クルルちゃんの大冒険
最近よく絡まれるようになった。
絡まれるといっても、チンピラに絡まれて辟易とするとかそういう類のものではない。
「イサオちゃん! 最近どーよ? 俺最近マジ調子悪くて、っていうかヤバいマジヤバい系。どれくらいヤバいかっていうとぶっちゃけ超ヤバい」
この異世界に「偏差値」という概念を導入したくなるほど頭の悪い喋り方をする男だったり
「イサオ、最近はどうしてるんだ? なんだ、その、今度パーティーを組んで遠征しないか? なんならいつもの薬草採取だっていい。ノリちゃん可愛いな」
なんてことを言う絶世の美女だったり。
今まで、ギルドに行っても話しかけられることなんて皆無だっただけに、この変化は嬉しい反面、対応に困る。
チャラ男は、その頭の悪さからは想像できないほどギルドからの信頼が厚く、なぜだかAランク目前の斥候職だし、この街をしばらく根城にすると宣言した闇姫さんに至っては言及する必要すらない。
周りの反応だもあって、静かに生きたい俺にとっては悩みの種だ。
「お、おい、あいつB+ランクに声かけられてるぜ!」 とか 「俺たちの闇姫様にお声をかけていただきやがって!」とかいう、訳のわからない羨望や嫉妬で悪目立ちしていた。
俺は、今日は居ないでくれよ、と願いながらギルドの扉を開けた。
昼前という中途半端な時間だが、冒険者はこのくらいの時間から動き出す。カウンターで依頼受諾申請をしている冒険者もチラホラ目についた。
俺の応対はいつもマイラさんがやってくれる。
依頼の好みや志向を把握してくれているため色々と楽なのだ。だから俺もついマイラさんがいるカウンターを目で追ってしまうのだが、今日は忙しそうなのでギルド内を少しプラプラする。ちなみにマイラさんは綺麗でおっぱいもおっきいので、彼女を口説く冒険者が後を絶たない。
いつも通り今日も口説かれてるっぽかった。
「マイラちゃん、今夜メシでもどう? 美味いボルガを食わせる店が―――」
「あっ イサオさん! こんにちわ! 今日も依頼探しですか?」
俺に気付き、会話をぶった斬って声をかけてくるマイラさん。嬉しいけど、誘いをかわされた冒険者さんの視線がキツイです。
「イサオさん! いつも通り依頼を見繕ってありますよ! 私のところに来てくださいね!」
文字だけ見れば、男の子特有の「あの子俺の事好きなんじゃね?」的思考に陥ってしまいそうだが、客観的に考えて、うだつの上がらない木っ端冒険者の俺に気があるわけがない。
愛想が良すぎるのも考え物なのだ。
「イサオさん、あの、その……、今夜とか空いてたりし―――」
「あ! イサオちゃんチョリーッス! ノリさんチワッス!」
チャラ男登場。キメポーズがウザ過ぎる。
ノリちゃんがすかさず反応する。
「ノリも『ちょりーす』がいいー!」
これはマズイ傾向ではなかろうか。
マイラさんが何か言いかけたのも気になるが、それはひとまず置いておこう。
実は最近、懸念していることがある。
男にはちょっとだけ人見知りするノリちゃんが、最近チャラ男になつき始めているのだ。
やたら絡んでくるせいで、俺がギルド内で変に注目されていることも迷惑なのだが、毎度毎度ノリちゃんにも話しかけるおかげで、彼女の中でチャラ男は「あるじのおともだち」という認識になっているようなのだ。
ていうかそもそも、なぜ俺が「ちゃん」付けでノリちゃんが「さん」付けなのか。
「ノリさん今日もクリックリすね! マジパネェッス!」
「ノリにも『ちょりーす』してー」
「ちょりーッス!」
キャッキャッキャッ
いつも通り、チャラ男のキメポーズに大喜びのノリちゃん。
こいつは俺のノリちゃんに何してくれとんのか。
まさかそれは無いと一笑に付しつつ捨てきれない可能性。俺の頭に一抹の不安がよぎる。
もし、だ。
「もし」の話、いや、それは無い事はわかってるんだ、そんなことは絶対にそれは無いさ、何言ってるんだろうな俺は、はははは!
だが…… もし……、もしもだ!!!
ヤツがノリちゃんを狙ってる(女として)としたら……?
こんなに可愛いノリちゃんだ。種族も年齢も超えて彼女を欲するオスがいたって何らおかしくない、現に最近ノリちゃんの情報を収集しようとする、お炉利る変態の噂がチラホラ聞こえてくるのだ。
俺は少しだけノリちゃんとチャラ男がつつつつつつっつつっつつつつつつつ付き合ったこここ事を想像してみる。
「あるじー ノリなー 彼氏つれてきたー」
「お義父さーん、ガチ俺たちジャムってる系でノリはオレのことマジパなく必要っていうかー? お互いイロイロ埋め合ってるジョーキョーっつーかそういう感じでぶっちゃけ親戚付き合いとかマジダリーんでこんくらいでカンベンしてほしいワケなんスよー」
―――クッチャクッチャクッチャ(ガムを噛む音)
俺は深く息を吸うと、軽く微笑んだ。
コロス。
指先一つでダウンする相手を百発殴るマユゲが引くくらいの圧倒的オーバーキルで殺す。
確かにチャラ男はまだ何もしていない。
だが、ノリちゃんの魅力に参らないオスなど存在するわけがないし、参らないなら参らないで不敬にあたるので、どちらにしても死ぬしかない。
この考え方だと世の中の男全員殺した方がよさそうだが、さすがにやり過ぎかもしれないので自重しよう。
だがダメだ。コイツはダメだ。
まずは洗い立てのチャラ男をラーメソマソがブロッケソマソにしたようにキャメルクラッチで何度か折り畳んでから良質の粘土を配合してしっかりと混ぜ合わせ男根の形に成型し窯で焼き上げてから神域におっ立ててしめ縄をした上で「金精様」と張り紙をして義理父呼ばわりしたチャラ男を息子マイセルフ超ウケるんですけどwwとひとしきり大爆笑してからنيجسيوسنكسو(おお偉大なる神よ(禁呪指定))で殺す。
よし、殺そう。
俺は早速チャラ男にキャメルクラッチをするため、にこやかに挨拶しながらヤツに近づいた。
「イサオ、今日は何をするんだ? 私も付き合うぞ」
今日も闇姫様がやってきた。
ちょっと待ってくれ闇姫様、俺は今チャラ男を殺そうと―――
「そういえば、中等区でおいしい店を見つけたんだ。ノリちゃんと一緒に食べにいかないか?」
この世界に来て、俺は美味しい店のチェックは欠かしていない。ファンタジーだ何だ言っても俺はグルメ大国日本で生まれ育った現代人だ。
美味しいものを食べることがそもそも好きな上に、娯楽の少ないこの世界で、美味しいものを食べることは数少ない娯楽の一つなのだ。
懐が暖かく普通に贅沢が出来るSランカーの舌を満足させる店なのだからきっと美味しいに違いない。
ノリちゃんも美味しいものを食べたら女神のような笑顔で喜ぶので、ノリちゃんの成長記録『ノリちゃんのあゆみ』を充実させるためにも反対などする理由が無いし、ババアに返済して残ったお金があるのでタイミング的にも申し分ない。
別にチャラ男はいつでも殺せるので、それはひとまず置いといて、俺はオルテナの話を進めることにした。
そんな雰囲気を察したのか、オルテナが言ってくる。
「今夜あたりどうだ? 私もちょうど暇な―――」
「……オルテナさん、私が先にノリちゃんとイサオさんをお誘いしたんですけど」
まさかのマイラさん乱入。
カウンター前で立ち上がりオルテナに敵意を向けるマイラさん。「知らないな」などと真っ向から受けて立つ闇姫様。
えっ? 何この空気?
ていうかそもそもマイラさんに誘われた覚えがないんですけど。
良くも悪くも俺は正直だ。
「え? 俺マイラさんに誘われてないけど……?」
それを聞いたマイラさんは、クリアグリーンの瞳から一切の光彩を消失させて言った。
「イサオ……さん……?」
びっくりするほどレイプ目だった。
マイラさんって、そっち系の属性の方だったりするの……?
俺は視線でチャラ男に助けを求めたが、何故かヒップホップの「YO!」的なポーズを返されてイラっとした。
だから俺はキョトンとしてるノリちゃんに、情けなくも逃げを打つ。
「の、ノリちゃんはどうしたいかな……?」
「ノリはなー あるじといっしょー」
ノリちゃん愛してるよ。でも今欲しかったのはそうじゃないんだ。
『我は生肉を所望するぞ』
「頼むから黙っててくれ」
何か色々と詰んでるなー と思ったので、俺はとりあえずこの場から逃げ出しました。
◇ ◇ ◇ ◇
「あるじー ノリなー ノリ似合ってるー?」
「ああノリちゃん!ばっちりだよっ!」
ノリちゃんも今日はおめかしさんだ。
今、ノリちゃんは襟付きピンクのポワポワワンピを見事に着こなしている。
斜向かいのシエルさんが話を聞きつけ、娘のお下がりだからと用立ててくれたものだ。
超絶可愛かったので、俺はインテルを超えるスピードで脳内HDにノリちゃんの晴れ姿を保存すると共に、例の魔法で物理的にも保存した。
「ノリおしゃれさん?」
「お姫様みたいだよっ!」
いつもはすっぽんぽんのノリちゃんが服を着ているのには理由がある。
あの後、ギルドから逃げた俺だったが、仕事を受けないと何ともならないことに気付き、ギルド前で呆然と立ちすくんでいた。
するとそこにオルテナがやってきて、なんだかんだ一緒に食事をすることになったのだ。
仕事を受けるのと、オルテナと食事に行く旨知らせるためにカウンターに戻ると
「おはようございますイサオ様、本日のご用件は何でしょうか?」
と、やけに余所余所しいマイラさん。
一体どうしたのか聞こうとした時、薄く微笑むマイラさんが完全にレイプ目なことに気付き、色んなものがキュッと縮み上がった。
今思ってもあれはイケナイ目だ。延々とボートの映像を流す類の目だった。
そして周りの冒険者の目も別の意味で怖かった。
ともかく、完全アウェーであることを察知した俺はそそくさとギルドを出てオルテナと合流したのだが
「その店はドレスコードがあってな、いやドレスコードといっても―――」
オルテナによると、ドレスコードといってもあくまで「魔除け」目的であって、例えば冒険者が血だらけの皮鎧のままとか、職人たちが汗だくの作業着のままでの入店とかを断るためのもので、普段着であれば何も問題ないとの事だった。
そこで俺は考える。
―――ノリちゃんは?
そのままオルテナに聞くと、それはそれで何かよくわからないルールがあって、人間以外でも服は着なくてはならないのだそうだ。要するに、服を着せても暴れないとか、その程度の秩序は守ってくれるという何らかのライン引きをしているのだろうと思った。
俺の家族であるノリちゃんを試されているようでイラっとしたが、考えてみるとノリちゃんはあくまで「特別」であって、「特別」お利口さんなのであって「特別」可愛いのであって「特別」気品があるのであって
その他「一般」のよくわからん連れを画一的に判別し、店内治安を維持するためにはしょうがないルールのかも知れなかった。
実はノリちゃんは普段あんまり服を着たがらない。
可愛い女の子がすっぽんぽんなのはどうなのかと思った事もあるのだが、これは種族的な特性を尊重するところだと思って、無理やり服を着せるつもりはない。
今回は特別なのだ。
「今日行く美味しいお店は、服を着るのがきまりなんだよ」と言ったら、「じゃあノリおしゃれするー」と割と乗り気だった。
そして冒頭へと戻るのだ。
シエルさんが何着か服をくれたので、今はノリちゃんのファッションショーの真っ最中だ。
普段は服を着たがらないと言っても、やっぱりノリちゃんは女の子。
いざ着るとなったら、うんとねーうんとねー とか言いながら一生懸命選んでいる。
「うんとねー ノリこれに決めたー!」
最終的に選んだのは、黄色の襟付きワンピース。前をボタンで留めるタイプで、裾は白のフリフリになっている。
天真爛漫、元気に輝く、ひまわりのようなノリちゃんにはぴったりの服だ。
シエルさんは鳥の獣人さんなので、服はちょうど世開きになっており翼も出せる。完璧だ。今度お礼をしにいかなきゃいけないな。
「はーいノリちゃんこっち向いて~」
「がおー」
例の記録魔法を乱発し激写しまくる。アリアさんがすかさず声を上げた。
『汝よ! 我も! 我も撮って欲しいのじゃ!』
ノリばかりずるいと抗議するアリアには、この前の謝罪も込めて、鞘を新調してあげた。俺がオーガの骨を彫って、知り合いの彫金屋さんが装飾を施した逸品だ。
思いの他気に入ったようで最近は非常に機嫌がいい。
取りあえずパシャパシャ撮ってあげたら、『やはり女は身だしなみを整えんとなっ!』とか言い出したので、「そうですね」とだけ言っておいた。
そんなこんなしていたら、もう出なきゃいけない時間だった。俺も着替えなきゃ。
壁にかけてあったパーカーに手を伸ばして、何故か突然、無性に味噌汁が飲みたくなった。
思えば召喚されてから4年ちょい、ずいぶん遠くまで来たものだ。
目の前にあるパーカーは4年前、この世界に来た時から変わらぬ俺の一張羅だった。
穴が開いたら繕って、シミが出来たら必死に洗った。結果、縫い目だらけのくすんだパーカーは今代勇者の軌跡そのものだと俺は思う。
運命の日、朝の慌ただしい時間、行儀が悪いと注意されながら食べたねこまんまの味を今でも覚えている。17年間、体に染みついた色々なものは、パーカーのシミと変わらず、簡単には抜けそうにない。
「こんなに大事に着るなんて思ってもみなかったな……」
穴が開いたら新しいのを買えばいいさと笑っていた自分を、今ではイメージすることが出来ない。「無くしてからわかる大事なもの」なんて有り触れた言葉を言ってる内は何が大事かなんてわかってはいないのだ。
「あるじー どうしたのー?」
『汝よ、どうしたのじゃ?』
「ん? ああ、いや、何でもないんだ。」
後ろを振り向いて望郷の念に駆られるのは一瞬だけだ。俺にはやらなきゃいけないことが沢山あるし、大事なものは今目の前にある。
そんなガラにも無い事を考えながら俺はノリちゃんの手をとった。
「ノリちゃん折角だから歩いていこう」
「いーおー♪」
■■■■■■■■■■
てくてく歩いて中等区へ
このゼプツェン皇国も、この世界の常識にならって、ある意味清々しいほどの身分制を採用している。
それはこの皇都ゼプツィールでは最も顕著に表れていた。
宮区、高等区、中等区、一般区
この皇都は4つの街区に分けられ、中心に行くにしたがってグレードが上がっていく。
中等区までは平民でも出入りできるが、住むためには一定の税を支払わなくてはならないし、高級区や宮区ともなると、平民では基本的に立ち入ることも許されていない。
俺が住んでいるのはもちろん一般区だ。そしてギルドは一般区と中等区の境目あたりにあるのだ。
高級区には平民が立ち入ることが出来ない。そんな要素を前提に考えた時、商業的意味合いで一番栄えるのはおのずと中等区になってくる。
そもそも周りには一定の収入がある人が住んでいるし、高等区の住人だって、容易に店が開けない高級区ではなく、モノが集まる中等区まで下りてくる。小銭を稼いだ一般区住民が一夜を楽しみに足を運ぶのだ。今日の俺がまさにソレだ。
場所と店名はオルテナから聞いているので、現地集合ということになっていた。
俺はノリちゃんと手をつないでのんびり歩いていた。
ノリちゃんは普通に空中を歩けるので、俺の手に合わせた高さをてくてく歩いている
取り留めもない話をしながら道を行くと、お目当ての店が見つかった。
レンガ造りの建物で、年季の入った木の扉を設置されたランプが上品に照らしていた。外に出されてあるメニューが書かれた立て看板を見ると、なるほど毎日通えはしないだろうが、俺が来れないような価格設定でもない。
俺はちょっとだけ怯みつつも扉を開けて中に入ると、ドアベルがカランと鳴り店員さんがやってくる。
俺は思わず周りを見回した。明らかに客層が少しハイソな方達で、くすんだパーカーを羽織った俺だけが場違いなのではないかと不安になったからだ。
だがそんなことを気にしているのは俺だけのようで、別に変な目で見られるわけでもないし、店員さんに邪見にされるわけでもなかった。
「『オルテナ』で予約が入っているハズなんですけど……」
「イサオ様とノリ様でいらっしゃいますね、オルテナ様はもうお見えになっておられます。こちらへどうぞ」
完璧な対応を見せる店員さんの後に続いて足を進める。
案内されたテーブル。そこには、髪を結った見たことも無い美しい女性が座っていた。
俺はすかさず店員さんに言う。
「あの、多分このテーブルではないと思うんですケド……」
消極的に間違いを指摘したつもりの俺。
だが、そのテーブルに座っていた見知らぬ女性が訝し気に口を開いた。
「イサオ、何を言っているんだ? 私との待ち合わせだろう……?」
「はあ!? まさかマジオルテナさんっスか!?」
俺は、焦ってチャラ男風の口調になってしまったのもしょうがないと思う。
だって目の前には、化粧を施し見事にドレスアップしたオルテナさんがいらっしゃったのだから。
美しすぎる冒険者
そんな頭の悪い慣用句ちっくな言葉が頭に浮かんだ。
オルテナさんが綺麗すぎて、若干怖いです。
◇ ◇ ◇ ◇
目の前にはばっちりキメたオルテナさん。
「あれ、普段着でいいんじゃなかったの……?」
「それは店のルールの話で、私がそうするとは言っていない。しかしノリちゃんは可愛いな」
おっしゃる通りだった。
俺は釈然としないままとりあえず椅子に座り3人で丸テーブルを囲む。オルテナが正面、ノリちゃんが横という配置だ。
座ってからもう一度周りを見渡してみる。
なるほど、普段着のお客さんも少数だがいる。だが大抵はみな小奇麗な仕立服を着ており、貴族らしき人も少なくない。
席は満席。この緩やかな空気と美味しい料理が身分を問わず多くの客を惹きつけるのだろう。予約していなかったら座れなかったことだけはよくわかる。
とりあえず飲み物をもらう。俺はエール、オルテナはワイン、ノリちゃんはブドウジュースだ。
「そんじゃ、おつかれー」
「おつ……? あ、ああ、乾杯」
「おつかれー!」
軽くグラスを掲げて酒を飲もうとした二人にノリちゃんが抗議する。
「『ちーん』はー! あるじ『ちーん』しないのー?」
俺たちは苦笑しながらグラスを軽く合わせた。
この国において、グラスを合わせる行為はあまりお行儀の良いこととはされていない。数百年前に敵国とされていた国の文化であって、その時以来の風習なのだという。
だが我が家では我が家の風習に則り、お祝い事があると家では『ちーん』していたので、ノリちゃんがせがむのは当然と言えば当然だ。
俺は、外での作法も追々教えていかなければならないと思いながら、ノリちゃんに前掛けをかけてあげた。
料理は折角だからおすすめのコースにしようということで注文してやっと落ち着き、視線を前に向けてみる。
目の前のオルテナは綺麗だった。
漆黒の髪をアップで結いつけ、剥き出しのうなじにからは、とんでもない量のフェロモンが放出されているに違いない。
服は肩と背中がガッツリ空いたタートルネックといった感じの黒のドレスで、前面は生意気そうに胸元が盛り上がっている。冒険者とは思えないほど綺麗な肌と華奢な体格、彼女が普段は剣をブン回すSランカーだと言っても誰一人信じないと俺は断言できる。
それを裏付けるかのように、周りの男どもが彼女を「チラ見」ではなく「ガン見」していた。連れの女性に窘められている人もいるくらいだ。
それと同量の羨望、嫉妬、殺意が入り混じった視線を俺に向けられている気がするが、気のせいではあるまい。
当のオルテナさんの方は全く気にせず、紅い眼をそれはもうキラキラ輝かせ、美味しそうにジュースを飲むノリちゃんをうっとりと眺めていた。
俺は少しだけ居心地が悪くなって、間を持たせるようにエールをちびちび口に運ぶ。だいたい、いくら綺麗だといっても、あの生意気おっぱいは別に俺のものでもなんでもないのに、羨ましがられたって逆に悲しくなるだけだ。
考えてみると、こうやって女の子とご飯を食べた経験なんてほぼ無いに等しい。ドロテアとは何度か食事をしたが、186歳の彼女を「女の子」と呼んでいいのか正直俺には判断つきかねる。どちらにしろ世界最強の俺だが、そっち系のスキルは皆無なのだ。
気を遣いながら当たり障りの無い会話をして料理を待っているとスープが来た。少し緑がかったクリームスープだ。
間が持たなかった所だったので、正直助かった…… と思いながらスープを口に運ぶ。
「うまい……」
なんだろう、溶かし込まれた野菜が、隠し味程度に苦味を利かせ味に奥深さを与えている。豆ではない、アスパラ、いや何だろう……
「うまいだろう?」
嬉しそうに言うオルテナさん。
自分の宝物を見せて自慢する子供のような笑顔に、そういえばこの子は年下だったよなと今更ながら気付く。単純なことに、そう思うと変な気後れが無くなってきた。
やっとノリちゃんを気にする余裕ができて彼女に目を向けると、ノリちゃんはスープを見ながらチラっチラっと俺に視線をやっていた。
こんなことに気付かないほどテンパってたのか、と内心苦笑しつつ声をかける。
「ノリちゃん、ふーふーして欲しいの?」
ぱあぁぁぁっ と顔を輝かせコクコク頷くノリちゃん。
俺は椅子をずらしてノリちゃんの席に近づくと、スープをふーふーして飲ませてあげた。
「あるじー! これおいしいなー!」
キャッキャッキャッ
ノリちゃん大喜び。
「イサオ、私もそれをしたいぞ!」
返事をするまえにオルテナさんは立ち上がり、椅子を持ってノリちゃんの横にくっつける。そしてそのまま座るとふーふーし始めた。
店員さんが何事もなかったように、置き去りになっていた料理とグラスをオルテナのところまで移動させ、一礼して去っていく。俺はその仕事っぷりに素直に感心した。
「ふーふー。はいノリちゃん、あ~ん」
「あーん」
血も繋がってなければ種族も違うのに、まるで親子のような微笑ましい光景だった。
俺が目を細めてその様子を眺めていると、通りかかった店員さんがにこやかに言った。
「気に入っていただけたようで何よりです。本日のスープはピーマンのポタージュでございます」
恭しく頭を下げる店員さん。
ピーマンか! なるほど、あの苦味と青臭さピーマンだったのか。
俺がこういう食べ方もあるのかと感心していると、ピーマン嫌いのノリちゃんがビクッと体を強張らせる。
「あるじー これぴーまん入ってるの……?」
「ああ、ピーマンのポタージュだってさ」
何やらウンウンと唸りだしたノリちゃん。
そして頭上に盛大な?マークを浮かべながら言った。
「でもなー これおいしいよ……?」
クリクリお眼目をぱちくり
「ノリちゃんはピーマンが嫌いなのか? 好き嫌いはいけないぞ?」
「あんなー ノリはぴーまんきらいでなー これはいっぱいおいしくてなー でもぴーまんがはいっててなー ノリよくわからんのー」
どうやらノリちゃんは、目の前の美味しいスープにピーマンが入っていることを理解出来なかったようだ。
ピーマンは美味しくない。
だから美味しい料理にピーマンは入っていない。
よって目の前の料理はピーマンが入っていない。
彼女はきっとこう考えたのだろう。ある意味とても綺麗な三段論法だが、世の中は理屈だけでは回っていない。
こうやって好き嫌いを無くしていく方法もあるんだなあ、と俺はちょっと勉強になった。
そんなこんなで俺は一段と気が楽になる。
その上美味しい料理と美味しいお酒が入ってくるとなれば口の方だって滑らかにもなるというものだ。
俺たちはそのまま気軽に話をし、酒を飲み、料理に舌鼓を打って、素晴らしい時間を過ごしていた。
丸テーブルに三人横並びという、ヘンテコポジションのまま料理は本日のメインディッシュへ。
「金毛牛のローストでございます」と運ばれてきた肉を一口食べて俺は目を剥く。
「これは……っ!」
「うまいだろう?」
確かに旨かった。
肉は柔らかく、噛むと絞った果実のように溢れ出る肉汁。火が通ってるのに生の肉を噛んでいると錯覚するほど繊維感がないしっとりとした舌触り。完璧だ。文句の付けどころのないメインディッシュだ。
だが違う。俺が驚いた理由はそこじゃないのだ。
忘れもしないこの味、恋焦がれて火傷しそうなほど求めていたこの味。17年間、当たり前のように食卓に置かれ、料理に使われ、体の芯まで染みついてしまっている故郷の味。
「醤油…… このソース、醤油が使われている……っ?」
「ショウユ……? なんだそれは……?」
そもそも醤油は味噌の製造過程から生まれたという説もあるくらいだ。だとしたら味噌だってきっと……!
なりふりなど構ってられなかった。たまらず俺は、配膳を終え、テーブルから離れていく店員さんに声をかける。オルテナが眉を潜めているがそんなこと関係ない。
「すみません! このソースなんですけど、これって醤―――」
――――なんだと! 私たちは貴族だぞ!!
突然の怒声
店員、お客さん、全員が何事かと店の入り口に視線を向けた。
「我々は貴族だ。席が用意できなければその辺の平民をどかせばいいだろう!」
「お客様、大変申し訳ないのですが当店では―――」
入口でもみ合う人たちがいた。一方はこの店の店員さん。もう一方は貴族を名乗る20代前半くらいの男たち。
「もういい! どけっ!」
貴族を名乗る男3人が店員さんを突き飛ばし、肩を怒らせながら店内に入ってくる。
俺が声をかけた店員さんが3人を止めようと向かうが、突き飛ばされて尻もちをついてしまった。
正直俺はイラついていた。もしかしたら4年間探し続けた調味料が調達出来るかもしれないところでのいざこざだ。
一瞬、俺が対応しようか悩んだものの、店的にも俺的にも平民が出しゃばったことで色々ややこしいことになりそうだと判断し、静観を決め込む。
すると、店内を不躾に見回していた先頭の男が俺たちのテーブルに目を止めると、ニヤつきながら近づいてくる。
俺はあからさまな面倒事の予感に内心ため息をついていると、先頭の男が、バンッ、と俺たちのテーブルに手を突き言った。
「そこの平民、さっさとどきたまえ。あ、そちらの美しい方はそのままで結構ですよ」
期待通り洗練されたセリフでした。
圧倒的にド真ん中過ぎて、逆に見逃してしまいそうなどストライク。もはや教科書にすら載らないほど正しい噛ませ犬の姿に、軽く涙が出そうになる。
俺が彼らの正しい啖呵に、どう返すのが正しいのかちょこっとだけ思案していると、
残念ながら、彼らは「正しくない」セリフを吐いたのだ
「どけと言ってるのが聞こえないのか、ああ、そんな下等なケモノに服を着せて喜んでる程度の知脳で理解出来るわけがないか」
――――あ゛ぁ?
◇ ◇ ◇ ◇
男が俺たちのテーブルにドンっと手を突き言った。
「そこの平民、さっさとどきたまえ。あ、そちらの美しい方はそのままで結構ですよ」
一斉に周りがざわつき出す。
大勢の客は、自分のところに火の粉が飛んでこないよう、身を縮めて俯いている。貴族らしき人たちも、同情の視線を俺たちに向けていた。
二つ向こうのテーブルでは「あの方は、あの十貴族のレーベル侯爵家の二男ですぞ、可哀想だが我々では何も出来んよ……」などと、済まなそうにこちらを見る貴族がいた。
それが聞こえたのか、ますます増長し、嗜虐的に顔を歪めた男がまくし立てる。
「大体、君とそこの美しい人とでは圧倒的につり合いがとれていない。これほど美しい人のお相手をするには、高貴な我々こそが相応しい」
他の2人も好き勝手言い始めた。
「下賤な平民が! さっさとそこをどけ! 貴様らはただ我々の言うことを聞いていればいいんだ!」
どんな育てられ方をしたら、同じ人をこうも見下せるのか理解に苦しむところだ。
身分制度を知識的にも感覚的にも受け入れ難い俺としては、ただ生まれた家が違うだけで、なぜこんなにも偉そうに出来るのかがわからない。
一応、そういうものだと納得しているし、郷に入ればなんとやらで、面倒事を回避するためにはそりゃ何とかするさ。
だけど、面倒事がわき目も振らず俺に向かってきた場合は一体どうしたらいいというのだ。
一人で食べに来ていたのだったら、「すんませんっしたー」とか言いながらすぐ退けるのだが、オルテナがいるので、勝手に決めるわけにもいかない。
んで、どうすんの? とオルテナの方を見たら紅い瞳が危険な光を放っておりました。やべえ、オルテナさんキレとる。
あ、死んだなこりゃ、
確かに平民は貴族に逆らえない。法は身分が上の者の暴虐を禁止しているが、実際その法がキチンと運用されているかというと、かなり怪しいのが現状で、おそらくは圧倒的に泣き寝入りが多いだろう。平民は貴族の横暴に耐えるしかないのだ。
だがSランカーともなると話は別だ。
彼らは最低でも各国騎士団の一部隊程度なら軽くあしらえる強者共で、どの国も喉から手が出るほど欲しい貴重な戦力だ。彼らが自国にいるというだけで、抑止力にもなるのだから当たり前だ。
そんな彼らが、せっかく自国で生活してくれているというのに、平民だからと言って理不尽な扱いを受けたらどうなるか。少なくともどこかに行ってしまうだろうし、最悪の場合、報復を受ける。これは冗談でも何でもない話だから困る。
実際、昔に、そうやってSランカーに墜とされた国があるというのだから笑えない。
といっても俺はただの木っ端冒険者。結局すべての矛先が自分に向いても実際困ります。
実に噛ませ犬な彼らは、望み通り噛ませ犬として扱ってあげるのが礼儀だとは思うのだが、俺は穏便に済ませるためにどうしようかを考えていた……のだが
「どけと言ってるのが聞こえないのか、ああ、そんな下等なケモノに服を着せて喜んでる程度の知脳で理解出来るわけがないか」
「あ゛ぁ?」
一瞬で振り切られた限界値、湧き上がるドス黒い感情、いつものような葛藤すらしない。後のことは殺してから考えればいいだけの話だ。
アリアを手に立ち上がった俺を、オルテナが右手で制す。
「私が対応する」
俺は間を外されて少しだけ理性を取り戻す。そしてションボリ俯いているノリちゃんを見て再び頭に血が上った。
「おお、美しい人、そこの薄汚い服を着た小僧より、高貴な我々こそあなたに相応しい。あなたもそう思うでしょう? 是非この後一緒に―――」
「私にとって血統などそこらの虫ほども価値が無い。血筋しか誇れるものが無い矮小な貴様らは私には釣り合わんよ。お引き取り願おう下賤の者よ」
見事な啖呵。
この場にいた客たちも、「よく言ってくれた!」とばかりに歓声を上げる。場の雰囲気も勝負あった! といった感じで、このまま男たちが捨て台詞を吐いて出ていくだろうと、誰もが思っていたに違いない。
だが、女性に袖にされ侮辱された彼らは、さらに恥を重ねることを選んだらしい。
「貴様ら……! 下民の分際で……!」
剣を抜かれたならば事はもっと簡単だったのだ。オルテナが軽くあしらい、名乗りを上げればそれで済んだ話だった。
「女の後ろで震えてるだけの腰抜けが!」
貴族の一人が、水差しに入ったワインをぶっ掛けてきたのだ。
あまりに予想外の攻撃に、若干対応が遅れてしまう。オルテナを軽く突き、俺も躱そうとしたところで、後ろにノリちゃんがいることを思い出して俺は固まった。
直後降りかかるワイン。俺の大事なパーカーに容赦なく広がる赤紫のシミ。
俺は怒るより先に悲しくなって「あぁー……」と間抜けな声を上げた。軽く涙目の俺。それを見たオルテナが実力行使に出ようと一歩足を踏み出した時だ。
それは突然だった。
―――パンッ
店内全てのガラス製品が同時にはじけ飛んだ。
悲鳴は上がらない。絶望的にも感じられるほどの圧力で、みな暗く冷たい海の底に突然放り出されたような錯覚に陥っているはずだ。
魔力爆発。
それも「超」がつくほど弩級の爆発だ。
元勇者の俺ですら背筋が凍るような魔力量と魔力濃度。オルテナなどは青ざめて、そのプレッシャーに立っているのがやっとだ。
その場にいた客の中にも、何らかの異常が起きたことに気付いている者がチラホラいるようだった。
そして俺はすぐに軽い酩酊感に襲われる。魔力酔いだ。
その魔力酔いとは別として、俺は頭に上っていた血が急激に引いていくのを感じた。
―――マズい!
俺ほどの使い手が魔力酔いを起こすような魔力の奔流など、人為的なものでは有り得ない。あるとすればそれは超自然的異常現象か、それとも―――
「……あるじを……いじめた……」
「ダメだノリちゃん! 落ち着いて!」
超高位種が、例えば「神」の名を冠する者が、本気の力を見せた時だ。
「あるじを……いじめたっ!」
「ノリちゃ―――」
―――ドガッ
咆哮ではない。魔力を魔法に変換したわけでもない。魔力に方向性を与えることすらしていない。
ただ、言葉を強く発しただけ。ただそれだけのこと。それなのに……
俺にワインをかけた男が消えた
音が鳴ったほうに目をやると、消えたと思った男が倒れていた。
狙ったのか偶然なのかはわからない。わかったのは男が吹っ飛ばされ、ドアに激突し、蝶番が破損したおかげで何とか死を免れたらしいという事だけだ。
「ノリちゃん! 主は大丈夫だから! 力を押えるんだ!」
ノリちゃんが激怒していた。
普段からニョーラと呼ばれ、バカにされることが多かった俺だが、それを聞いて、羽をパタパタ抗議の意を伝えることがあったとしても、彼女が本気で怒ったことなど無かった。なぜ今回はこんなにも怒っているのかわからないが、止めさせないと取り返しのつかない事態になることだけはよくわかる。
神竜の怒り、それは文字通り「神の怒り」だ。
神の怒りに触れた人の末路など、数多ある神話や御伽話からも明らかで、それに人の身で抗うことなど、想像上ですら許されていない。
まだ力を制御できない、幼いノリちゃんがそれをするということは、その怒りが無差別に撒き散らされることを意味するのだ。
今この瞬間発現しているソレを、俺がゴクリと喉を鳴らして確認した時、もう既に本気のノリちゃんには、俺ですら敵わないのだと知る。
しかしそれと同時に俺は思った。だから何だ? と。
そんな事で俺の気持ちは揺るがない。俺のすべき事が変わるわけがない。躊躇などあるはずもない。
―――ノリちゃんを守るのは俺だ!
「ノリちゃん――っ!」
彼女が纏う魔力の塊、『神威』に躊躇いなく両手を突っ込んだ。
バチバチと音を立てて『神威』が他の全ての存在を拒絶する。
常日頃俺が体表に展開している32の結界が冗談みたいに崩壊、皮膚がはじけ飛び、血管が千切れ、筋肉が断裂した。あまりの激痛に喉まで出かかっている悲鳴を必死で飲み込み、そして俺は
彼女を抱き寄せた。
◇ ◇ ◇ ◇
突然、フッと消え去った恐ろしいまでの魔力圧。私はその中心にいた人に目を向けた。
「ノリちゃん、どうしたの。そんなに怒っちゃ美人さんが台無しだよ」
イサオがノリちゃんを抱きしめながら語りかける。
イサオの肘から先は皮膚がズル剥けで、それはもうグロテスクな状況になっていた。血がプツプツと表面に浮き出ては滴り落ちて、床には血だまりが出来ている。
イサオは自身の血がノリちゃんの服を汚さないよう、二の腕を使って彼女を抱きしめ、穏やかな笑みを浮かべていた。
私は彼の胸で涙を流す彼女の背後に、数年前のあの日の自分を見る。
「だってなー……あるじの……だいじなぱーかーがな……」
「ただの服さ、ノリちゃんに比べたらこんなもの大事でもなんでもないんだよ」
ノリちゃんが、うえぇ……と、しゃくり上げながら言う。
「ノリのせいで……、ノリが、ふぐぅぅ……ノリがお洋服着てたからなー……」
「~~ッ!!!」
もう我慢などできなかったのだろう。イサオの目に、ぶわっと涙が溢れる。
〝下等なケモノに服を着せて喜んでる程度の知脳で″
貴族のこの一言が彼女を深く傷つけたのだ。
自分のせいでイサオが馬鹿にされていると、自分のせいで楽しい食事が邪魔されてしまったと。
そしてイサオが大事にしていたらしい服にぶちまけられたワイン。
私でなくてもわかる。それは貴族たちにとっては、ただの取っ掛かりに過ぎないのであって、因縁をつける材料に過ぎなかったのだ。もし彼女がいなくともイサオは別の部分を論われ、謂れ無き侮辱を受けていたのは間違いない。貴族はノリちゃんに暴言を吐きたかったわけではなく、イサオを退席させたかったのだから。
しかし彼女はそうは思わなかった。大好きな主が自分のせいで大事なものを汚されてしまったと思った。
優しい子だ。私は思う。
竜種。いわゆるドラゴンは、高い知能を有し、人語を理解し、知性をもつ生物に配慮し、干渉を嫌い、無駄な殺生をしない高潔な種族だ。
だとしても竜種が2歳から人の言葉を理解し、人と同じコミュニティで暮らすことなど有り得ないのだ。少なくとも私は聞いたことが無い。
高位に分類される竜種であっても、人の言葉に耳を貸すことなどせず、永い時を過ごす過程で知識を有し、緩やかに人格を形成してくのが普通である。不合理とも思える彼らの巨大な力が、その傲慢とも言い得る意思形成過程を容認するのだ。
そもそも低位の竜種は『亜竜』とよばれ、その本質は魔獣と変わらない。生まれ持つ強大な力を撒き散らし、高レベルの討伐ランクを付与されているものの、私から言えば、『普通の魔獣より強い魔獣』でしかない。
一体どこの世界に行ったら、人族を『あるじ』と呼び、ノリという名前と自我を認識し、人語を理解した上、2歳であると頭を下げる竜種がいるというのだ。
どこの世界に、自分が侮辱されても耐え、他人のために本気で怒れる竜種がいるというのだ。
私は確信している。
ノリちゃんは超高位種だ。そして、人と共に泣き、人と共に笑うことを選んだ優しい女の子だ。
因縁をつけてきた残りの2人の貴族は、とうの昔に「ヒィィィっ」と悲鳴を上げて逃げていた。客はざわつき、店員達は呆然としている。
私は二人の邪魔をしたくないと思った。何やら語り合っている内容は聞こえないが、きっと大事な話をしているのだろうと思う。
少して、責任者らしき男が店の奥から出てきて歩み寄ってくる。自身の皮膚であるかのように黒のベストが馴染んだ上品な紳士だ。
まず、抱き合う二人に向かって何か言おうとしたが、声をかけられず、私の方に視線を向けた。私が無言で首を振ると、全て解りましたとばかりに私に歩み寄ってくる。彼から何か言われる前に先に口を開く。
「迷惑をかけました。補償はするので、見積もりをください」
すると彼は、フッと笑うと言った。
「お客様には塵ほどの非もありません。非は、騒ぎを止められなかった私共にございます。したがいまして費用を請求する気など毛頭ありませんし、お代をいただく気もございません」
「だがそれでは筋が通らないでしょう。あなたがただって不当な費用を負うことになります」
「お客様……」
彼が一拍置いて語り出す。
「私共は自信を持って営業しております。提供した分以外のお代はいただきません。もし、心苦しい気持ちがあるのなら、またご来店下さいませ。今度こそ最高のサービスを提供させていただきます」
その力強い言葉に、周りの客たちも自分たちがするべきことを思い出したようだ。『楽しい時間を満喫する』。何よりも上等な娯楽を取り戻した客たちは、次第に元の明るい店の雰囲気を形成し出す。ドアの有無など重要な要素ではなかった。
私が身を置く白刃煌めく世界の住人ではなくとも、信念を持って仕事をする人には敬意を表すべきだ。
「また寄らせていただきます」
「心よりお待ちしております」
困ったな、またこの街に滞在する理由が一つ増えてしまった。
私は抱き合って見つめ合う彼らを立たせると、「とりあえず今日は帰ろう」と店の外へと導いた。
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泣き疲れて寝てしまったノリちゃんを抱っこしての帰り道。俺は横を歩くオルテナに謝罪した。
「なんか、悪かったなオルテナ」
ズタボロになった腕はとっくに回復済だった。オルテナも参加したオーク討伐は回復職として活動していたので、別にそれほど違和感はないはずだ。
色々あったが、またノリちゃんと絆を深めることにもなったので少し満足な俺。
オルテナが優しく微笑みながら言う。
「いや、私もこの街に滞在する理由が一つ、いや二つも増えて悪くない気分だ」
どこか満足そうなオルテナさん。この街に滞在する理由が増えたって、何があったんだろうか。まあ考えても俺にはわかるまい。
それより俺はどうにかしてもう一度あの店に行きたいと思っていた。あのソースにはおそらく醤油が使われていたからだ。
こちらに来てから初めて口にした故郷の風味に、諦めていた「ノリちゃんに和食を食べさせる」という野望がまた再燃していたのだ。その時にはオルテナにも振る舞ってやろう。
途中で「私はこの辺だから」と言うオルテナと別れ、俺たちは家のある一般区を目指す。
ノリちゃんの愛らしい寝顔をガン見しながらてくてく歩いていると、後ろの方から人が近づいてくる気配がした。
俺は一瞬で身構え、背後に向かって牽制する。
「誰だ!」
すると何人かのお共をつけた、貴族らしい男が歩み出てきた。
「私はベルト・カイナッツォ。レストランでの一件、見ていたよ」
俺は警戒を強めて、ノリちゃんを起こさないよう彼女に強めの結界を張る。
だがベルトと名乗った男は意外なことを口走り出した。
「君の腕を見込んで依頼をしたい。今日はもう遅いし、気分も乗らないだろうから、明日訪ねて来てくれないか? 何なら私が訪ねたっていい」
ノリちゃんの圧倒的な力を見られた後での接触だ。ウラが無いと素直に聞くのは軽率に過ぎる。
無言で返す俺を責めるわけでもない口調でベルトが語る。
「もちろん任意の依頼だから受ける受けないも任意だ。大まかな内容は『娘クルルの護衛』だよ。詳しくは明日話したいが聞くだけ聞いてはくれないかね?」
今すぐどうこうという話でもなさそうだし、あくまで依頼だと男は言う。
俺は、いざとなれば何でもやるが、意思疎通が出来る人間とは、出来るだけ話し合いでなんとかしたいと思うタチだ。
それに俺をどうにかできる人間がいるとも思えないし、話を聞くだけならタダだろう。何かウラがあるにしても、懐に飛び込まないとわからないこともある。どちらにしろ話を聞くのは有用だと判断した。
だから俺は話は聞く旨を告げると、家の場所をきき、明日訪問する約束をした。