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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
29/59

オフィーリアの憂鬱②

日を浴び、ギラつくプレートメイルに身を包んだ男達の物腰は思いのほか柔らかく、警戒心を剥き出しにした俺を嘲笑うかのように、にこやかな笑顔を浮かべ「もしこのまま行けるならお連れするようにと言われております」 と言った。

 運良くなのか、悪くなのかわからないが今日は休みだ。

 

 俺は振り返って酒臭い部屋を一瞥すると軽く頷いた。

 俺達がこの国で暮らす以上避けては通れない。

 ノリちゃんがあの戦争を止めたその時から、本来ならばもっと早い段階でクリアしなければならないイベントだったのだ。。来たる時が来た、そういう話だ。断れなどしない。


「わかりました。準備しますので下で待っていてもらえますか?」

「馬車を用意してあります。何分急な話だと思いますので、ごゆっくりご準備下さい」


 少しだけ注意を外に向けてみると、数頭の馬の嘶きが聞こえた。きっと、手すりから下を見たらこんなボロアパートに似つかわしくない光景が拡がっているに違いない。 

 近隣の住民が驚いたとしても、俺にとっては渡りに船だ。皇城までは距離があるし、宮区まで入れる乗合馬車に乗っていくと俺の一日分の報酬など簡単に吹っ飛んでしまう。

 そうして俺は寝惚け眼を擦りながら部屋に戻ったワケなのだが……


「お、王様だって! い、イサオどうしよう! 私そんな偉い人に会った事無い!」


 開けっ放しの浴室から顔を出した可哀想な子が興奮気味に叫んだ。

 弱肉強食のこの世界では、事実としてSランカーも遜色無く偉いワケだが、彼女はそうでもないような気がするのが不思議だ。

 

「……王様とかどうでもいい。いっくんの妻として恥ずかしくない対応をするだけ」


 スーパーサイヤ人並みに寝癖で髪をおっ立てた超越者が呟く。

 あなたはもっと王様に敬意をお願いします。


『ほう…… ようやく聖なる我に相応しい舞台を用意したか…… 汝れよ、褒めてつかわす』

「黙れ金属」


 引越したての酒臭い我が家で、突然の登城命令をしっかりと聞いていた残念な仲間たちが浮足立っていた。


「……人類側の王様に会うのは初めて。はじめての外交、メリアナもきっと褒めてくれる」

「マジかよ、っつーかオレマジキンチョーしてきたんだけど、どうするよ?」

「こ、こんな普段着でいいのかな? ねえイサオ! に、似合ってる……? 私似合ってる……っ!?」


 俺は、偉大なる維新志士達より遥か遠くを見つめて言った。


「…………一応言っとくとあなたがたはお留守番だと思うんですが」


 全員が全員 「えっ マジで?」 みたいな顔をする中、玄関に立つ騎士がサラッと言う。


「そんなことないですよ?」

「えっ マジで?」

「ええ、仲間の皆様も最敬対象としても扱うよう命令されております」


 俺は思った。勘弁してください。

 確かに気のいい素晴らしい仲間だと俺も思う。だけど表に出すにはあまりにもお恥ずかし過ぎる。

 ため息を着くとキラキラっとアピールしてくるアリア

 兵士がいるから目立ってはしゃべらないが俺には分かる。今のは自分も連れて行けとせがむリアクションだ。

 もしこれを無視して連れて行かなかったりすると、後から「やっぱり我は要らない子なんじゃあぁぁぁ~~!!!」とか喚き出して心底ウザイので連れて行くしかない。

 半ばヤケになった俺は皮肉混じりに小声で囁いた。


「おいアリア。どうしたんだよ。お前こういう堅苦しいのは嫌いだったんじゃないのか?」


 すると彼女も小声でこう囁いた。


『エリートが集まるんじゃぞ! 絶対行くに決まっておるじゃろ! 我は女として行かねばならぬっ!』


 合コンのノリだった。

 呆然と立ちすくむ俺を余所に遠足に行くかのように軽い感じで準備を進める皆様。


「イサオちゃん マジ早くしないとマジ置いてっちゃう系よ?」

「……いっくん、ドロちゃんの晴れ舞台。早く行こう」


 さっさと階下に降りていくお二人。


『汝れよ 遅いのう。男は早くても遅くても嫌われるぞ』

「頼むからお前はしゃべんな」


 アリアを腰に差し玄関に向かうと、部屋の中で未だワタワタしている黒の巫女様。


「い、イサオ! どうしよう! あのね、私ね、以前こんな恰好で衛士さんに拘束されたことがあってね! お城で拘束されたらどうしよう!」


 悲しいトラウマを抱えているらしい残念戦士。

 急に生暖かい気持ちになった俺は優しい微笑みを湛えながら言った。


「じゃあいつもの服に着替えてきたら? そのくらいは待ってくれると思うよ?」


 すると頭をブンブン振ったオルテナが早口に捲し立てる。


「ちがうの! せっかくお城に行くんだから可愛い格好をしたいんだけどね、だけどいつもオルテナ様はそんな恰好しないとか言われて捕まって尋問されるから…… でもね! 私だって女の子でお気に入りの服を着て出歩きたくてねおばちゃんにも似合うって褒められたしツインテールはよしたら?って言われているけどやっぱり好きだしでも捕まりたくないしきっと今度牢屋に入れられたらもう立ち直れないと思うしSランカーとかになっても私はお人形作りと料理が趣味の普通の女の子だしそれでね将来は素敵な旦那様とピクニックとかに行ってかわいいねって撫でられてギュッてしたりして子供は3人欲しくて名前ももう決まっててお姉ちゃんのノリちゃんと一緒に手を繋―――」

「わ、わかった! わかったから落ち着こうオルテナさん……」


 結構な勢いで爆裂していらっしゃるオルテナさんの背中を押し玄関の外に追いやってため息一つ

 振り返るとノリちゃんが俺に向かって両手を上げていた。「あるじ抱っこして」のサインだ。

 一瞬でへにゃりと頬を崩した俺は、屈んでノリちゃんを抱き上げると頭の上に乗せる


「あるじー ノリはおしゃれさんしなくていいのー?」

「ノリちゃんはおしゃれしなくても可愛いからいいんだよ?」

「がおー」


 キャッキャっと嬉しそうに体を振る彼女に癒されながら俺達は家を出た。





□□□□□□□□□




 「どんな顔をして会えばいいんだろう」


 異世界より歴代の勇者によって持ち込まれたとされる遺物の一つ「まんが」。

 劣化も進み、相当の注意を払わなければページを捲れもしない貴重な冊子。

 そんな幼少より、手垢が染み込むほど読み返した宝物を枕元に置いてため息をつく。

 ボクは朝から憂鬱だった。


 先の戦争でゼプツィールは戦力の半数を失い、天駈連隊隊長であるレギドラ・グルドまでをも失った。

 単純に目に見える数だけを考えてもその損失は計り知れないが、それ以上に政治的打撃は大きいのだ。

 死傷者の補償に始まり、運営基盤の回復、それに伴う費用の増加と、不足人員緊急補充に伴う組織の質の低下と異分子の流入。

 まだ目に見えてはいないものの、各地で今は小さな問題が起き始めているという。

先の事を考えると頭だって痛くもなる。

 それ以上にあの決戦で散って行った何より大事な部下たちの事を思うと、今でも冷静ではいられなくなってしまう自分。

 この大元の原因が今日これから会う人物に起因するものだと思うと、悪くはないと頭でわかっていても言い知れぬ黒い気持ちに襲われてしまうのだ。

 

「彼は悪くない。それはわかっているのだ……」


 そんな黒い気持ちがどうしようもなく膨らんで街に飛出した時、出会ったのは皮肉にもその渦中の人物その人だった。

 異界の文字で綴られ、どんな台詞を言っているのか今でもわからない「まんが」

 それでも劇中の彼女たちは正義と信念を遂行し、悪と闘い続けているという事だけは子供だったボクにも理解出来た。時に笑い、時に泣き、傷ついてもそれでも守るべきモノの為に闘う彼女たちの姿は、皇族として生まれたボクが体現すべき正義そのものだった。


 幼いころより憧れたそんな「まんが」の主人公達にならい、温め続けた衣装と意思を纏いながら街に出て、そして彼に浴びせてしまった皮肉。決して「まんが」の彼女たちはそんなことはしないのに。


 起きてしまった事はしょうがないし、やってしまったこともしょうがない

 問題はこれからのことだ。

 ボクは報告書に目を落として暗澹たる気持ちに襲われた。


 戦時特権を与えられる代わりにギルドに架せられた報告義務

 それによって上がってきた数々の報告書により、あの戦争のさ中、ゼプツィールの西で何が起きていたかが明らかになってきていた


 攫われた魔導化重甲連隊隊長の娘、クルル・カナッツォ。

 利用された到達者【拳鬼】 誘き出された元勇者イサオ・イガワ

 そして墜とされた弩級超広域殲滅魔法サギタ・マキナ


 全ての点を線にし、綿にした時、自然と浮かび上がってきた家畜にだってわかる屈辱の答え


「ボク達は単なる囮だった……」


 死んだ。

 囮で、ついでで、奴らが描いた絵の外で。

 数千の部下が死んだ。数万の家族が泣いた。

 

 マイノリアの総意ではないことは知っている。彼らはイガワも神竜も勢力下に置きたいと考えているのは掴んでいるし、過激な一派が出た強硬策であることだって報告されなくてもわかっている。国は多頭蛇(ヒュドラ)だ。様々な思想や理念が交錯し綯交ぜになった坩堝たる組織、それが国家だ。そんなことはわかっているのだ。

 だからといってはいそうですかと納得出来る筈もなければ割り切れる話でもない。

 誰よりも何よりも、あの戦場で散って行った者達やその家族に、「ボク達はついでに巻き込まれました」、そんな報告が出来るわけが無いではないか。


 下がるはずも無い溜飲を押えて微笑むのがボクの仕事だとわかっていても、腹の奥底で煮えたぎる想いが容易にそれを許してくれない。

 かといって方策があるわけでも無いのだ。

 近々開催される大陸合同会議にてマイノリアを糾弾したところで結果など目に見えている。

 彼等は絶対に認めないし、必死に口泡を飛ばす我らを冷笑すらするだろう。

 十字教と敵対することの愚を、その優位を、誰よりも理解し武器としているのがマイノリア聖王朝という国家だからだ。 

 そうやって八方塞になった時、理不尽にもその矛先を解りやすく責め易い方向へと向けてしまうのが人の性だ。

 「誰のせいでこんなことになったのか」 そういう浅ましい理屈だ。


 仮初めの満足感を得られる甘く愚かな誘惑だとわかっているボク自身がそんな思考の迷路に陥ってしまっているし、おそらく少なくない者たちがそんな誘惑と闘っている事だろう。

 こんなことではいけない。いけないのだ。

 戦場に舞い降りたあの白い天使が流した穢れ無き涙。あれこそが彼らの生き方であり本質なのだ。 

 

「それでも…… ボクは……っ!」


 拳を握っては解く、そんな事を朝から馬鹿みたいに繰り返している。行先が見つからない激情の湖は決壊寸前だった。

 だがそんなことは言っていられない。

 マイノリアも、そしてレガリアも動き出した。

 レガリアは虎の子の金獅子騎士団を公使護衛団としてこの国に差し向けているし、マイノリアに至っては枢機卿の護衛団として大陸最強集団「聖12騎士」(ゾディアック)を送り込んできた。

 何かしなければという焦りで内臓が締め付けられるが、残念ながらここから先は軍人たるボクの管轄ではないのだ。

 

 魑魅魍魎跋扈する外交という煌びやかな舞台。

 人の皮を被った獣共から「言葉」という武器を駆使してこの国を護るのはゼプツェン皇国第一王女「クリシュナ・グングニル」。

 皇国の薔薇姫と呼ばれ、国民に慕われる慈愛の美姫。

 そして、美しい花には何とやらという言葉を鼻で嗤うくらい凶悪な棘を隠し持ち、そしてその棘には猛毒まで潜ませているという、この世に存在する誰よりも恐ろしいボクの姉だ。

 戦場を駆けるしか能の無いボクには想像も出来ない世界だが、この先、相当な修羅場が待ち受けているということだけはわかる。そんな厳しい情勢の中でも、散って行った部下達のため、姉上には何とか一矢報いて欲しいと切に願った。

  

 そんな煮え切らない思考に歯を噛み鳴らしていると、唐突にドアがノックされる。

 誰何し入室を許可するとミラ・シグルド連隊長が悪戯っぽい微笑みを湛えながら入ってきた。

 私は彼女の顔を見て、その時が来た事を確信する。

 私が項垂れて深く息を吐き出すと同時に彼女が言った。

 

「姫様、お見えになりましたよ。【堕天】、元勇者イガワと【黄昏の咎人】、神竜が」 







◇ ◇ ◇ ◇









「バッチコーイっ!!」

「ってこいっ!!」


 俺達は自身を鼓舞する為に気勢を上げていた。あとたった一人打ち取れば快挙だとしても気を抜く仲間など誰一人いない。

 湯出される様な熱気の中、皆が皆、血走った目をひん剥いて集中していた。


 夏の全国高校野球地方大会準決勝

 2対1。9回表2アウト。ランナー1・2塁。2ストライク2ボール 


 ラストバッターは滝本。

 今年の春の選抜甲子園に当たり前の様に選ばれた県内屈指の強豪校、青藍学園の4番だ。そして春の甲子園で3本のホームランを放ち、プロも注目する大型スラッガーでもあった。

 ベースは空いている。次のバッターは今日いい当たりを出していない。無理に勝負に行く必要は無い。そんな計算も出来る状況。

 だが俺達は睨み付ける。パワーもスピードも、そして老獪さも併せ持つ甲子園優勝候補に小細工など通用するものか。気持ちで負けたら畳み込まれて一瞬で負けるに決まっている。

 だから俺達は、頬を強張らせてタイミングを計る滝本を睨み付けたのだ。


 吉井がセットポジションからランナーを牽制する。

 滝本がボックスを外し天を仰いで深呼吸した。

 そして再度両者が対峙し、審判がプレイを宣言。

 一瞬、緩んでいた緊張感が瞬く間に煮詰まり始める。

 キャッチャーの大野がサインを送った。吉井は軽く頷くとモーションに入る。ランナーは動かない。


 思い切り振り抜いて放たれた渾身のストレートは大野の要求通り外角低めに突き刺さり、滝本が反射的に手が出かけた動作で見送った。いや、見送ったのではない。手がでなかったのだ。


 ―――勝った!!!!!!!


 滝本が顔面を蒼白にし、ベンチを含めた俺達全員の腰が浮きかかった時、無情にも放たれた神の宣告。


「ボール」


 誰一人として崩れ落ちなかったのは、この程度の事で心折れるようなヤワな練習をしてきていないからだ。

 一瞬、静まり返った球場で観客達のため息が響き渡った。落胆しているのではない。安堵しているのだ。

 一地方大会で、こんな番狂わせが起きるなど、誰も想像もしていなければ望んでもいない。

 県内屈指のスター達の勇士を全国で見たいという思いはあって当然。

 俺達は所詮悪役(ヒール)。望むところだ。


 滝本が再度深呼吸するとボックスに入った。

 2アウト、ランナー1・2塁、カウントはツースリー。

 牽制は軽くでいい。投げた瞬間走ってくるのは確定したのだ。俺達は全力で守るだけだ。

 今度は吉井がプレートを外し、俺達を振り返って不敵に笑うと、蹴りつけるようにプレートに足をかける。

 そして吉井はランナーを無視して振りかぶった。

 そうだ、それでいい。絶対に守り切ってやる。


 放たれるストレート、振り抜かれたバット。悲鳴を上げる観客

 野球を始めてから今までずっと、追いかけ続けた白球は、「キンッ」という金属バット特有の音と共に、サードを守る俺の方に飛んできた。

 ライナーでもボテボテでもない中途半端なバウンド。

 タイミング的にハーフバウンドで捕球するしかない。難しい打球。

 だがこれまで何千何万と繰り返されてきたノックにより、俺の体はスムーズに動く。ボールがなぞるであろう軌道が体に染みついた経験から導き出された。


「「「「サード!!」」」」


 全員が声を上げる。

 まかせろ、俺は呟いた。

 そして俺は捕球しようとした時……


「ああっ!!!」


 イレギュラーバウンド


  試合後半、数多の足跡と球跡により抉れ、もはや平面など無い内野グラウンドでは、そもそも綺麗なバウンドなんかはもうしないし、その為の練習だってしている。多少のイレギュラーならどうにだってなったのだ。

 だが俺を嘲笑うように跳ねた球は大きく俺の頭上を越え、反射的に伸ばしたグローブを掠り、レフト線を転がって行った。

 いつ起きてもおかしくなかった。だがよりによってこの試合、このタイミングでなるのかよ……っ!


 俺は中継に入る事もベースに付くことも忘れ、レフトに流れるボールを呆然と見遣った。

 ランナー1人目が返ってくる。同点。

 2人目が3塁を蹴る。

 レフトの久留米が必死の形相でバックホーム。

 ベース上で展開する交錯プレー。判定は―――


「セーーーフッ!!!!」


 逆転。

 俺は崩れ落ちた。

 大野がすぐさまセカンドに送球、2塁を狙った滝本を刺した。

 スリーアウト。チェンジ。


 俺は立てなかった。

 頬を伝う滴が吹き出る汗なのか涙なのか、何もかもががよくわからなくなってしまった。

 寸前の寸前までいってスルリと手のひらから逃げてしまった勝利。いるはずのない野球の神様を呪った。


「次だ次!」


 久留米が俺を抱えるように歩かせてベンチへと戻る。

 諦めたら終わりだ。まだ裏がある。そんなことはわかっている。わかっているんだ。

 だが気持ちとは裏腹に、落ち着きを取り戻した俺の頭が冷徹な計算結果を下す。


 俺達がとった点は初回、立ち上がり不安定だった相手のエースのミスに付け入って、噛り付くようにして何とかもぎ取った2点のみ。

 相手のエースは滝本に負けず劣らずの有名人。最速148キロを叩き出す剛腕だ。

 その剛腕の前に2回以降、俺達は3塁ベースすら踏んでいない。

 対して、相手は毎回の様にランナーを出し、俺達は「ここ!」という場面で凌いで凌いで凌いで凌いで

何とかリードを守り切ってきたのだ。1点で9回まで来たのは奇跡に近い。

 長期戦になればなるほど地力の差がはっきりと出てくることは間違いない。圧倒的に不利なのはこちらだ。


 組まれた円陣。その中で無意識に出てしまった呟き


「俺のせいで……」


 大野が物凄い形相で俺の頬を張った。

 球場の喧騒を抑えてなお響き渡った肉を叩く音に、相手チームもぎょっとしてこちらを見遣った。


「何言ってんだテメェ井川っ! 俺達はまだ負けてない! 負けてねぇんだっ!」


 怒号

 天に届くかと思うくらい張り上げられたのは絶叫にも似た咆哮

 別に頬は痛くない。ただ焼けるように熱いだけだ


「俺だって諦めてねえよっ!!」

「だったら顔上げろ! 声出せ! 見てみろ! 俺達の顔を見てみろっ!」 


 有り得ない事だとは分かっていても、責められるのではないかと見れなかった仲間の顔

 言われて初めて恐る恐る顔を上げる。

 瞬間、俺の裡、熱いものが噴き上がった。 


 恥ずかしかった。一瞬でも仲間を疑った自分が。

 円陣内部、ずらりと居並ぶ戦友たち顔。

 誰一人としてその瞳を曇らせている者などいない。

 誰一人として勝利を疑っている者などいない。

 そこにいたのは不敵な面を並べる野郎共、中には不謹慎にもニヤついている奴すらいる。


 そうだった。俺達はそうだったんだ。

 俺達は最高のチームだったんだ。


 小学校からの腐れ縁で同じ公立高校に入学した大野

 一応は進学校だったその高校で叩いた野球部の扉。そこにあったのは箸にも棒にも引っかからない廃部寸前の弱小野球部だった。


「井川、シケた面すんじゃねえ。あたしたちは誰よりも練習したろう? 負けたらあたしの有給返してもらうかんな」


 村上美恵監督

 進学校では重視されない部活動、前任の顧問は産休に入っており、まず顧問を探すという状況から俺達は歩き始めた。

 顧問になってくれたのは初練習で「何で打ったら右に走るの?」と言い放った担任の音楽教師だった。

 当初、お飾りでいいと期待すらしていなかった彼女は、練習ばかりで勉強成績が振るわない俺達のせいで他の教師から散々苦言を呈されてもヘコタレず、ガミガミ怒られる俺達の盾となり、夜は親御さんの説得に駆け回り、練習場所の確保の為に頭を下げ、公立弱小高練習試合をしてくれるチーム探しに奔走し、俺達の夢のため、全ての時間を費やしてくれた。

 未だにノックを打つことも出来ず、なぜか守備側に混じって練習する運動音痴の彼女も、今では俺達の精神的支柱となって今この瞬間も円陣の中、日に焼けたすっぴんを晒し不敵に嗤っている。


「井川、誘ってくれた事、感謝してるんだ」


 ボソっと告白したのは金髪の坊主、耳にはピアスまでつけている異端児、蒲田。

 なぜ進学校に入って来たのか未だに不明で、バットは武器と公言して憚らなかった彼は、今ではなくてはならないチームの4番だ。

 誰よりも練習し、誰よりも献身的にチームに貢献しようとするその姿からは、中学の時ケンカとバイクに明け暮れていたという彼を想像することが出来ない。


「受験勉強したくねー だから甲子園行こうぜ!」 


 軽く言ってのけたピッチャー吉井。

 何でも小器用にこなし一番センスがあるこの男は、両親が医者で、この夏が終われば地獄の受験勉強が待っている。彼にとって、今大会は永遠に続いて欲しい夏の夢なのだという。

 受験に合格したら監督に告白すると公言していた。

 既にそれを知っている監督によると、「甲子園で優勝したら考えてやってもいい」とのことだ。知らぬが仏とはこのことだ。


「井川、信じろ」


 大野

 俺の親友。小学校からの幼馴染。唯一無二の友。

 バットを振れば世界が平和になると本気で信じている馬鹿は何の根拠も無く信じろとただ一言だけを告げる。

 だから俺は信じる事にしたんだ。


「オラおめーら気合入れろ! 勝ったらしこたまビール飲ましてやっからよ!」


 教育者にあるまじき台詞を口にした25歳独身女性教師。

 ニカッと笑い剥き出しになった白い歯が日差しを浴びてキラキラ光った。


「ぃっくぞぉぉぉぇ~~~~~っっっ!!!!!」

「「「「おおおおおぉぉぉぉ~~~っ!!!」」」」


 全員が全員、奇声を上げて最終回の攻撃が始まる

 打席に立つのは3番吉井。


「監督ぅぅ~~~!! 俺の全てを捧げま~~すっ!!!」

「求めてねーよ」


 対するは最速148キロの剛腕ピッチャー

 第一球目、ゆったりとしたモーションから繰り出される剛速球。

 吉井は大げさに打つ構えを見せつつ、セーフティーバントを敢行した。

 ボールがサードとピッチャーの間、いいところに転がる

 ピッチャーは体力を温存すべきとか、もうこうなったら関係無い。吉井がつんのめる様にして一塁へと疾走する。

 サードが送球姿勢に入りながら捕球、矢のような送球をファーストへ。微妙なタイミングだ

 吉井が前傾姿勢そのまま倒れ込むようにヘッドスライディング。

 試合後半で乾いた土が舞い上がる。顔面を泥だらけにした吉井が縋る様に審判を見た。


「アウトォ!」


 瞬間、吉井の顔がくしゃっと歪む。

 いつもニヤニヤヘラヘラして感情を露わにすることなど無い男が初めて見せる激情。

 俯いてベンチに走ってくる吉井。彼の頬に付く土をこそげ落とすのは汗である筈がなかった。

 ベンチで肩を震わせる吉井。 


 蒲田はそんな吉井に声をかけることもなく、横目で確認して瞑目した。深く息を吸ってカッと目を開き自身の頬を張る。

 普段から寡黙なこの男は、ここぞという時にも黙って仕事をするのだ。

 1度、2度、豪快に素振りをしてからバッターボックスに入る。

 体から立ち上る気迫が目に見えるようだった。


 1球目はスライダー。外角低めに決まったその球を蒲田はピクリともせずに見送る。

 2球目もスライダー。同じところに決まるが蒲田はやはり微動だにしない。

 3球目、相手バッテリーはいやらしくもスライダーを選択する。1,2球目より外に放られた誘い玉、4球目も全く同じボールが来た。蒲田はそれに乗らない。

 ツーツー。次だ。絶対次でキメに来る。

 高まる緊張感。観客が息を呑む中、相手ピッチャーが振りかぶる。

 繰り出されたのは外角低め、渾身のストレート。


 何度も。

 何度も何度も何度も、何度も繰り返した素振り。

 肉体に染みついたその動作を、意識などしなくても肉体が覚えてしまったその筋肉の脈動を、今日最高の急速を記録した速球に無意識的にブチ当てる。

 体は開かない。覆いかぶさるように、バットを放り投げるようにしてボールを掬った。

 流し打ち。


 金属音が鳴った瞬間反射的に後ろを振り返るピッチャー。祈る様にボールの行方を追い、そして


 安堵の表情を浮かべた。


 痛烈な当たりは、驚くほどのスピードでライトのグローブに突き刺さった。バウンドしていたとしてもライトゴロになったに違いない程の打球

 だが天は俺達に味方しない。非情にもツーアウトだ。

 蒲田が天を仰ぐ、そして睨み付けるようにネクストバッターの大野を見やった。


 頼むぞ。 

 任せろよ


 そこに言葉など無い。無言で投げかけられた想いに大野はただ黙って頷いた。

 絶体絶命の場面。そんな中、大野は黙って俺に視線を投げてくる。そして言った。


「行こうぜ」


 何が? どこに?

 そんな事聞く必要も無かった。俺達が求め続けた答えは一つだけなのだ。 

 気合は十分。

 殺人的に照り付ける太陽より顔を真っ赤にした親友がバッターボックスの中へ。


 相手チームはみなリラックスしている。

 笑顔を浮かべている者さえいる。

 観客だってこれ以上の波乱は想像していないし、望んでもいないだろう。

 だが俺達は諦めない。大野は言ったのだ「信じろ」と。誰一人としてその言葉を疑う者はいない。

 滑稽だと笑うなら笑え。憐れむなら憐れめ。

 思い知れ。俺達はドン・キホーテじゃない。

 俺達は俺達なんだ。

 前高ナイン舐めんじゃねえ


 初球だった。


 歓声を切り裂き黙らせたその金属音は、思いの外軽かった。

 運もあったんだと思う。がむしゃらに振り抜いたバットに打ち返された白球は、青空に吸い込まれるように高く上がり、無限かとも思われるくらいの滞空時間を経て


「行け……っ! 行っけぇぇぇぇ~~~~っ!!」


 無人のライトスタンドに着地した。


 時が止まったかのように静まり返った球場。沈黙が耳に痛いとはこのことか。

 大野がゆっくり2塁を周り3塁に向かう。

 球場を凍りつかせた空気を読まない俺の親友は3塁を蹴ると、牙を剥き出しにして天高く拳を突き上げた。


「終わらねえ! 終わらねえんだ俺達はっ!!」


 感情を爆発させる味方ナイン。

 球場に響き渡るのは歓声ではなく悲鳴。

 体の底から駆け昇ってくるのは津波のような激情。

 全員がベンチを飛び出す中、俺はその場に立ちすくみ、拳を震わせて呟いた。


「行こうぜ…… 大野……」


 もみくちゃにされてベンチ帰って来た大野と目も合わせないのは、互いが互いの想いを理解しているからだ。

 ネクストバッターは久留米。

 ストライクをカットし続けることで、動揺が収まっていないバッテリーを厭らしく攻め立てる。

 8球目を見送りフォアボール。


 2アウトランナー1塁。

 バッターは俺。

 昂り過ぎる感情を抑え、深く深く息を吐いた。

 ここしかない。もうチャンスはここしかない。

 俺は1塁の久留米の顔を見た。サインは無い。だが俺には奴が何を考えているのか手に取る様にわかった。

 初球、ピッチャーがモーションに入った瞬間バントの構え、そしてショーバンするであろうカーブをギリギリまで引き付けバットを引く。

 キャッチャーがボールを前にこぼす。

 俺は無言でボックスを外し、素振りをした。結果は見なくてもいい。久留米は必ずセカンドにいる筈だ。

 俺はベンチを振り返り、大野に向かって言い放った。


「信じろ」 


 再度ボックスに入り、ピッチャーと対峙した時、セカンドでリードを取る久留米を確認して頬を釣り上げる。

 大きいのは要らない。かっこよくなくてもいい。泥臭くてもいい。ポテンヒットでいい。


「ッチコイっ!!!」


 ピッチャーに怒声を叩きつけると、俺はバットを握りしめた。

 世界から全ての音が掻き消える。今俺がすべきことは、来た球を打つ。それだけだった。

 だから俺は、ストライクゾーンど真ん中へと疾駆する白球に向かって、

 全力でバットを振りぬいたんだ。




□□□□□□□□




「っしゃ~~~っ!!」


 拳を突き上げた俺の視覚に入って来たのは目を見開き、ビクビクとこちらの様子を伺うオルテナさん。

 いつのまにか小動物属性まで身に付けていた彼女のポテンシャルに俺が驚く。

 すると、膝の上に座っていたノリちゃんが俺の袖をチョイチョイと引っ張ると首を傾げた。


「あるじー うれしいことあったのー?」

「あ、ああ…… えーとね…… 夢……か……」


 どうやら、乗り心地の良い乗合馬車に揺られて、転寝をしていたらしい。


「あるじちょっと夢を見ていたみたいだね。ノリちゃんごめんね、びっくりした?」

「ううん~~ あるじうれしそうだったからなー ノリびっくりせんかった!」


 最近はまるっきり見なくなっていた日本の夢。

 今思い出しても胸が熱くなることは間違いない。俺は苦笑しながらノリちゃんの頭を撫でた。


 大番狂わせと地元紙に書かれたあの試合。

 そんな激戦を経て、県大会決勝当日、試合球場に向かう途中、俺は召喚された。

 こちらの世界に来てから縋り続けた追憶の煌めき、そうしなければ俺はこの世界で生きてなどいけなかった。


 だが今は違う。

 決して思い出の輝きが鈍ったわけではない。今思い出してもあの茹だる様な夏の日の出来事は色あせることなく俺の中でキラキラと輝き続けている。

 色褪せる事無きあの夏の想い出に負けないくらい、ノリちゃんと積み重ね続けた日々は光を放っているのだ。

 過去に縋らなくても生きていける今。

 この日常を守りたい、心の底からそう思う。


 

 「到着いたしました」との御者さんの知らせを聞いて、未だ上目使いのオルテナさんを横目にノリちゃんを一撫で。

 嬉しそうに眼を細める何より愛しい家族に笑いかけると、俺はあの日の大野の言葉を呟いた。


「終わらない。終わらないんだ俺達は」

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