君の大切な友達2
ストレスで毛が抜ける。1回怒れば10本髪が抜ける。一怒十髪なんて言われる。
昔、CMで「髪は長い友達」なんてのがあった。だから怒らない様に務めた。でも内面に怒りを納めただけで、それはストレスとなった。
1本1本、髪が抜けていく。
1人1人、友が消えていく。
ああ……。友が去らない方法は無いのだろうか。
100年以上前に書かれた手紙にはそんな事が書いてあった。白かったであろう紙は茶色く変色し、文字も滲んで判別が難しいほどであった。
その手紙が書かれてから100年以上が経過した時代では、「髪」「毛」と言う物は地上の何処にも存在せず、地球上のあらゆる生物に髪や毛等は存在しない。
人間の頭髪は勿論、眉毛、まつげ、髭、鼻毛、耳毛、胸毛、脇毛、脛毛、腕毛、指毛、そして陰部の毛。地球上の誰一人として生えている者はいない。
犬や猫、羊や山羊にも一切の毛が生えていない。勿論、鳥にも生えておらず、現代の空には鳥の姿は無く、鳥と呼ばれた全ての生物は地上で暮らし、一部の種に於いては弱肉強食の理を以って絶滅の道を辿っていた。
事の起こりは今から50年程前、人や動物から毛という毛が突然にして抜け始めた。何の前触れもなく抜け始めた毛に人々は恐怖した。ある者は寝ている最中に抜け始め、朝起きたら枕にびっしりと髪が落ちていた。ある者は仕事中にパラパラと抜け始め、その日のうちに全て抜け落ちた。ある者はその状況に発狂し、ある者はその場に泣き崩れた。全ての毛が抜け落ちて行く事に、人類は恐怖した。
水鳥は水面に於いてのんびりしていた所で毛が抜け始め、その場で溺れると共に、無残な姿で水の底へと沈んで行った。空を飛んでいたガンやカモといった渡り鳥達も空の上で毛が抜け始め、海や山へと落ちて行った。元々寒がりであった猫は真夏に於いても炬燵を必要とし、犬は室内で飼わなければ直ぐに風邪を引いてしまった。
ふさふさの毛や、ふわふわの毛があったからこそ可愛かった動物園の動物や自宅で飼うペットに対しては、人は目もくれなくなり、ペットに於いては愛情を失うと共に、そのまま野に放されるといった事も横行した。人に飼われていない動物達は毛を失った事で体温を保持出来ず、哀れな姿を野に山にと晒していた。
この未曾有の危機に対し、世界中の研究者が調査を始めた。勿論、その研究者達の毛も全て無くなっていた。調べ始めて分かった事と言えば、全ての生物の毛根が突如死滅したという事だけで、その原因までは分からなかった。
そんな中、SNSに投稿されたある一文が人々の目に留まった。
『全世界同時毛根死滅という現象は、全世界のあらゆる毛根の声なき声であり、毛根による自殺である。毛根に対する慈しみを失った人類への警告である。人間の力ではどうする事も出来ないし、今後生まれる新しい命に於いても、毛根は存在しないであろう』
人々は目を留めたが一笑した。とはいえ、それ以外の原因を突き止めるには至らず、それを信じる者がいたのも事実である。以降、その投稿された言葉通り、新しく生まれた命にも毛根は存在せず、この世から完全に毛が消え去った。
床屋やヘアサロンは閉店に追い込まれた。シャンプーや髭剃りも必要無くなった。羽毛という存在が無くなり、布団やダウンといった衣料が作れなくなったと同時に、それらを生業としていた事業者は大打撃を受けた。
しかし数年もすればその環境にも慣れ、人類は毛根の無い生活が当たり前となっていた。むしろ、薄い頭髪に悩んでいた人達は皆が同じ頭になった事を密かに歓迎した。だが今度は頭髪の薄さに代わって頭蓋骨の形に悩む者が増えた。現在では如何に頭蓋の形が美しいかというがステータスでもあり、いびつな頭蓋骨を持つ者は日陰へと追いやられた。そんな時代が50年近く続き、毛が無いのが当たり前となり、毛は歴史上にのみ存在する遺物となった。
そんな中、日本のとある町で生まれた1人の男の子に、世界の目が集まる事になった。その子には頭髪が存在した。子供を取り上げた医師は母親から出てきた赤ん坊に頭髪が存在した事に驚愕し、思わず赤ん坊をその場に落としそうになった。
すぐにそのニュースは世界を駆け巡り、世界中のマスコミがその街に殺到する事態となったと同時に、世界中の研究者からその子を調査させて欲しいとの依頼が殺到した。
母親も最初は申し出を拒んだ物の、世界中の人々から向けられる眼差しに疲れ果て、自分が帯同する事を条件に、一部の研究者に協力する事を了承した。
研究者は赤ん坊の毛根と遺伝子を入手し研究を始めたが、何も分からなかった。現代の人間には毛根その物が存在しない。毛根を調べても「その子が特殊である」という結論にしか至らず、遺伝子を調べて見ても何ら他の人間と変わる所は無かった。
その子は「髪の子」と呼ばれた。
やがてその子も成長し小学校にあがると、1人だけ黒々とした頭髪を持つ事で異分子扱いされると共にイジメを受けた。周りの小学生は男女問わずツルツルの頭。眉毛もまつ毛も無い訳であったが為に、頭髪や眉毛が生えたその子は完全に浮いていた。その子は常に帽子を目深に被り、頭髪や眉毛を見せないように過ごしてた。
地球上から毛根が死滅して以来、床屋やヘアサロンといった職業は消え失せ、その子の髪を切ってくれる店は既に無かった。頭髪用のハサミやバリカンという器具も、遺物として博物館に飾られているだけで製造されておらず、当然どこの店にも売ってはいない。
その子の毛は母親が週1回というペースで以って、事務用挟みで切ってあげていた。切る時には頭髪は勿論のこと、眉毛にまつ毛も切っていた。その子の毛は伸びるのが早く、1日に5ミリ伸びるという速さであり、母親の手により週1回バッサリと切ってあげてはいたが、週末には3センチ以上伸びてしまう。母親も時間的に余裕も無い事から、毎日切ってあげる訳にも行かなかった。
その子が中学生に上がる頃、いよいよその子の陰部にも毛が生え始めた。気付いた時には5センチ程に伸びていた。その子は愕然とし泣き崩れると共に、陰部の毛をむしり始めた。しかし、3日もすれば新たに毛は生え始め、頭髪同様に陰部の毛も伸び続けた。
その子は頭髪等は母親に切ってもらい、陰部の毛はこっそりと自分でむしるという生活を送り続けた。そして高校生になり、やがては社会人となった。未だに地球上に存在する生物の中で毛根を持つのはその子ただ一人。
ある日、その子が交通事故に遭い、意識不明の状態となった。病院のベッドの上で寝ている間も毛は伸び続けた。むしろ、起きていた時より寝ている時の方が伸びが早く、1日に1センチ伸びる事もあった。そのペースでは1か月で30センチ、3か月も過ぎれば1メートル伸びる。時には一晩で5センチ伸びる事もあり、半年も過ぎるとその子の体を覆う程に全ての毛が伸びていた。
そんな中、それらの毛に異変が見られた。その大量の毛が蔦のようにその子を覆う様にして絡みつきだした。最初は母親や看護師がむしる様にして毛を避けていたが、とある研究者が「このまま様子を見よう」といった一言で、毛に覆われていくその子をそのままにした。
1年も過ぎると、その子はまるで黒い繭に覆われているかのような姿となっていた。栄養は点滴により与えられ、心電図も逐次チェックされている事から身の危険は無かったものの、黒く艶々とした毛に覆われた息子の姿に、母親の心配は絶える事は無かった。
更に半年が過ぎたとある夜の事。その黒々とした大きい繭から眩い光が四方八方に散り始めた。看護師は直ぐさま当直医や他の看護師達を呼ぶと共に、その様子を注視した。
ふぁさふぁさ~
そんな音が聞こえたかのように、その子を覆っていた毛が剥がれ始め、ベッドの上へ床の上へと落ち始め、中からは眠ったままに光り輝くその子の姿が現れた。その子の毛は全て抜け落ち、殆どがベッドの上に落ちたが、その様は黒いシルクのシーツの上で寝ているかのようだった。
そのまま看護師達が様子を伺っていると、その子の目がゆっくりと開き始めると同時に上半身だけがゆっくり起き上がりだした。そして完全に上半身を起こすと、顔だけをゆっくり看護師達の方へと向けた。
『やあ、人類のみなさん、こんにちは』
その子は笑みを浮かべつつ、ゆったりとした口調で以ってそんな事を口にした。看護師達は理解出来ないその言葉に何ら反応する事無く、ポカーンと口を半開きに、目を見開いたままに硬直していた。その子は看護師達をゆっくり一瞥すると再び口を開いた。
『私は毛根を司る者。あなたがた人類に警告を与えた者』
それから暫くの時間が経ち、その子が目を覚ましたという一報を聞いた研究者たちが続々と病室へと集まりだし、その子のベッドを囲む様にして、20人近くの研究者や医療関係者が立ち並んだ。
『私は人類が余りにも毛根を大切にしない為に、罰を与えました。それと同時に、毛根の大切さ素晴らしさを世界に伝えるため、この子の毛根だけ生きて貰いました』
研究者達はその子の言い様に違和感を覚えた。その子とは何度も顔を合わせ話もしていたが、見た事も無い柔らかい表情と口調と共に、まるで人間を自分とは別の種族であるという目で見て言葉を発していた。そしてそこに集った誰もが、「何らかの別人格がこの子に宿っている」と直感した。
「あの…、それではあなたが世界中の毛根を消し去ったという事ですか? しかしどうやって……」
『私が地球上の全ての毛根に語りかけ、自らの意志で以って消えて頂きました』
「毛根自らの意思……ですか?」
『ええ、そうです』
研究者達はその言葉の意味が全く理解できなかったが、そもそもこの状況を未だに理解できない為に、とりあえずそのまま話を進める事にした。
「あなたが言った毛根を大事していないとはどういう事ですか?」
『高熱を与え、色を抜き、時には色を塗る。私はそんな扱いをする人間達に罰を与えたのです』
「そんな……。確かに色を抜いたり熱を与えたりする事はあったと思いますが、それが毛根に対する非道という訳では無いでしょう? 現代では既にありませんが、毛根が存在した時代には頭皮ケアという物だって存在していたし、色を抜いたと言っても、ちゃんとリンスでキューティクルを整えたりと努力はしていたはずです」
『それはいい訳であり通用しません。新たに子供を1人生むなら1人殺していいですとでも言っているようなものです』
「そんなバカな……。だとしても、何故に人間以外の毛根も死んで行ったのでしょうか?」
『全ての毛根を消す事に意味があったのです。もしも人間以外で残っている毛根があれば、あなた方人間はその動物の毛根を利用しようとするでしょう。故に全ての毛根をこの世から消し去る必要があったのです』
「…………」
『そして毛根の無い世界を経験した人類の中で唯一、この子の毛根だけに生きてもらいました。予想通りあなた方人類はこの子に群がりました。それは致し方ない事ですし想定内の事でしたが、この子以外の毛根には自ら死んで頂いているので、幾ら調査をしても無意味ですけどね。本来であれば全ての毛根に死んでもらうというのは、私の立場からすれば断腸の思いでもありましたが、その警告は人類に十分伝わった事でしょう』
病室に集う無毛の研究者、医師、看護師達は人類がそれ程迄の過ちを犯していたのかと、皆が反省とも悔恨とも言えない表情で以って、唇を噛み締めながらに俯いた。
病室には沈黙が流れていた。すると1人の研究者がおもむろに顔を上げた。
「あ、あの…、私達の毛根はもう2度と生まれないのでしょうか?」
『いいえ、人類は十分に罰を受けたと思います。無毛の世界という物がどういう物かを、自分達の体で以って十分に理解したと思います。近い内、新しく生まれてくる命に対して、私は毛根が生きていく事を許しましょう。これからは毛に敬意を払い、毛根をもっと慈しみなさい』
そう言ってその子は気を失うかの様にして、目を瞑ると同時にベッドへと倒れこんだ。その後、その子のその別人格と言える者は「毛根使い」と呼称された。
翌日、再びその子が目を覚ますと、いつもの様子に戻っていた。目を覚ましたその子は自分の体から全ての毛が抜けていた事に気づくと、涙を流して喜んだ。とはいえそれも数日間で、改めて毛は生え始めてきた。だがその伸びる速度は一晩で0.5ミリ程度。以前の人類と同じ速度であった。
それから1週間後、驚愕のニュースが世界を駆け巡った。
生まれた子供に毛が生えている!
生まれた子猫に毛が生えている!
生まれた子犬に毛が生えている!
生まれた小鳥に毛が生えている!
生まれた子羊に毛が生えている!
続々と生まれる新しい命には、毛根が存在していた。同時に、「毛根使い」からの言葉が世間へ公表された。
『毛に敬意を払い、毛根をもっと慈しめ』
それから50年が過ぎ、再び地球上の生物は毛根を有した事で、人間も毛髪を有するのが当たり前となっていた。
空には鳥が舞っていた。公園の池や湖には水鳥が羽を休めていた。猫は体毛を有しても相変わらず寒がりではあったが、犬は寒い季節に於いても走り回っていた。毛根が自然消滅した人間も存在はするが、それでも毛根が失われた時代以前に回帰したと言えた。
生物の中で1人だけ毛根を有した子供も、今やお爺さんと言える年齢となっていた。黒々としていた髪は真っ白く、量も少なくはなってきてはいたものの、キチンと手入れされて居る事で艶が保たれていた。
既に定年を迎えての年金暮らし。日中には自宅近くの公園のベンチに座り、のんびりと日向ぼっこをするという日々を送っていた。
その人の目は公園の砂場に向けられていた。その砂場には1人の子供が遊んでいた。その傍には十代後半と思しき父親と母親が、しゃがんだ状態で子供に寄り添っていた。父親は金色の短髪、母親は遠目にも艶を失っている事がわかる金髪のロン毛。短く刈られた子供の髪は自然ではありえない青色だった。
お爺さんとなったその人は、幸せそうな顔で以ってその3人家族を見つめていたが、ふと、気を失ったかのようにしてカクンと項垂れた。
『やれやれ、人類には定期的に警告を与えねばならないのかもな』
その人はそう呟きながらゆっくりと顔を上げ、不敵な笑みを浮かべつつ、上目づかいに砂場の3人を見つめた。
「毛根使い」は未だにその人の中にいた。常に人類のそばで監視し、再び「全世界同時毛根死滅」の機会を伺っていた。
2020年04月20日 2版誤字訂正
2019年11月25日 初版