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文化と暗号5

「進捗はどうかな」

「殺すわよ?」

 玉髄(ぎょくずい)がマリアの手元を覗き込む。目を狙ってペンが突き出されるが、首をひねって躱した。

「紙媒体の資料をひっくり返すなんて、珍しいね」

「紙であることを利用した暗号かもしれないわ。羽袖(はそで)は原稿用紙や紙の本にこだわりがあった、これが最短コースのはずよ」

 羽袖の唯一完結している小説『範囲と重なり』はブックカフェで酷評されたものだ。発表会では、羽袖と一部の客が口論になった。感想文を寄稿した人も被害者に含まれる。しかし感想文は匿名だ。ではどうやって?

 玉髄が羽袖の自宅を捜索した結果「羽袖は常連客で、しかも監視カメラまで使って自作を読んだ人物をすべて把握してる」「プロセスはともかく個人を特定し、一部の暗殺を依頼していた」ことが分かった。

「この小説も落書きも見ていると吐きそうになるわ」

「吐く……なんて高度な機能だ。実装費はどれくらいになるだろうね」

「黙ってて」

 マリアの言いつけを玉髄は忠実に守る。自分が頭脳労働に向いていないことは十分に理解している。それでも気になることがあって、つい提案してみる。

「絵そのものについてはどうかな?」

「この下手くそな落書きのこと?」

「ずいぶんな評価だね」

「数字に変換できるとは思うわ。でも何を書いてるかもあやふやでしょう?」

「花魁だろう。身なりからして」

「その身なりが問題なの。わけの分からない柄だし」

 玉髄は引っかかりを覚える。「わけの分からない柄」という言い方、そして時折ある自分とマリアの感覚のズレ。

「桜や紅葉といった日本らしい柄だよね。もっとも統一感はあまりにないけど」

 マリアの動きがわずかに硬直し、そしてまた自然な動きに戻った。

(ああ、やっぱり)

 自分とマリアは文化圏が違う、と玉髄は考えている。このゲームの参加条件がどのようなものか知らないが、マリアは国外からの旅行者か、あるいは外国育ちといったところか。

「ねぇ、こんな話を知ってるかしら。高名なあのゴッホも――日本画を理解していたとは言いがたいのよ。自分の画風と日本画を融合させた手腕は見事だったけど、日本画の背景にある文化まではどうしても理解しきれなかったそうよ」

「弘法も筆の誤りと言うしね」

「それは少し違うと思うけど、遠からず、かしら」

 絵についての講釈が終わったところで、マリアはふっと一息つく。機械の体に疲れはない。だが精神の機械化はされておらず、したがって生存と休養は未だに切り離せない。

「依頼人の画竜(がりょう)くんに聞くというのはどうだろう?」

「論外」

「蛇の道は蛇と言うだろう。あるいは餅は餅屋」

「はいはい。ことわざをたくさん知っていて偉いわね」

「僕が理解できたのは桜や紅葉だけだったけど、彼ならもっと理解しているかも。僕は花の名前には詳しくないばかりか、それが花なのかも理解しかねるほどだからね」

 マリアが人差し指で机をたたく。メトロノームのように、等間隔に音を立てる。かと思えばマトリョーシカを分解して、玉髄に投げる。彼は避けなかった。それが余計にマリアの気に障った。彼女は憎らしげに玉髄を見上げる。

「好きにすれば?」

「かしこまりました」

 即座に、画竜に対してコールする。

〈なんだよ〉

〈上塗りしてきた絵について、解説を頼む〉

〈解説? あのグラフィティにか? そんな上等なもんじゃないだろうよ。つか、あんたは俺の絵について言うことはないのか〉

〈全体を見たことがないからな、評しかねる〉

〈なら観に行こうぜ〉

〈後にしてくれ〉

〈事務所に描いてやろうか〉

〈馬鹿も休み休み言え〉

 画竜の声が苛立ちを帯びる。

〈人にものを頼む態度か?〉

〈人の命よりも優先すべきことか?〉

 数秒の沈黙。

〈どういうことだ?〉

〈説明している時間も惜しい。一連のグラフィティについて〉

〈……分かってるとは思うが、どれも花魁を描いたものだ。着物の柄がおそらく一番気合いを入れたところなんだろうな。技術が伴ってないから、つぶれちまってるが。構図も配色もありきたりだ。もっとも、だからこそかろうじて推理できるが。推理して、ようやく最低限の意図が伝わるレベルだ〉

〈その意図とは?〉

〈意図っつーか、共通のモチーフは二つ。「花魁」と「花札」だ。花魁の方は、作品ごとに顔立ちやポーズが違う。花札の方は、札が違う。梅と桜が一緒にあるのは許せても、桜とすすきが一緒にあるのは腹立たしいよな〉

〈数字はないのか?〉

〈数字? なんだよ暗号なのか?〉

〈察しが良くて助かる。緊急性も察してくれないか〉

〈感じ悪いな。花は全部季節のものだ。いくつかのバリエーション、解釈の違いはあるが、要するに一年の12の月それぞれの花だろうが〉

 玉髄は直接の声で伝える。

「マリア、花札だ」

「花札?」

 名前は知っていても、内容は知らないのだろう。マリアは怪訝な声を上げた。

「12の月それぞれの花だ。1から12までの数字を表せる」

 即座に手が動く。マリアの青紫色の瞳が必要な文字を抜き取っていく。

 それを確認して、玉髄は画竜に言う。

〈ありがとう、助かった〉

〈暗号なんだな〉

〈そうだ〉

〈人殺しの〉

〈そうだ……ご苦労様〉

〈俺も連れて行け〉

〈は?〉

〈大捕物だろ。作品のいいアイデアが出るかもしれねぇ〉

 玉髄は画竜の正気を疑わずにはいられなかった。犯人との直接対決を見物にきて、自分が危険な目に遭う可能性を想像できないのだろうか。

(察しがいいのか、単なる馬鹿か)

「どうしたの」

 マリアが玉髄を見つめる。暗号はもう解けたようだった。

「画竜が自分も連れて行けと」

「……いいわよ。そうしてあげたら」

 玉髄もマリアを見つめ返す。何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

「本気かい」

「ええ、彼は功労者ですもの。本人の意思を尊重するわ」

 マリアは笑う。

 自然で、明るくて、完璧ではなく、隙があり、なによりも意地悪な笑みだった。

(悪いね、画竜くん……)

 あくまで内心で、玉髄は画竜に謝る。

(これは明らかに、八つ当たりのサインだ)

 やはりマリアの発言のささやかなズレを指摘しても、ろくなことにならない。玉髄には止められない。犠牲の最小化を望むなら、彼女に従うべきなのだ。

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