008 少女と白き虎
ゆっくりと開いた扉の先、そこには窓から入る午後の日差しを背に受ける、長身で細身の男が居た。
服装は執事服。見事に着こなすその様子は、細身ながらも鍛えられていると分かるほどに、芯を感じさせる立ち姿だった。例え私が全力で体当たりしても全く動じないであろうその様子に、確かな戦闘経験を感じたのだ。もちろんそれは、堂々とした様子に気圧されていたのもあるだろう。
そんな相手だ。元々屋敷に居たのなら、さすがに相手を色でしか認識していなかった私でも記憶に残っているだろう。おそらく怖がったという方向での、嫌な記憶だろうけれど。
しかし私は相手の事を覚えていなかったし、なにより見上げた先の顔を見れば元々屋敷にいた人物ではないのは確実だった。
その顔は、太陽の光にきらめく白い毛並みが美しい、虎頭だったのだから。
彼は獣人だったのだ。そして顔以外に手も足も人間のそれではなかった。
もちろん完全に獣の手でもなく、人間よりも丸みを帯びており、しかし獣よりは指が長く、道具などを使うには問題ない程度の手。ちらりと見える肉球も本物の虎のそれとは違って少し控えめで、毛並みは顔と同じく美しい白。足は靴を履けないのか素足であり、こちらは手とは違い獣の形により近かった。
そのように頭から足の先までまじまじと見てしまっていた私に、彼は戸惑いながら声を掛ける。それも私を驚かさないようにと、片膝を折り、目線を合わせて。
「はじめまして、と言った方がよろしいでしょうか。私、お嬢様の教育係をさせていただきます、名を―――と申します」
「は……はいっ、よろしくお願いします……」
彼の名もまた、今の私は思い出すことができない。けれどその見た目とは裏腹に、非常に丁寧で紳士的な挨拶をされたことを覚えている。
ぎこちない表情、それは獣人特有の笑顔だったのか、それとも対応に困ったという顔だったのか……。どちらであっても、彼に教えを請い、私は強くならねばと覚悟を決めていた。
それは身体的にはもちろん、心もだ。ならば獣人程度に負けてはいられない。私が相手にすべきは、獣人でも、魔物でもなく、聖獣なのだから。
「怖がらせてしまい、申し訳ありません。何かお気に召さない事がありましたら、何なりとお申し付けください」
「いえ、そんなことはありません。ただ、獣人の方とこうして直接お会いするのは初めてで、つい見入ってしまいましたの」
私は取り繕うように堂々と答える。本当は心臓が爆発しそうなくらい緊張していたけれど、強がってでもそうしていなければ、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。もちろん彼相手に勝負をするわけではないが、これもまた訓練だと思う事にしたのだ。
「ですが一つだけ。私は教えを乞う立場ですから、どうか畏まらないでいただけますか?」
「……はい。ではそのように」
彼は少し驚いたような表情をしたけれど、その後すぐに柔らかな微笑みと共にそう返した。
その時何を思ったのかは分からないけれど、彼が私でも読み取れる表情をすることが分かっただけで十分だった。
そして顔合わせだけの予定だったので、その後は今後の予定や今までの状況を確認しただけで、自室へ戻ったのだった。
「可愛い猫ちゃんでしたでしょう?」
「相手が獣人だから、あのように誤魔化していたのね」
「申し訳ありません。お嬢様の驚く姿が見たくてつい……」
自室に戻るとメイドはいたずらっぽく笑いそう話す。
相手は猫ではないのだけど、彼女にとっては虎も猫も変わらないようだ。そして、獣人という存在にも特別な思いを持っていないらしい。
知能を持ち、人間と違う存在である亜人。その中にはエルフやドワーフ、そして獣人という区分がある。人間とは違う、見た目だけでなくそれぞれ特殊な能力を持つ者たち。
人間が自分たちとは違う存在として分けるため作った枠組みに過ぎないが、一般的に獣人を含む亜人は魔物と同じく危険な存在であると認識されている……が、この地では少し事情が違う。
元々エルフの住処である森が近いという事もあり、多少なりとも関りがあるため、そこまでの忌避感を持つ者は少ない。そのため彼女も獣人である彼を、まるでただの可愛い猫のように思っているのだ。
多分この時、私は難しい顔をしていたのだと思う。相手に色々と思う所があったのだ。
だからとても心配そうに、もしくは申し訳なさそうな様子で私に問うた。
「彼の事、お気に召しませんでしたか?」
「いいえ、そうではありません。けれど彼……。いえ、やめておきましょう」
「そんな途中まで言っておいて気になります。何かありましたら、私が代わりに申し伝えますからどうぞご遠慮なく」
「大したことではありません。なにより頼りっぱなしではいけませんもの」
「左様にございますか。失礼いたしました」
少し寂しそうな顔をされたが、相手のある話だ。あまり他の人に話すものでもない。
それにこれは、もしかすると先の事件に関わる話かもしれないのだから。
「彼は新たに従事される事になった方ですよね? 今まで見かけた事無かったと思うのですが」
「えぇそうです。最近縁あってお屋敷で働く事になったそうですよ」
「どういった方か知りたいですし、勉強だけじゃなくお昼もご一緒できないかしら。
獣人の方のお話を聞ける機会なんてそうそうありませんもの」
「はい、かしこまりました。ではそのように手配させていただきます」
私の希望を聞いたメイドは、優雅な一礼を残して部屋を去る。
残された私は緊張の糸をほどき、一つため息をついた。そして窓の外に広がる青空を眺め、思いを馳せる。いつか母が眠る前に聞かせてくれた昔ばなしを思い出しながら。
黒竜、それは元はこの地を護る聖獣。人々はその加護によって生かされ、この痩せた地でも生き延びてきた。
だが守られ続けた人間は、次第に感謝を忘れ、怠惰になってゆく。守られているのをいいことに、自らの能力を磨かず衰える人々。にも関わらず、ただ現状を嘆き、他者にその責任を求めた。
その相手とは亜人。いつしか人間達は亜人に攻め入り、そして奪う事で生き延びようとしたのだ。
そのような人間の身勝手さに愛想をつかし、守り神はどこかへ旅立ってしまった。
どこへ行ってしまったのかは分からない。けれど、人間が再びそのような行動を取ったならば、次に見るそれは守り神ではなく、敵対者になるであろう。
そのような内容だったと思う。つまり黒竜は人間の守り神ではなく、亜人の守り神になったのだ。
だからこの地の者たちは亜人を迫害など絶対にしなかったし、差別もしなかった。
適切な距離、適切な関り。他の人間と変わらぬ者として扱う事で、神の怒りを買わぬよう努めてきたのだ。
その黒竜が襲来した……。それは私の知らぬ所で何かがあったという事だ。
その真相を掴むチャンスであると、その時の私は思っていたのだ。
こちらの連載もどうぞよろしくお願いしま~す!
「私、クソラノベに召喚されたのであるある展開を制覇します!」
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次回は2/1(土)更新予定!