004 病と医神
それは記憶が正しければ、私が9歳の時だったと思う。
いえ、今ではもうそれを記憶と呼ぶのも不適切なのだけど。
その日、お父様に部屋へと呼び出された私は、扉を開けた瞬間の父の出すオーラの色が、あまりにも喜びにあふれており、何事かと驚いたものだった。あまり感情を表に出さぬようにしていたのに、表情すらも喜びを隠しきれていないので、弟が生まれた時以来の嬉しい話があったというのは察する事ができた。
そんな父から告げられた事は、明日領都を出るというものだった。
「明日、医神―――様がいらっしゃる。そのため共にお迎えに上がるぞ」
まるで近所の丘へピクニックにでも行くのかと思うほどの雰囲気である。しかし領都の外、それは魔物も出現する危険な場所である。もちろんそれは知っていたが、屋敷の外へと出る事がほとんどなかった私にとっては、外の世界を見る数少ない機会であったので、楽しみな話だった。
もちろん父と二人だけなどという事はなく、私設兵団を共に付けるので魔物や盗賊などの危険は少ない。それに何より、この地は魔族の多く住む魔界と呼ばれる地域から遠い事もあり、魔物も弱いものしか生息していない。だからこそ大切な来客を、領都の外まで出迎えようという事になったのだ。
なぜそこまでの歓待をするかと言えば、その医神と呼ばれる者が流行り病を治せる唯一の存在だからである。その病は、魔力を多く持つ優秀な者の方が感染しやすく、そして治療法の確立されていないものだ。
適切な手当てを受けていれば致死率はほぼ0であるが、それは逆に看病に当たる人手を必要とする事になるため、流行してしまえば一気に国力を落とす事となる。完治せず、ずっと人手を必要とし続けるのだからなおのことだ。
まるで人間の勢力を弱らせるためだけに作られた病だという事から、魔王の呪いなどと呼ばれる事もある。
そして私の住む地域、つまり父が収める土地は、農地には不向きだった事もあり、技術力で生き残った地である。優秀な者を引き抜き、暮らしやすい制度を整え、そして良い製品を作り販売することで資金を得る。それにより食料等の必要物資を輸入する事で成り立つ地。
優秀な者がより多くの魔力を有するという世界の理は、この地に魔力を多く持つ者が集まっているという、当然の結果をもたらした。つまり、直接の魔族の危険がない代わりに、魔王の呪いと呼ばれる病に最も弱い地であるという事だ。
今はまだ爆発的な流行ではないものの、すでに発症している者も多く、隔離することによって感染の拡大は抑えていた。しかしそれは普通の病ではない。患者に近づかなければ問題ない風邪などとは違い、人物から発せられる魔力に乗って広がる病と推測されている。つまり、私が見えているオーラというものが、感染を拡大させているようなのだ。
私は見えるから知っていた。それは壁などで遮断できるものではなく、場合によっては遠い場所まで流れてしまうものであることを。色が見えない父や研究者たちも、それは経験から学んでいるため、対処として隔離はするが完全に防げないと分かっていた。だからこそ、その病を治療できる者がやってくる、それを聞いて喜ばぬはずがなかった。
そのような重要な客人を迎えるのだから、当主である父と次期当主の私で出迎えようというのは、何もおかしな点などない。だが、周囲の魔物が弱い事に少しばかり油断していたのも確かだろう。
「ではすぐに準備いたします。ところで、私も同伴してもよろしいでしょうか」
共に来ていたメイドは予定を確認するまでもなくそう答える。例え何か用事があったとして、この地の最高責任者である父の命令が第一であることは、言うまでもなく当然だ。
しかし指示される前から同伴の許可を求めるのは、今にして思えばやはり特殊であったように思う。
「いや、君は遠慮してもらおう。いくら兵を付けるとは言え、守らねばならぬ者が増えるのは避けたい」
「かしこまりました。しかしながら、お嬢様に誰か付ける事をお許しいただけますでしょうか」
「ふむ。いざという時に戦える者、そして信用できる者でなければならないな……」
二人は少しばかり悩む。それはお世話係であるメイドが戦う力を持たず、魔術にも疎いため護衛として使えない。そのため、私の世話と万一の備え双方できる者が必要だからだ。
もちろん護衛には父の親衛隊が居るし、私ももう世話が必要な歳ではなかった。けれど、外の景色にはしゃいでしまうであろう私を止める役目は必要だと考えたのだ。
二人はちらりと私の顔を見て、同時に同じ人物を思い浮かべたようだ。
「では、教育係の彼を付けようではないか」
「はい、それがよろしいかと思います。彼なら防御魔法は使えますので」
「うむ、攻撃魔法も訓練中だ。十分護衛にもなるだろう。そして実践経験を積ませるにもよい機会だ」
二人はそのような話をしながら、クスクスと笑う。それが何を示していたか当時の私には分からなかったが、二人には私の彼への懐き方が、普通の友人のそれと違う事に気付いていたのだろう。
つまり、私が無意識に”恋心”と呼ばれるものを抱いていたことを、気付きながら黙って見守ってくれていたのだ。
そして、この理不尽でどうしようもない世界は、残酷な結末へと向かう。
翌日、二頭立ての馬車二台と、それを取り囲むよう馬に乗る兵を連れ、私たちは屋敷を出発した。
馬車の中には父と私、そして父の護衛が一人、私の護衛兼世話係の彼。もう一台の馬車は客人を乗せるため誰も乗っていない。最も豪華で、手入れの行き届いた馬車は、汚れひとつ残さぬようにと入念に清掃されていた。
そんな透き通る窓に張り付き、めったに見ることのない景色に「あれは何? 何の建物?」と質問攻めにしてはしゃぐ私。そんな私の質問に、彼は微笑みながら説明してくれる。領都の中ですらそんな様子だったのだから、城壁を超え外に出るころには疲れてしまっていた。
外の景色は田園風景に変わり、あまり肥沃でない土地でも育つ芋の畑ばかりが広がる。よく晴れており、青い空の下に広がる一面の畑という代わり映えしない風景は、どこまでも同じ世界が続くように見えた。意外とこんなものなのかと若干がっかりしたのもあって、私はうとうとと眠ってしまったのだ。
もし眠気に抗い、外を眺め続けていたのなら、私はそれが近づいてくる事に素早く気づけただろう。
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