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秘密が終わるとき3

 雪に埋もれた男がいた。吹雪でその全身のほとんどは白くなっている。微動だにせず、死んでいるようにさえ見える。彼の目が開く。黒い目だ。とても生気は感じられないが、彼は活動を停止してはいない。

 男は上体を起こす。

(ここは、どこだ)

 周囲にある灰色の建物はどれも無機質だ。窓もなく、用具もない。柱と床、そして天井だけで出来ている。それらがいくつも建ち並ぶ。碁盤の目のように建築はされているが道路があるわけではない。ただ単に、まっすぐに並べられただけに思える。

(何かがおかしい)

 手をつき、立ち上がる。雪が30センチは積もっている。

(寒くない)

 寒いことは理解できる。一方で寒さを感じることはないことに気づいた。彼の装備はミリタリー風のものだ。雪に埋もれていたから、防寒性は低下しているはずだが。

 男は歩き出した。

 雪を蹴るようにして進む。まったく辛くはなかった。寒くない。雪を運ぶ風に、顔をしかめることもない。淡々と足を前にやる。

 壁が見える。

(あそこまで行こう)

 音が聞こえる。

 生き物のうなり声だ。

 目を凝らして見えるのは、異形だった。犬の頭によく似ている。足が八本あるが、半分は引きずっている。胴体には金属の塊がこびりついている。目は爛々と輝き、男を見ていた。

 両者の距離が縮まる。

 異形の怪物が、獲物に飛びかかる。男は目を狙った。拳で、怪物の目を殴りつけた。怪物はまさに犬のように吠えて、逃げていった。その尻尾には魚の鱗が見えた。

(気持ち悪い……)

 雌雄のある生物ならば、今度はつがいで襲ってくるかも知れない。あるいは最悪の可能性として、今のは子どもだったかも知れない。

(逃げなくてはならない)

 漠然とした想いが彼の足を急かす。

(生きなくてはならない)

 壁の向こうに行けば助かると、彼は確信していた。その理由を彼自身は知らない。

(宇宙人の侵略だろうか。それとも妖怪か)

 浮遊感を覚えながらも、壁の方へ行く。誰ともすれ違わない。誰かに言って欲しい。この状況について教えて欲しい。それ以上に、

(僕は、誰だ?)

 質問に答えて欲しい。

 日本人なはずだ。自分の思考は日本語によるものだから。一般的な日本人だろう。ぼんやりとコミックの記憶がある。流行りの曲も覚えている。

 自分がどんな人間かは分からない。

(なぜ?)

 自己を定義づける何か。それがすっぽりと抜け落ちている。卵焼きの作り方が思い出せるのに、自分の顔すら思い出せない。そういう不安定な自己認識しかない。

(僕は死んだのだろうか)

 彼は新しい仮定を必死に探す。「何を思いつくか」それこそが自己を規定すると言わんばかりに考える。自分を象っていく。核が分からなくても、輪郭は捉えたかった。本質を理解していないラベリングでいいから、評して欲しい。

(誰かいないのか)

 限界が近い。

(僕を見てくれ)

 破綻する音が聞こえる。心の断末魔もまたアイデンティティの一つなのかもしれない。彼はそう思い、思考を止め、耳を澄ませる。

(!)

 聞こえる。

(! ――!)

 聞こえる。

(あ――)


 誰かの声だ。


 男は走り出した。

 助けを呼ぶ声だったから。


(僕はこうするはずだ)

 危険を顧みず、誰かを救う。

 男は、正義の輪郭を纏った。

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