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プロローグ1

 銀世界は、もはや輝いていない。


 壁に囲まれて、星の一つも見えないのが、この街である。吹雪さえも時折の「換気」で入ってくるだけだ。それでも街には雪が積もる。それほど荒々しい「換気」だ。南極都市――メガラニカでは日常だといえる。


 吹雪の中を男が走っている。足場は雪で、手には重い盗品……それでも彼は軽々と駆け抜けていく。逃げるために。

(なんで引きはがせない)

 彼の脚からは蒸気が吹き荒れている。鉄の脚は、めいっぱい駆動している。東京タワー(当然、レプリカだが)の方に向かって彼を運ぶ。軽快な動きだが、持ち主に忠実だ。逃げるにせよ、盗むにせよ、その性能を存分に発揮している。

 だが追う男がいる。

 それも十メートルの距離を几帳面に保っている。

緊急停止(フリーズ)信号で狙うか?)

 逃げる男は懐の銃に意識を向けた。

 この世界ではあらゆる銃に安全装置がついている。それは暴発を防ぐ、というだけのものではない。プレイヤーが、プレイヤーへ発砲することを禁止する機能だ。少なくとも破壊(クラック)信号による殺傷はできない。緊急停止(フリーズ)信号は例外で、相手の動きを止めることが出来る。

 ただし、銃口を向けた時点で相手プレイヤーに警告が発せられる。銃で狙っていることを銃自体のシステムが教えてしまうのだ。しかもシステムの命中補助も受けられない。

 対人戦においては、まず多人数で囲み、緊急停止(フリーズ)信号で動きを止め、接近して刀剣類で首を落とすのがセオリーである。

 とはいえ逃げるのは一人。追うのも一人。

(やるしかない)

 逃げる男――要するに窃盗犯は角を曲がり、振り返りながら銃を抜く。

 追う男も角を曲がる。

 発砲音。

 しかし、追う男は身を翻し、銃弾を避けた。

「クソッ」

 窃盗犯は、何度も銃を撃ち込む。少しずつ後退する。

「――盗みは、良くないぞ」

 窃盗犯から見た、角の影。そこから追う男の声が響いた。

「黙れっ!」

「軍への就職をおすすめする。誰でも採用される」

「怪物退治なんて御免だ」

「ふむ。それは同感」

 窃盗犯の男は、前進した。銃は確かに相手に警告メッセージを送ってしまう。だが、方向は教えても、距離は教えない。顔を出した瞬間に、撃つ。想像よりも近くにいれば度肝を抜かれるはずだ。彼はそう考えた。

 そうして、窃盗犯が角に差しかかったところで、その銃が奪われた。

「!?」

 追う男――玉随は銃を窃盗犯に向ける。

「盗みなんてするもんじゃない」

 警告メッセージが窃盗犯の頭に響く。

〈警告:銃口を向けられています。12時の方向〉

 玉随(ぎょくずい)の顔を見て、男が呟く。

「赤れんがの」

「ん? そうそう、その通り」

 メガラニカの東部、赤れんが街にある探偵事務所。助手として働く玉随の顔と名前は、それなりに有名だった。この都市の黎明期から活躍するあのリトル・マリアの保護者兼用心棒として。

 グレースケールのまだら模様のコートは、汚れているのかデザインなのか分からない。顔は偏屈そうで、髪は黒く、やや乱れている。機械的で、無機質な表情だ。

「話が早いね。早く荷物を」

 玉随が左手を差し出す。

「あ、ああ」

 盗品は鉄製のケースに収められている。手提げになっていて、持ち手の部分は皮だ。玉随は重さを確かめるようにそれをぎゅっと握る。

「よろしい、では」

 そのまま背を向ける。

 電磁ナイフが煌めく。

 そして窃盗犯の手から、ナイフは宙を舞う。

 玉随が完璧な蹴りで、そうしたのだった。360度全方位をカバーする振動、熱のセンサーにより不意打ちに気づいた。そしてダウンロード済みの戦闘プログラムが提示した数十種類の選択肢から、もっとも被害が少ないものを選んだ。

「改めて、では」

 そう言った玉随に、窃盗犯が吐き捨てるように言う。

「ガキの奴隷のくせに――」

 窃盗犯の男の顎が砕けた。顎から、電気が漏れる。弾けるような音が不規則に続く。いくつかのコードが口内から覗く。皮膚は破れているが、一滴も血は流れない。

 玉随の――戦闘プログラムを使わない、素人くさい蹴りによる被害だった。

 だが窃盗犯は喋るのを止めない。

「偽物だ、全部」

 玉随は、去って行く。

 声はもう届かない。


「俺はきっと、昔も盗みで生きてきたのさ。そうに決まってる」

 吹雪の中で男は喋り続ける。

 誰にも聞こえていないことに気づきながら。

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