第二話 天像
七夕の夜に行われた君嶋社長の緊急記者会見は予想通り各方面に波紋を呼んだ。
記事が翌日の経済紙一面を飾ると、早速国土開発省の担当係官から「あんまり国益を無視して独走しないで頂きたい」と非公式な苦情のメールが飛び込んできた。
宇宙開発機関、NaRDOの幹部からは逆に懇願めいた電話がかかってきた。
わが国の宇宙政策がアメリカとの共同歩調を基本としている以上、うちの会社がアメリカの軌道塔計画に参加しないと明言するのは困るという内容だった。
だが、室長と共に反響をまとめて報告に行くと、社長は案の定こう言った。
「よその国に事業の首根っこを掴まれるほど動きにくい事もないからな」
そう言ってレポートを机に放り出すと、ニヤッと笑ってこう続けた。
「安原、おまえのロケットもそうだったよな。外野にやめろと言われて簡単にやめてしまうようじゃそこから先の進歩なんて望めやしない。必要なのは確固たる信念と粘り強い努力、そして周りの雑音に惑わされない図々しさ。わかってるよな」
「え!……はい」
私は、何年も前に入社し、ほとんど会った事もない平社員の名前や経歴を社長がすらっと口にしたのに驚いた。
同時に、別人が口にするとなんだか口先だけのお題目に聞こえてしまうそのセリフが、彼が言うとなんだかひどく説得力のある内容に聞こえるのは不思議だった。
さすが、たった一人で国に背いただけの事はある。
君嶋社長はまだ富士山がガンガン火を噴いている最中から、国の度重なる警告や避難命令を無視して率先して現場に乗り込み、円の暴落で経済活動がマヒ状態に陥っている日本中から千台以上の大型重機を格安でかき集めた。
その上で当社研究所謹製の無人制御ユニットを断りもなく勝手に装着すると、膨大な火山灰と溶岩に埋もれて無人の荒野となった山麓に立ち、火口から流れ出る膨大な溶岩流を誘導するための大規模な導流溝と、火山灰処理のための穴をひたすら掘りまくった。もちろんいちいち地主や行政の許可など得ている暇などない。”完全な”無許可、いわゆる確信犯だ。
現場で動き回る無人重機に据え付けた無線カメラと上空を乱舞するドローンから、危険すぎて誰も撮れない噴火現場の迫真映像を集め、世界中の報道機関に高値でさばいて運転資金を作る一方、道といわず川といわず農地といわず、衛星からの画像とAIによる予測演算の助けを借りつつ、とにかく一番全体の被害が少なくなる事だけを考え、掘って掘って掘りまくったのだ。
結局、駿河湾に流れ込む溶岩流を見事に制御して海上に広大な天然の埋め立て地を造成し、そこに火山灰の捨て場と広大な避難住宅用地と災害支援用仮設滑走路用地まで確保すると、噴火がいくらか落ち着いて自衛隊やその他のゼネコンが現地入りするのを待ってさっさと警察に出頭した。
もちろんその場で逮捕された。
ついた罪状は細かいものまで入れると合計千数百。世界中から賛否両論が渦巻く中、しかし驚いた事にそのほとんどが最終的には不起訴になった。
避難民からの訴えもなぜかほとんど途中で取り下げられたと聞く。
それはそうだろう。
家や農地が灰や溶岩で潰されたのは彼のせいではない。むしろ、この状況で考え得る最小の被害で済んだことを喜ぶ人がほとんどだった。
君嶋社長はタイム誌の今年の顔に選ばれ、国連からの特別表彰も受けた。
彼が作業の進捗状況を発表するたび、どん底まで落ちたドル・円レートがぐいぐい回復したこともあり、政界、経済界にも声高に彼を非難する人はほとんど現れなかった。
さすがにNHKをはじめ国内のメディアは彼の違法な行いを一切報道しなかった。だが、CNNを始めとした海外のテレビメディア、さらに最近台頭してきたネットメディアは我先に彼を追い、目の前で火山弾が炸裂してもけろりとしているその向こう見ずさと心臓の強さを褒め称えた。
大学で情報工学を学びながら、先行きに閉塞感を感じていた私が機械工学にくら替えしたのも、そんな彼の姿をネットメディアで見たことがきっかけだ。
「で、安原。おまえだったらこの先どうする?」
社長は机にひじを突き、両手を組み合わせるようにしながら独特の紅茶色の瞳でぎろっと私をにらみつけた。
私はいきなりの質問に驚いて室長の顔を見上げるが、彼は当たり前のような表情を浮かべているだけで別段慌てている様子もない。
「それは、私個人の担当の範囲内でというご質問でしょうか? それなら……」
「違う。東アジア軌道塔建設プロジェクト全体を見通して、どう今回の事態をリカバーするか、君の見解を聞きたい」
「え? 私ごときが答えてよろしいんですか?」
社長は大きくうなずく。私は頭の中がパニックのまま、どう答えたら納得してもらえるのか必死で考えた。短気でも有名な社長だけに、じっくり考えて満点の答えを出す余裕はない。とっさに思い浮かんだ単語を口に出すしかなかった。
「プラネタリウムを……」
「え?」
「いえ、あ、プラネタリウムというのは単なる物のたとえで、まず、えーっと、て、テーマパークを造ります」
「……ほう」
このばか野郎と一喝されて終わりと思った出まかせなのに、意外にも社長は食いついてきた。
やばい。なんとか整合性のある理屈を考えないと。
顔から血の気が引き、わきの下がじっとりと汗ばんでくるのが自分でもわかる。
「……き、軌道塔本体と周辺の土地買収はすでに地権者と合意が成立していますし、スケジュールを考えると地上施設の基礎工事だけでも今すぐ始めないとクライアントに提示した工期に間に合いません。でも、このままビジネスパートナーが欠けた状態で見切り発車では本体工事の資金が途中で尽きてしまいますから、建設資金と世間の耳目を集めるためにはもう一つ何かイベントが必要になると思ったんです」
そこまで一気にまくし立て、社長の反応を見る。うん、どうやらここまではなんとか合格点らしい。
「プラネタリウムというのはモノのたとえですが、そこが地上と宇宙を結ぶ掛け橋になるんだということ、軌道塔が完成したらどんな世界が開けてどんな体験ができるのか、言葉ではなくテーマパークのような形であらかじめみんなに体感してもらう必要があるのではないかと……」
「おもしろい」
社長はうなるようにつぶやき、再びあの瞳で私をにらみつけた。
「まったく期待した答えじゃないが、これはこれで効果的かもしれん。施設ができれば人も集まるし、街ができれば工事部隊の駐留や資材の調達にもなにかと便利だ。室長、安原をその事業の担当に充てられるか?」
「経験不足ではありますが、フォローできないほどでもありません。今抱えている仕事はすぐに小松と山本に引き継がせます」
(室長ぅ、何勝手に決めてるんですか!)
私の声にならない訴えを無視して、室長はさっさと適当なスタッフの見積もりを始めた。確かにあの二人なら外国語も堪能だし、クライアントサイドからもかわいがられているけれど……。
「それじゃ決まりだ。来週月曜日の夜までにたたき台のプランを持ってもう一度来い。いいな、安原!」
「……はい」
うなずくしかなかった。と、社長はそこで急に表情を緩めて一言付け足した。
「高校時代の無念を今度こそ晴らすんだぞ。今度こそ、星に手が届くようにな」
「え?」
秘書が次の来客を告げ、私たちはそれ以上話ができないまま追い立てられるように社長室を出た。ふかふかのじゅうたんが敷かれた社長室フロアの廊下を歩きながら、私は素朴な疑問を室長にぶつけてみた。
「室長、これで本当によかったんでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「いえ、あんな思いつき……」
「まあな。軌道塔のそばに付帯施設を造る案は当初から検討されてそう目新しいものでもない。ただ、おまえも知っているような鉄道とかインターチェンジとかホテル、コンベンションセンターといった実用的なものが中心で、ああいう遊びの発想は確かに我々にはなかったな」
「すいません。でも……」
「別に非難しているわけじゃない、謝るな。考えてみろ、道路や駅は大勢の利用者がいて初めて価値がある。軌道塔が完成するまで限られた工事関係者しか使わないんじゃ、採算ベースに乗るまで何年間も莫大な赤字を計上しなくちゃならん。かといって、膨大な工事物資の輸送を考えると交通インフラの整備は一番に手を付けざるを得ないしな。案外いいアイデアかも知れんぞ」
「でも、どこから始めればいいのかさっぱり……」
「そうだな……」
室長はあごに右手を添えると、ひげ剃り跡をごしごしとなで回しながら首をひねる。
「ところでおまえ、さっきどうしてプラネタリウムなんて口走ったんだ? あんなもの、今どき流行らないだろう?」
「はあ、最近たまたま身内で話題に出た事をそのままポロッと口走っちゃっただけで、特にこれといった考えがあるわけじゃなかったんですが」
「……そうか」
室長はこの事態を面白がるようなニヤニヤ笑いを浮かべると、私の肩をバンと叩く。
「案外その辺りから攻めてみるのも面白いかもな。とりあえず時間がない。早速動け。じゃあ」
室長はそこで話を一方的に切り上げ、寄る所があるからとさっさと駆け出していった。
非常階段を、しかも登り方向に。
「はあ、揃いも揃ってみんな体育会系なんだから」
人気のない廊下に一人取り残され、私は深いため息をついた。
翌日、私は午後早めに退勤すると、アパートから歩いて二十分ほどの所にある自然公園に足を向けた。
入り口から遊歩道をしばらく歩いたメタセコイヤの林の一角に「こども科学館」というこじんまりとした建物があり、プラネタリウムが併設されている。
そばの広場にはのんびり犬を散歩させる老婦人の姿が見えるだけで、平日の夕刻という事もあって他に人影はなかった。
高校時代ロケットを造っていた身としては不謹慎だが、まさか自宅の近くにこんな施設がある事も知らず、実際に足を運んだのは生まれて初めてだ。
可愛げのないませた子供だった私は、小学二年の時初めて目にした人工の星空をなんとなくうさんくさく感じ、それ以来興味を失ったせいでもある。
事故の後は家族の目もあって天文関係から遠ざからずを得ず、なおさら訪れる機会はなかった。
チケット売り場で天文雑誌を読みふけっていた若い男性に名前を告げると、すでに話が通っていたらしくそのまま事務所に案内される。片隅の古ぼけたソファに腰掛けて待つ事数分、白髪の目立つ、穏やかな表情の女性職員が肩越しに声をかけた来た。
「安原さん?」
「あ、はい!」
慌てて立ち上がる私を軽く制しテーブルに自らコーヒーカップを並べた彼女は、トレイを小脇に置いて名刺を差し出した。
「学芸員の国府田と申します」
「安原です。この度はお忙しいところに急なお願いを致しまして申し訳……」
「いえ、お気になさらず。ちょうど今日の投影が終了した所ですので」
「え、終わっちゃったんですか?」
国府田女史は笑顔を浮かべると、身振りで私に座るように促し、自分も静かに腰を下ろす。
「大丈夫です。今は場内清掃が入っていますが、来期の番組装填調整のためにこの後しばらく機械を回します。なにぶん人手がありませんので何のお構いもできませんが、それでよろしかったら。ぜひご覧ください」
「あ、ありがとうございます。で、料金の方は?」
おずおずと切り出す私。一方女史は首をかしげ少しだけ考えたが、改めて私に向き直るとニッコリと微笑む。
「通常番組でもありませんし……取材とお伺いしておりますのでお代は結構です」
「いえ、それではあんまり図々しいかと……」
「通常の大人料金でも二百円なんです。お気になさらず」
「え、という事は、採算は取れていないんですか?」
私の質問がおかしかったのか、女史はクスリと笑うと小さくうなずく。
「失礼しました。いかにも民間企業の方らしい質問でしたから。ここは市の施設なので採算はある程度度外視しているんです。もちろん大赤字というわけにもいきませんけど、投影機もユニークなのでそこそこお客さんはあるんです」
「その投影機というのは?」
「ええ、地元のエンジニアが開発した光学式の投影機です。もうずいぶん旧式になっちゃいましたけど……」
そこまで聞いた所で事務所の奥から女史を呼ぶ声がする。どうやら電話らしい。彼女は心持ち顔を赤くしながら恐縮したように言葉を続ける。
「すいません。また後ほどご案内しますので、それまではロビーの方をお好きにご見学ください」
そう言い残すと傍らのトレイを胸に抱き、パタパタと小走りで部屋の奥に消えた。取り残された私は、せっかく頂いたコーヒーなのでゆっくりと飲み干すと、勧めに従ってロビーで待つ事にし、そばでコピーを取っていた若い職員に会釈しつつ事務所を出た。
ロビーの壁には風変わりな星雲や星団の写真パネルがずらりと並べられ、ロビーの中央には黒塗りの鉄アレイのような巨大な機械が台座に載って飾られている。そばには手書きの説明パネルも添えられていた。
『カールツァイスVI型投影機・かつて当館で現役を務めていた投影機です』
見るからに重厚な、まるで蒸気機関車のように黒光りするメカのかたまりは迫力があった。確かに、幼い頃訪れたプラネタリウムにあったのもこんな感じの機械だった。
私は投影機をしげしげと見上げながらぐるりと一回りし、ふと目に入った向かい側の壁に気になるパネルを発見して思わず吸い寄せられた。そこには、直径一メートル以上もある満月がこうこうと輝いていた。
高校時代、古沢手製の望遠鏡で飽きるほど眺めた月面の姿がそこにはあった。
『月には名前のついていない小さなクレーターが今でも相当あるんだよ』
瞳を輝かせながら意気揚々と話す古沢の姿が今でもまぶたの奥に浮かんでくる。
私たちは、そんな無名のクレーターに自作のロケットを打ち込んで、命名権を勝ち取りたいと夢想していたのだ。
二人でいろんな名前を考えては、あーでもないこーでもないとお互いけなしあうのも楽しかった。だが、そんな楽しい日々は続かなかった。
事故の後、退院した私たちは警察と消防の現場検証に立ち会わされた。その場には引きつった表情を浮かべた物理教師、始終不機嫌な顔をして私たちと顔を合わせようともしない教頭も一緒だった。その後、数日して両親共々校長室に呼び出された私たちは、今後一切ロケット造りをしないという誓約書、さらに始末書を書かされた上、二週間の停学を言い渡された。
ようやく包帯も取れ、醜い傷跡があらわになった頃停学が明けた。しばらくぶりに教室に戻った私は、周囲の視線が一変し、教室のどこにも居場所が無くなっている事実と、物理教師が解雇された事を知った。彼の行方は誰も知らなかった。
---To be continued---