090 夜の面会
騒々しいながらも楽しく、あたたかな食事を終え、お風呂で汗を流す。
私は、懸命に戦ったハンさん達に先に入ってもらおうと遠慮していたのだけど、どうやら彼らは冒険者ギルドに併設されている、公衆浴場ですでに汗を流してきたそうだ。
冒険者ギルドに縁遠い私はうっかりしていたが、大抵冒険者ギルドには公衆浴場が併設されている。
それは冒険者は職業柄汚れやすいため、福利厚生と衛生上の観点から、ギルドが運営し、冒険者たちは無料で入れるようにしているのだ。
それを一般に開放し、入浴料を得ることでギルドは多少の収入を得ている。
自分にできるちょうどいい依頼がない暇な冒険者は、浴場の清掃などの管理や、多少の魔法の適性がある者は、炎魔法で湯を沸かしたりなどして、小遣いを稼ぐと小耳にはさんだことがある。
冒険者にとっても、ギルドにとっても、ちょっとした小遣い稼ぎの施設だ。
だから宿とはいえ、風呂場があるのは珍しい。けれど、異世界人にとっては一家に一つあるものだと、前の旅でミズキに聞いていた。こちらではお風呂と言えば公衆浴場であり、かなり裕福な貴族でなければ家にそんな施設を付けるのは普通ないのだと言えば、彼は驚いていたものだ。
その上、大抵はお湯につけた布で洗い、お風呂にわざわざ入るというのが特別な事だと言えば、驚きを通り越して若干の嫌悪感を抱いていたようだ。
一応湯につからずとも綺麗に拭き上げるのだから、そんな風にみられる事も無いと思うのだけど……。
なにより、旅の間はもっと簡易的に済ましていたのだから、彼だって同じだったはずなのに。
そんな事を思い出しながら入ったお風呂は、やはりというべきか、村特産の木材の香りが心地よい、木造の湯舟だった。そして同じく、林業が盛んなだけあって、その湯を沸かすのも薪らしい。パチパチと燃える音が、窓の外から聞こえていた。
マティナは大きなお風呂に目を輝かせ、本当ははしゃぎたいと思っているようだったけれど、私に遠慮してか、大人しく入っていた。
そして私は私で、精霊の細工が施されたローブの魔力を手繰り寄せ、風呂場からこの子の魔力が漏れ出さないようにと細工するのに手いっぱいで、ゆっくりくつろげたとは到底言えない状態だった。
けれど、それでも十分に疲れは癒せたし、何より魔力の流出をほぼ気づかれない程度には押さえられたので、私としてはそれで満足だ。
その後は部屋に戻り、マティナを寝かしつける。
昼の間に何度か寝てしまっていたので、すんなり寝てくれるか心配だったが、それは杞憂だった。
ベッドに入ると、すぐにスゥスゥという寝息が聞こえ、掛けられた布団は規則正しいリズムを刻んでいる。
どうやらかなり疲れていたのだろう。なにせ最初に眠りに落ちたのは、私がこの子の魔力を使ってしまったからだし、魔力の消耗だけでなく、森の中を逃げ回ったのだから、体力の方が削られていたはずだ。
まだ幼いこの子には、かなりの負担を強いてしまっていたようだ。
そんなことを頭を撫でてやりながら思いつつ、私はそっと起こさぬよう部屋に結界を張る。
亜空間に繋がるカバンから、いくつかの魔道具を取り出し、部屋を囲うように魔力の絵を描く。
そしてサルスから貰った魔力薬の蓋を開け、一雫指に垂らし陣を完成させれば、たちまちこの部屋は強力な結界で封じられた。
この結界はマティナを守るための結界。
そして、マティナから世界を守るための結界。
一仕事終え、私はそっと寝る子を起こさぬよう扉を開け、極力足音を立てぬようにして宿を出た。
家々の明かりも消え、何も照らすものがない闇に沈んだ道を一人歩く。けれど私にはなんの問題もない。闇に沈もうと、魔力を見通す目は、昼と変わらぬほどに周りの景色を教えてくれるのだ。
私はただゆっくりと目的の場所へと歩みを進める。目指す先は、冒険者ギルドだ。
締め切った雨戸の隙間から漏れる灯りが、中にまだ人がいることを示している。そこにいるのは支部長のアイリーだ。
彼女は今回の魔物の襲撃の後処理と、そして怪我人達がギルドの医務室に泊まることから、少なくとも一晩はギルドに居ると言っていた。
コンコンと小さくノックすれば、警戒した魔力の色を扉の向こうから漏らしながら、彼女は少し開けた隙間から私を確認した。
「こんばんは」
「なんだ、アンタか。こんな時間に誰かと思ったじゃないのサ」
「忙しいのにごめんなさいね。返事、できてないからしようと思って」
「ん? 返事? まぁいいさ、入んな」
彼女はなんのことだったかと思考を巡らせながら、私をテーブルセットに招き入れ、そしてハーブティーを出してくれた。
どうやら魔物の襲撃だなんだのゴタゴタで、すっかり私の話は忘れられてしまったようだ。
「ほいよ、この村名産のハーブティーさ」
「ありがとう。いただくわ」
爽やかな香りの中に、ほんのり蜂蜜の甘さが広がるお茶を飲み、一息ついて私は話し出した。
「魔物の襲撃のあとで、色々忙しい中ごめんなさいね」
「それはさっきも聞いたサ。ま、これがアタシの仕事だからね」
「えぇ、責任ある立場で大変でしょうけど、無理しないで下さいね」
「ふふっ……。そんな風に気遣ってくれるのは、アンタとウチのダンナくらいなもんだね」
「あら、結婚してらしたのね。てっきり仕事一本なのかと」
「アタシもそのつもりだったんだけどね。まぁ、巡り合わせってヤツさ」
ふっと綻ぶ頬と、その思考の先に思い浮かんだ人物は、私も知る人物だった。
彼女が想い出したその顔は、優しくて、でも壊れそうに脆い、前支部長の顔だった。
どういういきさつがあったかまでは定かではないけれど、どうやら彼女は、前支部長と最近結婚していたようだ。
それはそれはまだ初々しい雰囲気のやさしい記憶は、こちらまで暖かくなるような、ふわりとやわらかな魔力を纏っていた。
「って、違うだろ? アタシの話じゃなくて、アンタの話をしにきたんだろ?」
「えぇ。私の要件は、試合の後に話していた、勇者の件よ」
「あぁ、あれかい。それなら断るってことで、話は終わってるだろ?」
「そうね、私もそのつもりだったのだけど、やっぱり受けることにするわ」
「……、やめときな」
さきほどまでのあたたかな雰囲気はスッと消え、静かに彼女はそう言う。
「あらあら。これじゃあ、あの時とは逆じゃない」
「ははっ、確かにそうだね」
「それで、止める理由を教えてもらえるかしら? これは、あなたから誘ってきた話よ?」
「あぁ、そうだね。まぁなんだ、アタシも思うところがあったのサ」
「思うところ?」
「あー、なんて言ったらいいのかねぇ……」
彼女の考えは、私の目にはよく見通せている。
けれどそれは言葉にならないモヤモヤとしたもので、それでも私は理解できるけれど、彼女の思考の整理のためにゆっくりと聞くことにしたのだ。
「やっぱね、勇者うんぬんなんてハナシはサ、やりたいヤツがやるべきだと思ったのサ」
「やりたい人がやるべき?」
「そうさ。いや、勇者だけじゃない、冒険者もそうさ。
命をかけた戦いに出るんだ、人に言われたからやるなんていう、中途半端なヤツはすぐくたばっちまう。
だからやりたいヤツ、万一があっても後悔しない、覚悟の決まったヤツがやるべきことだ。
アンタはそうじゃないだろう?」
「そうね。あなたから言われるまで、考えもしなかったもの」
「アンタだって見ただろ? 魔物に襲われて、ひどい怪我したヤツをさ。
今回はまだ運が良かった。怪我はしたって、誰も死にはしなかったんだからさ。
けど勇者ともなれば、もっと危険なヤツとやりあう事になる。
死を前にして逃げ出すような、そんなヤツじゃダメなのサ」
「……、私が逃げると?」
「そうは言ってないさ。けどね、アンタは妹を守らなきゃいけない。
旅の途中、妹に何かあったと聞いたら、アンタは妹を見捨てて旅を続けられるかい?
勇者と妹を天秤にかけて、勇者を見捨てる可能性のあるヤツを、アタシは推薦できないね」
私を見つめるアイリーの眼差しは真剣だ。その瞳は支部長アイリーとしてではなく、そして冒険者アイリーでもなく、一人のこの世界に住まう人間として、私に言葉を投げかけていた。
それは、打算を超えた一人の人間としての言葉。だからこそ、説得の難しさを私は容易に想像できていた。
「そうね、あなたの言う事はもっともだわ。それならなぜ、私にあんな話を持ち掛けてきたのかしら?」
「……。アタシも鈍ってたんだね。魔王の居ない平和な時代を過ごして、勘が鈍っちまってたのさ。
今日の襲撃、あれはここしばらくの中じゃ、最も激しいものだったのさ。
今までは魔物なんて、皆ほぼ無傷で追い払えていたからね。もう時代は変わったのさ」
「それは……、出現した魔王の力が増しているということよね。
そして、その影響で魔物も、そして魔族も活発になってきていると……」
「そうさ。だからギルドの上の奴らは焦ってる。一刻も早く勇者を出さないとってね。
けどそれは、半端なヤツを出していいって言い訳にはならないさ」
「まったく、その通りね」
私の納得した言葉に、ほっと肩を撫でおろすアイリー。
それは何も知らぬ私が、戦地へと赴き、大失態を犯すなんて未来を回避できたことへの安堵ではなく、何の覚悟もない若人を戦地へと送り込もうなどという、愚かな事をしていた過去の自身の行いのケジメを付けられたことからくる安堵だ。
けれど当然ながら、私はこのまま「はいそうですか」と引き下がるつもりなどなかった。
覚悟なら、幼い忌み子を魔導士ギルドから連れ出した時に、すでに決まっていたのだから。
「だったらなおさら、私は勇者一行に入ることにするわ」
次回は11/13(金)更新予定です。




