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第九話 糸口

「古沢、おまえ、一体どうした?」

「はい?」

 その声に振り向くと、湯気の立つコーヒーカップを抱えた課長が俺の抱える×(バッテン)印だらけのリストを覗き込んでいた。

 本日何十回目かのFAX送信を始めた俺に、課長はさらにいぶかしげな視線を向ける。

「おとといはあんなに落ち込んでいたと思ったら、今度はこれだ。川島精機で何か面倒なこと言われたのか?」

「いえ、特に」

「そうか? まあ、あんまり無理するな。不採用は確かに残念だが、だからといって今の所うちの業績に直接影響するわけでもない。あんまり一つのことにかまけて他の仕事をおろそかにしないでくれよ」

「……わかりました」

 俺は素直に答え、かといってそのまま営業に出ることもせず、席に戻って昨晩送ったメールの返信を確認してみる。受信リストには「現在当方では貴社の資材を必要としておりません」といった感じの断り文句ばかりがずらりと並ぶのみ。

 俺は小さくため息をつくと、DM作戦は一旦切り上げる事にした。

 宇宙開発は少なくとも日本では魅力的な商売とは言い難い。

 その上、総合的な技術力が要求されるために中小弱小はなかなか手を出すことができない。アズミ、インタースターと言った航空ベンチャーが水際だった頑張りを見せているもののそのシェアは小さく、四菱、IGIといった有名大手の御用業者を除くと、傾斜材ノズルを大量に購入してくれそうな航空宇宙関連業者はがっかりするくらい少なかった。

 とにかく関係のありそうな会社宛に片っ端からメールとFAXで資料を送ってみたものの、成果は今だ全くのゼロだった。

「国内でダメならやっぱり海外か……」

 中学時代から積極的に英検にトライしていた安原とは違い、俺の英語の成績は学生時代から常に落第寸前の超低空飛行で、できることなら避けたかった。

 だが、お尻に火の点いた状態で今さら選り好みしていられる状況でもないようだ。

 仕方ないと肩をすくめ、昨夜、社内唯一の留学経験者を焼き鳥で篭絡し無理やり翻訳させたスペックシートを開く。ところがGoogle翻訳の力を借りながらどうにかチェックを始めたところで邪魔が入る。

「古沢さん! 外線一番に外人さんからお電話です!」

「おい、“外人さん”はないだろ? どこの会社?」

「それが、良くわからないんです……とにかく“ミスターフルサワ”しか聞き取れなくて」

 電話を受けていた向かいの席の事務の子が受話器をこちらに差し出した姿勢のまま困り果てている。

「しょうがないなあ」

 俺は不承不承立ち上がりながら彼女の差し出した受話器を受け取ると、英語の洪水を覚悟して大きく深呼吸する。

「ハロー、サンキューフォーウェイティング、ジスイズ“フルサワ”スピーキング。えーと、メイアイハブユアネームアゲイン、プリーズ? なあ、これでいいんだっけ?」

 なんとなしに彼女に問いかけるが、彼女は目を丸くしたままぶるぶると顔を横に振るばかり。

『オー、フルサワさん? 初めまして、私、ウォーディン・ゴールドと言いマス』

 だが、聞こえてきたのはアクセントこそ妙だが十分に聞き取れる日本語だった。俺はほっとして思わず椅子にへたり込む。

『私、あなたのロケットに大変興味ありますネ。それを私に見せることできますカ?』

 いきなりズバリと聞かれた。

「あ、あの、ミスター? 私の扱っているのはロケットのノズルだけです。ロケット全てを扱っているわけではありませんよ」

『ああ、それ全然大丈夫デス。私、明日ちょうど日本に行きマス。ホッカイドウアイランドで私と会えマスカ?』

「ほっかいどう!?」

 あまりに唐突な申し出に俺は思わず大声を上げた。

 事務所中の視線がさっと集まるのを感じながら、俺は受話器を握りなおし、居ずまいを正して慎重に言葉を選ぶ。

「えー、ミスターゴールド、失礼ですが私はあなたがどのような人物であるかまるで存じ上げません。よろしければ簡単に自己紹介をいただいても……」

『オォ! シツレイシマシタ! 私はシンガポールのエルフガンド・インダストリーズのプレジデントデス。ホッカイドウのパートナーから昨日、電話がありまシタ。あなたがすばらしいロケットエンジンを開発シタト。私はそれをぜひ見たいのデス」

 なんだか大きな誤解があるなと思いつつ、俺はメモ帳に“エルフガンド”と走り書きし、向かいの事務員に掲げて見せる。彼女がパソコンで検索?といった身振りをするのにうんうんと頷きながら、改めて聞きなおす。

「えー、つまり、ミスターゴールドは私共のロケットノズルに興味がおありなのですね?」

『ハイ、もちろん良く調べてからですが、スペックは大変にインタレスティングです。大量購入を前提にお話がしたいデス』

「判りました。とりあえず上司と相談してすぐにかけ直します」

 俺は相手の告げる電話番号をメモ帳に殴り書きすると、事務員が手渡してくれたプリントアウトを持って課長席に突進する。

「課長! この会社の社長が例のノズルの件で至急私に会いたいそうです。行ってもよろしいでしょうか?」

「……ってお前、この会社、外国じゃないか! 本気で行くつもりなのか?」

 いきなり眼前に突き出されたプリントアウトに毒気を抜かれ、目を丸くしながら困惑気味に答える課長。一方俺はここぞとばかりにまくし立てる。

「大丈夫です。シンガポールじゃなくて北海道です。大丈夫ですよね? 何とかなりますよね!」

「まあ、国内なら何とか……っておい!」

「早速航空券買って来ます。失礼します!」

 我に返りかけた課長を無視し、俺は大急ぎで事務所を飛び出すと、駅前の格安チケットショップに向かって駆け出した。。


 千歳行きの格安航空券を購入し、店を出た所でスマホが鳴る。液晶には〈川島精機〉の文字。

「はい、古沢です」

『古沢さん? 由佳です。今お話してもよろしいですか?』

「あ、はいどうぞ」

 答えながら渡りかけた横断歩道を慌てて戻る。

『先ほど、石岡鉄工という会社から突然うちに電話がありまして……』

「はい?」

『それが、例のノズルの件で至急担当者と会いたいらしいんです。で、父とも相談しまして、できれば明日、古沢さんに同行をお願いしたいんですが?』

「あー、申し訳ありません。実は急な出張で北海道に行くので明日はちょっと……」

『え?……』

 由佳嬢が一瞬息を飲む気配が感じられた。

「あれ、どうしました?」

『いえ、ちょっと驚いてしまって』

「……というと?」

『はい、石岡鉄工は北海道の日高にある会社なんだそうです。偶然ですよね』

「はあ、確かに」

『では、便を合わせます。何時の飛行機か教えて下さい』

 俺は請われるままに買ったばかりのチケットを封筒から取り出し、時間とフライトナンバーを読み上げる。

『それでは詳しいことは明日羽田でお会いした時にでも』

「え! もしかして由佳さんが行かれるんですか?」

 だが、驚く俺とは対照的に、彼女は何を当たり前のことをといわんばかりにあっさりと答える

『はい、私が参ります。私はまだ夏休みですが、父は仕事が詰まっていて手が離せないそうですので』

「はあ」

『それに、今回はとりあえずお話を聞くだけみたいですし、古沢さんが同席されるなら私でも十分だろうって父が。それでは明日』

 それだけ告げると電話は唐突に切れた。どうやら人の都合を気にしないマイペースな性格は親譲りらしい。

 俺は再び青信号になった交差点をゆっくりと渡りつつ、仕事とは言え突然年下の女性と二人っきりで旅に出る事になったこの展開に正直困惑していた。

(女の子と旅行なんてあの時以来か……)

 直接会社に戻る気になれず、遅い昼食を取ろうと会社の階下にある喫茶店へ足を向ける。

「ランチまだできます?」

 いつ来ても無愛想な店主が無言で頷く。

 俺は出されたミネラルウォーターのグラスを両手で包み込むようにしながら窓の外へ視線を向け、ただ一度、安原と二人で訪れた雄大な阿蘇の風景を思い出していた。


「フフーン、いい実験場を見つけたよ」

 高校三年の夏、安原は唐突にそう言い出し、次いでいつものいたずらっぽい微笑を浮かべた。

 窓際のFMラジオからは午後のリクエスト番組が流れ、窓の外からはブラスバンド部のパート練習が風に乗ってかすかに聞こえてくる。

 顧問の教師はいい加減なのかそれとも信頼してくれているのか、部屋の鍵を安原に預けたままおとといから休暇中なつやすみで、窓が高く風通しのいい物理準備室には他に誰もいなかった。

 一方、俺は今朝届いたアルミパイプに穴あけ加工のためのケガキ線を入れるべく、関数電卓を片手に設計図とにらめっこをしているところ。

 高校最後の体育祭のフィナーレを飾るにふさわしい美しいロケットを作りたくて、初めてトライした金属筐体アルミボディーだ。

「ねえ、聞いてる?」

「この前も川原で燃焼実験やってパトカー呼ばれたしな。この辺じゃもう無理だろう? で、どこよ?」

「いい所。いくら大きな音を出しても誰も驚かない場所」

 俺は設計図に赤ペンで数字を書きつけながら思わず眉をひそめる。

「なんだそれ? 近所にそんな所あるか?」

「聞きたい?」

「ああ」

 彼女は再びにっこりと微笑みながら立ち上がり、周りを見回しながら俺の耳に顔を寄せた。彼女の吐息が耳たぶにかかり、俺はくすぐったさに首をすくめる。

「阿蘇山。あそこなら回りに誰も住んでいないよ」

「阿蘇山っ! 遠いなー、本気か安原?」

 驚いて振り向いた俺の頬に彼女の唇が触れた気がして俺は思わずのけぞった。意味もなく顔中が熱くなる。だが、彼女は全く頓着していない様子で夢見るように両手を組み合わせると、阿蘇キャンプの計画を楽しそうに話し始めた。

「おい、それよりいい加減手伝えよ。俺達の卒業制作だぞ。これが終わったら入試が終わるまでしばらくロケット作りなんて出来ないんだからな」

「私ね、今回、作るほうは全部古沢に頼もうかなって思ってるの」

 彼女はそう言いながらついと立ち上がると、部屋の隅のランチャーにセットされ、イグナイターを接続すれば今すぐにも打ち上げ可能な〈安原陸式〉のボディを愛おしそうに撫でる。

「なんで?」

「私、不器用だから。どんなにがんばってもこんなにきれいな機体は出来ないもの。それに、このロケットはもう私だけのものじゃないの」

「どういう意味?」

 彼女の言葉の真意を測りかねて俺は眉をしかめる。

「そんな顔しないで。悪い意味じゃないよ。古沢が一緒にいてくれたおかげでここまで出来たんだって、ちょっとうれしくなっただけ」

 そう独り言のように言う安原の表情に俺は不覚にも見とれてしまった。少しだけ憂いを含んだその横顔に、俺はそれまで彼女に対して一度も意識しなかった魅力を感じてしまったらしい。

 そして。

 結局その年、夏の終りに決行した阿蘇キャンプで〈安原陸式〉はついに音速を突破した。

 バリバリと雷鳴にも似た轟音を残し、入道雲を突き破るように蒼穹へ吸い込まれていくロケット。一方安原はうれしさのあまり地面にペタリと座り込み、天を仰ぎながら子供のようにポロポロと大粒の涙をこぼす。

 俺はそんな彼女を見つめながら馬鹿みたいに立ち尽くしていた。

 そして、秋になって高校最後のロケットの打ち上げが成功したら、自分の気持ちを正直に彼女に伝えようと決心した。

 だが、それは結局叶わないままに終わった。


◆◆◆


「おい、何をぼんやりしているんだ。すぐにこれに着替えろ!」

 遠くにそびえるロケット組立棟と、さらにその向こう、水平線に立ち昇る入道雲をぼんやり眺めながら夢想にふけっていた私は、皆本の大声にふと我に返る。

「はい!?」

「犯人側から要求があった。どうやら病人が出たらしい。医者と看護婦、それから食事をよこせと言ってきた。ただし人数は最大でも三人まで、食事も医者に運ばせろと」

 そう言いながら皆本はいつの間に調達したのかナースのユニフォームを私に投げてよこす。見れば皆本はドーランで顔を赤銅色に変え、白衣を羽織り、どこから見てもラテン系のドクターらしい風格を漂わせていた。

(なんて器用な人なんだろう)

「でも、こちらの警察は? 彼らは何も言わないんですか?」

「ああ、前回こっぴどく砲撃されて懲りてるらしい。これ以上騒ぎを大きくしないなら行ってもいいとさ」

 言いながら皆本は不敵に笑う。

「そこで、お前には中国系移民のナースに化けてもらう。どうせ奴らにアジア人の見分けなんてつかないし、フランス語が出来なくてもごまかせるしな」

「でも、中国語はともかく看護婦の真似なんて出来ません。第一私は……」

「お前にそこまで期待していないよ」

 皆本はすげなくそう言い放つ。

「医療行為についてはもう一人、本物のナースに助手を務めてもらう。お前はその間、人質にホットミルクとサンドイッチを配りながら君嶋社長と接触しろ。それ以上は望まん」

「う!」

 それはそれでなんだかプライドが傷つく。

「今回のミッションは人質の無事と内部状況の確認が最優先だ。急げ!」

 それだけ言うときびすを返してすたすたと行ってしまう。

 私は慌てて隣の空き部屋に駆け込み、渡された白衣に着替える。

 なんだか胸の辺りが妙にブカブカなのにムカつきながら、どうしてこんな緊迫した状態であの夏の出来事なんて思い出すんだろうかと不思議に思う。

 もしかしたら、この場所がまさにロケット打ち上げの聖地だからなのかも知れない。

 どんなに押さえつけていても、私の中のロケッティアの血があたりに漂うロケット燃料の匂いを嗅ぎ付け、不謹慎にも興奮に沸き立っているのだ。

「安原! 急げ。食事と救急車が準備できた。出るぞ!」

「はいっ!」

 ドアの外でがなる皆本の大声に答えながらナースキャップをかぶり、ピンで留めながらぐっと唇をかむ。

 でも、今はまず、社長を取り戻す事。

 もし失敗すれば、夢は今度こそ永遠に絶たれてしまうだろう。

 私は大きく深呼吸すると、ドアを勢いよくあけて皆本に続いた。

 外に出てみると、カーポートにはセンター内の消防署から借りてきたものらしいハイルーフタイプの救急車が青い回転灯を回したままで待機していた。サンドイッチが詰め込まれた段ボール箱は担架を外された荷室にすでに積み込まれている。私は婦人警官からホットミルクの入ったポットを二つ受け取ると、黒人のナースに手を引かれるように自分も荷室に飛び乗り、観音開きの後部ドアを閉めながら運転席に聞こえるように声を張り上げる。

「準備できました」

 皆本は返事代わりにいきなりの急発進。救急車はけたたましくサイレンを鳴らしながら、犯人の立てこもる防護棟に向けて猛スピードで走り始めた。


---To be continued--- 

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