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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
9/59

オルテナさんのお買い物



 目が覚めて、ベッドから体を起こすと欠伸を一つ。

 紅目をごしごし擦りながら、もひとつ大あくび。


「んぃ~~~~」


 両手を広げて伸びをしてから、いつものようにぼんやりと室内を見渡す。

 窓から差し込む朝日が、レースのカーテン越しに室内を優しく照らしていた。


 あー朝かー起きなきゃなー


 そのままちょっとだけコックリコックリしていたが、一度起きると熟睡できないタイプであることは知っているので、えいやっ!と声をかけて立ち上がる。そしてもう一度座ってこっくりこっくり

 冒険者のくせに朝が弱い私はここからが長いのだ。悪い癖なのは自覚してます。

 

 30分に及ぶ睡魔との戦いに勝利した私は、隣で寝ていたぬいぐるみのノリコちゃんに「おはよう」と声をかけた。ノリちゃんがあまりに可愛いかったので思わず作ってしまったのだ!

 私はノリコちゃんを抱え、スリッパを履いて台所へ。


 台所には念願叶って手に入れた鏡がある。詳しくはよくわからないが、ドワーフたちが水晶を土魔法で加工して作るのだという。宝物だ。

 

 顔を洗い、左手にノリコちゃんを抱えながら、右手でパーム繊維で出来た歯ブラシを手に取る。

 歯を磨きながらうつらうつらした後、鏡の前で笑顔の練習をしてみるが、笑い方を忘れてしまった私が意識して笑おうとすると、どうしても引き攣った笑顔になってしまう。自分でも「あ、これは無いな」って思うくらい不審な顔だ。前も子供に泣かれてしまって実は結構気にしてる……


 ちょっと気分が暗くなりかけたが、ノリコちゃんをギュッとして回復。

 ピンクの寝巻の上にフリフリのエプロンをつけると朝食を作り始める。メニューはベーコンエッグとサラダとトースト。

 ベーコンは最近お気に入りのカイル精肉店で、野菜はイサオが教えてくれたデル青果店で、パンはもちろんサイキルパ、調味料や卵はルッカ食料品店で買ったものだ。

 

 まずはサラダの準備、ノリコちゃんを椅子に座らせて、昨日のうちに煮沸処理しておいた水に新鮮な野菜を放り込んでおく。

 

 次はベーコンエッグ、私は馬鹿みたいに魔力だけはあるが、魔法がほとんど使えないため火は使えない。特別に設置してもらった火魔石に魔力を流し込んでフライパンを暖める。

 ベーコンを敷いて、脂身がプツプツ言い始めたら卵を落とし、ぱぱぱっと塩を振る。すぐに少量の水を入れて蓋を閉め、パチパチ鳴り始めるまでウツラウツラ。

 はっと起きたタイミングで丁度音が鳴り始めたので、急いで蓋を取ってお皿に盛りつける。うん、今日も上手くできた!

 

 続いてトーストを焼きながら、水を切ったレタスを千切って皿に盛り、その他の野菜もお皿に盛りつける。ドレッシングは、最近ハマって作っているタマネギとパプリカのドレッシングだ。これをサーっとかけて出来上がり。丁度トーストもいい頃合いだ。


 私は料理を、お気に入りの白い丸テーブルに並べ、ノリコちゃんの隣の椅子に座る。

 神などこれっぽっちも信じていないが、食べる前に軽く祈ってしまうのは小さいころからの習慣だ。

 トーストを一口。うんいい焼き加減! 野菜もシャキシャキだし、しっとり焼き上がったベーコンの上の卵も半熟でバッチリだ。


 私はのんびり朝食をとって、食器を洗っている時、ふと気づく。


「あれ、今日は黒星の日じゃないか」

 

 そうだ、今日は黒星の日。私が決めた私の休日だ。

 今日はどうしよう、そういえばリビングに香り油を置きたい。ふわっといい香りがするのがいい。そうすると、それを置く台も欲しいから、可愛い台を探しに行きたい。

 いや、ノリコちゃんの兄弟を作ってあげるのもいい、名前はノリオ君。うん、イサオみたいでいい名前じゃないか。

 

 そしてイサオの名前が浮かんだ時に私はハッとした。

 この前、お店でワインをかけられ彼の上着が汚れてしまった時、その服がイサオの一張羅だと言っていた。

 その後、作業着以外を着ているのを見たことが無い。彼はあまり服を買ったりはしないのだろうか。どちらにしろ、これから冬がやってくるというのに、あの格好のままだと大変なのではないか。


 そう思った時にピーンと閃いた。

 そうだ、セーターを編んであげよう!

 

 今では冒険者になり、勝手にSランクに指定され、闇姫とか呼ばれているが、結局元々はただの田舎の村娘だったのだ。家事は立派な仕事だったし、自分で作れるものは全部自分で作っていた。編み物とかお人形作りなんて得意中の得意だ。

 みんなは愛想の無い私のことを怖がるけど、私だって19歳の普通の女の子だし、可愛い物も大好きだし、将来はお嫁さんになりたいと思ってる。言ったら笑われるけど。

 

 いつもは、肌にピッタリ張り付く黒の対撃スーツを着て、黒の帷子やらプロテクターを付けて、漆黒の剣をぶら下げたりしているが、本当はピンクとか黄色のヒラっとした可愛い服を着て、オシャレして街にお買い物に行ったりしたい。言ったら笑われるけど。

 

 でも周りはそうは見てくれないのだ。

 名が上がる前はまだマシだったが、名前が知られるようになってからはもうダメだ。

 全身を黒で固めるSランカー、いつも仏頂面の闇姫様、そんな闇の眷属である古代種オルテナ・レーヴァンテインがこんな乙女チックな趣味をしているなんて、どこに行っても誰も認めてはくれない。

 

 それでも勇気を振り絞って、自分の思うがまま外に出たことが3回ある。

 

 1度目は黄色いワンピースで髪をツインテールに、

 子供に号泣された。

 

 2度目はピンクのフワッとした襟付きワンピースで髪をポニーテール。

 ギルド職員に良い病院を紹介された

 

 3度目はやっぱり諦められなかったピンクのフワッとした襟付きワンピース。髪はツインテール。

 不審者として捕まった。

 

 

 4度目は無い。私の心は折れた。

 

 だからいいのだ。家の中で着て楽しむのだ。

 買う時には、怪訝な顔をされたり、「闇姫様のご乱心」とかいう噂が流れたり、闇姫の成り済まし女討伐クエストがギルドに発注されたり色々あるけど、それでもいいのだ。私は満足してる。


 私がそんな恰好をしてはしゃいでたら彼はなんて言うだろうか。

 やっぱり引くのかな、笑ったりするのかな、いや、もしかしたら私だと気付かない可能性すらある。

 どう考えても似合ってるとか、可愛いとかは言ってくれないに決まっている


 ちょっと悲しい未来しか想像できなくなり凹む私。


 でもいい。そんな恰好して外を歩くことなどもう無いもん!


 色々考えたけど、とにかく彼にセーターを編んであげよう。

 きっと喜んでくれるはずだ。

 そうと決まったら毛糸を買いに行こう。


 こうして、私はどこかウキウキしながら街に繰り出したのだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇





「ああぁぁっ! 折れちまった! 折れちまったぁぁぁっ!」

「あ、アニキーっ!」

「オイコラワレェ、可愛い舎弟が腕折れた言うとるやんけっ! どないしてくれんのじゃ!おお!?」


 しばらく街を歩いていたら、5,6歳くらいの子供に凄んでいる男達がいた。

 ガタイが良く髭もじゃでガラの悪い3人組。典型的なチンピラだ。

 私は、馬鹿共のあまりにわかりやすい子芝居に軽く眩暈を覚える。


「ちょ、ちょっとぶつかっただけでケガするわけないよ……っ!」


 子供が怯えきっていた。当然だろう。

 小さい子供にとって大人は別の生き物だ。普通の冒険者が、2倍の背丈があるオーガを見上げる恐怖とさして違いはない。子供はいつもそういう位置から大人たちを見上げているのだ。

 そんな巨大な存在、しかも3人に囲まれ凄まれて怯えない子供がいるならば逆に見てみたい。

 

 こういう時こそ大人たちが勇気を出して助けてあげなくてはならないのだが、残念ながらこの世界は「力無き正義」に対して殊更冷たいのだ。そしてそれを多くの人が知っているから動かない。

 遠巻きで心配そうにしながらも、もう一歩が踏み出せない大人たち。

 私はそんな彼らを責めれない。


 単なるチンピラと言えども、腕っぷしの世界で生きる荒くれ者に物言える大人など、そうそういるものではない。武器の携帯が許され、ただの喧嘩が普通に殺し合いに発展する世界で、力なき者が自分の身を守るために、理不尽な出来事から目を逸らすのは決して悪ではないと私は思う。

 

 男達はますます調子に乗っていた


「このままだとオメェ、牛さんのおっぱい搾れんやんけ! オッサンらオッパイ大好っきゃねんぞっ! 搾れなくて死んじまったらどうすんだ! ああ!?」 

「搾りてえぇぇ…… 搾りてぇぇよォォォ~~っ!!!」

「あ、アニキーっ!!」

 

 死ねばいいのに。

 そんなに搾るのが好きなんだったら絞ってあげようかと普通に思った。

 

 まあ、絞る絞らないはどうでもいい。こういう時こそ私の出番だった。

 力無き者は尊厳を理不尽に奪われる。私はそれを拒絶するために強くなったのだ。

 だから私は目の前の理不尽を拒絶するため一歩前に踏み出そうとした、その時


「搾りてぇぇ…… って、ちょ、や、ヤバいアニキ! オルテナだ! 魔人オルテナ・レーヴァンテインがこっち見てまさぁアニキっ!」

「なっ! あの、気に食わない者みな喰っちまうっていう闇の食欲魔人、オルテナ・レーヴァンテインか!?」

「そうです! そのオルテナでさあアニキっ!」

「ちょ、ちょっと待って…… 私は別に食べたりしな―――」


「「「ひぃぃぃっ!!!」」」


 物凄い勢いで逃げていった男達。右手を上げたままぽつんと取り残された私。

 

 呆然と立ちすくむ私に向かって、絡まれていた少年が怯えた視線を投げかけてくる。

 きっと、あの馬鹿共の言ったことを真に受けてしまったのだ。謂れ無き誤解は解かねばなるまい。

 そうだ! こんな時のために私は日々練習しているのだ、今こそその練習の成果を見せる時ではないか!

 

 私は、少年を安心させようと今朝方練習したばかりの笑顔を浮かべた。


 ―――ニタァ


 「ヒィッ!」


 物凄い勢いで逃げていった少年。笑顔のままぽつんと取り残された私。

 

 見ました奥さん?あんな小さい子にあんな邪悪な顔で脅して……(ヒソヒソ)

 食べるのよ!きっと食べてしまうのよ!(ヒソヒソ)

 んまあ怖い!信じられないですわね!まるで悪魔だわっ!(ヒソヒソ)


 おもむろに空を見上げた。

 雲一つない空の青が酷く目に染みる。私は涙がこぼれない様必死に耐えていた。

 

 いいもん! 別に気にしてないもん!



 私は上を向いたまま服飾店通りに向かって歩き出した。







☆☆☆☆☆☆☆☆☆






 大通りに垂直に交差するいくつもの中通り、その内の一つ、服飾関係のお店が軒を連ねる通りを一人歩く。

 さっきのダメージは大きかったけど、きっと誰でもたまにあることなので切り替えが大事だ。

 何気に人通りが多いため、私が歩いていても気付く人は少ない。


 しばらく見て回っていると、糸を専門に扱っている商店を発見した。店先には綿糸からロープまで幅広い商品が陳列されている。

 店の奥にもさまざまな商品が置かれており、私は吸い寄せられるように店に入った。


 店先に並べられている色とりどりの毛糸を見てワクワクしてきた。

 どれがいいかな、イサオは何色が好きなんだろうか、そうだ! ノリちゃんにも御揃いのセーターを作ってあげよう。きっと喜ぶに違いない。


 正直お金には困っていない。だからどうせなら高くても丈夫で暖かいやつがいい。どれがいいんだろう。

 私がウンウン唸っていると店員がやってくる。


「いらっしゃいませぇっ!!!」


 やたら大声の店員さんだった。


「本日は何を…… なっ!! オルテナ様ではないですかっ!!!???」


 ちょ、声大きいって!


 通りを行きかう人がこちらに注目し始めている。「オルテナだ」「闇姫よ」「え?誰それ?」「何言ってんのよSランカーよ!」

 遠巻きに出来始める人だかり、ざわめく人たち。

 店員はそんなこと関係なくグイグイ来た。


「オルテナ様っ! 本日は何をお探しでっ!??」

「あ、ああ、毛糸を探し―――」

「オルテナ様が毛糸をっ!!??」


 だから声大きいって!

 食い気味に被せてきた店員が復唱する


「オルテナ様! 毛糸をお探しなのでっ!!??」

「あ、ああ、そうです、毛糸を……」


 普段から多くの人があつまり喧騒絶えないこの通りが、一瞬だけ静寂に包まれる。

 そして爆発するように広がるどよめき。

 表現は様々だが、つまるところそのどよめきの内容はこうだ。


 ―――あのオルテナが毛糸を? 一体何のために?


 人々の心情を代弁するかのように店員が意見する。


「お、オルテナ様…… 剣の柄紐ならば毛糸ではなくセミュクリガリア繊維で出来たこちらの紐をお勧めいたしますっ!!」

 

 うんうんやっぱそうだよねと頷く周囲のみなさん。

 どうですこの完璧な接客はっ!? とばかりにドヤ顔を披露する店員。

 とんでもない速さで外堀を埋められた私は「あ、ああじゃあそれ買います」と、とりあえずそのセミュなんたらの繊維を購入した。


 そして店員がまた大声で「ありがとうございましたっ!」と叫び、周囲の人達も納得して流れ始めようとした時


「あ、あの……それで、その、毛糸を買いたいんですが……」

「オルテナ様! 毛糸をお探しなのでっ!!??」


 ふりだしに戻る。

 だからさっきからそう言ってるではないか。


 お、おい闇姫様が本気で毛糸を所望しているぞ……(ヒソヒソ)

 どういうことだ!? 何がしたいんだ彼女は……(ヒソヒソ)

 さすがSランカー、ブッ飛んでるぜ……(ヒソヒソ)


 正直もう帰りたかった。でも今ここで帰ったら、きっとノリコちゃんに愚痴りながら泣いてしまう。

 私がプルプル震えていると、またもや店員が周囲の疑問を代弁する。


「オルテナ様…… 毛糸では魔獣を斃せませんよ……?」


 周囲の人もすごい勢いで首を縦に振っていた。

 そんな当たり前のこともわからんのか的な空気が場を支配する。

 

 これは酷くないだろうか。

 私だってちょっと強いだけのただの女の子で、料理も作るし洗濯もする。編み物が趣味だし、ぬいぐるみ作りが得意だ。

 確かに普段は冒険者としてSランクの魔獣も狩るし、討伐ランクの高い犯罪者だってとっちめるし、何より略奪者については情け容赦ない鉄槌を下しているから、多少女の子っぽくは無いかも知れない。

 

 それに、私の目つきが悪いのは知ってるし、声が低い事も知ってる。あの日以来、意識して愛想を振りまくことも出来なくなってしまったし、とんでもなく強くなったことで、普通の人が恐怖するのもわかる。そもそも私は魔族に分類される種族だから、それも恐怖を助長してるんだということだって理解してる。

 だけどこんなに寄ってたかって苛めなくてもいいではないか。

 

 押しに弱い性格がこういう事態を招いているってことはわかるが、別に迷惑をかけているわけではないじゃないか。

 もう我慢できない、私だって言う時にはキチンと言える女だということを見せてやる。

 私は万感の思いを込めて言い放った。


 

「わ、私だって女の子だ! せ、セーターを編むんだっ!」


 

 ―――ピシッ


 空間にヒビが入る音を、確かに私は聞いた。

 時が止まった。少なくとも私はそう思った。


 石像のように固まる人々、信じられないものを見るように目を剥く店員。

 私一人がハアハアと息を荒げる。


 そんな中、誰よりも早く立ち直った店員が、にこやかに笑って言い放つ。



「御冗談を……(笑)」



 限界だった。

 もう我慢など出来なかった。

 私は全力で魔力筋を組み上げて闇を纏う。そして……


「うぇっ ひぐっ…… 死んじゃえ~~~~っ!!!」


 捨て台詞を吐いて逃走しました。





◇ ◇ ◇ ◇





「どうしよう……」


 私は街のはずれで途方に暮れていた。

 右手に持つセミュなんたら繊維の糸に視線を落として頭を抱える。


「お金払ってない……」


 これはいわゆる泥棒ではなかろうか。

 確かにこのセミュなんたらは全然欲しくない。何に使ったらいいかさっぱりだし、買わなきゃいけない雰囲気だったから手に取ったものだ。

 しかし、酷い仕打ちを受けたとはいえ、代金を支払わないというのはいけないことだ。

 それにSランカーである私にあんなドヤ顔で薦めるくらいだから、さぞかし値の張る物に違いない。

 そんなものを、頭に血が上ってたとはいえ、持ってきてしまったことを深く反省する。

 

「だけど、どうしよう……」


 お金はある。

 びっくりするほど高額の報酬が支払われるS級依頼を普通にいくつもこなしてしているので、ここ最近生活に困ったことなど無い。

 何か買う時だって必要なものだけを吟味して買っているし、そもそもお買い物は色々悩んで見て回るのが楽しいのであって、無節操な使い方など有り得ない。

 だから正直かなりお金が貯まっている。ていうかお金持ちだと思う。

 おそらくさっきの店の商品を全部買ったところでご飯に困ったりすることなど有り得ないだろう。しかし……

 

「きっとまた苛められる……」


 絶対にまたあの大声店員が出てきて、「泥棒しましたねっ!」とか、「そんなに毛糸が欲しいんですかっ!」とか言われて、またいつぞやの時みたいに、『闇姫様ご乱心』とか噂されることになってしまう。下手したらまた『偽闇姫捕縛依頼』が発注されてしまう……

 

「行きたくない……」


 それに、もう盗っ人として手配をかけられてしまっているかもしれない。

 行ってみたら警邏の兵に連行されてしまうかもしれない。

 

 アレは嫌だ。アレだけは絶対に嫌だ。

 

 ギルドカードを持って出なかった私も悪いと思うが、何度「オルテナ・レーヴァンテインです」と言っても信じてもらえず、挙句の果てに「オルテナ様はそんなヒラヒラした服は着ない! 似合わない!」と罵倒されて完全に心を折られてしまった。


 運良く、以前私に良い病院を紹介してくれたギルド職員が、泣き止まない私の身柄を引き取ってくれたが、そのまま件の病院に連れて行かれた。先生は『落ち込んだ時に飲む薬』を処方してくれた。

 あんな思いは二度とごめんです。 


「だけど、お金は払わなくては……」


 行かねばならない。代金はきちんと払わなければならない。

 トラウマが蘇り、涙が出そうになるが、私は意を決して服飾通りへと足を向ける。

 再び魔力筋を構成して、通りの近くまでひとっ走り。そこからは他の人を驚かせてはいけないので普通に歩き始めた。


 そして、服飾通りに差し掛かった時、私は発見してしまう。

 何の変哲もない店構え、ともすれば地味とも言い得る、およそ服飾通りには似合わない普通の店に、『ソレ』はあった。 



「か、可愛い……っ!」



 ワンピースっ! 私の大好きな! すっごく可愛いワンピースっ!

 

 もうそれ以外は目に入らなくなっていた。

 私はお金を返しに帰って来たことも忘れ、蜜に吸い寄せられる虫のようにフラフラと店へと足を踏み入れ、縋り付くようにワンピースを手に取る。


 生地は白、柄は搾り染めだろうか、色んな色・大きさの円が元気に踊る。

 そして不思議な手触り、絹でも綿でもない、おそらく何か動物の毛を撚った糸で織った生地だろう。

 丈は長め、半袖で、ほんの少しだけ開いた胸元には可愛いリボン。

 袖口とスカートには白いフリルがあしらわれており、派手にならない程度にフワッとしている。


 欲しい。物凄く欲しい。絶対欲しい。ていうか買う。

 普段は、衝動買いはしないと心に決めている私だが、ここで逃すと2度と会えないかも知れないとの思いが、私のポリシーをどこかにやる。

 私は店番をしていた品のよさそうな50代くらいのご婦人に声をかけた。


「す、すみません! これ下さい!」

「あらまあ、噂のオルテナちゃんね、綺麗だわぁ……」


 正直、どんな噂かが非常に気になるが、褒められたのでお礼はちゃんと言う。


「あ、ありがとうございます…… あの、おいくらですか……?」

「1万8千ギルよ~ オルテナちゃん綺麗だから1万5千ギルにオマケしちゃう!」

「えっ いいんですか!」

 

 衣料品は、魔道具が発達してきている今でも、一般家庭の収入ではそうポンポンと買える値段ではない。そう考えると1万8千ギルはかなり安いし、しかもオマケしてくれるという。

 だから私は固まったのだ。

 

 初めてだった。

 

 Sランクに指定され、【闇姫】と呼ばれ始めて約2年。

 行く店行く店で私はふっかけられ続けた。

 Sランカーの冒険者だからお金も持ってるし、金銭感覚が狂っていると思われたのだ。

 

 私の本質は結局のところ普通の村娘だし、物の相場価格だってしっかり把握している。

 節約は大好きだし、野菜の皮で炒め物を作ったりもするし、結婚したら旦那様はお小遣い制にしようと決めているくらいだ。

 なのに、押しと空気に弱い私は値引交渉も中々出来ず、結局言い値で買わされてしまい、その度、歴代のぬいぐるみたちに泣きついてきた。

 

 値段を聞くといつも悲しくなるので、値段が明示されていない店に入るのには少し構える癖がついてしまった私。

 そんな私をこのご婦人は『普通のお客』として扱ってくれたのだ。

 それだけではない。


「はい、確かに1万5千ギルいただきましたよ~ きっと似合うわあ」


 

 ―――褒めてくれた


 どこに行っても誰に言っても驚かれ、怪訝な顔をされ、酷い時は笑われる。

 姑息にも「友達に頼まれたんです」作戦を決行したこともあるが、「ですよねぇ オルテナさんには似合わないですもん」と言われて枕を濡らした。

 

 生活拠点を移す時、馬車いっぱいに服と小物を詰めて移動していたら

 商売を始めたと誤解されて、食い扶持稼げる冒険者が気軽に手を出すんじゃないと、商人ギルドから正式に警告を受けた。

 

 何でみんなそんな事を言うんだと、誰にも迷惑かけてないじゃないかと、私は私が好きな格好をしてはいけないのかと、夜、毛布で口を押えて叫んだ時の惨めさを私は忘れない。

 だから、きっと私はもう限界だったのだ。


「あらあらオルテナちゃん、いきなり泣き出しちゃってどうしたの?」


 え? と思い、目元に触れて始めて私は涙を流していたことを知った。

  

「え? え? あれ、なんで?」


 それは突然だった。

 

 私は、ポタッ という音につられて視線を下に落とす。

 そして滂沱と流れ落ちる滴が象る地面の染みに気付いた時、まるで先行して噴き出した涙に追いつこうとするかのように

 感情が爆発した。 

 

「う、うぅ……ひぅ、うえぇぇ……お゛ばぢゃぁぁ~~んっ!!」

「あら~ よしよーし」


 おばちゃんは

 愛しい我が子にそうするように、私の頭を優しく抱いた。  










 

◇ ◇ ◇ ◇







「あ、あのっ! おばちゃん、なんかごめんなさい……」

「いーのいーのよぉ、オルテナちゃんにも色々あるのよねぇ」


 おばちゃんは店先でわんわん泣き始めた私を奥の椅子に座らせ、落ち着くまで付いてくれていた。

 こうやって持ち直してみると凄く恥ずかしかったが、嫌な気分ではない。思いっきり泣いたら気持ちも楽になってきた。

 仕事中に私ばかりに構ってもらってると申し訳ないと思い、買った服を麻袋に入れ立ち上がる。

 それに正直、さっさとお金を返して、帰って早く着たい。今日一日はこのワンピースを着て過ごすのだ。

 

「すみません、もう一軒行かなければならないので、そろそろお邪魔します」

「あら~ ざんねんだわぁ。お買い物じゃなくても遊びにいらっしゃいな」

「はい、是非また伺います」

「あ、そうだわ、ちょっと待って」


 歩き始めた私を引き留めるおばちゃん。

 私が振り返るとおばちゃんがとんでもない事を言った。


「折角だから着替えていったらどうかしら?}

「えっ?」

「そうよ! きっと似合うわぁ。ホラ、こっちにいらっしゃい!」


 私を掴んで奥へと引っ張っていくおばちゃん。

 試着室代わりに使っているという奥の休憩室まで連れて行かれて、「さ、早く着替えちゃいなさい」と言われる。

 私はそれだけでも泣きそうになるくらい嬉しかった。しかし、過去の記憶が容赦なく私に告げる「やめておけ」と。

 

 走馬灯のように頭を巡る過去の屈辱。

 理解はしつつも認めたくないと目を逸らし続けていた。そんなことはないんだよと自分に言い聞かせてきた。

 だが、過去の経験から導き出される残酷なまでの事実。

 

 ―――私が好きな格好をしても誰も喜ばない。


 そんなものは個人の自由なのだから気にする必要などない、他人がどうでも自分が喜べばいいじゃないか。そんな考え方だってある。実際、私はそのように考えてきた。

 だが毎回毎回、困惑され、失笑され、心配され、下手すると迷惑をかけてまで自分の考えを貫けるほど私は強くない。

 いくら魔力筋を無限に構成し、迫撃最強とまで謳われたところで、精神面ではどこにでもいる小娘と変わりなどないのだ。


「で、でも…… みんな笑うんです……。迷惑をかけたこともあるし……」


 するとおばちゃんは満面の笑みで、反論など許さないといった風に断言した。


「女の子がオシャレするのに他人の意見なんて関係ないわよぉ。それに文句言う男なんてブッ飛ばしちゃいなさい。おばちゃんが許すわよ~!」

「お、おばちゃん……っ」


 激情再び。

 これ以上迷惑をかけるわけにいかないので、何とかこらえる。きっと今の私は酷い顔になってると思う。

 

「それにね、オルテナちゃんが真っ先に選んでくれた服はね、仕立屋を目指している孫が仕立てたものなの。おばちゃん凄く嬉しいのよぉ~。さ、着て頂戴!」


 もう迷いなど無かった。

 私だって可愛い服を着たい。可愛く着飾りたい。だけど着ていいのか?

 そんな私の迷いを、おばちゃんは全面的に肯定したのだ。女の子がオシャレをして何が悪い!と言い切ってくれたのだ。


 私は色気も何もないスーツと装備を脱ぐと、買ったばかりのワンピースに袖を通す。

 肌触りが心地良くて、足元が少しだけスースーした。

 部屋に置いてあった金属製の姿見に自分を移して、くるっと一回転。

 に、似合ってる……よね……?


 だが履く物が無い。

 折角こんな可愛いワンピースを着ているのに、ダマスカスを仕込んだ黒いブーツのままとか有り得ない。

 どうしようかと思ったら、ニルの木の皮で編まれた、踵が少し高いサンダルをおばちゃんが持ってきてくれた。

 あたしが「いくらですか?」と聞くと、「女の子も無粋なこと言っちゃいけないのよぉ」とウインクされた。私も将来こういう人になれるよう努力するのだと一人静かに決心する。


「お、おばちゃん…… どうかな……?」


 おばちゃんは少し首を傾げると言った。


「うーん。オルテナちゃんの髪はすっごく綺麗なんだけど、この格好でその髪型だとちょっと重いのかしらねえ~」


 確かにそうかも。

 腰まで届く私の黒髪は、真っ直ぐサラサラで羨ましがられるのだが、一本一本の毛が太くて、量も多いので、恰好によっては重く見えてしまうのだ。


「ちょっと髪型いじっちゃいましょうかねぇ~」


 すかさず私はアピールした。


「それならば私とっておきのツインテールはどうでしょうか?」

「ツインテールは可愛い系で小っちゃい子じゃないと難しいわよ~」

 

 え? そうなの? 

 私、暇さえあればツインテールしてたけど、もしかして似合わない……?

 背はイサオと同じくらいだから小っちゃい子ではない、ていうかきっと大きい……

 軽く凹んでいるとおばちゃんが「そうだわ!」と手を叩いた。


「お団子にしましょう。オルテナちゃんは綺麗系の子だし、この服にはピッタリよ!」


 そう言ってさっそく私の髪をお団子にし始めるおばちゃん。

 背があまり高くないおばちゃんに合わせて少し屈むとおばちゃんと目が合う。


「おばちゃんは私の紅い眼が怖くないんですか……?」


 反射的な問い。私は言ってすぐに後悔した。

 人族に紅い瞳の種族はいない。そして多くの魔獣が赤い眼を持ち、十字教に記される悪魔の目は赤色だ。

 だから多くの人は私の紅い眼を生理的に嫌悪し、拒絶する。私が怖がられる理由の一つでもあるのだ。

 こうして自分の思いを全肯定してくれたおばちゃんに、もし怖いと言われたらどうしようと思った。誰かに拒絶されるということは本当に怖いし悲しい事なのだ。


 私はその時、確かに怯えていた。このおばちゃんにまで拒絶されたらと思うとゾッとした。

 それを知ってか知らずか、おばちゃんが力強く微笑む。


「怖かったわよぉ。だって噂も聞いてるしねぇ~」


 サーっと冷える背筋。ぶわっと溢れる涙

 聞かなければよかったとこれほど後悔したことも無い。

 

「あ、あ、あの…… ご、ごめんな―――」

「でも噂は間違いだわね ただの可愛い女の子じゃないのよぉ!」


 「それにね」と続けておばちゃんは言った。


「本当に怖い人はね、おばちゃんの前であんなに泣かないわよぉ~」


 私は知らなかった。

 見てもらえることが、聞いてもらえることが、理解しようとしてくれることが

 こんなにも嬉しい事だなんて。

 

 こうしてこの街に滞在する理由がどんどん増えていく。

 冒険者として、今まではそういう感覚が煩わしく感じたりしていたが、何故だろう。全くイヤな感じがしない。

 

 歳を重ねるたびにしがらみも増えて、簡単には動けなくなるのだと人は言う。

 だけど、きっとそれも一方ではとても暖かいことなのだ。

 小娘が語るにはまだまだ早すぎるのだろうと認識しつつも、私はガラにもなくそんなことを考えていた。







□□□□□□□□□







 

   

「~♪ ~♪」


 私は足取りも軽く、家路を急ぐ。

 道行く人は私をびっくりしたように見て、振り返ってはまたジロジロ見ていた。

 おそらくは「Sランカー【闇姫】」が、こんなフワっとした格好をしてお団子頭で歩いてることに驚き、怪訝に思っているのだと思う。

 きっとまた変な噂が流れるのだろうが、もう私は気にしない。

 少ないけど、私を認めてくれる人だって確かにいるのだ。


 あの後、私は糸屋さんに行くと、イチャモンをつけられる前に毛糸を買い「セミュなんたらのお代です」と店員にお金を握らせて、さっさと逃げた。

 大声店員は最後まで口をパクパクさせていたので、よっぽど怒っていたんだろうと思う。逃げて正解だった。


 大通りに差し掛かる。デル青果店の若旦那が威勢のいい声で客寄せをしていた。

 私は、今日の晩御飯は何にしようかと新鮮な野菜を眺めながら歩いていた。その時。


 ―――ドンッ


 人とぶつかってしまった。

 私は履きなれないサンダル?ヒール? を履いていたためバランスを崩してしまう。そして尻もちをつきそうになったところを、ぶつかった人に支えられた。


「す、すまない!」と焦って顔を上げた先

 

 彼がいた。


「すんません! 俺よそ見してて! 大丈夫でし…… ん?」


 私の顔、服、顔、頭、と視線をせわしなく動かす彼。

 私は顔に血液が集まっていくのを感じた。

 見ないでっ 恥ずかしい……っ!


「ち、違うんだっ、こ、これはっ! 私は……そのっ!」


 必死に言い訳しようと口を開いた私に対して彼が言う。


「え、何が……?」


 すうっと体が冷えたような気がした。必死に言い訳をしようとした自分が馬鹿みたいだと思った。

 可愛い恰好をしてウキウキしていた気分が急激に冷めていくのを感じる。


 彼は、目の前の女が私だと気付かなかったのだ。


 冷静に考えてみれば当たり前ではないか。

 私が、オルテナ・レーヴァンテインが、いつも黒ずくめの野暮ったい女が、こんな恰好をするなどと彼には想像も出来なかったのだ。闇姫と今の私を結び付けることが出来なかったのだ。

 

 どうせ私は……! と黒い思いが浮かびあがっては消えていく。

 なぜ私はこんなにもイライラしているのだろう。なぜ悪くも無い彼を、今こうやって睨みつけているのだろう。

 情けない、みっともない、今すぐここから逃げ出したい。そう思って、私が俯いて駈け出そうとした時

 彼は言った。


「おー オルテナさんめっちゃ可愛いじゃないすか、びっくりしたわ~」


 弾けるように顔を上げる私。

 やだ、何コレ…… どうして……!


 私の中、火傷しそうなほど熱い感情が濁流のように荒れ狂った。

 私はその感情の正体が自分にもよくわからず、戸惑ってしまう。 

 何かを言葉にしたいのだが、何を言葉にすればいいのかがわからず、ただただ立ち尽くすことしか出来ない。 

 わかるのは捻りも飾り気も何一つない、あまりにも単純な感情


 

 ―――嬉しい! すっごく嬉しい!



「いっつも黒い恰好だったから、黒が好きなのかと思ってたよ。やっぱ美人は何着ても似合うってのはホントだなー でもオルテナ親衛隊の連中は泣くんじゃないか?」

「おるてなきれー」


 キャッキャッキャッ


「ノリちゃん! ノリちゃんも美人さんなんだから、何着ても似合うよっ!」

「がおー!」



 相変わらずの二人を眺めて、何かがストンと胸に落ちる。

 そうだったのか、一人呟いた。

 

 正直、私を「女神」と呼び付き纏う「オルテナ親衛隊」はどうでもいい。

 だがこの二人は違う。私はきっとこの二人が好きなのだ。

 この二人に見ていてほしいし聞いて欲しい。気付いて欲しいし、言ってほしい。

 いつも受け身だった私が、そんな大人げない我が儘を彼らに投げかけていたのだ。

 

 彼らが当たり前のようにそれを受け止めてくれるというのならば、私だってきっと一歩踏み出すべきだと私は思う。

 だから今まで誰にも言ったことがないような事を口にした。

 

「じ、実は、私は、その…… 料理が得意なんだ。ふ、二人で今度食べに来ないか……っ?」


 びっくりしているイサオ。わーいと喜ぶノリちゃん。

 するとイサオが、ふっと笑って「楽しみにしてるよ」と言った。


 セーターを編むのは秘密だ。

 今度は恥ずかしいからではない。驚かせたいからだ。

 じゃあ、またギルドで、と声をかけて二人と別れ、持っていた麻袋を胸にギュッと抱く。


 

 さて、今日はまだ時間がある。

 晩御飯は有り合せの材料で作ろうと思ってたけどやめだ。

 今度遊びに来る二人に出す料理を考えよう。色々作ってみよう。

 折角、楽しみにしていると言ってくれたのだ、とびきり美味しい料理を作って驚かせなければ私の気が済むわけがないではないか。


 だって今、私は最高に嬉しいんだもん!

 

 まず最初に目指すはデル青果店。そしてカイル精肉店で煮込み用の肉を吟味しよう。実はシチューにはうるさいってことを、二人に思い知らせてやらなくては。


 私は踵を返すと、来た道を戻り始める。

 踏み出したからには行ける所まで行くんだ

 そんな想いを胸に秘めて。




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