068 旅の記憶[14]
「さて、二人とも長旅で疲れたじゃろう。部屋へ案内するで、今日は休むとよい」
仕事モードを解いた老婆サルスは、柔らかに微笑み部屋へと招こうとする。しかし、私はポールとの約束を思い出す。
「ありがとう。けれど冒険者ギルドへ行かないといけないの」
「そうか、息つく暇もないとは大変じゃのう。では、ついでに頼まれ事をしてくれんかのう?」
「頼まれ事?」
「うむ。さっき言っておった子を迎えに行って欲しいのじゃ」
「わかったわ」
私達はその子の名前を聞き、居場所へと向かう。
そこは村を守る黒い壁の中でありながら、木々が自然のままに残された森。
その中にひっそりと建つ古びた社、異世界人達が和風建築と呼ぶ、木造瓦ぶきの建物だ。
居場所と言われたのはそこだった。
「村の中に森があるんだね」
「えぇ、この村の守り神が祀られているそうよ」
「それにしては……、寂れてない?」
「そうね。代々巫女が守っていると聞いていたのだけど……」
言われた通り社は埃が積もり、蜘蛛の巣が張っている。梁などが腐り落ちてるなんてことはないが、それでも手入れが行き届いていない事は見て取れた。
えらくリアリティを重視した狼の石像が二体並び訪れる者を睨んでいるが、それも少し緑がかっていて管理者が居ない事を物語る。
「誰も居ないみたいだけど、ここで合ってる?」
「合ってるわ。この社に用があるんじゃないって言ってたでしょう?」
「確か剣の稽古をしてるとか言ってたね」
「えぇ。だから音のする方へ向かえばいいはずよ」
「音?」
耳を澄ませば「カンカンッ」という乾いた音が森に響く。一定のリズムを刻むその音は、静けさが沈殿する森では鳥が木をつつく音にも思えるものだ。けれど私には、音と共に強い想いが伝わっていた。
音のする方へと歩みを進め、そっと木の陰から覗けば男の子が一人見える。見かけは7歳前後だろうか、暗い茶髪で幼く愛らしい顔立ち。けれどその深く青い瞳は、似つかわしくないほど鋭かった。
少年は葉を取り払った木の枝を振るい、対峙する木の幹を叩きつけている。その様子は訓練と呼ぶにはあまりにお粗末なものであったけれど、力強い本気の魔力を発していた。
「あの子?」
「えぇ、そうよ」
「なんか、話しかけづらいね」
「そうね」
普段からあまり真剣に物事を考えていないようなミズキも、さすがに彼のがむしゃらな姿に気おされているようだ。的を睨みつけ、歯を食いしばり、ギリギリという音がしそうなほどに枝を握り締めるその姿を笑えるほど、空気が読めない人ではない。
だからこそどうしたものかと考えていれば、相手の方が私達に気付いたようだ。
相手というのは少年ではない。少年の後ろで丸まって寝そべる黒い狼が、私たちに気付いて起き上がり、こちらを緑色の瞳で睨みつけているのだ。
それに気づいた少年はふっと力を抜いて、彼が乗れる程大きな狼に語り掛ける。
「どうしたヴェルデ」
ヴェルデと呼ばれた狼の頭をポンポンと撫でながら、その睨む先を見つめる。
まだ少年は私達を認識できていないが、ここが出ていくタイミングだろう。
「こんにちは。いえ、もうこんばんはと言った方がいい時間かしらね」
「どもーっす……」
警戒感を示す指標があれば最大値を記録しているであろう少年の様子に、ミズキは腑抜けた反応を示す。
まぁその気持ちは分からなくはないんだけど、もうちょっとしゃんとしていて欲しいものだ。
そんな頼りない旅のお供に心の中で深いため息をつきながら、私達がここに来た訳を話す。
「あなたがルイ君ね? 私達は魔導士ギルドの関係者よ。サルスさんにあなたを迎えに行くよう頼まれたの」
「……」
返答はない。それが返事だ。見ず知らずの人についていく方が危ないし、こういった反応の方が賢いと言えるので褒めるべきだろうが、連れて帰るには問題だ。
と考えてふと気づく。別に一緒に帰る必要はなかった。
そうだ、一人でここにいるのだから、一人で帰るくらいできるだろう。なら帰るよう促すだけでいい。
「まぁいいわ。サルスさんがそろそろ帰るように言ってるって事よ。それだけだから」
「ちょっと!? 連れて帰らなくていいの?」
「いいのよ。人さらいと勘違いされても困るもの。それとも何かあるの?」
「あの狼を撫でたい」
「……。相変わらずね。悪いのだけど、その子撫でさせてもらえないかしら?」
少年と狼は顔を合わせ、目で話し合うようなそぶりを見せる。
そしてポンポンと狼の背中を叩くと、大きな黒いもふもふはゆっくりと私達と少年の中間あたりまで歩みを進めた。
「いいみたいね」
「やった! もふもふタイムだ!」
ミズキは喜びの言葉とは裏腹に、警戒させないようゆっくりと腰をかがめ近づき、右手を狼の鼻先へと差し出す。その様子に一瞬噛まれるのではとひやりとしたが、クンクンと手の匂いを嗅ぎ、狼は手に頬ずりをした。それを合図に首元へと手をやり、ミズキは少し遠慮気味に撫で始める。
「いいよ。一緒に帰る」
「あら? どういう心境の変化?」
「ヴェルデが大丈夫だって言ってる」
「そう。よかったわね、ミズキ」
「ふふふん! ヴェルデ君は可愛いなぁ!」
いつの間にかヴェルデと打ち解けたのか、わしわしと頭を両手で抱えるように撫でるその姿は、彼に動物に好かれる才能を感じさせた。
お互い気に入った様子だし引き離すのも忍びない。冒険者ギルドへは私一人で行くことにしよう。
「私は冒険者ギルドに顔を出すから、二人は一緒にサルスさんの家に戻ってくれるかしら?」
「え? 今後の事話すんでしょ? 俺もいくよ」
「いえ、大丈夫よ。多分話せる状態じゃないと思うから」
「ん? どういう事?」
頭に疑問符を浮かべるミズキを置いて私は冒険者ギルドへと向かう。
扉を開く前からにぎやかなそこは、予想通りの光景だった。大量の空になった酒の容器が転がり、ついでに顔が真っ赤になった酔っ払いも転がっている。いくら冒険者の交流用に飲食スペースが用意されているとは言え、これでは酒場と変わらないな、という感想しか浮かばなかった。
そんな中で私が来たことを一人の冒険者が気づく。確かマモンという冒険者だ。
かなり酔っ払っているようで、関わるとひどくめんどくさそうな様子で人を呼ぶ。
「おいポール、彼女さんがきたぜぇ?」
「ちょー、そんなんじゃないれすってばー」
ろれつが回っているかも怪しいポールは、ふらふらとしながらこちらへやって来た。
予想してたとはいえひどい。顔を赤らめ、焦点が合わない目で私の前に立つ。
「こんな事だろうと思ってたわ。話はまた明日にさせてもらうわね」
「うぃ~。りょーかいっ!」
「おいおい、つれねえ嬢ちゃんだねぇ~」
「マモンさんだめっすよー? この子めちゃくちゃ強いんだからさー」
「へへへ、それじゃ一つ手合わせ願おうじゃねぇかよ~」
絡み酒とはまた面倒な相手だ。適当に流して帰る事にしよう。
「条件はフェアにしたいもの、私がお酒を窘める年になったらまた誘ってちょうだい。
もちろんその時はお酌もさせていただくわ。今日の所はお暇させてもらうわね」
「へっへっへっ、マジメちゃんだねぇ。そんなトコに惚れたのか~?」
「だからそんなんじゃないんですってば~」
うりうりとポールを小突きながら笑うマモンだが、本気でめんどくさい。
ポールが身代わりになっているうちに帰ろう、そう思い私は冒険者ギルドを後にした。
次回は6/29(月)更新予定です。




