031 図書館の番人
訓練漬けの一日が終わり、私は夕闇に迫る魔導士ギルドを歩く。いつもなら疲れ果てて引きずるような足取りも、今日は少し軽く感じた。
それは私の能力に関する本が見つかったという知らせのためであり、その本にはこの力の応用法や、もしかすると魔術、つまり自ら能動的に魔法を使う方法も書かれているかもしれない……。今まで諦めていた可能性も開けるかも……、そう考えると疲れもどこかへ置き去りにされたのだ。
石造りの魔導士ギルドは迷路のように入り組んでおり、目的の図書館へはそれなりの距離がある。そしてそこで待つのは「アスカ先生」と皆に呼ばれる人物だ。彼女は元居た村でも子供たちに本の読み聞かせを行っており、読み書き計算を教えていたらしい。
その村とは、実戦部隊隊長であるナガノさんがこちらの世界へ来てすぐに暮らしていた村らしく、所用で戻った時に二人は知り合ったそうだ。そして互いに異世界人である事を知り、元の世界へ戻る方法を探すアスカ先生のために、ナガノさんの協力で多くの本が所蔵されている魔導士ギルドへとやって来たのだという。
彼女の本当の名は「八木 明日香」であり、彼女と共にこちらの世界へ渡ってきた「高田 市花」と共に今は魔導士ギルドに所属している。
もちろん実戦部隊ではなく、アスカ先生がこちらの世界へ渡った時に得た「識字能力」を活かし、司書班に配属されている。彼女自身はあまり有意義な能力でないと嘆いていたが、紙に書かれた文章が魔力によって変質してしまうこの世界であれば「例え変質していても書いた人物の真意が読み取れる」という彼女の能力は、ギルドにとって喉から手が出るほど欲しいものだ。
そんな能力を「有意義でない」と思っていたのは、彼女の元居た世界では紙はそれほど貴重なものでもなく、さらに魔力による変質も起らず、そして少なくとも彼女の住んでいた国では識字率がほぼ100%であるかららしい。その話を聞いた時、世界が変われば常識も変わるのかと驚かされたものだった。
そんな彼女の待つ図書館は、非常に貴重な本……、それこそ内容問わず1冊で人ひとりが遊んで暮らせる額になるものであるため、警備も厳重である。そんな本が何万冊とあるのだから、魔法の暴発による消失など論外であり、魔力を吸い取る魔道具を付けられ、そして部外者であれば一見法外とも思える額の保証金を支払わなければ入る事ができない、魔導士ギルドの聖域と呼んでも差し支えない場所だ。
いや、聖域は言い過ぎか……。他に聖域と呼ばれる場所もあるのだから。しかし魔導士ギルドの脳、それも記憶を司る部位であり、司書班とは魔導士ギルド内のヒエラルキーすらも外れた特別な組織と認識されている。エリートか現場部隊かではなく、ギルドの指示には従うが触れてはならぬ者たちという立ち位置だ。
そんな人々の待つ司書班室の扉を叩き、厳重なチェックを受けた後私は受付に座る少年に声を掛けた。
「こんばんわ。アスカ先生とお会いしたいのですが、大丈夫ですか?」
「あっ……、はい……。少々お待ちください……」
気弱そうで小さい声の彼は、私と同じ14歳ほどに見える。長い金髪に隠れて、透き通るような青い瞳の彼は、前に自己紹介された時もかすかな声で「ノアと言います……」とだけ言っていた。
纏うオーラもそよ風のように薄く、そして透き通るアクアブルーで、不快な感覚はない。むしろ司書班に強い魔力を持つ者は事故のリスクがあるので向いていないのだが、その中でもひときわ希薄だ。
その魔力から読み取れる感情は、私と同じく今年ギルドに入ったよしみなのか、妙な好感を持たれている。
そんな彼は、私の呼びかけに応じ別室へとアスカ先生を呼びに行き、カウンターへと戻ってくる。
「あの……、もうすぐ来ますので少し……待っててください……」
「えぇ。急ぎでないから大丈夫ですよ」
「その間に……、入室届を……」
「あ、忘れる所でした」
壁に掛かる黒板にチョークで入室のサインをした後、部屋の中に飾られた絵画を見ながら先生を待つ。
それらは魔力を抜いた紙に描かれた絵であり、これもまた紙を使っているため非常に高価なものだ。それを無料で見られるのだから、魔導士ギルドとは知的好奇心の高い者には楽園だろう。……私にはあまり良さが分からないけれどね。
そうしていると、暇をもてあそんでいる私に気を利かせてか、ノアはカウンターからこちらへとやってきて、小さな、ほんの小さな声で絵の解説をしてくれた。彼は本と絵が好きなのだそうだ。
「……あの、よかったら……。その……、今度お暇がある時に……」
「あっ、いたいた。ごめんなさい、お待たせしちゃって」
絵の解説以外の事を話し出そうとしたノアの言葉を遮るように、アスカ先生がやってくる。
そのタイミングの悪さに、少しノアの魔力が揺れ動くのを感じた。
「いえ、こちらこそ事前に来る時間を言っておくべきでした。
あとごめんなさい、ノアさんのお話の途中でして……。えっと、今度何かしら?」
「いえ……、なんでもないです……。また今度も……、絵のお話できたらと……」
「えぇ。楽しかったわ。またよろしくお願いしますね」
もちろん社交辞令だ。けれど彼の気弱さと思いが魔力から読み取れる私は、あえて友好的な関係を壊す事はしない。それは他のギルド職員に対しても同じだし、わざわざ敵を作る必要はないのだから。
「ではアスカ先生、ミユキさんの言っていた本を見せてもらってもよろしいですか?」
「えぇ。内容に関しては私が整理して言葉にするから、大事な所はメモを取ってね」
ふんわりとウェーブした肩に掛かる茶髪を揺らしながら、優しい笑みで告げる。女性として憧れる雰囲気の、愛らしいと表現するのが適当な人物である。だがおそらく男性からすれば、そのやわらかな人柄よりも、豊満な胸に目が行くのであろう。……いえ、私も初めて会った時は目が行ったのだから、男性達を悪く言うつもりはない。ただそれに関する私の感想は「うらやましい」よりも「肩が凝りそう」だった。
そうして連れられた先はいくつもの机と椅子が並ぶ場所で、魔導士学校の教室のような場所。それは本を読むために用意された部屋であり、本を読みたい人はここで司書班の人に持ってきてもらう事になる。また、この場以外での読書はできないし、実際に本棚のある部屋へは入る事も許されない。
と言っても、文字を読める人の方が少ないのだから、本のタイトルも読めない人が本棚のある部屋に入っても意味がないし、所蔵されている本は古い時代に書かれたものが多く、現代に作られた本と違い紙の魔力処理が適切でないため、魔力によって内容が変質してしまっているものも多い。そのためほとんどの場合司書班の人に読み聞かせてもらう必要があるのだから、特に問題にならないシステムだ。
光球魔法が込められたガラス玉の魔道具が照らす一角で待つよう指示され座っていれば、アスカ先生は一冊の古めかしい、ボロボロにくたびれている茶色く変色した本を持ってきた。手袋までして、そっと扱う様子は、今にも本がその姿を保てず崩れてしまいかねない状況であることを示している。
これこそが、私の能力に関する記述があるという本なのだろう。
「前にあなたの魔法の使い方聞いた時にね、どこかで見た記憶はあったのよ。
それが気になって探してたのよね。やっと思い出して探し当てたの」
「わざわざありがとうございます。お手数お掛けします」
「ううん、気にしないで。私が個人的に思い出せなくてモヤモヤしてただけだから。
でもこの本、見ての通りかなり古いのだけどね……。原初の魔王と同時期くらいのものなの」
「それって国宝級では……」
「でしょうね……。壁画や木簡じゃないのが不思議なくらい古い……、ってこの例えはあなたたちには分かりにくいわね」
アスカ先生は笑ってごまかすが、時折異世界人たちはこうやって自身らにしか通じない例え等を使うため、ボロが出るのだ。休憩時間のナガノさんやミユキさんのように。
しかしそうやって、異世界人同士が仲間を見つけている事も事実であり、異世界人にはなじみのある菓子を販売している茶屋の存在意義もそこにあるらしい。休憩時間に差し入れされる菓子も、いわば異世界人同士の合言葉のようなものなのだ。
「それじゃ、少しずつ読み進めていきましょうか」
「お願いします」
そうして誰も居ない静かな部屋で、夜の読み聞かせが始まった。
次回更新は3/12(木)の予定です。
以下雑記
なんかアスカ先生の脳内イメージが美女と野獣のベルに寄って来た。
本好きではないんだけど、本に関わるシーンが多いからだね。
てことで、彼女も……も??あれ?他のキャラの初登場紹介してたっけ?
まぁええか。ええと本文中で語られてる事とか色々は過去作にあります。
『ある異世界の童話』→https://ncode.syosetu.com/n4865ez/
これがアスカ先生メインの話デス。
この話で出てくる「前任の国分の司」ってのが、ナガノさんです。
ナガノさんには他にも色々裏設定あるけど……まー、うん。名言しないでおこう。
多分全作追いかけてる人でも誰も気づかないし、気づかれないなら無いのと同じだしネ。
ちなみにアスカ先生初登場はそれよりもっと前の短編。
なーんーだーけーどー、その短編全部こっちで回収されてます。
『爆死まくら(略)』→https://ncode.syosetu.com/n9392fa/
これの『月落ちる世界』の章に入ってたり。初登場は第136部分からの『入福大介の見る世界』デス。
ここまでダイマしておいて言うのもなんだけど、別に読まなくても影響ないです。
最弱本文で語る以上の事知らなくても最弱内では困りません。
だってこっちはこっちで独立した話だもの!
エッセイ以外でほぼ皆勤賞の女教師、アスカ先生をどうぞよろしくお願いしま~す!