089 没個性な彼女
「睨み合っていても埒があきませんよ」
キュウさんの冷たい言葉が、湯気だつ赤い敵と睨み合うルッツさんへとかけられる。
チラリとハンさんを見る彼の目は、若干涙で潤んで見えた。
けれどその視線の先の大男は、静かに首を振り、諦めろと態度で示すばかりだ。
意を決し、目をつぶってバクりとスプーンと共にニンジンを口に放り込めば、本当に泣き出しそうな顔を見せたのだが……。なにやら様子がおかしい。
「あ……、あれ? 今の、ニンジンだったよね?」
「えぇ、ニンジンでしたよ」
「……。おいしい……?」
「はぁっ!? お前、あんなに嫌ってたニンジンだぞ!?」
「いやでも……。大兄ちゃんも食べてみて」
「あぁ……」
促され、ハンさんも一口食べる。
すると困惑した表情で、同じように言うのだった。
「おい、これ本気でニンジンか? 赤いジャガイモじゃねぇだろうな?」
「ニンジンですよ」
返ってくるキュウさんの言葉も、先程と同じだった。
彼らがそう思うのも無理はないだろう。なにせこのポトフに入っているニンジンは、今まで食べたそれとは違うのだ。
独特の匂いもエグみもなく、柔らかく煮込まれたそれは、ハンさんの言う通り、赤いジャガイモと言われても不思議ではない。
伝説のロベイアシチューと比べるまでもなく、貴族ですら味わったことのない、極上のスープなのだ。
先ほどまでの葛藤などなんのその、ルッツさんは瞬時に食べ終え、おかわりを要求していた。
それも、ニンジン大盛りという注文付きで。
「良かったですね先生、大好評ですよ!」
「……」
ヨシノの言葉に、先生、つまりマサヨシは苦々しい顔で応えた。
どうやらこのスープは、彼が関わっているようだ。
「たしかにすごくおいしいわ。調理法が違うのかしら?」
「いえ、これは使ったニンジンが違うんですよ。
先生が品種改良で食べやすくした、新しいニンジンなんです」
「品種改良?」
「ニンジンにも種類がありましてな、食べやすい特徴の別種を掛け合わせ、より良い品種を作る事ですな」
私の疑問には、ハシミがいつもの落ち着いた口調で答えた。
話から推察するに、どうやらマサヨシなる人物は、そういった知識や技能があるということだろう。
「へぇ、私は詳しくないのだけど、そんなことができるのね」
「マサ君は、その界隈では名を知らぬ者は居ない植物学者でしてな。
しばらくこの村を離れ、最近まで世界を回って農業改善を行っていたそうですな」
「あら、有名人だったのね。そうとは知らず失礼したわ。あ、もしかして、この村の周りの畑……。
森を切り開いて開墾したというあの畑って、マサヨシさんの畑なの?」
「ほう、存じておりましたか。まさしくそれらは、マサ君の研究用の畑ですな。
色々珍しいものが育てられておりますな」
なるほど、二年前にこの村に来る時に見たあの畑は、彼が耕したものだったらしい。
あの時マモンは「変わり者の爺さん」と言っていたが、まさにその通りの変わり者だ。
そして今もなお、しかめっ面で話題のニンジンをすくい、一口その口へと放り込んだ。
そして静かに一言。
「違う……」
「へっ?」
ルッツさんのニンジン嫌いを克服させられて喜んでいたヨシノだったが、その言葉に一瞬硬直する。
そんな様子など気に留める事なく、彼は続けた。
「違う……! こんなの人参じゃない!!」
「いやいや、ニンジンでしたよ!?」
「こんな香りも味もない、特徴のないものなど、人参と言えるのかね!?」
突然の事に、部屋の中は時が止まったかのように静まり返る。
マティナも食べていた手を止め、私に少し寄りかかり気味に怖がっていた。
「私がこちらに来てすぐ食べた、あの原種の人参の香りと味わい……。あれこそが私の求めていたものだったのに……。
私は彼女らを、人参という個性を捨てさせ、カブやジャガイモ、ビーツでも代用できる存在にしてしまったのだ……!」
「まぁまぁ、先生。ほら、大好きな原種の人参もありますから。ね?」
ヨシノはさっと取り出した、細くてしおしおの、よく見る姿の人参を、丸のまま彼の口へと放り込む。
まるで葉巻を咥えるがごとく、ぽりぽりと音をたてながらも、それでも彼の論説は止まらなかった。
「……。しかし、世の中というものは個性を求めないもの。没個性アイドルユニットがウケるように、彼女らも受け入れられるには、彼女ららしさを捨てねばならないのか……」
そのように語りながら、哀愁を帯びた目で、彼はスープの中のニンジンを見つめていた。
というか、さっきからニンジンを彼女と呼ぶのは……。野菜への愛が重すぎやしないだろうか。
「あっ、そういえば、アイドルで思い出したんですけど〜」
彼の野菜への愛並みに重い空気をかき消すように、ヨシノはそのように切り出した。
「隣町にアイドルがいるらしいんですよ」
「アイドル……、とはどのようなものですか?」
「あ、キュウさんはご存知ないですか?」
「えぇ、勉強不足でして……」
「あー、アイドルってのはですねぇ……。なんて説明したらいいんだろう?」
ヨシノは言葉に詰まった。当然といえば当然だろう。なぜなら、アイドルとはこの世界では最近広まった概念なのだから。
歌と踊りで人を魅了し、それによって生計を立てる者……。そんな説明では、吟遊詩人やダンサーと思われてしまう。それとはまた違ったニュアンスがあるのだ。
「えぇと、他の方もご存じない……? 私じゃうまく説明できないんですけど……」
「私は聞いたことがあるわ。確か、歌や踊り、演劇などの芸能関係をこなす、若い子のことだったかしら」
「あー、うん。そんな感じです!」
「へぇ、なんでもこなすんですね」
「いえ、私も聞いた話だから詳しくはないのだけど、全員が全部をこなすわけではないらしいの。
一通りできるけれど、それぞれ得意分野は違っていて……」
説明になっているかもあやしい説明だが、やはりキュウさんはピンときていないようで、頭の上に「?」を浮かべているようだった。
「となると、歌なら歌を極めた人の方が良いのでは? 全てをできる必要もないですよね?」
「んー、どっちかというと、極めるまでの過程を応援するもの……、なのかな?」
「そうみたいね。私も、応援したくなる存在と聞いたわ」
「なるほど、まだ研修生といったところでしょうか」
「うーん、どうなんでしょうね? 見てもらった方が早い気がしますね」
概念というものは、説明するのが難しいものだ。特にこういう異世界からやってきてすぐのものは、どうやったってすでにこちらにあるものと比べてしまう。
私にとってもアイドルというものは、ひとつのグループを知っているだけだ。だから、私の持つイメージは彼女らであって、本当に概念そのものを理解できているわけではない。
「ということでですね! せっかくなので、見に行ってみてはどうですか?」
説明が面倒になったのか、ヨシノは唐突にそう言い放った。
彼女は簡単に言うが、隣町と言っても数日かかる距離だ。ちょっとアイドルというものを見に行こうなどと、軽い気持ちで行ける工程ではない。
それは他の人たちもよくわかっているようで、あのキュウさんですら少々あっけにとられたような顔をしている。
「アイドルというものは気になりますが、それだけのために隣町まで行くのは……」
「あ、そうじゃなくてですね、キュウさん方は依頼も終わったので、王都に戻られるんですよね?」
「えぇ、そのつもりです」
「そのアイドル達が隣町に居るというのは、護衛がいなくて足止めされてるらしいんですよ。
だから、彼女たちの護衛依頼を受ければ、ただ帰るよりも良いかと思ったんです」
「なるほど、手ぶらで帰っちゃもったいねえもんな」
今まで黙々と食事を続け、皿を空にしたハンさんが話に入ってくる。
どうやらルッツさんとのおかわり競争をしながらも、彼は話を聞いていたようだ。
ちなみに競争の結果は、内容物を全て食べつくされた、鍋の一人負けだ。
「そう思いますよね? その上困っている人を助けられるて、アイドルも見られる!
まさに一石三鳥ですよね! キュウさん、どうですか?」
「えぇ、ハンが乗り気なのでしたら、私は何もいう事はありませんよ。
リーダーの決定に従うのが、冒険者の鉄則ですから」
「えっ? ハンさんがリーダーなんですか? これは、失礼しました!」
「気にすんな。どうせ仕事は全部キュウに丸投げだからよ!」
今までリーダーをキュウさんだと思っていたヨシノは、あわあわといった様子で頭を下げる。
けれどそれに対する答えは、完全に職務放棄したリーダーの言葉と、仕事を押し付けられたキュウさんのため息だった。
「しかし問題は、ノッテさん達が今後どうするかなのですが……」
「あぁ、そうだったな。しばらく一緒に行動する事になったんだっけか?」
「えぇ、ハシミさんは元々王都に戻る予定でしたので問題ありませんでしたが、あなた達はこれからどうするつもりですか?」
「私たちも王都に向かおうと思うわ」
「そうですか、それは良かった。けれど、王都に何か目的でも?」
彼は白々しくもそう問うてくる。支部長であるアイリーの提案に、彼が一枚かんでいるであろう事は、ルッツさんとの試合後の彼女との話の時に、思考を読めなくしていた事からも察していた。
けれど彼は、きっと私がそれに気づいていると知っていても、何も関係ないという建前を崩す事はないだろう。これは思考や人格を私の特別な目で視るまでもなく、今までの彼の行動から想像がつく。
「この先生きていくには、手に職を付けないといけないもの。
王都なら私のような人でも、欲している場所があるんじゃないかしら」
彼の建前に乗っかって、そう言ってこの場を収める事だけが、私に残された選択だった。
次回更新は11/9(月)の予定です。




