ネズミの王3
子月は作業を終え、自室に戻る。
作業服を脱ぐと、丁寧に畳む。そうしないと罰があるから。
床に転がり込む。そしてぼろぼろの文庫本を読む。毎日の暇つぶしである。12人ほどの社員がいるが、本は20冊もない。回し読みの繰り返しになるので、何枚かのページはちぎれている。
もう暗記して、ページをめくる必要はない。それでも子月たちがページをめくるのは、それ以外にやることがないからだ。毎日がその繰り返し。
「もしもし」
だから、彼女はその声に驚いた。
喋ったら罰が与えられる。最初に教えられたことの一つだ。
「聞こえているでしょう。ほら、こっち」
子月は小さいおもちゃを見つけた。ネズミのラジコンカーみたいなもので、声はそこから出ている。ネズミは、また彼女に問う。
「思念通信はできる?」
「何それ」
「……やっぱりね」
子月は久しぶりに自分の声を聞いた気がした。シネンツウシンはさっぱりだが、自分の声は理解できた。女性にしては低い声で、少しかすれてる。
「話せる時間はどれくらい?」
ネズミの質問は的確だった。子月はこの小さいネズミが、こちらの状況を理解していることに気づいた。
「あと2分はできる。明日は20時からなら、多分」
「分かったわ。それで、最後に外に出たのはいつ?」
「分かんない。カレンダー、ないから」
「私の言う単語を聞いて、分かるものがあれば言って。配給率、鉱石生物、メガラニカ、人工皮質、人工脊髄、ゲーム仮説、実験仮説……」
子月には何一つ理解できなかった。
「最近いなくなった人はいる?」
「一人だけ」
「吹雪の日?」
「窓ないから、分かんない」
「そう、では最後に」
「うん」
「ここはどこかしら?」
子月は答える。
「監獄」
「どういう意味だろうね」
「そのままの意味でしょう」
玉髄はおおげさに肩をすくめる。
マリアは椅子に座ったまま、暖炉の中にあるランプを見る。青紫色の眼にオレンジ色の光が差し込んでいる。
「彼女は工場を監獄だと思ってる」
「じゃあ単語がどれも分からないっていうのも……」
「事実だと思うわ」
ネズミ越しに会話をした女性・子月は分からないと言った。この南極都市の名前さえ知らない。そもそもここが作られた世界であることを知らない可能性もある。
「僕は遠人はクロだと思う。裏付けはまだ足りないけど」
「今のところ立証は難しいわね」
「でも行動は起こせる」
これ見よがしにマリアはため息をついた。
「目的は何?」
玉髄は縮こまりながら答える。
「……適格者を見つけることだね」
「そう、助ける必要はないの」
マリアは、およそ報酬のない行動はしない。帰還計画も順調に進んでいる中で、人助けをする気は毛頭なかった。あくまでも計画の適格者を探す一環として、工場の調査をしている。
「感情移入なんて要らないわ」
「分かってるけど……でも感情が先立つこともあるだろう。僕とキミの契約だってそうじゃないか」
「反射的な行動は感情と呼べるのかしら」
マリアは思念通話のコールを無視する。遠人からのものだ、彼はどうしてもマリアを作業員にしたいらしい。この数時間、繰り返しコールをしてくる。
「感情はもっと熟成されたものよ」
マリアが低く呟いた。
玉髄が立ち上がる。戦闘準備のために、そのまま二階へと向かう。
「彼は十分に私を怒らせた。……だから、潰すわ」




