018 夏の日
それは魔導士学校に入って最初の夏だった。周囲は魔術師として優秀な者たちばかりで、私は浮いていると自身でも自覚していた。けれど特別枠、つまり「研究のための魔術師適正のない者」だというのは周知の事実だったため、実技以外では他の生徒と変わらず、そして周囲からの扱いも大きく相違なかった。一部の人間を除いては。
その日も私は一人廊下を歩いていた。特別枠という事と、人の名前を覚えられないのもあって、友人らしい友人もできず、移動の時も一人きりだった。けれど気にしてはいない。私がここに居る目的、それは強くなるチャンスを掴むためだったから。
生徒たちのざわめく廊下だが、その木造の建物はきしむ音などしない。それは魔法に対する障壁呪文がかかっており、木製であっても万一の魔法の暴発に耐えられる造りになっているためだ。強度で言えば石造りよりも強い建物かもしれない。
だからといって学校内での許可のない魔術の仕様はご法度だったし、耐えるように作ってはいるが、万一魔法を暴発させたなら「魔力制御もできない無能」という評価が下る。それは魔力を持つ者なら、もはや精神修行と呼べる制約だ。もちろん魔力の貯められない私はそんな心配をしなくてもいいのだけど。
そういう事情もあって、普通は好き好んで喧嘩を吹っかける人なんていない。感情、特に怒りは抑えるのが難しく、感情の起伏による魔法の暴発が起きてしまうためだ。けれど世の中には普通じゃない人も往々にしているものである。
次の時間の講義室へと歩みを進めていれば、後ろからドンッと肩をぶつけられた。突然の事に怯み、私は手に持っていた授業用具を床にばらまいてしまう。
「あら? 何か居たかしら? 気配はないのにぶつかった気がするのですけれど」
「……」
それは同じクラスの女だった。成績は良く学年でも二番手。生まれも貴族であり領地を持たないが、もし他の貴族がなにかやらかしたなら、次は彼女の家がその地を治める事になるだろうと言われている、つまり貴族としても二番手の、二番手女だ。
しかし性格は察しの通り最悪で、格下とみなした者には容赦なく、そして長いものには巻かれる。残念すぎる人物だ。名を「ロベイア」という。
その名がすぐに出てきたのは、床に散らばる私物の中に、人の名を記したメモがあったためだ。
それは高級品である紙を買えない私が、悩んだ末に用意したものだ。
名前を覚えられない私は入学してすぐにその事で苦労した。なぜなら屋敷に居た頃なら、相手の続柄や役職、つまり「お父様」や「先生」と呼ぶ事でしのいできた。それは人が少なかった事と、私が名を呼ぶ必要のある相手がほぼ居なかったためである。けれど学校ではそうはいかない。教師陣は「先生」で誤魔化せても、生徒にはそういう訳にいかないからだ。
そのため私が用意したメモというのが、小さな陶器の板である。多少安く、文字の変質を起さない魔力を含みにくい素材、それが陶器だった。割れた皿などを譲り受け、手のひらに収まるサイズに整えたものに、相手の特徴と名前を記していた。そして常に小さな袋に入れて持ち歩いていたのだ。
まるで私が見えていない素振りをするロベイアは、キョロキョロと周囲を見渡す。そして一歩歩みを進めると、その足元からパリッという音がした。それは陶器のメモが割れた音だった。
「あらっ! やだ、貴方いらしたの? 気づきませんでしたわ。
こんなに散らかして、何をされているのかしら?」
「別に……」
これはいつもの事である。だから何も言い返すことはない。
一発殴ってやればおそらく勝てるだろうが、それが相手の狙いだ。他にも気の短そうな相手に喧嘩を吹っかけ、魔法の暴発を誘導するという状況は何度か見てきた。
成功した例は見なかったし、何より自身より成績が下の者を蹴落とす意味も分からないが、それでも面倒ごとに自ら巻き込まれてやる必要はない。だから関わらないのが一番だ。
ただ、メモを割られた事には少しばかり怒っていた。
また作り直さなければいけない。数ある中の一枚であり、そこに名があった相手には申し訳ないが、教師陣であれば事情を話せば理解してくれる。それに今までも何度か割ってしまった事もある。
この後の作業と、そして割られた人物の特定。それを思うと憂鬱になった。
「あらあら、返す言葉もお忘れになられたのかしら? 公共の場をこんなに散らかしたのだから、”ごめんなさい”って言うものよ?」
「そう……」
「失礼、言っている事が難しかったかしら? そうよね、魔力が多い者ほど優秀なのだから、魔力がない貴方が無能なのは仕方ない事ですわ」
あぁ、心底どうでもいい。それよりも早く足をどけて欲しい。割れたメモを回収して、次の授業中にでもパズルとして組み上げたいのだから。嫌味を言うのに飽きて、さっさとどっか行ってくれないものか……。そう考えていると、別の声が耳に入ったのだ。
「へぇ、魔力が無いと無能ねぇ。陰口ってのは本人の居ない所で言うもんじゃねぇの?
ま、でもアタシの目の前でアタシの悪口言う度胸だけは認めてやってもいいけどな!」
「へっ……!?」
いつの間にかロベイアの後ろに、女性が一人立っていた。それは色が見えなくなった私であっても分かるほどに、どす黒いオーラを放っている……。その様子は怒れる炎神を彷彿とさせた。
それが、私がミユキを初めて見た時の印象だった。
突然の事に声が裏返り、そして恐る恐る振り向くロベイア。彼女が見たものは、指をポキポキと鳴らし、獲物を仕留めんとする獣の姿だった。
「貴方は……幻影の魔術師……」
「なにそれ?」
それは彼女の二つ名だ。魔導士ならば相手の魔力を程度の差はあれど感じる事ができる。けれど彼女は全く感知させないのだ。だから「存在しない」や「幻の」という言葉が、本人の知らぬ所で付いていた。
しかしそれを口にするのは得策ではないだろう。いわばあだ名であり、本人が居ない所で使われる隠語のようなものだ。だから、なにそれと聞かれてロベイアは固まってしまった。
「幻影の魔術師? カッコイイ!」
「あっ、いえ、なんでもございませんわっ!」
あわあわと取り繕うももう遅い。いや、本人が気に入ったみたいだからセーフかも?
どちらにしても面倒になる事は確定だ。ついでに言うと、その面倒事に最初から居合わせた私に被害が及ぶ事も確定だろう。あれ? 元々私が喧嘩を売られたんだったような……。
そんな所に救世主が現れる。学年トップの成績を収める、アリシアという女生徒がやって来たのだ。
「これはミユキ様、ごきげんよう。わたくし、ロベイアを探しておりましたの。
お話し中申し訳ありませんが、次の授業がありますので私達は失礼いたしますね」
「えっ? ちょっと待ちなさいよ! その幻影のナントカって話は!?」
アリシアは聞こえないフリをして、ロベイアの手を取り立ち去る。これもよく見る光景だ。
だがいつもであれば、ロベイアが噛みついている所を「下々の者と気軽に談笑するのは、貴族としての格を落としますよ」などと諭すのだが、今回に限っては敗走だった。それほどまでに相手が悪かったのだ。
そして残された私は、面倒な事に幻影の魔術師にロックオンされたのだった。
「幻影のナントカって何?」
「私に聞かれても困ります……」
次回は2/15(土)更新予定です。
以下雑記
げんえいのまじゅちゅち。魔術師って舌噛むよなーって書きながらいつも思ってる。
読み上げることないから大丈夫だけど。まじゅちゅち。治癒術師よりはマシか。ちゆじゅちゅち。
幻影……中二病感出したかったんだけど、これが限界だったよ。
きっと中二病のプロはルビで「ファントムウィザード」とか書くんでしょうね。
魔術師ってウィザードで合ってる?マジシャンとどっちがいいかな?
ルビ振ってないんでどっちでもいいですね。そうですね。
使うのは魔法、魔法を使う人たちは魔術師、ギルドは魔導士。
ちゃんと書き分けてるつもりだけど、ミスってないよね?時々心配になるぜぃ。




