第四話 メーガスの過去
キッカケは小さな事だった。
『ミーが思うに、我々は、もっと大物をゲットしないと、次の街に辿り着く前にマニーが底をつきますワン』
テイマーが、その日に乱獲した魔物や動物の売上を、先程売却に使った商店の前でブラブラさせて溜息を吐く。
濡れた草みたいな緑の髪が、汗が浮かぶ額に張り付いて、余計にジトッとして見えた。フワフワと日向のような顔も、今日は曇り気味である。
僕らは戦力面では上手く回っていた。しかし資金面は真逆をいってた。
『私からすると……もっと諸国貴族からの援助金を受け取ればいいと思うのですが』
ドラグーンは、貴族出身らしい呑気な考えを述べるので、すかさずモンクが『ダメに決まっておろう!』とがなり立てる。いつもの流れだった。
『勇者というのは特別な力を持つ存在なのだ!もし、どこかの国から援助を受け取ってみろ……その国の味方だと思われ、敵対している国とややこしい事になってしまう』
そう、魔王という恐ろしい強敵を前にして、人間側が纏まっているかと言うと、別にそんな事ないのである。
人間は人間同士で敵対しているし、領地とか宗教で揉めて、定期的に戦争もしている。
だから勇者なんて特別で強力な存在を獲得したくないわけがない。
何代か前の勇者が、とある国の姫と恋仲になって、政治的な問題に肩入れしたのが原因で起きた戦争まであった。
それ以来、過ちを繰り返さないよう、勇者が生まれたら選ばれた預言者達で育て、どの国にも所属させず、誰からの施しも受ける事を許さないのが決まりだった。
それゆえに、勇者はどれだけ敵対しあっている国であろうと、関係なく跨ぐ、通る、必要であれば民家の侵入や破壊ですら、裁く事はできない。ブレイブは『極力避けたい』と、結局一切権限を使用しなかったけれども。
勇者は人間の体に宿って生まれいでるが、人間ではない。
神より貸出された、神器の一つとして聖剣と同列の『器物』として扱われるのだ。
それゆえ、ありとあらゆる宗教の寺院に立ち入る事を許され、儀式の中断すら権限にある。逆に、ありとあらゆる宗派に信者として入信できない。
勇者なのだから。勇者が行う事、全てが天災と同じものとして受け入れなければならない。
そんな勇者一行に与えられるのは、勇者のパーティである証明をする特別なメダルと聖剣一本。後は自給自足。依頼を受けて、解決した際の報酬しか得られない。
聖職者の修行のような真似をしながら、魔王城までたどり着いて、相手を倒さなければならない決まりだ。
ゆえに、勇者に従うパーティの冒険者達は基本的にボランティア《奉仕活動》なのだ。他の冒険者達と同じく、ギルドにかけられた正当な依頼を解決した報酬。その均等分配でしか収入は得られない。
他に与えられるのは、栄誉だけ。しかし、この栄誉が一生食うに困らないだけのキャリアを僕らに与える。
竜騎士から将軍にだってなれるし、モンクから医院の開設、いや大司祭や法王だって狙える。
テイマーは恐らく大学の教授か大臣辺りを狙っているのだろう。
とにかく、共通の敵を倒すのであるから、民衆からの支持が凄まじい事になる。そのため、王侯貴族も成金も、全ての権力者が無視できない存在になるのだ。
僕?僕の目的はもちろん出世と権力による支配だ。
今一番、勢力を増している帝国に出仕して、宮廷魔術師になる。
帝王の意見すら変えられる参謀になって、何をするかって?
僕を殺そうとした奴らに、地獄を与える。
そう、僕を育てた両親だ。
妾から生まれ、男子という理由だけで父親は赤ん坊の僕を引き取った。けれど、貴族の家で半分平民の血が流れる僕の処遇は屈辱的なものだった。
家を継ぐ道具として、家畜のように鞭を打たれながら育てられた。
実の父親は、真冬の氷のように冷たい灰色の瞳と同じ、その金色の髪の一本ほども、僕に関心を抱くことは無かった。
柔らかい亜麻色の髪の美しい義母は、あからさまに僕を罵って、いたぶった。
見たこともない実母に似ているからと、目を合わせるだけで殴られた。
おかげで僕は、魔術師になる前から前髪を伸ばして目を隠すのが常になっていた。
式典がない時でも、目を覆うバツのついた布の代わりに、幼い頃から変わらず、前髪が顔を隠していた。
黒髪の間から世界を覗く度に、顔を隠して俯く、不気味なガキを見る、周囲の冷たい視線が突き刺さった。
だが、それでも義母の罵倒や暴力に比べればマシといえよう。
そんな事をされても、幼い僕は、彼らを親だと思っていた。期待に応えるため、必死に努力していた。
ヴラフォース帝国の子爵家の長男として、騎士になるべく研鑽を怠らず、学び、鍛えてきた。
それなのに、アイツらは僕を家畜のように屠殺しようとしたのだ。
帝国の法で爵位は長子しか引き継げない。
だが老齢の父が職務を引退するまでに、子が生まれなければ、爵位は引き継ぎ先を無くし、家は取り潰しになってしまうのだ。
それゆえ義母は、保険として妾の子でも男児である僕を受け入れた。
弟が生まれるまでの保険として。
赤ん坊が生まれた途端、一人部屋から使用人部屋に追い出された。
次に、弟が立てるようになった途端、家畜小屋に。
そうして、ある夜。金に困ってる使用人が、家畜小屋に侵入してきて、僕の首を絞めた。
『あっ……ガッ……やめっ……たす……れっ……!』
足をジタバタさせて、首を締める腕を引っ掻いても、少しも締める腕は緩まなかった。
『弟君が爵位を相続するのに、お前が邪魔なんだとさ。恨むんなら、ご両親様を恨んでくれよ。俺は、金が無くて仕方なく、なんだからさぁ』
そう言いながら、男はどこか楽しそうに苦しんでいる僕を見下ろしていた。
きっと事が終わったら、僕の体を刻んで家畜達の餌にでもするよう指示されていたのだろう。
万事休す、誰もがそう思うだろう。
そんな僕だが、生き残ったのは、家畜小屋で暮らしながらも、やめなかった事が一つだけあったからだ。
それは魔術の研鑽だった。
別に、この事態を予測していたからではない。
むしろ愚かにも、努力をしていれば、いずれ両親が認めてくれるのではないか?
そういう未練がましい気持ちが、僕に母屋から本を盗ませ、魔術の知識を高めたのだ。
魔術が使える人間は、そう多くない。才能の有る無しがハッキリと出る分野だ。
そこで希少な才能を身に着けたと見せられれば、弟の添え物としてでも、母屋の、あの窓際のお気に入りの部屋に戻して貰えると思ったのだ。
だが、結果として初披露したのは、両親にではなかった。
僕の首を締めた使用人が突然叫びだしたのだ。
『なんだ……焦げ臭……』
そう言って、頭を振った瞬間、男の目に、それは襲いかかった。
蛇のように暴れ狂う炎が絡みつく。
『火ッギャアアアアアアア!!誰か!!誰かぁ!火が!熱ぃ!!』
まず燃えたのは髪の毛だった。異臭を放ちながら、燃え盛る頭、男の悲鳴と共に、真っ暗で寒々しい家畜小屋に火が灯って、明るくなった。
寒々しい家畜小屋に、温もりが満たされたのは、皮肉にもこの日が初めてだった。
止めたくても止められなかった。命の危機に瀕して、反射で放出された魔力は、辺り一帯を暴れまわり、次から次へと枯れ草に飛び火して炎を大きくしていく。
僕の魔力ではあったが、僕自身にも制御できなかった。
『助けて……たすけて、たすけてぇ!』
そう叫びながら、僕はガクガク震える足で、四つん這いになって、紐が燃え切れた他の家畜と同じように逃げ出した。
家畜小屋から這い出てすぐの所にあった、水溜り。そこに映った自分の顔には、赤く光る二つの目が爛々と輝いていた。そうして、映し出した水溜りも、一瞬で燃やして干上がらせる。
強い魔術師の目は、呪う力が宿る。文献で読んだ知識だったが、まさか、こんな場面で、自分がそうであると自覚させられるとは思わなかった。
ボヤ騒ぎで母屋から飛び出してくる使用人たちの声が聞こえて、必死で目を隠しながら逃げた。
後ろで家畜小屋が大炎上する炎の熱を感じながら、少しも足を止めずに走った。走り続けた。
今でも思い出せる、屋敷の外は大混乱が生じていた。誰も小さな泣いている子供に気が付かないくらい。
『即位反対!式典を中止しろ!暗殺者を皇帝に即位させるな!この兄殺しの痴れ者が!』
『新皇帝バンザイ!エラストリス派の異教徒は国を出ていけ!ヴァンリッヘ三世こそが正統な皇帝である!』
新しい皇帝の即位によって、帝国内は分断され、貴族も平民も動乱していた。
行進し、ぶつかり合う人々の足に蹴られ、転び、這いずって逃げているうちに、僕は股間がスースーしてションベンを漏らしてる事に気がついて『クソックソッ!』と泣いた。
怖くて、恥ずかしくて、色んな気持ちがグチャグチャに混ざって、わけがわからなくなりながら、とにかく必死に逃げてた。
だけど、一つだけ間違えようのない感情があった。
怒りだ。
その感情に、心の底から震えた。
使用人を焼き殺した事に後悔はない。
魔術の暴発事故だったし、殺さなければ、殺されていた。子供だからと侮って、覚悟もなく、殺すと選択をした人間が悪い。罪悪感など爪の先程もない。
だが、僕はそんな選択などしたくなど無かった。
誰かを殺したいなんて、それまで思った事も無かったのに、強制的に、その状況に追い立てられた。
あの家のせいで。
あの家のために。
家畜のように利用した挙げ句、家畜のように処理しようとした。
同じ人間なのに、何様のつもりで、そんな思い上がった決断ができた?
貴族だから、親だから、先に生まれたから?全ての限度を超えている。
そんなに家が大事か、自分の利権が大事か、血筋が大事か、そのためなら僕の命を、感情をコケにできるぐらいに。
なら、そんな家、潰してやる。
あの両親が、弟が、どこに隠れようと、土の中からだって掘り出して、引きずり出して名誉を汚して、恥を晒してやる。
殺すぐらいでは許さない。肉体の痛みだけでは許さない。僕が感じた心の痛みより、もっとおぞましい心地の中で、拷問のような生を味合わせてやる。
その名に拘り、人をココまで蔑めるというなら、僕はお前らの名を家を、名誉、尊厳、その全てを奪って、逃げ場が無くなるほど周囲に知らしめてやる。必ず追い詰めてやる。
そのための権力を得る。その為なら、何でもする。
そのドロドロとした気持ちだけで、顔を隠し、人を欺き、帝国で虐げられていた宗教的少数派の亡命者達に紛れ、異国であるオルテスク王国に渡ったのだ。
幸いにも、あの火事で家畜小屋は炭になり、死体の判別がつかなかったせいか、僕は死んだ事になっていた。
僕は、平凡な名前の平民を装い、魔術学院の下働きからはじめ、才能を認められ、推薦を受け、ここまで上り詰めてきた。
後は魔王を倒して、権威を得るだけ……なのに、現実は貧乏くさい事に頭を悩ませていた。