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メモ書き  作者: 蒼山詩乃
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沈むことを楽しむ

 たびたび気持ちが沈むなんてことはないだろうか。僕はしょっちゅうある。一種のアンビバレンスに挟まれて、どうすることもできずただただ思考の海に沈んでいくことなんて日常茶飯事である。大体こういう時は自分で考えて問題が解決することなんてほとんど無く、突然終わりを迎える時が来る。頭の問題ではない、こころの問題である。突然何かカチッとなって、ふと心が楽になっていることに気付く。そして何か自分にとって思考が統合された感覚があるわけである。ただこの感覚を持ち続けることは難しく、ちょっと経てば自分がその前に感じていたことが何だったのかを忘れてしまうことが多々ある。それでも心は確かに楽になっているのである。

 たいていの場合、こうして心が落ち込むことを一種の悪だと思っている人が多いと思う。確かに心が落ち込むと作業効率はガクンと下がるし、下手するとそれが日常生活に影響を及ぼすところまで来ることもある。精神病や神経症などが最もな例ではある。しかし、現代医学ではこの「病」という漢字を付けたこの二つの存在のほとんどは正確には「病」ではないらしい。「病」であるためには様々な条件があり、精神病、神経症等はそのほとんどが原因が分からないらしい。分かっているのは例えば梅毒からの進行性麻痺などだ。

 ならば、現段階ではそんなわからないものを解決しようとして、無理矢理治すことは僕から見れば、それは歪みにもつながってしまうのではないか、とも思える。治さなければならないという強迫観念は、一旦捨てるべきではないか、とも思える。もちろん薬等で治せるのならば治してしまった方がいいとは思うが、それらを頼っても治った感覚が無いのならば待つこともやってみては、とも考える。諦める、とも言う。何をすればいいのかわからないし、そもそもそんな状態になってしまえば思考能力なんてものは気付きにくいだけで落ちてしまっている。

 そもそも現代は生き急ぐことを是としている空気さえある。その中で心なんてよくわからないものを何とかしようなんてことが傲慢とさえいえる。それに活動してないと思われがちな時でさえ、心は常に働いているわけで、その絡み合って解けない糸を少しずつ少しずつ解そうとしているわけだ。それを色々しっちゃかめっちゃかいじったらそりゃ良くなるどころか、下手すれば悪化するわけだ。

 なので気持ちが沈んだときは、その状況を楽しむことを提案したい。それは飛躍するための準備なのかもしれない。確かにその状況は苦しいし、僕だってあまり体験したくない。なんならベストコンディションを保ち続けたい。しかし、人間も含めて刻一刻と変化する世界において無常であるのだから、その変化を楽しむしかないようである。そして気持ちが沈んだ時も刻一刻と心そのものが変化しつつある過程でしかないから、これもまた楽しむしかない。楽しんだもの勝ちである。


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