007 成すべき事を成すために
仇を討つ、そう誓っても私には何の能力もない。今できる事は、相手の魔力の大きさを判断できる程度に弱まった視力と……。
他には……他には何もない。無理やりに上げるなら、貴族の娘という地位と財力。少なくとも戦うための装備一式を揃えるには苦労しない。けれど私個人の能力は何もない。
だから私は考えた。せめてできることを……。できない事を考えたって目的は達成できない、そう思考できるほどには落ち着いたのだ。
事件から一週間ほどたった頃だろうか、その間はずっと自室にこもっていた。それは私が回復するために必要な時間だったし、私がこれからを考える時間でもあった。また、領主として父が事後処理を行うためにも、その程度の時間は最低限必要だったのだろう。
久しぶりに見た父の顔は、色を見る力を失っていても分かるほどに疲れ切っていたが、それでも私が元気とまではいかずとも回復している事で、安堵と喜びの表情に変わる。
私は相手を色でしか認識していなかったため、それが本当に父であるか分からず少し戸惑ったが、優しく抱きしめられた時、そのぬくもりこそが父であると確信し、安らぎを覚えた。
それは同時に、見えないとはこれほどまでに、相手との距離を測れないものなのかと驚かされた瞬間でもあった。
そして父に、自ら能力を失った事を告げたのだ。
それは私にとって恐ろしい事でもあった。なぜなら私が父に愛される理由、それは相手の本質を見抜く力があったからだと思うほどに、父は私の能力を高く評価していたし、常々褒めてくれた。
恐る恐る、言葉を選ぶように告げる。相手の反応が分からない、その事に恐怖したのもこれが初めてだった。
「お父様……。私……見えなくなってしまったんです……」
言葉を選んだが、それはうまく誤魔化すためのものだった。魔力が見えなくなった事に父が落胆を示したなら、”何が見えなくなったか”の部分をでっち上げればいい。そういった考えだ。
けれど考えが甘かった。それができるのは、相手の感情の色を見る事ができた前までの私だ。今は表情と、言葉でしか読み取る事ができない。そして感情の色で相手の出方を判断してきた私にとって、相手の思いを僅かな表情の変化から汲む事など、到底できるはずもなかった。
「あぁ、何も心配する事は無い。お前が元気でさえいてくれれば、私は何もいらないよ」
優しい言葉。それが父の本心なのか、それともこの場を収めるためのものなのか、私にはわからない。
けれど今は言葉通りに受け取る他ない。私のやる事リストに「相手の表情の読み取り方を覚える」が追加されたのだった。
そして数日、私は専属のメイドにもその事を告げ、彼女の処世術たる人の見かたを訓練した。
もちろんそんなものは教えられたからと言ってすぐに習得できるものではないし、彼女もまた言葉にしにくい”空気”というもので判断していたので、どう伝えようか言葉に詰まり、度々困らせてしまった。
それでもなんとか力になろうとしてくれた彼女には、今でも感謝している。
それは空気の読み方を教えてくれたからではない。ずっとそばに寄り添ってきてくれた、彼女なら信頼できると色を見なくても思わせてくれた、彼女との今までの積み重ねが、色を失った私にとって導きの光だったのだ。
「いつもありがとう、私のわがままに付き合ってくれて……」
「気にしなくていいんですよ。つらい時は甘えてください。無茶をしても体も心も持ちません。
焦らずゆっくりと、ゆっくりと進んでいけばいいんですよ」
「……そうですね。でも私は、私が弱いせいで大切な人を失うなんて、もう二度としたくありません」
「お嬢様……」
その時私が発した言葉は、彼女が必死に避けようとしていた事だった。
驚いたような、それでいて困ったような彼女の表情は、今もおぼろげに覚えている。
だけど私は立ち向かうと、そして前を見て進むのだと宣言したのだ。
「だから私は、自分の事は自分で守れるようになりたい……」
「そう……ですね。かしこまりました、方法を考えさせていただきます」
「ありがとう」
結局彼女に頼ってしまっていた。けれど頼る相手は間違っていなかったようだ。
彼女はうまく父を説得し、私に護身術の指導をしてもらえるよう手配してくれたのだから。
護身術を学ぶ、そうは言っても私設部隊は壊滅しており、武術の経験が少しでもある者はそちらへ優先的に回された。つまり、私に指導できるような人材は余っていなかったのだ。
もちろん医神と呼ばれる者の治療によって病から回復した者たちも居たため、部隊の再編成は行えていたのだが、それでも頭数をとりあえず揃えたといった状態であり、到底こちらまで手が回るはずもなかった。
だが、何の因果か一人だけそれが可能な者が居た。その人物は、魔物の討伐依頼を受ける冒険者ギルドのトップから指導を受けた経験があり、さらに高い教養も持ち合わせているという。その上、本人は魔法を使う事はできないものの、魔導の知識もあるらしい。
これ以上ない人材であり、そのような人物が部隊に回されないというのは疑問ではあるのだが、私の指導に必要な要素をすべて一人でまかなえるのだから文句はない。
しかし、そのような超ハイスペックな人なんて屋敷にいただろうか?
いくら私が相手を色でしか認識していなかったとはいえ、いやむしろ色でしか認識していなかったのだから、そのような相手ならばすぐに気づくはずだ。
もしくは外部から父がスカウトした人物である可能性もあるが、そうなると今の私は相手の本質を見る事ができない。父の見立てが間違っているなんて事は無いと思うけれど、それでも不安になるのだ。
そのような不安をメイドに相談しても、大丈夫だとしか答えは返ってこなかった。
彼女はそう言葉にしながら、いつもとは少し違う笑みを浮かべる。これが彼女の言っていた”意味ありげな表情”と言うものなのだろうか。
私が不安げな空気を濃くしてしまったせいか、彼女はクスクスと笑いながら、本当に大丈夫だからと念押しをするのだ。窓から入る外の光に照らされ、彼女の緩くウェーブのかかった金の髪が揺れる。そんな風に笑っているのだから、笑みの裏に隠された”意味”が悪いものではないと思う事にする。
少なくとも絶対に危害を加えられる事は無いと言う。その言葉に、確かに冒険者ギルドに関わっているような人物なら、粗暴な相手という可能性もあると、逆に考えの至らなさに気付かされた。
しかし彼女がそういうのなら心配はないと自分に言い聞かせ、私は相手の待つ部屋の扉の前へやって来たのだった。
木製で濃茶色の両開き扉。屋敷ではよく見るそれだが、これほどまでに威圧感を受けた事は無い。
私は扉越しだけでなく壁越しでも相手の色を見る事ができたのだから、例えそれが初めて会う人であってもどんな人か見えていた。その事前情報の有無が、これほどまでに緊張感を高めるとは思いもしなかったのだ。
つくずく私はあの能力に甘え切っていたのだと、失って初めて気づいたのだった。
けれど私は、押しつぶされそうな不安を払いのけ扉を開く。
それは私が成すべき事を成すために、これから乗り越えてゆかねばならぬ幾重もの障害の、小さな、ほんの小さな一つ目なのだから。
さて、扉の先に待つ人物とは……。
って感じの引きで次回へ続く!
次回更新は1/31の予定デス!