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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
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ノリちゃん はじめてのびょういん②


汚れ一つない診察室、その奥、ここからでも見える、中途半端に仕切られた二つの部屋。おそらくは手術室だろう。その手術室が赤一色。

 

 誇張も何も無く、そこは文字通り血の海だった。 




「なっ! 一体何が!」


 絶句する俺。ノリちゃんはそれを見て体とプルプル震わせて完全に怯えている。

 俺は、事と次第によっちゃただじゃおかねえぞと思いながら綺麗な診療台の前に立つ男を睨み付けた。


 思いの外小柄でほっそりとした人物。

 全身をシミ一つない白衣で包み、白い帽子を深めにかぶっている。大きめのマスクを装着し、目元はにはいわゆる瓶底メガネが鎮座しており、顔などはほとんど見えない。もし外で見たら、完全に不審人物の出で立ちだ。

 

 診療室の奥、血まみれの手術室に目をやる。

 奥の手術室は血が乾き始めており、赤と言うより赤黒い血が、殺人現場なんか可愛いものだと思えるくらい大量に壁に張り付いており、床にはこれまた血まみれの肉塊が無造作に転がっていた。

 

 手前の手術室は、まだ時間がたっていないのか、撒き散らされた血液はヌラヌラと光り、壁に付着した血液が重力に従ってドロリと床に滴り落ちていた。こちらも無造作に転がる肉塊と、血まみれの魔導ノコギリが酷く猟奇的だった。


 言い訳する余地も無い凄惨な現場だ。

 俺が問い詰めようとした時、目の前の不審人物が口を開く。


「アヒャヒャヒャヒャっ! 今日は痔の患者が多くてねぇぇ~~ しかもドラゴン!! 意地になって張り切っちゃったよぉぉぉぉ~~~! 『痔』だけにねっ ヒャ~ハッハッハッ!」


 何が『痔』だけなのか全くわからないし、異世界ジョークにしてももうちょっと捻りがあるはずだ。

 俺は、意地の「じ」と痔の「ぢ」だけを掛け合わせて喜んでいるアホに、ノリちゃんを怯えさせた罪を精算させてやろうと一歩踏み出した時、「今日は幼竜の予防接種だったねぇぇぇ~~」と機先を制され沈黙する。

 だが俺は、その前にどうしても言っておかなければならないことがあった。


「おいメガネ、ここで何があったかは聞かねえ、だがな、そのおかげで俺の天使が変な病気に感染したらどうしてくれんだ? 血液は一番ヤベェだろうが!」


 するとメガネが、ほうっと息をついて語り出す。


「君凄いねぇぇ、その年で微生物の概念まで理解してるなんてねえぇぇぇ~。だけど大丈夫だよおぉぉ。ちゃんと条件指定結界を張ってあるからさあぁぁ~ しかも3重にっ! 壊そうと思えば壊れる強度だけれども、今の状態ならボク以外は空気すら通さないよおぉぉぉ~~!」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。なぜならば


「ちょ、条件指定結界ってあんた、概念魔法じゃねえか!」

「おお! それだけで概念魔法だってことまでわかるなんて、さすがだねえぇぇぇ~~」


 概念魔法。

 それはこの世界に存在する魔法の完成系と言っていいからだ。

 

 通常の魔法は、結果を求めて演繹的にその道筋を組み上げていく。例えば、炎を出すという結果を具現化するために、魔力を構成要素やそれを動かすためのエネルギーに変換し、必要なことを定型的に一つ一つ行っていく。

 その手続きが魔法陣の構築であったり、詠唱であったり、一定のルールにしたがって結果を求める作業、それが魔法技術だ。

 だから結果を発現させる過程にミスがあったり、それだけの魔力が足りなかったり、何よりルールとして成り立っていない無茶な機構などがあると魔法は発現しない。

 

 だが概念魔法はそれら全てをすっ飛ばして事象を発現させる。まず結果を求め、その結果を発現するために必要な要素を帰納的に構築し、辻褄を合わせていくのだ。

 

 言葉にするとそれほど凄い事でも無いようだが、両者の間には絶望的なほどの溝が存在する。

 特には回復魔法においてその違いは大きく現れる。


 例えば、腕が切断されたとしよう、この世界の回復魔法とは、生体の回復力の異常促進に他ならない。切断された腕を合わせ、回復魔法を唱える。するとどうなるか


 骨も肉も繋がり、出血は止まり、死という耐えがたい結果からは逃れることが出来るだろう。だがほとんどの場合、二度とその手は動かないことになってしまう。

 なぜならば生体回復の結果として、傷口は癒着するが、神経や血管が元通りにくっつくとは限らないからだ。

 

 極端な話、右手と左手、入れ替えた状態で回復魔法を唱えると、左右逆のままに癒着する。微細な位置や角度、方向によって支配する神経が違うと言うのに、それらが全て同じ位置に配置された状態で回復魔法を使えるとは限らないということだ。

 

 だが概念魔法は違う。

 何より一義的に切断された腕が元通りになるという「結果」を求める。だから、切り飛ばされた腕がグチャグチャになっていようと、魔獣の腹に収まっていようとそんなことは何も関係ない。

 現象として、ただ腕が元通りになる、その結果だけが当たり前のように具現化するのだ。

 

 絶対に認められないが、理論的に概念魔法の果てには、死者を甦らせることすら可能になるだろう。それに必要な過程は全て結果がもたらしてくれる。

 

 そんな無茶苦茶な魔法だけに、魔術の深淵を旅し、その理を細胞レベルで理解をし、必要となる莫大な魔力を自在に制することが出来る者だけがこの魔法を使うことが出来る。

 魔法に触れてたかだか4年の俺には想像する事すら許されない、禁忌の領域なのだ。それを目の前の男はやってみせるという。これで驚かなかったら一体何で驚けばいい。

 

「……あんた、何者だ……?」

「警戒する必要はないさあぁぁ ただのしがない獣医だよおぉぉぉ~。さ、ノリちゃん診療台にあがってえぇぇぇ~」


 メガネは怯えるノリちゃんを優しく掴むと診療台の上にちょこんと乗せる。

 

「ああぁ~~ 可愛いねえぇぇぇ、おじさん食べちゃいたいくらいだよおぉぉ~~」

「の、ノリはおいしくないですっ!」


 お眼目をウルウルさせながらイヤイヤするノリちゃん。可哀想だけど超可愛いくてどうしよう。

 俺がニヘラっとしているとメガネが説明を始める。


「だいたい幼竜は3~5歳のうちに竜熱にかかるんだあぁぁ。この竜熱がなかなかやっかいでねえぇぇ~ 屈強な竜族の1割2割がこれで命を落とすんだよおぉぉぉ~ よかったねえノリちゃんはあぁぁ」


 いつの間にか取り出した注射器を右手に、ニヤリと笑うメガネ。

 

「さあ、竜熱予防の魔透液を打つからねえぇぇ~ ノリちゃぁん、ちょっとだけチクってするよおぉぉ~」

 

 キラリと光る針を見て、涙目のノリちゃんがイヤイヤと首を横に振る。「あるじー ノリ怖いー……」と俺に助けを求めてきて、今すぐこのメガネを叩きのめしたくなるが、ここはノリちゃんのためにもガマンだ。

 せめて安心させようと彼女の手を握ると、思いのほか強く握り返され、言い様の無い気持ちに襲われた。


「あるじー あるじー ノリやっぱり、や~だ~~っ!」

「ノリちゃん、いい子だから我慢しよう、ノリちゃんなら大丈夫!」


 俺の言葉で覚悟を決めたのか、ノリちゃんはギュッとめを瞑りプルプル震えていた。

 そんな彼女を見て、俺は彼女が信頼するに値する人物なのだろうかと、突如湧き出た想いに足元がグラ付きそうになる。

 それでも俺は、そんな情けない自分と向き合うことも、今までの自分を顧みることも、全て後回しにして彼女の手を強く、強く握った。

 ノリちゃん、頑張れ


 ―――チクッ


「あ、ミスった」


「だあらっしゃあああぁぁぁぁ―――ぃっっ!!!!」

 

 

 俺は反射的にメガネにフライングニードロップをかまして素早くマウントをとった。

 

「お、おおおおい、てめぇ…… おおおお俺のノリちゃんの柔肌に何無駄穴開けてやがる…… いいか、もう一度やったらブッ飛ばしてやる、二度はねえぞメガネ」

「もうブッ飛ばされてる気がするんだがねえぇぇぇ~~!」


 俺は立ち上がってメガネの胸倉をつかんで引き立たせる。そして耳元で決意を込めて囁いてやった。


「……1ミリだ、1ミリでも俺の天使に無駄な傷をつけてみろ、超高温で炭化させた貴様で分厚いサングラスを作って『メガネここに眠る』と彫った墓にかけてやる。わかったな……?」

「わ、わかったよおぉぉぉ……」





 メガネは「じゃ、じゃあいくよおぉぉ~」と言ってチクッとノリちゃんの腕に注射をすると、「はい、終わりだよおぉぉ~」と、あっけなく宣言した。


「?? もうおわりー?」


 キョトンとするノリちゃん。

 俺は満面の笑顔でノリちゃんを褒めてあげた。


「ノリちゃん偉い! 頑張ったよ! 今日は主シチュー作っちゃうよ!」

「ノリがんばったー!」


 キャッキャッキャ

 また一つ、出来ることが増えたノリちゃんの姿に、俺は目を細める。

 卵から孵り「あるじ」しかしゃべれなかったあの頃のノリちゃんはもういない。俺がたまたま彼女に選ばれた有象無象の一人なのだとしても、俺にとって彼女はもう替えなど利くはずもない唯一無二の存在だ。きっと目の前ではしゃぐ天使無くして、俺はもうこの世界で生きてなどいけないだろう。

 自嘲気味に歪む自身の口元すらも今は掛け替えのないものだと俺は確信する。

 

「はーい、じゃあちゃんとメガネさんにお礼言って」

「メガネさんありがとうございます!」


 彼女の手を引き、さあ、帰ろうかと踵を返したその時だった。


「しかし、君も大変だねえぇぇ~ しかも事の重大さをわかっていない。全く困ったもんだよおぉぉ」


 俺は足を止め振り返る。


「……何のことです……?」

「彼女のことだよおぉぉ~~ わかってるんだろおぉぉ? 彼女がいる限り、君に平穏なんてやってこないってことがさあぁぁぁ~~」


 その時、俺は凶悪な顔をしていたと思う。暴虐の気配を撒き散らす俺に、繋いだ手からノリちゃんの緊張が伝わってきたからだ。

 それでも俺は牙を剥き出しにして静かに吠える。


「……何が、言いたい……?」


 メガネは俺のプレッシャーを気にした様子も無く答えた。


「何年この商売をやってきたと思ってるんだい? ボクにだってわかるさあぁぁ~ 彼女が(ことわり)を外れた存在だってことがねえぇ~~。 きっと外で待ってる痔持ちのドラゴンだって気付いてるよおぉぉ~」


 こいつはただものではない。そして知っている。なぜ知っているのか理由などはわからないが、その事実だけは認めざるをえない。こいつは危険だ、そう思った。

 膨れ上がる暴力的な気配、それを察したノリちゃんが心配そうに俺を見ている。だがこの場面、俺は止まるわけにはいかなかった。

 そんな中、メガネが突如愉快そうに、何の脈絡も無く核心を突き出した。


「彼女は神竜、神の名を冠する至極の存在。800年前の聖魔戦争の契機になった存在であり、現在にも及ぶの勇者と魔王の対立構造を作りだした存在で、常に争いの中心に置かれた存在だあぁぁ。この前召喚された勇者だって、魔王の一族が守る卵を奪還することを申し付け――――」


「ノリちゃんは関係無いっ! 彼女が望んだことじゃないっ!!! 周りの馬鹿共が何を言おうとノリちゃんはノリちゃんだ!! 俺の大事な家族だっ!!」


「重い、重いよおぉぉ~ 一体誰がそれを認めるかねえぇぇ~~ そこにいるだけで争いを産む強大な災害の存在をさあぁぁ どれだけの血が流れるのか想―――」


「……てめえ、殺すぞ…… それ以上言うんじゃねえ…… 約束してやる、絶対に殺してやるぞ……っ!!」


 俺から立ち上る魔力は既に誰でも知覚出来るレベルに達していた。 

 それでもメガネは止まらない。




「ボクが心配してるのはそれで君が幸せになれるのかってことでねえぇぇ~」

「お前に俺の幸せの何がわかるっ!」 


 今でも思い出せる記憶、今では忘れてしまった感情。

 次元の壁に向かって涙を流すだけだった俺の前に現れた奇跡。

 卵から孵り、俺の右手に乗せられた彼女の顎の感触を今でも忘れない。

 その時、体の底から噴き上がった圧倒的なまでの感情の奔流を、彼女に触れようと差し出した手の震えを、始めて彼女を抱きしめた時の歪んだ視界を、あるじと呼ばれ背骨を突き抜けたあの歓喜を

 俺は絶対に忘れない。


 だから俺は絶叫した。


「ノリちゃんは俺の全てだ!! 俺の世界だ!! 絶望して壊れそうになった俺を救った天使だ!! 何がわかる! お前に俺たちの何がわかるってんだっ!!」  


 譲れないものはある。たとえ俺が路傍の石に過ぎない存在なのだとしても、命を懸けてでも譲れないものというのは間違いなくこの世に存在する。

 俺は全てをするつもりだった。考え得る全ての手段を行使するつもりだった。

 

 と、突然メガネは突然険しい顔をして言った。


「降りかかる困難、君はそれを受け入れると?」

「受け入れる? ふざけるな。俺は彼女と幸せになるし、何があっても守って見せる」


 俺に躊躇などない。あるはずもない。体中の細胞全てが、一瞬たりとも迷わず答えを選択する。

 するとメガネがフッと微笑んで言ったのだ。


「ならいいんだ。それが聞きたかったんだよおぉぉぉ~」


 先程までの、張りつめた空気がウソみたいに一気に霧散する。一瞬幻術か疑ったがそんな気配も無かった。

 振り上げた拳の下ろす先を失い、一体何が起きたのかと、当事者だった俺すらも戸惑いを隠せず、ただ呆然としていると、バシっとメガネに肩を叩かれた。

 

「ボクは七星の一人、【黄星】。研究者だよおぉぉ~~。何かあったらウチに相談しにおいで~~」


 告げられた衝撃の事実にただ立ちすくむ。

 SSランカー黄星を前に、目を白黒させる俺。

 【黄星】は穏やかな笑みを一転、今度は不敵にニヤリと笑って言った。



「まずは外で待ってる痔持ちドラゴンと話をつけなきゃねえぇぇぇ~~」

 


◇ ◇ ◇ ◇






【黄星】は穏やかな笑みを一転、今度は不敵にニヤリと笑って言った。



「まずは外で待ってる痔持ちドラゴンと話をつけなきゃねえぇぇぇ~~」

「あ、ああ、ありがとうございます……」


 

 俺は狐につままれたような心境のまま、とりあえず黄星にそう言うと、ノリちゃんの手を引いて扉に手をかけ、一度振り返る。

 

 SSランク 【黄星】

 何を知り何が狙いなのか、どれほどの実力を持ち、どれくらいの脅威になるのか、全く分からない男だと思った。害意はなさそうなので、わざわざ敵対する必要は無いが、油断もしないほうがいい。

 

 俺は面倒なことにならなければいいなあと少し弱気になり待合室に戻る

 そしてガーゴさんに壊された入口の扉を見て、修理費はどうするんだろうと思った。考えてみれば、みんなお金を払わず走り去っていたような気がして、あらためてこの病院大丈夫かよと思った。。

 

 そう思うと、何か世知辛い現実に引き戻されたような気がして何故か安心した。我ながら小市民だなあとは思うが、他の人が払わずとも財布の口を開けながら足が受付に向いてしまうこの性格はあながち嫌いではなかったりする。


 お金を払って待合室を見まわすが、若頭はいなかった。

 ドラゴンが待っていると黄星は言っていたが帰ったのだろうか。どちらにせよ、ドラゴンがノリちゃんの存在に気付き、待っていると言われても、残念ながら俺にはそれがどういう事になるのかがイマイチ想像できない。

 ドラゴンという種族の中で、神竜がどういう位置づけをされているかがわからないからだ。


 単に、数あるドラゴンの一種族だと捉えられるだけならば、挨拶をしてこの場は終わりだと思う。

 だが、俺が知っているのは800年前、神竜の卵(ノリちゃん)の所在についての部族間抗争が起き、それがのちに「聖魔戦争」と呼ばれる大戦へと発展していったということくらいで、正直、彼らドラゴンと神竜が敵対関係にあるのか、はたまた協力関係にあるのか、この世界とその歴史に疎い俺にはよくわからないのだ。


「ノリちゃんは、他のドラゴンと会ったらどうするの?」

「ノリなー ノリはー…… ノリどうするのー?」


 よくわからないといった感じに頭を左右に振るノリちゃん。

 ふんいーふんいーと一生懸命考えた末に出した彼女の答え


「ノリなー あるじといっしょー」


 ああ…… 主は、世界が君を取り合って分裂した理由がよくわかるよ。

 『可愛いは正義』 同意するよ。よくわかります。でもね、『可愛い過ぎる』は罪です。

 俺は、彼女が生まれ持った業の深さにおののきながらも彼女の手を引き、外に出る。そしてすぐに固まった。

 

「ああ! あなた様の御誕生、我ら一族、一日千秋の思いでお待ちしておりました!」

 

 ああ、そうきましたか。

 外に出てすぐのところ。

 完全な人型形態に戻った若頭が、膝をつき、頭を垂れて厳かに言った。

 顔を上げノリちゃんを見ることもしない。そうすることが不敬にあたるとでもいうかのような態度、それはまさに、王への畏怖と崇敬を顕す騎士のそれだった。

 俺とノリちゃん、二人でキョトンとしていると若頭が続ける。


「我らが王、我らが神エルマキナ(神の炎)様、今日ここであなた様にお会い出来たこと、これを僥倖と言わずして何と言いましょうや」


 大仰なセリフも、興奮が抑えきれないといった風に声が上ずる若頭。

 どうやら敵対関係ではなかったようで、ホッと胸を撫で下ろす俺。

 そんな中、ノリちゃんが何やらハッとすると、例によって俺の耳元で内緒話をする要領でコショコショと言った。


「あるじー ノリなー ひとちがいしてると思います!」


 俺も何となく悪乗りして、ノリちゃんにコショコショしてみる。


「そうかもしれない! ノリちゃん、このドラゴンさんに教えてあげて!」


 ノリちゃんは大きく頷くと、若頭に近づいて言った。


「ノリはひとちがいだと思います!」


 ガバっと顔を上げる若頭、その表情が驚愕から、縋るようなものへと変化していく。

 

「エルマキナ様! あなたは我らの王なのです!」


 時に子供は残酷だ。

 長命の彼らが文字通り800年もの間待ち続けた行方知れずの待望の御子。痔の治療に街に降りて偶然会ったともなれば、それは彼らにとって天啓以外の何物でもない。

 だがノリちゃんはそんな事情は知らないし、目の前の人が必死であれば必死であるほど、彼女の真っ直ぐな心が、彼の力になろうと差し伸べるその手が、凶刃となって彼に突き刺さる。


「あんなー ノリはイガワノリなのでちがうとおもいます!」

「あなた様はお生まれになったばかりで知らないのです! さ、参りましょう、我々の里へ。その御力で我らを統べ、導いてくださいませ!」

「ノリはシチューが食べたいのでおうちにかえりたいです!」


 愕然とする若頭。

 すると彼は目頭を押さえ、涙声で言った。


「おいたわしゅうございます……。 我らが不甲斐無いせいで、人などに拐かされそのような事を仰られるようになってしまった……」


 痛恨の極み! とでも言いたげな若頭を横目に、俺は俺でさきほどから聞き捨てならない事をのたまう彼に聞かねばならないことがあった。


「里に行くってどういうことです? 彼女は俺と暮らしてるんですけど。里に行ってどうするんですか……?」

「俺と……暮らしている……?」


 ブワッと若頭から吹き出る魔力。一瞬で空気が張りつめる。その強烈なプレッシャーに、周りの気温が一気に下がったような気がした。

 若頭がこちらに視線を向ける。その瞳がすうっと人の限界を超えて細まった。

 

 竜眼


 戦闘行動時のドラゴンが見せる恐怖の象徴だ。

 ドラゴンにその眼を向けられるということは、人にとってただ単純に「死」を意味する。

 戦闘状態のドラゴンに攻撃を受ける、巻き込まれる、それは人の身で抗うには不合理に過ぎる圧倒的な死の嵐。並みの冒険者など、腰を抜かして股を濡らすことしか出来ないだろう。

 だがこれでも俺は世界3位の元勇者だ。

 俺は死の瞳を静かに睨み返して相手の言葉を待った。


「あなた、だったんですね…… 我らが主を誑かした罪、その身を以て償ってもらいましょう!」

 

 メキメキと音を立てて変化していく若頭。ツノが生え、牙が伸び、翼が展開される。変わらないのは激情渦巻く竜眼だけ。

 すぐに体高8mほど、漆黒の西洋竜となった。ブラックドラゴンだ。

 それに気付いた人たちが、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。

 

 俺は焦った。

 確かに戦闘だけで言ったら負ける気などまるでしない。この世界で俺より強いのはノリちゃんと大家だけだから当然だ。

 しかし、まわりはどうなる? 

 本気のドラゴンと戦闘にでもなれば、街の一つや二つはすぐに瓦解してしまう。彼らを守り、街を壊さないよう気を配りつつ、若手で一番強いというドラゴンを制圧出来るかと言ったら、正直出来る気がしない。

 

 それにここは大通りのすぐわきの道だ。ドラゴンが現れたともなると嫌が応にも目立ってしまうし、現にもうとんでもないくらい目立ってしまっている。

 各勢力が俺を、「黒の元勇者」を吊し上げようとやっきになっているときに、呑気にドラゴンと戦うところでも見られでもしたら、鬼の首を取ったような勢いで俺とこのゼプツェン皇国を弾劾してくるに違いない。 レガリアなんかは大義名分が欲しくて、明確な証拠を手ぐすね引いて待ち望んでいるのだ。

 

 考えても良い考えなどすぐには浮かばない。若頭も聞く耳もつような状態ではなかった。

 どうすればいい……! 這い上がってくる焦燥感に背中が冷えてきた時


「やっぱりこうなっちゃったかぁぁぁ~ 病院を壊されても困るし特別だよおぉぉ~~?」


 後ろから聞こえる黄星の声。

 すると突然、目の前の光景全てがセピア色に変わり、そこらじゅうで上がっていた悲鳴が完全に途切れた。いきなりゴーストタウンにでも放り込まれたような感覚。


「なっ! なんだこれ! 一体何が起こった……っ!」

「位相をちょっとだけズラしたのさぁぁ~ これでどれだけ暴れても問題ないよぉぉ~ ボクの力ではこのくらいが限界なんだけどねぇぇぇ~」


 こともなげに言う黄星だが、これも間違いなく概念魔法だ。

 あまりの出来事に病院から顔を出す黄星に目を向けるが、黄星は元の色彩を保っている。軽く見回すと、周りでセピア色の浸食を免れているのは、俺とノリちゃんと黄星と若頭の4人だけだ。

 ノリちゃんはよくわからないといった感じでキョトンとしていた。


「さあ、後は3人でなんとかしてねぇぇぇ~ さすがに高位のドラゴンの相手はボクには出来ないからねぇぇぇ~~」


 あんたは一体何者なんだと言いかけてやめる。助けてくれたことは間違いないし、今は何より若頭の相手をするのが先だ。

 正直、強いと言ってもドラゴン一匹殺すのは簡単だが、ノリちゃんを大事に思ってくれている彼を殺すという選択肢は俺には無い。優先順位としてはまず説得、出来なければ力で言う事を聞かす、だ。


 若頭に視線をやると、結界の有無など関係ないとでも言わんばかりに臨戦態勢に入っていた。最後通牒だとでも言わんばかりに彼が吠える。


「我が王をこちらに渡すのです。さもなくばあなたは後悔することになる……」


 俺は、先ほどもらえなかった答えを求めて質問で返した。


「ノリちゃんを里に連れて行ってどうするんだ? 彼女の意向は無視するのか? それが王に対する態度なのか?」


 俺の言葉に、見上げるくらい大きいドラゴンが、ううっと怯む姿が何とも場違いで天然さんの香りがした。

 

「え、エルマキナ様は騙されているのです! 同胞である我々の里で暮らすほうが幸せに決まっています! 王の事を考えるからこそお連れするのです! そうです! きっとその方がエルマキナ様も喜ばれるハズです! そして……」


 そりゃお前らの勝手だろ、の一言で切って捨てる気持ちにはならなかった。

 彼らが、ノリちゃんを盲目的なまでに敬愛する気持ちが本物だと言うことがイヤでも伝わってくるし、余計なお世話だとしてもその純粋な厚意を無碍にするほど俺だって子供じゃない。

 むしろノリちゃんのために、それほど必死になった若頭に、俺は好感すら抱いているくらいだ。

 

 だが、それとこれとは話が別なのだ。あちらを立てればこちらが立たないというのなら、俺はやはりこちらを立てたい。それに何より、彼女の意思が一番重要だと思う。

 そして卑怯なのかもしれないが、将来は別として、今の彼女が彼に付いていくことは有り得ないと俺は知っている。


 だから、俺は穏便に事を進めようと思っていた。 

 選択肢を与えることを許容するから、本人の意思に任せないか? と。ドラゴンは長命なんだから、幼い彼女の成長を待ってあげてもいいのでは? と。それが彼女にとっても幸せなのでは? と。

 

 俺だって彼女と離れるのは絶対にイヤだが、彼女の自由を束縛するほど馬鹿ではないつもりだ。いつか来る巣立ちの日に、彼女を笑って送り出せるよう、日々心の整理とつけようと努力しているのだ。

 

 そう思って、少し涙目になりながらも口を開こうとした時、彼は俺にこう言った。



「そして! 将来は、我々若く強いオスの中から伴侶を娶っていただくのです! そう! 若頭などいかがでしょうか!?」





「あ゛あ?」







◇ ◇ ◇ ◇







「そして! 将来は、我々若く強いオスの中から伴侶を娶っていただくのです! そう! 若頭などいかがでしょうか!?」


「あ゛あ?」


「私は一目見た時からあなた様が偉大なる神竜であることに気付きました!」


 おめー最初は痔の事で頭いっぱいで高速貧乏ゆすりマシーンと化していたじゃねえか。

  

 力ずくで何とかするのは簡単だった。だがそうした場合、今後の俺たちの生活はどうなってしまうだろうか。下手すれば大戦争になりかねない。もしならないとしても、毎日毎日、俺の相手をするために、あの8畳一間のボロアパートの前に、ドラゴンの行列が出来ることは間違いない。

 

 そんな事情があるため、既に、頭の中では100回以上、若頭を殺るシミュレーションを終えていたが、それでも対話で済ませようと、何とか正気を保つ俺。

 そんないっぱいいっぱいの俺に、目の前のアホはどんどん燃料を投下した。


「あなた様の婿は、若くて強いオスでなければなりません。それすなわち若頭っ! 見ていてくださいエルマキナ様、必ずや今度の力比べで若頭の座を防衛し、あなた様にこの身を捧げる所存です!」


 俺は右手で自身の額を押え、左手で若頭を遮った。


「ちょ、ちょっと待ってください、故カルヴァドス卿。 実は私、お恥ずかしながら、私のノリちゃんにまとわり付く悪い虫は殺すと決めておりましてね、彼氏も旦那も殺すことにしているんですよ。そうですね、基本的には加工します。そこでもう一度お聞きしたい、ははは…… すみませんね、私の聞き間違いだとは思うのですが…… あなたはノリちゃんをどうしたいと……?」


 そう聞いた俺に対し、若頭は思いのほか目をキラキラさせながら言う。


「生涯の伴侶にしていただきたい! そしてきっと元気な子供を作ります! そうですね、5人は欲しいです!」


 ―――クェっ


 俺の喉奥からそんな得体の知れない音が漏れた。

 そして若頭が自信たっぷりに言い放つ。



「誰にも我々の愛を邪魔させません!」


 


 俺は爽やかな笑顔を浮かべ、髪をかきあげた。


 ……コロス


 自爆キャラに抱き着かれている飲茶さんにザーボソさんとドドソアさんをけし掛けるくらいの圧倒的オーバーキルで殺す。

 さて、どうしてくれよう。


 まず慢性的な痔でお悩みの方々のために若頭の直腸をブッこ抜き二度と痔にならないミラクルボディへとバージョンアップした若頭Mk-Ⅱに今なら特別に魔力増幅ポーションと座薬をつけてなんと19800ギルでご奉仕した上送料・金利手数料を弊社で負担し顧客満足度NO.1を獲得してからΘΣΓΔ(口にするのも憚られる(禁呪指定))で殺す。



 そうだ、そうしよう。

 俺は早速、ねっとりと纏わりつく赤黒い魔力の魔力肢を構成し、若頭の直腸に手を伸ば―――


「えー でもなー ノリなー」


 血塗られた未来予想図に突如舞い込んだ天使。言うまでも無く俺のノリちゃんだ。

 するとノリちゃんは、何でそんなこと言ってるの?と言わんばかりに首を傾げながら断言した。


「ノリなー 大きくなったらあるじのおよめさんになるからなー」



 

 涙堪えること能わず。

 今や枯れることなく、噴水のように噴き出す滴が行き着く先は清らかなる彼方の涅槃。

 俺は厳かな気分で、俺を産んでくれた親と神に深く感謝した。


 しかし俺は知っている。

 今のこの一言に、世の多くのお父さんが舞い上がり、遠くない未来に絶望することを。

 「大きくなったらお父さんと結婚する!」と言っておきながら、大きくなったら一緒に出歩くことを嫌がり、一緒にパンツを洗濯することを嫌がる様になるのだ。

 お父さんと結婚すると言ったじゃないか! というお父さんの叫びは、お母さんと娘の失笑でその行き場を無くす。


 そんなお父さんの悲しい末路の話は知っていた。この世界のお父さんだってそれは変わらない。

 だが、儚い夢であることを知っているからこそ今、この瞬間くらいは好きにしたっていいのではないか。

 

 だから俺はさっきのノリちゃんの言葉を噛み締めるよう目をつぶり、深く深く息を吸う。

 そして括目すると同時に、万感の思いを込めて渾身のドヤ顔をキメた。


「いやー別に俺はアレなんだけどノリちゃんはこう言っているからさ~ なんかごめんね~」

 

 俺は見逃してやってもいいと思い始めていた。確かに奴は天に唾吐くような愚行に及び、甘んじて改造を受け入れる義務があるとも思える。

 だが、俺は知ってしまった。彼も俺も、ノリちゃんの一挙手一投足に一喜一憂する哀れな子羊であることを。ノリちゃんの可愛さの前では、彼のように脳を焼かれる人が現れてもおかしくないのだ。

 

 すると若頭はワナワナと体を震わせ、顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「ふ、不潔です! 破廉恥です! 人間とそのような…… まぐわうなど、淫猥なことが許されるハズはありません!」


 若頭の叫びはまだ続く。


「そ、そんな…… つ、欲深き人間がお美しいエルマキナ様の肢体を舐り(ねぶ)凌辱するなどっ! そんな羨ましい事を認めるわけにはいきませんし、あなたはそれに飽き足らず、その魅力的な炉利ボディを堪能し! そして開発されたエル様の留まることを知らない好奇心が矮小なる私を蹂躙し淫らな御言葉でわたくしめを辱めていただき蔑みながらその御身足で汚らわしい私の私自身を踏みしだいて…… ああ! エルマキナさま結婚してくださいっ!」


「死ねやぁぁぁぁぁ~~~っ!!!!」



 どごーん



 間違って死んでもいいかな、と思うくらいの力で8m上空の若頭の顎にアッパーカットをぶち込んだ。

 若頭の巨体が跳ね上げられ、背中から地面に墜落する。

 

「な、何をするのです、あなたに殴られても気持ちいいわけないでしょう! 非常識にも程がありますよ! 一体何を考えてるんですか!」

「そりゃ俺のセリフだ!」

「人間ごときが私に手を上げるなど許されませんよ!」


 随分な言い草だった。

 同種間・異種間関係なく、娘を貰う場合には通さなければならない筋というものはある。

 たとえ、種族的に向こうが上位種だろうが、俺はノリちゃんの家族として、譲ることのできない一線というものがあるのだ。


「てめーコラ若造が…… 未来の父親になるかも知れない人間に向かってその口のきき方は何だ!おお!?」


 若頭がビクッと体を震わせ、ヨロヨロとよろめく。俺はとんでもないことをしでかしてしまった! と言わんばかりのリアクションだった。

 すると若頭が意を決するように言う。


「お義父さん! 私に娘さんを下さいっ!」

「誰がてめーのおとうさんじゃボケぇぇぇ!」


 どごーん


 今度は左頬に拳をねじ込む

 セピア色の建物群をぶち抜いて若頭がすっ飛んで行った。

 


「恐怖しろ、慈悲を乞え、神を穢した罪をその体で贖え……」


 自然と吊り上る口角。今や俺から噴き出す禍々しい魔力はとうに若頭の背丈を超えている。

 俺はゴキリと指を鳴らし、瓦礫に埋もれる若頭に向かってゆっくりと歩を進めた。次からは本気の一撃をお見舞いしてやる。

 と、その時


 

 若頭を覆っていた瓦礫が周囲の建物を巻き込み爆散した。

 


 住宅街にポッカリと空いた20mほどの空白地、そこから中空へと浮かび上がる黒竜は、神代の時代の一場面を連想させるほど神々しかった。


「強さは認めましょう人間よ! だがあなたのような淫獣を放置するわけにはまいりません、私の最大最強の技、「重撃のブレス」で葬って差し上げましょうっ!」


 ―――ギュリリィッ


 金属が擦れるような音を立てて若頭の口元に収束する魔力。

 

 魔力悲鳴(ドライブ)と呼ばれるこの現象は、魔力を超高密度で収束、圧縮し練り上げる過程で確認される超異常現象だ。

 実体が無いはずの魔力が固形化するほどの密度で、ぶつかり擦りあわされることで本来は有り得ない摩擦力が生まれる。その抵抗力が限界に至った時、絶叫にも似たこの音が撒き散らされるのだ。


 超高位とされる魔法使いでも、簡単にはその領域に達することは出来ないという。

 扱うには大き過ぎる魔力とこれを制御する桁外れの魔力制御術を使いこなすには、人の身はあまりに脆弱だ。少しでも魔術を齧った者にとって『ドライブ』は絶望的な死の宣告と同義なのだ。

 

 だが、人がどれだけ練磨し研鑽を積んでも到達すること叶わぬ領域へと、ドラゴンという種族は難なく踏み至ってしまう。

 『ブレス』だ。

 今もこうして若頭の口元で展開される直径1mほどの立体魔方陣は、超高密度の魔力が成せる技で、人間が同規模の魔法を組み上げるとすれば、数百mにも及ぶ魔法陣を展開させなければならないハズだ。

 こうして集められ組み上げられた魔力に、体内で精製される自身の属性魔力を付与し、発動させることで、それは完成する。

 これこそが咆哮(魔力付与行為)と同時に発射されるドラゴンのブレスの正体だ。


 常識的に考えて人一人に対しそれが向けられることなど有り得ない。誰だって涙目になる圧倒的オーバーキルだろう。だが残念ながら相手は俺だ。

 そしてそれ以前に、俺には気になることがあった。

 

 思い返されるのは今日、病院でされた若頭との会話

 

 それらの内容を総合的に勘案した結果

 どうしてだろう、視線の先の若頭が、体を張った壮大な前振りをしているようにしか見えなかったのだ。

 そうこうしているうちにも魔法陣の構築が完成し、後は属性付与をするだけとなった。

 若頭が勝ち誇ったように笑い、言い放つ。


「さあ、後悔しなさい淫獣め。私のブレスであなたは粉みじんに吹き飛ぶのです!」


 なぜ俺が淫獣扱いなのかさっぱりわからないが、若頭を務めるだけあって、魔力密度、魔力量共にドラゴンの中でも相当レベルの高いブレスであろうことが見て取れた。

 

 若頭が「いきますよ!」と声を上げ体を反らす。そして前のめりになり全身の筋肉を収縮させて咆哮を上げ―――



 ぶしゅ~~



「あ、ああっああああああぁぁ~~~~っ!!!!!」  

 


 若頭は、ブレスを吹く前にケツから血を噴いた。

 ブレスは空の彼方に飛んでった。


「そ、そんなっ! 私のデリケートな部分がっ! 先生ももう大丈夫だって言ってたのに……っ」


 フラフラと住宅に墜落する若頭。轟音と共に押しつぶされる家、巻き上がる土煙。

 

「一週間は安静にしてって言ったじゃないかぁぁぁ~~」


 呆れる黄星

 俺は俺でなんだか可哀想になり、力を抜くとノリちゃんところに戻った。ノリちゃんまでもが少し可哀想なものを見る目を若頭に向けている。


「ノリちゃん帰ろうか…… 今日は一緒にシチュー作ろう」

「つくるー♪」


 俺はシチューの歌を歌いだしたノリちゃんの手を引き、黄星に帰りたい旨を告げた。


「ま、待ちなさい!」


 いつの間にか大通りまで這い出してきた若頭が呻く。


「なりません! なりませんよエルマキナ様! そのような淫獣の言うなりになってはいけません!」


 ケツから血を噴きながらも必死に叫ぶ若頭。

 俺はため息をつくと言った。


「マジックアロー(超弱)」

「あああっぁぁあぁぁぁ~~~っ!」


 出力を押さえた最弱魔法を若頭のケツにお見舞いする。

 

 断末魔を上げ、ようやく息絶えた若頭を確認すると、俺は再度黄星に向き直り、帰りたい旨を告げた。


 

◇ ◇ ◇ ◇






「しちゅう♪ しちゅう♪ 今日はシチュ~!」


 高らかに歌うノリちゃんの手を引いて帰宅前のお買いもの。

 商店街を歩くといつものようにかけられる声。


「おっ ノリちゃんご機嫌だねぇ、今日はシチューなのかい!? ピーマンも食べなきゃ大きくなれないぜ! ほらこれはオマケだ!」


「まいどありノリちゃん、ジャムをたっぷり使った試作品があるんだ、食べるかい? 持っていくといい」


「あらノリちゃん! 病院は行ってきたのかい? ご褒美だよ! この肉持ってきなっ!」


 

 言うまでも無くノリちゃんはこの商店街のアイドルだ。

 声をかけられる度に挨拶をし、ノリなーノリなーと飛び回る。

 気さくで面倒見のいい店主が軒を連ねるこの商店街で、そんな彼女が可愛がられないハズがないのだ。

 それは店の人間だけには留まらない。ゼプツィール最大の大通りであるこのメインストリートには、身分を問わず多くの人が訪れ、この街の活気の一役を担う。



「お、ノリ! 良いところに来たな! 実は友達からクソまずいサンドイッチもらって困ってるんだ…… 手伝ってくれよ~ 師匠もお願いしますよ……」


 それは唐変木な小さな勇者であったり  


「ノリちゃん、今日も可愛いな。今度服を作ってあげるよ」


 まさかの手芸スキルをほのめかす絶世の美女だったり


「ノリさんチョリーッス! 今日もマジ白いっすねー 焼く時はマジ声かけてくださいよー」


 天然異端者のチャラいにいちゃんだったりする。



 今日は本当に色々あった。

 ちょっと病院に行ってちょっと予防接種して帰ってくるつもりが、蓋を開けてみたらノリちゃんが泣いたり、変態若頭が出てきたり、謎のSSランカーが出てきたりと、凡夫な俺はただただ滑稽に走り回るしかなかった。

 

 当たり前に過ぎるはずの日々は思いの他平坦ではなくて、一筋縄には終わってはくれない。

 毎日が新発見の連続であろう彼女と過ごす日常は、俺にとっても驚きと焦りの連続だ。

 

 そんな平穏無事では済まない日常の一コマとして、「ノリゃん はじめてのびょういん」は何とか幕を閉じた。

 俺のウソで彼女を泣かせてしまったり、それでも歩み寄り俺を信じようとする彼女の強さを垣間見たりと、手も心も綺麗なままではいられなかった俺にとっては、その強さが羨ましくもある。

 

 だが、ただ指を咥えているわけにはいかない。俺は彼女の家族であり、彼女の模範となる必要があるからだ。

 人によって、それは欺瞞に見えるのかもしれない。だが真っ直ぐ育つ彼女に、いつか見破られる張り子の虎なのだとしても、少しでも彼女が誇らしく思えるよう必死で足掻くことは、決して嘘ではないと俺は思うのだ。

 

 彼女がすくすくと背を伸ばし、俺が一生懸命背伸びをしているうちに、あっという間に過ぎゆく時間。振り返ると、彼女と過ごした2年強、思い出と呼ぶには鮮明過ぎる記憶のかけらを反芻して、俺は苦笑する。

 こうして有り触れた日常が何とか無事に終わり、そしてまた次の日常に俺は目を白黒させるのだ。

 


 声をかけられ、嬉しそうに飛び回る彼女に目を細めながら、きっと俺たちは幸せに生きていけると、胸に抱える荷物入り布袋に力を込める。

 

 残念ながらこれはフラグでもなんでもない。

 確かに若頭からの接触はこれでは終わらないだろうし、また一人彼女の正体を知る人が増えてしまった。

 しかし、だから何だと俺は思う。

 

 日本からは遠く離れたこの世界で見つけた宝物。闇の底に沈みかけた俺を優しく照らした希望の光。

 手段など選ぶつもりはない。綺麗事だけを述べるつもりも無い。

 俺はどんな手を使ってもこの慌ただしい日常を終わらせないし、幸せになることだってあきらめないと決めたのだ。


「ノリちゃん、そろそろ帰るよー」

「はーい♪」


 ノリちゃんがパタパタ横に来て、何も言わずに俺の手を取った。

 手のひらから伝わるぬくもりが愛おしくて、無言でギュッとその手を握る。

 

 「どうもしないよ」不思議そうに俺を見上げた彼女にそう呟いた。



「さあ今日はシチューだよ」

「シチューだー!」




 俺たちの物語はまだ終わらない。いや、終わらせない。

 思い通りに事が運ぶ日なんてない。だけどそんなことに嘆いてる暇だって有りはしないのだ。

 

 儘ならない俺の人生


 21歳の俺が告白されたことなんて無いのに、2歳のノリちゃんにまで先を越されてしまった。

 竜の一族は待望の御子を諦めないだろうし、あの変態に至ってはとんでもないアプローチを仕掛けてくるに違いない。これからの事を考えると頭だって痛くもなるさ。

 

 それでも俺は繋いだこの手を放しはしない。

 どんどん成長する彼女に、置いて行かれないよう必死な俺の姿を、壁の向こうの両親が見たら一体何て言うだろうか。

 きっと「頑張れよ」と言ってくれるに違いないと俺は思った。 


 だから俺は歩くよ。

 たとえ出口の見えない迷路を手探りで進んだ先に何が待っているかもわからなくても。

 迷ったって無様に転んだって、俺には手を繋ぐノリちゃんがいるんだ。怖がってなんかいられない。

 俺達の物語はまだまだ始まったばかりなんだから。


 これは、

 そんな山も谷も無い有り触れた日常、それでも小さな出来事に笑って、涙を流す、そんなどうしようもない俺たちの、どうしようもない物語。







□□□□□□□□□□








「……ふう」


 手紙を書き終えた私は軽い倦怠感に包まれ、背もたれにもたれかかる。

 何の気なしに、ぼーっと書き上げた手紙を見ていたら、ふと思った。


「……なぜ彼は返事をしないの」


 毎月一回書いている手紙は間違いなく彼に届いているはずだった。

 今は娘となった彼女を引き取る条件として提示した、生体魔力へのアンカー打ち。

 魔力体がこれをたどっていく限り、届け間違いなど起きるわけがないのだ。

 なのにこの2年間、一回も帰ってこない返事。これが意味することは何か。


「……まさか女が出来た?」


 口に出してしまってから頭を振る。そんなことはあるはずがない。

 3年前、帰りたいんだと私の胸で泣きじゃくった彼。あの時感じた運命を、私は寸分たりとも疑っていない。彼と私ほど親密な女はいないはずだ。

 だって生体魔力にアンカーを打ち込みあった仲なんだもの。異世界から召喚され、誰も信じず、無敵にも近い力を持つ彼が、私以外の他人にそんな無防備な姿を晒すことなど有り得ない。だが、


「……それならば一度くらい返事をくれてもいいはず」


 一体彼は何をやっているんだろうか、明け渡した神竜の卵から無事、雛は孵ったのだろうか。知りたいことは山ほどある。

 そんな事を考えていると、突然、手紙を付けた魔力体が私の部屋に入ってきた。まさか彼が!? と思い手紙を開き、そうではなかった事に少し落胆するが、愛しい娘からの手紙であったことを素直に喜んだ。しかし……


「……悔しい」


 娘の手紙には、とうとう自分を助けてくれた黒の勇者らしき男を見つけたと書いてあった。そして、その男が仲睦まじく一緒に暮らす超高位の竜種と3人でご飯を食べに行ったと、凄く楽しかったと、今度は編んだセーターをプレゼントするのだと、事細かに記されていた。

 喜びが滲み出るようなその文面に私は危機感を覚える。


「……あの子、娘といえども抜け駆けは許さない」


 そう思ったらいてもたってもいられなくなった。


「……私も行かなくては」


 きっと彼は来てくれると信じ、立場に従い行動してきたが、こうなるとそんなこと言ってられる状況ではない。

 私は女として、国より何より大事な事があった。

 

「……そうと決まれば」





 この日、魔境に栄える国シンクレア、その王城から「彼のハートを探す旅に出るね☆」という書置きだけを残し女王が姿を消した。


 彼女の名はドロテア・レーヴァンテイン。


 人は彼女を忌み、恐れ、その名を口にするのも汚らわしいというように彼女のことをこう呼んだ。



 【魔王】と。








◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

   


 

 



「ここでの獲物は狩り尽くしたな……」


 私はピクリとも動かない、膨大な数の獲物を見て嗤う。

 愚かな連中だった。私の崇高な理念を理解しようともせずに敵意を以て対応してきたから、相応の罰を加えるのは致し方ないことだった。その結果、全てを失うことになるとも知らずに。

 

「さて、ここにはもう何もない。次の街に行こう、ここからなら…… ゼプツィールか」

 

 暴虐の限りを尽くしたこの街を最後に一瞥し前を向いた

 次の街には、私を満足させる者がいるだろうか、いや、考えるだけ無駄だろう。無慈悲に奪い尽くすだけの話だ。

 誰も私を止めることなど出来ない。単独戦闘で私に勝てる者などいるわけがないではないか。

 

 先程まで女の体の一部であった真っ赤なそれを握りしめる。そして私はぐちゃっと顔を歪めて歩き出した。邪魔する者はこの拳で排除するのみだ。

  


「待っていたまえ哀れな子羊たちよ、私が君たちを救って見せよう」


 

 この日、ゼプツィールまで繋がるヴィッセル街道にて、筋骨隆々の男と遭遇した多くの人が腰を抜かし、呆然と彼を見送る。

 

「はっはっはっ! 我が名は【拳鬼】! この拳で全てを掴みとるっ!」







○○○○○○○○○○○







「それは、まことか……?」

「はっ、おそらくはほぼ間違いないかと」


 突き抜けるように高い天井、恐怖するくらい深く沈む赤絨毯の上で頭を垂れる男。

 そして数段高い位置にある玉座からそれを見下ろす男。


 謁見の間

 豪奢な装飾がその富を主張し、両サイドにずらりと居並ぶ白銀の騎士たちがその武力を主張する。

 初代より継承されてきた少しくすんだ王冠が、その国の歴史と国威を物語っていた。


 これを冠する初老の男が発する言葉は驚くほど力強い。国という強大な生き物のかじ取りを、その言葉だけで成し遂げるのだ。力が宿るのも当然なのかも知れなかった。


「2年ほど前、魔王とも面識のある、奴が魔境へと踏み入り、帰って来た時には既に一緒にいたとのこと。そしてここ最近、不可思議な現象が続き、黒竜までもが奴と接触しております」

「大義はあると申すか?」

「御意に……」


 しばし男が瞑目する。それだけでこの広間に耳が痛くなるほどの沈黙が落ちた。誰もが男の言葉を待っているのだ。


「全面衝突は時期尚早……」


 その言葉に、態度に顕さずともその場の多くの者が胸を撫で下ろす。

 藪をつついて出てくるのは蛇などではない、千を斬り万を焼いて魔王にも勝利して見せた黒の男、この国に恨みを持つ本物の超越者【勇者】なのだ。

 人類が全勢力を結集してもなお、魔王に勝てなかったというのに、その魔王より強い男と全面衝突など本末転倒ここに極まれりだろう。あまりに当たり前すぎる結論。

 

 だからこそ誰も気付かない。皆が当然の如くホッとため息をつく中、小さく舌打ちした男がいることを。

 

 その舌打ちは、騎士の中では王に一番近い位置から発せられた。

 そこに佇むは美術品と見まごうばかりの眉目秀麗な優男。微笑むたびに多くの女性を虜にすることだろうその綺麗な顔を屈辱に歪め、呪詛を吐き出した。


「下界から来た下等種の分際で……」


 放たれた小さな呟きは、誰の耳に入ることなく儚く消える。

 誰も知らない、彼が黒く懸濁した想いを秘めているなど、誰も想像しない。

 

 なぜなら彼はこの国の武の象徴。

 黄金のプレートメイルに身を包み、胸に掲げるは黄金の剣。

 外を歩けば誰もが振り返り、何かを成せば誰もが称える、金毛金目の大英雄なのだから。


「必ず……必ず殺してやる……」


 金の男が呟く黒い言葉がまた届くこと無く中に散った。

 

 


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