掌編「リグレット」
お読みいただき有難うございます。ひとまず、ファンタジー編これにて完結です。
とある家に人が集まり悲しんでいた。この家には両親と幼い娘が住んでいるが、その少女は難病を患い、まだ十にもならないのに医師から治療の施しようがなく生命の危険にあるというのだった。両親は近隣の住民に相談をしてみるが、大勢人が集まっても肝心の娘の病状を軽くする治療法がわからずにいた。医師が対処のしようがないと言うのだから無理なかった。遥か東の大陸ならもっと技術の進んだ治療法を受けられるかもしれないという意見もあったが、その技術を受けるのには莫大な費用がかかり、とても町の人達がすすんで寄付しても足りる金額ではなかった。そのことから、町の人の何人かはこれまでに自分が無駄なことに散財していたことを恥ずかしく思った。とはいえ、散財が節約に切り替わったとしても、賄いきれる金額ではなかった。どうしたものかと皆が困り、その声が魔女にも聞こえた。彼女は聞こえたらすぐに箒を使い、家の前に降り、群がる町民を掻き分け、両親に話を聞いた。すぐに両親は魔女の評判を聴いていたので、娘を助けてもらうようにお願いした。
「いつから、こうなったのだい」
「それがわからないのです。もともと、身体も弱く咳も収まりませんでした」
魔女はベッドで寝ている娘の額に手を当てた。すると、娘の額から何かわっと墨の色に似た気が魔女の手に吸い込まれ、彼女の表情は強張った。
「魔女のお姉さん、チカは死ぬのかな」
娘は自分の治療法がまだ見つかっていないことを知っていたので、魔女にぼそっと呟いた。
「もっと色んなことお父さんとお母さんにしたかったな。学校のノボル君にも渡したいものあったのに」
「お姉さんね・・ありがとうね。死なせはしないよ、お姉さんが、チカちゃんが色々な事したいって言うからね」
魔女はそう言って反対の左手でぼそっと唱え、娘を眠らせた。眠っている娘の表情が穏やかになってから、姿勢を正し、両親に振り向き伝えた。
「随分前にも同じ病状で苦しんでいる子がいたよ」
「いったい何なのでしょう」と母親が尋ねた。
「一種の感染病だ。稀に起きるのさ、他の人には特になんともなくてもね、数十万分の一、いや数百万の一の確率で、環境の物質に対して免疫が弱っている子が生まれることがある。この子もその一人だ」
「魔法で治せはしないのでしょうか」と父親が尋ねた。
「あいにく、私の魔法は全ての病気を癒せるほど、万能でなくてね。この感染病の原因となるものを撃退する薬が必要だね」
「その薬はどこかにあるのでしょうか」
「ああ。この子から湧いてきた黒い気からこの子は黒素に侵されているとみたね。身体の色々な器官が正常に働きにくくなるのさ」
「黒素とはなんですか」
「私も人づてでその名前を聞いたくらいなんだがね。なんでも大鷲のかぎ爪にある毒の元だとか」
「鷲ですって」
母親は驚いた。
「全ての鷲でなくて特別な鷲だけこの毒を持っているのさ。なにかこの鷲が掴み損ねたものをいつか、この子が触ってしまったんだろうね。元々、身体が弱いから余計に黒素が浸透したのだろう」
「で、その黒素に対する薬はどうすればいいのでしょう」
父親が訊いた。
「それは鷲に直接訊いてみるよ」
魔女はそう言って、すぐに箒に飛び乗りびゅーんと離れの山に飛んで行った。彼女は一時的に黒素の力を自分の魔力で抑えたもののこのチカという娘が長い間耐えられるとは思えず急がねばならないと感じた。山にある一際大きな樹に降りると、魔女は叫んだ。
「おうい、大鷲」
すると、樹の枝にどこからともなく大鷲が逆立ちに枝をかぎ爪でしっかりと掴まり現れた。
「なんだい、ああ魔女じゃないかい、どうしたのだい」
「どうしたじゃないよ、あんたのかぎ爪の毒がまた人を苦しめているんだよ」
「おやおや、なるべく物を落とさないようにしていたのにね。じゃあ、あの時かな、いや、違うときかな、しょうがない。鷲も林檎を落とす」
「ふざけている暇はないよ、ほれ薬を頂戴」
魔女は真剣な表情で鷲に手を差し出した。
「残念だね、今は丁度薬切らしちゃってさ」
「じゃあ、どうすりゃいいのさ」
「いやいや、そもそも俺がこの爪持っているからって解毒まで俺がする義務なんてないのだよ。自分で考えな」
大鷲はぶら下がった姿勢をくるっと回転して、魔女を枝の上から見下ろした。魔女は見上げてはなほ強気に答えた。
「あんたの獲物と関係ない者まで巻き込むんじゃないよ。さっさと答えな」
大鷲はそう言われては残念そうにため息をついた。
「わかったよ。俺の爪の黒素には百年の花の蜜が効くんだ。だから薬はその蜜を混ぜて作った」
「その百年の花はどこにあるんだい」
「百年に一度しか咲かないからそう名前がついたのさ」
大鷲の答えに魔女はどう聞き返せばよいのか一瞬わからなくなった。先ほどまで強気だった表情が冷や汗のかいた怯えた表情に変わったのだった。
「咲いていないっていうのかい」
聞き返した彼女の体は震えていた。答えを既に予想していたのだ。しかし、大鷲の回答は予想外であった。
「昔はね、百年に一度だった、今は人が品種改良進めて人工で栽培しているところがある、蜜は人にもご馳走だったわけだ」
「じゃあ、どこで栽培しているんだい」
魔女は少し気が落ち着いてきた。
「北西の街さ。ただ厳重に管理しているから気をつけな」
大鷲は翼をばさっと拡げ、上空へ飛び立った。魔女は大鷲の後を追いかけた。
「あんた、遅いね」
「あんたが速すぎるのだ」
大鷲は頑張って魔女に先頭を抜かれないよう街へ向かったが、魔女はペースを緩めないとならなかった。
「あれだね」
花を栽培している施設は厳重に外から電圧線で守られていた。空から侵入することはできなかった。
「じゃあ、健闘を祈る」
大鷲はそう言って、自分の棲み処の樹に戻っていった。魔女は大鷲が離れていくのを唖然としていて、助け合いにはほど遠いと気を持ち直した。
「さて、どうするかね」
魔女は左の腕輪を緩め、電圧線ともぶち壊そうと力を強めた。彼女の回りから霊気が翡翠色に纏い、輝きを増していた。その光に歩いている町の人も施設の警備員も気づき、隠れたり、防衛姿勢を構えた。彼女は大きな叫び声をあげ、左手から魔法を解き放った。魔力が翡翠色の衝撃波と化し電圧線に向かっていった。しかし、衝撃波が電圧線に触れると爆発が起きた。
「そんな」
爆発とともに爆風が彼女は吹き飛ばし、魔女は落下していった。電圧線は破れなかった。壊せなかったことをショックに彼女はうなだれたまま落下していった。
「大丈夫か」
落ちて行った彼女をすっと黄色い物体が身体に受け止めた。
「あんた、どうしてここに」
「ここの花の蜜は色々と重宝するんでな、よく通るのだ」
「そうかい、ああ、あの電圧線を壊したかったのに」
「おそらくこの電圧線に魔法を反射する仕掛けがあるのだろう」
「なあ・・あんた、私を助けてくれるかい。あの花が必要なんだよ」
「そのためにここにいる」
魔女は目を閉じ、意識を失った。豹は彼女を背中に乗せたまま、移動し、彼女を道にそっと降ろした。そして、警備員の近くに立ち寄りじっと見つめた。警備員はこの豹に見つめられると、眠くなり、門の前で座って眠ってしまった。豹は警備員の腰のベルトを噛みちぎり、付いている鍵束を取り出した。その中から、門の鍵穴に合う鍵を探し、門を開けた。そして、すっと栽培しているビニルハウスに入り込み、百年の花を数本加えてはすぐに門を出た。侵入者が入ると、建物内で警報が鳴るため、すぐに出ねばならなかった。花を咥えたまま、また倒れている魔女を前足で放り上げて背中に乗せひゅーんと町を出て駆け出した。銃声が何度も鳴っていた。不思議と周囲が騒然していたが、警備員は眠ったままだった。
彼女を担いだまま、豹はチカが寝ている町に走って辿り着いた。そして、魔女をまた道に降ろすと、前足で彼女の顔を踏んだ。その奇妙な触感に彼女は意識を戻した。
「うん、なにするんだい」
豹は微かにほほ笑んだ
「こうするといやでも意識を戻すかと」
「この足をどけな」
豹は勝ち誇ったかのような、或は楽しんでいるかのような表情で足をどけた。
「まったくもう、あれ」
「早く行け」
そう言って豹は彼女に咥えた百年の花を渡した。
「おや・・ありがとうね」
魔女は自分が何をしていたのか思い出し、すぐにこの花を娘に届けるために豹と別れた。娘の家に着いては、花の蜜を娘の口元にそそいだ。
「これでよくなるのですか」
「あと、二本ある。しばらくしたらまた飲ませてやるといいよ。それと、いくらかこの子が身体を崩さぬように私の魔法で体を丈夫にしてみた。もう、命の危険は免れたよ」
有難うございますと両親は魔女にお礼を伝え、周囲の町の人からも歓声が起こった。魔女に自分たちの困りごとや悩み事などこぞって相談したく、彼女の回りを囲むが、
「本当に困ったときには声を聞いて自ずと行くよ」と答え、今日は疲れたので、この家を後にした。魔女は豹と別れたところまで歩くと、豹はまだ佇んでいて、彼女をじっと見ていた。
「大丈夫だったか」
「ああ、あんたのおかげさ、有難うよ」
「よかったな」
豹は左足を挙げては舌で舐めた。
「撃たれたのかい」
銃弾の一つが豹の左足を掠めたようだった。豹は特に痛みに苦しんでいるようには見えなかった。
「まあ、こういうこともある」
「家に来な。助けてもらったお礼もあるし、傷口を塗るよ」
彼女の言葉に豹は顔をしばらく俯けてはまた戻した。
「それだ。お前と別れてから、お前の願いを俺は守っている。そのために、俺が獲物を探すのも楽じゃない。お前と一緒にいられないのか」
「なんだい、私も思ってたところだったよ、長く生きるのも退屈なんでね、色々と話を聞こうじゃない」
そうして豹と魔女は小屋に向かって話をしながら歩いて行った。