせてない。
『騎乗したり草むらに入らないなら、大して問題無いと思うけれどね。島じゃ布一枚だけ巻いて、魔物の居る森を通り抜けさせられた事もあるし』
ブレイブが、そんな事を言うものだから、逆に僕らが驚かされた。
『クレイジー!武器は流石に有りだよね!?』
『いいや、無しだ。素手で魔物の首の骨を折ったりして殺す。失敗したら、やり直しだ』
『拙者も似たような修行をした事があるが、流石にモンスターの居る森では無かった。預言者達の与える試練は、あまりにも酷いな……』
『私には、全く理解できない文化です。しかし、生きてここまで来たというのが、さすがブレイブですね』
『いや、たまたまだよ……俺は運が良かっただけさ。まぁ……でもあの修行で何より辛かったのは、素手で敵を倒す事より、虫刺されだったなぁ。痒くて寝付けない夜もあって、布は偉大だって思ったよ』
そんな朗らかな談話が始まってしまっては、今更、言葉を覆す事もかなわない。
そういった空気に流されて、僕はもう何だか女物の服ぐらい、どうって事ないような気にさせられてしまったのだ。
しかし、この時ばかりは、ほだされるべきではなかった。コレが、僕の全てを狂わせたのだ。
耐冷服は、氷山龍の天敵である火熊の皮から作られる。
超高温度の白炎を上げる火熊は、真っ白で冷たいように見えて、実のところ近づいただけで、相手を炭化させるほど危険なモンスターだ。
討伐には、遠距離射撃能力を持った魔術師が必須。そういう恐ろしいモンスターである。
その毛皮はもちろん冷気に強く防寒性能は最高だ。しかし、殺しても半年は皮が燃え続けているから人間が着れる状態ではない。
半年寝かせて、魔法を毎日かけて延焼しない程度に加工してようやく完成する高級品である。
寒冷地帯では、マイナスを超える山岳地帯に踏み入る仕事の人間が愛用している。
そういう服なので、もちろん露出度は低い。
『まぁコートと帽子、靴だな!多少、デザインがアレなだけで、女物と言われなければ……見えない事もないし大丈夫、気にするな僕!気にしちゃダメだ!』
キャンプテントの中で魔術師用の黒いローブを脱ぎ捨てて、シャツとズボンの下着の上にロングコートを羽織ろうと手に取る。
すると、コートの柔らかい手触りと共に、フワッと甘い匂いが鼻をくすぐった。
高級品であるし、売る前に香を焚き染めてあったのか、コート全体からいい匂いがした。
引き寄せられるように、服を抱きしめると、温かくて、なめらかな感触に、記憶が呼び覚まされる。
幼い頃、豪華絢爛な屋敷を歩いて、開いている扉に気がついた。
そこには、沢山の色とりどりのドレスやコートが並んでいて、花畑のようだった。
恐らく義母のドレッサーだったのだろう。
美しい花のようなドレス達が、まろい輪郭に甘い香りを漂わせて、ゆらゆらと揺れていたのだ。
僕は、その部屋に引き寄せられるように入っていって、一番分厚い黒いコートに手を伸ばした。
影が立ち上がったような、黒い毛皮のコートを、恐る恐る、抱きしめたのだ。
温かくて、女の香水の香りがして、とても嬉しい気持ちになった。
義母は、僕を抱きしめてくれるような人ではなかったから。その温もりと柔らかな感触、匂いに、物語で読んだような、憧れの母親を夢想したのだ。
とても、心が満たされる体験だった。
僕は、その日から機会を見つけては、その部屋に忍び込んで、色とりどりの美しい衣装を抱きしめて、肺いっぱいに優しい香りを収めた。
美しい色が、柔らかい肌触りが、僕を愛して慰めてくれているような錯覚に陥れた。
洋服と、洋服達をそれぞれ抱きしめて、踊って貰って、楽しく遊んでもらって、優しく包み込んで貰った。
時々、置きっぱなしにされた、白粉の粉を少しだけ、ハンカチの中に拝借した事もあった。
一人で、窓際の部屋で眠る時に、枕元に置いて置くと、優しい匂いに良く眠れた。
義母に見つかって、両頬に青痣が出来るほど殴られるまでは。
『その汚らわしい手で、私のモノに触れるんんじゃない!淫売の子が!』
その記憶を思い出した途端、弾かれるように耐冷コートを投げ捨ててしまう。
『あ、何やってんだ僕は……』
慌てて拾い上げて、埃を落とす。
これは、あの女の服ではないのだ。触れても、着ても、咎められる事などない。
今の僕なら、あの女の口を縫い合わせて、叩いた手のひらを焼き焦がす事だってできるのだ。
そう自分を奮い立たせて、衣服に袖を通す。
身体の芯から温まる、良い服だった。まるで母熊に抱きしめられて、温められているような心地に、高くつくわけだと納得する。
女用だというのに丈はムカつくことにちょうどよく、足首が隠れる。
いつもは、どんな服を買っても男用だと丈や袖を詰める手間がかかっているのに。それだけ、僕が小柄だという証明になってしまう。
腰のラインを締めて臀部をふんわり強調するように縫製されたシルエットが、鍛えあげた僕の筋肉をボカして、柔らかい女の体に錯覚させる。
スカートのようになったフカフカのファーコートの裾を捲り上げると、短く刈り上げられた毛皮のショートブーツを履く。
冷気が侵入しないようにするためか、足首の部分には毛の長いフワフワの覆いがついていた。
着てみて、動きにくい所はないか、確認するためにくるっと回って、腕や足を曲げてみる。妙なダボつきも発生せずピタッとフィットして気持ちいい。
首や袖に当たる部分は、心地の良いあて布がしてあり、サラサラと気持ちいい。
普段使っている、作業用のローブなど、ザラザラした布で、夏場は擦れたり、汗を吸収して赤く腫れたりすることがザラなのに。
袖を軽く捲くれば、裏地には花の刺繍が施されていて、細かい意匠に驚く。
クリーム色の花の刺繍は、目をみはるほど精巧で、可愛くて、胸の奥がくすぐったい心地になる。
黒いだけの作業着とは違う、身につけているだけで、こんなに心臓が早鐘をうつのは何故だろう?
暫く見入ってしまってからハッと我に返る。
こんな事している場合ではない。
確かに、黒魔術の薬剤を生成する関係で花や植物には親しんで来たが、それは仕事のためであって……好みで見てるわけではないはずだ。
僕は、そんな男ではない。そう必死で言い聞かせつつ、ボタンを締める。
それにしても女の服って、全部、こんなに着心地が良いものなのか……!?
とてもいい匂いがするし、きっとこの服を抱きしめて寝たら気持ち良く眠れそう。
いや!使い終わったら、路銀確保のためにも、もう一度売り払ってしまうのだけれども。荷物になってしまうし。
女物だし、もう着ない、着ないのだから!と自分に言い聞かせて、残った帽子を見る。。
帽子を被るか、一瞬悩んだ。
これは可愛すぎないか?真っ白なファーの帽子は若干左右が盛り上がって、小動物の耳みたいだった。
子供がつけたら可愛いが……僕は、そんな年齢ではないし、男だし。
いやいや、でも、頭を冷やしすぎると、脳髄まで冷えて障害が残った症例を文献で見たことがある。寒さを舐めてはいけない。
渋々、帽子を深くしっかりかぶると、伸ばしすぎた前髪が垂れてくるのに気がつく。
きっと凍ったら邪魔になるだろう。普段は髪が目に入るぐらい、大した事ないが、凍った髪は、眼球に傷をつけかねない。
前髪を持ち上げると、ソワッとする。
顔が丸見えになるのは、何だか落ち着かない。
目で呪ってしまうから、なんてのは気にしてない。
パーティの仲間達に、僕の呪いで死ぬような柔なヤツはいない。
そもそも学院で何年も訓練して、制御できる。みだりに燃やしたり、攻撃するような事は、もうない。
それよりも、義母はいないのに、殴られるかもしれない、と反射的にソワソワする気持ちの方が大きかった。
僕の顔が生みの母に似ているから『淫売の顔を見せるな!』と叩かれた回数は、数えきれないほど記憶に焼きついていた。
だが、同時にそんな弱気にクヨクヨしている自分に腹が立つ。
ここに義母は居ないし、居ても僕の魔法で一撃で殺せるのだ。
もう前髪で隠す必要なんて無いんだ。眼球を守るために、えい!と帽子の中に、髪を纏めて押し込んでしまう。
そうしてイヤイヤながら、装備をつけて、仲間たちの前に出た。
その瞬間だった。
僕の世界が変わったのは。
『か……可憐だ……!』
はじめに、そう声を漏らしたのは、いつもはあんなに厭味ったらしいドラグーンだった。目を見開いてマジマジと僕の頭のてっぺんから足先まで見る。
最初はからかってるのかと思って睨みつけたが、締まりのない微笑みで『いや、はは……あんまり見られると、照れるな』と返されて、あれ?と思った。
もしかし、コイツ、マジで照れてる?
『ミーもビックリしたよ!メーガスってば、ローブを目深にかぶって、いつも顔隠してるから……こんなキュートな顔してたなんて知らなかった!』
テイマーも、わざわざ膝を折ってジロジロと顔を見てくる。何だ、こいつら。
『拙者も本当にビックリしたぞ……いつも俯いてるし、前髪長くて暗〜いやつだと思ってたが、こんなぺっぴんさんだったなんてな……本当に男か?』
『はぁ?お前らアホか、水浴びの時に裸を見てるだろうが!』
街から街へ移動中、風呂なんて贅沢なものはないから、そこら辺の川で水浴びを雑にする事は何度かあった。
一々隠してないんだから、男である証拠は見ていた筈だ。
全く、この脳筋僧侶は、頭を洗うついでに記憶も流してしまったのか?
『なぁ、ブレイブ、お前からもこの馬鹿達に何か言ってやれよ』
助け舟を求めて、ブレイブの腕に縋る。しかし、ブレイブは僕の顔を物珍しそうに見下ろすだけだった。
『俺は、あんまり人の顔の種類を知らないから、造形の良し悪しは分からない。けれど、皆がそう言うなら、メーガス、君は可憐で、キュートで、べっぴんなんじゃないか?』
ブレイブの口から臆面も無く、そんな台詞が出てきて、思わず僕は『はぁ!?』と素っ頓狂な声を出してしまった。
『お前ら、やめろ!ブレイブが間違った認識を持ったらどうするんだ!?』
慌てて訂正しようと周囲を見渡すが、三人が謝罪して、言葉を改めようとする様子は無かった。
『ノンノン、嘘じゃないんだから仕方ないデショ!メーガスは、キュートだよ!キャットみたいにツンとした金色混じりのグリーンの目、ミーの故郷でもなかなか見ないよ』
『うむ、拙者も諸国修行で色々見てきたが、思わず目を引くな……こんな見事な目千両で鼻筋が通って……目の下の泣きぼくろまで……』
モンクがゴクリと喉を動かす。
実家では義母に、妾であった実母に似て醜悪だ!と言われ続けてきたので、忌むべきものだと思っていた。ずっと隠してきた。この顔が?
『白い肌に、小さな顔、こんな場所で、メーガス、貴方の声で無ければ、私も深窓の姫君かと見間違う所でしたよ……相当美しい母君をお持ちなんですね』
ドラグーンの言葉に、衝撃を受ける。頭が回らなかった事に自分でも呆れる。
義母には、散々醜いと言われていたが、そんな訳がなかった。あの自分本位なクソ親父が、わざわざ醜い平民になんて手をつける訳がないのである。
つまるところ、僕の顔は、本当に大多数にとって美しいと感じられるものなのだ。身分を超える間違いが起きてしまった、母に似て。
しかし、これまで前髪やローブで隠して来たので、誰にも指摘されて事がなかった。
それが、この時、一斉に褒めちぎられたのである。人生の許容できる褒められ容量を超えていた。
ギューッと血が顔に登ってきて、熱くなって、泣きそうだった。なんだこれ、なんだこれ!恥ずかしくて、顔が熱くて死にそうになるなんて、そんな事あるのか!?何かの魔術攻撃か!?
『た、たすけろブレイブ、なんかコイツらおかしい!』
助けを求めると、ブレイブはようやくハッと気がついたように『メーガスが困ってるから、そこまで』と、間に割り込んで背に隠してくれる。
『でも、何で困ってるんだ?褒められているだけなのに?』
振り向きざまに、そんな事を尋ねられても、僕だってわからなかった。
その日の戦闘も、中々に奇妙な物だった。
氷山龍を誘い出し、炎で冷衝波を防ぎつつ、ワープで距離を稼ぎながら、氷洞の出口まで誘導。
そこで五人で寄ってたかって、氷山龍を攻撃して、討伐したのだ。
だが、いつもなら『メーガス、補助魔法が遅いですよ!』『ミーの召喚獣が怯えるから砲撃魔法はやめてよ〜!』『あチッ拙者に魔法が掠ったぞ!しっかり狙え!』と散々文句を言ってくる奴らが、一転したのである。
『私が抑えます。メーガス、危ないから下がって』
『ミーの召喚獣で守るから、安心して詠唱してね』
『いてッははは、いや拙者は大丈夫!この筋肉と治癒魔法で元気最強!』
男同士である、雑に扱われるのは慣れていた。それが突然、扱いが優しく、気遣わしげになったのである。そりゃもう、引くぐらいに。
その時は、龍が氷冷呼気の第三波を吐き出そうとしていたので、深くツッコむ暇は無かった。
相殺するのに火炎放射魔法の照準を練らなきゃならなかった。その後、上がる大量の蒸気で蒸し焼きにされないように、パーティ周辺に冷却魔法も必要だった。
『燃えよ!燃えよ!汝は光閉じぬ灼火!旋気の精霊よ、汝を焼く悪辣を鎮めたまえ!』
変わらなかったのは、ブレイブだけだった。
『メーガス、遅い』
その言葉と共に、蒸気の向こうから氷山龍の大口が視界に飛び込んでくる。
灰青の瞳が五人を逃さず、しっかりと映して、瞳孔を攻撃的に細める。
氷山という名前を冠するに相応しい巨大な龍が、眼前に迫っていた。
確かに遅かった、この距離で攻撃をしても、反撃で凍傷は免れない。モンクがやられたら、回復ができない。最悪のパターンが頭を巡った。
『全員、目を覆え。メーガス、光』
冷静な声に、思考が瞬時に回る。目を瞑り、求められた魔術を発する。
『猛り 爆ぜよ 刺眼の憤光!』
単純にして、簡単な魔術であった。強烈な光による目眩し。
しかし、それは長く洞窟に篭っていた氷山龍を怯ませるには十分だった。
『ドラグーン、動くなよ』
ブレイブの声を共に、ドンッと地面を蹴る音、続いて、ドラグーンが『ウッ』と呻く音が聞こえる。
恐らく、ドラゴンと共に中空に浮いていた、ドラグーンの肩でも足掛かりに、ブレイブが飛び上がったのだろう。
大地を揺らすような龍の悲鳴が響き渡り、やったのだとわかる。
ブレイブがやったのだ。
『テイマー、足を拾っておいてくれ』
その言葉を聞いて、慌てて目を見開く。まだ、眩しさで視界の像が繋がらないが、それでも必死に目を凝らす。
ブレイブが、氷山龍の瞳に聖剣を突き刺し、そのまま脳天に向けて、肘まで眼球奥に押し込んでいた。
溢れ出す、青い血。
反対側の龍の瞳が、白目を剥いて細かい痙攣を繰り返す。もう死んでいるのは、明らかだった。
しかし、口から溢れた冷気までは、止めきれなかったのだろう。浴びせられて、凍りついたブレイブの足にヒビが入り、今にも落ちようとしていた。
「%#@#$%^&*%$@@$$$!!!」
テイマーが慌てて、異界の言葉を並べると、彼の腕の刺青から鳥の形をした精霊が飛び出す。そうして急速旋回で、落下したブレイブの足を、嘴で摘んで受け止める。
あのまま、落下して砕けていたら危なかった。いくらモンクが優れた回復役といっても、粉々になった肉片をかき集めてくっつけるのは厳しい。
ドラグーンが、片手でドラゴンの瞳に剣を突き立てたブレイブを空中でドラゴンに咥えさせて、丁重に地面に下ろす。
モンクが怒りの声を漏らしながら駆け寄る。
『全く無茶をする……!無茶を!』
凍りついて、折れ外れた足をテイマーの精霊から受け取ると、慌ててブレイブに取り付け、呪文を唱えて緊急手術を始める。
ブレイブは、緊迫したモンクとは対象的に落ち着いてて、他人事のように『綺麗にくっつくといいな』と眺めていた。
接合の度に走る稲妻、とてつもない痛みが走るはずだが、そんな様子はおくびにも見せない。痛みに慣れ切った顔で、手持ち無沙汰なのか、荷物から日記帳を取り出すと何かを書き連ねる。
どうやって耐えているのか、それともこの幸運こそが勇者が神に受けた祝福なのだろうか?
ブレイブは、どんな危機的状況も、最後の最後で打破してしまう。
その間違わない判断に、ホッとすると同時に、ギリギリまで身を投げ打つ行動に、僕は胸糞が悪くなる。
勇者の証左だ。
勇者は『恐れを知らない』者にしかなれないからだ。
ブレイブの過去に想像を巡らせては、彼をこうしたであろう過去に、勇者の教育に反吐が出た。
僕が貴族として育てられたよりも、もっと悪質な『家畜』としての教育。
死に関わる痛みや恐怖すら認識できていない、蛮勇。
神の器なんて建前で預言者達が何をしたのか、考えるだに恐ろしい。
強い人間が、そんな目に遭って迎える最後が、死だなんて嫌だ、と思っていた。
僕は強い事が好きだ。
強さは僕を守ってくれる。魔術の強さがなければ、僕はあの晩使用人に殺されてたし、魔術学院で主席を取る事もできなかっただろう。
この小さな体も、強い魔術があるからこそ、周囲の馬鹿げたやつらにからかわせる事すら許さずに済んでいる。
とういうか同級生でからかったやつらは、全員ふっ飛ばした。
強さは人を支配し、僕を暴力から守ってくれる。
信頼できるのは、強さだけだ。
なのに、その強さの極地を持つブレイブが、人々の思惑で歪んで、死で終わるなんて、腹立たしくて仕方ない。
今は、魔王を倒さなければ人類の存続が危ういから、仕方がないと耐える。
だが、これが終わったら、僕はブレイブという強い「人間」に選ばせてみたかった。
自分の未来を、自分のためだけの世界を。
強さを勝ち取るために、費やした人生に、それだけの褒美が与えられないなら、生というのは、余りにも残酷すぎる。
そんな世界観で、僕は生きたくなかった。
せめて、誠実に世界のために働くブレイブの、そのひたむきな強さには何か報いが与えられる、その姿が見たいと思った。
それを見届けられたら、きっと自分も自信を持って復讐を成し遂げ、自分のための人生を歩める。
心の奥でひっそりと、そんな事を思っていた。
だけど、そんな事を考えても、現実は恥ずかしい事に、僕はそこまでブレイブを上手く守れてなかった。
至近距離で自分の何百倍も大きい氷山龍の攻撃。あまりにも強大な姿に、ビビってメイスを持つ手が震えたし、冷却魔法がコンマ遅れて蒸し焼きになるかもしれない、と脳裏よぎったせいで、腰が抜けてた。
無論、全ては杞憂で間に合った。反射的に詠唱できたし、行動もできた。日々の研鑽の賜物である。
しかし、それでも緊張が抜けた体は震えて上手く力が入らなかった。
少し休みたい、と思ったものの、周囲を見渡せばパーティのメンバーは誰もが、テキパキと氷山龍の解体に動き出し、休む様子を見せない。
ブレイブでさえ、モンクの『休んでいてくだされ』という言葉を無視して『大丈夫、俺やれるよ』と剣を瞳から抜いて、働きだしていた。
そんな様子を見て、泣き言は言えなかった。
魔術学院時代も同級生という名の宿敵達に、弱みは見せた事はない。
特に、小柄である事や、推薦の癖に主席を得ているやっかみから、嫌がらせ、嫌味はしょっちゅう行われていた。
推薦した教授達にすら『恥をかかせるなよ』と冷たい目で、常に動かされていた。
弱っている所なんて見せたら、その隙に攻撃され、主席から追い落とされてしまっていただろう。
メイスを握る手にギュッと力を入れて、よたよたと立ち上がろうとした。
そろそろ、これぐらいで作業に協力しないと、モンク辺りが『いつまで休んでるつもりだぁ?お嬢さん』と、からかい半分で嫌味の一つでも飛ばしてくる所だ。そう思ったからだ。
しかし、その日はヨタヨタと歩いていくと一斉に止められたのだ。
『私達がやりますから、貴方はそこで待ってなさい』
『そ〜そ〜服が汚れちゃうからミー達に任せて、ね!』
『顔色悪いし、拙者、回復魔法かけようか?テントで、ほら二人で』
モンクの言葉に、一斉に全員が手を止めて睨みつける。
『回復魔法は後でいっか!うん、とにかく休んだ方がいいんじゃないか!?』
いつもなら、小柄で作業量が少ない事を揶揄されるのに、その日は気持ち悪いぐらい優しくてビックリしたのを、ありありと思い出せる。
『休んでいいのか?本当に?』
ブレイブの方を見て、恐る恐る確認を取ると、ブレイブは氷山龍の青い返り血がついた顎を拭いながら、頷いて言った。
『顔色悪いしのは本当だし、メーガスに倒れられたら困る。だからゆっくり休んで』
『あ……』
いつもこちらの状態を悟られたら、弱みを見せたら、つけこまれると警戒していた。
けれども、そうだ。ここは学院の中ではないのだ。五人しかいないパーティで、火力を担当している僕が、無理をして倒れる方が迷惑になる。
『じゃあ、そうさせてもらうかな……』
ホッと体から緊張の力が抜けると、ドッと疲れが襲ってくる。
メイスに寄りかかりながら、テントに戻ろうとする道すがら、迷う。
別に、良いと言われたんだし、と自分に言い聞かせながら、それでも作業を手伝わない後ろめたさが、多少なりと湧いた。
だから、振り向きざま、みんなに向かって、こう言ったのだ。
『作業手伝えなくてゴメン。休ませてくれて、ありがとな』
緊張がほどけたのか、休めることのありがたさ故か、思わず口角が緩んで笑ってしまった。
その時の四人の顔と言ったら!
どこか照れくさそうで、嬉しそうな顔をしたのだ。ただ微笑みかけただけなのに!
ブレイブでさえ、どこかほうけたように口をあけて見てた。
テントで一人休みながら、何とも言えないくすぐったい気持ちと高揚感が湧いて、コートのまま転がったのを覚えている。
思えば、人に心配というモノをされたのは初めてだったのかもしれない。今までは弱い所を見せたら、攻撃される。そういうモノだと思っていた。
しかし、今日の反応はどうだ?
母親似の、男好みの顔を晒して、可愛らしい格好をしたら反応が百八十度変わったのだ。
小さい事も、弱い事も、大きな減点だと思っていた。強い魔術や能力、知力でもって補わなければならないほどの欠点だと。
それが、途端に強みになったのだ。
僕は魔術で鏡を出すと、マジマジとそれを覗き込む。
ああ、ずっと見るのが怖い、忌むべき姿だと思っていたそれが、正常な形で認識できる。
僕は、母親に似て美しい。
この姿が武器になるというなら、人の反応をああまで変えて、優しく、好意的にしてしまうというなら。
それなら、コレを使わない手があるだろうか?
力が僕を守る手立てになるのだとしたら、実のところ、美しさだって力として僕を守れるのではないか?
その考えが、その日、僕の心に植え付けられた。