第一話 失恋
本作にご興味をお持ちの皆さん、ありがとうございます。
前作「ナツのロケット」に引き続きロケット物です。
ナツの方はだいぶ明るくライトな感じでしたが、本作はもう少しだけ年齢高めで、内容も少しビターテイストです。
ぜひぜひお楽しみ下さい。
◆◆◆
梅雨明け間近のあの日、東京は深夜になってもまるで熱帯のような蒸し暑さが抜けなかった。
代々木上原駅のホームで暑さにうだりながらぼんやりと終電を待っていた私は、スマホのバイブにふと顔を上げ、メールの送信者名に古沢彼方の名前を見て思わず確認キーを押した。
「安原はきっと興味があると思うので送る」
ただその一言。後は見知らぬURLが一行、ぽつりと添えられていた。
「古沢らしいな」
私は小さく微笑すると、スマホをバックに放り込み、アルコール臭いサラリーマンの群れに混じって満員の小田原行最終電車に勢いよく体を割り込ませた。
考えてみれば、古沢とはもう5年近く顔を合わせていない。
高校時代、同じクラブに所属し、まるで兄妹のようにつるんでバカをやった仲だったけど、三年生のころに起きたある事件がきっかけで、以来疎遠になった。
お互い上京していることさえ知らず、あの大混乱の中での偶然の再会がなかったら、そのまま青春時代の苦い記憶として、記憶の深海底に封印していたかも知れない。
それでも未だに関係の糸がどうにか切れずに済んでいるのは、三十路近くにもなってどちらもひとり身の気楽さ、これでどちらかが結婚でもしていたら、先方のパートナーに気兼ねして年賀メールのやり取りすら難しくなっていただろうと思う。
考えてみれば、高校時代から、私たちの関係を邪推する人は多かった。女だてらに物理部などに所属し、放課後のほとんどの時間を古沢と共に過ごしていたわけだから、邪推するなというほうが無理に違いない。
でも、私達の関係は結局、今日に至るまで色恋沙汰に発展する気配を見せない。
一言でたとえるなら”戦友”という表現が一番近い。
あの頃の私たちの目標は手近にごろごろいる男子、女子などではなく、はるか天上に輝く月の女神「ルナ」。
そう、私たちは本気で月まで届くロケットを造ろうと悪だくみを重ねていたのだ。
今になって冷静に考えてみれば、それがどんなに無謀なチャレンジだったかなんてすぐにわかる。友人や両親があきれ果てものも言えなかったのも道理だ。資金も技術もないごく普通の高校生が抱くにはあまりに現実ばなれした妄想には違いない。
それでも、あの頃の私たちはそれが決して手の届かない目標だとは思っていなかった。
高校一年の文化祭、小遣いを出し合って近所のキャンプ用品店で買った木炭をすり鉢で丹念にすりつぶし、科学部の友人に頼んでこっそり持ち出した薬品類とあわせて密造した黒色火薬。アルミホイルの芯を再利用した機体にその密造火薬を詰め込んで初めて作った原始的な固体燃料ロケット。
これがたまたま運良く飛んでしまったのがいけなかった。
職員室に呼び出されてそれぞれの担任にこってり搾られた後、昇降口の階段で顔を合わせてどちらともなく思わずガッツポーズを取ったときの興奮はいまだに忘れることができない。
その後も、いくら口を酸っぱくして諭しても聞く耳を持たない私達に、野放しにしてどこかで事故でも起こされるよりましと考えたのか、物理部顧問の監視付きながら私達のロケット製作は半ば学校公認となり、打ち上げのデモンストレーションは毎年の文化祭、体育祭のフィナーレを飾る名物として、改良を重ねながら次第に大型化し、確実に実績を積むことになった。
だが、しかし……。
高校三年の体育・文化祭の夜、後夜祭の余興として私達が満を持して打ち上げた全長なんと2メートル、初の金属ボディのロケットは、鈍い銀色に輝く尾翼を地上から一ミリも浮かすことなく観客の目の前で真っ赤な火の玉と化した。グランドに飛び散った鋭いアルミの破片は、ロケットランチャーのそばにいた古沢の右目から永久に視力を奪い、隣に立っていた私の左乳房をもぎ取って行った。
麻酔から覚め、病院のベッドで医者からその事を知らされた私は、ケガの中身よりも、もはや夢を追うことを許されなくなってしまった現実が悲しくて、涙が涸れるまで泣きはらした。
あれからもうすぐ十年になる。
アパートのドアを開けた途端むっと吹き出してきた熱気に顔をしかめ、後ろ手でドアチェーンをかける。床に転がるリモコンのスイッチを右足の親指でちょいと押すと、そよそよと囁き始めるエアコンは無視、バッグをまさぐり携帯をとり出すと、さっきのメールを選択し、パソコンで使っているメールアドレス向けに送信ボタンを押す。同時に、ベッドに放り投げていた旧式のノートパソコンを開く。
「ええっと……」
大学時代から使っているパソコンは私の使い方が悪いのか、あちこちガタがきて、今や普通にパワースイッチを押しただけでは絶対に立ち上がらない超セキュリティ仕様(?)だ。
ボディーを持ち上げ、微妙な角度で二、三度振ってやって初めて起動画面が立ち上がる。今宵もこの儀式を繰り返した私は、だんだん寝覚めが悪くなるパソコンが間抜けな起動音と共にのんびりとブートし始めるのを確認すると、ブラウスとスカートを脱ぎ捨て、パジャマ替わりの特大サイズのTシャツを頭から無造作にかぶりながら、ふと、脇腹を這う大ムカデのような傷跡をなぞってみる。
「ぞっとするよね」
思わずつぶやいたひとことが、つい先日ボーイフレンドの放った別れの言葉に重なった。鼻の奥がつんとなり、胸がちくりと痛んだ。
『新着メールは3件です』
間合いよろしくメールの到着を告げるエージェントの合成音声に、私は大きく頭を振って、鼻をすすりあげながらパソコンに向き直る。スパムメールはすべてカットしているため、私に届くメールは誰もがあきれるほどに少ない。一件は今携帯から転送した古沢のメール。続いて高校時代の数少ない友人から、写真付で「結婚しました」の報告メール。純白のウェディングドレス姿で幸せそうに微笑む彼女の写真を複雑な思いで眺めた後、最後のメールはよりにもよって別れたばかりのボーイフレンドから。
『この前はすまなかった。でも、僕の気持ちも察して欲しい。君が女性の機能に欠陥を持っていることなんて、あの日まで僕は全然知らなかった。どうして事前に打ち明けてくれなかったの。知っていれば、あんな反応はしなかったと思う……』
途中で読むのをやめた。悲しいのを通り越して腹が立ってきた。
知っていればどうだというのか。あれほど何度も確認したのに。本当に私の内面を見てくれているのかと。
『君のすべてを愛してる』
彼は何度もそう言った。
でも、たまたま両親にもらった多少見栄えのする顔を愛でていたに過ぎなかったのだ。
清水の舞台から飛び降りる決心で晒した私の裸身を一目見た瞬間、彼はうろたえ、私を拒絶し、手ひどく突き放した。
気がつくと、私は声を立てずに泣いていた。大粒の涙がシーツに染みをつくり、キーボードにまでぼたぼたとしたたり落ちる。
期待していた分、落胆は大きかった。今度こそ、そう、きっと大丈夫。何度も自分に言い聞かせ、ようやく心を決めたのに、また。
「……死にたいな」
思わずつぶやいた言葉に、自分でギクリとした。
それから数日。
相変わらず目の回るような忙しさの中で、おかげでどうにか正気を保っていた。
私の勤める建築会社は、いわゆる普通のデベロッパーとは少し違う。
私達が作るのは、どんな会社もサジを投げるような超A難度の特殊構造物ばかりだ。
たとえば、沖合に拡張を繰り返す羽田空港の4000メートル級メガフロート滑走路とか、海上から日本海溝の底までまっすぐ延びるメタンハイドレート採掘プラットフォームなどなど。
建築会社というより、どちらかというと技術研究所という方がイメージが近い。
一昔前なら、大手のゼネコンはどこも自前の研究所を持ち、宇宙ステーションや火星基地みたいな夢の建築物の研究に励んでいた。だけど、前世紀末のバブル破綻に端を発した暗黒の30年の間にどのゼネコンも体力を使い果たし、夢を語ることはいつの間にかタブーになった。
結果、目先の直接の利益に結びつかない研究部門は次々と縮小、廃止された。
しかし、うちの社長はそんな状況を嘆き、地方の中堅デベロッパーでありながら大手をスピンアウトした研究者を好待遇で次々とスカウトした。もちろん厳しい台所事情につきただ飯食いは許されず、研究所員も現場と研究所を往復しながら、ほんの少しだけ近未来を見つめたリアルなテーマに取り組まされた。
それでも、研究が続けられる事に喜びを感じていたエンジニアは多かったそうだ。
そして、富士山大噴火にともなう復興特別事業がきっかけででうちは一気に大手の仲間入りを果たす。
私が入社したのはそんな大騒ぎがようやく一段落したころだった。
富士山噴火直後の超法規的活動(要するに無茶をやったのだ)で世界中の耳目を集め、そのおかげで舞い込み始めた超難度の依頼案件に対応する人材を集めていた時期だ。
日本はおろか世界中から優秀な研究者や腕に覚えのある技術者が殺到するなか、私が入社できたのは間違いなく奇跡だ。
社長は殺人的なスケジュールの中、全員の履歴書に目を通したそうだ。
私が駄目もとで履歴書に添えた、手描きのロケットの設計図と発射実験ビデオ。それを見た瞬間、社長はニヤッと笑って採用のハンコを押したと後で聞いた。
今、そんな私が取り組んでいる案件はマレーシア・シンガポール政府と各国の宇宙機関の協同プロジェクトだ。だが、マントル層までぶち抜いた徹底的な地盤調査が終わり、ようやく用地交渉が一段落した途端、アメリカの突然の宇宙政策の見直しで計画は崖っぷちに立っていた。
「安原! 2番にシンガポールから電話!」
苦手な英文のプレスリリースをうんうん唸りながらチェックしていた私に室長が怒鳴るように声をかける。
「は、はい!」
受話器を取った瞬間聞こえてくるのはよりにもよって英語。しかも早口で相当なまっている。
「えーと、じすいず遥子・安原すぴーきんぐ。ぷりーずもあすろーりーあげいん?」
この一言で私の英語力は知れたらしく、相手は今度は中国語に切り替えて来た。シンガポールは華人移民も多く、バイリンガルやトライリンガルは当たり前なのだ。
『ニイハオ、ヨーコ、ハオジュウブジェン! ニーシェンティハオマ?(こんにちは遥子、久しぶりだね、元気かい?)』
どこかで聞いた声。
「ダンランハオ!(もちろん!) あ、ジンさん?」
その瞬間机の袖に置いてあるモニターに開襟シャツ姿でにっこり笑う色黒の東洋人が映し出された。
『ひさしぶりね、ヨーコ、相変わらず英語はちっとも上達していないネ』
「ひどいですね。試したんですか?」
慌ててWebカムの向きを調整し、寝癖をおさえる私にミスター金はいたずらっ子のように微笑むと、
『プロのエージェントならそろそろ3カ国語くらい話せないとだめよ。それより、アメリカ大統領の声明聞いたカ?」
「フロリダに自前の軌道塔を建てる件ですね。早速中南米や南米諸国を巻き込もうとしてますが、具体的な計画はまだ全然固まってないそうですよ。多分中間選挙対策でしょう」
『君たちはどうするの? 日本政府はアメリカ追従するカ?』
「私達はマレーとシンガポールの依頼を受けてやってます。今回の案件は日本政府とは一切関係ありません」
『さすがキミシマ社長の秘蔵っ子、頼もしい答えネ』
いきなり秘蔵っ子と言われて思わずうろたえる。この人は社長からいったい何を吹き込まれているのだろうか。
「えーと、君嶋も今晩の記者会見で計画に変更なしと発表するそうです。アメリカの資本が入らない分をどこかで穴埋めしないといけないのが痛いですけど」
『了解した。遥子と君嶋さんがそう言うのなら大丈夫ネ。私は足りない資金をよそで調達できるかどうかやってみるヨ。大変だけどネ』
「どうかよろしくお願いします」
『それより遥子、なんだか元気ないね。失恋でもしたカ?』
いきなり核心を突いてきた。相変わらずこの華人財界の重鎮は鋭い。思わず息を飲んだ私の表情を察したのか、彼はにっこり笑うと、こう言った。
『たまには仕事を忘れて星でも眺めなさい。宇宙に繋がる橋を架ける人が、地上の物事にいちいち悩まされてちゃだめヨ』
「ええ、でも東京では星が見えないんです。富士山の影響もあっていつも空が霞んでいて……」
『そうか……。でも、それでも星は見られるヨ。遥子は天像儀って知ってるカ?』
「えーっと、何でしょう?」
『日本語でなんというのカ? 調べてみるといいネ』
「わかりました。後で調べておきます」
『それじゃあまたネ。お金の目処がついたら電話するヨ』
いつも通り満面の笑みを浮かべたままモニターから彼の姿が消える。と、次の瞬間メールが届いた。『修理完了のお知らせ』とある。
私は思わずため息をついた。
あれからもう一週間も経ったのだ。
あの日、こらえきれず大泣きした私は、結局ダダ漏れの自分自身の涙で満身創痍のノートパソコンにとどめを刺してしまった。
突如画面の中央に一本線を引いてブラックアウトしたパソコンに驚いてなでたり叩いたり色々やってみたが、結局うんともすんとも言わなくなってしまい、考えてみれば古沢から教えられたURLもまだ確認しないままだ。
ふと気がつくと室内はがらんとしていた。
男性スタッフは全員が記者会見のために駆り出され、さっきまで電話機に向かって景気よく怒鳴っていた室長も席を外したらしい。
私はメモ用紙に「てんしょうぎ」とメモすると、再びプレスリリースに取り組む前に、携帯を取り出しあの日古沢から届いたメールをもう一度呼び出してみる。
表示されたアドレスを見ながらキーボードにぽつぽつと打ち込むと、モニターには突然、一面の星空が映し出された。
「何? これ」
次の瞬間、画面はゆっくりと切り替わり、「超臨場感プラネタリウム」の文字がゆっくりとスクロールアップしてくる。またずいぶんと古くさい演出だ。
「プラネタリウム……?」
私は思わずつぶやいていた。
---To be continued---