天蓋崩落8
玉髄の拳が、轟音を鳴らす。
工場の柱は湾曲した。拳の跡がくっきりと残っている。
「なんだその馬鹿力っ」
拳を躱した黒曜は思わず毒づく。
「分からないのか?」
玉髄は口角を上げ、歪に笑う。
「僕の体はマリアの課金によって成り立っている……南極都市富豪ランキング3位の彼女によって、だ」
「ヒモ野郎め」
「集中的な投資だ、ほら僕はそもそも強いので」
黒曜は黙る。
玉髄の言っていることは正しい。拳闘においても玉髄は強い。半自動のプログラムを活用し、機械的な計算と人間的な意思決定を両立させている。
玉髄が体を地面に伏せる――その後ろからクレーンの先端が黒曜に迫ってくる。
同じように体を伏せ、黒曜も難を逃れる。
そして素早く身を転がす。
「外したかぁ」
つい先ほどまで黒曜の頭があったところにはクレーターができていた。中心部には玉髄の足形が残っている。
黒曜には分からない。工場内の機械をどのように玉髄はコントロールしているのか。
見透かしたように玉髄が言う。
「ヒントは……そうだな、信頼の力かな」
「外部の人間との通信、いや通信系は壊してある。蛍のテレパスってわけでもないだろう。と、なると……小型銃か」
「甘いな、黒曜」
玉髄は言う。
「予め命令しておいて後で帳尻を合わせるという力業だ。演算装置も積んであるから。もちろんマリアのお金でだけど」
「くたばれロリコン」
それは玉髄にとっての地雷のひとつであった。
「僕は生物学的には五歳児なので、むしろマリアがショタコンですけど」
「絵面の問題だ、あほめ」
「つーかサイボーグは年齢とか超越するとかって言ってなかった?」
「精神に合わせて好きに調整できる、という話だ」
玉髄が咳払いをする。そして問う。
「こうやって冗談言えるなら、戦わなくていいと思わないか?」
黒曜は、
「マリアと離れる気はあるのか?」
と問い返し、
「いや、全然」
玉髄はこう答えた。
ゆえに和解はあり得ない。
玉髄に輪郭を与えたのはマリアだ。雪のように溶けていく彼に、形が与えられた。動機は問題ではなく、ただ結果だけがある。刷り込みといえるかもしれない。
だが、それは悪なのか?
多かれ少なかれ、人は刷り込みを受ける。
それを受け入れて何が悪いのか。
完全な自由は、空想上のものでしかない。
「僕はマリアを守る」
「――瑠璃の事件を覚えているか?」
出し抜けに黒曜が言った。
「もちろん」
「あれは俺が動いてた」
「だと思った」
「琥珀をそそのかしたのは俺だ。俺が死ねば、あいつはお前に協力するだろうな」
「それはありがたいね」
「俺は私怨で動いている。ルイたちは理想で動いている」
黒曜はそう言って、拳を構えた。
「さて」
「ああ」
二人は殴り合う。
金属音が響く。靴がこすれる音がする。声が漏れることがあるのは、本能の残りカスかもしれない。殴られることを怖がれと、悲鳴を上げろという本能かもしれない。
鉄を打つ音ばかりが続く。
刀を叩いて鍛えるように。
不純物をはじき飛ばして、残るのは純粋な鉄だけだ。
火花が散る。
電気が弾ける。
そして――鉄を打つ音は消えた。
「やっぱりさ……死ななくてもいいんじゃない?」
「だから無理だって」
「マリアは諦めろ」
「無理だ。俺が嫉妬してるのは――」
大きな鉄くれは潰された。
失敗作などではなかったのに。




