085 硝子の熊
白く光る刃先、それを見た者は皆、特別な魔法か何かで剣を強化したと考えるだろう。けれどそれは、彼によって仕掛けられたブラフだ。
その刃先には、特別な能力などありはしない。日が暮れ、夕闇に染まったこの会場を照らす、光球魔法が刀身に宿ったにすぎない。
彼の魔力の流れる先、それを私の目は、別の場所へと向かっていることを見極めていた。
その流れる魔力に沿って、光る剣は滑るように、ダイヤモンドの熊の首元へと一文字の斬撃を入れる。
音などありはしない。ただただ、下からすくい上げる形で、光る刀身が一本の軌跡を描いただけだ。
会場は時が止まったかのように静まり返り、向かい合う二人……、正確には一人と一体のゴーレムは立ち尽くす。
そして動く事を忘れた時が再び流れ出した時、ズルリと熊の首がずれ、ガンッという音と共に、その透明な頭を地へと落とした。
「うおぉぉぉぉぉ!! すげぇぇぇぇ!! ダイヤモンドを斬りやがった!!」
固唾をのんで見守っていた観客の一人がそう叫んだ瞬間、会場は驚嘆とその神技を披露した彼への賛辞の声であふれた。
「私の負けね……」
割れんばかりの観客たちの声の中、降参を宣言した私に、ルッツさんはにこやかに手を差し出す。
その手を取り握手すれば、会場は熱い戦いを見せた私達に、最大の歓声を上げるのだった。
「いやあ、最後のアレはなかなか面白かったよ」
「それはどうも。けれど、あなたの奥の手を最後まで見られなかったのは残念だわ」
「おっと……、俺は全力でやったつもりなんだけどな」
「それは剣術としての全力という意味かしら? だとすれば嘘はないわね。
けれど、本当の本気ではないでしょう? だってあなた、剣術を最も得意とするものではないはずよ」
「ははは、さすが魔導士様だね! ルッツさんよ、見抜かれちまってるじゃないのさ!」
私達の会話に入ってきたのは、支部長のアイリーさんだ。私達の背をバンバンと叩きながら、満面の笑みでそう語る。彼女もまた、私たちの戦いに満足したのか、非常に充足した様子の魔力を纏っていた。
「まいったね、まさか見抜かれるなんてさ。言う通り、本来俺は後方支援に回る事が多いかな。
にしても、どうして気づいたんだい?」
「装備が軽装な事と、体格かしらね。それに、私を助けてくれた時、あなたはメンバーから外されたわ。
それって、あなたが前線に立つ役回りじゃないって事を表してるわよね。
もしあなたが前線に立つ役だったら、私ならキュウさんを外すわ。前衛は多い方が安全だもの」
「ほう、アンタは冒険者の運用にも詳しいんだねぇ……。それにこのダイヤのクマ、最高じゃないか」
アイリーさんは、滑らかな切り口を輝かせながら、それでもなお見上げるほどの大きさの、熊の彫像をうっとりとした目で見つめる。やはりダイヤモンドというものは、女を引き付ける魅力があるのだ。
だけどその幻想も、解いておいた方がいいだろう。
「残念だけど、これはダイヤモンドじゃないわ。ただのガラスの熊よ」
私の言葉と共に、きらめいていた熊はすっとその輝きを失う。
それは私の幻術が、この熊をダイヤからガラスへと戻した事を示していた。
「へっ!? アンタ、魔法でダイヤの熊を出したんじゃないのかい!?」
「元は地面に敷かれていた砂岩のタイルよ。それをガラスの熊に変換したの。
これをダイヤと宣言する事で、同等の強度を付与していたにすぎないわ。
魔法とは、イメージを魔力で具現化するという行為よ。同じ透明な固体であれば、イメージの具現化がしやすい事を利用したの」
「なんだい、期待しちまったじゃないのさ!」
「ごめんなさいね。でも実際に、ダイヤモンドと同等の強度はあったはずなの。
それを斬れたのは……。ルッツさん、あなたこの熊をガラスに戻したわね?」
「あちゃー、そこまでバレてた? その通りだよ。切る場所だけイメージの上書きをしたんだ」
「今まで分かったことから考えられるのは、あなたは、魔法を主に使う冒険者なのかしら……」
「いんや、違うよ。使えるけど、そういうわけでもないさ。魔導士じゃなく、ただの冒険者だしね」
あの斬撃が走る寸前の魔力、そこから考えられる最悪のシナリオは、私が負ける事ではない。
この試合は力比べであって、勝敗にさしたる意味はないのだ。けれど私が最も気にかけなければならない事、それは魔導士ギルドの存在だ。
彼が魔導士ギルドと関係のある人物であったなら……、それこそが最大の懸案事項であり、確認を取っておきたかった。
もちろん彼は、冒険者ギルドのシンボルである、鷹の模様の入ったボタンを身に着けている事から、冒険者ギルド関係者である事は把握していた。彼が魔導士ギルド所属であったなら、私が医神アスクを探す旅で、マントの留め具として身に着けていたのと同じ、フクロウの模様のはずだ。
けれど、冒険者兼行商人のポールや、冒険者兼魔導士のミユキさんのように、彼が双方のギルドを兼務している可能性もある。まだ警戒を解く段階ではないかもしれない。
だが万一彼が魔導士ギルドの関係者であっても、それならばマティナを預けた時に行動を起こしていなければ不自然だ。考えられる可能性としては、本当に彼が魔導士ギルドと関係ない人物か、もしくは、まだ私とマティナの事が、この村まで伝わっていないかのどちらかだろう。
「ま、ともかくサ! これでこの子の力は十分に示せただろう?」
「うん、そうだね。俺も楽しかったよ。ありがとう。いつかまたやろうね」
「こちらこそ、いい勉強になったわ。ありがとう」
再びがっしりと握手すれば、会場はまたもや盛り上がる。
観客の冒険者もまた、どちらを贔屓するかとは関わらず、こうして互いを認めあう者達に好感を示すのだ。それは、内心どう思っていようとも、魔導士を受け入れる冒険者たちの懐の広さを、私に連想させた。
そうして一仕事終えた私達は、アイリーさんに連れられ、ギルドの建物へと入った。
カウンターに座るマモンは、こちらにチラりと目をやったかと思えば、逃げるようにその視線を明後日の方向へ向ける。そして、俺は居ないものだと思えと言わんばかりに背を向けるのだ。
ルッツさんと言えば、キュウさんに呼ばれ、そそくさと奥の部屋へと入っていったので、私はアイリーさんと二人っきりになってしまう。私たちはテーブルを挟んで向かい合い、椅子へと腰掛けた。
こうして面と向かうと、妙な空気を感じる。もちろん彼女が悪い人じゃないのは知っているし、人見知りをしているわけでもない。けれど、一応初対面という事になっているのもあって、少し気まずい。
「いやあ、アンタの魔法、スゴかったよ」
「それはどうも。村の人たちも楽しんでもらえたようでよかったわ」
「退屈な村だからね、いい気分転換になっただろうサ。
ところで、アンタほどの魔導士だ、魔導士ギルドに入ってるのかい?」
「……いいえ、どのギルドにも所属してないわ」
「へぇ、そりゃいい。ぜひ頼みたい事があるんだけどね」
そこまで聞けば、その先の言葉など聞くまでもない……、はずだった。
けれどこの部屋には、濃い魔力が充満していて、話の流れから先は読めても、私はアイリーさんの考えを読むことができないでいた。
この魔力の雰囲気は……、おそらくキュウさんだ。彼なら私の能力を知っているし、何か企んでいるのは察していた。けれど、ここまであからさまに妨害されると、警戒せざるをえなかった。
「冒険者ギルドに入れ、という事かしら?」
「まぁ、ウチとしてはその方がありがたいんだけどね、けどそうじゃないよ。
アンタ、勇者に興味はないかい?」
「勇者……? 魔王を討伐するための、あの勇者? 私が?」
「あぁ、その勇者さ。けど、アンタが勇者になるんじゃない。
今どのギルドにも話が行ってるんだけどね、勇者一行に入る優秀な人材を欲しがってんのさ」
「どういう事かしら?」
アイリーは、どこから話すべきかと少し悩みながら、間を置きつつ話し続ける。
それはおそらく、難しい交渉をなんとか成功させたいという思いからくる、戸惑いに似た間だ。
「アンタだって知ってるだろう? 魔王の復活と、みながその討伐に動いてるって事はさ」
「そうね、魔王が復活すれば勇者を輩出し、討伐させる。それが幾度となく繰り返された、人間の歴史よね」
「だけど勇者は一人じゃ魔王を倒せない。先代の勇者には、他に四人の仲間がいたようだしね」
「私が生まれる前の話だから詳しくはないけれど、そういうものとは聞いた事があるわ」
「その仲間の一人に、アンタを推薦したいって思ったのサ」
「私が? どうして?」
「どうやら話によると、王都にある勇者の育成学校で、剣士は一人確保したらしいのさ。
けど、魔法を使えるヤツが居ないらしくてね。それで、良い人材が居れば回せって言われてるのサ。
なぜか魔導士ギルドはダンマリを決め込んでてね、うちのギルドの上層部もほとほと困ってんのサ」
「魔導士の募集なのに、魔導士ギルドが動かない? どうしてかしら……?」
「さぁ? アタシにはさっぱりさ。まぁ、あのギルドは昔っからよくわかんない奴らだけどね」
魔導士ギルドが動かない……。それは、あの事故のせいで動けなくなっているという事だろうか?
しかし、おそらくこの村までそのような指示が伝達されている事を考えれば、それはかなり前から問題になっている事柄だろう。ならば、魔導士ギルド本部には事故よりもはるか前に、そのような話が入ってきているはずだ。
となると、考えられることは……。あの禁忌とされる実験、それこそが勇者に付ける魔導士の生成を目的としていたのでは……。
「悪いけれど、興味はないわ。私には、妹を守る役目があるもの。
その上世界を護れなんて、いち冒険者にも勝てない魔導士には荷が重すぎるわ」
「そこを何とか! アンタならいい線行けるって、アタシは見込んでるのサ!」
「私に勝ったのだから、ルッツさんの方が適任じゃないかしら? 魔法にも精通しているようだし」
「あの子じゃダメなんだよ……。頼む! せめて王都に顔出してくれるだけでも!」
深々と頭を下げ、テーブルに顔をこすりつけるよう頼みこむ彼女に、不信感は高まる。あまりにも必死すぎるのだ。
「そこまで私にこだわる理由、ちゃんと話してもらえるかしら?」
「……。実績作りとでも言おうかね……」
「実績作り?」
「アタシがここの支部長になる前に、ちょっとばかしここには問題があってね。ギルドの上から、目を付けられてんだよ。
だから、ウチから勇者一行のメンバー候補を出して、評価を上げたいのさ」
「はぁ……。なんであなた達のゴタゴタに、私が……」
苦言を呈そうとしたとき、ピーピーと笛の値が耳に届く。
その音にアイリーはビクッと立ち上がり、そしてバタバタと慌てた様子で冒険者たちが部屋に入ってきた。
「一体なんなの!?」
「お前たち! 戦闘配置につきな!!」
アイリーの良く通る声が、ギルド中に響き渡った。
次回更新は10/26(月)の予定です。




