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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
32/59

金色のブレイブ・ハート・ストーリー

「つまるところ重要なのは『調整』ですよサイード閣下」


 

 木戸も締め切られ、その空間には4重の遮音魔壁が展開されているというのに、発せられる囁くような声は時折聞こえるサスペンションの軋みより小さく聞こえない。

 非公式な会談の場となった馬車の中、最低限の光源魔法で照らされた2人の人物が向かい合っていた。 


「わかっておりますともカイエン枢機卿。相手はあの【荊姫】クリシュナ・グングニルですからな……」


 数瞬の沈黙。

 様々な外交の場に極上の微笑みと共に乗り込んでくる美姫。彼女が慈しみに満ちたその佇まいからは想像することも出来ないほど凶悪な棘を隠し持っている事を知らぬ者はいない。

 勇猛にて果敢

 精強にて苛烈

 そんなゼプツェン皇国軍をして最も敵に回したくない人物と言わしめる最恐の姫は、外交という歪な笑顔に塗れる戦場でこそ真なる輝きを見せる。

 マイノリア、レガリア、ゼプツェンという強国に囲まれ、今や流通の要となった自由都市バルバロッサが永続的主権を勝ち取ったのも、偏に彼女の手腕によるところが大きい。そうして悪魔と恐れられるほど冷徹な頭脳は幾度となく各国の使者に煮え湯を飲ませてきたのだ。

 車内に漂う重苦しい沈黙を破ったのはカイエンだった。


「何も相手の土俵で勝負する必要などありませんよ。いつだって言葉は腕力に屈してきた。取っ掛かりさえあれば美しい論理など必要はないのです」


 形振り構ってなどいられない。

 論理で勝てないなら力で。力で勝てないなら策で。

 薄明りの下浮かび上がる二つの笑顔は、驚くほど血の通っていない乾いたものだった。


「ええ、わかりますとも枢機卿…… 我が国が求めるのは武力。貴国は権威。大陸合同会議までに何とか目途をつけたいものです」

「仰る通りで。古き神々の強大なる力…… それは正しき我らが神の下で行使されなければならない。遥か古に神をも滅ぼした我々人類の、正しき守護者により管理されなければならない……」


 そうして二人は含み笑う。まるでその守護神の祝福が当然であるかのように。

 

「ところで【勇者】はどんな人物なのです? お恥ずかしながら召喚国の大使である私には面識がないのですよ。今、外で護衛の任についているライオット団長に聞いてはみたんですが、口を濁すばかりでして…… 枢機卿は魔王討伐の折、ご一緒に旅をされたのでしょう?」


 それはこの大陸に生きる者なら誰でも知っている情報だった。

 【勇者】イサオ・イガワ

 【黄金騎士】ライオット・ハーネスト

 【司教】カイエン・ガラフィールド

  

 それが、今代勇者による魔王討伐のために用意された人類側の戦力。

 無数の魔獣、そして魔王国の戦士たち。それらを想定すると、あまりに少ない頭数とも思えるが、 一騎当千がまかり通る世界において、少数精鋭主義は合理的帰結の一つだ。

 

 ただ、そのメンバーには両国の思惑が色濃く表れている。

 召喚当事国であるレガリアは、Sランカーである自国最強の騎士を送り出すも、今代勇者がそれほど期待されていなかったたこともあり、聖12騎士(ゾディアック)の損耗を嫌ったマイノリアは、若手有望株を【見届け人】として投入することでレガリアの面子を立てた。

 そしてその有望株として勇者と一緒に旅をし、その功績を認められて大司教となったのがこの会談に臨んでいるカイエン枢機卿その人だった。


「彼はなんというか…… 変わった人種でしたよ。魔獣を殺める事を嫌がりましたし、獣やましてや奴隷とすら対等であろうとした…… 理解が出来ない事も多かった」


 感傷にも似た感情と共に、引っ張り出した当時の記憶を眺めてカイエンは目を瞑る。

 するとサイードが探りを入れるように質問した。


「獣、奴隷…… それはやはり…… 例の、彼女のことですか……?」

 

 薄く、本当に薄くカイエンの目が開かれる。

 思わずサイードが息を呑んだ。大司教という肩書からは想像も出来ない、憎悪にも似た凶悪な感情が薄く開かれたその瞳に宿っていたからだ。

 理由はわからないが失言だったと気付いたサイードが慌てたように口を開く。そしてそれを遮る様にカイエンが語り出した。


「これは失礼。気になさるような事ではないのですよサイード閣下。レガリアの大使ともなると知っていて当然の情報ですし。ただ……」 


 驚くほど感情の灯らない薄っぺらな笑顔だけが、取り繕ったように空虚に踊る。

 隠しきれていない怨念が瞳から顔を出していた。


「ただ…… 色々思い出しましてね……」


 色々とは何です? という言葉をサイードは必死で飲み込む。

 職務的にも個人的にも聞きたい話ではあるが、それを今、口にしたら何が起こるかわからない不穏な空気が充満していたからだ。

 

 サイード自身も知っているし、ある程度の地位の者なら誰でも知っている事実であった。

 魔王討伐の旅に参加した獣人の女、【奴隷戦士】フレイヤ。

 彼女がパーティーの一員であることが「無かった事」にされた、ただそれだけの話だ。

 殺してもいないし危害を加えたわけでも無い。望み通り奴隷からは解放したし、報奨金も与えた。最低限通すべき筋は通した事も間違い無いのだ。

 だからサイードには解らなかった。国という生き物を御していく上では珍しくも無い出来事になぜ目の前の男が異常なまでの反応を見せたのかが。そして金の勇者であるライオット・ハーネストも避けたがる話題であるから尚更だ。

 いずれ、「情報」として吸い上げなければならない項目であることは間違いないが、今この場で口にするのは危険過ぎる。今は取っ掛かりだけを残しておけば良いとサイードは判断する。


「まあ、その話はおいおい聞かせてください枢機卿。おそらく予定通り、日が落ちるまでにはゼプツィールに着くでしょう。今は【荊姫】相手に、どうやってあの勇者と神竜を引っ張り出すか、それを話し合いましょう」

「ええ、そうですね。それに我が国としては、【魔王】を名乗る魔族に神罰を下さなければならないですし……」

「その魔王なのですが、普通に街をウロついていると聞いています。さすがに街中でやり合うのはよろしくないのでは……? 到達者、星付き、Sランク。そんな者達が集まって全力の戦闘をしたら…… 考えるだけでも恐ろしい。街など数刻で瓦解しますよ……?」


 本気の懸念を口にするサイード。

 当然だ。今から乗り込むのは大陸3強の一角を成す大国ゼプツェン、その首都ゼプツィール。

 少数ながらも、魔境で鍛え上げられた強力無比な軍勢を有し、まともにやり合ったら勝てるかわからない強国の御膝元で多大な被害を及ぼしてタダですむわけがない。魔族討伐という名目があったとしてもそれが変わるわけが無い。

 その魔族が【魔王】を名乗っているだけならまだいい。一瞬で殲滅してめでたしめでたしで終わる話だ。

 だが勇者と面識があるというその魔族が、本当にまだ生きている魔王その人だったら?

 そして平和的に暮らしているらしいその人物が本気で牙を向いてきたら?

 考えるだけでもゾっとする。

 数百年間もの間、人類の戦力を跳ね除け続けた超越者がその戦闘に参加するのだ。何が起こるかなど想像すらつかない。

 

 神罰を下すなどと簡単に言ってくれるが、目の前の男が言っている事は、つまるところそういう事なのだ。

 そうしてサイードが背筋を冷やしていると、カイエンはふうっと息をついて口を開いた。

 

「蛮族の国でたとえ何が起ころうとも……」


 そこで、カイエンが屈託無い天使のような笑みを浮かべる。

 サイードが、その引き込まれる様な無垢な笑顔に息を呑むと、彼は当たり前の様に囁いた。

 

「それは『神意』ですよ?」




□□□□□□□□□□□□

 



「はぁ~~~~……」


 大通りを歩きながらため息をついた。

 

「あー どうしたもんだろうなぁ~」


 思わずもいちど息を吐く

 すると、誰よりも優しい我が家の天使が、頭の上から心配そうに俺を覗き込んだ。


「かなしいことあったのー?」

「ち、ちがうよノリちゃん! 悲しい事なんか無いさ! ただちょっと面倒くさい仕事が増えたな~ って思っただけさ!」


 解り切っている事だが、ノリちゃんは感受性が強い。

 俺が俯いてると彼女も俯くし、俺が笑うと彼女も笑う。

 俺がため息をついていると、彼女も暗い気分になってしまうのだ。

 一体俺は何をやっているんだ。わかっていながらノリちゃんに心配をかけてしまった自分を詰った。

 たとえ辛くても笑っていなければ保護者失格だ。

 男なら人前で辛い顔を見せるなという父ちゃんの言葉を思い出して俺はキッと顔をあげた。

 「よっしゃっ!」と意味も無く気合を入れるとノリちゃんも「よっしゃー」と言った。


「ノリちゃん、今日は何が食べたいかな? ムニエルでも作ろうかな!?」

「うんとなー ノリなー しちゅーが食べたいかもしれん!」

「残念だけどシチューはダメだよ。昨日シチュー食べたから、また白星の日まで我慢しようね」


 俺はちょっとだけションボリする彼女の頭を撫でて語りかける。


「それにね、シチューばっかり食べてると『シチューマン』になっちゃうよ!?」

「し、しちゅーまん…… あるじ、しちゅーまんってなんですか!?」


 俺はニンマリしながら答えた。


「シチューを食べすぎて頭にシチュー皿が出来た人のことさ。その皿にはシチューが入っててね、食べられたりこぼしたりすると動けなくなっちゃうんだよ!」


 国民的筋肉マンガの登場人物、ティーカップマンの非業を思い浮かべながら呟いた俺の言葉。

 するとノリちゃんはビックーンっ と背筋を伸ばして、小刻みにプルプル震えだす。  


「そ、それはよくない…… ノリよくないとおもいます! しちゅーまんはよくないです!」


 イヤイヤと首を振りながら今夜のシチューを我慢することに決めたお姫様と共に、大通りに面したデル青果店に入る。

 今夜は白菜と薄切り肉とキノコで鍋にしよう。

 キノコでとった、ごく少量のだし汁を少量鍋に敷き、薄切りの肉と白菜をめいいっぱい詰め込んで、蓋を閉めて弱火でコトコトやるのだ。味付けは塩と胡椒だけ。

 白菜から出たスープに肉汁が融け込んで信じられないくらい上品な味の鍋になるのだ。

 デル青果店でキノコと白菜を買うと、大将に挨拶をして店を出る。そしてカイル精肉店に向かう途中、店仕舞を始める武器屋を眺めて、俺は再度出そうになったため息を何とか堪えた。


「どうしたもんかねえ……」


 今日、俺はギルドに行って指名依頼を受けてきた。概要としては、とある大貴族の植木狩り。

 緑地公園で俺が刈った奇抜な植木を見たその貴族が、是非ウチの植木も狩って欲しいと依頼を出して来たのだ。

 胡散臭い事も特になく、報酬は上々で、時間も自由だった俺は一も二も無く受託したのだが、一つだけ問題が発生した。


「アリアさんいい加減に機嫌直してくれないかなあ……」


 先日の謁見で、合コンに臨むOLばりにコンディションを整えてきたアリア。

 しかし、謁見前に衛士より告げられた、あまりにも当然で、且つ非情な言葉


―――武器は預からせて頂きます


 結果、再びダークサイドの住人と化したアリアさん。

 呆然とする彼女を一瞬の躊躇も無く「あ、いいッスよ」と渡したことが彼女の怒りに拍車をかけた。

 あれからアリアは一言も口をきいてくれないし、抜刀することも儘ならない。ていうか触れた瞬間、魂を喰われそうで正直怖い。

 そうして部屋のオブジェと化した希代の聖剣様。

 オルテナ作の鞘カバーに日本語で編まれた「ありあ」の文字が非情に寒々しい。


 とはいっても受けてしまった依頼はこなさなくてはならない。

 この前刈ってもらった雑用剣を使えばいいじゃない、と意見されそうだが、それはそれでダメなのだ。

 やはり1万ギル程度で買った雑用剣。

 安かろう悪かろうとはどんな世界でも共通で、あれから何度か雑用に使ったおかげで全く切れなくなってしまったのだ。

 砥ぎに出せば砥ぎ代の方が高くつくし、そもそも鋳造メインの安剣なんかは、切れなくなったら下取り出して買い替えるのが常だ。

 だったら買い替えればいいじゃない、と、今度は言われそうでこめかみがピリリと痛む。


 確かに今の俺なら1万ギル程度払えるし、何より今度の植木狩りで受け取る報酬を考えると、かかって当然の経費なのかもしれない。

 だが思い出して欲しい。

 雑用剣を振っていた俺を発見した時のアリア(メンヘラ)の所業を。

 聖剣の名に相応しくない爆裂思考でもって、聖剣の名に相応しい威力の攻撃を仕掛けてきたあの公園での出来事を。

 俺は危うく死にかけたし、チャラ男は危うくシゲル・マツザキの領域に達するところだった。

 

 完全シカトモードに入ってる彼女が待つ家に、新しい剣をぶら下げて帰ろうものなら今度こそ終わりだ。

 計画的にご利用できないグレーゾーン金利の借用書を掲げたババアに一生追い回されること確実。

 それを想像して冒頭のため息に繋がるのだ。


 俺はカイル精肉店で薄切り肉を買って、カイルの親父とお勧めの男の子書籍情報を交換してから頭をポリポリ掻く。

 

「やっぱ何とか説得するしかないよなー」


 問題が山積みなのはいつもの事だ。

 なんとかなるさ、と楽観的に思考を切り替え、すっかり足が速くなった夕焼けの空に目を細めながら、頭の上ではしゃぐノリちゃんと歌を歌いながら、俺は家路についた。

  




◇ ◇ ◇ ◇





「アリアさんアリアさん、もうそろそろ機嫌直してくださいよ」

『…………』


 ガン無視

 俺はあぐらをかきながら、ちゃぶ台の上に鎮座するアリアさんに説得を試みていた。


「馬鹿みたいに完璧で超絶可愛い偉大なる聖剣アリアさん?」


 ―――ピクッ


 これっぽっちも心の籠ってない褒め言葉に、愚かにも反応するアリアさん。

 いつもならこの時点で一本釣り間違いないのだが、今回は余程腹に据えかねているのか、アリアは踏み止まったようにブルルと震えると沈黙を堅持した。


「アリアさん! 仕事の話なんですってば!」

「ありあー こっちー ノリこっちー」

『ノ…………ふんっ!』


 いつもは仲良しのノリちゃんの呼びかけをも無視するアリアさん。まだまだ彼女のお怒りは冷めないらしい。

 確かに俺も悪い部分はあったと思う。

 城に行くまでの馬車の中、コイツは剣の分際でドロテアから化粧の技術を聞き出そうとしていたし、残念属性持ちなオルテナさんと女子力とは何ぞやという議論を交わしていた。しかもオルテナを名指しで「あざとい女」と罵倒し、涙目のオルテナを牽制するという暴挙にまで出ていた。

 まるで絵に描いたようなイタい女の所業を繰り広げた彼女だったが、それだけエリートとの出会いを楽しみにしていたのだろう。

 それを規則とはいえ、これ幸いとばかりにあっさり衛士に引き渡された彼女の心の傷は俺が想像するより深いのかもしれなかった。

 以前、質屋から帰って来た彼女も相当だったが、今回の拗ね具合も大概だ。

 

「アリアさん、いい加減話を聞いて下さいよ…… 俺ずっと謝ってるじゃないっスか……」


 困り果てた俺が縋る様に問いかけるも、アリアは一切の反応を示さない。

 もう正攻法は無理らしい。

 いくら聖剣といえど、所詮は剣だ。裡に宿る人格が拒否しようが、抜いて振ったらいいんじゃね? 的な意見もあると思う。俺だって最初はそう思った。

 だがダメなのだ。

 彼女がキレている時に柄を握ろうものなら、刀身から噴き出されるおぞましい色をした魔力肢に捕まる事必至だ。いくら俺が超戦力【勇者】だとしても、伝説の聖剣様のガチンコに耐え得る自信はあんまり無い。

 そして、もしそんな超級の精神汚染攻撃に耐えきったとしても、彼女は鞘から抜けないのだ。


 『イ~ヤ~じゃぁぁぁぁ~~~~っ!』とかホザきながら抜かれる事を拒否するその姿は、小さい頃、歯医者に行きたくないとベッドにしがみついて離れなかった俺自身を思い出させ、軽い寂寥感に襲われる。

 とてもとても、いい歳こいたアラフォー女子のやる事とは思えないのだが、残念ながらウチの聖剣様に躊躇いなど無い。

 かといって、アリアさんを諦めて他の剣を買ったら御存じの通り。

 建物の陰で包丁握りしめて主人公を狙う昼ドラのイカれ女よろしく、限りなく瘴気に近い聖気でもって誰かを乗っ取って襲い掛かってきやがる。


 軽く詰んでると思った。

 だが俺には仕事がある。しかも今回は「冒険者」ではなく、「イガワ」を信用して発注された指名依頼なのだ。

 それに穴を開けたら今までコツコツ積み上げてきた信用を失ってしまうし、何より、こんな木っ端冒険者を指名してくれた人の気持ちに俺は答えたいと素直に思う。なんとしてもこの仕事はキチンとこなしたいのだ。


 俺は天を仰いでどうしようか考えた。

 アリアの好きな「しりとり」で釣ろうか。俺とノリちゃんがしりとりを始めたら、コイツは十中八九食いついてくるだろう。そして追い詰められると、いつも通り訳のわからん単語を言い出し 『こ、これは数百年前の言葉なんじゃ!』と強弁するに違いない。

 よし、しりとりだ。と、ノリちゃんに声をかけようと口を開くが、出かけた言葉を呑込み、俺は首を振った。

 ここは確実に行くところだ。多少のリスクを背負ったとしても、確実に点が取れる方法、そう、野球で例えるならば「スクイズ」でいくべきなのだ。


 俺は瞑目しながら軽く頷くと、収納魔具から粉が入った皮袋を取り出す。

 そして今気づきましたと言わんばかりに、わざとらしく声を上げた


「ああっ! こ、こんなところにベヒーモスの骨粉がっ!!」

『―――っっ!!!』


 チョロインかお前。

 俺は、物陰から顔を出してこちらの様子を伺う少女の姿を幻視した。

 畳み掛けるなら今だ。


「どうしようかなー 使えばお肌プルプル間違いなしのS級素材も俺には必要無いしなー、アリアさんは寝ちゃってるみたいだしなー」

『~~っ!! っ!! ~~っ!!!』


 俺は、やれやれ困ったぜといった風に眉間に指を当てながら首を振る、そしてため息と共に言い放った。


「売ろう」

『ダメ~~~~~~~~っっっ!!!!!!』


 一本釣り大成功。

 別に俺にはSの気は無い。だが、最近の酷過ぎるアホタレの言動を鑑みて、どちらが主導権を握っているのか、ここらではっきりさせなければならないと思った。

 俺は意地悪く方頬を歪めると、わざとらしくびっくりしたように目を見開く。


「これはこれはアリアさん。起きていらっしゃったので?」

『お、起きた! い、今起きたんじゃ!!』

「ほほう、ワタクシ先程から何度何度何度もアリアさんに声をかけていたのに、それに気付かず今起きた、と?」

『そ、そうじゃ! 寝とったんじゃ ふぁ~ わ、我良い夢見たな~! 』


 そもそも睡眠が必要かどうか疑わしい生命体の分際で、わざとらしい欠伸を披露する馬鹿()


「ワタクシ先日からずっとアリアさんにお願いし続けてきたのですが、その間ずっと寝ておられたと?」

『ずっと寝とったんじゃ! 本当じゃぞ! あ、アレじゃ! 季節の変わり目だからきっと体のリズムが崩れ―――』

「左様で…… ははは、聖剣であるアリアさんでも体調を崩されるのですね」


 そうですかそうですか、それは大変でしたねとばかりにウンウン頷く俺。

 そうじゃそうじゃそうなんじゃとばかりに刀身を揺するアリアさん。


「売ろう」

「ダメェェ~~~~~~~~~~~っ!!!」


 必死に縋り付いてくるアリアさんをバシッと叩き落すと、俺は自分でもムカつくくらいのドヤ顔を披露する。そして呆然とするアリアに向かって遥か上空から言葉を叩きつけた。


「おやおやアリアさ~ん。困りましたね~ 何か言う事があるんじゃないですかぁ~? 俺はそこんところちゃんとすべきだと思いますよぉ~~」『ぐ、ぐぬぬぬぬぬ………』


 何となく「ぶらり途中下車」風に言ってみたら思いの外似ていたのでテンションが上がった。

 さっきまで頭を下げられていたと思ったら、いつの間にか自分が頭を下げていたでござるの巻

 完全なる形勢逆転にホクホク顔の俺。だが歯ぎしりしながら小刻みに震える彼女からは、そんな困惑は感じなかった。やはり彼女は脳みそまで金属で出来ているのだ。

 今まで散々苦労させられてきた分、俺はお返しとばかりに畳み掛ける事にした。


 「おや、 欲しいのですか? このお肌プルプルになること間違いなしのS級素材を。アリアさんは欲しいとおっしゃるので?」

 『ほ、欲しい』

 「『欲しい』?」

 『欲しい……です』


 俺はちゃぶ台に頬杖を付き、皮袋を右手でプランプランさせながら「どうしよっかな~~」と悩むふりをした。

 目など無いハズの金属生命体から、袋を射抜かんばかりの視線を感じた俺は、ニヤリと嗤って袋を左にやる。

 剣先が左を向いた。ノリちゃんも左を向いた。 

 今度は右に腕を振る。剣先が右を向いた。ノリちゃんも右を向いた。

 何コレおもしろいんですけど。そしてノリちゃん超可愛いんですけど。

 何度かそれを繰り返し、ひとしきり満足した時、息を荒くしたアリアが我慢ならんとばかりに口を開いた。


 『な、(なれ)よ、我はその骨粉でお肌プルプルにして欲―――」

 「ご主人様」

 『ご、ご主人様、我はその骨粉でお肌プルプルにして欲―――」

 「卑しいワタクシめは」

 『きいぃぃぃぃ~~~っ!!』


 別に私はどっちでもいいのですよとばかりに片眉を吊り上げる。

 俺は内心笑いが止まらなかった。そもそもそこらの木っ端冒険者である俺が、そんなS級素材みたいな超高級品を買えるわけが無いではないか。コイツはそんなこともわからないのか。

 中身は動物の骨の焼灰、要するに肥料だ。

 俺が笑いをかみ殺していると、アリアは屈辱に耐えながら震える声を絞り出す。


 『ご、ご主人サマ…… い、いいいい卑しししし…… い卑しいワタクシめはそそそその骨粉でお肌プルプルにして欲しいのじゃ……です」


 勝った。俺は勝った。完膚なきまで完全に勝利した。

 そう確信した俺は重々しく頷いた。


「わかりました。ではアリアさん、ビジネスの話をしましょう」


 俺はもったいぶりながら軽く顎を上げる。

 どうせこのアホに選択肢など無いのだ。


「5日後、植木刈りの依頼がありまして、ご協力いただけますよね?」

『い、いやじゃ……!!』

「え…… ちょ、アリアさん? どうしたん?」

『やじゃもん……っ!!』

 

 やじゃもんじゃないんじゃもん。 

 完全に勝ったと思っていたのに、ここに来てまさかの拒絶。

 さっきとは質の違う震えに包まれるアリア、一体何がそんなにイヤなのだろうかと眉を潜めた俺に、アリアはポツリポツリと語り出した。

 

『大体何じゃ、武器を預けて下さいって…… なぜ我を預けたんじゃ……』


 相当悔しかったのだろうか、若干涙を滲ませた声を絞り出すアリア。

 だがそんなことを言われても正直困る。城には城のルールがあって、本気を出せばこの国を更地に出来る元勇者と言えども、まともな人間ならばルールには従うべきだし、そうしなければならないと俺は教えられて育った。

 彼女の憤りは解るが、その矛先を俺に向けるのは見当違い甚だしい。

 だから俺がやれやれとため息をついていると、彼女は感情を爆発させるように叫んだ。


『我は武器じゃないっ!!』


 武器です。

 申し訳ないですがお前は武器です。

 とうとうトチ狂ったのかと心配になった俺が声を掛けようとすると、再度語り出したアリアの言葉に俺は背骨を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。


『「仲間の皆様も」って言っとったのに…… 我だって…… 我だって仲間じゃのに……』


 言葉も出ないとはこの事か。己の浅はかさに自身を罵った。

 アリアは仲間か? と聞かれたら俺は間違いなく仲間だと答える。確認する必要も無い。

 俺がこの世界に飛ばされてから今まで、誰よりも長い付き合いの彼女は、絶望に膝を折ったあの瞬間でさえ、俺を励まし、支えてくれた。

 誰が何と言おうとも彼女は俺の仲間だと断言できる。きっと彼女だってそう思ってるだろう。

 だが彼女は武器だというだけで、俺達と一緒に居る事を許可されなかった。仲間達が高揚しながら謁見の間の扉を潜る中、彼女は指を咥えてそれを眺めることしか出来なかった。

 自分に置き換えて考えるまでも無かった。その時の彼女の悔しさたるや如何ほどのものか。


『なのに…… なのに城の衛士は…… 汝れまでもがあっさりと我を手放したんじゃ……』 

  

 俺は思っていた。合コンのノリで出向いて、その目論見叶わなかったから機嫌が悪いのだろうと。なんてどうしようもないアホ剣だと。

 だが蓋を開けてみると、どうしようもないアホは俺だった。彼女は純粋に悲しかったのだ。悔しかったのだ。


『我は仲間じゃないのか!? 我はどうでもいい存在なのか!?』


 俺が今やるべき事は、彼女ときっちり向き合い、きちんと謝罪する事だと思った。

 軽い気持ちで考えていたことが、どれだけ彼女を傷付けたか、心から反省する事だと思った。


「アリア、申し訳ない。本当に申し訳ない。君は仲間だ。誰が何と言おうとも俺達の仲間だ。傷付けて本当にごめん……」


 素直に頭を下げる。

 畳に座っているのだ。土下座しようと思えばすぐにできる。

 だがそうすることが逆に不誠実に思えて、俺はあぐらをかいたまま、深々と頭を下げた。


「二度とこういうことはしない。約束するよ。間違っていたのは俺だ。許してほしい」

「ありあごめんなさい……」


 神妙な面持ちで頭を下げる俺に触発されて、ノリちゃんまでもがしゅんとしながら頭を下げる。彼女はどうして俺が謝っているかも理解は出来ていない。

 だが誰よりも優しい彼女は、アリアが傷つきその要因が俺達にあることを彼女なりに察知して、アリアと仲直りしたいと、ただその一心で自発的にごめんなさいをしたのだ。

 一晩寝る間にも、手が届かない程のスピードで成長していくノリちゃんに置いて行かれるような気がして少しだけ寂しくなる。

 俺は様々な想いを胸に抱きながら、無言で骨粉をアリア専用のたんぽに入れた。

 そして未だにしゃくり上げているアリアを優しく掴むと、鞘から抜き放つ。

 その美しい刀身に魅入られそうになる気持ちを押さえながら、彼女を労る様にたんぽでポンポンと打ち粉をまぶした。


『ふ、ふんっ! ゆ、許したワケではないんじゃからなっ!』

「ああ、わかってるさ。俺がこうしたいんだ。いいだろ?」


 次第にリラックスしたようにユラユラと揺れ出すアリア。

 俺はただただ無心で彼女の手入れをした。

 

『さ、さすがベヒーモスの骨粉は効くのう! お肌にハリが戻って来た気がするのじゃ……!』

「ははは。なによりだよ」


 違いの分からない女、聖剣アリア。

 だがそんな事はどうでもいい。たかが肥料用の焼骨灰だとしても、アリアがいいというのなら、きっとそれでいいのだ。

 いつか本物を使って今日この日の事を笑えれば、俺達の歩む物語はきっと素晴らしいものになるに違いないのだから。

 

『なあ、汝れよ。これでオルテナよりお肌プルプルになれるかな?』

「ああ、きっとなれるさ」


 当分、ホントの事は言えないなと苦笑しながら、俺はたんぽを振り続けた。





◇ ◇ ◇ ◇






「団長、僕はこの街は初めてなんですけど、意外と普通に栄えた街なんですねえ。ヒトガタが多いっていうからもっと、こう…… 荒んだ無法地帯だとばっかり思ってましたよ」


 男の右後ろから掛けられた声。

 無言でそちらを向くと、興味深めにあたりを見渡す副団長。金獅子騎士団共通の装備である金色のプレートメイルを着込んだ、まだ顔の幼さを残す青年、エキドナ・マクスウェルがいた。

 高級貴族出身であるにも関わらず、様々な障害を跳ね除けてひた向きに努力する姿が目に留まり、ライオットが隊へと誘った弟のような存在だ。


「エキドナ、ここはレガリアじゃない。言葉に気をつけろ、『ヒトガタ』というのは明確な差別用語だ」

「差別してるつもりはないんですけど、本国ではそっちの方が普通なんでついうっかり……」


 人間至上主義が根強いレガリアにおいて、他種族は人の形をしている「人間モドキ」という侮蔑を込めて「ヒトガタ」と総称される。同国と密接な関係にあるマイノリアでもそれは同様だ。

 公的にも慣習的にも地位が低い彼らはあらゆる権利が制限され、文句があるなら出ていけと言わんばかりの不遇の対象となっている。街を歩くヒトガタの殆どは奴隷や犯罪者であり、疲れた表情と淀んだ瞳が彼等の悲しい境遇を物語っていた。そして人間の子供たちはそんな彼等に近づくなと教育されるのだ。

 それがどうだろう。ここゼプツィールではそこらじゅうに多種族が行き交い笑い合っている。宵にはまだ早いこの時間に、人間と肩組み杯を交わしている者さえいる。

 レガリアで生まれ育ったエキドナにとって、にわかには信じられない光景が広がっていた。

 

「さすが流浪の民の到着地、最果ての街ゼプツィールですね……」

「そうだな。流出する多民族を吸収することで栄えてきたこの国にとって、人種など些細な問題なのだろうな」


 そんな事情があるからなのか、公使団に過剰な警戒が向けられる事も特になく、目につく町民たちは皆思い思いに今を楽しんでいるように見える。

 今すれ違った黒髪紅目の美しい少女などは、無表情ながらも鼻歌を歌いながらスキップして肉屋へと入って行った。何か嬉しい事でもあったのだろうか。

 少ししたら、彼女の後を付けていたらしい不穏な一団が、先程の肉屋を覗き込んでいるが、きっとそれはそれでいいのだろう。

 男が視線を前に戻して軽く息を吐く。

 

「この街に、あいつがいる……」


 男は夕日を背に、自身の影に目を細めながら呟いた。

 ひと月にも及ぶ護衛任務もひとまず終わりだった。

 正確に言うと、護衛任務は終わっていない。まだ街に入ったばかりで、街の中心街にある公使館まではまだ少し先だ。

 だが、ここまで来ると旅程など終わったに等しいのも事実。

 大国レガリアの紋章が通用しない無法者や魔獣蠢く城壁外とは違い、街に入ってしまえば、他国の貴賓馬車を騎士団が囲っている集団なぞと悶着を起こす馬鹿などいるわけが無い。

 何を言わずとも、町民たちは道を空けるし、敵対する者など見当たらなければ、いる筈も無いのだ。


「団長、アイツってやっぱり例のアレですか……? 【堕天】イガワの事ですか?」


「そうだ。お前が入団する直前に我が国から出ていったアイツが、この街で暮らしている」


 回顧の念を宿した瞳を細めながら、ライオット・ハーネストは答える。

 その瞳に宿るのは一言では表せない複雑な感情。喜び、懐かしみ、同情、そして憎悪。

  

「俺の友であり理解者であり戦友であり、そして…… 仇である男がこの街にいる」


 不穏な決意を秘めたその一言が持つ迫力に、エキドナは圧されながら口を開いた。


「誰もが知っています。あの勇者と団長は魔王討伐を成し遂げた際のパーティーであったと。それなのに『仇』とか一体何があったんです?」


 それは当然の疑問だった。

 金獅子騎士団団長ライオット・ハーネストは4年前に魔王討伐を成し遂げた勇者パーティーの一員であった事は、今や赤子でも知っている話であったし、揺るがし様も無い事実であったからだ。

 それなのに当事者であるライオットの口から放たれた「仇」という言葉。

 彼に近しい副団長でなくても疑問に思う。

 だが金の男はその質問に答えずただ首を振ってこう言った。


「それは俺達の問題なんだ」


 その拒絶ともとれる突き放した言葉に、エキドナは憤るでもなくただ苦笑しながらため息をつく。

 

「詳しくは聞きませんけど、変な気を起こさないで下さいよ団長」

「ははは、せっかく最果ての街まできたんだ、3年ぶりの再会と洒落込むのも悪くないだろう?」


 それは本気かそれとも冗談か。

 今回の任務はあくまで公使の護衛である。それ以上でもそれ以下でもない。

 理屈の上では、イガワが積極的に接触してこない限り、団として関わり合う事など有り得なかった。

 しかし、人の口に戸は立てられないとはこの事だ。

 機密である筈の今回の公使訪問の目的はもうすでに団員全員に知れ渡っており、その目的が先程の言動を不穏なものにさせていた。


 通常、他国への意思表示は親書で行う。そして緊急の案件や重要な案件の場合でも、伝達魔法で連携をとった滞在官を通して行うのが普通である。

 その理由は単純明快。危険だからだ。

 城壁を出た瞬間、魔境でなくても魔獣による散発的な襲撃は行われるし、そんな危険地域で生きている野盗の襲撃だって馬鹿には出来ない。

 大まかな生息域はあるものの、この地域にはこの魔獣しか出ないなんてルールは無く、唐突に高ランクの魔獣が出現することだって珍しくない。

 屍の転がっていない街道など皆無。屍の第一発見者は手を合わせ冥福を祈りながらその装備や所持品を漁る。城外には、そんな荒みきった常識がまかり通る厳しい荒野が見渡す限り延々と広がっている。

 それだけ大きなリスクを天秤にかけてなお利益がある者だけが荒れ野を行く旅人となるのだ。間違っても国益を背負った高級官僚がホイホイ出て行っていい世界ではない。

 

 逆に言えば今回の公使訪問はそんな危険を冒してまで価値がある重要な案件だという事で、自ずとその内容も限られてくる。

 以前からギルド周辺からある程度精度の高い情報として、早々から元勇者がこの街に居るらしいという話は回っていたのだ。

 そして起こった、かつてない規模の魔獣大侵攻。それを止めたとされる竜の存在。発動され一撃で周辺数キロを破壊したとされる大魔法。直後に決まった公使訪問。

 もしかしたら誰も機密を口になどしていないのかもしれない。経緯がわかりやすすぎるのだ。


「どちらにしろ、アイツとは顔を合わせる事になるだろう。その時は……」


 剣呑な雰囲気を纏うライオット。

 茶化すことを躊躇うほど真剣な表情のまま彼は言葉に詰まる。まるで自身でもどうするのかわからないといった複雑な想いがそこにはあった。


「まあ僕は団長について行くだけですが無茶はしないで下さいよ。金の勇者ライオット・ハーネスト殿」

「わかっているさ。俺だって子供じゃない。わかっているさ……」


 もうすぐ日が暮れる。

 油断などはないが、それでも公使館までの道程に問題などはないだろう。

 夜でもない、昼でもない、そんな中途半端な夕闇が皮肉気に金の鎧を朱色に染め上げる。

 そんな空を仰ぎながら、金の男は人知れず呟いた。


「報いを…… 受けさせてやる……」





□□□□□□□□□□□



 



――――カラン



 いつも通りドアを開けると、いつも通り心地よく鳴り響くドアベル。


「いらっしゃいドロテアちゃん」


 ドアを開け、そう多くない階段を降りた先、カウンターの中から野太い声が掛けられた。 

 

「……むう、ドロテアちゃんではなくドロちゃん。何回言ったらわかるのマスター」

「細かい事気にしちゃダメよん。小ジワが増えちゃうわよぉ? それに「マスター」じゃないわ! マ・マ!!」


 どこか得意げに体をくねらせるながら、バチコンとウインクをした人物はこの店の主。

 今この時、店内を照らし上げている品の良い間接照明の中でも、一目でわかるほど口周りを青々と茂らせ、太すぎる眉毛は見事に眉間でドッキングしている。

 美しくパンプアップされた肉体に纏うのは、潔いまでにネグリジェ一丁。

 丈が足りないネグリジェの裾からは、唐突に丸太のような足が二本生えている。そしてどうやってその重量級の体を支えているのだろうか、履き物は目を疑うほど踵の細いヒールだ。

 正真正銘のオカマがそこにいた。そして、おかっぱから覗く猫耳がやけに攻撃的だった。


「……私は永遠の10代。ピチピチの160歳」

「微妙なサバ読みね。しかも前後のセリフが矛盾しているわよ」

「……細かい事は気にしないほうがいい。小ジワが増える」


 ドロテアが慣れたように階段を降り、カウンターしかない小さい店内を見渡して足を止める


「……珍しい。お客さんがいる」

「珍しいって何よ! あたしはこれで商売してんのよ!」


 5席ほどしか無いカウンターの真ん中の席で、酒の入ったグラスを片手に突っ伏している大柄な女性が一人。

 ドロテアはその女性を一瞥すると、何事もなかったようにカウンター奥の席へと腰を沈めた。


「……マスター。私はいつものお酒。代金はいつも通りオリピーにツケておいて」

「マスターじゃなくてママよ「マ・マ」!! んもう! わかってるわよぅ! ホント娘さん可哀想なんだからっ!」


 見る人が見たら吐き気を催すほど体をくねらせた獣人マッチョがドロテアに酒を出す。

 それに一口、コクリと喉を鳴らしたドロテアがいつも通り平淡な口調で問いかけた。


「……この人生きてるの?」

「多分生きてるんじゃない? 先にお代は貰ってるし問題ないわよ」

「……そう」


 全く興味は無いとばかりに手元の酒を呷るドロテア。

 すると突然、突っ伏していた女性が、「ううーん」と呻き声を上げながら顔を上げた。


「……生きてる」

「生きてるわねえ……」


 起きた拍子に、バサリと後方へ流された髪。そこから露わになったのは息を呑むほど美しい造形。

 無造作に着こまれた布服は、パッと見、鎧か何かの下に着こむ下着のようなものだろう。だがそんな地味な装いでも彼女の美しさを閉じ込める事は出来ない。

 軽くウェーブのかかったボリュームのある金髪の根元には、白銀(プラチナ)のサークレット。深く鋭い目元と、高く尖った鼻梁が芸術的なラインを描く。おそらくは透き通るほど白くキメ細かい肌が、飲み過ぎた酒のせいで赤く染まっているのが非常に残念だ。

 その女性は呻き声を上げながら顔を上げると、ブツブツと訳のわからない独り言を呟きながらドロテアの方を向いた。

 そしてドロテアを認識したのか、片眉を上げ片目を細めながら言い放つ。


「あぁん? あんた誰?」


 まごう事無き酔っ払いだった。

 

「……私はドロテア」


 律儀にも美しき酔っ払いの誰何に答えるドロテア。

 すると、その女性はオロオロするマスター(ママ)に構わず、清く正しい酔っ払いらしく、見事に脈絡の無さを見せつける。


「あんだよ何見てんだよ可愛いお嬢ちゃんよぉ…… おめー彼氏はいんのかよ?」


 行きつけの飲み屋で初見の酔っ払いに絡まれる、普通なら無視するところだ。

 だがドロテアはその質問に何か思うところがあったのか、付け入る隙さえ見当たらないほどのスピードで間髪入れずに断言したのだ。


「……いる。というか旦那様」

「んだよもぉぉぉぉ~~~~~っ!!!」


 酔っ払いの女性がその大柄な体を捩じり込みながら頭を掻き毟り、カウンターをバシバシと叩きながら叫んだ。


「……子供は5人作る予定」

「死ねっ! 彼氏持ちは全員死ねっ!! オヤジっ! おかわりっ!!」

「『オヤジ』はやめて。わたしは『ママ』よ」


 醜い嫉妬を剥き出しにする酔っ払い。

 すると壊しそうな勢いでカウンターを叩いていた女が、ゴンっとカウンターに頭突きをかまし、新たに注がれた酒を一気飲みすると、ギロリとドロテアを見やる。

 そして嫉妬と同様、白目を剥き出しにムカつくくらい鼻を膨らませて呪詛を吐き出した。


「へーへー よかったですねー ちっこくて可愛くて。どーせイケメン捕まえてヒーヒー言ってんだろ畜生!! あたしもヒーヒー言いてぇっつーんだよ! どーせあたしゃデカい女ですよってんだクソったれ! オヤジ!! おかわり!!」

「んもう! だから『ママ』って言ってるでしょっ!」


 確かにその女は大柄だった。

 おそらく立ってみるとイサオより一回りは大きいだろうし、ドロテアと比べると大人と子供程の差があるに違いない。

 だがその美しい(おもて)から視線を落としてみると、出るところは出て、引っ込むところは引っ込むという見事なプロポーション。カウンターに乗せた胸には深い谷間が描かれていたし、張り出した肉感的な尻は男共の視線を釘付けにする事間違い無しだ。

 人の好みなど千差万別に違いないが、それでも嘆くような容姿である筈がない。彼氏が出来ないのにはきっと他の理由があるハズだ。

 

「いぃっっっっつも男の方から近づいといてよぉ、チヤホヤしときながら酒飲む度に逃げ出しやがって…… 酒飲んで何が悪いってんだチン○ス共がっ!! オヤジ! 酒だ!」


 酒乱だった。

 このゴージャスな残念美人は、酒で人生損するタイプらしい。

 もう訂正することを諦めたママ(?)が無言で女のグラスに酒をついだ。

 すると何を想ったのか、ドロテアが女を覗き込むように問いかける。


「……どうしたの? 私は悩める女の味方」


 そんな有り触れた安っぽい台詞のどこが女の琴線に触れたのだろうか。

 酔っ払いの女はその端正な顔をクシャリと歪めると、絞り出すように呟いたのだ。


「振られた…… これで89人目…… ダメか!? あしたしじゃチ○ポコ立たねえってのか畜生っ!?」  


 ここはもう既に異世界酒場だった。

 脈絡も無ければオチもない、そんな事はわかり切っていても女達にとっては関係など無い。

 きっと他に原因があるんですよという冷静な分析は意味を成さない場面だった。

 愛しい人をモノにする、そんなひたすらシンプルな欲求を共有するだけで女たちは共感できるのだ。

 ドロテアは黙って立ち上がると、彼女の隣の席に座る。

 そしてそっと女の肩に手を添えると、あなたの気持ちはよくわかると言わんばかりに小さく頷いた。


「……わかる。私も数年越しの想い人を娘に盗られかけた。そしてそれは現在進行形」

「うぅっ…… 彼氏が欲しいよぅ…… もう私も26だよぅ……」

「……大丈夫。私は186歳。女は幾つになっても恋する権利が有る」

「ホント……? あたし【聖女】とかもうどうでもいいっつーの…… 早く彼氏作って父ちゃんを安心させてーんだよ…… オヤジぃ お酒くらさい……」


 ドロテアが我が子をあやすかのように、軽く鼻をぐずらせ始めた女の頭をただ無言で撫でる。

 体格的には全く逆のはずだが、ドロテアが放つ強烈な母性が違和感を感じさせない。

 酔っ払いの女は、その後も溜まっていた胸の裡を吐き出す様につらつらと語りだし、ドロテアは黙って女の頭を撫でながら相槌を打つ。

 しばらくそうしていると、少し落ち着いたのか、その女が鼻を啜って泣き笑いをした。


「おめーいい奴だなぁ…… なんかちょっと元気でてきたわ。今度お礼する」

「……気にしなくていい。同じ女として当たり前の事をしただけ」


 すると女は、軽く首を振りながら「あたしは恩は返す主義なんだよ」と言うと、驚くべきことを語り出す。


「あたしはマイノリア聖王朝から来たんだ。今日着いたばっかりなんだぜ?」

「……へえ」

「長い間滞在はしないから短い付き合いかもしんねーケドさー、お礼はすっから」


 唐突に放たれた驚愕の言葉に、ドロテアの目がスウっと細まる。

 ―――聖十二騎士(ゾディアック)に気を付けろ。

 頭にチラつく皇王の言葉がドロテアの警戒心を一気に引き上げた。この時期にマイノリアから来たとなると、その関係を疑わないわけにはいかない。タイミングが良すぎるのだ。


「あたしの名は…… 『マクラーレン』っつークソみてーな姓もあんだけどさー、本当の父ちゃんの姓は『ゴールドハート』っつーんだ。カッコいいだろ!?」

「……そう」


 だが女は、そんなドロテアの様子などどこ吹く風。何の思惑も、微塵の警戒心も見せずに、ケラケラ笑いながら言い放ったのだ。


「あたしはアイギス。アイギス・ゴールドハート。【聖女】って呼ばれてんだこれがまた。クッソウケるし」

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