006 消える色
それから何があったかは覚えていない。
ただ、私を囲み守ろうとしていた様々な色も、彼らと隔てる壁を作った緑も……。全てが漆黒に染まり、絶望の色だけが世界を覆った事。そしてその後突然現れた白い鳥が闇を掃い、空へと逃げる黒を追い詰めんと白き翼を広げ羽ばたく。そのイメージだけは頭にこびりついている。
それが壁の向こうすらも見渡せる、私の良すぎる目が本当にとらえたものなのか、もしくはただの空想だったのか……。それは確かではない。
一つ言えるのは、次に意識がはっきりした時には屋敷に連れ戻され、暗い部屋に居たという事だ。
部屋にはキャンドルの明かりが灯され、仄かに照らされた人々の姿が目に入る。いつもは見える色も、その時はなんだかぼやけていてよく分からなかった。
私と向かい合うようにソファーに座る男の人。その間に置かれたテーブルには、二つのティーカップに入った液体。一つは赤紫、もう一つは青紫。
その色が、私の見る色なのか、物としての色なのかは分からない。そして相手の人の色も読めなかった。けれど、その事に意識が向く事は無く、頭の中は色々な情報であふれていた。
さっきまで見ていた光景、何もできなかった私、もし戦う事ができていたなら、役に立たない能力、聖獣と呼ばれる竜が襲ってきた理由……。考えても考えても分からない事、想定しても意味をなさないあったかもしれない未来。そんな無意味な思考がごちゃ混ぜに頭を搔き乱す。溢れ出すそれを止める事も、止める術も私にはなかった。
いや、情報であふれさせることで、現実を受け入れまいとしていたのだ。
湯気立つカップの液体が冷めるのを待つように、彼は話始める。けれどその内容は情報にあふれた頭の中に入る事はない。された話を返すのは、私の隣に座る父だった。隣に父が居た……? いや、彼は父なのだろうか……。
人を色で判別していた私は、おそらく声から父だと思ったが、いつもの父の青は見えなかった。けれどそれに驚く事も、不安がる事もできない。見聞きする外の情報、思考、行動。どれもが一致せず、ちぐはぐで、感情すらも対応に困ったと言わんばかりに湧いて出てこないのだ。
彼らの話の一部だけが、情報にあふれた頭の中にも届く。それは私のこの能力の事であったり、それがもたらした出来事、つまり過去の話だったり。または今後の事も話していたように思う。将来は父の跡を継ぎ人々を導けるようにと、普段から口にしていた事を向かいに座る男に話していた。
だけど私の頭は朦朧としているようなもので、それに対して反応する事ができなかった。いや、言葉は入ってくるが、それを理解すらできていなかった。
向かいに座る男は、そんな私の目をまっすぐに捉え、明確に私に向けて話を切り出した。
「二種類の薬があってね、片方は記憶を消す薬。もう片方は能力を消す薬。君はどちらにする?」
薬、それは目の前に置かれた二つの液体の事だろう。ただの茶にしか見えないそれは、私に差し出された救いの水。その救いを受け取るために差し出すもの、それは言葉通りではないと混乱した頭であっても理解できた。もしくは、強制的に理解させられたのだろう。
過去、つまり記憶を消す。または未来、能力を消す。どちらであってもこの状況を作り出した原因は排除できる。
あの惨状を忘れれば少なくとも前のように生きて行ける。
良すぎる目を捨てれば、見たくないものを見なくても済む。
どちらかを選べ、そう彼は問うのだ。
受け入れまいと必死に抵抗しているが、いずれ落ち着いてくればあの惨状の記憶は私を殺すだろう。そしてこの能力は、未来の私を苦しめるだろう。どちらもいらない、どちらも消してしまいたい。
どちらでもいい、私を助けてくれるのなら、どうなったっていい。
私はすがるように、一つのカップを手に取った。
そしてその液体を飲み干せば、私の世界から色は消え失せた。
今までと違う、白黒の世界。けれどそれは、別に悪い事ばかりではない。普通の人にはこれが普通なのだ。世界はこんな色をしていたのか、私が異常なだけだったのだ。
それに視力が落ちたわけではない。モノの色が分からなくなったわけでもない。ただ、人のオーラ、もしくは魔力と呼ばれるもの。その色が抜け落ち、白黒になっただけなのだ。
そして色は、私の記憶からも抜け落ちた。もっとも、こちらの方が深刻だ。
私の記憶はパズルのようにバラバラに砕けてしまった。一つの出来事に一つの袋、あった事だけを関係性も繋げぬままに詰め込まれたパズル。思い出そうとすれば、前後や脈絡が合うように組み上げねばならない。そして組みあがった記憶と呼べるかすら怪しいそれは、まるで他人から伝え聞いたようで、何の実感も持たぬ物になる。そして何より、最も大事なものが抜け落ちている。それは感情。
伝え聞いた話、もしくは寝る前にお母様が子守唄に話してくれた伝承のような……。あった事は残ってる、けれどその時どう感じたかまでは残っていない。
嬉しい、楽しい、寂しい、虚しい、悲しい、怖い……。喜びも悲しみも、感情も想いも、ただの形容詞として残った。
消したのは過去? それとも未来?
どちらでもあったし、どちらでもなかった。
記憶は消えずに砕け、能力は色彩を失うが白と黒に変わっただけ。けれどそれで十分だった。記憶を組みなおしても、彼の死に対する思いは「悲しみ」にしかならなかったのだから。そして今や、彼の名も思い出せない。
いえ、彼だけじゃない。記憶にある全ての人の名前というピースは、完全に破壊されていた。父の名も、母の名も、使用人たちの名も……そして医神と呼ばれたあの男の名も。
けれど一つだけ、一つだけ残った名がある。「黒竜」その名だけは忘れない。
そして一つだけ残った感情がある。「恨み」その想いだけは深く心に焼き付いた。
「必ず……必ず仇を討つわ」
夜の自室、誰も居ない闇の中私は静かに呟いた。
連続投稿もこれで最後!
同時進行中の連載と共に読んでいただけると、より楽しめるかもしれません。
「私、クソラノベに召喚されたのであるある展開を制覇します!」
→https://ncode.syosetu.com/n3295fy/
次回は1/30(木)更新予定です。
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小躍りくらいはしてると思います。脳内で。
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