014 真実
夜が深まりゆく静かな執務室。父は茶を用意したメイドに、後の仕事はもういいと告げ、人掃いをする。
それには先生も席を外そうとしたが、彼を引き留め再び席に座らせる。そして自身も腰を据え、静かに湯気立つ紅茶を飲み、一息ついてからゆっくりと話し出した。
それは伝承の真実、そして為政者の嘘。
「……というのがあの伝承の本来の姿だ」
話し終える父は、渋い顔をしていた。けれど、その内容はさほど衝撃を受けるものではない。
いや、むしろその方が納得できる部分が多いほどだった。
黒竜は愚かな人間に見切りを付けたのではない。そして亜人の守り神になったわけでもない。
ただ唐突に、何の前触れもなくこの地を去り、そして次に目撃されたのは、魔族の治める地、魔界であった。
つまり、黒竜は人間を守る事をやめ、魔族に寝返ったのだ。
それはただの気まぐれか、もしくは当時の魔王による洗脳か……。
だから父は二年前その存在を確信した時、他の者たちが敵でない事を期待したのに対し、父だけは即座に敵だと判断したのだ。そして領都を守るため、引き付けるようにと進軍した。
相手が守り神でなく魔族であるならば、街が助かる可能性はないのだから。
けれど私はすぐに信じる事はできなかった。父の行動の意味に理解はできる話だが、それでも昔から聞かされていた伝承が嘘であったと、すぐには受け入れられなかったのだ。
「その話……本当なのですか?」
「あぁ。いずれお前が領主となるにふさわしい成長を見せた時、語るつもりだった。私の父が私にそうしたようにな」
ちらりと先生を見る。彼は何も言わない。ただ腕を組み、目を閉じ、耳だけが立てられ静かに話を聞いている。
「先生が……奴隷である事も関係なかったんですか?」
「そうだ」
「タイミングが良すぎると思うのですが」
「では直接話を聞こう。亜人たちの中ではどう伝わっているかを」
その言葉が耳に入ると、先生は静かに目を開け、その青い瞳で私を見つめた。
「先ほどの話に間違いありません。亜人……少なくとも我ら獣人の間では、黒竜に守られているなどと言う話は伝わっておらず、大きな厄災をもたらす魔族になったとだけ聞いております」
静かに言う彼は、何をいまさらと言った様子で、人間達がなぜそのような事を信じているのかと言いたげな目をしている。まるでこの場で私だけが妄言を発しているようだった。
「ではなぜ、そのように伝承が変えられてしまったのですか」
「……人間とは愚かなものだ。常に敵を作らねば、自らの立場を守れぬものなのだ。
敵を作れば一つにまとまるが、敵が消えれば分裂し、人間同士で憎みあう。
魔王が居れば、魔族という共通の敵のおかげで安定するだろう。
しかし今のように魔王が不在であれば……。どこかに敵を作り上げねばならない」
「その対象が……亜人?」
「そうだ。昔から魔王という共通の敵が消えれば、人々の不満は行き場を失い彷徨う。
自身は悪くないと嘆き、政治が悪い、他国が悪い……。そう言って目を背けるのだ。
いずれそれが本当の事だと自身にすら暗示をかけ、不満は暴力へと変化する。
そして為政者もまた、自身を守るために誰かを身代わりにするのだ。
その身代わりに適した者、それが亜人だった。だが亜人もまた、ただやられるだけではない」
父は先生を見る。その目は憂いと、そして慈悲の混ざるような……。複雑なその心境を物語っていた。
「亜人と人間が戦えばどうなるか……。魔王相手であれば、勇者という最大の武器を人間は持っている。
しかし勇者は、魔王を倒すために神が遣わせた者。加護によって魔族には強いが、亜人に対しては常人離れした戦闘力はあれど、特別な力をもたない。
拮抗した人間と亜人の戦いは、双方を疲弊させ続ける。何一つ生み出すものはないというのに……。
亜人の住処が近いこの地は、戦いによる被害が大きくなる。その上元々やせた地だ。
だから伝承は改変された。亜人と対立せぬように、共に不干渉を続けるようにと。
そしてその伝承は世界に広がった。けれど、この地ほどにそれは信じられていない。
なぜなら黒竜という存在自体を確信できていないのだから」
そうだ、その伝承を皆が信じているならば、獣人を奴隷にしようなどと思う者はいない。
けれど実際にこの場に獣人の奴隷がいる。それは、伝承を信じていない者が居る証拠だ。
それでも良かったのだ、この地で亜人と人間の戦争が起きさえしなければ。身勝手に思われるかもしれないが、領地を発展させるのが領主であるならば、他の地でどのような事が起ころうとも関係ない。
だが、ならばなぜ父は伝承があるのに先生を招き入れたのだろうか。彼の存在が、周囲に不安を与えるであろうことを考慮しなかったはずはない。
そして私も同じく、彼の存在を不安に思っていたのだ。二年前の事件が、彼が原因ではないかと疑うほどに。
「二年前の事件、それは本当に先生とは関りがなかったのですか?
あの事件は黒竜の気まぐれ、偶然に起きたものだというのですか?」
「そうだ。彼は何も関係がない。それに、彼の存在が黒竜を招いたのであれば説明がつかない。
なにせ彼は医神―――様、そして黒竜を退けた英雄―――様と共にあの時やって来たのだから」
「それこそタイミングが良すぎるではありませんか!」
さも理論だっていると言いたげな父の言葉だったが、それこそ関連がないという方が無理がある。
そう思った私の言葉に返事をしたのは、当の先生だった。
「であれば私が元々居た街が狙われていたはずです。私はそれまで王都で半年ほど暮らしておりました。その半年間に何事もなかった事、そして黒竜が私の行き先を知り、先回りする術はなかったであろう事から、偶然と考えるのが妥当かと」
「でも……じゃぁ……」
私は信じたくなかった。あの事件がなんの因果もなく、ただ偶然、居合わせた者たちの運がなかっただけだという事実を。それを受け入れてしまえば、ささやかな幸せを願い、享受する事さえ許されないのだと言われているようだったから。
何かのせいにしたかっただけなのだ。私から大切なものを奪ったあの事件に理由が欲しかった。
亜人を貶め、先生を奴隷に堕とした人間のせいにしたかった。でも誰が悪いわけでもない。
奴隷にした人も、お父様も、もちろん先生も……。誰にも原因はなかったのだ。
そんなどこにもやり場のない思い、それを投げつけられる先はいつだってひとつだった。
「神様って……残酷ね……」
次回は2/7(金)更新予定です。




