オフィーリアの憂鬱③
[イガワ様ご一行の御到着です!」
腹に来る重低音と共に開かれる重厚な扉。
扉の先に拡がるはちょっとした体育館ほどの広さがあるホール。
そして正面奥に設置された玉座、そこに体を沈めているのはこの国の政を司る最高権力者。皇王だ。
俺は軽くテンパってキョロキョロと周りを見渡した。
一体このホールは何畳あるのだろうか。この城は何LDK、いや何SLDKなのだろうか。
どんな種類の建物であっても住処である以上、「畳」や「LDK」という小市民的単位で物事を考えてしまう自身の定規の小ささに愕然とする。
「あるじー おしろ! でっかいおしろだー!」
俺にしてみれば、20畳を越えたら全部城なのだが、今、足を踏み入れている建物は正真正銘の城だった。
我が家のお姫様にとって、ベルトさんの屋敷は「おしろ」だし、ここは「でっかいおしろ」だ。
世界を左右する存在たる神竜が、実に小市民的感性を育んでいることに安堵すると同時に、俺自身の甲斐性の無さを再認識して涙目になった。
「そ、そうだねノリちゃん…… 本当にお城だね……」
「あんなー おうじさまとなー おひめさまがくらしています!」
「俺にとってノリちゃんもお姫様なんだけど2DKでごめんね……」
謁見の間。
どうやって照明を設置したのか皆目見当もつかないくらい高い天井。
床より数段高くに配置された玉座に鎮座する皇王を正面に、右手には武官が並び左手に文官が並んでいる。皆が皆、俺達を値踏みするかの様な視線を投げかけてきていて、目線を落とさずにはいられない。
後ろでバタンと扉が閉まる音を聞いて、俺は反射的に身を竦ませた。
前に進むよう促された俺達5人は、多くの文官、武官に見守られながらその横を素通りする。
そして人の並木が途切れたあたり、玉座へと続く階段の手前で片膝を付くとこうべを垂れた。
「おお よく来たな。本来なら出向くところだが何分自由が利かぬ身、許せ。そんなに畏まらんでもよい。顔を上げなさい」
「は、はいぃっ!」
情けなく声が裏返ってしまったのもしょうがない。余裕なんてないのだ。
生まれも育ちも小市民な俺にとって「権威」というものは天敵だ。たとえ弱肉強食のこの世界で、最強クラスの力を持つ【勇者】になった今とてそれは変わりはしない。
召喚されたばかりの時は、怒りや興奮で粗相する場面もあったかもしれないが、もうかれこれ4年。この世界の価値観を知らぬ存ぜぬで通すには無理がある。
たまにラノベやら何やらで「この世界の王様に頭を下げる筋合いは無い」とか断言してしまう主人公の肝っ玉の太さが心底羨ましいと思う。
目上を敬う事を美徳とする日本社会で育ちながら、そんなことを言えてしまうのは純粋培養のDQNか馬鹿かどちらかだ。
緊張のあまり、弾けるように顔を上げて首の筋を少しだけ痛めてしまった。全然笑えない。
すると横に居るチャラ男が小声で話し掛けてきた。
「イサオちゃん、マジキンチョーしまくりマジ超ウケるんですけど……www」
「うっせえ黙ってろ……っ」
それでも無意識的に周りの様子を伺うのは冒険者としての癖だ。
見る限り、レガリアの派手でケバケバしい謁見の間と比べれば随分と地味で質素だが、その質素なつくりが人物を余計に浮き上がらせていた
「我々に害意は無い。そんなに警戒するでない」
重厚な声音でそう言い放ったのは玉座におわすこの国の頂点、皇王ジュラス・グングニルその人だ。
権威は血に宿るのか、それとも衣に宿るのか。
俺はその両方だと思う。
絵本に出てくる王様のイメージ通りの豪奢な衣、そしてその下で息づく大柄で鍛え上げられた肉体から垂れ流される「威」はにこやかに笑っている今でも変わらない。
そして、そのにこやかな顔にはそぐわないほど鋭い眼光を宿した瞳。
この空間の空気がピーンと張りつめているのは、間違いなく彼の存在が理由だ。
今、多くの人がこの広いホールに集まっているが、彼だけはどこに立っていようとも一瞬で見つける自信がある。
在り来たりな言い方かもしれないが、オーラが違うのだ。
「そなたが4代目勇者、イサオ・イガワ殿か。気を悪くしないで欲しいのだが、信じられぬ……。もっとこう…… 魔獣のように厳つい益荒男だとばかり思っておったわ。格好によっては女冒険者と間違えられる事もあるのではないか?」
「はい……、実は何度か……」
微妙にトラウマを刺激された俺。
権威のせいではなく普通に凹んで頭を垂れた。
「はっ! あるじがいつのまにかおんなのひとだったっ!?」
「の、ノリちゃん、違うよ! あるじはずっと男の人だよっ!」
う~んう~んと難しい顔をしているノリちゃん。
ホールに漂う緊張感が自然に緩んでいくのは彼女のおかげだ。誰もがその微笑ましい姿に頬を緩ませる以外の選択肢など持たない。
俺も少しずつ緊張がとれてきて、状況を見る余裕が出てきた。
「そなたの仲間たちも紹介して欲しいが、ならばこちらから紹介するのが礼儀であろう。クリシュナ、軽く自己紹介しなさい」
「御意に」
すると王様に向かって右、横に並ぶ3人の女性の一人が1歩前に出て口を開く。
「はじめまして勇者様。第一王女、クリシュナ・グングニルです。主に外交を担当させてもらっております。御目にかかれて光栄です」
極めて形式的で簡素な自己紹介だったが、柔らかな物腰と笑顔がそう思わせない。
ボリュームのある金髪を流れるままに任せ、その豪華な美貌を完璧にコントロールした笑顔は、男なら誰もが鼻の下を伸ばしてしまうこと請け合い。彼女を花にたとえるなら、薔薇一択だ。
良く見てみると、父親譲りの鋭い目だけが笑っておらず俺は少しだけ背筋が寒くなった。
敵意は感じないのだが、綺麗な花にはなんとやら。
何となくわかる。この人は怖い人だ……
「ティナ」
「第二王女ティナ・グングニル。学術と研究を担当してる。単刀直入に言うと君に興味がある。正確に言うと君が居た世界に興味がある。今度話を聞きに行くからよろしく頼むよ!」
「あ、はい……」
これほどドレスが似合わない美人さんがいるだろうか。
黄緑の髪をビシッとアップに結って、この世界では高級品である片眼鏡を押さえる姿からイメージされるのは秘書か教師だ。
きっとビジネススーツか、よれよれの緑ジャージが最高に似合うタイプだろう。
そんな彼女は、そのざっくばらんな口調と相まって、俺の良き恩師を思い出させた。
村上監督、今はどうしてるだろう。間違って吉井と付き合ったりしてしまっているのだろうか。
そうして苦笑していると、王様が次の王女の名を呼んだ。
「オフィーリア」
すると一番右にいた女性が一歩前に出て口を開き、そして閉じた。
濃緑の髪を後ろで縛り、化粧気も何もない剥き出しの美貌を晒す彼女は、何故か俺の顔をじいっと見据えて離さない。
様々な感情が浮かんでは消えていく彼女の顔、時折、敵意に近いものすら浮かぶその顔を見て、俺は段々不安になっていった。
なんか見たことがあるような気がするけど、俺何かやらかしたっけ……
不自然な間に眉を潜めた王様が再度彼女の名を呼んだ。
「オフィーリア、どうかしたのか?」
「い、いえ陛下。何でもありませぬ」
彼女はどこか覚悟したように引き結んでいた口を緩めると自己紹介を始める
「会うのは二度目だな。妾は皇国第三王女、オフィーリア・グングニル。軍事を担当している。先日の大侵攻では世話になったな。貴様らのおかげでこの国は救われた。礼を言う」
「い、いや…… 俺達のおかげではなく―――」
思わず出かかった「俺達のせいで……」 という言葉を寸でのところで飲み下した。
この言葉を口にしても、今この場にいる誰もが幸せになれない。そう思ったからだ。
鬱屈した想いが体を循環し、視線を落とした時、何気に重大な事に気付いた。
「えーと、その、会うのが二度目……?」
「そうだ。あの戦場で引き上げの準備をしている時、話したのを覚えていないのか?」
「えっ」
思わず言葉に詰まった。
人の理など通用しない戦場だといえども、会話をしたその国の王族を覚えていないとか失礼にもほどがある。
だが、あの戦場で出会ったどの女性とも、今目の前にいるドレスアップした女性が一致しないのだ。
すると、口をモゴモゴ、必死に言い訳を考える俺の横で、誰よりも元気なノリちゃんが元気に叫んだ。
「うんこのひとだー!」
いくら緊張していても粗相をしてしまったとしても、俺は愛する彼女の保護者であることに変わりなどない。
俺は保護者としての役割を果たさなければならなかった。
「の、ノリちゃん! めっ! めっ だよ! こういうところで『う○こ』とか言っちゃいけないし、それより女の子が人前で『う○こ』とか言っちゃいけないっ!」
アイドルは運子しないし、気になるあの子も運子はしない。
だからノリちゃんも運子なんてするわけがない。
そんな幼き時代のテンションでノリちゃんを叱る俺。
するとノリちゃんは「めっ」する俺に珍しく食い下がってきた。
「だ、だってなー うんこいっぱいのきれーなおねーさんがいてなー あるじも『うんこいっぱいついてたね』ってゆったー!」
「の、ノリちゃん!!」
王族の前で、割とヤバめの不敬発言を暴露された俺。
過去最高の速度で血の気が引いて行くのを感じた。
俺はそうなって初めて王女様と記憶の中の女性が一致する。
何てことは無い。あの戦場で何百、何千とぶち撒けられた臓物。
足を滑らせ転べば当たり前のように汚物を浴びる、大型魔獣のただ1匹でも腹を切り裂けばそこらじゅうにソレは撒き散らされる。汚れ一つ無く綺麗に闘った者など誰一人としていなかったし、汚れていなかったのは後から来たチンケなニョーラだけだ。
あそこはそんな地獄だったし、それが魔獣大侵攻なのだ。
戦士たちの治療中、俺にノリちゃんの事を聞いてきた一際うんこ塗れの女性がいた。髪の色などは分からないほどだった。
所々、肌が切り裂かれ肉が剥き出しになっていたので、感染症が心配になった俺が治療しようとすると、「他の兵士を優先してくれ」と言い残し立ち去った。その人が王女様だったのだ。
考えてみれば、皇国の斬込部隊の隊長を務めると言われる女傑が綺麗でいられるはずがない。
彼女は誰よりも勇敢に、誰よりも多くの魔獣を屠っていたのだ。
俺はその地位が持つ「責任」という言葉の意味を見せつけられたようで、ただ黙って口を噤んだ。
だが、そう思ってはいても、さっきのはさすがに無礼すぎる。
恐る恐る視線を第三王女に戻してみると、彼女は俯き拳を握りしめ、プルプルと震えていらっしゃった。
やっべえ。めっちゃキレてるやんけ。
「で、でも! ひぐっ…… う、うぅ…… あるじも…… あるじゆったもん!」
うえええんと泣き始めてしまったノリちゃん。
俺は両手でTの字を作ってみなさんにタイムを要求するとノリちゃんを抱えて広間の隅の方に移動した。
そして未だにしゃくりあげるノリちゃんの目線に高さを合せるよう、床に座り込む。
「ノリちゃん。確かにあるじはそう言った。だけどね、言葉っていうのはその時によって言っていい事と悪い事があるんだ。本当の事でも言われて傷ついたり悲しくなったりする事もあるんだ」
「ノリ…… ノリ悪いことゆった……? ノリ悪い子なの……?」
「違うよノリちゃん、ノリちゃんは良い子さ。君はとっても良い子なんだよ。良い子だって間違えたりするさ、あるじも沢山間違えて迷惑をかけたり助けてもらったりして何とか生きているんだ」
俺の話を聞いて、俯き泣いていた彼女が上目使いで俺を見上げる。
座った俺よりもまだ低い位置から俺を見上げる彼女を見て、俺は唐突に根拠のない罪悪感に襲われた。
忘れそうになるが彼女はまだ2歳なのだ。
俺が2歳の頃はどうだったのだろう。良いも悪いも無く、ただ我儘に他人を振り回していたのではなかろうか。
それに比べ、今、如何に目の前で肩を震わせる小さな小さな存在の気高きことか。
右も左もわからずとも、それでも一生懸命良い子になろうと頑張る彼女を叱る資格が果たして俺にあるのだろうか。
たまらず彼女の目尻を拭ってしまう俺が酷く理不尽に思えたのだ。
「あるじもまちがうの……?」
「そうだよ。あるじもいっぱい間違う。だからノリちゃんだっていっぱい間違えていいんだ。知らない事は悪い事なんかじゃない」
自分の口から出た言葉が自分の胸に刺さってドキリとする。
これからモノを知り、色んな経験をして成長していくであろうノリちゃん。
今俺が言ったような事など、聡明な彼女はきっと当たり前の様に自分で処理するようになる。そして今、ノリちゃんに向けた言葉がいつしか俺自身への言葉へとすり替わる日が来るのだろう。
結局、どうしようもない俺はいつまでたってもどうしようもないのかもしれない。
「まちがったら、どうするの……?」
いつも間違え続けた俺にとって、結局やるべき事は変わらないのだろうと思った。今も昔も、そしてこの先も。だから俺は自身に言い聞かせるように言葉を噛み締めたんだ。
「助けて貰ったらありがとうしよう。迷惑をかけたらごめんなさいしよう」
すると、いつもの通り凛々しい我が姫は、鼻をすすって顔を上げ、真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐに言い放った。
「ノリ、おねーさんにごめんなさいします!」
「そうだね、あるじも一緒にごめんなさいするよ」
エスコートするつもりで伸ばした手を掴んでグイグイ先に行くノリちゃん。
もう彼女に先導など要らないのかもしれない。進むべき道は彼女自身が決められるのだから。
そうして嬉しさとも寂しさともつかない感情を呑込むと、俺はただ苦笑して彼女と共に玉座の前へと向かったんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ノリはまちがえました。おねーさんごめんなさい」
ペコリと可愛らしく頭を下げるノリちゃん
「王女様、本当に申し訳ありませんでした」
俺もノリちゃんの横で深々と頭を下げる。
すると突然、父ちゃんの顔が何の前触れも無く俺の瞼を横切った。
父ちゃんもこんな気持ちだったのだろうか。
下校中、友達とふざけていて、たまたま通りかかった女の子にぶつかり軽い怪我を負わせてしまったあの日、俺は菓子折りを持った父ちゃんと一緒に女の子の家まで謝罪しに行った。
完全亭主関白制度を導入していた井川家で生まれ育った俺にとって、深々と頭を下げる父親の姿は衝撃的だった。
悪いことをしたとは思ったが、その時は正直、ワザとでもない擦り傷程度の事故で、なぜ父ちゃんがあれほど真剣に頭を下げるのか不思議でならなかった。
でも今ならその気持ちがよくわかる。
彼女の保護者として、責任を持つ者として、本当に素直に心からの謝意を伝えたいと真に思う。そして、頭を下げる俺の姿をノリちゃんにきちんと見せたい、そう思った。
いつかノリちゃんもきっと、父ちゃんや俺と同じ立場として頭を下げる日がやってくる。そして今日この日の俺の姿を思い出してくれたら、俺が泥臭くも必死に生きてきた意味はあるのだ。
頭を上げると、皇王も、当の第三王女も少し驚いたようにこちらを見ていた。
「よい。もうよいぞ。そなたらの真摯な謝意は十分に伝わった。オフィーリア、お前もよいであろう?」
「はっ、陛下。むしろ妾は安心しました。」
「であろうな。これでワシも何の迷いも無くこの国の在留を許可することが出来る。巨大な力も正しく使われるならば、脅威でも何でもない」
そう言って顔を綻ばせる皇王様。
何のお咎めもなかったことで安心した俺に皇王様が嬉しそうに言った。
そして皇王は、数人の大臣や武官を紹介すると俺達に向き直る
「軽くではあるが、こちらの紹介は終わった。次はそなたらの仲間を紹介してはくれぬか」
俺は、わかりましたと頷き、俺を見上げるノリちゃんに「オルねーちゃんのところに行こうかノリちゃん」と声をかけた。
ノリちゃんは嬉しそうに頷くと右後方で佇むオルテナの前に行き両手を上げる。オルテナがそのサインを見逃さずにノリちゃんを抱き上げた。そこまで確認して俺は再度、皇王に向き合う。
散々悩み、誤魔化そうと考えたりもしたが、ここまで来たら隠したってしょうがない。隠せるわけもない。
それにここで嘘をつくと、俺達を受け入れると言ってくれたこの国との信頼関係を築くなど出来はしないだろう。
俺は皇王の目を真っ直ぐ見つめて言い放った。
「もう知ってると思いますが、彼女が神竜、ノリちゃんです」
一瞬でホールが喧騒に包まれる。
800年前、大戦の契機となった伝説の存在そのものが今目の前にいるというのだ。予想していたとはいえ動揺しないハズが無い。
そこらじゅうで発せられるのは 「噂は本当だったのか」といった類のヒソヒソ声。
一瞬で様々な思惑が生まれ、容赦なく俺達に降りかかるのを肌で感じた。
だが俺達は前に進むと決めた。踏み出したその場所が俺達の場所なのだ。
「それは、まことなのか……?」
「はい。ウソ言ってもしょうがないですし、正直俺にとってはどうでもいいことですし」
俺の発言で、今度は場内がピリっとした空気に包まれる。
マズったかな、とは思いつつも俺の正直な気持ちであることは間違いなかった。
神竜という存在自体が、今この世界の文化や価値観の根底に流れる源泉なのだとしても、俺にとっては後付のどうでもいい理由でしかない。
俺にとってはノリちゃんが「たまたま」神竜だっただけに過ぎないし、大事なのはあまりにもシンプル過ぎる飾り様も無いただ一つの事実。
「俺の、この世で誰よりも何よりも大事な家族。誰よりも真っ直ぐで優しい、俺の自慢の…… 自慢の家族です」
その他の要素なんて無い。
他意も思惑も目的も無い。彼女の存在、それだけがただ俺の生きる意味だ。
臆することなんて無い。やましい事なんて何一つ無いのだから。
だから俺はいつも通り彼女に声を掛けた。
「さあノリちゃん、王様にご挨拶して」
挨拶する時はキチンと地面に降りて頭を下げるよう、俺が教えた。
彼女はその教えに従い、オルテナからちょこんと地面に降り立つとペコリとお辞儀をした
「はい! ノリはイガワノリです! 2さいです! すきなものはあるじとシチューです! きらいなものはぴーまんです!」
きゅいきゅい嬉しそうに自己紹介するノリちゃん。
ピリピリした空気が一瞬でほわわーんとした空気に取って代わった。
反則的な天使パワーに晒された人々の目尻が冗談みたいに垂れ下がっている。
今日この日、留まることを知らない彼女の可愛さには身分すらも関係無い事が実証された。
「ノリ…… という名前なのか。ノリとやら、この国は好きか?」
「うんとなー よくわからんけどなー いっぱいうれしーことあってなー」
あるじとねー おひっこししたでしょー
あるじとねー おーやばーちゃもいてねー
あるじとねー おしろにきたのー でもおねーさんにごめんなさい
そんでなー ノリなー
滔々と嬉しい出来事を語っていくノリちゃん。
順序も無ければ何の脈絡もオチも無い。ただただ嬉しい事を断片的に口にしているだけで皇王の問いの返事になどなってはいない。
だがそれが逆に、彼女がキラキラ光る宝石のような毎日を過ごしている事を如実に語っていた。
右も左も新しい事ばかりで毎日が新発見の連続であろう彼女が口にする一つ一つが積み重なり、結果的に皇王に対する返事になっている。
天真爛漫で自由な彼女の発言に、いつも一緒の俺だって目を細めずにはいられない。
「本当に素直に真っ直ぐ育っているようだ。もう何も言うまい。イサオ殿、勝手かとは思うが、人類を代表してそなたに礼を言うぞ。きっと彼女は皆から愛される存在になるだろう」
「ありがとうございます!」
今日のイベントの9割は終了したのだと思う。
ボロアパートに集まる勇者とゆかいな仲間達なんかより、超常の存在たるノリちゃんがどういった存在なのか確かめる事が彼等にとって何より重要だったはずだ。
ノリちゃんを知っている俺からすればハナから心配などしていなかったが、それでも目的を達して安心するし、何より俺のノリちゃんが認められて嬉しい。
だから俺は彼等をもっと安心させるための秘策を披露することにしたのだ。
「皇王様、実は俺、世界に通用する俺のノリちゃんの可愛さをふんだんに散りばめた魔道具を持っていまして……」
「おお、それはまた面妖な!」
「ええ、ノリちゃんと出会ってから2年間の全てがヨタバイト級のHDにも収まらないくらい詰まった逸品となっております!」
「よ、よたばいと…… はーどでぃすく……???」
「『ノリちゃんのあゆみ』はバックアップ体制も完璧です! ノリちゃんが嫁に行くときに手渡す予定なんですが特別に披露することもやぶさかではありません! ていうか旦那は殺しますしそもそもそこまでの仲になる前に加工しますんでそんな機会は無いわけですがとりあえず何人たりともそれが例え神であろうと俺のノリちゃんに手を出す虫は生まれてきたことを後悔するほどの苦痛でもっ―――」
「わ、わかった! 今日はアレだからまた今度見せてもらうとしよう!」
どこか焦った感じの皇王様。
賢明な判断だ。『ノリちゃんのあゆみ』を見始めたら可愛過ぎて数日間は帰ってこれないのだから、公務を考えるとやめておいて正解だと思った。
少しだけ残念に思ったが俺だって大人だ。仕事の重要性は理解しているつもりだし、この後に待っているであろう激務を考えると軽々に誘惑などするべきではないのだ。
「い、イサオ殿、ノリちゃんの紹介はわかったから、他の仲間を紹介してくれぬか!?」
「わかりました」
政の頂点たる存在ともなると見たいモノだって自由に見れないし、やりたい事ばかりやるわけにもいかない。
富と引き換えに大事なものを犠牲にする彼等の生きざまに敬意を表して、俺は素直に従うことにした。
9割を占めるノリちゃんの紹介が終わり、残った1割は、どうしようもなくお恥ずかしい仲間たちのお恥ずかしいご紹介だけだ。
「コイツ、彼が俺達の良き理解者であるチャラ男…… チャラ……」
俺は右後ろに陣取るチャラ男に小声で問いかけた。
「お前本名チャラ何だっけ……?」
「チャラウォード! マジチャラウォード・カラドボルグだから! イサオちゃんソレはマジ無いんじゃね!? オレマジ超ショックなんだけどっ!!」
「皇王様、チャラウォードです。コイツはチャラウォード・カラドボルグ。俺の友達……かもしれないです」
皇王が片眉を吊り上げて少しだけ口ごもった。
「そなたがチャラウォードか…… カラドボルグ家の聖魔法師。話は聞いておるぞ。今回は微妙な立ち位置だと思うが、何か思惑はあるのか?」
「無いッスよ。あくまでイサオちゃんとはマジ個人的な付き合いだし、家はもうオレ的マジ切っちゃってるんで」
「ならば何故、未だカラドボルグ姓を名乗る? 12神器の姓を持っていれば容易に特定されよう? そなたが家を出た理由は聞いている。ダークエルフの娘とそなたの仲に―――」
「やめろ…… 無駄に敵を作る必要も無いでしょう? 姓は撒き餌ですよ陛下……」
突如として降って沸いた剣呑な雰囲気に息を呑む。
何か言いたげに口を開く大臣たちを視界に収めながら、初めて見るチャラ男のシリアスに俺は度肝を抜かれた。
「ま、オレはオレでマジ自由にテキトーに生きてるってことでマジよろしくって感じでww」
取り繕うかのように放たれたいつもの調子のセリフ。彼に不信感をもったわけではないが、どこか白々しく感じてしまう。
人はみな知られたくない過去の一つや二つ持っているものだし、触れられたくない過去があっても別に驚くことではない。特にこんな世界で暮らしていると吐いて捨てるほど悲しいエピソードはそこら中に転がっているのが現実だ。
だが先程の声音と口調が、俺のしっているチャラ男とどうしても結びつかずに俺は困惑したのだと思う。俺の素性に上り込んでこなかった彼にスジを通す意味でも俺は無言を貫いたが、俺に出来る事があるのならば遠慮なく言ってほしいと強く思った。
「ならば触れないでおこうチャラウォードよ。我々はそなたと敵対する意思はない。それではイサオ殿、後ろに控える麗しい二人の女性を紹介してはくれぬか?」
この話はこれで終わりだとばかりに話をぶった切った皇王。何となくその流れに乗ったほうがいいような気がして俺は無意識的に後ろを振り返る。
まず目に入ったのは、謁見だと言っているのにワンピースにツインテールで城までやってきてしまった残念戦士だった。
理由はよくわからないが、出会った頃の彼女を思い出して俺は首を傾げてしまう。
武士という表現がぴったりな、寡黙でかっこよかった迫撃のスペシャリストが、何がどう間違ってこうなってしまったのだろうと思ったからだ。
俺が生暖かい目で彼女を見ると、彼女は無表情のまま小首を傾げ、頭から生えた二つの尻尾がブラリと揺れた。
それでもまだ見つめ続けると、彼女は目を逸らし、人差し指で尻尾をクルクルといじり始めてしまった。
チラチラとこちらの様子を伺うしぐさは、構ってほしい座敷犬がするソレと同じで、一体彼女がどこを目指しているのかが本当にわからなくなってしまう。
苛められっ子属性、貢ぎ属性、小動物属性と、最近新たな属性獲得に余念の無いオルテナさん、なんでこの子は冒険者なんかやっているのだろう。
誰だ…… オルテナさんをこんなにしてしまったのは……。
数瞬、迷いはしたがそれでも俺の心強い仲間であることに違いは無いので紹介することにする。
「あのー ええと、こちらの女の子がオルテナです。なんていうか、こう…… 俺も最近は間違ってるんじゃないかな~とか思ってるんですが、Sランカー 【闇姫】です一応……」
「はじめまして皇王様。オルテナ・レーヴァンテインです。料理と裁縫が得意なので、主に生活面からイサオをサポートしています」
なんじゃそら
Sランカー関係あらへんやんけ
一応、冒険者仲間として登城が許可されて、俺も冒険者仲間として彼女を紹介したというのに、まさかの生活面サポート宣言に度肝を抜かれた俺。
ホール内、見事に蔓延する「え? 何それ?」的な空気が心底痛々しい。
チラリと彼女を見る。何故か「わたし言ったった」感がすごかった。
「得意技は『本返し縫い』です」
どうやら、この出来ない女の子はもはや後戻りする気など更々無いらしかった。
どう考えたってこの場面で言うべき得意技は『魔力筋構成』や『阻害結界』であるはずなのに、ぬいぐるみ作りの一技術を言っちゃうとかもうホントどうしようもない。
俺が小さくため息をついて視線を皇王に戻す。
先程までにこやかだった皇王は、怖いくらい真剣な表情をし「ふむ」と顎髭をさすっていた。
一瞬だけ背中に冷たいものが走る。何か気に障ることでもあったのだろうか、何か無礼を働いてしまったのだろうか。オルテナさんの残念具合にイラっとなされたのだろうか。
いくら俺達がアホみたいに強い集団だとしても、権力者に不快感を与えて良い事など一つも無い。
「日常」を守りたい俺としては絶対に避けるべき事でもあった。
列席の官職の人たちがそれぞれに目配せをはじめた。一体何が起こるのだ。
数百年もの時を経て血に刷り込まれたであろう、王が持つ覇者のオーラがプレッシャーとなって俺達に容赦なく襲い掛かる。
張りつめる空気、高まる緊張感。ゾワリと肌を舐める寒気に一瞬だけ身震いした。
そしてさらに真剣味を増していく皇王の顔。
俺は成す術も無く、そんな皇王の顔を見上げる事しか出来なかった。
すると皇王は数瞬瞑目し、重々しく頷く。
そして惚れ惚れする様なバリトンの声で、満を持して言い放った。
「ヘイ彼女、お茶しない?」
◇ ◇ ◇ ◇
皇王は数瞬瞑目し、重々しく頷く。
そして惚れ惚れする様なバリトンの声で、満を持して言い放った
「ヘイ彼女、お茶しない?」
威厳と気品に満ち溢れた正真正銘の王から放たれたまさかの一言。
俺が生まれる前に流行ったとされるナンパ用語を、日本から遥か遠いこの異世界で、しかも王族から聞くなんてありえない。だから俺は何かの間違いかもしれないと思ってとりあえず聞いてみる事にした。
「あ、あの…… 皇王様、今何と……?」
すると皇王は厳しい表情からさらに眉間に皺を寄せて再度言い放つ。
「ヘイ彼女、お茶しない?」
絶望的なほどの沈黙がホールに落ちた。
沈黙が耳に痛いなどという表現があるが、それどころではない。こんな攻撃的な沈黙があるなんて知らなかった。
ただただ瞬きを繰り返す俺達5人。
自力での回避は不可能だと判断した俺が、何か突破口はあるかと列席の官職員たちに目で助けを求める。
彼らは皆一同に頭を抱え、苦々しい顔で、「俺達も困ってるんだよ」という心情を見事に表現していた。
階級社会の歪みを目の当たりにした俺が絶句していると、【勇者】などよりよっぽど勇気ある者たちが我が身を省みず上申する。
「陛下! いけませんぞこのような場で!」
「嘆かわしい! 戯れが過ぎますぞ!」
「黙れ! これほど麗しいご婦人を前に声を掛けぬ方が失礼であろう!」
「「「陛下っ!」」」
俺達が完全に置いて行かれている中、窘める部下たちを振り切って皇王がさらに踏み込んだ。
「ねー彼女~ おじさんとアンカー打ちあっちゃたりしな~い?」
と、ようやくここで当の本人が我に返り、動揺にツインテールを揺らしながら拳をギュッと握りしめた。
俺は思う。
そうです。
言っておあげなさいオルテナさん。あなたは腐ってもSランカー。そこらの貴族なんかよりよっぽど発言力がある存在なのです。唯一この状況を何とかできるあなたがビシっと言ってあげないとこの場は収まらないのですよ。
弱肉強食のこの世界では、例え一国の王とてSランカーの意思を無視することなど出来ない。彼等は下手すれば一国を相手取れる超常の存在なのだ。それをわかっている列席者達も縋る様にオルテナに視線をやった。
そうやってみんなの期待が一点に集中する中、その思いを一身に背負ったオルテナが万感の思いを込めて言い放つ。
「え、え、あの、その…… 私その、イサ、イサオが……」
NOと言えない女オルテナ・レーヴァンテイン
未だ、クソ真面目に断ろうとしては言葉に詰まるを繰り返す彼女を見て俺は確信した。
オルテナさんは押しに弱い子だ。しかも訪問販売で買うだけ買わされてクーリングオフも言い出せないタイプだ。
何となく知ってはいたが、改めて目の前で見ると不憫すぎて涙が出そうになる。
皆が出口を見つけられず視線を落とす中、この停滞した空気を打ち払ったのは意外な人物だった。
「父上…… 母上に言いつけますよ?」
第一王女、クリシュナ・グングニル。
蜜を求める虫たちが寄って来そうなほど甘い笑顔で謡うように言った台詞。
傍から見ると、子供っぽい父を嗜める優しい娘の図だが、ヘドロをネチャネチャになるまで煮詰めたような濁った瞳が危険な光を放ち始めていて、内心俺は悲鳴を上げた。
「じょ、冗談じゃ! だからママに言うのはやめて! 新しい関節増やされちゃうから! パパ死んじゃうから!」
女王様何者だよ。
その後二人は二言三言言葉を交わすと、皇王様が再びこちらを向き直った。
「すまぬなオルテナ殿、失礼した。ワシともあろう者が思わず本心を言ってしまったわ はっはっはっ!」
本心って言っちゃってるじゃねえか
笑って誤魔化そう感が半端ないが、あえて何も言うまい。
いくら勇者だからといっても、俺はこの国で暮らすただの一市民なのだ。
「ところでオルテナ殿。そなたの話は聞いておるぞ。純血の夜魔族だとか。我々王族にも夜魔族の血は流れておるのだ。そう考えたらそなたとは遠い親戚のようなもの、ということで親交を深めるためにも是非アンカーを……」
振出しに戻る。
それはいい加減うんざりし始めた俺が、どうにかしてよと列席者達に目配せをした時だった
蕩けるような笑みを浮かべた第一王女がボソっと呟く。
「オイコラポンコツ親父…… テメェお客様の前で何晒してくれとんのじゃボケが……」
表情と台詞の乖離がヒド過ぎて、一瞬彼女が何を言ったのかわからなかった。
今度こそ聞き間違えだと思い、例によって列席者に視線をやると、一人残らず額に手をあて、「アチャー」のポーズをとっている。そして王の横に並ぶ二人の王女が顔面を蒼白にして小刻みに震えはじめた。
え? 何? 何が始まる感じ?
すると、唖然とする俺達を余所に壮大なる親子喧嘩は唐突に幕を開けたのだ。
「クリシュナ! パパに向かってなんだその口のきき方はっ! そんなところばっかりママに似ちゃって! パパ悲しいぞっ!」
「うっせーンだよ色ボケ親父が……! テメェいい加減にしねーとその汚ねえチ○ポコぶった切ってケツにブッ込んで溶接したんぞボケゴラァ!」
必要以上の巻き舌で「ら行」が超怖かった。
「クリシュナ! パパにそんな口をきく子はこうだっ!」
思い切り振りかぶって平手打ちを仕掛けるパパ(皇王)
娘は何のためらいも無くその手を受け止めて捻り、足払いをかけて皇王を転ばせると、極めてスムーズにマウントをとった。
「や、やめなさいクリシュナ! 暴力は駄目だって教―――」
「テメェが先に手ぇ出したんだろうがボケェ! キ○タマブッコ抜いて遠投したんぞクソが! おお!?」
パパのガードする手を掻い潜り、上から鉄槌を落としていく長女。
次に王女様は、左膝でパパの右上腕を押さえる体勢に移行。某ロシア人がビビるくらいの完璧なボディーコントロールで、満面の笑みを浮かべたまま右手を殺されたパパに容赦なく拳を振り下ろしていった。
純白のドレスにピピッと返り血の染みが付く。
ゴッゴッ と、肉が肉を打つ原始的な音がだだっ広い広間に驚くほど大きく響き渡った。
もしリングだったら審判が止めに入ってるタイミングはとっくに過ぎ、そのうち皇王様がピクリとも動かなくなったのを見て、俺の頭の中を「崩御」の二文字が躍る。
第一王女はユラリと立ち上がると、返り血を頬に垂らしながら花が咲くような微笑みを浮かべ言った
「勇者さま。このことは他言無用ですよ?」
三日月形に歪んだ目に浮かぶ瞳が信じられないくらい濁っている。
コクコクと痙攣するように首を盾に振る俺達。
「今日、みなさんは皇王と謁見し、何事も無く帰った。そうですね?」
「そ、そうです! その通りであります!」
事なかれ主義だと笑うなら笑え。
だって怖いんだもの。
あの王女様、グングニルさんとこの一番上の娘さん、完全に捕食者の目をしているんだもの。
俺は聖人でもないし正義の代行者でもない。偉い人が右を向けと言ったら素直に右を向くのが井川勇諸なのだ。
とは言っても、この惨状を目の前に「じゃあ俺達はそろそろ……」とトンズラするわけにもいかなかった。
崩御なされたならばなされたでお悔みを申し上げなければならないし、生きているなら生きているで出来る事はしたという名目が必要であろう。
「あ、じゃあとりあえず念のため回復魔法だけかけちゃいますね」
おそらくもう手遅れだと思ったが一応、王様の御遺体に高位の回復魔法を飛ばしてみる。
すると、鼻血で王衣を真っ赤に染めた皇王がむくりと起き上った。
「ふう~っ 今は亡き父上に会う夢を見た。健勝そうで何よりであったわ! はっはっはっ」
奇跡的に死んでいなかったらしい。
完全にあの世に片足を突っ込んだ皇王が能天気にも高らかに笑う。
笑いごとじゃねーよと思った。
「ではイサオ殿、次はもう一人のおっぱ…… 女性を紹介してくれぬか?」
めげない皇王様素敵。
結末が想像でき過ぎて怖いが、俺は素直に従うことにする。もう面倒臭かったからだ。
「え、ええと、皇王様。この人はドロテア。彼女はええと、そのぉ…… 彼女は…… なんというか……」
言葉に詰まって当然だ。魔王なのだ。彼女はこれでも魔王なのだ。
人類の悲願とまで言われた魔王討伐。
数多の猛者達がこれに挑み、ある者は諦め、またある者は倒れ、ほぼ例外なく魔境を超える事すら出来ずに、彼らの挑戦はその肉体と共に土に還った。ギルドに貼られた依頼書はその役割を放棄し、風化を待つだけの飾りと化している
そうやって悲劇を種の記憶に刻み込まれ続けた人類は、いつしかまだ見ぬ魔王の姿を夢想する。
無慈悲な殺戮を繰り返す異形の怪物。
強力な魔獣共をけし掛け、人類を殲滅せんとする諸悪の根源。
曰く、ドラゴンより巨大な化け物。
曰く、想像が及ばないほど醜悪な悪鬼
誰もがそう教えられるし、そう思っている。それが闇の極点【魔王】なのだ。
それがどうだ。
俺は左後ろに佇むドロテアを一瞥して嘆息する。
眠たげに目を垂らした可愛らしい炉利天使様が魔王だと言ったところで誰が信じるというのだ。
そして、それ以前に【勇者】が名目上でも討伐したはずの【魔王】と一緒に、酒の匂いを撒き散らしながら登城するとかどんな冗談だ。
俺が言葉に詰まっていると、当の魔王様は何を思ったか、ぴょんと軽く前に飛び、着地と同時に口を開いた。
「……私はドロテア。いっくんの妻です」
「おお~~っ!」とどよめきが起きる。
勇者に妻がっ!? というどよめきではないのが非常に悲しかった。列席者の視線を判別する限り、彼等はドロテアが着地する時の胸の動きに驚愕したのだ。
確かにさっきのおっぱいの脈動は空震すら伴うほど激しい動きで、俺が緊急地震速報を出そうか迷ってしまったのも事実だ。
しかし、一応まがりなりにも公式の場で、皇王を含めた男共全員が客の胸の上下運動を目で追うとか正直無い。
なんか今日は色々どうでもいいやと思った俺は思いっきりぶっちゃけることにした。
「ええと、彼女はドロテア。【魔王】です」
たっぷり数十秒の沈黙の後
「「「「――――――――え?」」」」
何を言われたのか理解が追いつかない皆様。
いい機会だと思った。魔族なんて言われていても、彼らは何ら人と変わる事など無い。
魔境第3層に拡がるのは人々が泣き、笑う、そんなどこにでもある王国シンクレア。
種族が持つ特殊能力、『ビーストテイム』のおかげで、魔境で存在することが許されただけの、『人』の国だ。
800年前、人類によって魔境に追いやられたという記録はあっても記憶は無い彼らにとって、人類を憎み続ける事の方が難しいのは想像に難しい事ではないと俺は思う。
そして、もしかしたら、俺はそのためにこの世界に来たのではないかと運命めいたものを感じてしまうのもおかしいことではないと俺は思うのだ。
大戦の端緒となった神竜と共に暮らし、魔族の王、魔王と共に日常を送る。
世界平和などというガキの妄想をのたまうつもりは無い。だけど、間違っていることは間違っていると、力を持ってしまった俺だからこそ示せるものはあるのだと、そう思うんだ。
「情報としては皆さんに上がってきてると思いますが、正真正銘【魔王】ですよ。俺の仲間です」
「……【魔王】はもう引退しようと思ってる。いっくんと結婚して寿退陣。メリアナが怖いので内緒にしてください」
珍しい俺の使命感みたいなものを台無しにする魔王様。
だが、いいのだ。それでいいのだ。
「魔王は…… ドロテアは、強いだけの普通の女の子です。普通って言ったらちょっと語弊があるけど、ていうか大分語弊があるけど。ノリちゃんを俺に託したのは彼女なんですよ。ホラ、ドロテア、ちゃんと自己紹介しなよ。言ってたじゃないか、外交をするんだろ?」
固唾を呑んで俺と彼女のやり取りに耳を傾ける列席者達。
彼等だって同じだ。誰だって無用の争いなんて望んじゃいない。こんな世界だって、いや、こんな世界だからこそ、人の想いは捨てたもんじゃないのだ。
ドロテアは俺のそんな思いを解ってか解らないでか、無表情をほんの僅かだけ崩して微笑むと、皇王に言い放った。
「……私はドロテア。ドロテア・シンクレア。魔境に栄える国シンクレアの女王、4代目魔王。綺麗事はいらない。手を取り合おうなんてことも言わない。だけど、無駄に殺し合う先に未来は無いと思う。それだけ」
俺はどこか優越感を感じながら喧々諤々の大争乱に包まれたホールに立っていた。
そこらじゅうで議論や言い争いをしていて、今俺達が黙って帰ったところで誰も気づきはしないだろう。
だけど、この一歩が、小さくも大きいこの一歩が。
800年もの間渦巻く愛憎の坩堝を無造作に蹴り上げる様な暴挙が、きっと必要な事なのだ。きっと俺にしか出来ない事なのだ。
召喚された勇者イガワとしてではなく、あらゆる価値観の狭間でもがく井川勇諸だからこそ出来る事。
キョトンとするノリちゃんを抱き上げ問いかける。
「ノリちゃんは、ケンカは好き?」
「あんなー ノリなー ケンカはよくないとおもいます!」
そうだ。そうだよね。
それが全てだ。難しい理屈なんかはどうでもいい。
ノリちゃんが真っ直ぐ正しく成長するため、俺は彼女に恥ずかしくないよう、堂々と目を見て話せるよう、思うが儘歩いて行こう。
そう強く思ったんだ。




