003 領主とメイド
「確かに成績優秀、魔力も申し分ない。
しかし……、教育係にしては若すぎないか?」
執務室に突撃した私に対する父の反応はイマイチだった。だが、教育係の面談の邪魔をした事に怒っていたわけではなく、不安がっている様子に見えた。
何せ私が教育係に推した彼は、現段階では「卒業見込み」の学生だ。そんな経験の全くない状態で教育係を任せるなど、不安に思うなという方が無茶だ。
こういう時どう対応するか、それが問題だ。
はっきり言って、父だけではないが周囲の人間は私に甘かった。だから少しばかりの無茶はいつも通っていたし、今回もなんだかんだで許されると思っていた。
けれどここで「お父様お・ね・が・い」なんて上目遣いで頼みこむのは愚策である。
そんな方法は、父の「領主たるもの情に流されるべきではなく、皆に平等でなければならない」というポリシーが邪魔をして、却下させたくなる効果しか生まないのだ。それは父の色を見るまでもなく、今までの経験で学んでいた。
ではどうするか。簡単だ、私は何もしなくて良い。ただお付きのメイドに目配せするだけだ。
「恐れながら旦那様、意見を述べさせていただいてよろしいでしょうか」
「うむ、そうだな。私の独断では見誤る事もあるだろう、意見は多いほうが良い」
「ありがとうございます。では私がお嬢様のお世話をさせていただいた見地から述べさせていただきます。
結論から言いますと、彼を教育係にする事に私は賛成いたします」
ただのメイドに発言を許すのも普通ではありえないのだろうが、この家ではよくある光景だ。
正しくあろうとする父にとって、独断で決めるのは何よりも避けたい事であったし、他の領主や国王は自身こそが絶対であるという考えで政治を動かし、結果破滅したという話はごまんとあるのだ。
そういった者と同じ道を歩む事など絶対にあってはならぬと、父は私にいつも説いていたし、父自身もそれが最も重要視する事であった。
そして畏まってはいるが臆することなく意見を述べる彼女も、ただのメイドには思えないだろう。
冗長に意見を述べるのではなく結論をまず提示するのもそうだが、その後に続く言葉も理路整然としており、メイドの身に甘んじている事が不思議なほどである。
当時の私にとってはそれが普通であり、何の疑問も抱かなかったのだけれど。
「ふむ。理由を聞こうではないか」
「はい。まず第一に若すぎるという事ですが、お嬢様にとってはそれは良い点になるかと存じます。
なぜなら、お嬢様の周囲には年齢の近い者が少なく、どうしても”友人”と呼べる存在が不足していると感じるためです」
「ふむ……。確かに同年代の者との関りは持てていないな。一番若い君ですら今年で24だったかな」
「はい。学校へ行かれるのであれば同年代の者との関わり方も身に付くかと思われますが、このままではそれも望めません。
弟君も誕生され、次期当主となられる事が決まっているなら、なおのこと様々な者たちとの関わり方を学ぶ必要もございますでしょう」
「そうだな。今は皆、まだまだ幼い子供としてしか接してこなかったからな。そろそろ姉としての自覚も、次期当主としての自覚も持ってもらわねばな。しかし……」
うまく話が進みそうだと一安心しかけた私だったが、当時の私にはそれだけでは決定打にならない事を理解できていなかった。
父は椅子に深く座り直し、続きを語るために一口の紅茶でのどを潤し、続けた。
「それは彼が庭師をしながら、友人として共に過ごすだけでも十分であろう」
「はい。旦那さまのおっしゃることは最もでございます」
さっと出された父の反論に、彼女は何の抵抗も見せなかった。
まさか彼女が裏切ったのかと一瞬冷やりとさせられたが、彼女の色を見れば、父がむしろ餌に食いついてしまったのだと即座に理解した。それは到底主人に見せるべきではない色をしていたのだ。
「ですが旦那様、最も大切な事をお忘れではございませんか?」
「ん? 何か他に、この子を推す理由があるかな?」
「彼はお嬢様が認めた人間である、という点でございます」
「……」
今ならこれが彼女の交渉術だったと分かる。誰かに何かを頼む場合、最初に飲めないであろう無茶な要求をし、その後要求レベルを下げれば「そのくらいなら」と通りやすくなるものだ。
この場合なら最初に取るに足らぬ理由で却下させておいて、後ろめたさを感じさせた上で断りにくい理由を告げる。それほどまでに「私が見込んだ者」というのは、大きな意味を持つ。
私の目がどれほど重要であるか、この場に居る全員が理解していたのだ。
「そうか。では彼を教育係にすることは認めよう。しかし、本人の意思が大事だ。彼自身にその気がなければ諦める事、それが条件だ。
そして彼がやるといった場合も、彼だけでは足りぬ所もあるだろう。それを補うための者たちはこちらで決めさせてもらう。いいな」
「ありがとうございますお父様!」
そう言って抱きつけば、父は照れながらも喜びの色を滲ませる。
もちろんそれを顔に出す事はなかったし、私も指摘などしなかったけれど。
その冬は、新米教育係の彼にとって大変長い冬となる。
卒業見込みは所詮”見込み”であるため、万一にも予定が狂わぬよう特別カリキュラムで学校で学ぶべきを学び終え、さらに教育係として指導法を叩き込まれたのだ。
そして春、彼は私の教育係となった。互いにどうしていいのかという不安が、ギクシャクとさせる事もあったけれど、私には彼が悪い人間でない事が分かり切っていたし、彼もまた私が直々に指名したのだと聞かされていたのだ。頑張ろうとして空回りすることはあっても、腹の探り合いをするような事にはならなかった。
今思い返してみれば、この時期が最も幸せな日々だった。
そしてそれは、あっけなく壊れてしまうものなのだと、その時の私は知るはずもなかった。
まだまだ行きます!
続きは17時台に!