ノリちゃん はじめてのびょういん
「ノリちゃん、病院に行こう」
「びょういん???」
お眼目をパチクリして首を傾げるノリちゃん。
元世界でも、子供が病院で泣きじゃくる姿は珍しくない。もしかしたらノリちゃんも泣いてしまうのだろうか。
それを想像すると心が痛い。だが俺は彼女の家族で、彼女を守らなくてはならない。
いいや、建前はよそう。
利己的だと、独善的だと罵られたっていい。
俺には彼女が必要なんだ。
事の発端は、亡者の大空洞でチャラ男と共にアンデッドの間引きをした所まで遡る。
「じゃ、危ない事も無いだろうから手分けしてやろうぜ!」
亡者の大空洞は広い、しばらく一緒にアンデッドを狩っていた俺たちだったが、結構時間がかかりそうだなとボヤくチャラ男に対し、俺はどこか誤魔化す様に提案した。渡りに船だったのだ。
なぜなら……
『ああああぁ汝よ早く斬ろう……早く、早くぅっ!』
完全に七色の世界へとブッ飛びあそばされた、イカれた女のせいだ。
人前でしゃべらないという約束も一緒にどっかに飛んで行ってしまっているに違いない。
チャラ男をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ信用してもいいかなー とかホントにちょっとだけ思った俺だったが、それでも聖剣をぶら下げていることがバレるのはマズイ。
俺が勇者として活躍していた頃、聖剣を持っているというのは有名だった。それが十字教屈指の聖遺物「聖剣アリア」であること、聖剣アリアは古の聖女の魂を宿すインテリジェンスソードであることを教会自体が強力に宣伝していたのだ。
『ああ、もう少し……もう少しで我は、向こう側にイけそうなんじゃっ!』
向こう側って何だよ
あんなに嫌がっていたアンデッドの腐肉を浴びて悶えるアリア。あまりの節操の無さにため息も出ない。
「さすがイサオちゃん! グッドなソリューションだわマジで!」
こっちはこっちで大概だが、提案に乗ってくれたことに心の中で感謝する。
確かに、こんな妄言を聞かれたところで、間違っても聖剣だなんて思われることはないだろう。良くて頭のおかしいインテリジェンスソード、悪くて呪いの剣と思われるのが関の山だ。だが用心に越したことはないのだ。
俺たちは別れ、俺はチャラ男とは別のフロアへと移動する。
「おお、このフロアはアンデッド多いなー」
『汝よ……焦らさないで、あ、でもそれも、また、ああっ!』
広すぎる守備範囲にいちいち突っ込むのも疲れたので、俺は普通に間引きを始める。
――ザシュッ
『ああっ!』
――ズシュッ
『い、イイィっ!』
超うるせえ
『す、スゴイ……っ! アンデッドすごいぃぃ! 有り得ないと思ってたのに……、こんなにっ! こんなにぃぃっ!?』
もうやだこの剣
俺は半ば本気でアリアをここに置いて帰ろうかと思ったが、放置プレイとか言って喜びそうなので我慢する。
代わりと言っちゃなんだが、腹いせにちょっとだけからかってみることにした。
俺は聖剣を振りかぶる、そして
―――ピタッ
『あっ…… ???』
寸止め。
ど、どうしたの? とばかりに息を荒げるアリアさんを横目にもう一度
―――ピタッ
『んっ……? んん~~~っ! もうっ!! お願い! 意地悪しないでっ!』
いつか女性に言わせてみたい言葉上位に食い込むであろうセリフを、腐肉でベチャベチャの剣に言われた時のこのやるせなさといったらどうだ。
最早、はばかること無く遠い眼をする俺。
一方、ご褒美的おあずけに、興奮も最高潮のアリアさん。
俺はあらゆる感情をシャットアウトして事務的にアンデッドを狩り始める。
そして3体くらいのアンデッドを狩った時
『あ、あ、あああっ! もうっ もう我はっ! ああぁぁホーリーインパクトぉぉぉっ!!!(聖なる重撃)』
―――ォンッ
解き放たれる眩い光。
俺はあまりの眩しさに瞼を閉じる。そして目を開けた時、フロアのアンデッドは全て塵になっていた。
信じられねえ、勝手にぶっ放しやがった。
ていうか何が聖なるだ。この上なく個人的事情じゃねえか。
金属が放つ光沢とは別に、どこかツヤツヤ光っているアリアさん。
『ふう~~』
「ふうーじゃねえんだよ」
この時、俺は帰ったらアリアを病院に連れて行くと心に決めたのだ。
そして今日は、受託した依頼が急きょキャンセルになって、一日の予定が空いてしまった。
だからいい機会だと思い、俺はアリアに言った。
「アリア、今日は仕事無いから、病院行くぞ」
『急になんじゃ? 我はどこもおかしいところは無いぞ?』
「頭がおかしいんだよ、ホラ、行くぞ」
すると、アリアは焦り出した。
『はっ まさか、あの技師のところに連れて行くつもりではあるまいなっ! い、嫌じゃ! あ奴は変態じゃぞ! 変態に我を差し出すというのかっ!』
「お前ほど変態じゃないから大丈夫だって。もう行くぞ」
「い~や~じゃ~!」と思いのほか難色を示すアリアさん。本当にジタバタ暴れるから少々やっかいだ。
だが、腐っても俺の大事な仲間として、愛剣として、おかしいところは治してやらねばなるまい。
俺は心を鬼にして、むんずとアリアを掴む。
するとアリアは、ハッとしたように言った。
『そ、そうじゃ! ノリは病院に行かなくていいのか! ノリは一度も病院に行ってないんじゃろう!?』
俺は瞑目し、額を指で押さえた。
「もし今、ノリちゃんが頭おかしいと言ったのなら君は溶鉱炉で入浴だ」
『ち、違う! 我はノリの事を思って……!』
「続けろ」
俺は正直、ガジル金工店でアリアの入浴手続きをどうするかを考えていたのだが、アリアの口から飛び出した言葉に衝撃を受ける。
『神竜と言っても竜種じゃ。竜種が人里で暮らす際の予防接種とか、受けさせたことはあるのか?』
「え?」
『神竜と言えども子供じゃ、病気にかかればどうなるかわからんぞ、それとも何じゃ? ノリを病気にさせたいのか?』
「――っ!!!」
愕然とする俺に、アリアは追い打ちをかける。
『そんなことも思いつかずに、汝は本当にノリのことを考えてるのか? 家族として失格じゃぞ!?』
正直、人格破綻者のアリアさんが言うセリフではないが、今はそんなことは関係なかった。
俺は膝から崩れ落ち、床に手をつき俯く。
何が家族だ、何が愛しているだ。
あまりに利己的で一方的な自分に吐き気がする。
彼女の事を本当に考えていれば、当然の如く思いつくはずのことだった。
科学技術が発達していた元の世界だって、幼児の時の病気で、一生の障害が残ってしまう子がいるし、最悪死んでしまう子供がいたのだ。
他の技術に比べ、医療技術が異常に発達しているこの世界においても、小さいころの病気は、場合によって最悪の結果をもたらすという事は変わらない。そう、ちょっと考えればわかることなのだ。
「俺は…… 何をやっていたんだ……」
ベッドで息を荒げて苦しむノリちゃんを想像した時、俺は自分の体がバラバラになり崩れ落ちるような感覚に陥った。
知っている。これは『恐怖』だ。
死ぬ…… ノリちゃんが? 死ぬのか? いなくなってしまうのか……?
ぐるぐると抜け出せない思考の迷路。
額からはダラダラと脂汗が流れ落ち、呼吸が不規則に荒くなっていくのがわかる。
マズイと思った。これ以上考えると壊れてしまうと思った。
「あるじー どうしたのー?」
ベッドの上から翳される希望の光。
俺は力を振り絞って顔を上げ、心配そうに俺に声をかける彼女を見る。
そこには、命をかけ守り抜くと、全身全霊で愛すると誓った、俺の全てがいた。元世界もこの世界もあるかもわからぬ他の世界も次元の壁も何も関係などない。
俺は思う。彼女は俺の世界だ。
自身の浅ましさと向き合い、自分の愚かしさを責める前に、俺にはやらなければならないことがあった。
「ノリちゃん、病院に行こう」
「びょういん???」
冒頭へ
◇ ◇ ◇ ◇
「ノリちゃん、病院に行こう」
「びょういん???」
うりゅ? と首を傾げるノリちゃん。
俺が説明しようとした時、ノリちゃんがハッと何かに気付く。
「びょういんは、おいしい……?」
俺は首を振って「食べ物じゃないんだよ」と告げる。
するとノリちゃんは、右に傾げていた首を今度は左に傾げて言った。
「びょういんはたのしい……?」
俺はいつもノリちゃんに、ウソはいけないと教えている。当たり前だ。
まだ世の善悪もわからない歳の子供に、ウソはいい事なんだよと教える馬鹿がどこの世界にいると言うのだ。これはノリちゃんの将来を考えるならば当然のことだ。だから俺は彼女の手本となるべく、何事にも嘘はなく、誠実に生きようと心掛けてきた。そう、ウソはいけないことなのだ。
「た、たのしい……と思うなあ……?」
「ほんとー!!」
パタパタして嬉しそうに眼を輝かせるノリちゃん。
ああ、ノリちゃん…… 君は汚れた僕には眩し過ぎるんだ……っ!
怒涛の如く押し寄せる罪悪感と、雨あられと俺に突き刺さる無邪気な槍。俺は彼女のキラキラ輝くお眼目を直視出来ないでいた。
「あんなー ノリなー あるじとびょういん行きたいなー」
「あ、主もノリちゃんと行きたいさ!」
空気を読めないバカ女が茶々を入れてくる
『嘘じゃな~ 汝は嘘吐きじゃ~』
「……黙れ殺すぞ」
わかってる、俺が間違ったことをしているのはわかっている。
俺がどうしようもないほど矮小な存在であることなんて、とっくの昔から自覚している。
だがどうだろう!
愛するノリちゃんに、病院はちょっと痛かったり苦かったりするところだよ、と真実を告げるのが本当に正しいのだろうか!?
俺は声を大にして言いたい。彼女の事を考えるからこそウソをつくのだ!
そうだ、これは正しい行いだ。どこの世界も形式的な正しさが全てではない。人の数だけ正義は存在し、悪が存在する。本音と同じ数だけ建前が存在する。
例えば、近所のパチンコ屋さんがそうだ。
パチンコ屋さんの近くには、「たまたま」古物取扱免許を有する古物商のババアが店を開いているし、「たまたま」パチンコ屋でもらう景品に入っている金の買い取りを行っているし、「たまたま」景品の在庫不足に悩んだ経営者が、そのババアが買い取っていた景品を、「たまたま」上値で買い取り、そんな取引を通じて「たまたま」ババアと独占的売買契約を結ぶのだ。
全国に数多散らばるパチンコ屋さんは、なんという偶然か、天文学的確率をものともせずにみな同じ状況を経て、安定的経営に至っているのだ。
それを「欺瞞」の一言で片づけるのは簡単だ。それに義憤を覚える者だって少なくないだろう
だがそれは、取り締まる側である警察の天下りのポストなんだからしょうがないではないか。
多くの要素が複雑に絡み合ったソレを人は社会と呼ぶし、文明と呼ぶのだ。
正しさだけでは腹は膨れない。本音だけでは息ができない。ならば俺が選ぶべき正義など言うまでもない。
「じゃ、じゃあ、主いい病院調べておくから、今度一緒に行こう!」
「はーい♪」
□□□□□□□□□
「今日はびょういんにいくぞ~♪ はっじめてのびょういんにいくぞ~♪」
今日も冴えわたっているノリちゃんとお手々を繋いで大通りを歩く。ノリちゃんは例によって俺の手の高さに合わせ、空中を歩いていた。
カイル精肉店を通り過ぎる時、旦那を座布団だと思っている女将さんが声をかけてくる。
「今日も元気だねノリちゃん! 今日はどこに行くんだい!?」
「あんなー ノリなー 今日はびょういんにいくのー! びょういんははじめてです!」
ノリちゃんが覚えたてのスキップをしながら女将さんに言った。
「あ、ああ…… そうかい……」
気まずい顔をする俺を見て、全てを理解した女将さんが、あんたも大変だねえといった目で俺を見てくる。
どうしましょう…… と目で訴える俺に、女将さんは苦笑を帰すばかりだった。
正直ミスったと思ってる。
こんなにノリちゃんが楽しみにするとは思わなかったのだ。
あの後、俺は評判のいい獣医師を探し、この街を走り回った。
マイラさんやベルトはもちろん、メルトさんをはじめオルテナ、チャラ男、果てには大家さんにまで意見を求め、吟味したのだ。
その結果、この街一番だと評される病院を俺は探し当てた。
「イエローサブマリン動物病院」
伝説となった某バンドの曲名を思い出す全く由来がわからない怪しい病院名。
だが、ペットの動物から野生の魔獣まで、全ての種族、全ての症例を網羅する凄腕の獣医師がやっている病院なのだと言う。
俺たちは大通りを歩き、胡散臭い病院名を刻まれた看板の前までやってきた。
ちょっとしたレンガ造りのアパートの一階でやっている病院らしい。俺はギィという音を立てる木扉を開け中に入る。常時光源魔法に照らされた待合室は明るく、パッと見た感じ、ちょっと大きめな地域の普通の動物病院といった風情だ。
軽く周りを見渡すと、そんなに広くない待合室、診察開始前だというのに既に数人ほどが座っていた。
連れている生き物も様々だ。
普通に犬を連れている夫人もいれば、おそらくは使い魔であろうガーゴイルを連れているオッサンがいたり、何故か単独で座っているイケメンもいる。
そんな中、誰よりも礼儀正しいノリちゃんがすかさず挨拶をした。
「こんにちは! イガワノリです! びょういんはじめてです!」
し~ん
マジか!
ノリ様のエンゼルスマイルが効かない人類が存在したというのか……!
俺は戦慄を覚え周りを伺った。イケメン、ババア、ババア、オッサン、ババアという布陣だったが、どうやらノリちゃんを無視したわけではないらしい。
なにやらオッサンは、そっぽを向いて拗ねるガーゴイルに向かって「お前が大事なんだ! わかってくれよ!」とか必死に懇願している。まんざらでもなさそうにオッサンをチラ見するガーゴイルがちょっとイラつくが特に問題はない。
単品で座っているイケメンは、ピンと背筋を伸ばして膝の上で握りしめた拳をブルブル震わせている。そして足は往年のYOSHIKI並みのビートで高速貧乏ゆすりを繰り出し、虚ろな目で虚空を睨めつけており、なんとなくアリアさんと同じ匂いがした。
人間が何で動物病院で診察待ちしてんだよとか、突っ込み所は多いがやはり別に問題は無い。
だが問題はババアだ。ババアがいけない。
確かにババア共は笑顔で「あら可愛い竜ちゃんね」くらいの反応は示している。だが笑顔の奥、三日月形に歪んだその眼が雄弁に「でもウチの○○ちゃんのほうが可愛いわ」と語っていた。
これはいけない。
ノリちゃんより可愛い生き物などこの世に存在しないし、むしろ存在してはいけないのに、そんな世界の理も知らず、さらにはそれがさも「ウチの○○ちゃん」だとでも言わんばかりの傍若無人な振る舞いに、俺は怒りを通り越して笑ってしまった。
俺は、彼女たちの元々残り少ない人生を多少縮めたところで特に問題なかろうと判断し、右手に「なめし棒」を召喚してから足を踏み出す。
愚かなババア共ですね。
誰が貴く遠い頂に立つべきなのか、いや、既に立っているのかも知らない哀れなおバカさんたち。
神に弓引く行為がどれだけの災厄を齎すか、自身の身を以て知っていただかねばなりませんね。取り急ぎ私がその皺だらけの皮をなめしてモモンガ・ババアとして新たな人生を歩―――
「あるじー あるじー」
「んん? なんだいノリちゃん?」
思わず足を止めた俺に、ノリちゃんは短い腕を一生懸命伸ばし、俺の耳元、内緒話の要領でコショコショと言った。
「ノリまちがえたー ここはしずかにするところだった!」
どうみても天使です。本当にありがとうございます。
耳元が熱くなり鼻息が荒くなってしまったのは気のせいだ。
ノリちゃんが周りをきょろきょろ見渡しお眼目をパチパチ。すると空いたベンチの前に移動し「あるじー こっちきてー」とベンチをペチペチ叩く。
俺がよっこいしょと座ると、ノリちゃんはすぐに俺の膝の上に乗って背筋をピーンと伸ばした。
「???」
俺が首を傾げていると、向かいの犬が目に入る。チワワとポメラニアンの相の子みたいなちっこい犬は、主人であるババアの膝の上でピーンと背を伸ばしていた。どうやらそれがノリちゃんの目に止まり、びょういんではこうするものだと思ったらしい。
どこか誇らしげ姿勢を正すノリちゃんを見て、やっぱりノリちゃんが一番可愛いじゃねえかよ、と思った。
◇ ◇ ◇ ◇
受付を済ませてから座って5分ほど待っていると診察が始まった。
看護婦らしい人が診察室から顔を出す。
「ガーゴちゃ~ん、ガーゴ・クローレンちゃ~ん」
するとオッサンが席を立ち、未だソッポを向いているガーゴイルを優しく抱き上げると診察室へと向かう。
腕の中でガーゴさんが必死にイヤイヤをしているが、オッサンの心は揺らがない。「すまん! お前の健康のためだ!」と言って躊躇せず診察室へと入り、ドアを閉めた。
動物病院に連れてこられたガーゴさん
俺はこの世界の「動物」という単語の定義の広さに戦慄しつつ、何気にオッサンが高ランクの冒険者かも知れないと思った。
ガーゴイルは、小さい体に大きな魔力を秘める悪魔型の魔獣だ。知能も戦闘力も高く、言語によるコミュニケーションが可能という、かなり優秀な使い魔なのだ。
だが、使い魔にする場合は、かなり慎重に契約に託けないと一方的に騙され、魂を奪われたりすることもあるのだという。その高い知能と独自の価値基準で、使う側の人間を選ぶのだ。
さっきのオッサンはそのガーゴイルにかなり懐かれていたようだったので、扱いについても戦いについてもガーゴさんを満足させる人物なのだろう。
俺がそんなことをぽややんと考えていた時だった。
「イヤァァァァァ~~ッ!!!」
ガーゴさんが泣きながら診察室から飛び出てきて、入口のドアを壊して外に走り去ってしまった。
「ガーゴちゃん待ってぇぇぇぇぇぇっ!!!」
ガーゴさんに続くオッサン
待合室になんとも言えない沈黙が降りる。
それを見ていたブルドッグみたいな顔したババア(人間)が勝ち誇ったようにフンっと鼻をならした。
まー情けない!ウチの子はそんな醜態は晒さないザマス! と言わんばかりの見下した態度だ。
すると、床にお座りしていたババアのペットらしきブルドッグも、オッサン達が出て行った入口を一瞥して、フンッと鼻を鳴らす
そもそも、ブルドッグがブルドッグを飼っている事にも感心するが、親子揃って逃げ去った二人を見下すような態度をとったことに、余程の信頼関係があるのだろうと俺は感心した。
すぐに診察室から、何事も無かったかのように看護婦さんが顔を出して言う。
「フランソワちゃ~ん、フランソワ・ビーンズちゃ~ん」
先程のブルドッグ親子が、手本を見せてあげるザマス! みたいなイラっとする態度で診察室に悠然と入っていった。
「キャンキャンキャンキャンキャンっ!!!!」
「待って~! フランソワちゃん待ってぇ~~~っ!!」
――ドドドドド
走り去るブルドッグ親子。
お、おい…… 大丈夫かこの病院……
誰に聞いてもこの病院の評判はすこぶる良かった。特に、珍しい生物でも完璧にカバーするという話を聞き、ここしかないと決めてやって来た。
だが現状はどうだろう。
強敵を前にしても逃げ出さない優秀な使い魔が泣きながら逃走し、待合室で大人しくも轟然と佇む犬が悲鳴を上げて逃走する。
俺が驚愕している間にも3組目(ババア&チワポメ)が突入し、そして敗走していた。
その間にも、俺の横に座っているイケメンさんの貧乏ゆすりは加速度的に速度を増し、もはや残像レベルに達してしまっているし、なんだか頭にツノが生え、手の甲には鱗らしきものが浮かび上がってきている。
隣のイケメンが、竜人か高位のドラゴンであったことに俺が驚いていると、異様な空気を察したのか、ノリちゃんがちょこんと俺の膝から降りて、耳をへにゃっとさせながら上目使いで言った。
「あ、あんなー ノリおトイレ行きたいかも……」
「行っといで」と言うと、ノリちゃんはそろりそろりと出口へ逃走を図った。
「ノリちゃん、そっちはトイレじゃないよ?」
「――っ!!!」
ビクっとするノリちゃん。
「あ、あんなー ノリなー…… ノリちょっと怖いかも知れん……」
「ノリちゃんのために必要なんだ…… 大丈夫だからこっちにおいで?」
俯きながらトボトボとこちらに歩いてくるノリちゃんを見て、俺は胸が張り裂けそうになったが、さっきのオッサンに倣って歯を食いしばった。
このまま帰るのは簡単だ。可哀想だからまた今度にしようよとか、神竜なんだから大丈夫だよとか、このままだと嫌われてしまうよとか、俺の弱い部分が今でも顔を擡げている。
だがきっと、それを選択することは、彼女にとっても、今後の俺にとっても良いことなんて何一つない。いつかピーマンだって食べれるようにならなきゃいけないのだ。
俺が葛藤していると、ノリちゃんが俺の手前でピタっと足を止める。俺が「どうしたの?」と声をかけようとした時、俯きながら彼女が絞り出すように呟いた。
「あるじが……ノリをだました……」
「の、ノリちゃん聞いてくれ……」
「あるじが……ノリにウソついた……」
「~~ッ!」
俺は心底後悔した。
最初から本当のことを話し、理解してもらえばよかったのだ。
彼女は、説明しても話が理解が出来ないような頭の悪い子ではない。真剣に説明してそれでも首を横に振るような我が儘な子ではない。そんなことは知っていたはずだ。
ならば、なぜ今こんなことになってしまっている?
俺のせいだ。
ただ、ノリちゃんに嫌われたくない我が身かわいい俺が、ただその場しのぎについたウソが、ノリちゃんに不信感を与え、そして、いつもウソはいけませんと言っている、誰よりも信頼しているであろう主に嘘をつかれたことが深く彼女を傷付けている。
自分の保身と、ノリちゃんの気持ちを天秤にかけ、自分の保身をとったクソッタレが言ったクソみたいな嘘が、今こうしてクソッタレに返ってきているのだ。
俯いて震える彼女に何を言えばいい?
いくつもの言葉が浮かび、その全てが情けなく霧散する。俺が今口に出していい言葉など何一つ残っていなかった。
俺はただ呆然と悲しみに震える彼女を見ることしか出来ないのだ。
すると小さな女神が震える声で俺に言った。
―――ノリのこと、嫌いになったんだ……
言わなければならなかった。
たとえ世界中の人がそうだと囃し立てても、神が信託で告げたとしても、彼女本人がそう思ったのだとしても、そして今俺が発すべき言葉を持たないのだとしても
断じてそれは違うと、それだけは絶対に無いのだと、俺は彼女に言わなければならなかった。
「それは違うっっ!!!!」
関係無かった。受付の女の子が見ていようと、待合室で待つ客が見ていようと何一つ関係など無かった。
俺は、床に気を付けの姿勢で、仰向けに転がり、俯くノリちゃんの目の前に自身の顔を持っていく。そして彼女の目を真っ直ぐ見てもう一度言った。
「それだけは違う! 俺は君が世界で一番好きだ!」
ぎゅっと瞑った彼女の目から、一しずくの涙が流れ、俺の頬に落ちた。
「だって……ふぅぇっ ひぐっ、あるじノリに、ノリにウソついたもん……っ!」
ウソをつき、彼女を傷付けた俺に、今この場で言える言葉など無い。
だから俺は無言で彼女を抱きしめる。
背に感じる床の冷たさと、胸に燃えるように熱く感じるノリちゃんの体温、きっとその温度差が俺の罪だ。
俺は涙を流すノリちゃんの頭をただひたすら撫でた。
「前にも言ったよね、俺がノリちゃんを嫌いになることなんて有り得ないんだ」
鼻をすするノリちゃんに俺は語りかける。
「主は嘘をついた。許してほしいとは言わない。病院はね、ちょっと痛いし、ちょっと苦いところなんだ」
ノリちゃんが真っ直ぐ俺の目を見ている。疑っている目ではない。真剣に俺の話を聞こうとしている目だ。
「でもノリちゃんには必要なんだ。人間もドラゴンも病気になる。病院はねノリちゃん、病気を治したり、病気にならないようにするところなんだ。俺は君に病気になって欲しくない。君が病気で苦しむ姿を見たくない。だから今日君を連れてきたんだ」
ノリちゃんがおずおずと口を開く
「ノリにはひつよう……?」
「ああ……」
「ちょっといたいの……?」
「うん……」
「ちょっとにがいの……?」
「そうだよ」
「ぴーまんよりも……?」
「ごめん、それはわからない」
その小さい体、幼い心で一体彼女は何を考え、どうやって答えを選択したのだろう。選択するという概念すらまだあやふやな彼女は一体どうやって目の前の困難を乗り越えることを決めたのだろうか。
戦闘力だけで他に何も持たない凡人の俺にはわからない。だが彼女は確かに選択したのだ。
ノリちゃんが俺の胸の上に立ち、凛々しく宣言しする。
「わかった! ノリがんばるっ!」
彼女の顔がかすんで見えないのは俺の涙のせいだろうか。
それもあるかもしれない、だけどそれだけではないと思う。
傷ついても立ち上がり、俺を信じ、前向きに生きようとする気高い彼女が、きっと俺には眩しいのだ、
ノリちゃんは俺を立たせ、ベンチまで連れて行くと「あるじはここすわってー」と俺を座らせる。
そして今度は俺の横に座ると「ノリがんばるんだからー」と呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇
―――シュイ~~~ン
「あ、あ、あぁぁあぁ~~~っ!!」
―――ゴンゴンゴン
「あああああ~~~~!!」
―――ゴリュッゴリュッ
「アッ――――!」
扉の向こうから、どこをどう聞いても魔導ノコギリの音と悲鳴が聞こえてきたと思ったら、大工さんしか鳴らすはずの無い音が聞こえ、そして最後に得体の知れない恐怖を煽る音と、男が操を奪われる叫びが聞こえてくる。
一体この扉の向こうでは何が行われているというのだ。
隣ではノリちゃんがキューンキューンと鳴き始めてしまっているが、逃げるつもりはサラサラ無いようだった。
向こうの席に座るババアとペットのクットリア鳥はいつ失禁してもおかしくないほど怯えているが、果敢にもその恐怖に耐えていた。
何一つ音が聞こえない時間がしばらく続き、あ、イケメンさん死んだなと思った時、バタンと診療室のドアが開いた。
中から出てきたのは、もうすでに変化の体を成していない人型の何か。
角もキバも生え、見える肌は全て鱗に変わり、何か大事なものを失ってしまった悲哀漂う元イケメンさんが、両手でケツを押えながら中腰でヨタヨタ歩いて出てきたのだ。
「お薬お出ししますからお待ちくださいね~」
能天気かつ無慈悲な看護婦さんの声。
どこかこの十数分で一気に老け込んでしまったイケメンさんが、ヨロヨロと俺の隣に腰かける。瞬間、短い悲鳴を上げて立ち上がると今度はびっくりするくらい浅くベンチに腰かけてうなだれた。
往年の、名作ボクシングアニメを彷彿とさせる真っ白具合。どうしても気になった俺は声をかける。
「あ、あの、ドラゴンさん? 竜人さん? あの扉の向こうで一体何が起こったんです……?」
すると、イケメンさんは力無くこちらを向き、弱り切った笑顔で答えてくれた。
「あ、ああ、もう変化も解けてしまっているのか、気付きませんでしたよ…… ははは、いや、お恥ずかしいところをお見せしたようで」
やけに礼儀正しいイケメンさんに好感を抱いていると、彼が衝撃の告白を始めた。
「あの、わたくし、お恥ずかしながらドリアデル山脈に住む竜族の若頭などをしておりまして、カルヴァドスと申します」
俺は絶句する。
ドリアデル山脈といったら、ここ皇都より遥か北東、魔境との境目にある前人未到のランク∞ダンジョン「神のおわす頂」ではないか。
それほど標高が高くない山脈であるにも関わらず、なぜそれほどのダンジョンとされているのか、その最たる理由が今、目の前でやつれ切っていた。
「近々、10年に一度、若頭を決める力比べがありましてね、わたしも相当入念に準備をしていたのですが、過労なのでしょうか……」
ドリアデル山脈、そこは大陸唯一のドラゴンの集落になっているのだ。それも7大属性の名を冠する高位のドラゴン達の。
単騎で小国程度なら一晩で滅ぼせる彼らが、数百から集まり群を形成し、自分たちのテリトリーに入る者には情け容赦ない苛烈な攻撃を加えるという。
ちょっとでも想像してみればいい、土塊、爆炎、水弾、雷撃、風刃、重撃、光線、全て戦略級のそれらが四方八方から冗談みたく降り注ぐ。
誰がそんな無理ゲーダンジョンを攻略しに行くというのだ。それはたとえSランカーだろうと同じことだ。年頃の中二病患者だって真っ青になって逃げだす神域、それが「神のおわす頂」なのだ。
俺が冷や汗をかきながら相槌を打っていると、その神のおわす頂の絶対的支配種族の若頭だというイケメンが憂いを顔に浮かべ、重々しく口を開いた。
「『痔』になってしまいまして……」
????
「痔……ですか……?」
「痔です」
俺が絶句しているのを余所に、カルヴァドスさんが再び語り出す。
「痔というのはやっかいでしてね、飛ぶにも痛いですし、ブレスなど吐こうものなら、ブレスより先に血を噴いてしまいますよ。ははは、いやはやお恥ずかしい話です」
本当にお恥ずかしい話を恥ずかし気も無く披露する若頭。
俺は、この世界にはまともな奴はいないのだろうかと軽い眩暈に襲われた。
「そこで、このままでは勝てない! と思いまして、一族でも評判高いこの病院までやってきた次第です。ちなみに、今朝方も同胞が緊急入院しまして、手術を受けていたんですよ」
神域のドラゴンにも知られているとか一体この病院はどうなってんだとか、突っ込み所は多いが今は取りあえずいいとしよう。
俺は何か嫌な予感に襲われる。これ以上は聞いてはならないと本能が警告を発するが、人の性である好奇心を愚かにも押えられずに聞いてしまったのだ。
「ちなみに、その同胞の方というのも……」
「ええ、痔です。ドラゴンは痔持ち結構います」
俺は天を仰ぐ。天井に阻まれ見えないはずの青い空を、俺は確かに見ていた。
聞かなければよかった。
「ドラゴンに痔が多いだなんて……」
世の男の子が一度は夢見る、剣と魔法飛び交い竜が羽ばたくファンタジーの世界。
奇しくもそこに飛ばされ、地を這い、泥を啜りながら、なんとか俺は生きてきた。
現実はそんなに優しくないなどという当たり前のことは、とっくに思い知り、サンタクロースを信じていたかつての少年はもういない。
だが、そんな俺にだって夢見る部分は残っていた。絶対に侵されざる聖なる領域「絶対領域」が存在するように、誰にだってそんな領域は存在するはずだ。
なのに、夢もへったくれも無い現実の厳しさを目の前に突き付けられ、俺の中の「少年」は今完全に死んだ。
「ははっ 何を言ってるんです?」
恨みがましい目を向ける俺に対し、若頭は笑顔で追い打ちをかけた。
「ブレスの時には全力でいきむんですよ? ちょっとした拍子に粗相してしまうことだってあるでしょうに」
全国の少年少女に謝って下さい。
マサイ族がスマホを自由自在に操っていたのを見た時以上の衝撃に襲われ、俺はうなだれる。
「そういえば……」
「勘弁して下さい、俺のライフはもう0ですよ」
「いやいや、あなたは人間のようですが、お連れの方はどこに?」
ああ、そうか、ノリちゃんは小さいし、若頭とノリちゃんの間に俺が座っているので、若頭にはノリちゃんが見えなかったのだ。
俺は力なく右に座るノリちゃんに目を向ける。
ノリちゃんは「ノリがまんする! ノリにひつよう!」と呟きながらウンウンと頷いていた。
ああ、ノリちゃん、俺の天使……
俺は削られ切った精神がグングン回復していくのを感じた。
彼女は絶対に痔になったりしないし、もしなったとしても、それを知る者全て殺せばそれは無かったことになるので別に問題は無い。
俺がノリちゃんを同族の若頭に紹介しようとした時、
「ノリちゃ~ん ノリ・イガワちゃ~ん」
看護婦から呼び出しがかかった。
するとノリちゃんはピョンとベンチを降り、看護婦さんのところまでトコトコ歩くと
「あんなー ノリはなー イガワ・ノリだよー?」
訂正を求めていた。
看護婦さんも、「まあ!可愛らしい、イガワ・ノリちゃんね、わかったわ!」とか言ってノリちゃんの手をとった。
あ、ずるい、俺の役目なのに……
俺が、じゃすいません、また後で、と若頭に声をかけると、何やら若頭が呆然とノリちゃんを見ながら口を開く。
「ま、まさか…… そんな……っ!」
よくわからないが、とにかく俺も行かないと診察が始まらないので、足早に診察室へ入りドアを閉めた。
そして本日3回目の絶句をすることになる。
汚れ一つない診察室、その奥、ここからでも見える、中途半端に仕切られた二つの部屋。おそらくは手術室だろう。その手術室が
赤
赤一色。
誇張も何も無く、そこは文字通り血の海だった。