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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
37/59

金色のブレイブ・ハート・ストーリー⑤

魑魅魍魎跋扈する政治という世界において、何が一番重要な要素だろう。

 金か? 

 確かに金の力は強大だ。利益という甘露の前で人はその取り分を巡って争わずにはいられない。何をす るにも金がなければ事は動かないし、金さえあれば大抵のことは何とかなる。

 だが大局的に見た場合、金の切れ目は縁の切れ目という言葉の如く、利益調整がつかない場面において金の力というのは悲しいほど脆弱だ。

 また、宝の持ち腐れという諺が皮肉るように、事を成すことの出来る者がいなければ金など無価値に等しい。


 ならば人材か?

 人材は重要だ。困難を乗り越えるも不可能を可能にするも、終局的には「人」がそれを成すのだ。

 何をするにも大前提となる必須要素として人材はある。

 だが、人は上手く使ってこそ「材」となり得る。国とは生き物、人とは細胞。

 まつり事を執る以上、個々が有能でも勝手気ままに動かれたのでは出来ることだって出来はしない。それに喜怒哀楽といった感情に左右される不安定な結論だけを信じるわけにはいかない。政治は博打ではないのだ。


 ならば信念か? 

 重要だろう。確固たる信念は時として利益も思惑をも超えて世界を動かす。信念に基づいた行動は、一定の方向に安定的な結果を残す。

 だが、そもそもが利益相反関係にある相手と折衝をするような場合はどうしたらいいだろうか。

 相容れぬ信念を持ち互いの利益や思惑がぶつかり合う、例えば外交がそうだ。

 それは、鋼鉄の如き固い信念がぶつかり合い火花を散らし、傷つき身を削り、そうして互いの形を互いに合わせていく、そんな意思形成過程で重要なもの。


 それは情報だ。


 人が情報を扱い、情報が人を操る。

 正しい情報に基づき政策が立案され、それに金と人が投入される。そしてまた情報が吸い上げられ更なる施策へと発展していく。

 全ては情報に始まり、そして情報に終わるのだ。政治とは如何に多くの情報を集め、如何に正確に分析していくかに全てが掛かっていると言っても過言ではない。

 そして今、殺風景ともいえる広い部屋で円卓を囲む3人の人物は、それぞれが情報の重要性を理解した者達だった。

 ひたすら情報をかき集めて分析し、それを言葉という武器に乗せて精神を削り合う「協議」という名の戦争、これを行う当事者たちが大陸3強の代表者ともなると、その一言に乗せられる重さも計り知れない。


「クリシュナ殿下。先ほど申し上げた通り、我が国としてはイサオ・イガワの身柄引き渡しを要求いたします」

「引き渡し……ですか……?」

 

 ここまで歯に衣着せぬ要求は通常では考えられない。

 敵陣のど真ん中で行う交渉はやはり当事国に配慮すべきだし示すべき礼儀が有る。

 何より交渉事という砂の城は、外堀埋めから始まって薄く薄く積み重ね、相手が気付いたら建っていたという状態に持っていくのが常道。

 それらすべてをすっ飛ばして放られた爆弾は挑発ととられても仕方がない。

 それなのにどこか不敵に嗤いながら言葉を投げつけるレガリア代表公使。

 【荊姫】クリシュナ・グングニル相手に小細工など無駄だという判断がそこにはあった。そして荊姫相手に堂々と言ってのけるサイードの胆力は相当なものと言える。


「ええ、そうです。イサオ・イガワは我が国レガリアが召喚した【勇者】。これは当然の要求です」


 すると、見る者全てが吸い込まれる様な微笑を浮かべていたゼプツェン皇国第一王女、クリシュナグングニルは更に深い笑みを刻んで口を開いた。


「黒の勇者イガワはレガリアの朝敵だと伺っておりますが?」

「朝敵として裁くも戦力として使うも召喚した我が国の権利でもあり義務でもある。当然の理屈だと思いませんか?」

「随分とメリットの無い義務ですね。まあその辺は良いです。お互いに追求すべきは国益。そうでしょう?」

「ならば―――」


 花開くような満開の笑みを浮かべるクリシュナ。身を乗り出す様に彼女に食らいつくサイード。


「どちらにせよ答えは『NO』ですよサイード閣下。理由は申し上げなければなりませんか?」


 サイードはピクリと眉を痙攣させた。当然ともいえる返答に肩透かしを食らったわけではないが、前のめりになったところ、スウっと引かれたのも事実。当たり前の応酬の中、そう思わせる彼女の手腕が尋常ではないのだ。

 もう一人の男、カイエンは微笑を絶やさず成り行きを見守っている。


「イガワ、彼は合法的に我が国に滞在する冒険者である以上、私共は彼を拘束する権限を持ちません。彼の素行はすこぶる良好、善良な市民で犯罪者でもない。よって建前上ではありますが彼に発令出来るのはギルドとの有事協定に基づく『緊急招集』のみ。有事でもない今、そういった有形力の行使は出来ません」


 それはある意味、いっそ清々しいほどの建前論。問の答えになっていない事は言っている本人が一番よくわかっているはずだ。だからそれを何とかしろと言われているのだから。

 しかしそれを口にした当の本人は白々しくも、困ったとばかりに首を振る。


「はははっ! 【荊姫】ともあろう方がこの場で通用するはずもない詭弁をっ!」

「勘違いされては困りますよサイード閣下。我が皇国は皇権主義ではありますが立憲的法治国家です」

「それを詭弁だと申し上げてるのです」


 食い込む口実だとばかりに手を休めないサイード。

 しかしここで美しき道化は恐ろしく薄く目を開いた。


「政治体系のとやかくは内政干渉と解釈いたしますが、それが貴国の公式見解ということでよろしいですか?」


 たとえ(なまくら)も武器となる。ここぞというタイミングと技量さえあれば一撃で殺傷可能な凶器となり得るのだ。

 本来は通用しないハズの建前とてそれは同じ。理を前提とする建前だからこその強みがそこにはある。

 知らぬ間に議題を内政干渉の次元まで引き上げられた事に目を白黒させるサイード。それは国家間における間接的な侮辱だからだ。


「い、いえ…… 内政干渉など、そのような事は……」

「本人が貴国に行くというのならば止めはしませんし邪魔もいたしません。個別の接触を公的になされても構いません。我が国にそれを止める権利が無いのですから堂々と勧誘なさったらどうですか?」


 それは些細な棘。

 暗に、イガワ本人が行く気が無い事を知っているぞ、と、何があったのか我々は把握しているぞ、という牽制。

 たかだか引っ掻き傷にしかならない小さな棘が、いつしか全身を縛る荊になる様な気がして身を震わせたサイードは、溺れて踠く獣が呼吸を求めるように口を開くしかない。


「わ、我が国での罪状がある! イガワは我が国においては犯罪者なのだ!」


 蕩ける様な笑みを浮かべながら鼻で嗤うという芸当をやってのけたクリシュナが、謳う様に語りかける。


「貴国は我が国において犯罪者の裁断権を有すると、そう仰っているのですか? 貴国と締結した条約でそのような条文は存在しないと認識しておりますが?」

「ならば捜査協力を要請する! 貴国と合同で取り調べを行う。これは大陸合同会議での宣言に悖る正当な要求だ!」

「ですがイガワは我が国で明確な犯罪を犯したわけでもなく、ギルドが一定の身分保証をする以上、ギルドとの調整が必要です。我が国とギルドの協定における『冒険者の身分保証に関する権利と責任範囲』に関する条文を御覧になりますか?」


 取りつくしまも無い。粗探しにもならない。

 実用性の無い正論が持つ強みを最大限に利用した形だ。

 サイードが奥歯を噛み締める音が、広くも無い円卓に木霊した。

 すると、今まで静観を決め込んでいたカイエンが微笑を深めて動いた


「まあまあサイード卿、ところでクリシュナ様。我が国の駐在公使が行方不明になっておりましてね」


 密室。円卓を囲み、其々の護衛すら立ち入る事の許されない3者だけの閉じた空間。

 だが、その瞬間、確かに不穏な風が円卓を吹き抜けた。


「リグル大使ですね。我が国での出来事。我々としても深く憂慮しております」

「恐縮です。たかが一公使のことを気にかけて下さるとは、慈悲深き御心に感謝申し上げます」


 儀礼的に交わされた形式的な言葉であったにも関わらず、思わずサイードは身震いする。その言葉に潜むあまりにも粘着質な隠しきれない感情が剥き出しになっていたからだ。

 言葉という皮に包まれた凶悪な刃が今にも抜き放たれそうな、そんな危うい空気が一瞬で充満したのだ。


「ですがね、公使の行方がわからなくなった日、勇者イガワが彼と接触していたとの報告を受けまして、公使の足取りを掴むためにも勇者イガワには是非聞きたい事があるんです」

「カイエン枢機卿。あなたはイガワと共に魔王討伐の旅に出たまごう事無き救世の英雄。その大義を成し遂げるまで多くの苦楽を共にした真の仲間でしょう。それこそ国や立場を越え、個人として旧交を暖める良い機会なのでは?」

「ははは。そうしたいところではあるのですが、こうも不相応な立場になってしまうと自由に動けなくなってしまうんですクリシュナ様。彼は今や『神敵』と認定された異端者。我が国の神意執行部がその身柄を欲しています。例え大司教たる私であろうとも身勝手に動くわけにはいかないんですよ」


 美しき微笑と共に細めていたクリシュナの目が、笑みとはかけ離れた形でスウっと細まる。優美な角度で吊り上っていた口角が凶悪に歪んだ。

 隠すことが出来なくなっているのか、それとも隠すつもりが無いのか。


「それは十字教主神アラウネの名の下に、『神意執行権』を行使するというという意味ですか?」


 『神意執行権』

 それは神国であるマイノリア聖王朝のみが発動を許される権限。法に縛られず、全ての条約に優先し、あらゆるルールに無視する最凶の強権だ。

 その根拠は極めて単純。128年前、神意執行によりトロイア共和国が大陸の地図から消えた時、当時の教皇が言ったとされる文節の中にこんな言葉がある


『国も法も人が作った物であり、神意は神の意思である』


 人の叡智を集めた如何に尊きものであろうとも所詮は人の産物。神の意思の前では塵に等しい。そういう理屈だ。

 その宣言の前では小国も大国も何もない。種族、性別、思想、年齢、善悪、全てが関係無い。経緯や事実すらも関係無く、それがひとたび発動されたならば、その先に待っているのは一国の王とて口の挿む事許されぬ神意という名の究極の理不尽。

 国境を越えて大陸全土に広がる十字教が誇る数の暴力そのものだ。

 

「それは神のみぞ知る事です」

「へえ…… でもそれって……」


 大陸全土を敵に回すその宣言の前で、如何に最強の勇者と言えども打つ手はない。

 一騎当千がまかり通ると言ったところで物には限度というものがあるからだ。少なくともイガワが大事にする『日常』は悲しいほど無残に砕け散る事だろう。

 個人に対するには大きすぎる力をカイエンはチラつかせている。

 なぜそこまでマイノリアがイガワに拘るのか、なぜ一時とはいえ苦楽を共にした仲間にそれほどまでの狂気を向けられるのか、なぜ【魔王】を名乗る者ではなく元勇者に矛先が向いているのか。初耳だったサイードですら違和感に眉を潜めた。

 すると、クリシュナはワザとらしく小首をかしげると、何でもないかのように言い放ったのだ。


「でもそれって…… 貴国の偉い方がお決めになるのでしょ?」

 

 空気が凍る。サイードはごくりと唾を飲んで発言者に目をやる。

 稀代の美姫の顔に浮かぶのは凶相。

 芸術とまで評される美しい釣り目など一欠けらの面影すら無く、そこにあるのは能面のような切れ目。

 そこから微かに覗くエメラルドの瞳は、世間で謳われる宝石であるはずがない。不自然に吊り上った頬には嘲りの感情がありありと浮かんでいた。


「殿下、恐れながら申し上げますが、言葉に気を付けたほうがいい…… それではまるであなたが神意を貶めたように聞こえてしまいます。

 

 冷や汗を流しながら今度の発言者に目をやる。

 世界の英雄の顔に浮かぶのは鬼面。

 そこには聖職者などという文明人はいない。笑みの形で細められた目からは邪眼が覗き、獲物を狙う獣のように正面の夜叉女をねめつける。

 視線のぶつかる机上で散るのは火花ではない。もっと醜悪で濁った何かだ。

 互いの吐息を酷く生臭く感じてしまったのは決して間違いではないはずだった。


「あらそれは失礼いたしました。もちろん神意を疑うなど、そんなつもりは毛頭ありません個人としても、我が国としても」

「ええ、そうでしょうとも。もしそうであったとすれば一大事だ。我らが敬虔な教徒たちが黙っているはずがありませんからね」

「ふふふ、それに神様はそんなに暇ではありませんわ。わたくし如きの妄言を吟味するほど平和ではありませんもの」

「ははは、これは一本とられた。まあそれはそうと……」


 笑えるほど軽い言葉が空中でぶつかり、カラカラと崩れ落ちる。ここは戦場だ。

 そもそもゼプツェンとレガリア・マイノリアは友好関係にはない。政治体系も思想信条もまるで違う国家だ。もしゼプツェンという国が魔境の防波堤となっていなければとうの昔に潰し合っているはずの国だ。

 聖魔戦争以前から根強い差別。そして大戦のさ中に台頭した十字教。

 そうして魔族を討つという大義名分の下に常に魔境最前線に送られ続けた異種族たちの鬱憤がゼプツェンという国の土台にはある。

 それは現在に時代を移しても本質は変わらない。各地で迫害を受け、逃げ延びた先にゼプツィールという国は在るのだ。

 今や人間も多く暮らすゼプツィール。魔境に接し多くのマテリアルが集まる一大生産拠点として栄え外貨を稼いでいる。

 多くの冒険者が集まることで人も情報も集まり、彼らの営みとして落とされる金が周辺地域を潤す。今や大国レガリアですら容易に喧嘩を売れない強国となった。

 そんな地域に、布教しないという選択肢が十字教にあるはずもなく、かといって神の加護を「人族」に限定解釈する主流派が入り込めるわけもない。

 そうして様々な思惑が交錯する中で生まれたのがリバデンス派だ。

 悲しいほど無知な市民の献身を嘲笑うがの如く、リバデンス派と主流派は大元で繋がっている。

 クリシュナが神を軽んじる態度を見せるのも、彼女がそれを知っているからだ。


「公使の話ですが、行方不明になる直前イガワと接触していたという話を耳にいたしましてね。本当だとすると重要な手がかりです。我々としては一度彼に尋問したいのです」

「それはそれは、ですがおかしいですね?」

「何がおかしいのですか?」

「我が国の記録によるとリグル大使が失踪された日はちょうど魔獣大侵攻があった日なのです。イガワはその日の戦争に参加しておりました。そして……」

 

 カイエンがさも驚いた言わんばかりにワザとらしく大きく目を開く。

 クリシュナは爛れた笑みを崩さぬまま頬を歪めた。


「そして参戦直前まで西のグリーデルの丘にいたことが確認されております。さて、リグル大使はどちらでイガワと接触したのでしょう?」

「お聞きしても?」

「何か?」


 それは勝ち誇ったかのような、あるいは嘲るような強者の笑み。

 カイエンはどこか笑いを堪えるように鼻を鳴らし、方頬を吊り上げて言い放った。


「グリーデルの丘、そこで一体彼は何をしていたんですか?」





◇ ◇ ◇ ◇





カイエンはどこか笑いを堪えるように鼻を鳴らし、方頬を吊り上げて言い放った。


「グリーデルの丘、そこで一体彼は何をしていたんですか?」


 ぐちゃり

 そんな音が聞こえた気がした。それがクリシュナが浮かべた凄絶な笑みがそうさせたのか、円卓に漂う醜悪な気配が具象化したのか、サイードにはわからない。


「害虫…… 駆除ですよ、枢機卿?」


 汚物をまき散らすかのようにドロリと漏れたセリフが腐臭を放っているような気がして吐き気を催す。 


「ええ、確かに害虫駆除だったのですわ大司教様。あろうことか、大侵攻の混乱に乗じてこの街に攻撃を仕掛けてきた虫けら共がおりましてね、報告によると47匹も。おぞましい! そうは思いませんか枢機卿?」

「ははは。それは難儀でしたねクリシュナ様。してその虫退治を勇者イガワがやってのけたと?」


 円卓に肘を載せて腕を組み、口元を隠したカイエンが爬虫類のように上目使いでクリシュナを覗き込む。

 軽く横を向いていたクリシュナが、血走った瞳だけをゴロリと動かしその視線を迎え撃った。


「……弩級超広域殲滅魔法サギタ・マキナ。そういえば複合系聖魔法の禁呪でしたわねえ。聖魔法を使える虫というのも中々珍しいですわ。駆除が間に合って本当に良かった」

「何が……言いたい……?」

「何も。イガワが駆除に参加したかはわかりません。彼は暴力的な行為を忌避するという報告を受けてますしね。ただ彼がゼプツィール西側数キロに及ぶ結界を張り、降り注ぐ光の槍から我が国民の命を守ったというのは間違いないようですわ」


 血生臭い茶番劇の舞台裏を知ってなお歌い踊る両首脳。今この瞬間に宣戦布告がなされてもおかしくない。

 台本すら無いこの劇の終着点がどこなのか、互いにそれを探しているには台詞が過激すぎる。

 組まれた手でカイエンの口元は見えない。怒りを堪えているようにも笑いを堪えている様にも見える。

 一方クリシュナにも言ってやった優越感など微塵も無く、ただ血走った流し目でもって凍える様な無表情を維持していた。

 どちらにせよ感情の高ぶりを押さえて冷静を努めようとしているのは間違いない。

 砂上の均衡、そんな危うい静寂は一瞬だった。

 カイエンが組んでいた手を解く。露わになった口元は片方だけが不気味に吊り上っていた。


「おかしいですねえ……」

「何がおかしいのですか?」

「我々に来た報告では、我が国の旅の修行僧47名が何者かに無残にも殺害され、現場に急行したリグル公使が行方不明になったと、そう聞いています。そんな神に弓引くような蛮行がなされたのがその日のグリーデルの丘」


 場に下りたのは不自然な沈黙。

 邪悪に口元を歪めるは聖職者。瞬き一つ無いまなこから醜光放つは美姫。 


「その時イガワがグリーデルの丘にいたのだという。これはもう決定的ですねぇ。目撃者として、もしかしたら当事者かな? これは極めて重大な懸案事項だ。両国の誤解を解くためにも、我々は彼の引き渡しを要求いたしますよクリシュナ殿下」

「うふふ、それこそ我が国に戦争行為を仕掛けた蛮族が貴国に由来するように聞こえてしまいますよ? 今の論理はそれを前提としています。よろしいのですかカイエン枢機卿?」 


 サイードは思わず息を呑む。

 確かにゼプツィールまでの旅程において、イガワの身柄確保は最高成果目標としてすり合わせを行ってきた。

 だが十全な要求が通るほど外交という場は甘くない。困難を極める事など予想の内であったし、身柄引き渡しは要求であって必須目標ではない。

 レガリアとしては来年、自由都市バルバロッサで開催される大陸合同会議グランディアにイガワを引っ張り出せれば御の字。出来なくともその場での公式議題として挙げるための材料を揃えられれば良いし、あわよくばその際に行われる大陸闘技大会グランドールへの参加の言質をとれれば良いと、比較的ハードルの低い交渉になるはずだった。

 マイノリアとしても【魔王】を名乗る者を放置しているゼプツェンの怠慢を根拠に楔を打ち、それに絡めてイガワを糾弾することで何らかの譲歩を引き出すことを初手としていたはずだったのだ。


 それがどうだ。

 蓋を開けてみれば今この場で戦端が開かれかねない程の言葉の応酬。紙程の厚さも無い極限の均衡。

 デッドラインはもう足元にある。自殺志願者でもない限り越える筈の無いその一線を、目の前の2人の体は空中で越えてしまっている。着地する足先の向きによっては大国レガリアとて無事ではいられない。

 カードの切り合いなどではない。無防備な殴り合いですら生ぬるい。それは互いの肉を晒した斬り合いだ。

 サイードが顔面を蒼白にしながら、この場を収める言葉を探していると、味方であるはずの美しい青年は無邪気な笑みを浮かべながら口を開いた。


「何を言っているのですかクリシュナ殿下? 47名の修行僧は敬虔なる神の使徒。貴国に放たれた禁呪とは何ら関係無いと認識しております。そもそも証拠もないのでしょう? 我々は罪無き彼らがなぜ殺害されなければならなかったのか、誰がそんな許されざる事を行ったのかを明確にしなければならないのです」

「罪なき彼等……? 関係……無い……?」

「ええそうです殿下。我々はこう考えています。神に祝福された『人』がそんな恐ろしい事をするはずが無い、と。それはおそらく、その事件と同時期にこの街に現れた【魔王】を名乗る異端者が悍ましい所業に出たのだと。その者こそ滅さねばならないこの場に居る我々共通の敵であると!」


 そこか!

 同盟国が描いた画に思い至りサイードは思わず唸る。

 建前では絶対に庇い立て出来ない存在【魔王】。

 それが本当かウソかはこの際関係など無い。魔族は人類共通の敵であって、その総大将を名乗る存在がいる。

 それは決して冗談で済まされる事ではなかった。

 邪魔したら神敵、庇っても神的、不作為も神敵。

 この年若い枢機卿は、切りどころを間違えれば喜劇にしかならないジョーカーを、ここしかないタイミングで切った。蛮勇とも言い得るその戦術は、確かにこの国の、【荊姫】の懐を深く抉ったのは間違いない。

 そして今回、これを見越してか、カイエンは聖12騎士ゾディアックを連れてきている。十分な戦力と根拠をその手に握っているのだ

 すると今の今まで浮かべていた凶相を引込めた荊姫が、今度は蕩ける様に淫靡な微笑を湛えて言い放った。


「……巫山戯るなよ?」


 地の底から響くような呪詛が、極上の娼婦のような笑みを浮かべた美姫の可憐な唇から這い出てきた時、今日一番の悪寒がサイードの背を駆け抜ける。

 粘つく視線が、爛れた吐息が、それら全てがサイードの思考を逆撫でる。

 今まで垣間見えていた狂気が、我慢などする必要が無いとばかりに巻き散らかされていた。

 それは今まで外交という名の表面上の削り合いでは決して見る事の出来ない【荊姫】の素顔。

 天使の仮面の下に潜むこちらの方こそがこの女の本質だと理解した時、サイードは言い様の無い恐怖に襲われた。この女も間違いなく化け物だ。


「……わからないのか? 見逃してやると言っているんだ腐れインポ共が……」


 密室。

 護衛すら排された3者だけの空間。立会もなければ議事録も無い。公式会談という名の非公式交渉。

 だからこの暴言が表に出る事も無い。だがそれは本質ではなかった。


「こっちは5千からの血を払ってるんだ……。それを無かった事にしてやると言っている。それでも満足しないならばそれ以上の血で払ってもらうぞクソったれが。クソったれの神の名の下にクソみたいな汚ぇキンタマ握り潰してクソ神様のクソ供物にしてやる…… 絶対にだ……」

「だ、誰も証する者がいない場だとしても今の暴言は無視できませんぞ殿下!」

「黙れクソったれ……」


 思わず声を荒げたサイードに対し、満面の笑みを浮かべたクリシュナが冷酷に告げる。

 彼女が相手を甘く見ているわけでは無い。確かにここにいるのは第一皇女、公使、大司教といった者達だ。だが最高権力者ではなくとも国という生き物は動く。分離独立した脳によって総合一体的に動くのが国という組織である。だからクリシュナとて先程の発言の危険性については十分過ぎるほど認識している。だが彼女はとまらないのだ。

 感情の制御が効かなくなっているわけでもない。恨み節だけで政がまかり通るならば、世界はとっくに七色に染まっているか、終わる事無き憎しみの連鎖で滅亡している。外交のスペシャリスト【荊姫】がその程度のことを知ら無いはずが無い。単純な話だ。ここがゼプツェンの何が有ろうとも譲れない分水嶺だったのだ。

 すると今度は先程までの邪気を消し去り、年相応の少年のように爽やかな笑顔を浮かべたカイエンが口を開いたのだ。


「ははは、インポとは恐れ入ります。試したことがないので僕にはわかりませんよ」

「それは意外ですね! やけに童貞臭いと思っていたんですよ枢機卿。この際一生使う事の出来ない体にして差し上げましょうか?」

「ははは。クリシュナ様、あなたは本当に面白い方だ。あははは」

「うふふふ」


 まるで談笑。

 それは気の合う友人たちが卓を囲む、そんな有り触れた風景。

 楽しげに口を押え、腹を抱え、さも気の利いた冗談を言い合った。場にながれるのはそういう種類の空気。

 その前後を知らない人たちが見たら、気の許せる友人たちの和やかな一コマに見えるだろう。

 ここで執事が薫り高い紅茶でも入れようものなら、オチも無いつまらない昔話で笑いあう様な。

 そんな和やかなやり取りの終着駅で、カイエンは目筋をぐにゃりと歪めた。


「その汚らわしい口を閉じろ売女が」


 濁り切った目、いびつに歪んだ口元からヌラリと飛び出した赤黒い舌が口端をチロリと舐める。

 急激に氷点下まで下がった円卓にはもう「調整」とか「議論」とか、そんな文明的要素など欠片も無い。隙あらば臓腑を抉り、目玉をくり抜き、肉をしゃぶり尽くす、そんな極めて野蛮で原始的な要素しかない。

 蠢くのは殺意に満ち満ちた2匹の獣。

 飛び交うのは暴言の嵐。暴言自体を咎める空気すらもうこの場には無かった。互いの領域に設定されてしまった分水嶺を、舌なめずりしながら爪を研いでいる。両者踏み込まねばならない。だがそれを許すつもりは無い。


「【荊姫】。これは不当な要求ではない。そもそも先の修行僧に関しては貴国に何らの敵対行動もとらなかった敬虔な教徒であるというのが我が国の公式見解だ。それ以上でも以下でもない」

「その建前が貴様らの本音か。それが貴様らが用意した落としどころか?」

「これは神意だ。端的な事実として今この国に【魔王】を名乗る者がいる。諸悪の根源たる存在が大手を振って歩いている。これは罰さなければならない。神の敵は滅さなければならない。何においても何よりも優先事項として神の徒である我々の権利である以前に義務だ。これは明確で客観的で根拠を主張するまでも無い赤子でもわかる論理だ。誰もが首を縦に振り正当性を担保するでしょう。まさかこれに反論はないでしょう?」


 その事実に反論などできるはずが無かった。

 『魔族は敵である』それは主義も協議も関係無く人類が掲げる共通認識でなければならないからだ。他民族を許容するゼプツェンとてその価値観からは逃げれない。800年前より続く魔族との闘争こそがこの世界の史実なのだ。


「なのに貴国は一体何をやっているのですか? 確かな情報として上がってきていますが、つい先日、あろうことかこの皇城にまで【魔王】はやってきたそうではありませんか。しかも堂々と名乗り、食事会と称した歓迎会すら開催してみせたそうではないですか」

「敬虔なる十字教徒の中に犯罪者がいる。どんな温厚な民族においてもイカれた個人が生まれてしまう。その逆もまた然り。魔族の中に友好的な存在もまたいる。我がゼプツェン皇国はそれを許容する。これは次回の大陸合同会議(グランディア)でも公言するつもりの我が国の公式見解だ。自称【魔王】だろうが、ギルドからの人道的評価も高い善良なる元勇者が保証すると言う以上、我々は我々の認識に基づいて判断する。彼女は敵ではない」


 無数のミクロの束をマクロと呼ぶ。

 マクロのレベルで揺るぎ無き価値観があったとしても、ミクロのレベルではその限りではない。その論法に矛盾は無い。だがその優しき論理が通用するかどうかはまた別の話だ。


「例外は無い。いいですかクリシュナ様。我が国そして十字教の総意として例外は認めない。自国であろうが他国であろうが、その認識だけは譲るつもりは無い。今から言うのは貴国の友人として心からの忠告だ。いいですか? クリシュナ殿下?」


 サイードがゴクリと唾を呑込むのを横目に、クリシュナが軽く眉を潜めてカイエンを促す。


「我々は我々の力で以て【魔王】を滅ぼす。事実か虚言かは問わない。ただ間違いなく言える事は、この街で大手を振って歩く魔族の女を神の意思の下、撃滅する。もし邪魔をするようならば……」


 瞳孔の開き切った濁眼でカイエンにねめつけるクリシュナの口端が嘲笑するかのように歪んだ。

 むしろ破滅を望んでいるかのように悪魔的に吊り上る頬が酷く攻撃的だった。

 このままでは終わらない。予感と表現すべき確信は否応なく円卓を吹き抜け、その風に中てられたサイードは軽く俯く。時代の分岐点に居合わせてしまった、そんなささくれ立った陶酔感を胸に、一人隠れて醜悪な笑みを浮かべた。


「もし邪魔をするならば…… 貴国に『聖戦』を宣言することになる」


 時代が動く。何かが、決定的な何かが、今この場で動き始める。

 それは殺し尽くすか殺し尽くされるか、終わり無き蹂躙の連鎖。一たびそれが宣言されたならば誰もがこのままではいられない。800年前に宣言され、永遠に続くとも思われる魔族との闘争がそれを証明している。

 無慈悲で苛烈な仕打ちを受け、神などいないと血涙を流した過去の魔族達。それを齎すのが神の使徒というのは何たる皮肉であろうか。

 そんな究極の矛盾であり、極限の理不尽をカイエンは片手にチラつかせている。

 一国の支配者とて平身低頭して然るべきその脅迫を、なんとクリシュナは鼻で嗤ったのだ。


「邪魔はしないですよカイエン枢機卿。ゼプツェン皇国は魔王討伐の邪魔はしない。公約しましょう。ですが国とは多頭蛇(ヒュドラ)。当国の意思に反した行動を取る者が出てきてしまう可能性は否定出来ませんね。例えばどこかの国に仕掛けられた禁呪、その当事者の背景がそれを公的に認めるわけにはいかないどこかの大国であったように、往々にして間違いは起こるものですものね?」

「ええ、そうですともクリシュナ殿下…… それは非常にわかりやすい例え話だ。だがゆめゆめ最後の一線は超える事の無いよう、願わずにはいられませんよ」


 両者共、全く目線を逸らさず醜悪な笑みを浮かべ合う。

 「友好」などという言葉はあまりに軽すぎて皮肉にも聞こえない。

 すると接待国の姫は粘つく視線をそのままににこやかに笑った。 


「話し合う事は以上のようですね。それではこの場はここまでということで。それではお二方、今後とも変わらぬ我らの友情を祝して、ちょっとした歓待の宴を用意しているのです」

「おお、それは楽しみだ。ゼプツェンの料理は独特で癖になりますからね。いや昼食を抜いておいてよかった」

「それは光栄ですわカイエン枢機卿。サイード閣下もお気に召したら幸いです」


 ここから先は茶番。

 友情という名の儀礼句に一々突っかかるほどのオボコはこの場に居ない。茶番を茶番として談笑できる人間でなければ外交など務まらないのだ。

 だからカイエンもサイードも顔の筋肉を意識的に駆使し、笑顔を浮かべて立ち上がった。

 するとクリシュナが、さも今思い出しましたと言わんばかりの態度で「ところでお二方……」と言った時も二人は鉄の笑顔でその言葉に応じたのだ。


「ところで、お二方は【イージス】についてご存知でいらっしゃいます?」


 何とも言えない沈黙が降りる。

 その沈黙を表現するならば『困惑』だとクリシュナは思った。目の前の2人は関与していない。そんな確信と、手がかりが少なすぎる懸案を想って軽く息を吐く。

 今日ここに来て初めての素の反応に、クリシュナは「何でもありませんわ」と首を振る。その様子は安堵というよりは落胆といった風だ。


「【イージス】といえば12神器の一つ。それがどうかしたのですか?」

「私も【イージス】自体は知っているが、それが何かあったのですか?」

「いえ、何でもありませんわ。ちょっとだけ問題があったのですが…… 知らないようですね。まあ、いいでしょう。こちらです」


 また一つ懸念事項が増えたことに間違いはない。

 両大国が持ち込まれた神器について知らないとすると、話は非常にややこしくなる

 個人が易々と持ち込めるものではないし、そもそも手に入れられるものでもない。ならば一体誰が……

 厳しく眉を寄せるクリシュナだったが、今までの激しいやり取りがウソの様にキョトンと首を傾げる二人を見てクスリと笑う。まあいい、今は目の前の懸案だ。

 クリシュナは二人に微笑みかけると会場へと足を向けた。


「しかし、【イージス】とは…… 結界展開特化型概念魔導兵器…… 今この国で何が起ころうとしている……」



◇ ◇ ◇ ◇






「っつーかマジ今更検分したってマジ何もねんじゃね? っつーかねーしw とかマジ思ってたっす。っつーかオレにもマジそう思ってた時代もマジあった的な?」


 オレはそう言いながら、相変わらず猟奇的な診療室の診察台に腰をかける。


「相変わらずキミはワケわからない言葉使いをするねぇぇぇ~~~ そういえば昔いたなあぁぁぁ~~ そんな言語をしゃべりながらコンビニの前でM字開脚してる女子高生とかさぁ~~~~」


 机に頬杖をついている男が遠くを見つめて懐かしそうに目を細めた。

 彼の名は知らない。ただ彼は【黄星】という誰もが知っている二つ名を持つSSランカーだ。

 黄星はただ強いだけではない。普段自身が経営する動物病院を切り盛りする傍ら、魔術的、生物的分野で右に出る者は出ないと言われるほどの知識を有している。情報が命のオレたちの職能に於いて非常に頼りになるアドバイザーだ。 

 いつもの事だが、黄星と話していると、たまに聞いた事無い単語がポンポン出てくる。聞いてみると自身の故郷の言葉なのだという。そんなもんかと聞き流すのが常なのだが、何となく気になる単語にオレは食いついた。


「え、マジ何すか? ジョシコーセーってマジ何すか? 俺的なんかヒビキがマジ気になる系なんスけど」

「略してJKって言ってたなあぁぁぁ~~~ そのうちJCなんてものも出て来てねぇぇぇ~~~ 聞いた時はおったまげたよおお~~~ 極めつけにJSなんて言葉がもてはやされた時は、あ、この国終わったなって思ったもんさぁぁぁ~~~」

「マジぱねえ。何がパネェかってマジ超パネェ」


 よくわからないがJKというのはただ事では無いと思った。なんというか響きに高貴な雰囲気が漂っている。

 おそらく「J」という文字に極めて深い、哲学の深淵が潜んでいるに違いない。そしてそんな高貴な存在が屯する『コンビニ』とやらはきっと城の事だ。

 オレは神妙な面持ちで頷きつつも頭を切り替えた。ゆっくりと謎多き彼の故郷の文明に想いを馳せるの有意義だとは思うのだが、今知りたい事はそれではない。


「んなことよりオレマジ聞きてーコトあってぇ~、きほっしーマジ頼み系」

「きほっしーはやめてよぉぉ~~ 歌って踊れるゆるキャラみたいじゃないかぁぁ~~~」


 きほっしーが困ったように笑いながら右手をヒラヒラさせる。

 『ゆるキャラ』? 

 またしても壮大な香り漂うその単語にオレは興味を引かれた。SSランカーが謙遜してみせるくらいだ。おそらく心技体揃った豪の者を指す言葉に違いない。

 きっと『こんびに』に集われた『JK』様を守る高貴なる騎士の事だ。それが歌って踊れたらもう至高の存在といっても過言ではない


「ゆるきゃらマジスッゲ! マジきほっしーマジ超すごくね?」

「君さぁ…… ゆるキャラってわかるのかいぃぃ~~?」

「マジシャレになんねー空気はマジ感じてる」

「……」


 黄星は苦笑しながらため息をつくと、手元のカルテに目を落とす。 


「まあいいよぉぉ~~~ 何が聞きたいんだい~~?」

「条件指定結界をマジ使える術者ってきほっしー以外にいたりする系? モチ厳密な意味での結界術式ね」

「いないねぇ~~~ 少なくともボクは知らないなぁぁぁ~~~」

「っすよねぇ、っつーかマジ概念魔法とかマジありえねえし」


 概念魔法の使い手なんてそうそういない。いてたまるか。

 結果には必ず過程が存在する。それは魔法に限ったことではない。剣術が強くなるという結果を欲するならば、剣術の鍛錬という過程を踏まなければならないし、金持ちになりたければ商いに精を出さなければならない。

 もちろん別のやり方だってある。思わぬ大金が入る事だってあるかも知れなければ、ちょっとした意識で格段に腕が上がる剣術家だっていただろう。

 だが必ず行程というものは存在する。一つの結果に向かって数多のアプローチがあったとしても、その内のどれかの道程を通って結果というものに辿り着くのだ。

 それは道理であり現実であり、そして神が定めた不変の法則でもあるとオレは思う。


「まあそうだよねぇぇぇ~~~ 概念魔法は無茶苦茶だよねえぇぇぇ~~~」


 無茶苦茶なのだ。

 結果を顕現させて過程を無視する。結果だけを押し付けて、無責任に過程を放り投げる。

 「死人を生き返らせといた、方法は知らん」 こんな無茶苦茶な論理があるだろうか。道理、現実、法則、全てを捻じ曲げるその技は、理不尽という言葉以外で表現する方法をオレは思いつかない。

 そんな神の如き所業がまかり通ってしまう。事象の操作、現実の否定、法則の遡行。それが概念魔法だ。

 

「マジ概念魔法の使い手がマジ何言っちゃってるんすか?www」 

「何回も言ってるじゃないかぁぁぁ~~~ 僕のはねぇぇ~~~ 正確に言うと概念魔法じゃないんだよぉぉぉ~~~ 概念魔法を帰納的に研究・検証してだねぇぇ~~ それを演繹的に組み上げてるのさぁぁ~~~」

「マジ同じ威力のモン使っちゃってる時点でイミフだしww」


 この目の前の男は過去に顕現された概念魔法を解析し、遡行することで、それを過程から導き出すことに成功したただ一人の男だ。

 概念的条件指定結界を駆使して如何なる攻撃からも身を守る結界師、それがSSランカー【黄星】だった。

 どちらにせよ化け物に違いはない。

  

「他に使い手マジいないっすよねえ? オレ知ってるマジ結界師はマジきほっしーだけだし。っつーかマジいるとも思えねーし」

「いきなりどうしたんだいチャラウォード君? いきなり結界の話なんてさぁぁぁ~~~~」

「きほっしーマジ知らねっすか? 最近マジ行方不明になっちゃった冒険者の話。そいつが借りてた部屋の家主がマジ尋問かけられてマジ冒険者の保証金がマジ高騰してオレのマブダチがマジ困ってたてかマジイサオちゃんチョーせつねぇしwww」

「よくわかんないけどその冒険者がどうかしたのかいぃぃぃ~~~?」 

「あ~ とある指名依頼でマジ行方不明の冒険者の部屋マジ調べしたんすよ。そしたら……」


 オレが受けた依頼は、散々この国の諜報部が調べた後の部屋の調査だった。

 とりあえず調べてみた冒険者の背後関係は思った以上に真っ白で、どこを辿ってどこに行っても『普通の冒険者』としか評せない彼が住んでいたその部屋は、底辺冒険者から片足を出した彼が思い切って借りた小さな城だったに違いない。

 広くはないが生活に困らない程度の広さ、多くはないが生活に困らない程度の家具。

 真面目に依頼をこなす真面目な男の部屋に、ぱっと見た感じ不審なものは何一つなく、備え付けの家具以外に残っていたのはボロ毛布だけだったのだという。

 

「何でそんな平凡な冒険者が行方不明になっただけで諜報部が出てくるんだいぃぃ~~? 嫌な言い方だけどよくある話じゃないかぁぁ~~~」

「ウェイっ マジそのとぅ~~ぅりっ!」

「イラっとするなぁぁ……」 


 だが、彼が会っていた相手が良くなかった。


「【名無し】が関わってるらしいんだよマジで」

「噂でしか知らないけど【名無し】ってアレかい? 闇のブローカーかいぃぃ~~~?」   

「そうマジそれ。マジ無節操でマジ有名な名無しさん」

 

 裏方の商人たちの間で度々話題になるその人物は、紛争地に駆けつけては武器や強力な魔道具を二束三文で売りさばく、イカれた商人。

 誰よりも早く現地に着き、現地に適した商品を湯水の如くばら撒く。そう、まるでそこで紛争が起きる事をあらかじめ知っていたかのように。

 そうして同業者の中では知らぬ者はいないというほどの有名人がなぜ【名無し】と呼ばれているのか。

 それは誰も彼を知っている人間がいないからだ。

 

 名前、性別、年齢、種族、人種、全てが謎。ある人は金髪碧眼の女性だという。ある人は黒髪黒目の男性だという。間違いなく赤髪灰目の絶せの美女だったと興奮を露わにする者もいれば、禿げ上がった狸の獣人だと鼻を鳴らす者もいる。

 どこからそんな大量の商品を仕入れ、だれにも見つからずに運んでいるのか、原価割れとしか思えない価格で売り捌いてどうやって儲けているのか何もわからない。変装しているのか、そもそも同一人物なのか何一つとして明確になっている事はない。

 わかっているのは提供される商品が1級品であるということ、右腕全体指の先まで禍々しい黒の魔導陣が刻まれているということだけ。そして時々、取引相手が皆殺しの目に遭うという圧倒的『暴力』を保持した人物であるという事だけだ。 


 武器を売っては間接的に死をまき散らし、代金を踏み倒されては直接的に死をまき散らして、死と隣り合わせの戦場を渡り歩く死神。 

 そうして誰も知らず何も語らない黒い渡り鳥を、人は畏怖と侮蔑とを織り交ぜて【名無し】と呼んだ。


「その【名無し】さんがこの街に来たと。それだけかいぃぃ~~? 大きい街だからねぇぇ そりゃ来ることだって―――」 

「それだけだったら話はマジ簡単だったワケ、マジ問題だったのは【名無し】がマジ何かを持ち込んだという噂があったこと、そしてマジ行方不明になったその冒険者が、マジ今は廃れた【イージス】のマジ系譜を持つ男だったという事……」

「神器……かい……っ?」

「マジ単なる噂話だとマジ思ってるけど、相手がマジ相手っつーことでマジシャレになんねーっつーか……」

 

 大陸に住む人間なら誰もが知っている4神12神器の物語は知っている。

 親から子に子守唄として、少女が夢見るおとぎ話として、少年が憧れる英雄譚として、心を揺さぶる歌劇として。遠く遠く遥か遠くにあった根拠無き伝説として、人はその物語を語り継いだ。

 今や数多く存在する「神器名」の持ち主たちも、名前負けに頭を悩ませる要因として意識をしつつも、伝説の証明などになりはしないことを知っている。かくいうオレの家名がカラドボルグなのだから他人事として笑えはしない。

 だが反面、その伝説がおとぎ話だとしても、神器と呼ばれる兵器が現実として存在することをオレは知る立場にあった。 

 たとえ噂話なのだとしても、神器が持ち込まれたのが事実だとすれば、それは極めて重大な問題だ。


「本当なら…… とんでもないことになるねぇぇ~~」

「だから! ギルドも国もマジ焦ってガチ情報収集してるっつー話、そんでオレもマジ呼ばれた系なんだコレが」


 とは言っても国の諜報部が徹底的に調べた後の部屋を調べることがあるのだろうかと俺は思っていた。

 その家主に尋問という名の拷問をかますくらい本気で穿り回した後にチリ一つ落ちているとは思えなかったのだ。

 安くはないAランカーを送り込んでどうなるのだろうと、首を傾げてしまったオレの感覚は普通だと今でも思う。

 だからオレは、床に広がるカーペットの一角に5、60cm程度の正方形の凹みがあるのを見た時、思わず呟いたのだ。「これヤバくね?」と。

 

「ちょっとマジ深めのカーペット、マジ5,60cm四方のマジ正方形で、マジカーペットの毛が短くなってた……。 パッと見、マジ小さめの棚を置いてたんじゃね? とかマジ思う程度。でもよく見てみると……」


 毛が切れていた。

 家具の重みで圧されたわけではない、実に綺麗な正方形の形で、カーペットの毛が刈られていた。

 それだけではない。異様なのは、刈られた部分の高さが完璧に揃っていたこと、そして。


「マジ切られたはずの細かい毛が…… マジどこにも見当たらない…… まるでマジ消滅したみたいに毛がマジ刈られている」


 普通に切られたのであれば、掃除をしたにしても多少はカーペットに絡みつく。部屋の隅には埃と共に溜るし、毛布にだって多少は付着してしまう。だが残念ながらそれらしき跡は一切無かった。

 障壁ならば弾かれる、物理防壁ならば圧し潰される。


「結界……だねぇぇ~~ 条件指定結界か、それとも空間隔離系の完全結界…… どちらにしても概念魔法……」

「若しくは、概念兵器……」

「イージス……か……」


 神器と呼ばれるものが、おとぎ話で語られるような武器ではない事をオレはしっている。一度だけこの目で確かめた「カラドボルグ」はどう見ても剣や槍といった武器ではなかった。

 神代に使用されたとされるそれらは、人の記憶が及ばぬ遥かいにしえに、現代では及びもつかない知識と技術で以て創造された概念魔導兵器。超古代文明が全てを賭けて創り上げた神殺す剣、それが神器だ。


「っつーかマジ起動する神器はマジ存在しないって聞いてたんスけど、コレヤバくね?」

「いや、神器の全起動とはまた違うんじゃないかなぁぁ~~~ 一部起動、もしかしたら神器でもないのかもしれないよぉぉ~~~?」

「え? マジどういうこと? 概念兵器なんて神器以外に有り得ねーっつーかマジそんな感じじゃねーの?」

「神器だって人が作った物さぁぁ~~ 同様の物を作れないなんて道理も無いし、結果を出すためのアプローチは一つだけじゃないよぉぉ~~」


 オレはその言葉に衝撃を受けるも反論など出来なかった。

 黄星が概念魔法を通常構成で魔法として使えるようになったように、概念兵器と同等までとは言わずも概念兵器足り得る威力を持つ兵器が作れないという決まりは無いのだ。

 

 軽く俯いて舌を打つ。

 武器には背景がある。その武器が必要であったからその武器は生まれた。

 神器の存在は、遥か昔、人類には12体もの超兵器を投入しなければならなかったほどの「敵」がいたという事実を証明する。現代の聖剣であれ天弓であれ、その本質は変わらない。必要だからこそ存在意義があるのだ。


「神器が……、マジ神器クラスの代物が今この時代にマジ必要だってのかよ……っ」 


 俺は認めない。

 力は間違って使われない事にこそ意味がある。いついつだって正しく在れなんて無茶な事を言うつもりはない。正しくなくたっていいのだ。

 頼りない笑顔を絶やさない小市民なオレのダチは、人を傷付ける事を恐れ、恐れられることに怯え、一人の人間として、一人の個人として真っ直ぐ前を向いて歩いている。誰かが笑えば誰かが無くこの世界で、刷り込まれた自身の道義に背く事の無いよう、ちっぽけな正義を胸に必死に生きている。

 そしてそんなダチを見てすくすく育っている古の神族、神竜。

 彼等の力は彼等自身に宿った力だ。誰にも渡る事無い固有の力だ。彼らが持つ力に、彼らが振るう力に恐怖した事など無い。今後も無いとオレは思う。

 だが兵器は違う。今の所有者が間違えなかったとしても、その次の所有者が間違えないとは限らない。それはとても恐ろしい事だ。

 

 俺は歯を食いしばりながら顔を上げる。そして思わず眉を寄せた。

 向けた視線の先で、いつもにこやかな黄星が、皮肉気に嗤い目に危険な光を灯していたからだ。

 俺が言葉に詰まっていると黄星は自嘲気味に鼻を鳴らすと、恐ろしく冷たい声を吐き出した。 

 

「とにかく、物騒な代物が持ち込まれたっぽいねぇぇ~~ とにかくボクもちょっと調べてみようかなぁぁ~~~ そんな事仕出かす奴に一人だけ心当たりがあるのさぁぁぁ~~ その昔ボクとタエちゃんで殺したはずなんだけどねぇぇ~~~ もしかして生きていたのかもねぇぇぇ~~」





◇ ◇ ◇ ◇






「自分が何を言っているか、わかっているのか!?」

「はっ! わかってるぜぇ? 元々あたしたちはそのために来たンだろうが。【聖女】ともあろうもンが怖気づいたのかぁ?」

「話を逸らすな【白星】! 異種族と言えども私達人間と何も変わらないのだぞ!」

「はぁ~? テメェ何言っちゃってんだぁ? 神サマが言ってンだろ? 亜人は人じゃねぇンだよっ! 人じゃねぇ何かが何匹死のうがあたしにゃ全然關係ねぇっつンだよ!」

「貴様という奴は……っ!」


 ギリっと奥歯を噛み締めるのは、芸術家が削り出した彫刻品と見紛うほどの美女。

 その大柄な体を震わせ、白銀の胸当てからこぼれ出そうな胸と、乳白色の腰巻を突き破らんばかりの尻が、匂い立つような「女」を主張する。もし彼女が憂いの顔でため息の一つでもつけば、人種問わず男共は放っておかないだろう。

 しかし彼女は男に寄りかかるだけの女ではない。

 後ろに流したボリュームのある金髪をカチューシャの様に押さえるのは、魔導溝掘り込まれた煌びやかなヘッドバンドだ。その装備一つとっても、そこらの力自慢ではないことが伺える。

 一たび力を解放すれば、この世界に彼女を止められる者など皆無に等しいといっても過言ではない。何故なら彼女は人類最強の一角、SSSランカー【聖女】だからだ。

 だが今はその聖女が悔しげに顔を歪ませ、【白星】を睨み上げていた。

 

「そもそも、何でオメェみたいな異端者が聖12騎士の一角に居座ってンだ? 最初から気に食わねぇンだよ! だいたいここに来てから毎晩飲み歩きやがって、よく亜人のクセェ酒なんか飲めるなぁ ええ!?」 

「貴様は何故そんなに傲慢な振る舞いが出来るのだ! 私はこの街で、気のいい知り合いも出来た。人種なんて関係ない! 互いに歩み寄れば素晴らしい出会いはいくらでも転がってるのだ!」


 ここはゼプツィール内のとある教会。

 マイノリアに関しては他国に公館を構える必要すらない。今や巨大な権力の象徴と化した十字の尖塔が備えられた神の止まり木、「教会」で一声かければどこの国であろうがそこはもうマイノリアだ。白星の日の礼拝が中止され、人払いがなされた教会は一触即発の空気に包まれていた。

 するとそんな空気をものともせずに一人の青年が前に出る。


「まあまあ落ち着きたまえ」

   

 カツーンカツーンと乾いた靴音を鳴らした青年が進み出ると二人の間に入った。

肩まで届きそうな煌めく金髪を軽く書き上げ、滅多に見かけることのない眼鏡を人差し指で押し上げて浮かべた知的な微笑みは、そこらの婦人を一撃で撃墜するに違いない。


「まあ、私もアイギスさんの仰る事に一理あると思いますよ? スカーレットさん、あなたの言動にはいささか美しさが足りない」

「すっこんでろフェルウェン。おめぇの言う美しさなんざどうでもいいンだよ」 


 間に入る知的美青年をにべも無くバッサリ切り捨てるのはスカーレットと呼ばれた女【白星】。

 だが青年は気にした風も無く、わざとらしくため息をつくと、大げさに肩を竦めて言った。

 

「そういうところを言っているんですよスカーレットさん。いいですか? 『会話』というのは神が人に与え給うた尊き文化だ。獣には真似出来ない、高度な知能を持つ者だけが許された互いを理解し合うための美しき手段、それが会話…… そう、会話は…… 美しい……っ」


 唐突に始まった俺ワールドにスカーレットが「また始まった」とウンザリため息をつく。


「そう、美しさは正義っ! 主義主張、人種が違えど、女性は等しく救われるべきです! なぜならば女性は等しく子を産み、育て、愛しむ。時に厳しく叱り、時には優しく抱きしめる。ああっ! 女性は美しいっ! 故に正義! そうは思いませんか神よ……っ!」


 恍惚とした表情で中々帰ってこない様子のメガネ男子に、スカーレットが憐れむように問いかけた。


「男はどうすんだよ男は」


 するとまた唐突にこちらの世界に帰って来たメガネ男子は、軽く俯き人差し指で眼鏡を押し上げると、ボソっと呟いた。


「男達など死ねばいい」

「オメェも男だろうが【青星】」


 いつものことながら、清々しい程の女尊男卑論にアイギスは軽く眩暈を覚えた。

 良い意味でぶち壊された緊迫した空気に少しだけ安堵していると、今度は逆に真剣な表情を作ったフェルウェン【青星】がアイギスに視線を落とす。


 「ですがアイギスさん、美しいあなたも組織の一員としてある以上、一定程度の妥協はすべきだ。軍人でもある我々にとって、命令というのはそういうものだ。目的に不満があるわけではないのでしょう?」

「そう、だが…… 魔王討伐に異を唱えるつもりはない! しかし……っ」


 青星から投げかけられたのは至極真っ当な組織論。

 だがそんなこと言われなくてもわかっている。魔王討伐は人類の悲願だ。十字教誕生の根幹を流れる源流であって究極目的でもある。存在意義と言ってもいいだろう。

 それにむしろ討伐それ自体に血沸き肉躍る想いでいるのは他の誰でもない自分だとアイギスは思う。

 しかしそれを所構わず行うつもりは更々無かったのだ。

 【魔王】を名乗っているだけなのだとしても相手は魔族。油断など出来ないし、例えその人物が魔王ではなかったとしても、「もしも」という要素など戦場には無数に転がっている。


 どれだけ甘めに見積もったとしても相手はそもそもが魔族。さらには悍ましい忌み名を公然と口にしている。その罪、擁護する事情など何一つない。容赦する理由だってない。

 だがそれが問題なわけでは無いのだ。


「しかし……っ! この規模の街で『神意執行命令』なんて そんなの許されるわけないっ!」


 神意執行命令。

 それは十字教における局地的聖戦だ。

 いつでも、どこでも、なにがあっても、何よりも神意の執行が優先される。

 確かに一般レベルの小競り合いなら憂慮することなど何もないだろう。神意を執行する二もそれを行うのは「人」なのだ。

 だが今ここにいるのは聖12騎士(ゾディアック)だ。

 シングルSランカーとて一騎で一部隊程度の軍と渡り合えるというのに、時も場所も選ばぬその血生臭い命令で戦闘行為に及ぶのはSランカー3人とSSランカー2人 そして人類最強の一角【聖女】を要する大陸最強集団、それが聖12騎士なのだ。

 120万もの市民が暮らす大都市ゼプツィールでそんな馬鹿げた化け物共が全力で闘う。

 それは戦闘行為の範疇などとうに超えた戦争行為に他ならない。この活気ある平和な街のど真ん中で戦争をしろと命令されているのだ。 

 その結果どれだけの血や涙が流れようと、どれほどの灯が消されようとも狂信者は止まらない。

 全ては神の名の下、尊い犠牲という名の欺瞞の正当性を神が担保するのだ

 それが今日この日、白星の日、収穫祭も間近に活気あふれる昼時のこの街で、狂った命令が発令されようとしている。

 通常の神経で許容できるわけがなかった。

 

「口を慎めデカ女。誰が誰を許さないって? 神が許すっつってんのに何が何を許さねぇって言ってんだ?」

「白星っ! 少数派といえども同じ十字教徒が暮らす街だぞ! 同朋ではないのか!」

「あぁ? リバデンス派なんぞ大人の事情で生まれた単なる資金源だろうが、アホかっつーの」


 その益体もない言葉にアイギスが悔しげに顔を歪めた。

 狂っている。

 尻尾があろうが羽が生えていようが相手は言葉が通じる「人」ではないか。経典の序文の解釈がどうであれ、互いに笑い手を取り合う事の出来る隣人ではないか。

 同じ言葉を話し、同じ食べ物を食べ、同じ価値観を有する他種族に、どうしたらそんなにも残酷になれるというのか。

 

「宗派なんて関係ない! 人が死ぬのだ! 何も思わないのか!」

「人は死ぬ。今までもこれからも。そしてこの街で死ぬのは『人』じゃねえンだよゴチャゴチャうっせぇアマだな。あたしらが執行すンのは『神意』なんだぞ」

「『神意』って何だっ!? 誰がそれを決めている!? 神がそんな狭量なわけがない! 貴様もおかしいとは思わないのか!?」

「ああ思わないね。あたしたちはそれを判断する立場に無い。あたしたちは『頭』じゃねぇンだ。『武器』なんだよ。神意と言われたならばそれを執行するだけだ」


 もうどれだけの事が起こるかわからない。どれだけの悲劇が起こるかわからない。それでも確定したことがある。

 多くの人が死ぬ。多くの罪無き者達の素朴な願いが踏み躙られる。

 

「止めると言ったら……?」

「魔王討伐を阻止する? まさかアタシら全員相手に勝てるつもりじゃねぇよなぁ? そりゃもう異端者どころじゃねぇぜ。いくらオメェが【聖女】だからって教会は黙ってねぇし。いくらおめでたいその頭でも、責任が、自分だけで済むと思ってねぇよなぁ……?」


 それは嘲笑だった。

 絶対的優位を確信し、覆せない力の論理を振りかざし、抗う事など出来ぬ事を解り切った上での優越感。

 愛する家族がいる。絶対に失いたくない人がいる。例え何を犠牲にしても守りたいものがある。

 公には出来ない、父と慕う獣人がいることも、誰よりもその父を大切に思っている事も。

 【聖女】とは称号でなどではない。力を持ち、人を率いる事の出来る自分に打ち込まれた鎖であり枷だ。


「き、きさま……っ!」


 お前には人質がいるだろう? 暗にそれを言われて、目が霞むほど頭に血が上った。

 もうここに自分の居場所など無い。いや、最初から無かったのだと思う。

 それでも神の使徒として、守るべき正義を守るために戦ってきた。だがその結果がこの仕打ちだと思うと涙が出そうになる。

  

「やめたまえ。麗しい女性が睨みあうなど美しくないですよ。とにかく私達に神意の下、魔王討伐を執行せよという美しい命令が下されました。私達は神の使徒として、その命令を美しく遂行するだけです。アイギスさん、それは美しいあなたも同じことだ」

「く……っ」


 人差し指を眼鏡に添えたまま淡々と語るフェルウェン。

 奥歯を噛み締めて俯くアイギスを鼻で嗤いながらスカーレットは口を開いた。


「ラブール、現状は?」

「はっ すでに暗部が対象を補足しており逐一報告を受けられる体制になっています。そしてカイエン卿より神槌は明日正午より開始しろとの聖令を賜っております。また魔族の似顔絵と姿絵がここに」


 そうして輜重兵であるラブールが広げた紙を見てアイギスは息を呑んだ。

 

「あン? 何かの間違いじゃねぇのか? 魔族ってのはもっと禍々しい化け物じゃねぇのかよ?」


 スカーレットが首を傾げたのも当然と言える。

 その紙に描かれていたのは一般的に言われる魔族とは程遠いイメージの女の子。紫の肌、眠た気な垂れ目、山羊のような角、扇情的な服装にその小柄な体躯にはアンバランスなほど大きい胸。

 聖女と白星の対立に息を潜めていた他のメンバーも驚きに思わず声を上げていた。

 

「な、うそ…… なぜ……!? これではまるで……」

「ああん? 聖女サマどうしたよ? おいおいまさかあんたが言ってたこの街で出来た知り合いとかじゃねぇよな?」

「ち、ちがっ ちがう…… そんなっ!」 


 そのまさかだった。

 飲み過ぎて靄のかかった記憶の中でも自分の肩を優しく抱いてくれた人物の事を忘れたりはしない。

 その後も何度か酒場で遭遇し、「マオ」「アイちゃん」と呼び合う仲になった友人ともなれば尚更だ。

 似顔絵に描かれていたのは、今では良い飲み友達となったマオその人だったのだ。


「な、何かの間違いでは……?」

「いえ聖女様、この人物が間違いなく【魔王】を名乗る魔族であります!」

「なんだよ ホントに知り合いなのかよ。まさか戦えないって言うわけじゃねーだろうな? ええ!?」


 確かに見た事無い獣人だなあとは思っていた。薄紫の肌など見たことも聞いた事も無いし、ごくたまに魔境沿いで目撃されるという魔族の話も、聞いたことはあってももちろん見た事など無かった。

 だがそれは、多種族に排他的なマイノリアで暮らして、それはど獣人と触れ合う機会があまり無いせいだと思っていたし、あまりに彼女が日常に溶け込み過ぎていることもあって、まあそういうものかなあ程度で済ませてしまっていた。

 出会ったあの夜の事が頭をよぎる。


―――私はマオ。マオ・ドロテア。


 あの時あの瞬間、一瞬だけだが、ドキっとはしなかっただろうか。何かの聞き間違いかと都合の良い補整をかけなかっただろうか。

 それはあまりにも馬鹿馬鹿しく荒唐無稽で排除してしまった一つの可能性。

 あの時、彼女は【魔王】と名乗ったのではないだろうか。

 そこまで考えてアイギスは思わずブルっと身震いをした。


「ならば…… 【魔王】とは何だ……? 魔族とは何だ……?」


 どこをどう見たって彼女は人を害する様な存在ではなかった。人類という種の危機に関わる様な一族だとは今でも思えなかった。

 彼女は、穏やかで友好的な女性だったし、無一文で酒場の戸を叩いては娘のツケで飲んでいく、そんなどうしようもないダメ女だった。

 ならば、それならば一体【魔王】とは何だったのだ。人類が数百年も追い続け、届かなかった壁とは一体何なのだろうか。


「『絶対的悪』だ。未来永劫変わらないあたし達の敵だ」


 その敵とは誰だと言っているのだ。

 我々は誰と戦っている 何と戦っている

 諸悪の根源ではなかったのか。問答無用に人類を殺戮する悪魔ではなかったのか。

 少なくとも人が暮らす街で薄汚れた飲み屋で、見ず知らずの酔っ払いの話に耳を傾け肩を抱くような良識を持っているハズもないし、そして堂々と娘の名前で領収書を切るような、そんな残念な悪ではなかったはずだ

 それは人ではないのか、嬉しければ笑い、悲しければ泣く。そんなどこにでもいる1人の人間ではないのか

 

 おもむろに目を閉じる。ふうっと息を吐く。

 確かめなければならない。

 愛する家族、このゴールドハートの名に誓って、何が真実か、そして正義か。


「怖気づいたンなら来なくてもいいン―――」

「いや、私は征く」


 そう断言して手繰り寄せたのは聖剣ソフィア。

 自身の背ほどもある大剣をへし折る勢いで抱きしめて誓った。

 自分は自分だ。例え何が起ころうとも、真実がどうであろうとも、自分は【聖女】アイギス・ゴールドハートだ。

 立ち上がって出口に向かう。 


「装備を、整える」

「明日の鐘1連響にまたここ集合だ。逃げんなよ?」


 アイギスは一瞬足を止めるも、返答することなく一人教会を出ていった。


 歯車は回り出す。

 文化、因縁、価値観。人類の歴史全てを背負った戦いが、奇しくもそんなつもりはない、相手が本当の宿敵だとは思いもしない人類側最高戦力の手によって。

 動くのは時代。

 時代の旗手たちが振りかざす旗の向こうに待っているのは曇り無き世界か、それとも逃れ得ぬ歴史の迷路か。

 老若男女誰もが上を向けば共有出来る晴れ渡ったこの空の下で。

 今この瞬間、ここは世界の中心となる。何かが始まるのだ。


 アイギスが去った後、ため息と舌打ちと沈黙が交錯する中、ラブールが我に返って口を開いた。


「白星様、話が途中になってしまいましたが、今回はレガリアの協力者からこれを預かっています」

「ンだぁソレ? 指輪? 魔導具か?」


 ラブールが懐から取り出した包みには、武骨な指輪が12個。

 形だけで言えば、魔石や装飾品がついているわけでも無く、やけに太く大きい台座が有る事を除けばどこにでも売っていそうなゴツい指輪だ。

 だが少しでも魔導を齧った者なら目を離せなくなるであろう、魔力とはまた違った何かを濃密に感じさせる異様な指輪だった。


「なんでも、魔力を通すと強力な障壁を作り出す魔道具だと言っておりました」

「障壁ぃ? まあいい。全員装備しとくか」


 恭しく頷いたラブールは、机にその包みを置き、その中の一つをつまみ上げると出口へと向かう。

 するとスカーレットがそれを制止した。


「ああ、あの女には渡さなくていい。過ぎた代物だ」


 戸惑うラブールが、判断を仰ぐように他の騎士たちを覗うが、みな積極的に反対する様子が無い事を知ると迷いながらも足を止める。

 そしてそれを満足そうに眺めていたスカーレットが凶悪な笑みを浮かべて言った。


「さあ、おめぇらも準備しろ。戦争だ」

 



 そうして800年もの昔から続く物語が動き出す数刻前。

 ゼプツィール近郊の霊泉でまた一つの物語が動き出していた。


 その狂気の物語の主人公は、あまりにも澄み渡った黒き瞳を持つ一人の男。

 指先まで魔導陣の紋様が浮かぶ右腕を持つ男が喜色を込めた顔で呟く


「知らない人についていったらダメだと教わらなかったのかな? 可愛らしい竜のお嬢さん」


 すると、三角錐の結界に閉じ込められた幼竜が羽をパタパタさせながら涙目で声を上げた。


「あ、あんなー ノリなー…… ノリおうちにかえして!」

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