009 獣人観察日記
翌日から、かの獣人との生活が始まった。午前中は勉強だ。
彼は高い教養があると言われていたが、それは嘘ではなかったらしい。世界の識字率が1%以下と言われている中、どのような質問にも答えられるほどに文字を理解していたし、そして様々な書物を目にする機会があったのか、知識も豊富であった。
書物に触れる機会がある、それは生まれが裕福である証だ。
この世界の魔力は命に宿る。それは植物も例外ではない。そのため紙の原料である木々にも魔力が貯まっている。その魔力を無力化せず作った紙は、記入する者と読む者の思い、そして魔力に反応し、内容を変化させてしまう。
ゆえに紙から魔力を取り除き、さらに記入する者も魔力を注がないように細心の注意を払わなければならない。それはまさに職人技と言うべきものである。
だからこそ、魔力を取り除かれた紙は高級品であるし、その上魔力を注がないようにせねばならない製本作業を経た本など、買おうものなら一冊で人ひとり遊んでくらせるほどの値が付く。
もちろん彼が本を買い集められるほどに裕福な家の生まれでなくても、借りる事でそれらを目にした可能性もある。だが例えそうであっても、借賃はかなりの額になるだろう。
つまり、父はそのような相手を……。
「どうしましたか? 疲れているようなら少し休憩をはさみましょうか?」
「あ、ごめんなさい。少し考え事を……」
「そうですね。集中力が切れてしまっているようですし、お茶の時間にしましょうか」
そう言うと彼は部屋を後にする。残された私は、机の上の黒板を眺めた。彼の字は、とてもあの手から紡がれたものとは思えない綺麗な字で、幼い頃から勉学に励んでいたことも汲み取れる。ただ、教え方はお世辞にも上手とは言い難かった。
私は色が見えていた時から、見える相手の真意と発せられる言葉のすり合わせを頭の中で行い、そしてどういった思惑があるのかを認識してきた。だから、色が見えなくなった今でも相手の話の組み立て方から、真意や人柄を推察する能力に長けていたのだ。
彼の場合、一つの事柄から連続して一気に応用的な話をしてしまう事から、どういった人物かを推察していた。
今回であれば、冒険者ギルドの役割を聞いていたのだが、その中に商人からの護衛などの依頼を受ける事があると説明された。そしてそこから飛躍して、商人ギルドの暴走を止められるのは冒険者ギルドであるという話になった。
もちろん私も、商人たちが依頼を出すのだから、双方良好な関係でなければうまくいかない事はわかる。けれどこういう事は、もう一つの魔導士ギルドを加えた、三大ギルドの役割を浅く広く知った上で、それぞれの関係性を語った方が理解しやすいだろう。
そういう論法を取る事から、彼は教えられることはあっても教える事はなかった立場なのだと思う。そして、そういった説明であっても理解できるという、読解力がある人物だろう。
そのような考察を進めていれば、彼は台車に乗せた紅茶とクッキーと共に部屋へと戻ってきた。
勉強机とは別の部屋の中央にあるテーブルの隣へと運び、茶の準備を整える。その茶道具は二つ用意されており、彼は少し戸惑った様子で私に問うた。
「お待たせいたしました。お嬢様の専属メイドに準備していただいたのですが、なぜか私の分も用意していただきまして……。
私は使われる身でありますので、よろしければお嬢様がお召し上がりください」
「いいえ、それは私がお願いしましたの。貴方の事をお聞きしたいから、お茶や食事も共にできるようにと。
ですので遠慮しないでください。それに、お茶は共に楽しむ方がよろしいでしょう?」
「しかし……。いえ、ではご一緒させていただきます。どうか費用は給金から引いていただきますようお願いしますね」
断ると私が一人寂しいお茶会を開く事になると気づいたのか、彼は優雅な手つきで紅茶を注ぐ。
それはすでにメイドが用意していたものだったので、彼は本当に注ぐだけだったのだが、獣人の手が意外なほどに器用に動かせる事に、私は見とれていたのだった。
そして紅茶を差し出され手を付けようとした時、彼からおしぼりを差し出されたのだ。
「お嬢様、手がチョークで汚れていますので、先にこちらで拭いてくださいね」
「あら、ありがとう。うっかりしていました」
そうだ、彼を観察する事に気を取られて、今まで勉強でチョークを触っていた事を忘れていた。
もし紙が安価で記入にも細心の注意を払う必要がなければ、このような手間もないのにと思う。それでも食事やお茶の前に手を清めないのは不躾だろう。なによりそれは無いものねだりなのだから。
そして手を清め、二人でのお茶会が始まった。しかし彼は一向に茶を口にしようとはしない。
遠慮しているのだろうか? それとも……。
「もしかして、お茶は苦手だったかしら?」
「いえ、そうではないのですが……」
「あっ、猫舌ですか? 熱いのが苦手?」
「確かに熱いのが苦手と言うのもあるのですが……。カップに入ったお茶をうまく飲めないのです」
「あら? そうなんですか?」
意外な理由だった。動物は火を使う事がないため、熱いものを口にする事は無い。だから熱いものが苦手のはずだ。
けれど相手は獣人。おそらく彼の言う苦手も、食べられなくはないという程度の苦手のようだ。亜人の生活は人間と大きくかけ離れてはいないのだから。
しかしカップに入ったものを飲めない? それはどういう事だろうか。
「私のような獣人は、人間と顔の骨格が違います。ですのでカップを直接口に運ぶとこぼしてしまうのです」
「あら……知りませんでしたわ。では何か方法を考えないといけませんね」
「いえ、方法はあるのですが……。見苦しいのでここでは……」
「見苦しいだなんて、そんな事考える必要ありません。共に生活するのですから、それぞれの事情を受け入れるのが、見苦しさなどより優先されるべきでしょう?」
「……そう言っていただけると助かります」
誰とでもうまくやっていける、そんな甘い考えは持っていない。それは人間同士であってもそうだ。
言葉巧みに人を騙し、取り入ろうとする者を色で見てきた私にとって、関わらぬ方が良い相手などごまんといる事は痛いほど理解していた。
けれど、だからこそこうして相手を思いやり、自身が我慢しようとする相手は、こちらも柔軟な姿勢で受け入れるべきだ。
そうして様子を見ていれば、彼はティースプーンより少し大きく、深さのあるスープなどに使うスプーンを手に取る。台車に乗っているそれを見た時は、間違えて持ってきたのかと思ったが、どうやらそのスプーンで掬わないと飲めないようだ。
私はてっきり、犬や猫のようにカップに舌を突っ込むのかと思っていたので、少し驚いた。けれどそれ以上に、十分冷めているであろうすくわれた紅茶を、念入りに冷まそうとする姿に微笑ましくなったのだ。
「全然見苦しくなんてありませんわ。いえ、優雅ささえ感じるほどですよ」
「恐れ入ります」
そのようなちょっとした獣人の小ネタを他にも質問しながら、二人の静かな茶会は過ぎてゆく。
そして菓子も茶も無くなり、そろそろ勉強に戻らないといけないと思った頃、彼は切り出したのだ。
「そのようなお話よりも、もっと別に聞きたい事があるのでは?」
「えっ……」
「獣人は目も耳も鼻も、人間より良かったりするものです。
失礼ながら貴方の目は……コレに向いているようでしたので」
そう言いながら、彼はその首に巻かれたものを指でなぞる。
黒い革製のような見た目、そして名前を刻むことができる金属のタグ。
柔らかな毛に覆われ目立たないそれは……奴隷の証である。
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小躍りしたら足を捻挫しました。夢で。
次回は2/2(日)更新予定!
と、次回更新予定を告知した所で、今回から色々後書きで語ります。
今まで活動報告で書いていたような事なので、本文だけ読みたいんじゃい!
って方や、没入感を阻害されたくない方はスルーしてくださいネ。
注意書きしたからね? いいね?
(この時点でエッセイのノリ)
ってことで、今回は世界観の解説回ですよね。どう見ても。
それでも解説だけにならないように、色々考えてみました。
相手の様子から関連した紙の話だったり、勉強した内容として触れたギルドだったり。
あ、獣人の小ネタは俺の趣味です。もふれ。もふらせろ。
あと、登場人物の名前だけど……。主人公以外は「クソラノベに召喚」で出てます。
白虎獣人の彼の名はソーン。過去も語られてるので、気になった方はどうぞ!
[→https://ncode.syosetu.com/n3295fy/] ダイマの時間じゃーー!!
虎獣人はいいぞ。最推しは熊ですけど。いや、獅子も捨てがたき……。
ではでは、語りたい事ができた時はこうして後書きで語ります!
次回以降もよろしくお願いしま~す!